世は大ポイント時代!
今年のはじめごろ、まだ僕が右も左もわからなかったころのこと。渋谷のビックカメラでテレビのレコーダーを買ったときに、なんらかのキャンペーンとまた別のなんらかのキャンペーンの相乗効果みたいなものでかなりポイントがつき、これくらいポイントつくともはやポイントにプラス千円くらいでこの小さいスピーカーも買えちゃうんだぜ、と店員さんにすすめられるがままに謎の小さいスピーカーも一緒に買ったのだ。いま考えるとビックカメラに踊らされたような気もするが、まあスピーカーなんていくつあってもいい。踊らぬよりは踊るべきだ。
僕たちは真新しいレコーダーと小さなスピーカーを引き連れて家に帰った。
防水なのとストラップが付いていて持ち運び可能なのがうれしく、青緑とキャメルのカラーリングもかわいいJBLのスピーカーである。しかし、通常スピーカーを置くべき場所として想定されているであろうリビングには、すでにソニーのスピーカーが鎮座していた。ではこの新入りをどこに配属すべきかといったら、風呂場である。
「申し訳ないけど、きみには風呂場を担当してほしい」
「わかりました。風呂場とフロアは響きも似てますしね。沸かしますよ!」
なるほど、その視点は僕にはなかった。彼が納得してくれたので、僕は彼を風呂場に置いた。それから彼は毎晩気分よく風呂場を沸かしてくれた。新入りのスピーカーの配属先としてはまずまずよかったのではないかと僕は思った。
そしてこの新入りは、僕の入浴問題をも解決してくれたのだった。風呂に入っているあいだなにもやることがなくて暇だ、というのが、僕にとって生活における主な懸念事項だった。特にシャワーを浴びている時間はほんとうに暇だった。僕にとって顔や髪や身体を洗うことはまったく退屈なルーティンでしかなかった。そこに発展や深化はなく、感情の入り込む余地もなかった。思考が入り込むことは稀にあったかもしれない。しかしそれも、並行世界の三重県、五重県、という程度のことであって、けっしてそれ以上深まることはないのだった。裸眼と湯気による焦点の定まらなさが、僕から思考力を奪っていた。そうやってただぼんやりとシャワーを浴びつづける日々を送っていた僕にとって、風呂場で音楽が聞けるというのは天恵に近かった。
それからというもの、僕は毎晩のように風呂場で音楽をかけた。さほど高くはないスピーカーといえども、スマホで直接かけるのとはやはり明確に違った。音の解像度が違い、低音の鳴りが違った。もちろん、シャワーを浴びているあいだは聞こえにくい。しかしそのときはそのときで、鼻歌で自分なりにベースラインを補ったり、舌を鳴らしてドラムを足したりした。それはそれで楽しかった。
風呂に入っている時間というのはせいぜい十五分から長くても三十分なので、アルバムというフォーマットとの相性はさほどよくない。長さ的には、EPか、あるいはシャッフルで流してもいい感じになるものが適していることになる。スピーカーを風呂に置いてから、僕が最もかけていたのはVegynの"Don't Follow Me Because I'm Lost Too!"(『僕に聞くななぜなら僕も迷ってるから!』)というミックステープで、数十秒からおよそ三分まで、長さはまちまちの曲が七十五曲、計二時間半分入っているものである。Vegynは二〇一九年のアルバムや去年のEPがとても好きなので、七十五曲も入っているミックステープが出て僕はまず大喜びしたのだが、それに加えてうれしかったのは、このミックステープがどうぞシャッフルしてくれといわんばかりの作りになっていたことだ。七十五曲、よくできたものから作りかけのようなものまでが、アルファベット順に並んでいる。そこには単にアルファベット順に並べたということ以上の意図は(おそらく)なく、すなわちシャッフルしろ!ということなのだろうと僕は受け取った。僕はこのミックステープを風呂場でシャッフルで流した。特に夏場はほぼ毎晩のようにこれを流していたと思う。だから、Vegynが同じようなミックステープを二〇一九年にも出していたと気づいたときはうれしさ二倍だった。"Text While Driving If You Want to Meet God!"(『神に会いたければ運転中にスマホをいじれ!』)という七十一曲入りのミックステープである。
Vegynのミックステープ二枚・計一四六曲でも飽きずに一年過ごせそうだったが、もちろん気分というものがある。夏の終わりから秋の盛り上がりのメロウな時期、僕の風呂場ではSam Gendelが活躍した。Sam Gendelは、特に活動を追っていなくても、たまに確認すると新しいアルバムがしれっと二、三枚出ていてすごい。パートナーの妹である十一歳の少女と一緒に作ったというアルバム"LIVE A LITTLE"には特に異様なよさがあり、とてもよかった。
同じSam仲間の、Sam Wilkes & Jacob Mannの"Perform the Compositions of Sam Wilkes & Jacob Mann"もとてもよかった。ゆるい空気をまといながらもよく引き締まった良曲が続くアルバムだ。
また、風呂場と相性がいいのがトラップである。僕はLil Babyの"It's Only Me"やDrake & 21 Savageの"Her Loss"をシャッフルでかけた。特にDrakeの声というのは、やはりいつもフロアを沸かしているからか、風呂場でも響きがよく、スターのなんたるかを教えられた。21 Savageのローテンションの「トゥニワン……」もよい。
これ以上はふつうに羅列になりそうなので、それならば今年よかったアルバムをふつうに羅列します。
■よかったアルバム
- Big Thief "Dragon New Warm Mountain I Believe In You"(2022年もっとも好きだったアルバム。11月の来日公演に行ってからさらに好きになりました。2枚組アルバムのなかでのオールタイムベストかもしれない)
- Vegyn "Don't Follow Me Because I'm Lost Too!"(2022年もっとも聴いたアルバムですが、曲と曲名は最後まで一致せず……)
- 柴田聡子 "ぼちぼち銀河"(ブルース的なかっこよさが格段に増した気がします。特に「夕日」~「ぼちぼち銀河」の流れ。そしてそのあとの跳ねるような「24秒」のよさよ……)
- Alex G "God Save The Animals"(レコードの帯に「万物を救う「神」の歌」と書いてあってウケました)
- Rosalía "MOTOMAMI"(9月くらいにようやくこのアルバムの凄まじさに気づきました。"SAOKO"のMV、衝撃的にかっこいい。そして2022年もっともグッドメロディ、"HENTAI"かもしれない……)
- The Weeknd "Dawn FM"
- Arctic Monkeys "The Car"
- THE 1975 "Being Funny In a Foreign Language"(よきポップアルバム。いい意味ではったりがうまい気がする)
- SZA "SOS"(SZAはラッパーなのかもしれない。と思いきやポップパンクあり、テイラー・スウィフト調もあり。アルバム中2回出てくるTravis Scottがまたよい)
- Jockstrap "I Love You Jennifer B"
- Perfume Genius "Ugly Season"
- サニーデイ・サービス "DOKI DOKI"(なんというみずみずしさ!)
- Weyes Blood "And In The Darkness, Hearts Aglow"
- BEYONCÉ "RENAISSANCE"
- Florist "Florist"
- Sam Wilkes & Jacob Mann "Perform the Compositions of Sam Wilkes & Jacob Mann"
- caroline "caroline"
- Black Country, New Road "Ants From Up Here"
- Ulla "form"
- Mura Masa "demon time"
- Little Simz "NO THANK YOU"
- Drake & 21 Savage "Her Loss"
- Blood Orange "Four Songs - EP"(これもまた風呂場でよく流しました。ポコポコした音がいい)
- Tohji "t-mix"
- Steve Lacy "Gemini Rights"
- Shygirl "Nymph"
- Fontaines D.C. "Skinty Fia"
- Kendrick Lamar "Mr. Morale & The Big Steppers"(僕にとってはスルメ盤でした。正直、出てしばらくはあまりはまっていなかったのですが、リリースされるMVのかっこよさにやられ聴きなおしてみるとなんとかっこいいこと……)
- Denzel Curry "Melt My Eyez See Your Future"
- ゆるふわギャング "GAMA"
- Wu-Lu "LOGGERHEAD"
- Cass McCombs "Heartmind"
- Tomberlin "i don't know who needs to hear this…"
- The Smile "A Light for Attracting Attention"
- Sam Gendel & Antonia Cytrynowicz "LIVE A LITTLE"
- Sam Gendel “blueblue”
- Whatever The Weather "Whatever The Weather"
- 坂本慎太郎 "物語のように"
- Harry Styles "Harry's House"
- Ethel Cain "Preacher's Daughter"
- Vince Staples "RAMONA PARK BROKE MY HEART"
- Wilma Vritra "Grotto"
- 優河 "言葉のない夜に"
- 岡田拓郎 "Betsu No Jikan"(柴田聡子のライブでも機材をいじりながら弾きぐるっていた岡田拓郎さん、彼岸へ……)
- Animal Collective "Time Skiffs"
- Charli XCX "CRASH"
- tofubeats "REFLECTION"
- Mount Kimbie "MK 3.5:Die Cuts City Planning"
- 中村佳穂 "NIA"(ライブはほんとうにすごかった)
- FKA Twigs "CAPRISONGS"
- 宇多田ヒカル "BADモード"
■よかった本
読んだ順に、乗代雄介『十七八より』、近藤聡乃『A子さんの恋人』、シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』、滝口悠生『長い一日』、佐川恭一『舞踏会』、町屋良平『ほんのこども』、乗代雄介『パパイヤ・ママイヤ』、エイドリアン・トミネ『長距離漫画家の孤独』、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』、デニス・ジョンソン『ジーザス・サン』、後藤明生『蜂アカデミーへの報告』、村上春樹『羊をめぐる冒険』、ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの地獄のアメリカ横断ヒッチハイク』、ハーラン・エリスン『死の鳥』、マシュー・シャープ『戦時の愛』がよかったです。あとはさいきん『SLAM DUNK』を読んでいます。すごいです。試合中、全員に見せ場があり、でもそれらが単なる作劇上の都合ではなく、見せ場のための見せ場ではなく、あくまで自然な試合展開のなかに次々現れるのがすごい。登場人物たちが生きている、と強く感じさせるような。そしてその延長線上に『A子さんの恋人』もある気がします。作者自身の思索を登場人物にしゃべらせているのではなく、登場人物たちが自分たちで考え、感じ、言葉を発している感じ。その結果、恋バナから人生の話へ……。
やはり僕は、登場人物たちが生きている(あるいは生きていた)と感じさせる作品が好きで、そういった意味で滝口悠生や乗代雄介の小説もかなりいいです。特に『長い一日』はすごかった。作者自身が見た、聞いた、触れた感覚の延長で「私」が描かれる。そしてその「私」がいつしか、妻や友人にもすり替わりながら文章が進んでいき、世界が拡張されてゆく。そこにユーモアがあるのもよかったです。
いっぽう、積ん読はどんどん増えてゆきます。
■よかった映画
- 『みんなのヴァカンス』(シンプルに脚本がいい、そして俳優の最もみずみずしい表情を映画に収めている。それがギヨーム・ブラックのすごさだと思いました。物語のフォーカスがひとからひとへと自然にスライドしていき、予期せぬタイミング、予期せぬ形で相互理解が訪れる素晴らしさ。奇跡のようなカラオケシーンがとてもよかったです)
- 『リコリス・ピザ』(最高)
- 『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱監督はなによりまずみずみずしい瞬間を映画のなかに収めるのが抜群にうまい。そしてリズミカルなミット打ちの気持ちよさ……、あれのことを、一緒に観たひとは「ヨネダ2000みたいだった」といっていたけれど、でもまさしく音と動きの映画だった)
- 『NOPE/ノープ』(最高)
- 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(今年観たので今年)
- 『ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』(旧作)(徹底的に生活の導線と反復が描かれるなかで、やがてそれが揺らぎ、乱れてゆく。規則的に配置された定点カメラによって、ひとりの女性の心の機微が克明に記録されている。反復する日常のなかで、映画的な面白さや緊張感を保つための省略がなされ、いっぽうでなんでもないような長回しが入る。その長回しがかなりよかったです。皿を洗うとか、じゃがいもを剥くとか、映画史上で見落とされてきたであろうシーンが連続し、それらと同じテンションでとうとつな幕切れが訪れる)
- 『RRR』
- 『北の橋』(旧作)
- 『カモン カモン』
- 『あのこと』(やっていることはとてもシンプルなようで、シンプルゆえにものすごい緊張が続く。全員観たほうがいい)
- 『彼女のいない部屋』(技巧があくまで話を語るために存在する、いい例)
- 『トップガン マーヴェリック』
- 『THE FIRST SLAM DUNK』(すさまじい緊張感。回想も多く交えているとはいえ、描かれているのはあくまで試合の40分間だけなのに、2時間みっちり作って、しかも体感としては試合を観戦しているかのように感じさせるすごさ。時間の魔術師……)
- 『グリーン・ナイト』(これと『ザ・バットマン』は青年の成長譚としてとてもよかった。でも単なる成長譚ではなく、ものすごく変な映画だったのでなおよし)
- 『女っ気なし』(旧作)
- 『スペンサー ダイアナの決意』
- 『LAMB/ラム』(雄大な自然)
- 『さかなのこ』
- 『アネット』(観た直後は戸惑いが勝ちましたが、けっきょく年末になって思い出すのは『アネット』のあれやこれや……)
- 『フィールド・オブ・ドリームス』(旧作)
みずみずしさと緊張感、大事。
■その他よかったもの/こと
- 戦場ヶ原:夏と秋の間くらいのどこかの休みの日、昼過ぎにふと思い立って戦場ヶ原まで車で行った。途中から雨が降ってきて、車の外はとても半袖では立ちゆかないほど寒くなった。いろは坂を上り、中禅寺湖を横目に車を走らせた。僕たちは道の駅のようなところでものすごく薄いただのビニールのようなレインコートを買って、戦場ヶ原へと足を踏み入れていった。僕たちと、もうひとり妙齢の女性しかひとはおらず、戦場ヶ原にはしとしとと雨が降り、靄がかかっていた。早朝に見る謎の夢のような日だった。
- 『101回目のプロポーズ』:ほんとうにおもしろかった。名作と呼ばれているものはきちんとおもしろくてすごい。
- 文フリ:今年はふたりで書いて出せました。
- Big Thief来日公演:ほんとにすごいバンドだと思います。
- 『メディア王』:まだ途中ですが、とてもおもしろい。ケンダル、元気を出して……!
以上になります。