バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

二〇二四年八月の日記

8/1

 頭痛とめまいがして会社を休んだ。月初から幸先の悪い! 寝て、起きて、『忘れられた日本人』を読み終えた。あっという間に夕方になって、アレックス・Gの『ゴッド・セイヴ・ザ・アニマルズ』とボン・イヴェールの『i, i』のLPを流したらすごくよかった。『個人的な体験』を読み進め、それと並行させる形で『僕の名はアラム』も読み始めた。『僕の名はアラム』はまだ最初の二つの話しか読めていないけど、どちらも素晴らしくて「おお」と声が出た。短い文を連ねて描くのがとにかくうまい。僕も自分が文フリに出るための短編を少し書き進めた。でもいま書いているものを文フリの冊子に載せるかどうかはわからない。秋までに他にもバンバン書けたら載せないかもしれない。たぶん載せる。

 同居人が帰ってきて、夕飯を食べた。フット後藤が一年ぶりに天下一品のラーメンを食べるYouTubeを見て笑った。そのあとはネトフリの『ボーイフレンド』を見進めた。けっきょくこういうの見ちゃうんですよ!

 

8/2

 八月に入ってから、むしろ、少し過ごしやすくなっていやしないか。

 仕事を終えて、ラーメンを食べに行って、そのまま家に帰ってもよかったのだが、読書でもしようと思ってルノアールに入った。金曜日の夜だ。駅の近くのカフェはどこもたいてい混んでいるのに、僕の入ったルノアールは心地よい空席に恵まれていた。先月の大塚のルノアールと同じく、そこは「ルノアール会」に所属するルノアールだった。何度か入ったことがあるルノアールだが、そこが「ルノアール会」に所属していると知ってから入るとまた味わいが異なる。日が経ったので「ルノアール会」についてもあらためて説明する必要がある。いや、説明する必要はない。先月の日記から引っ張ってくればいい。

ルノアール大塚店メモ;ルノアールといえば赤い椅子のイメージがあるが、大塚店の椅子は青い。壁にも青とターコイズ幾何学模様が張り巡らされている。というのも、メニューの表紙と裏表紙に記載されていた文章によれば、大塚店はいわゆる「銀座ルノアール」とは異なる「ルノアール会」というボランタリーチェーンに属しているそうで、ルノアール会は現在六店舗(恵比寿の二店舗はいずれもルノアール会)しか存在しないそうだが、それぞれが特色のある内装やメニューを展開しており、説明文からは「むしろルノアール会こそがルノアールの本家本元である」というような矜持さえ感じられる。実際、大塚店は先述の青を基調とした内装、漫画の数々、そして長居した際に出していただいたお茶が昆布茶だったなど、節々に独自路線が見受けられ、非常にいい喫茶店だった。」

 僕が今日入ったルノアールは一見すると「ルノアール会」でないルノアールとさほど見分けがつかないようにも見えるが、壁の隅に使われていないブラウン管が埋め込まれていたり、ソファの座面がライトグリーンだったりして、控えめながらも独自性が発揮されているのだった。といっても僕は「ルノアール会」でないルノアールにさほど足を運んでいない──むしろ入店した回数でいえば「ルノアール会」であるルノアールのほうが多いかもしれない──のでこれらの特徴がこの店舗ならではのものなのかどうかはわからない。しかし比較的小ぢんまりとした店内には隅々までこだわりが行き届いているように思えた。もし仮に、世の中一般のカフェというものが実は宇宙船で、飛び立つ日を待っているのだとしたら、僕は今日のルノアールの船員として応募することを検討したいと思った。もちろん船員の倍率は高いだろう。だから僕は先日の大塚店の船員にも併願することを考えなければならない。

 カフェが宇宙船であるというのは突飛な考えのようだが実はそうでもなくて、今日のルノアールの、店内中央あたりの天井には大きな円形のくぼみがあって、そこから照明が吊るされる形となっており、有事の際にはそこを中心にエンジンがかかって店全体が浮上するのであろうと容易に想像できたのだった。そうなると壁に埋め込まれたブラウン管はおそらくHALだ。ルノアール号が宇宙に出てしばらく経った頃に起動して、船員たちを次々と陥れるだろう。だとすれば今日のルノアールではなく大塚店の船員になったほうが安全そうだが、大塚店も大塚店で、壁や天井に張り巡らされた幾何学模様が何をしでかすかわかったものではない。

 天井のくぼみの外周をなぞるような形で、店員の若い女性が手持ちぶさたそうに店内を何周も徘徊していて、それは凡百のチェーン店ではあまり見ないような、たしかにここが「ルノアール会」なのだろうと思えるユニークな光景だといえた。僕はその姿に奇妙な好感を持ちつつ、そのひとがあまりにぐるぐるしていて、本を読みながらもときどき視界に入ってくるのでひとりでウケてしまった。ウケてしまったといったって実際に笑顔になったり声を出したりしたわけではないが、そんなのはまだ僕が若い(若くはないが)から抑えられているだけで、老人になったら抑えられないのだろう、と僕に未来の想像をさせるほどにその店員さんのぐるぐるはおもしろかった。

 しばらくルノアールにいると、飲みに行っていた同居人から帰るという連絡があって、駅から一緒に帰った。同居人は今週は会社でいろいろあった。僕はそのいろいろを聞いているが、おそらく日記には書かれないだろう。

 

8/3

 かなりいまさらな話になるが、僕がアメフトサークルに所属していた大学生のときに、よく着替え場所として使っていた、駒場のキャンパスの音楽系のサークルがある棟の柱に書かれていた「鳥バード」という落書きは、大江健三郎の『個人的な体験』などの小説に出てくる、鳥(バード)と呼ばれている青年のことを指しているのではないかということを、まさに『個人的な体験』を読み返していてふと思った。前にもふと思ったことではあるが、そのときは日記に書かなかった。今日は書いた。

「鳥(バード)、その、両手の拇指のつけねで頭をこすりつけるのは、きみの大学の時分からの癖だったかい?」

大江健三郎『個人的な体験』(新潮文庫)p.193)

 今朝は自然に目が覚めて、部屋のなかの空気からして七時くらいかと思ったらまだ五時半だった。もう一度寝ようにもなんとなく寝られず、もぞもぞしているうちに同居人も起きて、『ボーイフレンド』の続きを見始めたので僕も合流した。七時を回った頃に洗濯機を回して、外に干した。朝食を食べてから、同居人はいつしか寝ていた。僕はベランダで洗濯物が揺れているのを部屋のなかから眺めた。十時半頃にベランダに出たら既にタオルもシャツもパンツも乾いていて、取り込んで、準備をして家を出た。同居人と共に家を出て、それぞれの実家へと帰った。

 実家の近くには東西に細長い沼がある、その沼の名を冠した花火大会が、毎年八月の初旬に開催される。それに合わせる形での帰省だった。帰省、は大げさだ、せいぜい一時間ちょっとで帰ってこられるので帰宅に近いかもしれない、しかし中学、高校、大学の間ずっと乗っていた電車の車窓を流れる景色にどうしても懐かしさを覚える。その時点でただの帰宅ではない。帰省でも帰宅でもない。線路際の建物たちが十数年ぶんの時間を重ねているのを車窓からでも感じる。看板は日に焼けて退色している。以前はなかったマンションが建っている。あそこを歩いているあのひとは僕が中学生のときにもやはりあの道を歩いていたのだろうか。

 昨日から歌の入っていない音楽を聴く流れが僕のなかにできていて、

 KEVIN "Laundry"

 Jim O'Rourke "Bad Timing"

 Sam Wilkes, Craig Weinrib, and Dylan Day "Sam Wilkes, Craig Weinrib, and Dylan Day"

 Ulla & Ultrafog "It Means A Lot"

 などを実家への道中や実家に着いてからも聴いているうちに眠くなって昼寝した。

 夕食を食べてから、沼沿いまで歩いていって花火を見た。東西に細長い沼の、東寄りにある公園を拠点に花火は打ち上げられる。僕の家は沼の西寄りにあるので、少し遠くのほうで上がる花火を眺める形になる。花火が開いてから音が聞こえるまでにおよそ七秒ある。爆発音が僕たちのいる位置にまで鳴り響くときには、たいていの花火は既に消えている。沼沿いには高い建物もないので僕の家の近くからでも花火はクリアに見えるが、打ち上げ位置との間にはこんもり膨らんだ小さな森があって、それに遮られて、地上付近でバチバチと開くようなタイプの花火は見えにくい。それでも僕たちが沼の西寄りのその位置から花火を見ることを好むのは、そこが単に家に近くてひとも少ないからというのもあるが、沼の風が感じられ水音が聞こえるのが非常によい。

 沼沿いの遊歩道には街灯なんて一本も立っていないが、花火が打ちあがっているからなのか、日が沈んでからも沼の表面にさざ波が立っているのがよく見える。マコモやアシに押し寄せる水音もしっかり聞こえる。驚くほど涼しい風が頬やふくらはぎをなでる。虫たちが鳴く。そこに七秒遅れて花火の爆発音が響く。

 遊歩道に沿って人びとが、あるひとは持ってきた椅子に座り、あるひとは立ったまま同じ方向を見ている。僕と母はそれぞれうちわを持って西の空を仰いでいる。すぐ後ろで男性が鼻をすするような音が聞こえて、それがなんとなく近すぎるような気がして振り返ると、二羽の白鳥が田んぼのほうから遊歩道へと上がってきて僕たちの真後ろにいる。そのでかさと、一羽ではなく二羽というところで僕はウケて、しばらく花火どころではなく白鳥のほうばかり見ている。鼻をすするような音を出していたのは白鳥たちだ。僕は白鳥はガア、ガアかと勝手に思っていたが、そうでなくズズッと、もしかしたら鳴き声ですらない音を発しながら、白鳥たちは遊歩道を横断し、しばらく僕のそばに止まったが、花火を見るふうでもなくそのまま沼のほうへとそろりそろり歩いていった。少し遅れて弟がやってきて、白鳥たちは去年もいたと教えてくれた。

沼へ

あと七秒で爆発音が響く……

沼からの風はぬるくて気持ちがいい

ズズッと鼻をすするような音を発しながら歩く白鳥たち

 

8/4

 僕のおじさんのメリクは、史上ほぼ最低の農場主だった。農業をするにはあまりに想像力豊かで、あまりに詩人だった。おじさんが求めたのは美だった。美を植え、美が育つのを見んとおじさんは欲した。世界に詩と若さがあった古きよき日々、ある年僕はおじさんに言われてザクロの木を百本以上植えた。僕はジョン・ディア社のトラクターも運転したし、それはおじさんも同じだった。すべては純粋な美学であって、農業ではなかった。木を植えて木が育つのを眺める、という発想におじさんは惹かれたのだ。

 あいにく、木は育たなかった。土のせいだった。土は砂漠の土だったのだ。それは乾いていた。購入した六八〇エーカーの砂漠をおじさんは腕を広げて示し、誰も聞いたことがないほど詩心あふれるアルメニア語で言った──この恐ろしい荒廃の地に果樹園が生まれ、ひんやりした泉の水が土地から噴き出して、美しいものすべてが生まれ出るのだ、と。

 はい、おじさん、と僕は言った。

ウィリアム・サローヤン柴田元幸訳『僕の名はアラム』(新潮文庫)より「ザクロの木」p.49~p.50)

 僕の実家の二階のトイレは、史上ほぼ最高に居心地のいいトイレだった。日本のトイレというにはあまりに広く、あまりに地中海のバカンス風の雰囲気を漂わせていた。バカンス風というのは僕が勝手に思っているだけで、実際はただの日本の一軒家のトイレだ。広いというのもいい過ぎで、実際には、まあふつうより少しくつろげるくらいだ。

 バカンス風というのは、僕がまだ実家に住んでいた頃から感じていたことだった。二階のトイレには、縦に並んだすりガラスの羽が開いたり閉じたりすることで換気のできる窓──調べてみるとそれは「ルーバー窓」というそうだ──がついていて、夏には窓の羽は換気のために開いている。その羽と羽のすき間から、僕たちの家の屋根の一部と、裏の家のバルコニーが見える。そのわずかな景色が、よく晴れた日にはなんとなくバカンス風の雰囲気を持つのだ。行ったこともないしよく知らないくせに、なんとなく〝南仏プロヴァンス〟という言葉が浮かんでくる。そういう雰囲気があるがゆえにそのトイレは実家にいた頃の僕にとってお気に入りの空間のひとつであり、よく長居しては読書したものだった。汚い話ではあるが……

 今日もそのトイレで少し読書した。トイレと自分の部屋で『個人的な体験』を読み終え、『僕の名はアラム』を読み進めた。あとは自分の短編を書き進めた。午後には母と弟と共に車で祖父の入院する病院に行って、顔を見て、帰ってきた。

 二階のトイレから少し見える景色はプロヴァンス風だが、同じく二階の僕の部屋から見える向かいの家の屋根や電線や木々はいかにも日本の郊外という感じがして、午後から夕方にかけて日が傾き、空が橙色に染まるにつれ、インディーズロック的なさびしさが出てくる。そのさびしさはカーテンを閉めて部屋の明かりをつけてからもしばらく続く。夕飯をいただいてから実家を後にした。

 東京に戻ってきて、しばらくするとどこかで友だちと飲んでいた同居人も帰ってきた。同居人は今日ユーロスペースで『東京裁判』を観たという。その話を聞いているうちに僕も観たくなった。お盆休みのタイミングでちょうど上映があるようなので行けたら行こうと思う。

 

8/5

 僕はこの日記を、基本的には公開されることなく、したがってひとに読まれることもないかのようなていで書いているが、実際には日記は書いた翌日か翌々日にはまず同居人に読まれ、さらに一ヶ月に一度のペースでインターネットにアップされるので、読むひとは読んでいる。違う、読んでいただいている。インターネットというのも違う、いやインターネットではあるが、はてなブログだ。僕は自分の手で日記をはてなブログにアップしていて、それを読んでいるひとがいることを知ったうえで書いている。それはこの日記の特性のひとつになっているといっていいと思う。

 先月、僕のブログを見てくださっている方から連絡があって、今日はその方と通話した。初めてのひとと通話するのは緊張するが、気負いすぎることなく臨もうと思いつつ、約束の二十一時の何分前にグーグルミートに繋げるべきか迷って、けっきょく二十時五十九分に入った。日記、ブログ、生活のなかで文章を書くこと、好きな文章、好きなブログ、何に影響を受けて日記を書いているか、ブログのスタイル、はてなブログの購読機能など様々なことを話して、すごく充実した一時間を過ごせた。僕も「毎日のあれこれについて言葉を尽くすことは大切ですよね」みたいなめちゃめちゃ偉そうなことをいった気がする。しかし偉そうなことをいうのは身体にいい場合がある。身が引き締まる。

 はてなブログの購読の機能というのはけっこういいものだと感じた。ひとのブログを読み、それに多かれ少なかれ影響を受けながら自分の文章を書く。あらゆる文章は世界の何らかのものから影響を受けて書かれるということを指し示すひとつの形態が、購読機能というものに表されている。といったら大げさか。眠くてよくわからないことを書いている。

 同居人は今日も飲みに行っていた。疲れていそうだった。

 

8/6

 あと昨日はクレイロの"Juna"のミュージックビデオをYouTubeで見た。いいビデオだった。クレイロが自らの口トランペットを見せどころだと捉えていそうなこともよかった。YouTubeでいうと、スネイル・メイルによる"Tonight, Tonight"のカバーもアップされていて、それを聴いた流れで原曲も久しぶりに聴いた。僕は"Tonight, Tonight"を、信じられないほどいい曲だと思っている。スマッシング・パンプキンズはいまではほとんど聴かなくなってしまったが、たまに"Tonight, Tonight"のミュージックビデオをYouTubeで見て、その流れで"1979"のビデオも見ている。まあ"Today"も聴く。いまではほとんど聴くことも顧みることもない曲が、YouTubeでは思いがけず僕の前に再び現れる。それがおもしろい。

 今日は『地面師たち』を見た。トヨエツ演じるハリソン山中という男は作中のところどころで嗜虐性を見せるのだが、けっこう〝ぼくの考えたかっこいい悪役〟感もあって、ガワでやっている部分も大きいのではないかと思えておもろい。そういう目で見るとハリソン山中はけっこうおもろい言動が多い。ハリソン山中は感情を剥き出しにすることなく、誰にたいしても丁寧語で話す。ハリソン山中はウイスキーに詳しい。ハリソン山中の名刺は真っ白い紙の中央に電話番号のみが印刷されたシンプルなものだ。ハリソン山中のスマホの待ち受けは、弾痕なのかガラスの破片なのかわからないが、暗くてかっこいい感じの模様になっている。ハリソン山中は『ダイ・ハード』でアラン・リックマンが演じていた悪役ハンス・グルーバーの美学に憧れている。ハリソン山中がたくさん勉強して理想のハリソン山中像を作り上げたのだと思うと、どんどんおもろく思えてきてしまう。だいたい「ハリソン」ってどこから連れてきた名前なんだ。そんなことを考えているうちに、最後にショーンKのことを思い出した。

 

8/7

 僕が会社に行っているとき、ハリソン山中は何をしているのか。勝手な想像だが、ハリソン山中は意外とスマホを見ているし、なんならツイッターとかもやっているんじゃないだろうか。おすすめのほうのタイムラインをひととおり見てから、ハリソン山中は「ああ、いけない」とひとりごち、本棚から世界の名言集や歴史上の凶悪犯の伝記集を取り出してめくるだろう。ハリソン山中は座学で悪役を勉強している。こうなったらこうする、ここでこの名言をいう、そういう悪役の振る舞いをハリソン山中は何度も反復練習する。僕はその間も会社で真面目に仕事している。ハリソン山中も昼過ぎには少し眠たくなって、十五分ほど昼寝するだろうか。十五分のつもりが一時間寝てしまって、「ああ、いけない」とつぶやいて目をこするだろうか。ベッドで横になったままスマホをいじってしまって、やはり「ああ、いけない」と繰り返して身体を起こすだろうか。僕が仕事を終えて帰ろうとする頃、空には分厚い雲が立ち込め、雷が鳴り響き、雨がいよいよ勢いを増していた。ハリソン山中も気圧の変化で頭が痛くなったりしただろうか。僕と同居人が雨が弱まるのを待とうとちょっとおしゃれな店に入ってちょっとおしゃれな夕飯を食べ、その後けっきょく帰り際に土砂降りに見舞われたとき、ハリソン山中は暗い部屋で足を組んで座りながら、またスマホをいじっていただろうか。ひとりでウイスキーを開けて、気がつけば文字がたくさん流れるYouTubeばかり見てしまって、また「ああ、いけない」とつぶやいただろうか。

 今日は『地面師たち』を最後まで見た。ハリソン山中はあまりしゃべらずに隠れていればミステリアスな強敵の雰囲気が出ただろうに、出たがりでしゃべりたがりなゆえにちょっとおもろくなっていて、しかしこのドラマの楽しみ方としてはこれも正統な気がする。ハリソン山中だってほんとはあんなにしゃべりたくなかっただろう。ハリソン山中が憧れる悪役というのは、あんなにべらべらしゃべらないからだ。しかしドラマをおもしろくするために台詞を増やされてしまった。そういう意味ではハリソン山中も踊らされる側の人間だった。

 

8/8

 日記において僕は同居人のことを「同居人」と表記しているが、なにもその表記に固執する必要はない。たとえば苗字か名前の頭文字で呼ぶのでもいい。というかそれがかっこいい。かっこいい日記というのはたいていひとのことを頭文字で呼んでいる。しかし苗字と名前のどちらの頭文字がいいか。僕は名前のほうに親しんでいるが、同居人と僕は名前の頭文字が被るため名字でいってみよう、こんなふうに;今日の『虎に翼』を見て、Sは号泣しながら、「顔面が痛い」といっていた。Sはよく泣きながら「顔面が痛い」といっている。あるいは「心臓が痛い」といっている。泣いたときに顔面が引きつったり心臓がきゅっとなったりする感覚はたしかにわかる。そうだとすると、泣くという行為はけっこう身体に負担なのではないか。

 

8/9

 仕事のあと友だちと散歩した。同居人は友だちと野球を見に行って、そのままその友だちと帰ってきた。

あの日滑らなかった滑り台

8/10

 昨日の夜はほんとは僕と僕の友だちと同居人と同居人の友だちで、四人でカタンをやろうという予定だったのだが、同居人たちが疲れてしまったそうで中止となり、その代わりに僕と僕の友だちは散歩をした。カタンのキャッチコピーはなんだったか。「己の力で西部を開拓するロマン」だったか。違った。「資源で未来を開拓するロマン」だ。僕と僕の友だちは開拓された道を歩いていった。途中には驚安の殿堂ドン・キホーテも、首都高の高架も、天下一品もあった。資源で開拓されきった道だ。驚安の殿堂ドン・キホーテの店頭にあるアクアリウム、それが昨日は「メンテナンス中」になっていたその文字すらもドンキのフォントになっていて、世界観の徹底が素晴らしかった。けっこう歩いて疲れたので帰りはLUUPに乗った。やはり資源だ。

 いっぽうの同居人とその友だちは家で『ボーイフレンド』を見ていた。僕も帰宅後合流して見た。僕と同居人はついこの前見たので二回目になるのだが、同居人の友だちが見ていなかったために一緒に見ることにしたという。流しぎみに見ようと思ったが僕もなんだかんだしっかり見た。やはりテホン氏はいい。夜遅くまで見てから一度寝て、朝起きてから続きを見、外に朝ごはんを食べに行き、昼間は同居人のお母さんの母校が出るという甲子園の試合も見、夕方には昼寝し、夜には寿司の配達を頼んでまで『ボーイフレンド』を見進めて見終えた。友だちを駅まで送るついでに僕たちも五反田のTSUTAYAに行って『HUNTER×HUNTER』の漫画を途中まで借りて帰ってきた。いまはブレイキンを見ている。「身体のボキャブラリー」という表現がすごくいい。僕の身体のボキャブラリーはかなり少ない。

 

8/11

 あまり気温を調べようともしなくなってきている。もはや気温はない。連日の暑さだけがある。起き抜けのカラカラの喉があり、なんとなくの頭痛があり、よく乾く洗濯物がある。あとでまとめて洗おうと思って水を張っただけのコップたちがシンクに並んでいる。

 ベランダに出しっぱなしにしていたせいか、タオル類を干すための大きな洗濯ばさみが割れた。映画を観に行こうという気も起こらない。『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。ヒソカというひとには、ハリソン山中とは違う本物の迫力がある。ヒソカがしゃべると語尾にスペードやハートなどのトランプのマークが付く。スペードやハートなどのトランプのマーク、と書いたのは、いま僕がトランプのマークの呼称をスペードとハートしか思い出せなかったからだ。連日の暑さのせいで僕の記憶の回路はたいへんおそまつなことになってしまっている。

 スペード、ハート、……

 ……

 ……ダイヤだ。あとは森みたいなやつだ。それは何という名前だったか思い出せない。

 とにかくヒソカはスペードや森みたいなやつを語尾に付けてしゃべる。しかしキャラクターを作り込もうとしたがゆえに語尾にマークを付けるようになったというよりは、自然発生的に、いつの間にか付いていたのではないかと思わせる迫力がヒソカにはある。座学で悪役を勉強してキャラクターを作り上げたであろうハリソン山中とは違う。しかしハリソン山中も勤勉なぶん、トランプの森みたいなやつすら思い出せない僕とは比較にならないくらいえらい。僕は『HUNTER×HUNTER』の、ヒソカの技の細かな説明のような部分もよくわからなくてほとんど飛ばし読みをしてしまった。

(……)ヒソカは念の基本技の一つ「絶」(オーラを消す・気配を断つ)を応用し限りなくオーラを見えにくい状態にしていたのだ‼

ただしこれには弱点がある! 同じく基本技の「練」(オーラをためる・増幅させる)を習得した者ならば眼にオーラを集中させ注意深く見れば見破ることが可能なのだ(もちろん生半可な集中力で成せることではないが)

もちろんカストロは「練」を習得している! だがヒソカは異常な手品でカストロの注意をそらしさらに自分が本気を出していないことをアピールし自身のオーラが少ないことが余裕からきているかのごとくカモフラージュまでしているのだ‼

悪魔の周到さで準備がうまくいっていることを確認したヒソカはトランプと同じ要領で左拳の先端から伸びたオーラをカストロアゴにはりつける‼

準備完了‼

冨樫義博HUNTER×HUNTER』7巻p.18)

 こうして書き写してみてもやはり僕には難しかった。ハリソン山中だったらちゃんと腑に落ちるまで読み込んでいるだろう。

 夜はネットフリックスで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』を観た。よかった。家族至上主義的なところが強いが、しんちゃんの映画を観てそんなことを指摘してもしょうがない。

 

8/12

 今日も『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。十三巻まで来てもまだヒソカに得体の知れなさがあってうれしい。ここまでで最大の敵といえそうな幻影旅団は、ただ血も涙もない集団なのかと思いきや、昔からの固い絆で結ばれていそうな雰囲気を醸し始めていて、いずれエモーションの波が訪れそうな気配を感じている。

 昨日思い出せなかったトランプの森みたいなマークは今日になってもまだ思い出せていなくて、けっきょく同居人にクローバーだと教えてもらった。

 あとはだらだらYouTubeを見て過ごしたりしているときに、ときおり流れるのが菊池風磨のボールドのCMだ、これが僕はおもしろくて毎回笑ってしまう。菊池風磨が扮するのは洗濯大名という殿様のようで、洗濯大名が殿様らしく肘置きにもたれてゆったりと過ごしているところに、じいや的なひとがボールドを手に持って現れる。じいやは鳥の被り物をしてにっこり笑いながら、「いいとこ鳥でございます」という。洗濯大名が起き上がって「説明せい!」というと、そのいいとこどりをしたという新しいボールドの説明が始まり、その合間には洗濯大名もやはり鳥の被り物をして「いいとこ鳥~」とにこにこしている。その後も説明が続き、画面内には小さくなった洗濯大名が「うれぴ~」などといって浮かぶ。最後には青空の下、天日干しされた洗濯物をバックに洗濯大名が「ひとつで完璧パーフェクト」と節をつけていいながら踊る。というのがCMのだいたいの流れで、僕は洗濯大名の一挙手一投足がおもしろくて笑ってしまうのだが、さいきんさらにおもしろいのが、YouTubeにおいて様々な尺でCMが流れるにあたり、流れが部分的にカットされること。たとえば最初のじいやのくだりがなくなり、洗濯大名がいきなり「説明せい!」と大声を出しているところから始まるパターンや、途中の「うれぴ~」にフォーカスしたパターンなど、洗濯大名がなぜ説明を求めているのか、なぜうれしがっているのか、そもそも彼はなぜ「洗濯大名」なのか、という様々な説明をすっ飛ばした形でCMは流れる。その不条理さがおもしろくて毎回笑ってしまう。というかそもそもべつにロングバージョンのCMにおいても「洗濯大名」がなんなのかということについて説明はない。キャッチーなCMには有無をいわせない推進力がある。

 

8/13

 一昨日観た『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』では、においによって記憶が強烈に喚起されるという現象が作中における重要な仕掛けとして使われていた。それを見て、たしかに、と思いながら、僕が思い出したのは、この前実家の近くの花火大会に行ったときの、沼沿いのにおいだった。沼のほうから吹いてくるぬるくて気持ちのいい風のにおい、昼間にたくさんの日の光を吸収したであろうモやアシが揺れながら発するにおい、沼近くの田んぼや畑から立ちのぼる土のにおい、……僕がまだ少年だった頃、同じ場所で同じように花火を見上げながら感じたのと同じにおい。僕はおよそ十年ぶりに同じ場所に立って花火を見ながら、花火そのものだけでなく、あるいは花火そのものよりも、その場を漂うにおいによって子どもの頃の記憶を強く思い出した。思い出したというよりは、思い出させられた、あるいはひとりでに思い出されてきたというほうが近いかもしれない。野原ひろしと野原みさえが、昭和のにおいをかいでひとりでに子どもに戻ったように……

 十数年前の僕は同じように沼沿いの遊歩道に立って、遠くのほうで打ち上がる花火を見ていた。音が空気中を伝わる速度が当時といまで変わっていないなら、昔の僕の元にも花火の音は七秒遅れで聞こえてきた。昔の僕はもっと無邪気だったから、花火に向かって「たまやー」とか「かぎやー」とか大声を出した。隣に立つ弟も同じように「たまやー」とか「かぎやー」とか大声を出した。僕と弟が大声を出したのは、花火が開いた瞬間だったのか、それとも七秒遅れで音が聞こえた瞬間だったのか、そこまでは思い出されない。僕は単純な子どもだったから花火が開いた瞬間のほうだったかもしれない。昔は子どもが多かった。僕と弟の他にも遊歩道のあちこちで「たまやー」や「かぎやー」が聞こえた。ウシガエルもたくさん鳴いていた。ウシガエルはほんとに牛のようにモー、モーと鳴く。しかしそれは昔の僕がウシガエルという名称を既に知っていたからそう聞こえただけで、ほんとはウォー、ウォーだったかもしれない。いまの沼沿いではウシガエルは鳴いていないから、モー、モーなのかウォー、ウォーなのか確かめられない。いまは子どもたちもほとんどいない。僕たちの家がある住宅街ができたときに、僕たちの家族と同じように一斉に越してきた家族の、僕や弟と年齢の近い子どもたちが、いまではみな実家から巣立っていったのかもしれない。だから「たまやー」も「かぎやー」も聞こえない。ただ七秒遅れの爆発音だけが鳴り響いていた。

 ──という記憶を、僕は今日になって文章として書いている。でも、いまから十日前に沼沿いの遊歩道でにおいをかいで思い出されてきた記憶を、今日までそのまま保管していたわけではない。そんなことはできない。においによって喚起された記憶は、においが消えると思い出されなくなり、頭の奥底へと沈んでいく。もう一度思い出すには、同じにおいをかぐか、奥底からどうにか自力で掬い上げるしかない。今回は掬い上げて書くことができた。十日前に思い出したばかりだったから、まだ沈澱しきっていなかったのだろう。

 十日前ににおいによってひとりでに思い出された記憶を、まずきっかけとなったにおいについて振り返ることで──いわばにおいの記憶を媒介として──あらためて自力で思い出す。においそのものを思い出すには同じにおいをかぐしかないが、においの記憶、あるいはにおいの輪郭のようなものは思い出すことができる。そしてその輪郭をもとに、さらに奥にある記憶を引っ張り出すことができる。ある意味では、あいまいなものをもとに具体的なものを引っ張り出そうともしているわけで、これがどうして成立するのか不思議でならないが、とにかく僕たちはそれができる。においの輪郭にはっきりとした呼び名がついていれば楽だが(たとえば「キンモクセイのにおい」と書けば多くのひとが共通してある種の強い香りを思い浮かべる)、そうでなくても、文章にすることで、においの輪郭が徐々に現れ、それをもとにその奥にある記憶を引っ張り出すことができる。

 僕は祖父母の家のなかに漂っていた油絵の具のにおいや、古くなった本のにおい、台所に置いてあったぬか漬け樽のにおい、物置き小屋の土と灯油と鉄の混じったようなにおい、和室にあった籐椅子のにおい、もうひとつの和室に置かれていた多くの服たちの古びたにおいのそれぞれの輪郭を思い出すことができる。こうやって列挙していると、どうも、においではなく具体的なそれらのもの自体を思い出しているようだが、僕がいま思い出している重点はやはりにおいのほうにある。僕は祖父母の家の裏の、常に日陰になっているがゆえに常に湿っている土や雑草のにおいを思い出す。僕はさらにその家の、リビングの中央の柔らかなソファに身を沈みこませて座っている祖父母のにおいを思い出す。祖父母がそうやって座って見ていたテレビの上には、祖父が描いたどこかヨーロッパふうの街の運河の油絵が飾られていた。僕は昔、その絵かそれじゃない絵を祖父が市内の展示会に出展するときに、車を出し、会場まで運ぶのを手伝った。祖父は「はいはい、どうもどうも、ありがとう」といっていた。僕は小さいときに祖父と上野の美術館に行った。祖父は絵が好きだったのかもしれない。祖父がいつから絵を描くようになったかはわからない。僕が小さいときには既に描いていた。祖父の絵には味があった。作風、といってもいいかもしれない。いい絵だと思った。祖父は僕が高校生のときくらいまでは絵を描いていた。その後はソファに移動し、深く沈みこんでテレビをよく見ていた。祖父は自分の学生のときの話や就職した頃の話を何度も話してくれた。何度も繰り返し聞いた話があるいっぽうで、聞きそびれたこともある。絵についての話は聞きそびれた。僕が聞きそびれたまま、昨日の夜、祖父は亡くなったという。

 

8/14

 昼間からUnderworldの"second toughest in the infants"を聴いた。このアルバムはなんといっても邦題がいい。『弐番目のタフガキ』だ。「タフガキ」がいい。「弐番目」もいい。いいものどうしをくっつけたっていいままだとは限らないが、「弐番目のタフガキ」の場合、相乗効果を生んでますますよくなっている。『HUNTER×HUNTER』の最初のハンター試験の参加者のなかだと弐番目のタフガキはゴンだろうか。壱番目はキルアだ。クラピカも入れるとなると順番がわからないが、そもそもクラピカがガキの年齢なのかわからない。

 それとも「弐番目」というのは出順のことだろうか。だとすれば壱番目がゴン、弐番目がキルアだ。でも"second toughest"という原題からするとやはりタフ具合のことだろう。であればやはり壱がキルアで弐がゴンだ。

 タフガキ度 壱がキルアで 弐がゴン也

 タフガキというと『海辺のカフカ』の「世界でいちばんタフな15歳の少年」というのも思い出す。今日散髪した床屋で前に並んでいた中学生くらいの、バドミントンのラケットを持った短髪の少年は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいた。新潮文庫の、上巻の表紙がピンクで下巻がライムグリーンのやつだ。少年はたぶんピンクを読んでいた。僕もたぶん中学か高校の頃に初めて村上春樹を読んだ。小説のおもしろさを教えてくれた作家のひとりだと思う。小説はおもしろい。いまは田中小実昌の『ポロポロ』を読んでいる。おそらく自身の戦争体験が元になっているであろうこの連作短編を、田中小実昌は物語化を拒否するように、しかしそれでも否応なく物語になってしまうことを自覚しながら書いていて、それは僕が読み取ったというより、実際に文章内で田中小実昌がそういっている。特に「寝台の穴」という一編においては、〝物語用語〟について思索をめぐらせたうえで、その実践としての文章が続く。

 さいしょ、ぼくは、それを蛔虫だとおもったが、じつは、さいしょから、蛔虫だとはおもっていなかったかもしれない。蛔虫以外のなんだと言うのだ、とおもいながら、しかし、蛔虫にしてはへんだなぁ、という気がしたのだろう。

田中小実昌『ポロポロ』(河出文庫)より「寝台の穴」p.185)

 さいしょぼくはそれを蛔虫だとおもった、とだけ書いてしまえばいいところを、それだとあまりに物語化し、自分の実感とかけ離れるので、実感したままに書く。しかしその実感も、当時どう感じたのか、いまとなってはありのままに思い出せるわけではないので、という気がしたのだろう、と推測の形でしか書けない。

 そういう逡巡のあとさえも文章として残っている。

 その『ポロポロ』を僕は今日渋谷のコメダ珈琲で読み進めて、そのままミソカツパンを食べてから、ユーロスペースでギヨーム・ブラックの『宝島』を観た。先に『みんなのヴァカンス』と『リンダとイリナ』を観ているために、その二作のどちらの要素も『宝島』にはあるように思えた。ドキュメンタリーとうたってはいるが、どう撮影したのかわからない、奇跡のような会話の数々。たとえば、ウォータースライダーのシーン。後ろから女の子が「寝そべると速くなるよ!」と叫び、既に滑り始めている男の子が「ん?」と振り返る。劇映画には作れないシーンだとも思いつつ、しかし完全に無作為だとは信じられない。どのていど作為が入っているのか。子どもたちはどのていどカメラの存在を意識しているのか。だいたいクリアな音声はどう録っているのか。僕は映画の音声のことがわかっていない。

 『宝島』の舞台はおそらくはパリ郊外にある、元々はただの湖だったところを、有料の遊泳地へと開発したエリアで、ようするにちょっと高級な自然一体型の市民プールなのだが、その混み具合は僕に、僕自身が子どもの頃に叔父に連れられて行った郊外の市民プールを思い出させた。ぬるくなった流れるプールはひとであふれかえり、互いの足や肘が当たって、鼻や口から思わずプールの水を飲み込んでしまう。プールサイドの地面は焼けるように熱い。水面には松の葉が浮いている、いや、それは小学校のプールだったか。帰りにマックシェイクを買ってもらって、車のなかで飲む。……という僕の思い出は置いておいて、カメラに映される人物が次々に変わっていく『宝島』という映画に主人公といえるものがあるならば、それはまさしくその遊泳地一帯なのだと、途中までは思っていたけど、しかし終盤に差し掛かって二人の幼い兄弟が映され、彼らの愛おしいやり取りと、最後にちょっと小高い丘に登りきった彼らがいう「最後はここがいいね」という言葉で映画が締めくくられたのを見ると、やはり遊泳地ではなく人間こそが映画の主人公だと考え直させられる。

 ユーロスペースを出てからは下北沢に移動して、シモキタエキマエシネマK2という初めての映画館で黒沢清の『Chime』を観た。全編不穏、不穏を煮詰めたような、あまりに無駄のない不穏。四十五分だからまだよかった。あれが二時間続いていたら、きっと僕も取り込まれていただろう。濃厚な不穏にビビりながらも楽しく観ることができたのは、なんとなく黒沢清というひとが、素朴な共感のようなところから映画を組み立てているようにも思えたからだ。「日本の住宅街ってなんかこわいよね……」とか「料理教室ってよく考えたらめっちゃ包丁あってこわいね……」とか「食事中にいきなり笑い出すひとがいたらこわいね……」とか。そういうものを寄せ集めて、煮込んでできたのが『Chime』という映画だ。

 映画の本編とは関係ないけど、主人公の松岡がフレンチレストランのシェフの採用面接を受けるカフェが、『地面師たち』のアビルホールディングスの向かいのカフェの雰囲気に似ていると思っていたら、二回目の面接の相手がアビルホールディングスの社長だった。いや、アビルホールディングスの社長ではない。アビルホールディングスの社長を演じていたひとだ。安井順平という。

 そのあとまた渋谷に戻って、同居人の仕事が終わるまでカフェで『ポロポロ』を読み、同居人から連絡が来たので電車で移動して、一緒に散歩して帰った。途中で本屋にも寄って何冊か買った。

 

8/15

 田中小実昌というひとは『ポロポロ』において、自分の文章が物語になってしまうことへの抵抗感を表明し、それでも否応なく物語になってしまうことを引き受けながら戦争体験を書いている。そこから僕が思うのは、ギヨーム・ブラックの『宝島』がドキュメンタリーであり、『みんなのヴァカンス』が劇映画(物語映画)である、その二つの違いがどこにあるのかということだ。その違いはシンプルに、後者が物語であることを目指していて、前者は物語ではなくあくまで記録であろうとしているというところなのではないかということで、こう書くと当たり前のように思うけど、それでも僕は『宝島』を観てそのなかに物語を見出だしてしまう。

 というか、昨日も同じようなことを書いたけど、『宝島』がどう撮影されたのかはやはりわからないが、カメラの存在はそこに映る人びとに意識されているはずで、一度意識するとひとはやはり意識しながら動いてしまうのではないか、つまり自分の言動を多かれ少なかれ物語化してしまうのではないか。ただ、そうであるとすれば、昨日書いたウォータースライダーのシーンみたいな、僕が見て〝自然〟だと感じるようなシーンが撮れる理由がわからない。子どもはカメラを意識しない、あるいは意識しても〝自然〟にいられるのだ、という可能性を唱えるのは簡単だけど、しかし果たしてそうなのだろうか……

 それとも、〝自然〟だと感じさせるのは、編集の妙なのかもしれない。ウォータースライダーのシーンだって、本編で使用されている部分の前後では子どもたちがカメラをガン見して、撮影者と会話しているのかもしれない。そうなのかも。その可能性が高いような気がしてきた。キモは編集だ。田中小実昌が『ポロポロ』で行っていたのも編集だ。物語化してしまうことへの逡巡をあえて本文に残すことで、物語への抵抗を示している。

 ということは逆に編集によっていろんな物語を作り出すことがいくらでもできるということでもある。これもやはり当たり前のことかもしれない。でもすごいことだ。たとえば、映画においては、風景を映した映像に会話の音声がオーバーラップしてくるという演出がある。ボイスオーバーというのでしょうか。それによって物語が語れるのであれば、たとえば僕が散歩中にスマホで撮ったてきとうな風景の動画に、アフレコでてきとうな会話を重ねて物語にすることもできる。そういう素材だけを一時間繋げて映画にすることもできるかもしれない。それがおもしろいかどうかは別だけど……

 ……今日は昨日買った斎藤潤一郎の『武蔵野 ロストハイウェイ』をまず読んで、それから『ポロポロ』の残りを読み、千葉雅也の『センスの哲学』へと入った。『武蔵野 ロストハイウェイ』は、まさしく僕がさっき書いた、実際の散歩にアフレコで物語を付けるみたいなことが行われている漫画で、前作『武蔵野』においておそらく作者の分身として作中で散歩していた中年男性は今作においては序盤で姿を消し、それ以降は画家と暗殺稼業を兼業している中年女性が語り手となって、現実の町を歩きながら、気がつけば西部劇の世界へと入り込んでいく。現実の風景のすき間に西部劇の世界への入り口を見つけ、それを漫画にする。そういう飛躍が平然と行われている。かなりいい漫画だった。

 千葉雅也の『センスの哲学』はそのうち文庫化されるだろうと思っていたけど昨日買ってしまった。小説を読んだり映画を観たりするとき、ひとは「大意味」(大きくてわかりやすいメッセージのようなもの)に囚われて、

 ひとつの作品について、楽しいとか悲しいといった感情、許せないとか正しいといった道徳性に動かされて「感動した」と言うわけだけれども、大ざっぱな感動よりも手前にある、そんなに大事とは思えないような小意味の方に軸足を置いて、「要するに何なのか」ではなく、ここがこうなって、次にこうなって……という展開のリズムだけでも楽しめるわけです。小意味のリズムに乗る。

(千葉雅也『センスの哲学』p.104)

 ということが書かれていて、この話にのっとっていうと、『ポロポロ』はまさしく、大意味からできるだけ距離を置くために、小意味を積み重ねる方法で書かれた小説だということになる。ついでにいえば、昨日観た『Chime』も小意味の積み重ねによるリズムを楽しむ映画だともいえる。

 さらに今日は『東京裁判』を観た。観てよかった。これはドキュメンタリーといっても昨日の『宝島』とはまったく毛色が異なり、資料的/教科書的な側面が非常に大きい。歴史的な整理のために「脚本」がクレジットされ、裁判の流れに沿って戦前~戦中の日本が描き出される。なんとなく石原莞爾が英雄視されていたり、広田弘毅というひとに同情的だったり(そもそも監督の小林正樹広田弘毅に焦点をあてる形で劇映画として東京裁判を描こうとしていたという)はするが、基本的にとても整理され、東京裁判英米の裁判形式にのっとった公正な形を取りながらも、その裏ではGHQによる占領政策の重要な局面のひとつとして政治が働いていたことを看破するなど、随所に魂のこもった映画だったように思う。しかしそれよりなにより、玉音放送がクリアな音でフルで流れたり、裁判中の被告たちの顔が克明に映され続けたりする、音と映像の力強さに圧倒された。

 同居人は仕事から帰ってくるとだんだん元気がなくなり、冷えピタを貼って布団をかぶって寝込んでしまった。

 

8/16

 昨日はジーナ・ローランズが亡くなったというニュースもあった。ジーナ・ローランズはほんとにすごい俳優だった。『こわれゆく女』も『オープニング・ナイト』も『ラヴ・ストリームス』もほんとにすごいけど、なぜかいまの僕は『グロリア』において、白昼堂々、てきぱきと発砲するジーナ・ローランズを思い出す。ジーナ・ローランズの他にあんなにてきぱき発砲できるひとがいただろうか。

 だいたいはその日の夜に書くことの多い日記を、いまはお盆休みなので日中も何かを観たり読んだりして、スマホをさわる時間も多いために、この三日間くらいは、一日のなかでぽつぽつと分割して書いている。一日の「日記」ではなくて「午前記/午後記」とでもいうべきものになっているともいえて、昨日なんかはその趣が強い。仮にこの先もずっとお盆休みが続いていくとしたら、日記を書くという作業は一日のなかでさらに細かく分割されて、「時刻記」とか「分記」とかになっていくかもしれない。

「8/16 10:34

 部屋のなかが暑いと思ったので、エアコンの温度を一度下げた。」

「8/16 10:38

 なんとなく部屋が涼しくなってきた気がする。エアコンの温度調整というのは奇妙なもので、たとえば昨日は今日より外気温は高かったはずなのに二十七度でいけて、今日は昨日より外気温は低いはずなのに二十六度にしないと暑い。そういう──」

「8/16 10:39

 ──変なニュアンスをつかみながら調整をしないといけない。それとも雨だから換気がうまくいかなくて、エアコンの温度を下げないと涼しくならないみたいなことがあるのだろうか。」

 という感じで書けるかもしれない。それがおもしろいかどうかは別だけど……

 ……友だちが教えてくれたギヨーム・ブラックへのインタビュー記事によれば、『宝島』は、ギヨーム・ブラックたちがまずカメラを構えずにプールのある公園一帯を歩き、おもしろい会話を見つけたらそのひとたちに声をかけ、「いまみたいな会話を撮らせてほしい」とお願いする形で撮影されたという。そうやって撮影した二百時間もの素材から、映画になりそうな部分を抜粋して編集する。そういう意味ではやはり編集がキモになっているし、そもそも公園一帯を歩くなかでおもしろい会話を見つけて撮影すること自体、現実の世界からの抜粋であり、編集であるともいえる。

 そして、その編集のおもしろさ以上に、実際に会話していたひとたちに声をかけて、カメラの前でそれを再現してもらうという手法自体にユニークなおもしろさがある。つまり映画に映っていた会話は、演技でもありリアルでもある。でも演技をしていることの照れみたいなものを感じさせない〝自然〟な会話になっていたのがすごい。そこにもやはり編集の巧みさと、それから撮影する際のちょっとした演出のうまさがあるのだろう。(と書いたけど、ナンパする男の子たちとナンパされる女の子たちの会話のシーンには、やっぱり照れも少しありそうだったな、とも思った。)

 しかし再現なのだとしたら、なおさら、あのウォータースライダーのシーンの、男の子の「ん?」がすごい。あそこは再現じゃないのかもしれない。

 ここまでは午前のうちに書いた。

 ここからは夜に書いている。今日は台風が近づいているということもあって外出せずに家にいた。一日中家にいると、特に午後四時くらいから七時くらいまでの時間の流れの速さというのがすさまじくて、今日も「あれ、もう夜だ」という感じを味わったのだが、それより今日の夕方は分厚い雲に覆われた空が妙に黄色っぽく見えて、「あれ、もう夜だ」を「なんか黄色いな」が上回る形となり、しかし僕は今日は「あれ、もう夜だ」という寂しさをあえて正面きって味わうつもりでいたので、予告なしに現れた「なんか黄色いな」に面食らって調子がくるってしまった。今日はもともとソニックマニアに行くつもりで、台風は接近しているものの行けそうではあったので途中まで行く気だったのだが、台風うんぬんと関係なくなんだか身体が熱っぽくてだるく、加えて「なんか黄色いな」で調子が外れたというのもあったので行くのを断念し、夜は同居人と『ラストエンペラー』を観た。『ラストエンペラー』は僕は大学生のときにTSUTAYAで借りて観ようとしたのだが、再生してみると中国のひとたちがのっけから英語で会話しているのが変で観るのをやめてしまい、それ以来観られずにいたのだが、ちょうど昨日観た『東京裁判』にリアル溥儀が登場していたこともあっていい機会だということで観たら、記憶どおりみんな英語でしゃべっていて、最初はやはり変だと思ったが、そのうち慣れてそのままするする最後まで観た。溥儀の生涯を通しで描いていることもあって全体として駆け足ぎみではあるが、とにかく画面が豊かであるがゆえに観られてしまう。特に前半の紫禁城のパートは、敷地の圧倒的な広さや、幼い溥儀が動き回るたびにその周りを囲む宦官たちの動きの滑稽さもあって不思議な楽しさがある。しかしあの広さも宦官たちの動きもすべて溥儀を外界から切り離し、城のなかに閉じ込めるもので、その抑圧はその後の彼の人生でもなくなることはなく、彼の前で何度も扉は閉められる。だからこそすべてが終わった最後、戯れに、いや、戯れに見せかけて、玉座に座ってみせる姿が切ない。

 

8/17

 午前中にTSUTAYAに行った、その道中のバスは何度乗っても楽しくて、大通りを駆け抜けるかと思えば、いっけん何でもないところで折れて細い道に入り、さらにその先で寺の境内を通るという型破りのアクロバティックな運行をするので毎回わくわくする、僕が思うに都内のバスの運行路のなかでも名作といえそうな路線なのでかなり好きなのだが、そのバスでTSUTAYAまで行って『HUNTER×HUNTER』の一巻~十五巻を返し、十六巻~二十二巻を借りた。それ以降は他のひとに借りられていた。その後近くのBOOK・OFFにも寄ってから帰った。同居人はなんとなく具合が悪くて、マックが食べたいといっていたので買って帰り、天竜川ナコンさんのYouTubeなどを見ながらだらだら食べた。「結局、俺たちは、ついつい「マックでいい?」なんて、あたかも妥協した選択肢のように言ってしまいがちだけど、本当はマックこそが食べたくて仕方がねえときがあんだよなあ、それを心から認めて、「で」じゃなくて「が」で、「マックがいい」と芯から叫ばねえと、本当のスマイルは手に入らねえっつってんの!」……午後は借りてきた『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。壱番目と弐番目のタフガキであるキルアとゴンの友情に相変わらず感動して、ビスケと同じ表情になった。そうしているうちに今日はほんとうの「あれ、もう夜だ」を味わうことができた。

 

8/18

 祖父の葬式のため朝早く起きて電車で実家の方面へ。連日の半袖半ズボンからいきなり礼服になったゆえに相応の暑さを覚悟したが、家族の集合地点に指定された駅に降り立つと思いのほか涼しくて、いい日和だと思った。

 祖母は祖父が亡くなったことをわかっているのかいないのか、最後のお別れだからね、と母がいうと、うん、と頷いてはいたが、式のなかであらぬ方向を見ている時間も多くて、その姿が僕は胸にきた。しかし僕が勝手に胸にきているだけで、祖母としてはすっかりわかっているのかもしれない。

 祖父には妹が多く、したがってその下の世代の親戚も多い、しかし僕や弟にはどなたがどなたなのかがいまいちわからない。僕らの幼少の頃にはお会いしていたとみえて、たくさん話しかけていただいたが、あいまいに笑うことしかできず申し訳なかった。終盤にかけて徐々に点と点が繋がってきて、きちんと挨拶することができた。

 火葬中の食事のときに、叔父が部屋を整理していたときに発見したという、祖父の昔の日記が紹介された。僕の母がまだ三歳だった年の日記だという。祖父の日記中での一人称は「小生」だった。仕事のある平日のはずなのに「十時半、床を出る。」とあって、遅くない?と皆で訝しんだ。祖父の骨はとても丈夫だった。

 けっきょく日が出て暑くなったこともあり、疲れが身体にきた。帰りの電車ではうつらうつらしながら吉田健一の『金沢・酒宴』を読んだ。ほぼ寝ながら読んだために文意がとれず、十回ほど読み返した箇所を引いて終わる。

 内山は旅行をするのが好きだったから商用となれば気軽に自分で出向いた。併し大概は行った先でその商用の相手に御馳走になったり東京に相手が来た時はそれを返さなければならないと思ったりするのが全く商売の世界に属することだったのに対して金沢では商用で来てのことでもそこにいることやそこですることが東京での眼に見えて変って来ている周囲に処して自分の生活を守る煩しさを忘れさせる働きをすることから東京でそれでもそれまで通りに続けている生活の延長が金沢にあることを認めた。併しそこが東京と金沢が違う所で金沢では生活がただそのまま営まれていた。

吉田健一『金沢・酒宴』(講談社文芸文庫)より「金沢」p.12~p.13)

 

8/19

 保坂和志が『生きる歓び』の文庫本収録の「小実昌さんのこと」という短編において、僕が何日か前に読んでいいと思った田中小実昌の「寝台の穴」を長めに引用していた、というかこの「小実昌さんのこと」という短編をいま僕が読んでいることと僕がこの前田中小実昌の「寝台の穴」および『ポロポロ』を読んだのはまったくの偶然というわけではなくて、そもそも僕は先日BOOK・OFFに行った際に『生きる歓び』の文庫本を見つけ、本の題名にもなっている「生きる歓び」は僕がいつか読んだ『ハレルヤ』という別の短編集にも収録されているので既に読んでいるのだが、『生きる歓び』の文庫本にはさっきの「小実昌さんのこと」というもう一つの短編が収録されていたのと、百円だったのでせっかくなので買ったのだった。そのときに僕はそもそも田中小実昌というひとの本を読んだことがないと思って、探したら『ポロポロ』があったのでそれも一緒に買って、読んだのが何日か前のことだ。それを経ていま『生きる歓び』および「小実昌さんのこと」を読んでいる。だからまったくの偶然というわけではない。でも僕が何日か前の日記に引用した「寝台の穴」を保坂和志が「小実昌さんのこと」のなかで引用しているのは偶然だ。

 しかし河出文庫の『ポロポロ』と新潮文庫の『生きる歓び』とではフォントの種類もサイズも異なるため、同じ文章でも印象が違うのがおもしろい。河出文庫のほうではまだ切実さのようなものが前に出てきている気がするのにたいして、新潮文庫に引用された「寝台の穴」はなんとなく田中小実昌の文章のおかしみのようなものを濃く反映しているように感じられる。というか、その文章を読んだ保坂和志が「笑ってしまった」と書いているので、よりおかしく感じられるのかもしれない。というか(と続くが)、紙の本における文章の印象というものはおよそすべて、フォントの種類やサイズ、行間の広さ、版面の大きさや位置によって異なってくる。「生きる歓び」だって、文庫本の『生きる歓び』で読むのと単行本の『ハレルヤ』で読むのではやはり違う体験だ。

 僕は中学や高校のときに読んだ夏目漱石で最初にこの気分を味わったように思うのだけど、夏目漱石もやはり、岩波文庫で読むのと新潮文庫で読むのとでは気分が違う。でかい全集で読んだらもっと違うだろう。祖父母の家にはたしか夏目漱石の全集があった。いつの日にか全集で読んだのであろう祖父と、中二のときに学校の課題図書として通学の電車のなかで友だち二人と並んで座り、うつらうつらしながら岩波文庫で読んだ僕とでは、『吾輩は猫である』の印象も違うだろう。というかいまの僕と中二の僕が同じ岩波文庫で読んでもやはり印象は違うだろう。そうなると小説というのは、さっき述べたような本の形によっても、いつどんな状況で読むかによっても、毎回違う体験になる、かなりやばいものだということになる。昨日の日記に引用した吉田健一の「金沢」の一節だって、昨日文庫で読んだときにはなんとかわかったような気がしたが、いま日記を書いているスマホ上であらためて見るとやはりわからない。で、また文庫に戻って読むと、まあ、いちおうわかる。だから今日はそのままちょっと読み進めた。最初は難しいと思われた文章も、読んでいくうちに徐々にそのひと独自の調子というか、節回しというか、それともちょうどいま『HUNTER×HUNTER』を読んでいるので〝念〟とでも呼ぶか、とにかくその〝念〟(でいくことにします)の流れのようなものを掴んで読み進められるようになる。吉田健一を読むのは初めてだから、まずは〝念〟を掴むところで苦労したわけだけど、これが何冊か読んだ作家だと違う。ある作家を久しぶりに読んだときに思わず声に出しそうになる「ああ」というあの感じが、その作家の〝念〟なのかもしれない。

 ……というような話を夕方に書いて、たぶんそこからもうちょっと書くはずだったのだが、またTSUTAYAに行って借りた『HUNTER×HUNTER』の続きがおもしろすぎてすべての思考が吹き飛んでしまった。おもしろさが思考を置き去りにした。

同居人が寝ている布団に日差しが当たる

 

8/20

 昨日は夕方にTSUTAYAに行って『HUNTER×HUNTER』の二十三巻~三十七巻を借り、夜に猛然と読み進めた。といっても僕の「猛然と」は非常にしょぼくて、昨日は先に同居人が二十三巻を読み、次に同居人が二十四巻、僕が二十三巻を読む、という形で進めたので、その後も同居人が常に一巻分先んずるはずが、時が流れるにつれて僕と同居人の差は二巻分、三巻分と開いてゆき、僕のはるか前をひた走る同居人が「おお……」とか「あら……」とか声を発しながら読んでいた箇所をその一時間か二時間後にようやく僕が読んで、やはり「おお……」とか「あら……」とかつぶやくという光景が繰り広げられた。僕はいわゆる必修とされるような少年漫画を読まずに育ってしまったため、他の作品と比べるべくもないが、『HUNTER×HUNTER』には「おお……」や「あら……」という瞬間が多いように思う。これまでインターネットでミーム的に聞きかじってきたセリフや説明の数々が漫画内で回収されていくことの楽しさもあるけど、やはりそもそものセリフや説明にすさまじい強度があって感動する。それはたとえば『101回目のプロポーズ』の

「僕は死にません!

 僕は死にません! あなたが好きだから!

 僕は死にません! 僕が幸せにしますから!」

 を実際にドラマのなかで見たときの感動に近い。ミームや物真似ではない、本物に宿るすごさというか、本来の文脈のなかでこその輝きというか。

 しかしあの武田鉄矢のすごさも、こうやって日記に引用された段階で大幅に失われてしまうのであり、それは僕が「私見では、このシーンの武田鉄矢は『死にません!』の部分よりも最後の『僕が幸せにしまァすからア!』という切実な抑揚のつき方のほうこそがすごい」という補足を述べて厚みを持たせようとしたところで少しも回復することはない。あのすごさを体感するにはやはりドラマを見るしかない。それもちゃんと最初から順に見ていって、あらためてあのシーンに出会い直すしかない。それなのにこうやって日記のなかに引用するのは、ただ楽しいからに過ぎない。楽しいから、『HUNTER×HUNTER』二十五巻の有名なくだりも引用しよう。

 ネテロ、46歳、冬。己の肉体と武術に限界を感じ、悩みに悩み抜いた結果、彼がたどり着いた結果(さき)は、感謝であった。自分自身を育ててくれた武道への限りなく大きな恩。自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが、一日一万回、感謝の正拳突き!! 気を整え、拝み、祈り、構えて、突く。一連の動作を一回こなすのに、当初は5~6秒。一万回を突き終えるまでに初日は18時間以上を費やした。突き終えれば倒れる様に寝る、起きてまた突く、を繰り返す日々。2年が過ぎた頃、異変に気付く。一万回突き終えても、日が暮れていない。齢50を越えて、完全に羽化する。感謝の正拳突き一万回、1時間を切る!! かわりに、祈る時間が増えた。山を下りた時、ネテロの拳は、音を置き去りにした。怪物が、誕生した。60年以上昔のことである。

冨樫義博HUNTER×HUNTER』25巻p.89~p.96)

 句読点は勝手につけた。

 このネテロのすごさも、やはり引用した時点で削がれてしまっているはずで、このすごさをすごいまま味わうには漫画を読み返すしかない。もっといえば、実際に感謝の正拳突き一日一万回をやってみるしかない。やるかやらないかは僕次第である……

 ところで『101回目のプロポーズ』で武田鉄矢が演じた星野達郎という人物は当時四十二歳だったそうで、ドラマ内では司法試験への挑戦を決意していたため、順調にいけば、ネテロが正拳突きをし始めた四十六歳頃にはおそらく司法修習をしているか、それとも無事に修習を終え、弁護士の道を歩み始めているかもしれない。こうやってネテロの正拳突きをきっかけに星野達郎のその後に思いを馳せることができたのは日記のおかげだ。日記はすごい!

 

8/21

 少しずつ涼しくなってきたんじゃないかとも思ったけど、それは僕が日中オフィスにいるばかりで外の熱気を浴びていないからそう感じるだけで、ほんとは昼間はまだまだアチいんじゃないかって気もするんだけど、でも実際、最高気温なんかを見ても三十二度とか三十三度とかで、一時期の三十七度(!)とかと比べれば幾分かマシになっていることは確かだとは思うんだけど、考えてみればべつに三十二度だってずいぶんな高温であることは間違いないわけで、僕はほんとはもっと気温ががっつり下がって、たとえば二十五度なんかになったときにこそ「少しずつ涼しくなってきた」というべきなんだろうな。夏を甘やかしちゃいけない。夏の野郎、もっと気温を下げるべきなんだ。涼しくなったら、U-NEXTのマイリストにたくさん登録してしまった映画をばんばん観たい。今日は同居人も「なんか映画を観たいね」というのでとりあえずU-NEXTを開いてトップページに出てる映画のサムネを順繰りに押していったんだけど、二人とも「これも観てないな」「これも観たいな」「こんなん観たいもんね」としきりに繰り返して、マイリストへの登録ボタンを押すばかりで、ちっとも再生ボタンのほうには指が動かないわけだ。そうやってマイリストを充実させたところで何の意味もないってことは重々承知の助なんだけどね。まあ涼しくなったら順繰りに観ていこう。ってことで今日は「水曜日のダウンタウン」を見て終わっちゃった。まあおもしろかった。

 

8/22

 朝家を出たときにはほんの少し涼しいといえば涼しく暑いといえば暑い絶妙な気温だと思ったが、夜に会社を出たときにもやはり捉えようによって涼しくも暑くも感じられる謎の気温だった。涼しさと暑さのどちらにもふれうるこの奇妙な気候の屋台骨となっているのは、しかし実は気温ではなく、湿度のほうである。とにかく湿度がすべてを決める。すべてはいい過ぎか。

 昼間にはここに日差しも加わってくる。今日は午前中に簡単な豪雨が降ったが、昼には日が出た。雨雲はすべてを濡らそうとやっきになり、そうやって降りしきった雨を、今度は太陽が揮発させようと意気込む。その見届け人として登場したのが、昼休みにオフィスビルの周りを軽く一周歩こうと外に出てきた僕である。コンクリートから、歩道のタイルから、植木から、雨が気化してくるのを僕は全身で感じる。雨上がりの街ににおいが充満している。僕はすぐに蒸し暑くなって、冷房の効いたオフィスに戻る。

 

8/23

 激ネムなので寝るが、その前にひとつだけ書くとすれば、今日はインドにいる友だちから牛の写真が送られてきていたということで、彼から牛関連のメッセージが来るのはこれで何度目かになるのだが、たいていは動画に何かしらのコメントが付されて送られてきていたところを、今日は写真一枚のみで特にコメントもないという状態だったので笑った。絵葉書のようなものだ。写真にはやはり牛が写っているので、僕が以前「牛が見たい」といったから写真に撮って送ってくれたのだろうということはわかる。しかし牛は写真全体のなかでは左下に小さく写っていて、牛を撮影するということであればもっとカメラの中央に大きく入れるという選択肢もあったであろうにそうしていないということは、むしろ友だちは、道路の端を歩いている黒い牛ではなく、その道路の脇にあるうっそうとした茂みや、街路樹というわけでもなかろう何本かの密度の濃い木々や、そのさらに奥に立っているほんのり近未来の雰囲気をまとった団地らしき建物や、その上に広がる曇り空こそを撮りたかったのではないかという推測がはたらく。散歩中、いい景色だと思ってスマホで撮影した写真に、たまたまそこを歩いていた牛が写り込んでしまった、そこで友だちは牛の写真を欲しがっていた僕のことを思い出してLINEで送ってくれた、そういう背景を持っているようにも見えるその写真は、しかし見れば見るほど絶妙にいい写真である。

 

8/24

 昨日の夜に、明日は午前中になにか映画を観ようということを同居人と話していて、選ばれたのが『フォールガイ』だった。特定のこの映画を観に行きたい、というのでなく、映画を観に行きたい、あるいは映画館に行きたい──あるいはもしかすると映画館のポップコーンを食べたい、かもしれないが──という理由で映画を選ぶことがある。『フォールガイ』はそういう理由で選ばれる映画としてとてもよかった。何も考えずに楽しめた。ラブコメ要素がアクションを中断する少しもどかしい感じが何度か続くが、それはそれでべつにいいというか、とにかくライアン・ゴズリングというひとはどんなにかっこつけていてもちょっとおもしろく見えてしまう俳優で、彼のそういう個性とマッチした作劇だったように思う。今年の何も考えずに楽しめる映画の筆頭である『恋するプリテンダー』と同じくシドニーが舞台だったのもなんとなくうれしい。何も考えずに楽しめる映画界隈で、いま、シドニーがアツい。

 映画館を出てからは、同居人が米津玄師のライブに応募するためにCDを買いたいというのでタワレコに行った。僕も同居人もさほど米津玄師のことを知らないが、同居人のお母さんが好きらしくてライブに行かせてあげたいとのことだった。僕も「さよーならまたいつか」は『虎に翼』で毎日聞いているし、去年の「地球儀」もよかったしで米津玄師にはお世話になっている。万が一会うようなことがあったら、僕ほどの薄いリスナーでも「お世話になっております」とあいさつしてもいいだろうか。

 僕の勝手な思い込みで、今日は一日曇り空で涼しくなる予報だと勘違いしていたのだが、映画を観てからタワレコに行っている間にすっかり真っ昼間になり、汗がダー、太陽ピカー、頭フラーで、夏本番が戻ってきたかのような暑さを感じたのでそそくさと帰宅。同居人のリクエストでケンタッキーをテイクアウトして持ち帰り、エアコンガンガン浴び、コーラガブ飲み、アイスかじり、一気に眠くなって少し昼寝した。しかし間もなく同居人がネイルを予約している時間が近づき、僕は同居人のネイルの際にはなぜか毎回一緒に外に出て、どこかで読書して待つということを習慣としているため、熟睡に入りかけていたところで昼寝をぶったぎって起き上がった。そのせいか、そのあとずっとぼんやりしたまま過ごした。

 ぼんやりしたままカフェで読んだのは滝口悠生の『死んでいない者』である。これを読むのはたぶん三回目くらいになる。でも先週祖父の葬式に行った僕が読むのは以前の僕が読むのとは明らかに違う体験で、葬式の場に親族一同が集まったときの、誰と誰がどういうつながりなのかわからないが、とにかくみんな顔や雰囲気がどこか似ていると感じられたり、母のいとこの子は僕からするとなんと呼ぶんだっけかということがわからなかったりするような、小説に書かれている感覚が、実際に僕自身も先週実感したものとして読めるのはおもしろい。しかし、もしかして小説というものはおしなべて、僕自身の何かしらの実感と重ねられて読まれるのだろうか。どんな小さいことですらもまったく僕の実感と重ならない小説があったとして、それをおもしろいと思えるのだろうか。思えそうな気もするし、思えなさそうな気もする。

 ネイルを終えた同居人と合流し、さらに同居人の友だちもやって来て、一緒に居酒屋に行った。というか同居人と同居人の友だちがもともと二人で予約していて、僕はひとりで散歩でもしようとしていたのだが、どうも僕が座れる席も空いていたそうで「来たかったら来なね」といわれ、僕も僕で散歩しようとしたはいいものの、当初の予想より蒸し暑く、行くあても特になかったため、ご一緒させてもらったという流れである。こんな流れを子細に書く必要はないが、必要がないことこそを日記には書ける。

 

8/25

 日中はずっと家にいて、『HUNTER×HUNTER』を三十七巻まで読んだのと、『アンナチュラル』を見進めた。夜にTSUTAYAに『HUNTER×HUNTER』を返しに行って、代わりに『僕のヒーローアカデミア』を九巻まで借りて帰ってきた。BOOK・OFFにも寄って冨樫さんの『レベルE』を買った。帰ってきてからはまた『アンナチュラル』を見た。あとはインドにいる友だちからまた牛の動画が送られてきていた。友だちが自撮りする形でスマホのカメラを回している動画で、街中を歩いている彼の背後に黒くて大きな牛が頭を揺らしながらついてきているのだった。今回は動画と共に「ちょっと怖かった」というコメントも送られてきていて、たしかにその牛のでかさと立派な角は生で見ると怖そうだ。牛は「べつに後をついていっているわけじゃないっすよ」という感じで頭を左右に振りながら友だちの背後を歩いているが、友だちが大通りを離れて路地に入った瞬間に突進してくるのではないかという、油断ならなさを感じる。しかし友だち曰く「でも普通に付いてきてるだけやから、ちょっとかわいいよな」とのことで、実際に牛と過ごした彼がそんな感想を持つのなら、僕がとやかくいうことではないのだろう。

 

8/26

 朝起きたときの頭の重さが、徐々ににぶい痛みへと変わり、昼過ぎに早退した。帰ってバファリンを飲んで寝たら軽くなった。夕方になると、窓から見えるタワーマンションに西日が当たって、僕の部屋のなかまで少し明るくなる。その明るさを頼りに『死んでいない者』の続きを読んだ。しかしタワーマンションの輝きはそう長くは続かない。後ろの東の空が濃い紺色に染まっていって、低層階から順に輝きを失いつつあるタワーマンションもその紺のなかに沈んでゆく。黒くて大きな棒と化したタワーマンションには、今度は小さな明かりが一部屋ごとに点ってゆく。しかしその明かりは僕の部屋のなかまでは照らしてくれない。僕はカーテンを開けたまま、文庫本の紙面をできるだけ窓のほうに傾けて、少しでも明かりを集めようとしながら『死んでいない者』の続きを読もうとしたがやがて限界が訪れた。

 日が沈む時間になってもできるだけ部屋の明かりをつけずにいたいという気持ちは、さびしさゆえのものか、それとも単なる怠惰か。

 怠惰だろう。

 もう三度目になる『死んでいない者』を手に取ったわけは、先週祖父の葬式があったからというのもなくはないというか、それがほとんどだが、しかしはっきりとした理由はないといってしまえばそんな気もする。文春文庫のサイズ感、厚み、フォントの大きさ、それらすべてが『死んでいない者』のなんとなくの手に取りやすさに寄与している。加えて僕は手汗をかくので、文春文庫のツルッとしていて汗を吸わないカバーがうれしいという理由もある。だから手に取った。そんなこんなで読み進めながらふと考えたのは『百年の孤独』のことで、それは直接的には、僕が夕方に座っていたソファの隣に本棚があって、ちょうど顔と同じ高さの段に文庫版の『百年の孤独』が収まっていて、それが視界に入ったからなのだろうが、そうでなくとも、奇しくも『死んでいない者』と『百年の孤独』にはどちらも何代にもわたる家族のことを描いているという共通点がある。どちらもひとが浮遊するような時間が流れる。だから『死んでいない者』を読んで『百年の孤独』のことを思い出すのも無理はない。

 それで、僕が『百年の孤独』のことを思い出して考えたのは、マジックリアリズムというのは、いいかえれば野暮な説明を省いたテンポのよさなのではないかということだ。説明もなしに雨が四年以上降り続いたりする、その尋常でないテンポのよさが心地よく、ことさらに驚いたりせずに淡々と話が進んでいく感じがかっこいいというのが、あの小説に惹かれる理由なのではないか。そして、野暮な説明なしに進んでいく心地よさは、視点が様々に切り替わる『死んでいない者』のなかにもたしかに存在している。

 

8/27

 映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を観たのはもう二ヶ月くらい前のことだが、そのとき映画の内容とは別に思ったのが「ホリディ」という単語の響きがなんともおもしろいということで、それは映画を観た日の日記にもたぶん書いた。そもそも"holiday"という英単語をカタカナで表記するなら「ホリデー」か「ホリデイ」が相場だと僕は思っていたので、「ホリディ」という、音節が減って少しつまずくような響きのカタカナを突如あてられてしまうとどうしたってウケる。それでそのときは、「ホリディ」ってこの映画でしか使ってないだろ、と思ったのだが、この前テレビの歌番組をぼーっと見ていたときに松浦亜弥の「Yeah! めっちゃホリディ」が流れて、「ホリディ」の先駆者がいたことに驚いた。ということがあったことを今日思い出したのは、古本屋で買った保坂和志の『この人の閾』収録の「東京画」という短編のなかで、夫の「河合君」のことを「カァイ」と呼ぶ「ヨッちゃん」という女性が出てきたからで、「カァイ」と「ホリディ」の小文字の使われ方はべつに似ているわけではないのだが、ただカタカナの小文字というだけの共通点で思い出したのだった。

 今日も頭痛で、午前中は寝て過ごし、昼に起きてカミナリのYouTubeなどを寝転がりながら見ていたのだが、散歩でもして身体を動かしたほうがいいのではないかと思って、夕方から外に出た。それで古本屋に入って買ったのが『この人の閾』だった。そのまま歩き続けて、通っていた大学のキャンパスにも侵入したが、おそらく夏休み中なのかひとはまばらで、そうなると校舎内に入るのはかえって怪しい。僕は散歩をしながら、大学のキャンパス内のトイレで用を足せるだろうと目論んでいたので、そのつもりで校舎に少しだけ足を踏み入れたが、ほんとに誰もいなかったのでびびって退散した。尿意も退散したのでそれはそれでよかった。そのまま歩いて、僕が大学生のときにもたまに通ってはいい道だと思っていた道を通って、あらためていい道だと思った。僕は散歩が好きなわりには街や道にたいする語彙が増えていかない。

 その道には、大通りから一本か二本分奥まった通りの途中で、さらに横に折れることで入っていく。横に折れると、前方に細い坂道が見える。右手には墓地があって、坂と墓地は塀によって隔てられている。墓地の側から坂の上にまで被さるように生えている木が道の狭さを強調するが、この場合の狭さは窮屈なものではなく、むしろその道の〝いい道〟具合を高めている。左手には坂に合わせて民家が立っている。道に面して猫の飾り物がいくつも置かれている。家は坂に合わせて土台を高くしているのではなく、坂に埋まるような形で、半地下のような具合で、小さな藤棚の奥に引き戸があって、明かりがついている。坂を上りきって、そのまま進むとまた別の寺の墓地に突き当たる。墓地と道はやはり塀によって隔てられている。右に進むと、ほどなくしてさらなる分かれ道に出る。正面には、道幅に比して大きすぎる木が立っていて、そこで左右に道が割れている。木のふもとには木造の小屋があって、なんとかパン、みたいな看板を掲げている。そこいらに住んでいる子どもたちにとって、その大きすぎる木と小さな小屋は、放課後の集合場所になっているに違いない。木を見上げるとその後ろ、日が沈んですぐの、まだほんのり明るさが残る空には、水彩画のように平たい雲が浮かんでいた。

 そこからもう少し歩いて、電車に乗って帰った。そのうち同居人が帰ってきた。

嘘の雲

 

8/28

 オアシスは単語の発音に則すならほんとはオウェイシスで、それを承知してなおオアシスをオアシスと書くのならレディオヘッドのこともラジオヘッドと呼ぶべきだ、という話は僕がオアシスを聴き始めた中二か中三の頃には既に散々使い古されていて、英語を習いたての僕からしてさえも興味をそそられる話題とはいえず、僕は極めて一般的に、レディオヘッドレディオヘッド、オアシスはオアシスと呼んで生きてきた、そのオアシスが再結成するという報が流れたのが昨日である。高校生以降ブラー派を気取ってきた僕は、ギャラガー兄弟それぞれのソロ作はあまり追っていないし、そもそもオアシスのアルバムだってここ何年か聴き返していないが、それでももちろんオアシスが嫌いなわけではなく、むしろ好きで、いまなお心の奥底には「ワンダーウォール」のエヘンッが鳴り響いているし、ちょうど僕がオアシスを聴き始めたくらいの時期にリリースされた『ディグ・アウト・ユア・ソウル』は好きなアルバムの上位だったりする。

 というかいま考えてみると僕がオアシスを聴くようになった頃にはたぶんオアシスはちょうど解散したかしていないかくらいの時期で、今回再結成が叶うとすれば、僕はオアシスが活動しているのを初めて見ることになる。そうなると懐古趣味であろうがなんであろうがライブに行けるものなら行きたいと思うが、行けるものなら行きたいと思っているひとは日本中に山ほどいるはずで、オアシスが日本に来てくれるとしても僕がライブに行けるとは限らない。だからあまり期待しないで待つ。

 

8/29

 昼過ぎから頭が重くなっていった。痛い、というのとも違う、脳みそそのものが重くなってしまったような、あるいは、たとえばサウナに入ってから水風呂に浸かる、その浸かる時間が長すぎたか短すぎたかで、間違った方向にととのってしまったかのような重さ。……と書いたが頭が重いなんていうのはかりそめの状態に過ぎず、当然そのあと「重い」から「痛い」に変わる。

 

8/30

 雨が降ったりやんだりしていた。雨が降って少し涼しくなるのと、その同じ雨によってじめじめするのとでいうと、八月末のいまの時期にはまだじめじめのほうが上回っていて、うかつに外を歩こうものなら間を置かずに汗が肌を覆う。

 仕事を終え、同居人が帰ってくるまで、『この人の閾』と『僕のヒーローアカデミア』の続きを読んでいた。『HUNTER×HUNTER』の余韻がまだ続いていて『ヒロアカ』にはハマりきれておらず、いや『ヒロアカ』もおもしろいのだが、読みながらなぜか思い出してしまうのは『HUNTER×HUNTER』のことで、ゴンとキルアの友情にふと思いを巡らせては、それを見守るビスケと同じ気持ちになってしまう。『ヒロアカ』は少年漫画のいいところも悪いところも出ている感じがあって、それでいうと『HUNTER×HUNTER』はけっこう特異な漫画なのではないかという気もするが、そういう判断を下せるほど僕は少年漫画というものを読んできていない。

 

8/31

 仕事の日だったので仕事に行って、夕方帰ってきてしばし『ヒロアカ』を読んでから、同居人と焼き肉を食べに出かけ、そのままの勢いで新宿に『ツイスターズ』を観に行ったが、これがよくなくて、現実世界での気圧変化のせいか、それとも焼き肉の後なのにポップコーンまで食べたせいか、はたまた映画の巧みな演出のせいか、観ている間にややきもちわるくなった。同居人のきもちわるくなり方は僕の比ではなくてかわいそうだった。こうやって僕が日記を書いているいまも同居人はまだきもちわるそうにしている。それにしても二人ともきもちわるくなったせいでやや正当な評価をしにくいところではあるが、『ツイスターズ』の竜巻のシーンは迫力に満ちていてよかった。監督は『ミナリ』のひとらしくて、たしかに人間と自然との距離感は『ミナリ』と地続きなのかもしれないがそれだけでなく確実にエンタメ成分をふんだんに盛り込んでもいて、『HUNTER×HUNTER』でいうところのクロロの念能力のように、そういう感じで進化していくのか、と感心させられるような作風の変化のようにも思えた、といいたいところなのだが、僕は肝心の『ミナリ』を観ていないので、ほんとに地続きなのかどうかはわからない。『HUNTER×HUNTER』でたとえたかっただけかもしれない。

二〇二四年七月の日記

7/1

 朝、じめじめ……

 昼、じめじめじめじめじめじめじめじめ……

 夜、やはり、じめじめ……

 というこの気候のなかで少しでも快適に過ごすにはどうすればいいか。同居人によれば、霜降り明星粗品は、お腹が空いて何かを食べること自体をダサいと捉えることによってダイエットを成功させたという。そんな感じで、このじめじめこそが気持ちのよいものであると自らにいい聞かせられはしないだろうか。

 たとえば運動をしているときには、汗をかいたほうが気持ちがいいというフェーズが訪れる。散歩をしているときにもそれはある。歩いているうちにじんわり汗ばんできて、シャツが身体にぴたっとまとわりつくようになるのが最初は不快だが、そのまま汗をかき続けて、あるラインを過ぎればもうむしろたくさん汗をかくほうが気持ちがいいという、汗かきズハイとでもいうべき状態が訪れる。その延長線上に、じめじめした気候こそが気持ちがいいという世界観も立ち上がってきやしないだろうか。

 でも、運動や散歩における汗は、そのあとに冷たい水を飲むとかシャワーを浴びるとか、報酬のようなものが用意されているからこそ気持ちいいと思えるのかもしれない。そうなると汗自体には気持ちよさは宿っていないのか。であればもちろん、その延長線上にあると思われたこのじめじめした気候にも、気持ちよさは含まれない。

 別の方向から考える必要がある。

 

7/2

 今日も今日とてじめじめしていて、これを気持ちのいいものだと捉えることなどできそうにないと確信しつつ、一方でそのうちこれに慣れることができてしまうのではないかという奇妙な予感も胸をよぎる。そしてそれともまた違う話で、今日はぜんぜん集中力がなくてちゃんと日記を書けそうにない。これもじめじめのせいではないかと思う。

 インドで働いている友だちが牛の動画を送ってきてくれた。五月末に彼が日本に一時帰国したときに、インドには道に牛がめちゃめちゃいるという話を聞いて、じゃあそれを撮影してぜひインスタとかにもアップしてちょうだいよといったところ、インスタではなく僕個人のLINE宛てに送ってくれるようになった、その第一弾が一週間前くらいで、第二弾が今日だった。第一弾は接写ぎみの撮影だったので気がつかなかったのだが、引いた所から撮影されている今日の第二弾の動画では、僕の予想を遥かに超えて、「野良牛」といえる範疇ではない、「群れ」としか呼べないほどの頭数の牛が路上にいることが明らかになった。

 牛たちは牛飼いに連れられるわけでもなく、ひとりでに列をなして、毎朝友だちの家の前を行進するという。

 もしその光景が僕の家の前でも同じように毎朝繰り広げられるとしたら、いま僕が感じているこのじめじめによる不快感も吹き飛ばされるのではないか。牛ではなくて猫だが、以前僕たちの隣のアパートに猫を飼っているひとがいて、ちょうど僕たちのアパートに面した側の窓にその白猫がいたりいなかったりする、それを見て僕や同居人は心癒されていたのだった。平日仕事に行くときにはだいたい僕が先に家を出て、白猫が窓のところにいれば同居人に「猫アリです」とLINEをする。それが日常となっていたのに、いつの間にか白猫は姿を現さなくなった、というかその部屋のひとが引っ越してしまったようだった。それから僕も同居人も猫ナシの生活を送っている。今年じめじめを特に敏感に感じてしまっているのは、猫ナシになったことによる影響もあるのではないか。猫がじめじめを和らげる活力となっていたのではないか。それが代わりに牛アリになれば解消するかもしれない。いつものように僕が同居人より早く家を出て仕事に向かう、その道すがらたくさんの牛たちとすれ違う。牛たちは僕とは反対の方向に、鼻息荒く行進している。群れは、その始まりも終わりも見えないほど長く続いている。その途中には信号もある。牛たちは鼻息荒く信号待ちをしている。僕は彼らと一緒に信号が青になるのを待ちながら、同居人に「牛アリです」とLINEする。

 

7/3

 生活のなかで牛や猫(、そしてもちろん犬!)を眺めることによってじめじめが軽減されるとするならば、牛や猫や犬がいない場合はどうすればいいのかというと、牛や猫や犬に代わる自分なりの何かを見つければいい。なんでもいい。たとえば鳩だ。鳩は当たり前のようにそのへんを歩いているが、そもそもなぜ歩いているのか。飛ばないのか。というかその大胆不敵な歩みはなんなんだ。この前の日曜日に僕と同居人は出かけた帰りに喫茶店に入って、案内されたテラス席でアイスコーヒーを飲みながら読書をした、そのすぐ足元を鳩が歩いた。鳩は僕たちが座っているテーブルの向かって左からトコトコと歩いてきて、僕のスニーカーすれすれを通り、右のほうへ抜けていって、そのままなんの前ぶれもなく飛び立った。鳩はほぼ同じ道のりをそのあと二回同じように歩いたが、同じ鳩だったかどうかはわからない。二回目の鳩は羽の色が違ったので確実に違う。でも一回目と三回目の鳩は羽の色が似ていたのでもしかしたら同じ鳩かもしれない。

 そうやって文庫本のページを繰る手を止めて鳩に気を取られていた間、僕はおそらくじめじめを忘れられていたのではないだろうか。

 何かに気を取られる、没頭する、集中する、陶酔することでじめじめを忘れることができるとすれば、あまり詳しくないのに例に出して申し訳ないがたとえば『鬼滅の刃』における全集中の呼吸みたいに、心のなかに気を取られる、没頭する、集中する、陶酔する何かを常に置いておけば、常にじめじめを忘れることができる。牛や猫や犬じゃなくてもいいし、鳩じゃなくてもいい。好きな数字や、好きなおにぎりの具でもいい。たとえば夏の日曜日の午後、短い昼寝から覚めたときにちょうど急な夕立がベランダに叩きつけるように降り始めたときのほのかな頬の火照り、でもいい。音楽でもいい。たとえばbloodthirsty butchersの「7月」の、アウトロの轟音に突入する前の時が止まったようなギターのアルペジオがずっと心のなかに鳴っていれば、じめじめを忘れられるのではないか。

 

7/4

 じめじめしていること自体は最悪なのだが、朝から冷房のきいたオフィスで働いていて、昼休みにちょっと外に出てみるとあまりにじめじめしすぎていてウケる。

 

7/5

 激ネムのため寝る。暑くて文章を書く気になれない、みたいなことがあるかもしれない。でも去年の僕は真夏にも毎日日記を書いていたようなので、暑さのせいだけにしてはならない。単純に仕事の疲れというのもあると思う。わからない。寝る。

 

7/6

 洗濯物が乾く乾く。朝干したタオルやシャツや下着やズボンは、期日前投票に行って、そのあとロイホでモーニングを食べて帰ってきたときにはもうからからに乾いていた。これを干しっぱなしにすると逆に夕方に湿り気を帯びるようになってくる、特にタオルはやばい。というか今日はそもそも午後には雨が降ったので、朝早く干して午前中に取り込んで正解だった。僕は一日のうち朝起きたときと昼間と夜寝る前にスマホで天気予報を見ているので、今日の午後に雨が降ることは予めわかっていたのだが、それにしても我ながらかっこよかったのは、午後、空を見ながら「そろそろ雨が降るね」とつぶやいて、そのあと実際に降り始めたことだ。でも今日の午後の空模様を見ていれば天気予報を知らなくても誰でも雨が降ると予想できたはずなので、ほんとはこれはべつにかっこよくない。しかしほんとにかっこいいのはそのあとで、雨が予想どおり降り始めたとき、僕と同居人はちょうど外出していたにもかかわらず、うまいこと雨に濡れずに屋内通路や地下通路を駆使したり、ちょうど雨が激しいときに電車に乗ったりして、傘をさすことなく雨降る街を楽しんだということだ。いかにも都会っぽい。でもこれもべつに狙ったわけではなくて、たまたま濡れずに済んだというだけだ。

 都知事選は蓮舫か安野たかひろかでけっこう迷っていたのだが、当選可能性が高いほうを取って蓮舫に入れた。

 同居人はかねてよりYouTubeで見ていたラッコたちに会いに、この週末で友だちと鳥羽水族館に行くことが昨日急きょ決まったらしくて午後出かけていった。僕も同じタイミングで家を出て、ちょうど駅に着いたくらいで雨が降り始めた。僕はなにをするとも決めておらず、ただ土曜日の午後といえば出かけるものだろうというくらいの浅慮で外に出てしまったので、とりあえず電車に乗ったはいいものの、どういうわけか渋谷で降りてしまい、しばらく地下通路を右往左往したり、地下から直結で行ける「MAGNET」のレコファンに入ったりして雨をしのぎ、そのあと銭湯に行くことを思いついて、せっかくなので少し離れたところの、鶯谷の「萩の湯」へと移動した。山手線に乗っている間にどうにか雨が収まってきて、鶯谷に着いたころにはほぼ上がっていたので傘をささなかった。

 萩の湯ではサウナを二周した。僕はたまに銭湯に行ってもだいたいサウナは入らないか入っても一周で終わらせてしまうのだが、サウナ→水風呂→休憩を二周してみるとやはりそのあとのとろーんとした感覚が倍増する感覚がある。僕は一周のときのとろーんでもそれなりに満足してしまう、というか二周も三周も入ってないで早く出て散歩でもしたいという気持ちになってしまうのだが、たしかに二周のとろーんは一周のとろーんよりすごい。三周すると当然もっとすごいことになるはずで、なるほどこれはハマるひとがいるのもわかる。でも三周目のとろーんはもはやとろーんではなくて

「びよーん」

 や

にょろーん

 のようなものになってしまうのではないか、と浴場内の椅子で伸びているひとたちの姿をぼんやり見て思った。とろーんとびよーんとにょろーんの違いはよくわからない。身体を洗いながら折坂悠太の『呪文』の曲を鼻歌で歌った。上がってから休憩所でコーラを飲みながら保坂和志の『未明の闘争』を読み進めて、読み終えた。文庫で上下巻ある、上巻の後半あたりからけっこうずっと感動していた。けっきょくどういう小説なのかわからないし、とりあえずページを最後までめくったというこの行為が果たして読み終えたということなのかどうかもわからないのだが、感動といっていいと思う。やはり最後は猫の話が続いてそのまま終わったのも保坂和志らしくて、ウケつつ泣きそうになった。萩の湯を出てからはさっきの折坂悠太を実際にイヤホンで聴きながら歩いた。折坂悠太といえば今日は立川のほうでやっているFestival Fruezinhoに出ていたみたいで、このFestival Fruezinhoというのは毎年行きたいと思いながらいつの間にかやっていて、いつの間にか終わっているやつだ。雨上がりだから外は少し涼しくなっていて、それでもじめじめはしているのだが散歩はできる。こういうときにこそ散歩しないと夏はやってられない。上野公園にはもうほとんどひとがいなくなっているなかで野口英世像がスポットライトで照らされていて、そういえば僕はまだ新札を見ていない。新しい千円札は誰だったか。北里柴三郎か。上野から電車で帰った。

ひとけのない公園内で実験に励む野口博士

 そういえば僕はまだ新札を見ていない。の「そういえば」で思い出したのだが、そういえば昨日はマイケル・マン監督の『フェラーリ』を観た。主演がアダム・ドライバーだから観に行ったというのがでかい。けっこう不思議なトーンの映画で、エンツォ・フェラーリというひとやレースを過度にかっこよく描くでもなく、しかし批判的に描くでもなく、わりと冷静な視線で〝男の世界〟の輪郭が表れていたように思った。しかしなぜかその輪郭を掴もうとするとわからなくなってしまう。〝男の世界〟なんてものは虚像に過ぎないということをいっているのか、それとも意図していないところで虚像になってしまったのか。それとも単に僕が掴みそこねているだけかもしれない。

上野の鯨

7/7

 そういえば昨日の夜も部屋のなかに蜘蛛がいた。ついこの前も見たはずだが、日記によるとだいたい三週間前だ、そのときの蜘蛛と昨日の蜘蛛が同じ蜘蛛だったかどうかはわからない。でも間違いなくいえることとして、昨日の蜘蛛は僕のことをナメていた。僕が家蜘蛛を放っておくのを知っていたのか、三週間前の蜘蛛のようにそそくさと僕の視界から姿を消すようなことはなく、むしろわざと視界に留まろうとするかのように、壁や天井の中央付近を這い続けた。僕は何度か蜘蛛にたいして「おい」と呼びかけたが無視された。

 今日は蜘蛛の姿を見ていない。今日はまず洗濯をしてから友だちとパンを食べに行き、彼が都知事選の投票に行くのに付き合ってから、なんとなくやったことがないことをしてみようということでLUUPに乗って渋谷のWINSに行った。今日は福島、函館、小倉の三会場で地方競馬がやっていて、まず福島1レース、僕は一番人気の6番デシマルサーガの単勝を千円買っていざ出走、レース序盤から二番手につけたデシマルサーガは途中で先頭馬に八馬身ほど離されるも、危なげなく落ち着いた走りを見せ──ここらへんで僕たちの近くを通ったおじさんが「こんな固いレース意味ないよ!」と大声を放ち──、終盤で一位に躍り出てそのままゴールイン。おじさんのいうように非常に固いレースだったようで、単勝は一・二倍、競馬巧者にとっては意味のないレースなのかもしれないが、僕からしてみれば千円が千二百円になったのでうれしい。あのおじさんの後をつけて、彼が「固いから意味ない!」といい放つレースの一番人気の馬ばかりを単勝で買っていけばうまくいくのではないかという気もする。しかし現実はそう甘くない。続く函館2レース、僕はまたしても一番人気の馬を単勝で買うつもりだったのだが、券売機のところで入力を間違えたようで、僕の手元に出てきた馬券は小倉2レースの7番ロンギングキイ、十番人気、オッズおよそ六十倍の馬で、間違えたなら間違えたでこのロンギングキイを応援すればいいと思って小倉2レースを見たが、そううまくはいかず、ロンギングキイは序盤から終盤まで上がってくることなく終わった。どんまいだ。でも僕はこれを三百円しか買っていなかったのでまだよかった。友だちは騎手が武豊だというだけで三番人気くらいの馬の単勝を一万円も買っていたが、外れていた。

 しかし馬が走る姿はモニター越しにもやはり美しい。デシマルサーガは美しかった。ロンギングキイは上位に入らなかったのであまりカメラに抜かれることがなかったがきっと美しかった。

 そのあと友だちが行ってみたいというのでパチンコ屋に入って有名な「海物語」というやつの台で千円だけ遊んでみたが、あまり楽しさがわからなかった。

 僕たちがWINSを出てからも福島と函館と小倉の競馬場では美しい馬たちが走り続け、そのあいだに僕たちはパチンコ屋で千円分の玉をパチパチと打ったのち、下北沢に移動した。下北沢に用事があったわけではない。なんとなく行った。かなり暑くて日傘をさしながら歩いた。下北沢には僕が眼鏡を買っているマトイという眼鏡屋があるのでせっかくなので行って、僕は少し調節していただき、友だちはいろんな眼鏡を試しながら、レンズやツルの素材をあれこれと店員さんに質問していた。きっとその間にも馬たちは走っていた。それから本屋B&Bにちらっと寄り、カレーでも食べようかということで何軒か見たがどこも混んでいて、けっきょく駅から少し離れたところの蕎麦屋に行ったがそこもやはり並んでいて、一時間ほど待って入店した。汗をかいてから冷たい蕎麦を食べる、それは実質サウナではなかろうかという話をした。その間にもやはり馬たちは走っていたのだろうか。

 それからまたLUUPに乗って帰った。外は暑いがLUUPだと風を感じながらスイスイと移動することができる、しかし大通りを走るのはやはり危険な感じがして、乗るならできるだけ路地を選んだほうがいいように思う。帰ってからは即座にシャワーを浴び、エアコンをつけて涼み、そのうち同居人が帰ってくる時間になったので、荷物も多かろうということで迎えに行って、また汗をかき、帰ってきてまたシャワーを浴びた。

 同居人は今日朝の四時過ぎに起きて伊勢神宮鳥羽水族館に行った。やはりなんといってもラッコは素晴らしかったそうで、写真を見せてもらうとたしかに鳥羽水族館の二匹のラッコたちには抜群のスター性があるように思った。ラッコやら馬やら蜘蛛やら、「手のひらを太陽に」的な世界観を感じる日曜日となった。しかし太陽は僕たちにたいして厳しい。都知事選も厳しかった。現職が勝ったことよりもSNS的な磁場のなかで票が動くと実証されたことがきつい。四年後がもっと怖い。希望もあるけど。

 

7/8

 今日も蜘蛛が壁を這っていた! 今日は朝から頭が痛く熱も出たので会社を休んだ。午前中はだいたい寝て昼頃に目を覚ますと同居人から「午後休もらいました…」と連絡が入っていて聞けば会社で熱中症っぽい感じになっちゃって早退することにしたらしい。そんなわけで午後はずっと部屋を涼しくして二人して寝たりスマホをいじったりしていた。僕は今週末に友だちと会う約束をしているのでその友だちに借りている『カミュ伝』を読み進めたが頭が痛かったのと地面がなんとなく微かに揺れている気がして集中できなかった。微かな揺れというのは僕だけの気のせいかと思いきや寝転がっている同居人も感じ取っていたしテーブルにおいたコップの水もわずかに震えているしでやはり実際揺れていたような気がしたのだが調べても地震の情報はどこにも載っていない。実は地震として報じられるほどではない震度でいうと1にも満たないような揺れというのが日常のなかにあって今日はたまたまそれを感じ取ったのか。それとも僕も同居人も暑さのせいで具合が悪くなって家にいたので揺れている気がしたのか。あっという間に夜になってYouTubeで同居人の高校の名前で検索したらどんな動画が出てくるか見てみたりするうちに夜になった。会社を休んだ日というのはなんとなく夜になるのが早いように感じられるし夜になってからさらにもう一段階夜になるような感覚がある。

「あれ、もう夜だ」

 と一度思ってからしばらく経ってまた

「あれ、もう夜だ」

 と思うような感じ。

 YouTubeで同居人の高校名で検索した結果をスクロールしていったら同居人の在学中のサッカー部の試合が上がっていて見てみたら同居人の友だちが映っていた。僕も一度会ったことのあるひとだった。「いけ!」と声を出しながら笑いながら見た。

 

7/9

「あれ、もう夜だ」

 と一度思ってからしばらく経ってまた

「あれ、もう夜だ」

 と思うような感じを今日も味わった。ちゃんと考えてみるとたぶん一つ目の夜は日が暮れて部屋の電気をつけるときに思う夜で、二つ目はそこからシャワーを浴びたり夕飯を食べたり諸々を終わらせてふと時計を見たときに思う夜だ。三つ目がもしあるとしたらおそらくだらだらとYouTubeを見たりして気がついたら二時とかになっちゃってたときに思う夜のことだろうが、今日はもう寝るので三つ目の夜は訪れない。今日は日中にも断続的に昼寝をしたのだがそれでももう眠い。曇ってたからというのもあるかもしれない。

 

7/10

 今日も頭痛。同居人は今日も具合が悪くて会社を休んでいて、今週は二人してぐずぐずしている。夕方頃に同居人のお母さんがいらっしゃって梅干しなどをいただいた。都知事選のことなどを話した。あとは鳥羽水族館のラッコちゃんたちのYouTubeを見たりした。頭痛がまだある。経験上なんとなくだが頭痛を抱えたまま眠りにつくと次の日の朝に起きたときにもまだ頭が痛いままだったりするということがあるように思うので今日は寝る前になるべく頭痛を軽減すべくバファリンを飲んで湯船に浸かってゆるりと過ごしているが天気予報によるとこのあと雨が降るらしくそれに伴って気圧の変化もあるようで頭痛持ちとしてはむしろここからが頭痛が強まっていく時間帯だともいえるので僕のなかではいまこれ以上頭が痛くなるかならないか一進一退の攻防が繰り広げられている。というのを感じている。感じているというよりは、これを僕がいま文にしたことでそういうことになっただけで、実際には僕の頭痛は一進一退の攻防を繰り広げてはおらず、ただぼんやりと痛いだけの時間が続いている。

 そもそも頭痛のときに湯船に浸かるのがいいことなのか悪いことなのかわからないまま、もう何年も、頭痛のたびに湯船に浸かったり浸からなかったりしている。浸かった場合、浸からなかった場合を体系的に記録していけばわかりそうなものだが、それをやらずにいる。こういうことが生活においてかなり多いように思う。体系的に生きる、あるいは自律的に生きるということができていない、むしろ避けているようにも思う。同居人もそれがあまりできないほうなので、「こんな二人で暮らしてたら泥船だよ」とよくいっているが、それを聞くたび僕はTOKIOの「宙船」を思い出す。

「おまえのオールをまかせるな」

 と長瀬智也は歌っていたが、僕たちはむしろ僕たちのオールを誰かに任せたほうがいいのではないか。

 

7/11

 今日も朝から昼にかけて頭痛がひどくなっていって、あわや会社早退の危機かと思われたが、午後にかけて盛り返し、最終的に夜遅くまで働いてしまった。日付が変わって、Clairoの新しいアルバムが聴けるようになっていた。ほんとによい。あなたがナンバーワンです。

 ほんとにいい。これはほんとにいいです。ありがとうございます。

 

7/12

 今日も遅くまで仕事をしたうえに、明日は朝から友だちと会う約束をしており、その友だちに返すべく『カミュ伝』を読み進めなければならないので今日はあまり日記を書かず明日の夜の僕に託そう。ほとんど仕事していた一日に書くことなんてないといいそうになるが、書くことなんてない日なんてない。明日の夜の僕が今日のことをきっと思い出す。(たとえば、という形で明日の僕のために今日の断片を書き残しておくと、今日は夕方頃に社内のiPhoneが一斉に鳴った。僕はAndroid持ちなのでそのムーブメントにノれなかった。けっきょくなんのアラームだったのか、iPhoneのひとたちは詳しく教えてくれなかった。Android派だとこういう形で取り残されることがある。今日あったことといえばそれくらいだが、これが日記に書くほどのことなのかはわからない。)(あとなんといってもClairoのアルバムが素晴らしい。ほぼ七十年代の作品としても聴くことができるが、このアルバムを二〇二四年たらしめている一番の要素といえばなんといってもClairoの声だ。)

 

7/13

 夢;同居人と旅行に行こうとしている。鳥羽水族館みたいなところに電車で行くつもりで準備していた。行く間際になって二人ではなく八人(誰だったかは不明)になり、さらに最寄り駅までなぜか車で向かうようだったが、ふつうの乗用車だったため、八人乗り切れず。僕は乗り切れなかった組。同居人に車のなかから「レンタカーで来な!」と呼びかけられた。レンタカー屋を探して街を歩くが、やっと見つけたレンタカー屋では店員の女性に「会員登録していただいてから中八日空けないと貸し出しできないです」といわれ、乗れないのは仕方ないとしても中八日は長すぎる。そのあと店の奥から出てきた男性が、最初の女性とかなり顔が似ていて、親子だろうと推測した。そのあと僕はあてなく街を歩き、カフェなのかなんなのかわからないが暗くておしゃれな店を見つけた。そこはどうもとにかくおしゃれじゃないと入れなさそうだったので、僕は店の前で一度すべての服を脱ごうとしたが思い直し、ズボンにインしていたシャツをアウトするだけで事なきを得た。店の奥まで行くとリトルプレスやZINEが中心の本棚があって、ぼんやり見ていると同居人が隣から「それ取ってくれる?」と手を伸ばしてきた。同居人が指差した本を手にとってみると、かなり斬新な文字組みで、読むのに気力がいりそうだった。やがて店全体が上下逆さまになった。建物が海に浮いていて、それがひっくり返ったようだった。身体が宙に浮く感覚があった。そこで目が覚めた。

 友だちたちと大塚駅前のシズラーでモーニングを食べようという約束をしていたので同居人と向かった。大塚駅の北口からはいくつかの道が放射状に延びていた。あとでマップを見てみたら南口も同じような雰囲気のようだった。南口には以前も降りたことがあったがそのときには気がつかなかった。いまは気がつく。街に興味が出てきたということか。

 しかし興味に反して僕は街についての言葉を知らなさすぎる。「コンコース」と「ペデストリアンデッキ」と「ガード下」しか知らない。ほんとは駅を中心に放射状に道が延びている街並みにも名前があるのだろうが知らない。

 友だち二人と僕と同居人の四人で、シズラーのモーニングサラダバーを食べながら、この先どういうおじさんおばさんになっていくかという話をした。「友だち」と呼べるひとも年々減っていき、新たな出会いもなく、記憶力も衰えつつあるなかで、僕たちはどのように立ち振る舞っていくべきか。今日話したなかでの結論めいたものがひとつあるとすれば、僕たちは〝変なおじさん/おばさん〟を目指していくべきだということだ。変なおじさん/おばさんというのは目指してなれるものではないかもしれないが、将来的にたとえば若者たちが僕たちのうちの誰かについて噂話をするときに、「あのひとおじさん/おばさんっぽいよね」といわれるよりは「あのひと変だよね」と笑われるほうがよほどいい。

 それも嫌ならば、いっさい若者との接触も断ち切った環境で、徘徊と見分けがつかない散歩をひたすら繰り返すおじさん/おばさんになるしかない。

 それか、もうひとつの道があるとするならば、友だちたちのうち、夫(という認識はあまりないのだが便宜的にそう呼ばせてもらおう)が妻(という認識はやはりあまりないのだが便宜的にそう呼ばせてもらおう)にいわれていた〝ガリ勉〟という言葉だ。妻いわく、夫は暇さえあれば読書や勉強をしており、その姿はまさしく〝ガリ勉〟と呼ぶにふさわしいものだそうだが、三十歳を目前にした彼がいまさら〝ガリ勉〟と呼ばれていることにウケつつも、〝ガリ勉〟こそいまの僕たちが目指すべき姿なのではないかとも思った。日常のなかに勉強を意図的に配置する。生きていること自体が勉強だというような中途半端な態度ではなく、しっかりと机に向かう。その勤勉さ、ガリ勉さこそが、いわゆるおじさん/おばさんっぽさに対抗しうる態度となるのではないか。

 というのはいま日記を書きながら考えたことに過ぎず、シズラーからルノアールに移動しながら会話を続けていたときには〝ガリ勉〟という言葉の響きがおもろくてただ笑っていた。

 ルノアール大塚店メモ;ルノアールといえば赤い椅子のイメージがあるが、大塚店の椅子は青い。壁にも青とターコイズ幾何学模様が張り巡らされている。というのも、メニューの表紙と裏表紙に記載されていた文章によれば、大塚店はいわゆる「銀座ルノアール」とは異なる「ルノアール会」というボランタリーチェーンに属しているそうで、ルノアール会は現在六店舗(恵比寿の二店舗はいずれもルノアール会)しか存在しないそうだが、それぞれが特色のある内装やメニューを展開しており、説明文からは「むしろルノアール会こそがルノアールの本家本元である」というような矜持さえ感じられる。実際、大塚店は先述の青を基調とした内装、漫画の数々、そして長居した際に出していただいたお茶が昆布茶だったなど、節々に独自路線が見受けられ、非常にいい喫茶店だった。

 帰ってからはレタスと豚バラを茹でて水でしめた冷しゃぶにごまだれをかけて食べ、昼寝したり、読書したりして過ごした。

 夕方からはまた外に出て、違う友だちたちと会った。そこでもやはりどういうおじさん/おばさんになっていくかという話題が(半ば僕と同居人から強制的に供される形で)出たのだが、今度の友だちたちは僕たちより一、二個年齢が下だったこともあり、おじさん/おばさんというあり方にまだピンときていない感じで、むしろ、もっと興味のある仕事に転職すべきかどうかとか、東京でない場所に住むべきかどうかとか、そういう具体的な話のほうが弾んだ。しかし僕と同居人のおじさん/おばさん問題にここでも一筋の光がさしたとすれば、それは「野球を見ろ」ということかもしれない。夜に会った友だち三人はみんな野球ファンで、うち二人はここ一年くらいで熱心に応援するようになったというが、チームの勝ち負けに気分が左右されるという現象が昔はありえないものだと思っていたにもかかわらず、さいきんでは実際に気分の浮き沈みがチームと連動していることを実感したそうで、そういう浮き沈みが生活にメリハリを生んでいることは間違いない。野球を見ることでシャキッとしたおじさん/おばさんになれる可能性があるのなら僕たちも見たほうがいいのかもしれない。

 夕方に雨が降ったおかげでわりと涼しくなっていて、いい気分で帰宅したが、同居人はワインを飲んだせいでちょっと気持ち悪くなっていた。

 

7/14

 曇りときどき雨、頭が痛いし、じめっとしているが、ぎりぎり過ごしやすくもある天気。

 午前中はちょっと遅めに目が覚めて、昨日友だちにいただいたきんつばを食べ、ゆっくり過ごした。この「ゆっくり過ごした」というのが具体的になにをやっていたのか。同居人はけっこう寝ていたが、僕は起きていたはずで、起きている以上なにかをやってはいたはずなのだが、夜になって同居人に「きみ午前中なにしてたの?」と問われたときにも「わからない」としか答えられなかった。宮本常一の『忘れられた日本人』を少し読んだのは覚えている。これは僕の本棚における積ん読のなかでも最古の部類の本で、たぶん高校生くらいのときに父か叔父の本棚から自分の部屋の本棚に勝手に移動したのをずっと読まずに、ひとり暮らしを始めるときに一緒に持ってきて、さらにそこからも月日が経ち、いまようやく読み始めたがかなりおもしろそうだ。積ん読本というのはこんなふうにおよそ十年の歳月を越えていきなり読み始められることがあるのでずっと手元に置いておくべきなのだ、ということを同居人にいったら怒られそうなのでいわない。

 昼頃にふたりで家を出てラーメンを食べてから区のプールに行った。

 プールから帰ってきたあとの昼寝というのは最高に気持ちがいい。

 しかしこの昼寝というのも僕はせいぜい一時間程度しか寝ていないはずなのに、気がついたらもう日が沈む時間になっていた。またもや、いったいなにをしていたのか。曇っていると時間の経過がわかりにくいというのもあるかもしれない。三連休の中日としては少し消化不良の感もあったため、夜は一念発起してまた家を出て、新橋の駅ビルの地下の立ち食い寿司で食べてから、ヒュートラ有楽町でホン・サンスの『WALK UP』を観た。舞台はひとつの小さなアパートだが、なんとなく散歩に近い感触を持つ映画だと思った。散歩をしていると様々なアパートや一軒家の前を通りがかる、そのベランダに置かれた植物や(あまり褒められたものではないが)干してある洗濯物を見て、どんなひとが住んでいるのだろうかと想いを馳せる。あるいは自分がそこに住んでいたとしたらどんなだったろうかと、別の生を想像する。そういう想像の延長線上にあるような映画だと思った。

 ホン・サンスはひとりの人物の様々な生を、ギターの小曲とともに軽やかに行き来してみせる。同じアパートの地下一階、二階、三階、四階でそれぞれの生を生きる映画監督の姿は、はたしてひとつの時系列に沿ったものなのか、並行世界における暮らしなのか、それともあくまで想像の域を出ないのか。いや、そんなことはどうでもいい。どうせこれは映画に過ぎないのだから。しかし、ただの映画に過ぎないからこそ、各階で繰り広げられる会話にほんものの気まずさや口ごもりやその場限りの親密さが宿る。

 

7/15

 あれ?

 と拍子抜けしてしまうほどの涼しさ。しかも頭痛もない。夏は終わったのか。最後の花火に今年もなったのか。美容院に行く同居人と一緒のタイミングで家を出て、クレイロのLPを買いに行った。道すがらジョン・レノンの『マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)』を聴いた。新しいミックスになったのもあってか、意外にクレイロと同じ流れで聴けるようにも思う。

 同居人は今日はゆるめにパーマをかけるつもりで美容室に行ったが、予想より強めのパーマに仕上がってビビっていた。僕からすれば似合っていたが、僕からの「似合ってるよ」というのは同居人からしてみればさほど当てにはならない。

難しい野菜のサラダの朝食

 下高井戸シネマで『ラジオ下神白』を観るつもりで、なんならそのあとのペドロ・コスタの来日イベントも入れたらいいと思っていたのだが、ペドロ・コスタが下高井戸に降臨するというのにチケットが早く売り切れないわけはなく、同居人の美容室の前に僕たちがのんびり朝食を食べているときには既にツイッターでチケット完売の報が出されていた。それと、せっかくいつも行かない町に行くので知らない店に行こうということで事前に同居人が調べてくれたフォルクスというステーキ系のファミレスの高井戸東店は、よくよくマップで確認してみると下高井戸駅からはけっこう離れたところにあるようなので、行くのを断念した。ペドロ・コスタを見られなかったのもフォルクスに行けなかったのも残念といえば残念なのだが、「まあいいか」と思えたのは、今日がいつもなら仕事をしているはずの月曜日だからか(と強がってみたものの、いま考えるとやはりフォルクスに今度行ってみたい。今日は代わりに新宿のよくわからない場所にある焼き肉/ハンバーグ屋のようなところで食べたが、それだけではフォルクスへの憧れはやまない)。

 『ラジオ下神白』は、東日本大震災で被災した人びとが暮らす下神白団地において伴走型支援を行う「ラジオ下神白」というプロジェクトを記録したドキュメンタリーだが、それ以上に感じ取ったのは老人の生のあり方のほうで、カメラの前でしゃべるひとたちの顔だけでなく全身に刻まれた何十年という時間の厚みや、しわがれ声で語られる個人史に圧倒される時間が続いた。そしてそうやって個人史に焦点が当たるからこそ、そのなかには震災という圧倒的な断絶が必ず出現し、それがあったことで彼らが下神白団地に暮らしているいまに繋がってくる。震災という断絶を乗り越えて昔といまを繋げるのは歌だ。だからこそ声を震わせながら自分たちの思い出の曲を歌うひとたちの姿に胸を打たれる。

 昨日観た『WALK UP』が、いま・ここではない生に想いを巡らす映画だったとしたら、『ラジオ下神白』には圧倒的ないま・ここの生がある。もちろん映画である以上、映されているひとたちは監督や「ラジオ下神白」の皆さんによって選ばれ映され編集されてはいるはずなのだが、カメラに映されなかったひともたくさんいるわけで、そしてそのひとたちひとりひとりに個人史があるわけで、そういった意味でも射程の長い映画だと思って感動した。ちょうど同じ回を友だちも観ていて、よかったですねという話と、「ペドロ・コスタは当たり前のように売り切れてましたね」という話をした。帰ってからはクレイロを聴きながら冷やし豚しゃぶなどを準備して食べた。

 

7/16

 今日が燃えるごみの日だったのでほんとは昨日の夜にごみ出ししておくべきだったのに三連休だったためにすっかり忘れていてさっき出しに行ったらごみ捨て場はすっからかんだった!

 同居人が友だちからすすめられているらしく『海のはじまり』を二話まで見た。前々から似ていると思っていた大竹しのぶ池松壮亮が共演しているので、ついに親子の設定かと思いきや、血縁ではなさそうだった。

 祖父の体調がよくないそうで心配だ。母に電話した。

 

7/17

 予報だと曇り。となるとそこから転じて雨がぱらつく可能性もあると思って、洗濯物は浴室乾燥にした。オフィスの窓からときどき外を見てたけど、たぶん雨は一度も降らなかった。やられた!

 秋の文フリ東京に申し込んだので、抽選に当たれば今年もまたブースを出すことになる、そうなるとなにか冊子を置くことになる、その冊子はもちろん僕によって作られることになる、すなわち僕は冊子にするための何らかの文章を書く必要がある。僕が日常的に書いている文章といえばいまのところこの日記くらいなので、そうでない文章を書く時間を設けるか、あるいは潔くこの日記を冊子にするか。日記を冊子にしたいというのは、たしかにある。ひとに読んでもらうためというよりは自分のためにまとめたいという感じ。でもまだ一年半しか書いていないのでもう少し貯めたい。そうなるとやはり日記の他に何らかの文章を書かなければならない。

 そうなったときに、ちょうど『WALK UP』や『ラジオ下神白』を観て、いま・ここの生、あるいはいま・ここでない生というものを考えていたところでもあるので、そういうものをどうにか文章のなかに込められないか。かつ、気負いすぎず、気楽に書ける掌編の連なりのようなものをとりあえずは想定するとして、どういうものがありえるか。参考になりそうなのはアメリア・グレイという作家の『AM/PM』という、一日のなかの午前中(AM)の様々な出来事と午後(PM)の様々な出来事が交互に、それぞれ数十個ずつ、いろんな人物の視点から語られていくという形の掌編集で、何年か前に買って読んでよかった覚えがある、しかし誰かに貸しているのか手元にはない、ああいう形の文章を書いていくのはどうだろうかというぼんやりした考えだけが浮かんでいる。たとえば、一日のなかのランダムな時間を指定して、その時間に誰かが見ている風景を書く。それは、(文章中のその誰かにとっては)いま・ここの文章でありつつ、(文章を書いている僕や読んでいるひとにとっては)いま・ここでない文章にならないだろうか。散歩というテーマを設けてもいい。たとえば十五時四分だ。今日の十五時四分に僕はどこを散歩していただろうか。いや、僕は今日の十五時四分には会社にいた。じゃあ僕じゃなくてもいい。今日の十五時四分に、同居人はどこを散歩していただろうか。同居人も会社にいたか。じゃあ今日の十五時四分に散歩をしていたのは誰か。

 

7/18

 会社の昼休みにちらっと本屋に行ったらアヴリル・ラヴィーンの「ガールフレンド」が流れていて、かなりポップな曲なのに、ペアレンタル・アドバイザリーな歌詞があるのか、Aメロの途中で声がちょっと飛ぶ部分があっておもしろかった。町屋良平の『私の小説』という新しい短編集がおもしろそうだった。

 同居人がいとこと焼き肉を食べる回に急きょ招集されて、いつもより早く会社を出た。同居人にはいとこがまあまあ多くいるが、そのなかの大概のひとに僕はなぜか会ったことがある。今日会ったのは初めてのひとだった。歯科医をしているという彼女は、学生時代には焼き肉屋でバイトをしていたそうで、肉を焼いてくれながら、学生のときの解剖実習の話をしてくれて、僕も焼き肉の部位を強く意識させられることとなった。「この肉は人間の身体でいうとここ」というその話題が、しかし食事中に似つかわしいかどうかといわれれば微妙なところかもしれない。食事というのは不思議な時間で、他の時間にはしゃべれるようなことをしゃべってはいけなかったりする。僕の会社の後輩が前に食事しながら

「くそうまいっすね!」

 といっていたことがあって、うまいのはいいが「くそ」はよくないと僕は思った。「くそかっこいい」はいいが「くそうまい」はよくない。食事にまつわる表現というのにはそういう特異性がある。彼女はさらに肉を焼きながらファンだというアイドルの話などをした。口角の上がり方が好きなのと、歯並びが好きだという理由でファンになったといっていて、着眼点が歯科医すぎてウケた。

 

7/19

(……)ところが、ある朝のことでありました。目がさめて何気なく見ると、あの家に後光がさしているではありませんか。わたしはおどろきましてな。それも実は何でもない事で。ここは西をうけて東に山があって日のあたるのがおくれる。和さんの家は東をうけて日のあたるのがはやい。わたしの家と和さんの家の間にはひろい田がある。わたしの家にまだ日のあたっていないとき和さんの家にはあたります。朝日が出て、その光が水のたまった田にあたって、和さんの家へあたります。朝日が直接にもあたります。つまり両方からあたりましょう。それがあの家をかがやくように明るうして、中二階のガラス障子がそれこそ金が光るように光ります。どういうものか、昔はそれほどキラキラしなかった。まァとにかくおどろきましてね。この家はこれからきっとよい事があると思いました。

 そうして、あるとき、あの向うの大道をあるいていると和さんにばったりあうたものでありますから「あんたのうちは後光がさしている。いまにきっとよい事がある。しっかりやりなされ」といいましたら喜びまして、「じいさん朝早ういくから、一ぺんあんたの家からわしの家を見せて下され」という。おやすい事だとまっておりますと、朝早くやって来ましてな、二人で日の出をまちました。

 空があんたまっ青にすんでいましょうが、パーッとこう西の山に日があたってだんだん下の方までさして来る。和さんの家にもあたる。前の田圃にもあたる。和さんの家のまわりの草の露にもあたる。「なんともええもんじゃないか」といいますと、和さんも「ほんに、あれがわが家でありますか」としばらくは声もでません。そうしてあんた「わしは自分の家をこのようにして見たことはいままでなかった。何とよいもんでありましょう。おかげで元気が出ました」と喜んでかえりました。

宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)p.93~p.94)

 たしかに僕も散歩中に通りすがったアパートの側面に西日が反射して美しく輝いているところなんかを見ると、ここに住んでいるひとたちは自分たちのアパートがこんなにも美しいことを知っているのか、知らないなら教えてあげようか、と思う。べつに西日に限らなくてもいい。和さんの家のように朝日が後光のようにさして輝くのでもいいし、真っ昼間にまばゆいほど光が照りつけるのだっていい。日の光に照らされた家々というものが美しいのだということを僕たちは知らないといけない。かくいう僕たちのアパートも、南東向きのベランダからさしてくる朝の光は部屋の内側にいる身からするとあまりにまぶしい。しかし内側にいてまぶしく感じるということは、アパートの外面にはとてつもない光が降り注いでいるということでもある。僕は一度、朝に外に出て、少し離れたところから自分たちのアパートを眺めてみるべきなのかもしれない。物事には必ず内側と外側がある。アパートにも内側と外側がある。

 

7/20

 日記を書く際の、手の付け方というか、書き方というか、〝書き筋〟のようなものはいくつかあるように思うが、たとえば今日のように映画をいくつか観たり本を読んだりして書くことが多く、かつ眠いので早く書いてしまいたいという事情があるならば、ひとまずあったことを時系列どおりに並べていくのがいい;エアコンの除湿をつけたまま寝ていたが、明け方ごろに同居人が悪寒がしたとかで電源を切ったらしく、そのあと僕は暑さで目が覚めて寝ぼけながら「暑い! 暑い!」とわめいてまた除湿をつけた。とにかく暑い。朝はベーコンエッグ、オートミール、納豆、味噌汁という奇妙な食べ合わせ。洗濯。そのあと暑かったが散髪へ。待ち時間には『忘れられた日本人』を読み進めた。帰宅してからも読んで半分以上まできた。午後、取り込んだ洗濯物をソファに置いたときに寝転がっていた同居人の足にふれ、「熱いね!」といっていた。たしかにタオル類は熱くなっていた。そのちょっとあとにぱらぱらと雨が降った。雨が降ることを予想して取り込んだわけではないが、予想して取り込むよりもむしろ満足感があった。バーデン・パウエルというギタリストのLPやクレイロの『チャーム』のB面を流しているうちに眠くなって一度寝た。そういえば「ザ・トゥナイト・ショー」のクレイロのライブ映像は素晴らしかった。口トランペットの衝撃。長谷川白紙の「ザ・ファースト・テイク」もすごかった。昼寝から起きるとちょうど同居人も長い昼寝から目覚めて、そうなると夜どうするかという話になるが、まず候補に上がるのは映画である。『墓泥棒と失われた女神』を観たい。あと『化け猫あんずちゃん』というのも気になる、そういえばその原作の漫画が家にあって、映画になるような話ではなかったような気がして読み返した。数ある漫画のなかから映画化するような作品なのかといわれるとわからないが、おもしろくていい漫画ではある。けっきょく『墓泥棒と失われた女神』を観に行くことにして、家を出て駅ビルの牛タン定食屋に入ったら時間ぎりぎりになったがどうにか映画には間に合った。自由で、楽しく、美しく、先が読めない、映画を観ることのうれしさに満ちた、かなりいい映画だった。帰ってきてからはネトフリで『ブラックベリー』を観た。楽しかった。

 というのが今日のことを書き並べた日記になり、あとは眠気と相談をしながらこれに細部を書き足していくことになるが、書き足すというか、書き漏らしたのがひとつあった、昨日のことだ、インドに住む友だちからまた牛の動画が送られてきた。片側三車線の大きな車道を牛が闊歩している。車やバイクも盛んに往来するなかを、牛たちはあたかも車の一種であるかのような素振りで走る。他の車やバイクも牛たちをことさら避けるふうでもなく、やはり車の一種として扱っているような感じでふつうに走っている。僕がまったく知らない日常が映っている。僕も僕で日常風景を送ろうと思って、夜道を歩きながら動画を撮影したが、車もひともいない、ただ僕の鼻息が荒いだけの動画になってしまった。

 あと書き足すならばやはり『墓泥棒と失われた女神』のことだろう。現実と幻想が入り交じるフェリーニ的なイタリア映画を正しく継承しており、また監督インタビューによればこれまでの映画の様々な手法に敬意を表して取り入れたとのことだが、そういう背景知識をなしにしてもとにかく楽しい映画だった。美しく遊び心のあるショットにあふれ、にぎやかで、騒がしく、話の先行きも読めない。今年ベスト級だった。今年ベスト級といえばやはり『チャレンジャーズ』もだが、これら二つともに出ているのがジョシュ・オコナーというひとだ。ずっと観ていたい俳優だと思った。映画にとって、ずっと観ていたいと思える俳優が画面に映っているというのはそれだけで幸運なことではなかろうか。

 いまは雷混じりのすごい雨が降っている。

 

7/21

 昨日の夜から27時間テレビをちょこちょこ見ていた。いかにもテレビという感じがして、なんだか楽しかった。霜降り明星の二人はやっぱりすごいと思った。それで昨日の夜は夜更かしをして、今朝は何時に起きてもいいと思っていたが、八時くらいに目が覚めた。

 昼間に出かけるのはバカだというふうに結論づけて、今日は夜に友だちとご飯を食べに行くまでは家にいようという計画だったが、祖父の容態が悪いそうで、もしものときに備える必要が出てきて午後に一度外出した。あまりしたくない買い物だし、そもそもこんなふうに事前に備えてしまうこと自体にも気分が乗らないため、同居人も付き合わせてしまったが、いま考えると付き合ってもらう意味はよくわからなかったかもしれない。同居人も最初は快くついてきてくれたが、途中から暑さにまいっていた。申し訳ないことをした。帰ってきてからはシャワーを浴びて少し昼寝。

 夜は友だち二人と僕と同居人でご飯を食べた。鴨のすき焼き(というがやっていることはしゃぶしゃぶに近く、単に「鴨しゃぶ」より「鴨すき」のほうが語感がいいためすき焼きという呼び名にしているのではないかといぶかしんだ)の店でおいしかった。友だちの一人は僕と同居人を出会わせてくれたひとでもあって、それゆえに僕は彼にずっと元気でいてほしいと願ってやまないわけだが、ここ一年はニューヨークに留学に行っていて、インスタを見るかぎり楽しそうではあったが、今日実際に話を聞いてみるとやはり楽しいとのことで、それならば非常によろしいことだった。店を出てからはもう一人の友だちの家に行ってカタンをやった。カタンはパッケージにキャッチコピーみたいなのが書いてあって、それがなんとなくツボだった。なんだっけか、「資源で未来を開拓するロマン」だったか、そんな感じの言葉がゴシック体で載っている。いま調べたら合っていた。覚えられているということはいいキャッチコピーということなのだろう。カタンといえば、僕のなかでなんとなく見たことはあるがルールを知らないゲーム第一位の座に君臨していたが、やってみるとけっこう楽しかった。友だち二人が熟練プレーヤーで、僕と同居人にアドバイスとお褒めの言葉をたくさんくれたのがよかったのかもしれない。盛り上げ上手というのは素晴らしいことだ。僕も盛り上げ上手になりたい。と書いたがほんとはそこまでなりたいと思っていない。母からのLINEが来ていないかときどきチェックした。

概念的な夕焼け

7/22

 出社して働いていたが母から「じいさんがもう山場だそうです」という連絡が来たので昼前に早退して病院に向かった。一ヶ月前には元気にうなぎを食べに行ったといい、二週間近く前に介護付きホームに入所する際にも元気よくあいさつし、ホームのカラオケで高得点を取ったという祖父は、僕が病院に着いたときには呼吸も浅く意識の混濁した状態にあったが、僕が話しかけたときにちょうど唸った、それとも唸ったときにたまたま僕がいたのかもしれない。いずれにせよ唸った。いったん病院を後にして、そのまま父の運転で祖母のいる介護付きホームへ。祖母ははじめ僕を認識できていないようだったが、思い出してからは「この子は〇〇大に行ったのよ」と周りのひとに吹聴していて笑ってしまった。そのまま僕はまた父の運転で実家に行って夕飯を食べてから都内に戻ってきた。電車で読もうと思って実家の僕の部屋にあった『空の怪物アグイー』を持ってきたが、久しぶりに読む大江健三郎は文章がひたすらおもしろくて感激した。夜にはまた雷雨が降って、ちょっと涼しくなった。

 

7/23

 ちょっと遅れて出社した。祖父は昨日と今日が山場だといわれていたがまた少し安定したらしい。昨日顔を見ることができたし大往生といっていい年齢でもあるので僕のなかではあるていど気持ちの整理ができたつもりではあるが、仕事中にふと、いま祖父は浅い呼吸を繰り返しながらときどき唸ったりしているのだろうかなんてふうに思ったりもする。祖母の「お父さんが帰ってこないの」という小さい声も頭に残っている。祖父と祖母は二週間ほど前に一緒のホームに入所したがそのあと祖父だけ病院に搬送された。祖母はホームで友だちができないということもいっていた。これまでは夫婦で一緒にいたから周りも話しかけにくかったのかもねと母が祖母に聞こえるようにゆっくり大きな声でいっていた。僕が帰り際に手を握ると祖母は「あったかいね」とまた小さい声でいっていた。祖母の話し声は以前よりずっと小さくなったようだった。祖母の手は少しひんやりしていてすべすべだった。

 そんなことをときおり思い出したりしながら仕事して、帰宅してからはYouTubeDOMMUNEの長谷川白紙特集を見た。新しいアルバムから一曲ずつ聴きながらトーク、その後長谷川白紙本人によるミニライブ。アルバムはとんでもなく美しかったし、ライブもかっこよかった。同居人は今日はまた先月一緒に泥酔女性を助けた女性と飲んで帰ってきた。そこで仲よくなっているのがおもしろい。帰ってきてシャワーを浴びてあっという間に寝た。「きみも早く寝なね」といわれた僕は日記を書いてから寝ようと思う。

 

7/24

 夜遅くまで会社で仕事をしようとも思っていたが、頭が痛くなったので帰ってきた。帰り際にコンビニでバファリンプレミアムDXを買った。バファリンAやバファリンプレミアムを買ったことは以前にもあるが、バファリンプレミアムDXを手に取るのは初めてだった。たしかに頭痛はわりと早く治まったようにも思う。「プレミアム」に飽き足らず「DX」まで冠しているだけある。長谷川白紙の『魔法学校』を昨日の夜というか今日の日付が変わってすぐの時間に一周聴いて、今日仕事の後にももう一周聴いた。すごくエモーショナルなアルバムだ。終盤の「ボーイズ・テクスチャー」~「えんばみ(「えん」は正しくは火が三つ)」~「外」の流れは聴いていて涙すら浮かんできてしまう。「えん」の漢字が出なくて「草なぎの「なぎ」は弓ヘンに前の旧字の下に刀」みたいな書き方をしてしまう。最後の「外」の

外がだいすきだから外に出たいのだ

外はとても広くてだいすきだ

外がだいすきだから外に出たいのだ

外は色が変わってだいすきだ

(長谷川白紙「外」)

 というところをみんなで合唱したい。

 

7/25

 もし秋の文フリに出るとなれば何かを書かなくてはいけない、という話は既に一週間くらい前の日記にも書いたとおりなのだが、何かを書くためには当たり前だが書き始めなければならない。書くことと書き始めることは実は違う。書き始めることのほうがいまは大事だ。ということで、しばらく前に途中まで書いてほっぽりだしていた短い話の続きを、昨日の夜からちょっと書いている。

 『デッドプールウルヴァリン』を観たいがマーベルのあれこれのことをすっかり忘れている気がするし、そもそもX-MENにかんしてはほぼ知らないしで、とりあえず予習をしようと思って『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』を観始めたらあまりに二〇〇〇年代っぽい──なぜか思い出したのはリンキン・パークのミュージックビデオだった──質感すぎて楽しい。

 

7/26

 夜まで仕事をして帰ってきてからフジロックの配信を見ようと思ったら終わっていた。ツイッターを見たら行ってるひとたちのツイートが流れてきたのでいったんそれを見て満足した。僕はけっこう簡単に満足する。キング・クルールさん、ぜひ単独での来日もご検討ください。

 

7/27

 今日も今日とてフジロックは楽しそうだが、僕は仕事だった。帰ってきてから、パリ五輪の開会式のハイライトを少し見た。ああいう明るさを欺瞞だと感じる一方で、楽しく見てしまう僕もいる。日本側の実況のひとたちの、まるで実家で見ているかのようなほわほわ具合がおもしろかった。実況によれば開会式は十二個のテーマに沿って次々と演出が繰り広げられるというプログラムだったそうだが、そのなかの「自由」のパートにおいて、三人の若者たちが図書館で小説を手に取りながら意味深な目配せを交わしあう映像が差し込まれる。小説のタイトルはフランス語なので僕にもわからないのだが、たぶん「アモール」っぽい単語や、英語でいう「シンプル・パッション」っぽい単語(これはアニー・エルノーの『シンプルな情熱』だと僕にもわかったが、僕は先日序盤だけ読んで入りこめずにやめているので、あまりはしゃぎきれなかった)が書かれていて、さらに若者たちの服には大きなハートがあしらわれていたので、実況のひとたちがそれを見て、

「これは何をやっているのかよくわかりませんが、おそらく愛寄りのものですかね」

 とコメントしていてかなりウケた。

 愛寄りのもの。

 たしかに、愛寄りでないものよりは愛寄りのもののほうがいいかもしれない。

 文脈を理解していたり、背景知識があったりする実況のほうが望ましいが、気軽に見る程度であればこんなふうにほわほわしていても楽しい。

「これはすごいですね!」

「これは……、誰でしょうかね」

 から話が広がらない実況。そのなかでもう一箇所僕がウケたのは、おそらく開会式が終盤に差し掛かったところで、メタル製の馬にまたがった人物が水面を渡ってくるという描写で、もちろんこの演出についても実況のひとは詳しく知らないし、僕も知らないのだが、実況ではそのメタル製の馬のことを「メタルホース」と呼んでいて、その呼び方が実況で使うほど一般的なものなのか僕にはわからなかったので、実況のひとが即興で作った単語かと思ってウケたのだった。しかしTVerの見出しにも「メタルホース」の語が使われていたので、僕が知らなかっただけで実は一般的な単語なのかもしれない。僕は他のひとが当たり前に知っている単語を知らないことがあるので油断ならない。この前も会社で、弁当に入っていたごま油風味の太巻きがおいしかったので「この太巻きおいしいですね」といったところ、「え、キンパですよね」といわれたことがあった。キンパを僕は知らなかった。「え、キンパって有名ですか?」と僕はその場にいた何人かに聞いたらみんな知っていた。ちょうど昨日も同じようなことがあった。なんだっけ、マラサダだ。マラサダも僕は知らなかった。でもこれは知っているひとと知らないひとがいるようだった。もうひとつ、バクテーも僕は知らなかった。これも同じように知っているひとと知らないひとがいるようだった。しかし、マラサダを知らないひともバクテーは知っていたり、その逆のひともいたりで、どちらも知らないひとというのは少数派のようだった。僕はもっとたくさんのことを知っていかないといけない。

 

7/28

 夜中、寝ているときに、東南向きの寝室の窓の、少し開いたカーテンのすき間から月明かりが差し込んできて、すやすやと眠っている僕の顔を照らした。そんなふうに書くとなんとも牧歌的な感じがあるが、当の僕はその眩しさに目を覚まし、そのあと蒸し暑さでしばらく寝られなかった。だから朝再び起きたときにもなんとなくぼんやりした感覚が続いた。午前中に同居人がネイルの予約をしていたため、僕も同じタイミングで家を出てカフェで読書した。この前実家に帰ったときに持ってきた『空の怪物アグイー』を読み進めた。その後帰ってきてそうめんを食べ、『虎に翼』や高校野球を見たりしているうちに眠くなって昼寝した。起きてからは再び『空の怪物アグイー』を読み進めて読み終えた。たまたま実家で手に取った本だったが、やはり大江健三郎はおもしろいと思った。だから次は『個人的な体験』を読み始めた。

 夜、同居人は友だちと飲むというので、僕はたまたま見たオモコロのYouTubeでおすすめされていた秋葉原の近くのラーメン屋に行くことにした。なんとなくどこかに行きたい気分だったし、あわよくばそのあと散歩したい気持ちもあった。ラーメン屋で並んでいるときにも『個人的な体験』を読んだ。これを書いたときの大江健三郎がだいたいいまの僕と同じくらいか一つか二つ下くらいの年齢だった。そうなるとなんだか「大江……」と思えてきた。ラーメン屋ではせっかくだからライスも頼もうと思って、食券機でラーメンとライスを押して、あと「チャーシュー散らし」みたいなのが、なんだかわからないけどたぶんラーメンの上にチャーシューの欠片が散らされるのだろうと思って押したのだが、席についてから「ライスと、こちらチャーシュー散らしです」といわれて提供されたのはライスにチャーシューの欠片が散らされているもので、ようするに僕の前にはちょっと種類は異なるものの、ライスの茶碗が二つ並んでしまったのだった。でも僕はあくまでそういう頼み方をしている通なひとっぽい感じを醸して、先にチャーシュー散らしを食べ、ラーメンを食べ、ライスを食べた。そういう通なひとというのは、食べるのも早いと相場が決まっているので、僕はどうにか素早く食べた。腹がふくれた。

 ラーメン屋を出てからは秋葉原ブックオフに行った。昨日パリ五輪の開会式のハイライトをちらっと見たときにポンヌフ橋(と書くのはほんとは間違いで、たしか「ポンヌフ」という語のなかに「橋」という意味が既に含まれていたはずだが日記なのでべつにいい)が映ったのを見て、『ポンヌフの恋人』を思い出していたのでブックオフで探してみたらブルーレイがあったので買った。あとは文庫本を何冊か買った。電車で帰る途中で同居人もちょうど解散したとの連絡があって、最寄り駅からは一緒に帰った。 

 

7/29

 何か目的があって動き始めたが、その目的を達成するのに必要なものを持たずにいることに途中で気がつき、その時点で中止するなり引き返すなりすればいいところを、どういうわけか歩みを止めることなくそのまま進んでしまい、しかしいくら進んだところで目的が果たされることはないため、ただうろうろして、けっきょく何も成さないまま帰る。ということがある。たとえば今日の昼である。僕はオフィスビルの一階にあるコンビニで飲み物を買うべく、自分のオフィスのある階のエレベーターホールまで行ったところで、支払いをするためのものを何も持っていないことにはたと気がついたが、それならそれでしょうがないと考えてそのままエレベーターに乗って一階まで下り、しかし何も買えないのでコンビニには入らないでそのへんをぷらぷらしてから、またエレベーターに乗ってオフィスに戻った。「それならそれでしょうがない」というのはいったいどういうことなのか。気がついた時点でオフィスに戻って財布を持てばよかったではないか。けっきょく僕は下まで行ってぷらぷらしてからオフィスに戻って、Suicaを持ってまた下に下りたのだ。なんという徒労か。だいたいいま書いているこの文章だってなんなんだ。最初に一般論っぽい形で「何か目的があって動き始めたが、」と書いたはいいが、そのあとその一般論をなぞる具体例を出しただけで終わったではないか。一般論というのは議論を深めるために持ち出されるものであるべきで、一般論→具体例という順番で書いただけでは意味がない。

 

7/30

 朝方に変な夢を見ていた気がする。休日であれば夢の内容をメモっていたと思うが、今日は平日で、仕事まで時間の余裕がなかったため、文章にできなかった。こうして夢の内容が失われた。思い出せる範囲で書いておこう。新幹線か何かに乗ってどこかに行こうとしていた。しかし夢のなかでも平日だったので、僕は仕事を無断で欠勤しているようだった。僕は会社に電話をかけないといけないと思いながら新幹線に乗ろうとしていたはずなのだが、気がつけばどこかの部屋にいて、そこは知らない部屋だったが僕の部屋のようだった。意味がわからないがこれは夢だ。いずれにせよ僕は会社に遅刻していて、やはり電話をかけようとしていた。というところで目が覚めて、少しの間、何が現実かわからなかった。

 現実の僕はちゃんと会社に行った。午前中から卵かけご飯を食べることにとらわれていて、夜、帰ってきてからご飯を炊いて、茶碗に盛り、卵を割り、醤油をさっとかけて、軽く混ぜてかきこんだ。おいしかった。おいしすぎて二杯食べた。同居人がウケていた。

「きみの一日の情報量少なくない? 今日の出来事といえば、『卵かけご飯が食べたくて食べた』くらいじゃない?」

 といわれたが、たしかにそれくらいかもしれない。しかしそれだけでは悔しいので朝方の夢の話を引っ張り出してきた。同居人は僕よりよほど情報量の多い一日を送っていた。

 

7/31

 今日も卵かけご飯を食べてしまった!

二〇二四年六月の日記

6/1

 同居人がネイルの予約をしているというので、それに合わせる形で一緒に外に出て朝食兼昼食を食べたのだが、よく調べてみるとネイルの予約は明日だったそうだ。しかしせっかく外に出たのでどうしようか。という話になったときに、まず考えるべきは今日の夕方から『マッドマックス:フュリオサ』を池袋のバカデカスクリーンで観るべくチケットを買ってあったということであり、そうなると必然的に、それまでの数時間をどう過ごすかという問いにたいする答えが求められる。池袋のバカデカスクリーンはビルの最上階にあるため延々とエスカレーターに乗り続けるか、あるいはなかなか来ないエレベーターをじれったく待つか、いずれにせよ上映開始までにそれなりの余裕を持って現地入りしておく必要がある。ならばまず池袋に早めに着いておいたほうがいいだろう。池袋といえば家電量販店がたくさんなかったか。それならかねてより同居人が欲しがっていたアップルウォッチを買うのはどうか。という順番ではなかったと思うが、とにかく僕たちは池袋のビックカメラに行ってアップルウォッチを買った。

 アップルウォッチには様々な機能があるようだが、同居人的にいまのところ最も盛り上がったポイントは、トップの文字盤の背景に自分の好きな写真を二十四枚まで設定することができるという点だったそうで、たしかにあの小さな文字盤のなかに映画のワンシーンやなにかが入っているのは楽しそうだ。ビックカメラを出てからカフェに入ってあれこれ設定したなかで、『ストップ・メイキング・センス』でデヴィッド・バーンがカメラに向かってマイクを差し出しているシーンが僕は好きだった。

 その後観た『マッドマックス:フュリオサ』は、『怒りのデス・ロード』とは明らかに語りのリズムが異なっていた。リズムというか、話法、あるいは文体そのものが違う。僕はマッドマックスのシリーズは『怒りのデス・ロード』しか観ていないので、二作の語りの違いに最初は戸惑った。しかしまったくの別物として捉えれば抜群におもしろい映画だと思った。もちろん、『怒りのデス・ロード』は三日間の出来事、『フュリオサ』は十五年間の半生を描くので、その時間の幅によっても当然語り口は変わってくる。しかしそれ以上に、映画というものは語りたいことに合わせて撮られるべきである。ジョージ・ミラーというひとはそのことがわかっている監督だと思った。

 ところで、『フュリオサ』は明確に前日譚として作られているのも事実で、『怒りのデス・ロード』を観ないと物語として閉じられない。たとえばディメンタスがフュリオサに投げかける問いのような言葉は『怒りのデス・ロード』を参照しないことには解決しない。そういった意味では、『フュリオサ』が単体で成立しているといえるかどうかは悩ましいところだが、べつに単体で成立していようがいまいが作品としてよければいい。

 池袋から帰ってきて、家から少し離れたところの、僕のグーグルマップで「行ってみたい」リストに入っていた串焼き屋に行ってみたのだが、店内はけっこう狭く、常連ばかりで、僕がそういうところを苦手としているということが再確認された。同居人に、「きみはいかにも話しかけやすそうな見た目なのに、人見知りなの、意味がわからないから直したほうがいい」といわれた。

 

6/2

 同居人はネイルへ。僕は散髪に行き、そのあとカフェで千葉雅也『エレクトリック』を読んだ。ちょうど読み終えたときに同居人もネイルが終わったそうで、そのことも小説自体のよさに上乗せされてなおさらよく感じられた。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起き、エヴァのテレビアニメが放送され、インターネットの最初期であった一九九五年に、地方都市で高校二年生であるということ──おそらく自伝的要素を多分に含んでいながら、巧みだと思わずにはいられない状況設定。それと同時に、そんな小説的巧みさとはまるで関係ないところにあるかのような、まさしくエレクトリックな連想によって紡がれていく文章。いくつものモチーフが効果的に、そして明確な意図を持って配置されているにもかかわらず、自由で、みずみずしく感じられる文章が心地よく、だからこそ読み終えたときにちょうど同居人からLINEが来たのも美しく感じられたのだ。

 同居人とはそのまま日高屋でご飯を食べ、日用品などを買ってから、『関心領域』を観た。思ったよりはある意味観やすい映画というか、あんがいスッと観ることができてしまった感じもあった。やりたいことはわかるし、それに喰らいもするのだが、まとまりのよさ(出来のよさ)ゆえに、はっきりと〝超えてくる〟瞬間がないというか。インスタレーションっぽい映画だとも思った。でもそういった意味では後から徐々に日常のなかに食い込んでくるかもしれない映画でもあって、たぶんそれはあの暗視カメラみたいなパートの女の子なのだろう。

 雨が降っていたのですぐに帰って、入浴し、ゆっくりした。

同居人の洗濯物のポケットから出てきた、ひしゃげたポストイット

 

6/3

 同居人は今日会社で『マッドマックス:フュリオサ』の話になったそうで、上司のひとからすればあの映画はテンポが悪すぎたとして憤慨ぎみだったらしい。しかし僕からすれば、一昨日の日記にも書いたように、『フュリオサ』と『怒りのデス・ロード』とでは明確に異なるテンポ、話法が選択されているわけで、衰えでもなんでもないと思う。というか『怒りのデス・ロード』と比較すればすべての映画がテンポが悪い。もうひとつ『フュリオサ』の話を書いておくと、僕と同居人のなかでは今作の悪役ディメンタスについて、カリスマ性や凄みの感じられない人物だったという評で一致しており、もし同居人の上司も同じように思っているとしたらこのこともおそらく映画のテンポが悪いと感じる一因になっていると推察されるのだが、僕としては、あのディメンタスというひとのどうしようもなさこそが、『フュリオサ』に『怒りのデス・ロード』の強靭さとは異なる魅力を与えているとも思うのだ。ディメンタスはすべての行動が見切り発車だし、自らの組織すら統率できていない。残虐な行為の最中にもうつろな目で「飽きた」とつぶやく。あの世界で強者となってしまった者としての虚無を抱えた、ある種の鬱っぽい状態に置かれていたようにも見えて、だからこそ、彼に「お前も俺と同じようになるぞ」という言葉を投げかけられたフュリオサが、『怒りのデス・ロード』にてやはり彼とは異なる道を行くのが素晴らしい。

 僕は先週くらいから、いや、もっとさかのぼって先々週、あるいはその前の週から咳が続いていて、いまさらながらどうにかしたほうがよいと考えて朝から病院に行った。採血やレントゲンやCTをやって、結論としてはウイルス性ではない軽い炎症だったようで安心した。安心するのはいいのだが、どうして炎症が起こったのかを聞きそびれた。同居人に聞かれるまで、自分が聞きそびれたことにすら気がつかなかった。

 病院の待ち時間には保坂和志の『未明の闘争』を読み進めた。脱線芸が極まっていて最高なのだが、ときおり現れる語り手の性欲とそれに付随する行いは明確にセクハラで、それが少し嫌だと思いながら読んでいる。それでも読み進められてしまう程度ではあって、「読み進められてしまう程度」だと感じてしまう僕自身もよくないとも思う。

 病院のあとは会社で仕事をした。帰ってきてから、夜はそうめんを食べた。めんつゆ、オリーブオイル、トマト、黒こしょう、チューブのにんにく、ツナ缶を混ぜてそうめんにかけるという、いかにもツイッターで流れてきそうなレシピをここ数回やっているが、事実ツイッターで同居人が見つけてきたレシピである。

 ここ数日はButtechnoというひとの"Lost Sounds"というアルバムをよく聴いている。明らかに千葉雅也『エレクトリック』を読みながら流していたせいだと思うけれど、夏の夕暮れ、遠くのオレンジの空に太い筆を乱暴に走らせたようなぶあつい雲が浮かんでいて、ときどき雷が鳴っている、風も吹いている、その方向に車を走らせている、というような光景が浮かぶ。

 

6/4

 咳のせいか眠りが浅い気がする。同居人によればいびきもかいているらしい。眠りが浅いからか日中にふと眠気におそわれる瞬間がある。トイレに行ったり飲み物を買ったりしてしのいでいる。

 定時を過ぎてしばらく経ってもう暗くなっただろうと思って窓の外を見たらまだ明るさが残っていて驚いた。夜明けだと思えばそうも見えるような薄闇のなかにビル群がおとなしく並んでいた。夜会社を出たら肌寒かった。同居人とサイゼリヤに行った。

 

6/5

 同居人は今日は有休で、武蔵野館で『ありふれた教室』と『バティモン5 望まれざる者』を観たという。平日の昼間の武蔵野館はじいさんばあさんにさしかかる手前くらいのおじさんおばさんがほとんどで、同居人と同様に二本の映画をはしごするひとも多かった。空き時間があまりなかったので同居人はコンビニでフィナンシェを一個買って合間に食べるというストイックな形で臨んだが、周りのじいさんばあさんにさしかかる手前くらいのおじさんおばさんたちも同じようなことをしていて、図らずもストイック集団になっていた。ああいうひとたちはどこから来てどこへ帰るのか、ということを疑問に思うが、何十年かあとの僕たちも同じような状態になっているかもしれない。むしろ、数十年後までミニシアターがあって安心安全に映画を観られているのであれば、それだけで祝福すべきことだろう。

 映画館を出てから、同居人は用事で近くに来ていたお母さんと合流して、行ったことのないパン屋を巡り、食べ、そのままふたりで家に寄り、ゆるりと過ごしたり、バレーの試合を見たりしているうちに、僕が帰ってきた。僕は仕事で疲れているようだった。僕は昼も夜も食べていなかったらしく、猛烈な勢いで弁当を平らげ、同居人とお母さんが買ってきていたパンももらい、咳き込んでいた。バレーの試合は日本代表が勝って、よかったですねえと感想をいいあってからお母さんは帰っていった。そのあと僕は同居人に「今日はどうだった?」と聞いた。そうやって聞き取った内容が、いまこうして日記になった。

 

6/6

 僕たちの部屋には南東向きにベランダがついており、それに加え、たかが三階ではあるがアパートの最上階でもあって、ベランダには庇のようなものがないので、晴れた朝にはものすごい量の日光が部屋のなかにさしこんでくる。それはまさに「ものすごい量」という表現がふさわしいほどの眩しさで、冬には部屋が暖められて非常に結構なことなのだが、夏には朝から暑くなってしょうがない。しかし暑さはともかくとしても、朝から部屋が光であふれるのはいいことなので、僕は部屋が南東向きであることと、アパートの南東に、日差しをさえぎるような巨大なマンションなりオフィスビルなりが立っていないことに感謝すべきなのかもしれない。

 巨大なマンションやオフィスビルの代わりに何が立っているのかといえば、僕たちの住むアパートとだいたい同じくらいの高さの一軒家が二つあって、その二つの一軒家の間から、奥に車一台が通れるかという細い路地が横たわっているのが見える。その道を挟んで、これまた同じくらいの高さの三階建ての一軒家が立っているのも見える。その家が三階建てということは、おそらく手前にある二つの一軒家も同じように三階建てなのだろう。僕の部屋のベランダからは、手前の二つの一軒家の裏側しか見えないのでわかりにくかったが、裏側にもある小さな窓の位置から考えてもやはり三階建てのようだ。そうなると、僕たちのアパートも含めて、このあたりは三階建ての一軒家なりアパートなりがひしめき合っている一帯ということになる。

 車一台が通れるかという細い路地、そこで子どもたちが遊ぶ声が聞こえる。三階建ての一軒家で育つ子どもたち。その遊び声は、しかし、「遊んでいる」という前提に立つから遊んでいるように聞こえるのであって、ベッドに寝ころびながらフラットな心持ちで聞いてみると、悲鳴を上げているようにも聞こえる。

「ひゃー」

 とか

「ぎえー」

 とかいって、子どもたちが遊ぶか泣くかしている。

 でも、不思議なことに、僕は子どもたちが遊び、三階建ての一軒家がひしめくその路地に行ったことがない。行ったことがないというか、歩いたことがない。僕はこのあたりの道はあらかた歩いているはずなのだが、その路地には行き当たったことがないのだ。ベランダから見るに、僕たちのアパートからそう離れていないというか、ほぼ真裏の道といってしまってもいい場所にあるはずなので、どこかから入れるはずなのだが、その入り口がわからない。地図上には存在しない幻の路地なのかもしれない。どうしても行きたければ、僕はこの三階のベランダからどうにかして地上に下りて、手前の二軒の一軒家の間を通り抜け、その路地に出るしかない。他に方法はないはずだ。ということは、その路地で遊んでいるのであろう声だけが聞こえる子どもたちも、僕たちの部屋のベランダを伝う以外にそこに出入りする方法はないはずで、知らず知らずのうちに僕たちのベランダや屋根は子どもたちの通り道になっているのだ。頭痛で会社を休んで、寝転がりながら、そんなことを考えていた。

 

6/7

 仕事、からの帰宅、からのライブのチケット代をコンビニで入金するために外出、からのカフェにイン。同居人が飲んでから帰ってくるというので、どうせだったら外で読書でもしながら待とうという算段で、『未明の闘争』を読み進めた。物語と小説の違いとはなんなのか、なにが物語でなにが小説なのか、という問いがたとえばあったとして、小説側の例として提示したい小説。文章そのものが駆動していく感じ。そのリズムに乗ってしまえばおもしろく読めるのだが、おもしろさのなかにも、すごくおもしろいところとそんなにおもしろくないところのグラデーションがあって、それは読み手である僕の感じ方にもよるのだろうが、書き手である保坂和志もやっぱり猫や犬の話をするときには筆がノッているような気がする。ひとつの小説を読んだときに、小説全体としておもしろかったかおもしろくなかったかということは考えるが、小説中の部分部分についておもしろいかおもしろくないか考えることはふだんあまりないかもしれない。でも、書き手がいて、書かれた小説があって、読み手がいる以上、おもしろい部分とおもしろくない部分が出てくるのは、いまさらながら当たり前なのではないか。そんなことを考えているうちに同居人が帰ってきて、

「家系ラーメンが食べたい」

 といったのだが、実をいうと僕は同居人が帰ってくる直前に小腹が空いたためにカフェを出て富士そばに行ってしまっていたので、家系ラーメンはちょっと入らないかも、と思い、コンビニでカップ麺を買う方向に誘導した。コンビニには家系ラーメンを模したカップ麺が売っていたので、味は疑わしかったがいちおうそれを買って、帰宅して同居人に食べさせたが、同居人はひと口食べたところで「違うなあ」といい、残りは僕が食べることとなり、またおデブになってしまった。

 

6/8

 この前クリーニングに出した冬物の上着がもう仕上がっているはずなので、暑くなる前に受け取りに行こうと思って十時前に外に出たが既に暑かった。クリーニング屋では前のひとがシャツやジャケットやパンツなど合計三十点くらいをクリーニングに出していて、僕は受け取るだけなのに待たされまくってウケた。僕の後ろのひともなんとなくニヤニヤしていたように思った。

 昼はそうめん。

 ル・シネマに『美しき仕事』を観に行った。すごい映画だった。男たちの肉体とジブチ雄大な風景が交互に映され続ける。男たちの肉体は明確にセクシーなものとして撮られているが、しかし欲望の対象としてというよりは、たとえば僕がこの前競馬の中継を見て感じたような、躍動する筋肉の美しさのようなものが画面に大写しに刻まれている。そうなるとこの映画の主演にドニ・ラヴァンを持ってきているのは圧倒的な正解だと思う。ところで監督のクレール・ドゥニも主演のドニ・ラヴァンも綴りはDenisなので、もしかしたらドゥニ・ラヴァンという表記でもいいのかもしれない。でもこれは僕の勝手な印象だがドゥニ・ラヴァンよりドニ・ラヴァンのほうが、あのドニ・ラヴァンにしかない雰囲気が出る。男たちの世界のなかで、ドニ・ラヴァンの肉体だけが「男」と「少年」のちょうど中間の雰囲気をまとっている。というか、男と少年が同時に存在して小柄な肉体に収まっている。その肉体こそ、この『美しき仕事』における主人公ガルーの、どこか疎外されたような、そして不能であることも思わせるような存在感に繋がっている。だからこそ、そんな疎外された肉体が湧き躍ってきらめきを放つラストのダンスシーンに心を揺さぶられる。すごい映画だったし、僕にとってはそのすごさの半分以上はドニ・ラヴァンのすごさのようにも思った。

 ル・シネマを出てからは新宿に移動して、映画の学校に通った友だちが制作した映画がスクリーンで上映されるというのでそれを観に行った。三つの中編がまとめて上映されたのでどうしても比較してしまうが、僕としては、友だちの作品に最もわくわくさせられた。荒削りなところはあると思う。他の二つの作品のほうがショートムービー的なまとまりはあった。でも映画を観ているという感覚は友だちの作品が一番強かった。やりたいことのすべてを掴みきれてはいないかもしれないが、こういうことがやりたいという熱が画面からほとばしっている感覚があった。

 また、やはり『美しき仕事』のことも思いながら振り返ると、ジブチ雄大な景色と比較して、東京の住宅街や屋内というのは圧倒的に狭い。友だちはもっと引きの絵も撮りたいのではないかとも思いながら観た。思えば『悪は存在しない』を観ながら感じた余裕というのも、ロケ地の広大さに起因するものかもしれない。しかしジブチや長野ではなく東京で映画を撮る以上、狭さというものと常に向き合い続ける必要がある。狭さをどうおもしろくするか。その試行錯誤のあとが画面上に見えるような気がしたのもよかった。たとえば、家の屋上から主人公たちが降りていって、下から出てきてジョギングするのを、屋上から映し続けるショット。屋上から遠くのほうまで、同じくらいの高さの家々がせまっこく連なっている。ああいう風景は東京ならではという感じがして楽しい。

 僕もなにかを作りたいと思わせられる作品だった。なにかを作りたいと思わせられるのはいい作品の証でもあると思う。僕が作れるものといえばまずは日記だ。日記も捉えようによっては制作のようなものだ。それに、「毎日日記を書いています」より「毎日日記を制作しています」のほうがおもろい。上映後に友だちたちと話せたのもうれしかった。

 帰宅すると同居人が横になっていた。一緒に『美しき仕事』を観ようと誘って渋谷に連れ出した結果、具合が悪くなってしまったのと、それで土曜日が終わってしまったので、僕としては申し訳なかった。なにかできることはないかと考えたが、うまいことはできなかった。

 

6/9

 朝早く目を覚ました同居人に名前を呼ばれる形で僕も起きて、録画してあった古畑任三郎のキムタクの回を見た。被害者の警備員の男性がおそらくしゃがんで何かを見ていたところを後頭部を殴打されて死に至ったらしいという経緯を聞いた古畑が、「警備員の男性がしゃがんで見るものといったら、自転車の登録番号に決まってるよ」とかなり早い段階で決めつけていたのでウケた。古畑は毎回犯人を疑い始めるまでが早すぎてウケる。なにか事件が起きて古畑が現場に呼ばれ、そこに居合わせた犯人と二言三言会話する、その三言目にはもう疑い始めている。田村正和が露骨に意地の悪い顔で「ンあ~、そうですかそうですか」とかいうものだから、あ、もう疑い始めてるな、とはっきりとわかる。そこから先は会話のなかでわざとらしい罠を張る古畑と、それに苛立つ犯人との応酬が続く。古畑任三郎というドラマは謎解きの部分はそんなに重要ではなくて、この応酬のおもしろさに重点が置かれている。

 サーファーの雰囲気をまとったキムタクが、白衣を着て小難しく爆弾の仕組みなどを説明しているのがよかった。単語ひとつひとつの発し方にもキムタクがにじみ出ている。

「あ、まずこの経電盤を遮断しといて、ここにガムを挟んで絶縁しといてから、この導線をカットですね」

 しかし同時に、九十年代のキムタクはどこか憂いも帯びていて、それもまたよかった。

 けっきょく同居人が眠くなって途中で寝て、僕もそこで再生を停めたのでまだ最後まで見ていない。しばらく寝てから、朝ごはんを食べに外に出ることにして、そのまま行ったことのないカフェに行って、散歩もした。

 目黒の自然教育園の向かいにあるカフェに入った。アメリカのインディーズロックが流れている店で、店員さんもおそらく若い頃はうつむいてギターを歪ませていたであろう、あるいはいまでも歪ませているであろう雰囲気を持っていてよかった。そこを出てから、近くのどんぐり公園に寄り、その後は五反田方面の住宅街へと足を踏み入れていった。細く入りくんだ路地は僕好み。道の上がり下がりも激しくて、小さな階段まであるような路地だったので興奮した。どうしてそんなところを歩いたのかというと、同居人がスマホドラクエウォークというアプリで目的地をそっちに指定したからで、そもそもドラクエウォークというのは街の好きなところに目的地を指定できて、そこまで歩く道中で魔物たちを倒しながらレベルを上げ、目的地に鎮座するボスと戦うという、RPGとウォーキングを同時にできるというアプリなのだが、同居人はRPG的な要素にはまったく興味がなく、ストーリーもすべてスキップし、もっぱら散歩におけるランダムな目的地設定のためのアプリとして使っている。

 しかし現実の僕たちが歩く路地に、アプリ上では魔物がうじゃうじゃ潜んでいるというのはちょっとおもしろい。牛丼チェーンや洋服屋や大使館がボス戦の舞台として目的地に設定される。今日その目的地のひとつに設定したのが池田山公園というところで、そこに向かうために上がり下がりの激しい住宅街を歩いていった。

 池田山公園はいざ到着してみると見覚えがあって、何年か前にもやはり僕と同居人で散歩しているときに来たことがあった公園なのだった。「ここに来たことある」という記憶は、実際にその場所に行くことで思い起こされる。ということは、僕の脳内より、むしろその場所のほうに記憶が残っているということかもしれない。そうやっていろんな場所に記憶を残している。周囲の住宅街に合わせて上がり下がりの激しい園内に、いまの季節だと紫陽花が美しく咲いているのと、池に鯉が一匹だけ泳いでいて、なかなか風情のある公園だった。

池田山公園のあじさい

 公園をあとにして、次はベラルーシ大使館へ。高級住宅街を通る。ベラルーシ大使館のすぐ近くには美智子様の邸宅の跡地もあって、いまは建物はなく、草木の植わった庭として開放されているのだが、美智子様が皇室に入ったこととその邸宅が取り壊されたことに因果関係はあるのか、なんなんだろうね、と話したが僕も同居人と答えを持ち合わせておらず、そのあと調べることもしていない。それから五反田駅前に抜けて、電車で帰った。

 昼はそうめん。

 午後、同居人は友だちと『違国日記』の映画を観に行き、僕は軽く買い物をしたほかはだいたい家にいて、『未明の闘争』を読み進めたりした。夕方、同居人が友だちを連れて帰ってきて、一緒に夕飯を食べながら『光る君へ』を久しぶりに見た。友だちが帰ってからは『美しき仕事』のラストのダンスシーンをYouTubeで探して見たり、『オールド・ジョイ』を観たりした。

 

6/10

 一昨日『美しき仕事』のドニ・ラヴァンのダンス──抑圧された感情が身体から湧き出してくるような、あるいは感情が音楽に呼応して身体を動かしているかのような演技(あれが「演技」と呼ぶべきものなのかわからないが、むしろ、字義どおりに「演技」といえるものかもしれない)──を見て思い出したのは、『汚れた血』におけるドニ・ラヴァンの疾走で、それもやはりドニ・ラヴァンだ。というかドニ・ラヴァンだから思い出した。

 

6/11

 ルカ・グァダニーノ監督の『チャレンジャーズ』を観た。最高にアホで感動的なエンディングだった! ほんとによかった。明日にもきっと何度も思い出して笑ったり、グッときたりするだろう。もしかしたら涙ぐんでしまうかもしれない。それくらいよかった。

 ルカ・グァダニーノ、とちゃんと書いたのはどうしてかというと、単純に僕がこれまでルカ・グァダニーノの名前をきちんと認識していなかったからだ。

「ルカ・グぁぁぃぁノ」

 とあいまいに発音したり、

「ほら、あの、『君の名前で僕を呼んで』の」

 と濁したりして、これまで一度もしっかり「ルカ・グァダニーノ」といわずにきた。でもこれだけ最高の映画の監督なのだから、ここらで一度きちんと覚えるべきだろう。ということで今日はしっかりルカ・グァダニーノと書いた。ひとの名前というのは、書くか、発声するかしないと覚えられないものだ。小学生のときの漢字ドリルのように。

 ルカ・グァダニーノ

 ルカ・グァダニーノ

 ルカ・グァダニーノ

 と三回書いたのできっと覚えるだろう。

 僕は二ヶ月前くらいの日記でも三回書いて覚えるということをやったが、そのとき覚えたのはロマネスコだ。きちんと覚えている。幾何学的な形状をした、おしゃれなサラダに入っている野菜。それがロマネスコ。『チャレンジャーズ』という最高にアホで感動的な映画の監督。それがルカ・グァダニーノ

 しかし実は今日の日記はたまたまパソコンで書いているので、僕は冒頭で一度「ルカ・グァダニーノ」と入力してからは、それをコピペしてここまで書いてきた。だから覚えられないかもしれない。ちなみにルカ・グァダニーノはアルファベットだとLuca Guadagninoと綴る。これもいまウィキペディアからコピペした。でも綴りを見ることで覚えやすくなるということはあると思うので、念のため残しておく。

 

6/12

 激ネムなので早く寝たいところだが、さっきシャワーを浴びたばかりでまだ暑くて寝られたものではないので、ちょっとだけ日記を書く。といっても今日はほとんど仕事をしていたのでそんなに書くことがない。しかし僕はさいきん気づいたのだが、書くことがない日なんてのはない。毎日なにかしら書こうと思えば書ける。柴田聡子が「Movie Light」のなかで

へそまげるうれしい日

つぼみ咲くかなしい日

変じゃなかった日はなかった

 と歌っているとおりだ。ちなみに僕は何ヶ月か前の日記でもこの歌詞を引用していて、調べてみたらそれは昨日書いた「ロマネスコ」を覚えたのと同じ日だった。こんな偶然とも呼べないようなささいな一致を散りばめながら、季節は巡っている。

 そんなわけでなにかを書くべく一日を振り返ると、そういえば仕事中にどういう流れだったか自分が生まれた日の月齢の話になって、僕は調べてみたら満月だったのでなんとなくうれしかったのだった。満月というのはうれしい。夜にふと空を見上げて、満月が浮かんでいたらうれしいし、

「あ、満月だ」

 と思う。

 でも、満月というのはおおむね一ヶ月に一度しかないはずなのに、夜空を見上げたときに満月が浮かんでいる確率というのは妙に高い気がする。さすがに週一とかのペースではないけど、確実に月に二回は満月が浮かんでいる。この話もたぶんいつかの日記に書いているかもしれない。もし書いているとしたら二度目になる。もしかしたら三度目かもしれない。長く日記を続ければそれだけ同じ話を書く可能性が高くなる。同じ話だとしても表現は異なるだろうからべつにかまわないが、もし仮に僕がこの先何百年と生き長らえ、そして日記を毎日続けたとしたら、同じ話を一言一句同じ表現で書く日が来るかもしれない。そうなったらアツい。

 そんな月齢なんかの話やいろんな仕事を経て、帰宅してからは同居人としゃべったり、ネットフリックスで配信開始した『THE FIRST SLAM DUNK』を観たりした。同居人は映画公開時から、「試合の描写はすさまじいけど、宮城リョータのドラマパートはちょっとダレる」という見解を述べていたのだが、今日はドラマパートを飛ばし飛ばし、試合のアツいシーンだけを観るという配信ならではのつまみ食いをしていて、宮城リョータ桜木花道なんかよりよほど不良だった。

 

6/13

 いまぐらいの時期は昼間はもう暑いが夜は過ごしやすいので、散歩をするなら夜が狙い目、というのはまずひとつ選択肢として持っておくとして、そこからもうちょっとずらして、夕暮れどきというのもやはり散歩するにはもってこいである。そよ風が気持ちいい。だけど歩いているうちにほんのり汗をかく。もう明るくない。だけど暗くはない。という間(あわい)の空気がある。行き交うひとや犬の姿は日が沈んだぶんだけ深く濃くなっていて、昼間の日の光のすごさを逆に実感することとなる。昼間の屋外のまぶしさというのは尋常でない。屋内の蛍光灯の明かりであそこまでまぶしいと感じることはない。ということは、ずっと屋内に籠っているより、昼間の屋外に出るほうがよほど目に悪いということになる。特にここ二年くらいの夏の太陽はひたすらまぶしくて、それは僕が歳を重ねたからなのか、あるいは実際にどんどんまぶしくなっていっているのか知らないが、さすがにやばいと思って今年はもう日傘を買った。サングラスも買おうかとちょっと思っている。でも夕方に散歩すればまぶしくない。暑くもない。

 まだ会社で仕事をするつもりだったが、七時前くらいに一度外に出て、会社の周りを大きく一周した。七時なのに明るい、ということだけでうれしくなる。今日はよく歩く道の一本奥の路地で曲がってみたら、やはりその路地もけっきょくはいつもの道につながっていて、たいしたことではないにもかかわらず、「この道に出てくんねんなあ」という楽しさがあった。散歩において「この道に出てくんねんなあ」という瞬間の楽しさはなににも代えがたい。それをもっと突き詰めれば、地図と照らし合わせながら、〇〇通りと〇〇通りがここで交わってんねんなあ、と納得したりすることになるのだろうが、僕がそれをやらないのは物覚えが悪いからだ。通りの名前なんて覚えられない。浪人のときのセンター試験の日本史と世界史の点数が現役のときとまったく同じ低い点数だった、というのが僕が自分の物覚えの悪さを説明するときのひとつのエピソードとなっているが、これをいうと未だに受験の話をしているみたいで気まずいのであまり話せない。でもそのエピソードが物語るように僕は受験のための暗記というのもてんでだめで、潔く諦めて、浪人の一年間もやはり散歩ばかりしていた。とはいえそのときの散歩は同じ道をひたすら毎日歩くという感じで、時間があったのでいろんなところに行ってみればよかったものをそれをやらなかったのは、僕も僕なりに浪人という期間にたいする不安があったのかもしれない。それに比べれば、いまは違う道を通って「この道に出てくんねんなあ」と楽しんだりできている。そうやって散歩してから会社に戻って仕事を続けたが、進捗はよくなかった。

都内から消えつつある「一般」

 

6/14

 オードリーの若林が以前ラジオで、毎週ラジオでエピソードトークをしないといけないから、一週間を過ごすなかで、なにかラジオで話せることがないか探しながら生きている、というような話をしていた。僕はいま「以前ラジオで、毎週ラジオで」と書いたのだが、これで文意が通じるのが言葉というもののおもしろいところだと思う。これはたとえばスチャダラパーの「サマージャム'95」における

食ってないねーアイス

行ってないねープール

行ったねープール

 というくだりにも似たようなことを思う。ここを聞いて、けっきょくプールに行ってないのか、行ったのか、わからなくなることはない。「(さいきん)食ってないねーアイス 行ってないねープール (そういえば前に)行ったねープール」という意であるとわかる。これが言葉のおもしろいところだと思う。僕がさっき書いた「以前ラジオで、毎週ラジオで」というくだりも、以前なのか毎週なのかわからなくなることはない。でも、文意が通じると思っているのは書き手である僕だけで、ほんとは他のひとからすればまったく意味のわからない文章になっているという可能性もある。というかその可能性は実はけっこう高いのではないかと思う。たまに自分の日記を自分で読み返してみると、文意が取りにくい部分が少なからずある。自分でさえそうなのだから、いわんや他のひとをや。でもこれは僕の日記なので、僕自身がわかるのであればそれでいい。さいあく、僕自身もわからなくていい。

 しかし僕の文章が意味のわからないものになってしまっているとしたら、「サマージャム'95」を引き合いに出したのは非常におこがましかったかもしれない。引き合いに出す必要も資格もなかったのに、ただ出したかったから出してしまった。そもそも僕は「サマージャム'95」のさっきのくだりがおもしろいという話を以前も日記に書いたことがあると思う。調べてみると今年の一月に書いている。こんなふうに僕は同じ話を何度も日記に書いてしまっている。「同じ話を何度も日記に書いてしまっている」という話も、今週だけで二回書いている。同じ話を書いてしまう周期が徐々に縮まっていって、最終的にすべての日の日記がまったく同じ内容になる。

 だいたい、いまだって、一言一句同じとまではいわないが、書いてある内容といえば散歩か映画か仕事か同居人についてぐらいなもので、大枠で捉えれば毎日まったく同じ内容を書いているともいえる。今日の日記の冒頭でオードリーの若林が話していたことを書いたのは、日記を毎日書くという行為にも似たようなところがあって、日々を過ごしているなかで「これを日記に書こう」と思う瞬間が訪れるし、やはり日記を書く以前より細かなことに目がいくようになっている気がする、という話を書こうと思ったからなのだが、もはやそんなことはどうでもいい。僕が細かいことに目を向けながら日々を過ごしていようが、すべての日の日記が同じ内容に近づいていくこの流れに逆らうことはできない。

ストップ・メイキング・センス』の野外上映がやっていて、たくさんのひとがそれを観ていて、最高だった

 

6/15

 六月は保坂和志の『未明の闘争』を読み進めていて、その話法にすっかり影響されて僕も自分の日記のなかで一日の出来事を書くうちに思い出したことがあればそっちを書くようにしていたのだが、特にここ数日はその脱線のような書き方が強まってきており、その影響なのか今日は実際に同居人と会話しているなかでも脱線のような発言がいきなり現れた。二人で散歩した帰りに、僕は一週間前に話していたことの続きを、さもさっき話していたように「そういえばさあ」と話し始めた。でもこれには原因があると思う。一週間前の僕たちは五反田のほうに散歩したのだが、今日もまた五反田に向かって歩いて、その帰り道に「そういえばさあ」が出たのだ。五反田に向かうという行為が、一週間の時間をまたいで同じ話題を呼び覚ましたのだ。そういう意味で僕のなかではしっかりつながっているが、同居人にしてみればたまったものではない。

「こういうこと、他のひとにもやってるの? ぜったいやめなね」

 もちろん僕は他のひとにはこんなことやらず、同居していて毎日会話をしているひとを相手にしているからこそ一週間前の話題を平気で呼び覚ました。こんなことをやっていると、そのうち一週間前どころか一ヶ月前とか一年前とかの話も平気で蒸し返しそうなものだが、僕は一ヶ月前、一年前のことなんて覚えていないのでその心配はないということを同居人には伝えたい。

 しかしこうやって書いているうちにちょっと自信がなくなってきたのは、僕が「そういえばさあ」を出したのがほんとに五反田に行った帰りだったかどうかということだ。というのも、「そういえばさあ」を出した道を覚えてはいるのだが、僕たちは今日その道を二回通ったのであり、そのどちらのときに「そういえばさあ」が出たのか、いま考えると定かではない。一度目は朝ごはんを食べに行った帰り道、二度目が夜に五反田まで散歩した帰り道。どちらだったかわからない。しかし五反田からの帰り道だったのであればさっきも書いたように「そういえばさあ」が出た意味もわかるが、もしそうではなく、朝ごはんを食べた帰りに「そういえばさあ」が出ていたのであれば、僕はほんとに脈絡なく一週間前の話題を蒸し返したということになる。それは怖い。

 今日は同居人が気になっていたお店に朝ごはんを食べに行ってえらく満足し、サンダルを買って帰宅。『古畑任三郎』のキムタクの回の続きを見たりした。序盤にはわりとインテリふうだったキムタクのしゃべり方は徐々にキムタクが強くなっていって、最後のほうはただいけ好かないやつだった。そんなキムタクを古畑がビンタしたので僕も同居人もびっくりした。昼にはそうめんなどを食べた。午後は今泉監督のドラマ『1122 いいふうふ』を見ているうちに、天気や気圧の変化から眠くなって断続的に昼寝。正直今泉作品にはそんなにハマれないのだが、ドラマはまあまあ軽快ですっきり見ることができた。原作漫画を読んでいたという同居人のコメンタリー付きだったのがよかったのかもしれない。夜は雑に肉が食べたくなっていきなり!ステーキを食べた。それから散歩がてら五反田のTSUTAYAに『汚れた血』を借りに行った。こうやって今日一日のことを書き出してみても、「そういえばさあ」がいつ出たのかは思い出せない。

 

6/16

 昼過ぎからユーロスペースでギヨーム・ブラック監督の『リンダとイリナ』を観る予定だったのでその前に渋谷に行ってカフェに入ったりして過ごした。どうしてわざわざ渋谷なんかでカフェに入ったのかというと、そもそも同居人がコメダ珈琲のモーニングを食べたいといっていたからで、たしかにコメダ珈琲のモーニングには不思議な魅力がある。座席のふかふか具合というのもその魅力に寄与していると思う。──みたいな感じでここ数日の僕であればこのままコメダ珈琲のモーニングの謎のよさについて書く方向に進んでいきそうなものだが、今日はとにかく眠いので脱線せずに進みたい。そんなわけでマークシティを抜けてちょっと行ったところにあるコメダ珈琲道玄坂上店(アパホテルにくっついているところ)に向かおうとしていたのだが、その道半ばの台湾料理屋のモーニングが気になってしまい、ちょうど空いている店だったのでそこに入った。そこのモーニングは僕としてはおいしかったが、同居人からいわせればそこそこだったという。そのあとはけっきょく別のカフェにも入ったりして、映画までの時間を過ごした。というのが僕たちが今日渋谷なんかでカフェに入ったあらましである。

 今日のユーロスペースでは有名な俳優を二人も見かけてうれしかった。『リンダとイリナ』もとてもよかった。ドキュメンタリーであるとのことだが、やはりいつもどおりのギヨーム・ブラック節という感じが強く、このひとの場合ドキュメンタリーと創作の境目がわからない。しかしそもそもギヨーム・ブラックに限らず、ドキュメンタリーと創作の境目とはなんなのか。劇映画における演技というものも、カメラの前で実際に人間が動きしゃべっているわけで、それもある種のドキュメンタリーではないだろうか。

 ユーロスペースを出てからはてきとうにラーメンを食べ、ヒュートラ渋谷で黒沢清監督『蛇の道』を観た。柴咲コウがすごくがんばっていたように思った。映画において俳優が「がんばっている」と感じてしまうのはよくないことのほうが多いが、この場合はいいがんばりだった。西島秀俊が怖いのはまあいいとして、柴咲コウもこんな怖い目できるんだ、と気づかされた。映画自体はいくぶんかはったりも混じっているようには思ったが、基本的に楽しく観ることができた。ルンバまで怖く撮ってしまう黒沢清はおもしろい。

 帰宅していったんシャワーを浴びたりして休憩してから、同居人とその同僚と焼き肉を食べに行った。その同僚のことはよく同居人から聞いていて、というか同居人はなんでもよく話すので僕は同居人の会社のひとたちのことは名前を聞けば「ああ、~~のひとだよね」みたいな感じでだいたい思い出すことができるのだが、なかでも今日一緒に焼き肉を食べた彼のことはさいきんよく聞いていたので話が早かった。いろいろあったそうだが転職ももう決まりそうで、祝いの席ということにして楽しく食べた。ほんとにいいひとなので、いいことがたくさんあるといいですね……と素直に思った。

 

6/17

 そういえば昨日家のなかに蜘蛛がいて、「蜘蛛は益虫だから小さかったら放っておいていい」とよく同居人がいうので僕もいつもだったら蜘蛛がいても「蜘蛛だ」くらいにしか思わないのだが、昨日の蜘蛛は部屋の引き戸の取っ手のすぐ近くにいたし、茶色い引き戸の色に紛れていて近づくまで気がつかなかったので、見つけたときに

「お、蜘蛛!」

 と大きな声を出してしまって、同居人に

「小さい蜘蛛は放っておいていいんだよ」

 と案の定いわれた。

 放っておいていいとはいうものの、うっかり踏みつけてしまったり、服やリモコンに巣を張られてしまっては困る。しかし蜘蛛のほうもそんなことはわかっていて、だいたいは壁の高いところや本棚の上など、僕たちと彼らが互いに領域侵犯をしないような位置に巣を構える。昨日僕が引き戸のところで見つけて驚いた蜘蛛はおそらく巣を張る位置を探す途上だったのであろう、僕が驚いたというか、むしろ向こうを驚かせてしまって悪いことをしたかもしれない。蜘蛛は僕に驚かれたあと、リビングのほうに入ってきて、まず床を走り、ついでレコード棚のほうに消えたかと思えば裏から出てきて、するすると壁をよじ登った。壁にはエアコンのリモコンがかかっているがもちろんそんなところに巣を張るようなへまはしない。そのまま天井付近まで登ると、次は横方向へずっと移動して、部屋の反対側にあるエアコンの裏のほうへ消えていった。それ以来姿を見ていない。

 益虫とはいっても視界に入ればどうしても気になる。だから見えないところに巣を構えてくれたほうが僕からすればありがたい。

「この家の人間は暴力を振るってくることはないけど、目立つところに巣を張ったらずっと見てくるからやめておいたほうがいい。景色はよくないけど、人間から見えない位置に巣を張るといいよ」

 きっと先代の蜘蛛からそんなアドバイスを受けたのだろう。それを忠実に守るとは素直な蜘蛛だ。しかしそうだとすると最初に驚かせてしまったのはやっぱり申し訳ない。

……というその蜘蛛を激写した写真

 

6/18

 さいきんもいい新譜がたくさん出ているのだが、どれも聴いているうちに「「歌」すぎる!」と感じるタイミングが来てしまい、けっきょく『チャレンジャーズ』のサントラか、ブライアン・イーノを聴いてしまう。ブライアン・イーノはもっぱら『イヴニング・スター』のA面と『アポロ』のB面がとにかく聴きやすいので繰り返し聴いている。ほんとは『イヴニング・スター』もB面がかっこいいんだよな、とかいいたいのだが、やはりポップとすらいえそうなA面の魅力には抗えない。五月に買ったLPもA面にはプツプツ音が多く入っていて、前の持ち主もおそらくA面ばかり聴いていたのではないかと推測される。

 今日も蜘蛛を見なかった。いったいどこに巣を張ったのか。

 

6/19

 同居人が飲んで帰ってくるときには軽い散歩の意味も込めて駅まで迎えに行くのを習慣としているのだが、今日も今日とて改札前まで行ったところ、「酔っぱらいの看病してます」というLINEが来て、一緒に飲んだ友だちの面倒を見ているのかと思いきや、若い女性、若い女性、同居人の順番で肩を組んだまま改札から出てきた三人組はあとから聞けば互いに知らないひと同士だったそうで、真ん中の若い女性が駅構内で泥酔していたところを、左の若い女性が介抱し、そこに居合わせた同居人も加わる形で駅員に相談したものの、ちょうど忙しそうで、こちらの面倒を見てくれるのはしばらく経ってからになりそうだったので、じゃあもう私たちでタクシーに乗せるか、ということで肩を抱えて出てきたという。そのまま真ん中の若い女性を半ば引きずる形でタクシーに乗せたはいいものの、そこまで泥酔していると同伴者がひとりいないとだめだそうで、とりあえず最初に介抱してくれていた若い女性は家が遠いというので帰ってもらって、あとは同居人が付き添って泥酔女性をタクシーで帰すか、それともいったんうちに連れて帰って落ち着かせるか。泥酔女性からどうにか聞き取ったところによれば、明日も仕事があるから家には帰りたいらしい。様子を見る限り荷物をなにも持っていない。スマホも財布もない。しかし家に帰ればどうにかなるという。聞けば家もそんなものすごく遠いというわけではなさそうなので、タクシーで付き添うでもよかったのだが、そうすると送り届けたあとにまたタクシーで帰ってくるのがめんどくさいし、運転手のひとともなんか気まずい。

 であればいっそのことレンタカーを借りて送り届けよう、そうすればドライブにもなるし、ということで運転者に任命されたのが僕である。

 後部座席に横たわる泥酔女性がうなされたようにときおり発する地名を目指して車を走らせた。女性が「気持ち悪い」とつぶやくのでアクセル、ブレーキ、車線変更には細やかな注意をはらい、エチケット袋を渡し、「寒い」とつぶやくので車内の空調を切り、窓も開けていたのを閉め、そうするとやはり空気がこもるので少しだけ開け、「家に電話する」というので同居人がスマホを貸したらそのまま後部座席のどこかにやってしまったようで返してくれない。同居人が聞き取ったところによれば泥酔女性は僕たちよりずっと若いみたいだった。こうやって見知らぬ若者を介抱して家まで送り届ける謎のおじさんおばさんに、僕たちはなっていくのだろうか。

「おねーさんおにーさん、らぶ」

 なんてときおりつぶやいては寝息を立てる泥酔女性は、もちろん泥酔しているのでなにも考えていないだろうが、警戒心がまったくなくてはらはらする、しかしこの子はしぶとそうだというふうにも思う。彼女が早口で発した住所に到着して、「着いたよ!」と起こすとたしかにそこが家だったそうで、「まじありがとうござした」といって帰っていった。オートロックのマンションだがもちろん鍵も失くしているし、インターホンを押しても反応がなかったのでだめかと思ったが、たまたま散歩から帰ってきた同じマンションのひとが開けてくれて入っていった。そういう一連の流れにしぶとさを感じる。

 泥酔女性はスマホを持っていなかったし、泥酔していたので、けっきょく連絡先などは交換せずに終わったが、同居人はもうひとりの最初に介抱してくれていた若い女性とはLINEを交換していたそうで、帰路の車内で結果報告を送っていた。女性は「先に帰っちゃってすみません、お金かかっちゃってたら分担しますよ」という旨を送ってきてくれたそうだが、そのひとが負担するのは謎すぎるのでお断りして、代わりに「せっかくなのでまた今度会いましょう」というやり取りを交わしたという。帰りはVegynを流しながら運転した。「来日キャンセルになったぶん、さらにいい曲に聞こえる」と同居人がいっていて、不思議とわかると思った。

 

6/20

 僕が毎日書いている日記は基本的に僕の視点で書かれているので、わざわざ「僕は」と主語を置いたりせずに書くことが多いが、そうするとあとから読み返したときに文意を取りにくいことが多発する。昨日の日記を見てみても

「同居人が飲んで帰ってくるときには軽い散歩の意味も込めて駅まで迎えに行くのを習慣としているのだが、今日も今日とて改札前まで行ったところ、」

 の「迎えに行くのを習慣としている」のは誰なのか、「今日も今日とて改札前まで行った」のは誰なのか、瞬時に把握しにくい。日記を書いている僕からしてみれば、迎えに行くのを習慣としているのも改札前まで行ったのも僕だというのは当たり前のことだし、当たり前だからこそ「僕は」と書いていない。一方で、たとえばいま読んでいる『未明の闘争』について考えると、保坂和志は語り手(「私」)が主語である文においてほぼ必ず「私は」を冒頭に置いている。ときに文として破綻することがあろうとも、とにかく「私は」を書くことを徹底している。それは小説というものが「私は」の文章だからかもしれない。日記というのは「私は」(僕の場合は「僕は」)の文章ではないのかもしれない。もちろん裏には「私は」が隠れている。隠されている「私は」が現れることで、日記は開かれたものになる。

 

6/21

 夏至なのに朝から雨が降っていたが夜には晴れてでかい満月が浮かんだ。

 

6/22

 先週五反田のTSUTAYAで借りたDVDを明日の午前中までに返却しないといけないので、今日は朝から『汚れた血』を観て、夜には『パンダコパンダ』を観た。DVDをレンタルして家で観るという習慣はこの何年かですっかり過去のものとなっていて、せっかく観たいと思って借りても返却期限ギリギリにならないと観ることができない。それどころかけっきょく観ないまま期限を迎えるなんてことさえある、昨年はさらに延滞までして、観てもいないDVDに二千円近く払うという愚かなことをした。そのときはたしかコーエン兄弟の『赤ちゃん泥棒』とあと二枚くらいのDVDを借りていた。延滞したという苦い思い出もあって、その後も僕は『赤ちゃん泥棒』を観ることができていない。これからも観ないかもしれない。そういうふうにこっち側の勝手な事情があったりタイミングが合わなかったりして観られずに終わる映画というのが、一生のうちにまあまあな数あるのだろう。そしてそれ以上に、観ようともしていなかった映画というのもたくさんある。『汚れた血』みたいに何回か観る映画もある。『汚れた血』はあらためて観ると時間配分がすごい。あらすじをいうとすればハレー彗星が接近し、異常な猛暑が続く夏、愛のないセックスによって感染するウイルスが猛威を振るう。主人公アレックスは、不慮の死を遂げた父の借金を返すために、父の友人であるマルクらと共に、開発されたばかりのワクチンを盗む計画を練る。孤独な青年アレックス、マルクの若き恋人アンナ、そしてアレックスを慕うバイクの天使リーズ。──パリの夜に、愛が疾走する!」みたいな感じになるのだろうが、ほとんどは「愛が疾走する!」の部分に時間が割かれていて、その他の犯罪映画的な要素はかなり手短に語られる。大写しになるジュリエット・ビノシュの顔と、夜の街を駆けるドニ・ラヴァンの身体こそが映画だといわんばかりに……。

 夜に『パンダコパンダ』を観るまで、昼間は同居人が渋谷でお笑いライブを見る用事があったので、僕も同じタイミングで家を出て、カフェで『未明の闘争』を読み進めた。その後レコード屋に行って、ボブ・ディランの『血の轍』とブルース・スプリングスティーンの『ネブラスカ』がいずれも安かったので買った。『血の轍』は、僕が買った盤は安かったが、もうひとつ置かれていた盤は二十万近くして、おそらく生産年や生産国や状態の違いが値段の差に繋がっているのだろうが、僕はそこらへんのことはほとんどわからない。盤の状態はどちらも「B」評価だったのでじゃあどちらでもいいという気持ちになってしまう。できるだけいろんなことにこだわって生活したいが、レコードの生産年や生産国というのはいまの僕にとって優先順位が低い。流せるのならいい。

 お笑いライブを見てきた同居人と合流してからは、上半期ベストの映画はもしかしたら『チャレンジャーズ』かもしれないというような話をしながら歩いて青山ブックセンターに行ったが、青山ブックセンターには『二階堂地獄ゴルフ』の最新巻は置いていなくて、調べてみたらむしろ最寄り駅の本屋にあったのでそっちにも寄って帰った。『パンダコパンダ』もすごかった。トトロみたいなパンダと、メイとサツキどちらの要素も持ち合わせたような女の子と、ポニョのような大雨と洪水と、千と千尋みたいな大団円があった。

 

6/23

 傘をささなくてもいいくらいの雨が降っていて、さすにしても向きをさほど気にせずともそんなに濡れずに済み、空気は夏の気配を含むが、ほんの少しでも雨が降っているためにそのぶんだけ涼しくなっているような、まことにちょうどいい気候の朝から五反田のTSUTAYAにDVDを返しに行き、そのまま日本橋のTOHOシネマズに行って『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を観た。邦題が「ホリデイ」や「ホリデー」ではなく「ホリディ」という見たことない表記だったのでちょっとウケたが、もしかして七十年代にはそういう訳語があてられていて、そのディテールを邦題にまで貫徹させようという配給会社の粋な計らいなのかもしれない。そう思えるほどに、まるで七十年代に作られた隠れた名画がいま公開されたかのような、フィルムっぽい質感と少しのノイズ加工が映像に施されていた。そういう加工がなされていること自体は単なるギミックに過ぎないようで、実は映画全体のトーンを決める。小説でいうと文体というものになるのかもしれない。『ホールドオーバーズ』の場合まさしく七十年代が舞台だったので、文体が正しく機能し、さっきも書いたように七十年代に作られた隠れた名画がいま公開されてそれを観ているかのような感触を得ることとなった。いい映画だった。なんとなく『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を彷彿とさせるようで、(もちろんあれもいい映画だが)もっと繊細で、傑物でもない登場人物たちが付かず離れずの絶妙な間を保ちながら交流していく、よきアメリカ文学の雰囲気を持っていた。

 映画館を出てからは近くのギャラリーに同居人の仕事関係の方の個展を見に行ってから、さらに歩いて東京駅近くの「よもだそば」でカレーとかき揚げそばのセットを食べた。いかにもオフィス街の立ち食いそばの佇まいにもかかわらず、そば屋のカレーのイメージを刷新するかのようなスパイスカレーと、立ち食いそばらしからぬ物腰の柔らかい接客でかっこよかった。と思ったが僕が行ったことのある立ち食いそば屋はどこも物腰が柔らかかったかもしれない。そのあと東京駅の地下のプリキュアのショップに行ってみたが閉まっていて、同居人、がっかり。しかし帰宅してごろごろしてみればなんとまだ十五時過ぎだったので、同居人も僕も最高の気分になった。いったんシャワーを浴びてから昼寝した。

 朝から活動して、昼過ぎには帰宅し、シャワーを浴びて昼寝。これからどんどん暑くなる日曜日の過ごし方として、まことに正解たりえる道筋を見つけてしまったのではないかと静かに興奮している。

 夕方に起きて、昨日買った『血の轍』や『ネブラスカ』を流しながら、いらなさそうな本を段ボールに入れ、雑誌をしばった。その後さほどお腹も空いていないまま散歩がてら外に出て、失敗してもいい気持ちで初めての焼き鳥屋に入ってみたが、やはりそこまでアガらず、しかしお腹は空いてしまったのでけっきょくコンビニでてきとうに買って帰宅した。エイフェックス・ツインのの"#19"という、通称"Stone In Focus"という名前で知られている曲のストリーミング配信が先週から始まったので、それを流しながら入浴した。長らくYouTube上で、ニホンザルが温泉に浸かっている映像に合わせた音源を何度も聴いていた──もちろん違法アップロードのはずなので大きな声ではいいにくい──曲なので、とうぜん湯船に浸かりながら聴くと気持ちがよい。

 

6/24

 昼間が暑いというのはもはやわかりきったことだとしても、夜まで暑いとなると、いよいよ季節が変わりきった感じがする。扇風機もエアコンもガンガンっすよ。

 

6/25

 日曜日に本棚を整理したときにあらためてびっくりしたのだけど、本棚に並んでいる本のなかには未読のものがたくさんあって、このままだとただ本を収集しているおじさんになってしまうのでどんどん読んでいかないといけないのだが、いまのところはとりあえず『未明の闘争』を読み続けている。今月のいつかの日記では『未明の闘争』についてたぶん「話の脱線が楽しい」というようなことを書いたと思うのだが、これは脱線なんかではない。たとえば上巻の二八三ページでは、夜中に語り手の家に遊びに来た旧友アキちゃんとの会話から、「中村さん」なるかつての同僚女性の話になり、その中村さんというのはほんとは「村中ナルミ」という名前で、ナルミの字は「成海」なのか「鳴海」なのかわからないのだが「鳴海」のほうがいいので「鳴海」ということにしたその村中鳴海との不倫旅行(ということになるのだろう)の話がいつの間にか始まって、それが下巻の七一ページまで、文庫のページ数でいうとおよそ一五〇ページ近く続く。もちろんその間も村中鳴海との旅行の話だけをしているわけではなく、犬の話、猫の話、いつしか和歌山に行った話などが入れ代わり立ち代わり出てくる。僕は下巻の七一ページでまたアキちゃんが出てきたところで、じゃあ上巻の途中から下巻のここまでは脱線だったのかとびっくりしたのだが、脱線というものが一五〇ページもあっていいはずがない。ということでこれは脱線ではない。でもべつにアキちゃんとの会話が本線というわけでもないだろう。本線も脱線もなく、すべての話が複線的に走り続けているところを、自由に文章が行き来するような、そういう書き方がされていることがおもしろい。

 しかも僕の場合は文庫版を読んでいるので、上巻と下巻にまたがる形でアキちゃんとの会話が分割されていたのでなおさらびっくりしたというのもあるかもしれない。単行本だったらまた感じ方は違うだろう。もっとさかのぼれば、この小説はそもそも「群像」に連載されていたもののはずなので、それをリアタイして読んでいたひとの感じ方はさらに違うだろう。『百年の孤独』だって単行本で読むのと文庫で読むのとではもちろん違うだろう。これからは『百年の孤独』を電車でも読めるのだと思うとおもしろい。文庫版の『百年の孤独』の発売日は調べてみると明日のようで、であれば今日から店頭に並べている本屋もあるだろうと推測して最寄り駅の本屋に行ってみたらやはり文庫本コーナーに平積みされていたので買って帰った。満を持した文庫化にあたって単行本から表紙を大きく変えたのがかっこいい。字がみちみちに詰まっている。せっかくなので文庫で読もうと思うが、いまはやはり『未明の闘争』を読み進めている。夕飯は回鍋肉、味噌汁、キムチ、白米。同居人が帰ってくるまで、カミナリのYouTubeを見たりした。

 

6/26

 先週の水曜日に同居人と僕が泥酔した若い女性を家まで送ったという話を、同居人が会社の先輩に話したところ、「なんでそんなことしたの? ふつう、さっさと交番に預けるでしょ」といわれたとのことで、いま考えてみればたしかにそのとおりなのだが、先輩は「がっかりした」とまでいっていたらしく、それをいわれた同居人も、その同居人から伝え聞いた僕も、そんなにがっかりされてしまうほど愚かな行動だったとは思っていなかったので反省した、その泥酔女性を一緒に介抱したもうひとりの女性と今日同居人は飲んできたという。けっこう盛り上がったらしい。

 

6/27

 激ネムのため、寝ます。

 

6/28

 昨日に続き激ネム。折坂悠太のアルバムとクレイロの新曲がよかった。

 

6/29

 夕方まで仕事したのち、帰宅して洗濯物を取り込んだ。日が暮れるころまで出しっぱなしにした洗濯物を取り込むときに、湿り気を帯びているように感じられてきたらいよいよ夏。

 折坂悠太の『呪文』は、日々の生活のなかで、しっかりと足のついた現実の景色が、ふと信じがたいほどの美しさや幽玄さを帯びてくる瞬間をとらえたようなアレンジが非常にいい。生活というものはそれ自体で美しいということ。アルバム終盤を聴きながら帰宅し、洗濯物を取り込みながら、ベランダから見えるささやかな景色が夕焼けに染まっていたり、東の空はもう濃い藍色になっていたりするのを眺め、タオルをたたんで棚にしまい、下着類は雑多に収納へ放り込み、シャツはハンガーのままでラックにかけて家を出た。ヒュートラ渋谷の『ルックバック』の夜の回のチケットを予約したので、それまで散歩してから行こうという算段で、途中うどんを食べ、ボブ・ディランの『血の轍』を聴きながら歩いた。『ルックバック』はウェブ配信で読んだときよりもこの前単行本で読んだときのほうがよく感じた。映画もいいという話を、昨日観た同居人から聞いたのでどうせだから今日観に行った。早めに劇場についてしまって、ロビーも混んでいたのでそのまま早めにシアターに入ったら隣の隣のひとに話しかけられて、

「すみません、せっかくなのでグッズ買おうかと思うのですが、もうパンフレットは買ったのですが、やっぱりグッズも買ったほうがいいですかね」

「せっかくなら買ってもいいかもしれませんね」

「というかこの映画、『キックバック』だと思ってたんですけど、『ルックバック』なんですね。最初間違いかと思ったんですが」

「いや、でも間違いではないと思いますよ」

「そうみたいですね」

 というやり取りをした。

 かなり泣かせにくる感じの音楽の使い方はややしつこいとも思ったが、実際に涙ぐんでしまったし、いい映画だった。原作に忠実でありながら、フォーカスするところにはフォーカスし、アニメーションであることの意義をきちんと活かした作りになっていたように思った。引き伸ばさず一時間以内で完成させたのもかっこいい。

 話の内容については、不思議なことなのだが、配信で読んだときにも、単行本で読んだときにも、映画で観たときにも、どこかわかりきっていないような感覚がある。個々の事象のことはわかるし、「とにかく描く」ということに尽きるのだろうと思いつつ、つかみ損ねているような気がする。

 映画館を出てからはジェイムス・ブレイクとリル・ヨッティーがコラボしたアルバム『バッド・カメオ』を聴きながらまた散歩した。かなりいいアルバムだったし、リル・ヨッティーのふわふわしたオートチューン声がいろんなジャンルの音楽と相性がいいということがおもしろい。横浜のほうで友だちと遊んでいた同居人がちょうど帰ってきそうだったのでマックで『未明の闘争』を読みながら待った。一緒に銭湯に行こうとしたが、混んでいて断念した。

 

6/30

 同居人は朝からネイルに行った。僕は洗濯を回したが今日は曇りのち雨の予報だったので浴室乾燥にした。同居人のネイルが終わるであろう頃合いに家を出て、ネイルサロン近くの公園のベンチで本を読んで待った。ネイルサロンから出てきた同居人と合流して、タイ料理の屋台ふうの店で食べた。ガパオライスのチキンがぷりぷりしていておいしかった。同居人は昨日から家の本棚にあった『銭湯』という小説を読んでいて、それにはあまり銭湯は出てこないのだが、なにせタイトルが『銭湯』だもんで、銭湯に行きたい気持ちがふつふつと湧き上がってきたらしく、さらにさいきん身体になんとなくのだるさが残っており、サウナに入れば解決するのではないかという見立てもあって、それで昨日の夜に銭湯に行こうとしたのだが混んでいたので断念して、今日は昨日とは別の銭湯にはなるがリベンジできそうだったので行った。僕はサウナは特別好きではないがたまに入るぶんにはいい。同居人はサウナは苦手で、暑い→冷たいを繰り返すのが身体にいいとは思えないというのだが、それについては僕もほぼ同意だ。身体を激しく動かすわけでもないのに脈拍が上がるというのはなにか異常なことが起きている証拠だと思う。しかしその先のとろーんとする感覚、僕の感じているそれがいわゆる「ととのう」と呼ばれるものと同じかどうかはわからないが、そのとろーんが気持ちいいというのもわかる。だからたまに入るぶんにはいい。同居人は短いスパンではあるがサウナ→休憩をどうにか三周して、疲れが取れたような気もしたそうで、それならよかった。

公園のベンチからスマホのインカメで撮った写真

 曇って少し風も吹いてはいるが、歩いているとじわっと汗ばんでくる、いかにも六月末という感じの天気。

 家の近くの商業施設内でレコード屋がポップアップをやっていて、そこはふつうに買うこともできるが、家にあるレコードを持っていったら査定してくれて、その査定額に応じて割引券が発行されるというシステムだったので、そういえば先週家にあるもう聞かなさそうなレコードを四枚持っていったのだが、それらに僕の予想よりは高い査定額がついたため、今日は割引券を使って二枚買った。帰りに喫茶店でアイスコーヒーを飲んで、読書もしたが、同居人がやがて寝落ちしたので、起こして帰った。

 サウナに入った影響なのか、ドラマ『サ道』を流しながら昼寝したいと同居人がいうのでネットフリックスで流した。しかしたしかに、『サ道』における水音や原田泰造のモノローグは入眠にちょうどよい。僕も少し寝た。夜は豚しゃぶと焼き鮭。

二〇二四年五月の日記

5/1

 今週の『虎に翼』では、主人公・寅子(伊藤沙莉)の母・はる(石田ゆり子)が三十年間の結婚生活のなかで毎日欠かさず書きためてきたという日記が、父・直言(岡部たかし)のアリバイを証明するというシーンが描かれていて、三十年間欠かさず日記をつけることのすごさにおののくとともに、僕がいま自分でつけている日記を顧みて、はたしてこれが同居人や友だちのアリバイを証明できるような内容になっているだろうかというとすこぶる怪しいということに気づかされた。日記というのは、もっとちゃんと、その日にあったことを書くべきなのだ。たとえばこんなふうに;今日は仕事のあと同僚二人とサイゼリヤに行った。昼も夜も食べておらずひどく空腹だった。以前行ったときにはオーダーを紙に書く方式だったと思うが、今日行ったらQRコード読み取りからのスマホで注文という方式に変わっていて、そりゃいつまでもアナログでやってないよね、と納得しつつ、ちょっと楽しさが減ったようにも思った。サイゼのあのメニュー番号みたいなのをそらんじて紙に書き記すというのがおもしろかったのに、スマホ入力では醍醐味がないではないか。あと、前はメニュー番号にもっとアルファベットが入っていてかっこよくなかったか。あと、間違い探しも易化したのではないか。そんなことを考えるサイゼ懐古おじさんになってしまった。

 しかし相変わらず価格が安い。

 同僚の一人はサイゼに来るのが初めてかもしれないなんてことをいっていて、にわかには信じがたかったが、とりあえずいろいろ注文するなかで、サイゼといえばミラノ風ドリアだよねという話になったときにぴんと来ていない表情をしていた。ほんとに初めてだったのかもしれなかった。ひたすら注文しても数千円に収まるのを見て、

「安いしうまいっすね!

 おれデートで来ようかな」

 というので、ツイッターで毎回議論になるやつじゃん、と返したところ、それにもぴんと来ておらず、やはりもしかしたら僕がただおじさんになってしまっただけなのかもしれなかった。

 三人で小エビのサラダ、ラム肉の串のやつ、辛味チキン、ハンバーグステーキ、ペペロンチーノ、たらこパスタ、エスカルゴのやつ、ムール貝のやつ、マルゲリータ、チョリソー、ミラノ風ドリア、ほうれん草のソテーなどを食べた。同僚はこれまた「安いっすね」といいながらビールを飲んでいた。これくらい書けばアリバイになるでしょうか。

「妙だな、ほうれん草のソテーなんてふつう注文しないだろ……。刑事、やつは嘘をついている可能性が高いと考えます」

「やはりそう思うか。よし、やつを上げろ!」

 気まぐれにほうれん草のソテーを頼んでしまったばかりに逮捕されてしまいました……

 

5/2

 仕事を終えてから、ATMにお金を下ろしに行ったりで歩き回った。

 そんなふうに書くと金策に奔走したかのようだが、べつにそういうわけではなく、ただATMでお金を下ろして、あとは歩き回った。

 ほぼ同じことを二回書いてしまった。

 歩き回りながら、ヤーレンズのANN0を聞いた。ひたすら話がズラされ続け、聞いた後になにも残らない二時間。話が逸れているのをお互いにツッコむようでいて、そこからさらに逸れた先で話を展開させるという悪質な手法。唯一救いがあるとすれば、ただ時間が経過することで、CMが挟まったり、番組の終わりが訪れたりしたことだ。今回から月一のレギュラー放送になったそうだが、月一でよかった。こんなものを毎週聞かされていてはクタクタになる。でも、ふざけ倒す合間に「エピソードトークとか、パーソナルな部分を出してくれなんていわれるんですけど、それだけがラジオじゃないですからね」みたいな、彼らなりのほんとのことも語られていたのがよかった。本題に入ることを避けるように話を逸らし続けるのではなく、そもそも本題なんて存在しないのだと高らかに宣言するかのようにふざけ続ける。M-1のときより、むしろラジオを聞くことで彼らのことを好きになっている。

 そのあとに聞いた空気階段のラジオでは、禁煙宣言をしたのに喫煙していたことがバレてしまった水川かたまりが、妻さんに申し訳ないと泣いてしまうくだりが最高によくて、やはりこうやってパーソナルな部分が強烈に反映されたラジオもいいものだと思った。一般的にコントより漫才のほうが人(ニン)が出そうなものだが、漫才師であるヤーレンズのラジオにはほとんどニンが出ておらず、コント師である空気階段のラジオのほうにニンが色濃く表れているのもおもろい。

 僕が歩き回っている間に同居人は会社のひとと飲んでいたようで、そろそろ帰ってくるだろうという時間に僕も最寄り駅にたどり着いたので、駅前のカフェで千葉雅也『勉強の哲学』を読んで待った。『勉強の哲学』のなかでは「ユーモアは会話のコードを変換する(=ズラす)が、それを過剰にやりすぎると会話の意味が飽和して無意味に転じる」というようなことが語られていて、まさしくヤーレンズのANN0のことだった。帰ってきた同居人はしきりに「四!」と連呼していた。聞いてみれば明日からの四連休のことを示しているようだった。「四」を繰り返すので〇〇かと思った、と僕もここで話をズラすことができればよかったのだが、肝心の〇〇がなにも思い浮かばない。やはりヤーレンズはすごい。

 

5/3

 午前中は会社のひとたちとのフットサル。頭のなかで思い描く弾道と、実際に蹴るボールの転がり具合がまるで異なるうえに、すぐに息切れしてしまうこともあって、まったく活躍できず。でも楽しかった。終わってからはみんなでデニーズで食べた。そのまま眠れてしまうのではないかというほど気持ちのいいテラス席だった。

 帰ってシャワーを浴びてから昼寝した。これもとんでもなく気持ちがよかった。

 夕方、同居人は友だちと飲みに行き、僕は特に予定もないのでとりあえず散髪に行き、その足で散歩した。今日はフットサルで足腰が疲れたこともあって散歩はしないだろうと思っていたのに、気がつけば歩き始めてしまっていた。過ごしやすい季節が悪い。道中、ラーメンを食べ、本屋でかねてより欲しいと思っていた『二階堂地獄ゴルフ』を二巻まで買い、大回りして帰宅した。

 途中の路地に黒猫がいて、そろりそろりと近づいたが去られてしまった。

猫が逃げず、周辺住民に怪しまれない、絶妙なバランスでそろりそろりと近づく

 帰宅してから『二階堂地獄ゴルフ』を読んだ。かなりおもしろい。プロゴルファーを目指して苦節九年、まるで結果を出せずにだらだらと続けてしまっている主人公・二階堂は、所属している団体からまた一年分の金銭的援助をしてもらえるのかもらえないのか。それがドストエフスキー的な怒涛のモノローグとともに語られるのが第一巻である。けっきょく援助は受けられず、また次のプロテストにも落ち、二巻に突入すると、プロになるための一次テストすら突破できずに一年、また一年と二階堂の時はいよいよ速く流れる。しまいには一ページで一年が経過する。まったく成果が出せていないにもかかわらずひとつのことに打ち込み続ける我執のすさまじさ、時の流れの速さ。それが残酷なまでにおもしろく描かれる。ちょうど青山剛昌先生の「プロフェッショナル」も見て、ひとつの作品を三十年間連載し続ける先生の姿と、その作品のなかでは時間の流れがほとんど描かれていないこと、そして二階堂の加速する時間の描写が混ざり合って、時間っておもろいね、と思った。

 

5/4

 同居人と映画を三本観に行って、その合間にはロイヤルホストに行き、夜には同居人の友だちも来て飲むという、いかにも連休の中日という趣が強い一日だった。

 まず観たのは『ゴジラ×コング 新たなる帝国』、なぜかこのシリーズを追っているので今回も観た。観賞後に残るものはなにもない。ヤンキー同士のちょっとした争いが描かれているだけだ。主要登場人物たち以外の人命や生活があまりにも軽視されていてウケた。コングもゴジラも本来は固有の文脈や歴史を持つはずだが、それらはいっさい無視され、徹底的にキャラクター化させられ、闘わされていた。楽しけりゃいい。こういう映画内での描写には怒る必要もないと思っている。怒ったほうがいいのでしょうか。しかし怒るほどコングやゴジラのことを知っているわけでもなく、そもそも今回のようなテイストこそ本家本元であるという可能性もある。それがわからない以上、外野から楽しむしかない。

 二本目は『悪は存在しない』。とてもよかった。高橋と黛が水挽町を二回目に訪れる車内の会話に、猛烈にハマリュウを感じてうれしかった。会話の内容もだし、ああいう会話が劇中に配置されているということ自体もうれしい。あの会話以降の高橋はかなりよくて、物語の重要な焦点のひとつとしてモリモリ立ち上がってくる感じがあった。悪いひとというわけではないが、自らの特権性に無自覚で、有害ですらあり、浅慮が目立つ。しかしそれゆえにユーモラスでもあって、水挽町の人びとの朴訥とした会話にリズムや笑いをもたらす。しかし、と続けますが、だからこそああいう結末を迎えるのもさもありなん、と思えてしまう。

 三本目は『パスト ライブス/再会』。あまりノリきれずだった。

 ほんとは『悪は存在しない』のことなんてもっと書きたいに決まっているのだが、一行で済ませようと思っていた『ゴジラ×コング 新たなる帝国』のことをちょっと長めに書いてしまい、眠くなったので寝る。

 

5/5

 洗濯、二度寝、テレビ、ニンテンドースイッチで『MOTHER2』をプレイ。それからせっかくのゴールデンウィークなのでなにかふだんやらないことをやろうということで、中央競馬をほんのちょっぴりやってみた。今日のメインは「NHKマイル」という三歳の馬のなかでテッペンを決めるレースで、シャンタル・アケルマンを彷彿とさせる響きのジャンタルマンタルという馬が勝利した。僕たちはそのジャンタルマンタルと、もう一頭の人気馬アスコリピチェーノ、あとはオモコロの原宿さんがツイートしていたゴンバデカーブースという四番人気の馬に単勝で百円や二百円だけ入れて合計五〇〇円、ジャンタルマンタルが一着だったので五八〇円の払い戻しを受けられてよかった。その「NHKマイル」に合わせて地上波でも競馬の番組をやっていて、出走前のパドックの様子から、レース本番までを見ることができた。馬たちはとても美しく、それだけで見応えがあるのに加え、レースがいよいよという段階になると高らかなファンファーレが鳴り響き、テレビ画面にはキンキラキンの煌々と光る文字で「NHKマイル」の文字が現れ、そのまま間もなくレースが開始となる。その一連の流れは、非常にわかりやすく見る側のテンションを上げるように磨き上げられたもので、これはハマるひとがいるのもさもありなんという印象が強かった。「さもありなん」というのは昨日の日記でも使った。響きがいいため今後も重用するかもしれない。競馬は今度ぜひ実際に見に行ってみようという話にもなった。

 メモ:大井競馬場地方競馬に分類される。大井、川崎、浦和、船橋南関東四競馬となる。あと、まったく話は変わるが、せっかくこのメモという段落を設けたので、いま思い出したことも書いておくと、昨日見た「ざっくりYouTube」で後藤が〝そこの一角に座って一日中眺めていられる交差点〟として語っていた「キラー交差点」という概念がかなりよかった。交差点をそんなふうに眺める視点はこれまでなかった。「なんかこの道いいな」という感慨は、とうぜんその先にあるであろう交差点にも適用されておかしくないはずなのに、これまで見落としていた。

 夕方に家を出てスシローに行った。待ち時間というものは一般にいやなものであるが、なかでもスシローの待ち時間というのは非常にいやで、こんなことをいってはあれだが、スシローごときのために多くのひとが並んでいる空間というのがなんとなくいやなのだ。事前にアプリで「このあと行く」の順番待ち予約をして、ギリギリに到着するようにしたが、それでもいやな感じはあった。そんなことなら行かなければいいのだが、なんとなくスシローかなんかを食べたい気分というのが僕たちにはある。スシローを出てからカフェで読書をして帰った。保坂和志の『ハレルヤ』を読んでいる。

 少し長めに引用しようと思ったが、長いのでやめる。

 帰り際に、またゴールデンウィークだからふだんやらないことをやろうのシリーズで、TSUTAYAに寄ってニンテンドースイッチの『戦国無双5』のソフトを買った。『戦国無双』は以前プレステ2でやって楽しかったのでそれの最新版はどうなってるだろうかという好奇心だ。さてどうだったかというと、基本のノリはほぼ変わっていなくて、剣ひと振りで相手の兵士たちがぶっ飛ぶ、そのザクザク感が楽しいポイントとなっている。信長は右腕だけノースリーブで、甲冑も右腕部分だけ取り払って破天荒な雰囲気を醸し出していてかわいげがあった。家康が『千と千尋』のハクの系統の美少年になっていてウケた。今川義元が強すぎて二回やっても倒せず、今日は諦めて寝る。

 

5/6

 昨日の『戦国無双5』の強すぎる今川義元は、昨日プレイしたステージの段階では倒しても倒さなくてもいいボーナス的な位置付けでの登場だったっぽく、二回やって倒せなかったのもむべなるかなという感じだったようだ。それだったらそれでいい。というわけで今日は今川義元は無視してそのステージをクリアして次に進んだ。

 先生のところは混んでいて、待つ、先生の方も一番空いてそうなときに声をかけてくれるが、今は誰も待っていないと聞いて、そこから急いで連れていっても十分かかるそのあいだに二人来ちゃったとかなって、いつも三十分以上は待つそのあいだ私は花ちゃんを連れて近くの、いまは空き家になっているらしい洋館風の造りの家の玄関の段々とその脇の隙間を花ちゃんは探検したり、遊歩道まで行ったり、しかし遊歩道は夜の八時くらいは人通りがあり、花ちゃんは目が見えなくなって大胆になったとはいえ知らない人が怖いからうずくまっていることが多かった、別の方向にある駐車場は前の道を人が通ることも少なく車の下に潜ったりした……そんな風に花ちゃんは待ち時間を楽しんだ、

「あ、待ちますね。じゃあ、行ってきまーす。」

 私は先生のところのスタッフに言って、花ちゃんとウキウキ出ていった、そして夏の終わり頃にお寺の境内に落ちついた、他のところより少しだけ遠いからそこまで行くのを躊躇していたが行ってみると境内は小ぢんまりしてきれいに手入れされた庭で芝生は短く刈ってありもちろん人通りはない、花ちゃんは伸び伸びそこを歩き回った、虫の音がいっぱいで月がよく見えた、私は月を見上げて手を合わせた、月に花ちゃんが見える場所はうちの辺ではこのお寺しかなかった、花ちゃんがいるのは私の足許、地面だからだ。

保坂和志「ハレルヤ」(『ハレルヤ』収録))

 と僕はいま、昨日の日記で引用しようと思ってやめた保坂和志の「ハレルヤ」の一節を書き写した。読点によって繋がれる文のなかで視点も場所も時間も次々と移り変わるこの感じ。

 その後、同居人は友だちとの飲みで横浜方面へ行き、僕は渋谷でジャック・リヴェット『彼女たちの舞台』を観た。たぶん二〇一七年くらいにも観たことがあるのだがあまり内容は覚えておらず、今回観ながら前回の記憶がよみがえってくる感覚も希薄だったので、前回は寝ていたのかもしれない。演劇、シェアハウス、恋バナ、犯罪、幽霊、様々なものが混ざりあうようで混ざりきりはせず、しかしたしかに混ざってはいる不思議な感触の映画で、とうとつなようにも思えるラストこそすべてなのではないかという気もした。私たちは作り続けていかなければならない。ほとんど室内劇であるにもかかわらず楽しく観ることができてしまうのは色彩バランスももちろんだが、しっかりと切り替えや動きのある撮影によるところも大きく、自由に映画を作っているように思えるジャック・リヴェットのしっかりとした地肩の強さのようなものも感じた。

 

5/7

 日記に書いていなかったが一昨日くらいから咳が出ていて、しかしそれ以外の症状はなく熱もなかったので風邪とかではなく、じゃあなんなのかというとおそらくフットサルで息を切らしたことが長中期的なダメージとして咳の形で表れているのではないかと推測している、その咳が今日もまだ出ていたので今日は早めに会社を出て、家でゆっくりしてから仕事の続きをやった。咳が出るみたいなことこそ日記に書くべきだった。

 そういえば『悪は存在しない』における高橋のユーモラスさ──薪割りをちょっとやって「気持ちよかった」というところから「仕事をやめてグランピング施設の管理人をやってもいいと思っている」と安易に飛躍してしまう、水にこだわっているという蕎麦を食べて味ではなく温度の感想を述べてしまう、みたいな──というのは、僕が観客であるからそう思えるだけであって、実際に面と向かって相手をしなければならない巧からしてみれば、ああいう会話のズレから始まって生活が脅かされていく予感のようなものがより生々しく感じられてラストに繋がったのかもしれない。しかしそれでも『GIFT』における高橋よりはずっと人懐こくて会話ができそうな印象があった。同じ映像素材から無声の映像作品として編集された『GIFT』のほうでは、高橋たちはより対話しがたい、ホラー的とさえいえそうな他者として現れる。その印象は『悪は存在しない』で使用されていた音源よりずっと不穏で凶暴な石橋英子の演奏によっても強化される。『GIFT』における高橋は、巧や花をより脅かしうる存在であり、それはようするに自然を脅かしうるということとほとんど同義であり、『GIFT』観賞後に同居人が「巧=鹿」説を唱えたのも頷ける。

 ユーモラスさについての話だった。観客だからユーモラスに思えるというのは、たとえばテレビ番組などで見るコントなんかがまさにそうだ。コントというのは基本的に、のっぴきならない状況に陥っていく演者たちを、観客という立場から俯瞰して見ることができるからこそおもしろく思えるのであって、そののっぴきならない状況にもし僕も巻き込まれたらどうしよう、と当事者意識を高めて見たとしたら笑えないだろう。ということは、できるだけ具体的に想像しうるシチュエーションでありながら、観客に当事者意識を持たせないようなネタができたらよりおもしろくなるはずであり、そういったときに思い出されるのが、空気階段キングオブコントで優勝したときの二本目のネタ、火事になったSMクラブから客二人が協力して脱出するというあのシチュエーションだ。日常的な感覚を掬いとりながら、いかに日常から離れられるか。

 ちなみに同居人は今日、会社の同僚の前で、巧の「ここは鹿の通り道だ」というのを真似してウケを取ったという。

 

5/8

 会社を出たら寒かった。寒かったといってもいわゆるほんとの寒さがあったわけではないのだが、日々の気候の流れというものがあるとして、そのなかにはもちろん晴れの日も雨の日もあり、いまにも降り出しそうなほどに空が低いがけっきょく雨にはならずに持ちこたえる曇りの日もあり、ほんのり汗ばむほどの陽気の日があり、首筋や二の腕に肌寒さを覚える日もある、そうやって一日たりともまったく同じ気候の日というのがないなかで、気温や天気の変化に驚かされるということは通常少ないのだが、今日の気温の低さを連休中の暖かさからの流れに配置してみると、「急に寒くなった」と珍しく驚いてしまうのもさもありなんという感じがする、そういう気候だった。

 寒いときにひとは「さむ!」と口に出しがちだが、そこからさらに、さむなんたら、というダジャレを紐付けたがる傾向がある。たとえばサムゲタンやサムギョプサル、サムスン電子と、なぜか韓国由来の言葉がすらすらと思い浮かぶ一方で、やはり根強い人気を誇るのは人名で、まずなんといってもサム・スミス、これは「寒すぎる」と音が近いので真冬に頻出する。というかサムがついていればなんでも(誰でも)よくて、サム・ロックウェルサム・ペキンパーサム・ライミ、サム・ウィルクス、サム・ゲンデル、ちょっと変化球でサミュエル・L・ジャクソンなんかもいる。

 こういうときに野球やサッカーの選手も出てくると幅がより広がるのだろう。高校のときに友だちがよくサムがつく野球選手の名前をいっていたような覚えがある。お笑いなんかを見ていても同じだが、野球やサッカー、あとプロレスに詳しいともっといろんなボケやツッコミをおもしろがれそうなのにね、という話をよく同居人ともする。そんなことを書きながら、友だちがいっていた選手の名前がサミー・ソーサだったことを思い出した。これも変化球だ。

 

5/9

 今日もやはり寒く、これがさいきんの気候の流れに正しく配置されれば「春にしては肌寒い日」という認識になったのだろうけど、昨日の日記で書いたように、昨日の寒さにびっくりして、僕のなかの気候の流れの認識というものが壊れてしまったため、今日の寒さを「冬にしては暖かい日」だと思ってしまった。季節感というものはこうも簡単にかき消される。そんな僕を現実の正しい気候の流れに引き戻したのは、木々のあまりの青さ、ようするに冬にしては木々が葉をつけすぎているということだった。

 それにしても葉があまりにつきすぎている気がする!

 たえず変わりゆく季節の景色にたいして毎年いろんなことを思う、たとえば夏が暑すぎるだとか桜がきれいすぎるだとか、冬の風呂上がりにシャツ一枚で外にごみ出しに行くほんのひとときの寒さ──特に鎖骨のあたりに来るそよ風──が心地よすぎるとか、性質も粒度も様々に異なる感想が並ぶわけだが、「木に葉がつきすぎている」というのはこれまで思ったことがなかったかもしれない。しかしこれは、またひとつ季節を感じる要素が増えたということであり、純粋に喜ぶべきだ。来年もまた「木に葉がつきすぎている」と思って、一年という時間が経ったことを実感するのであろう、その記念すべき最初の日が今日である。そして再来年も、その次の年も……、そうやって何十年も先まで毎年思い続けられたら楽しかろう。

 でも、何十年も歳を重ねたひとが木にたいして持つ感想としては浅すぎる。道で立ち止まって街路樹を見上げながら「木に葉がつきすぎている!」と叫ぶじじいになってしまうか、それとも木の名前をちゃんと覚えて、後ろ手を組んでゆっくり歩きながら「ハクモクレンが今年もたくさんの葉を揺らしているね」などとつぶやくじじいになるか、その分かれ道がいまくらいの年齢なのではないか。

 ウィキペディアによれば、スティーヴ・アルビニは十九歳頃に自身のバンド活動をスタートさせた。二十三歳頃からレコーディングエンジニアとしても歩み始め、二十六歳頃にピクシーズの『サーファー・ローザ』、三十一歳頃にニルヴァーナの『イン・ユーテロ』を録音している。いまその間くらいの年齢である僕は木を見て「葉がつきすぎている」といい、久しぶりに『サーファー・ローザ』を聴いて一音目のドラムにあらためて圧倒されている。

 

5/10

 会社の同僚のお祝いで飲み会に行き、そのままカラオケに行った。会社という空間においてはふだん歌を歌う機会というのは極端に少ないので、デスクを並べて仕事をしているひとたちが歌っているというのはそれだけで楽しい。

 

5/11

 夜明け前に帰ってきて、そろりそろりと行動していたつもりだったが寝ていた同居人を起こしてしまい、しかしありがたいことに怒る様子もなく会話して、一緒に『虎に翼』の最新話を見たりしてから、外がようよう白くなりゆく頃に眠りについた。そんでもって八時半か九時くらいに目を覚ますと、

「いい天気? もち散歩っしょ」

 と心のなかのBOSEがラップしはじめそうなほど気持ちのよい晴れ。風が少し強いか。いつかどこかで買ったアルミ製のハンガーはちょっとどこかに当たるたびに金属音が鳴ってうるさいので失敗の買い物だったかもしれないと思っていたが、ベランダに洗濯物を干したときに、今日みたいに風が強いとハンガーどうしでふれあって金属音を鳴らす、それを部屋のなかから聞くと変わった形の風鈴のようにも思えて、これはこれでいいかもしれない。

 そんなわけで洗濯などをやり、友だちと遊びに行くという同居人を見送ってからまた少し寝た。二時前頃起きて、心のBOSEがラップしていたように散歩に出ることにした。十八時半に友だちと新宿で会う約束をしていたので、それまでどこをどう散歩するか。それを考えたときに頭に浮かんだのは、ちょうど昨日の飲み会で話題に挙がった「バスっていいよね」という話で、たとえば渋谷~恵比寿~五反田を繋ぐバスは途中で目黒不動尊も通る、「目黒不動尊も通る」というのはほんとに文字どおりバスが目黒不動尊のなかの細い道を通る。渋谷から五反田へと行くのにそんなところを通る必要はないはずのだが、人びとの暮らしの要請があってそこがルートになっているのだろうし、実際そこで人びとが乗り降りする。バスには「こんなところを通るんだ」という意外性も含めた人びとの暮らしへの眼差しと、運転手の驚きのドライビングテクニックが詰まっており、バスに乗るという行為を散歩に含めてしまってもいいと僕は思う。バスというのはやはり電車の駅から発着していることが多い。渋谷もそのひとつで、前々から渋谷~阿佐ヶ谷を繋ぐバスに目をつけていたので、今日はそれに乗りに行った。

 バスはまずスクランブル交差点を出て、西武のところから宇田川町に入っていく。宇田川町といったがようするにセンター街だ。車道にまであふれかえるひとのなかをバスは進む。

 ハンズの前を通って代々木公園方面へと抜ける。公園の西端をなぞって進み、交番前で左に折れて、山手通りに合流、右に新宿の三つ子のビルが見えるところで左折する。

 そのまま甲州街道を幡ヶ谷、笹塚と進む。首都高の高架と並走することになる。高架の影と街路樹の木洩れ日のバランスがいい。

 環七通りで右に折れ、そのまま高円寺のほうへ走る。いくつもの停留所があり、大通り沿いなのですいすい進むのかと思いきや、ここにきて人びとの乗り降りはピークを迎える。

 青梅街道に当たって左折し、杉並区役所のところで右折して阿佐ヶ谷駅へ。僕は区役所のバス停で降りて、阿佐ヶ谷の南のアーケードを歩いた。

 どこかに入って本を読もうとするも駅近くのチェーンのカフェは空いてなかった、それを探す際に結果として阿佐ヶ谷の駅の周りを徘徊することとなり、どの方面も人びとの暮らしが詰まっていてとてもいいと思った。そのまま歩くといつの間に道沿いの店の名前に高円寺が入ってくるようになって、あれよあれよという間に高円寺駅前に出て、ようやく空いているカフェにはいることができた。

 やはり保坂和志『ハレルヤ』を読み進めた。

 中央線で新宿まですぐだと思って油断していたら友だちとの約束に少し遅れてしまった。友だちは中高一緒だがほとんどしゃべったことはなく、しかし話が合う気配は感じており、彼が短歌集を自主制作したいというタイミングで僕がBCCKSの使い方をLINEで教えたのもあって、お互いの本の交換がてら会うことになった。一軒目の中華料理屋は注文したすべての料理が濃くて満足しつつ、彼はもう人生において、七対三でやさしいもののほうが食べたいフェーズに突入しているらしくて、そういった意味ではやや濃すぎたかもしれない。二軒目はゴールデン街のバーで、彼の行きつけだそうで、いいところだった。映画や小説や音楽の話をした。映画や小説や音楽の話はいい。また集まろうといって解散して、帰ってきたらちょうど同居人も帰ってきたところだった。日焼け止めを塗り忘れた首の後ろが赤くなっていてかわいそうだった。「ひー」といいながら眠りについていた。僕も眠い。

 

5/12

 同居人は朝から友だちと出かけ、僕は洗濯をしてから二度寝した。昼前に目を覚ましてそうめんを茹でて食べ、ひと息ついてさてどうしようかとつぶやいたがなにをするかはもう決まっていて、散歩である。昨日のようなピーカンもいいが、散歩には今日みたいな曇り模様こそ最も気持ちがいいとする派閥も世には存在する。僕はいまのところ散歩にかんしてはどの派閥にも属しておらず、その日その日の気候を楽しみたいという気楽な姿勢で楽しんでいる、いわゆるエンジョイ勢なので、……なのでなに、ということもない。

 前々から気になっていた目黒の自然教育園に行った。庭園美術館の隣にどうも森っぽいところがあるみたいだとは以前から思っていたのだが、グーグルマップをよくよく見てみるとその森はけっこうでかく、これがすべてその「自然教育園」というやつなのだったら散歩にうってつけではないか、と、歩いて行ける範囲に何年も住んでいるのに一度も行ったことがない僕は思っていた。昨日だったら木洩れ日が美しかっただろうが、今日は今日で、たとえば今年観たバス・ドゥヴォス監督の『Here』における森くらいの、「鬱蒼とした」とまではいかないがほどよく深い森の表情というものが味わえるのではないかと予想しながら行った。実際、園内に入るとすぐに森に突入し、どの方向を見ても木ばかりがある。自然にたいしてなにかを予想して向かっていくというのはあまり風情があることではないが、それがうまくはまると、味わい方のムードのようなものを自然のなかに持ち込んでいけることとなり、散歩をエンジョイするにあたってはいい方向に働く。入り口ではひとがひっきりなしに出入りしている印象があったが、園内の広さゆえか、奥のほうに踏み込んでいくと、道の前後にひとが見当たらないほど閑散としている瞬間もあって、「人里離れた」という言葉も思わず浮かんでくる。それはやはり『Here』における森の感じも思わせる。現実には自然教育園というのはきちんと順路が整備された施設であり、まったくの自然というわけではないのだろうが、しかしそれでも倒木がそのままになっていたり、生態系が「放置」(という言葉が案内板のなかで使われていた)されていたり、手つかずの雰囲気も確実に存在していた。

 園内で聞こえるのはまずカラスの鳴き声、子どもたちの笑い声や泣き声、スズメかなにかの鳴き声、そしてわずかに葉と葉が擦れ合うような音。カラスが覇権を握っていた。フィッシュマンズの『LONG SEASON』のジャケットで三人が立っているところくらい細い道を歩いているときに、頭上で二羽のカラスが追い追われの抗争なのかじゃれ合いなのかを急に繰り広げて、思わず「うわっ」と声を出した。

 園内の植物には名札がかかっている。ちょうど何日か前に、木を見て「木」としか思えないようでは情けないじじいになってしまうと危機感を覚えたばかりだったので、今日はとりあえず木に注目して、

 むらさきしきぶ

 ひめぐるみ

 もくれいし

 まゆみ

 くろまつ

 あかしで

 ちどりのき

 くぬぎ

 やまぼうし

 あらかし

 しらかし

 きはだ

 しきみ

 あかがし

 いぬざくら

 やぶつばき

 こぶし

 がまずみ

 あおき

 すだじい

 えのき

 こぶし

 むくろじ

 はくうんぼく

 くすのき

 はぜのき

 うるし

 こくさぎ

 ねむのき

 ねずみもち

 はまくさぎ

 たぶのき

 いいぎり

 いろはもみじ

 むくのき

 さわら

 ごんずい

 あかまつ

 えごのき

 かまつか

 あわぶき

 かや

 しろもじ

 さわしば

 いぬびわ

 しきみ

 こなら

 ほおのき

 はりぎり

 あさだ

 あぶらちゃん

 つるうめもどき

 と出会った木の名前を、そのたび立ち止まってスマホにメモし、一本一本じっくり眺めてみた。

 そうやって書き留めたはいいが、どれがどんな木だったのか、日記を書いているいまとなってはまるで思い出せない。松はなんとなくわかる。しかしひらがなだと木の名前とは思えないようなものもある。「さわら」とか「きはだ」って魚の名前ではなかったか。「あぶらちゃん」とはどんな漢字を書くのだ。

 しかしとりあえず木の名前をざっと書き出すことができたのは、含蓄のあるじじいになるための第一歩としてよかった。園内は涼しくて、木に囲まれるというのはやはりいいものだと思った。それを本格的に味わうのなら山登りということになるのだろうが、日常の範囲、あるいは日常のひと回り大きな範囲で木に囲まれる場を持つことを考えると、ここを行きつけの森にするのもいいかもしれないとも思った。

 自然教育園を出てからあてもなく散歩を再開したが、白金台駅に差し掛かったときに、三田線だ、三田線といえば神保町も通ってる、と思って乗って向かった。特に神保町に用があったわけではない。古本屋で文庫を二冊買った。そのまま上野まで歩いて、公園で座ってぼーっとしているうちに六時くらいになって、電車で帰った。カミナリのYouTubeの、デヴィッド・ワイズ来日の回を見て感動したり、眠くなってうたた寝したりしているうちに同居人が帰ってきた。

草が生えすぎてておもろい不忍池

5/13

 夜、使いたいと思ったごま油が切れていることに気がついたが、もうスーパーとかコンビニとかに買いに行く感じでもなく、けっきょくサラダ油を代用したのだが、そういえば家からすぐ出たところに自販機があり、もちろんそこにごま油が売っているということはないのだが、一列に八個くらいの飲み物が並んでいるのがたぶん三列か四列ある、そうするとその自販機だけでも二、三十種類の飲み物が売られているはずで、そのうちの一個くらいごま油にしてくれてもよかろうにとも思った、しかし僕が自販機でごま油が買えればいいのにと今日のように思う機会なんてせいぜい年に一度くらいなもののはずで、僕の他にも近所のひとたちが同じことを思うとしても、せいぜいごま油は年に二十本くらいしか売れないだろう、そうなると自販機に置くには少し弱いか。自販機の横にも木が生えているが、僕はその木の名前ももちろん知らない。昨日長々とメモしたなかにあの木の名前はあるだろうか。

 

5/14

 アンビエントっぽい音楽というのは散歩のときにこそその真価を発揮するのではないかというのが僕がさいきん気づいた大きな発見である。そのきっかけは、四月にイーノ&フリップの『イヴニング・スター』というアルバムのLPを、聴いたこともないのにメンツとジャケットのよさだけで買った帰り、実際にアルバムをアップルミュージックで流し、イヤホンで聴きながら歩いたときに、夕暮れの街並みに溶けてゆく表題曲の素晴らしさに思わず涙が出そうになったことだった。僕が散歩をするときにはイヤホンをせずに歩くか、イヤホンをする場合はラジオか音楽を流すという感じなのだが、その音楽の選択肢として急浮上したのが、一曲一曲が長いインスト、あるいはそれをつきつめたアンビエントっぽいものなのであった。『イヴニング・スター』からの流れでここ一ヶ月くらいはよくブライアン・イーノを聴いた。この土日の散歩ではイーノに加えて、サム・ゲンデル&サム・ウィルクスのダブルサムの新譜や、トータスの『TNT』、そして自然教育園を歩きながら思い出した流れでフィッシュマンズの『LONG SEASON』も聴いた。そして今日の昼には会社の周りを少しだけ歩きながらジム・オルークの『バッド・タイミング』を聴いた。これがほんとにいいアルバムで、そのまま長い散歩に移行してもいいくらいの気持ちよさがあったのだが、ちゃんとオフィスに戻った。こういうその日なにを聴いたかみたいなことだけを書く日記というのもかなり大切だと思っている。過ぎ行く日々のなかで、なにを聴いて感動したかなんてことさえも簡単に忘れてしまうからだ。

 

5/15

 夜の二十二時頃まで雨が降らないという予報だったためベランダに洗濯物を干して会社に行ったのに、十八時頃に窓の外を見るとなにやら怪しげな曇り空。曇り空といっても、雨が降り出す場合と、ただ曇っているだけで雨が降らない場合がある。三十年近くも生きていればどっちなのかわかりそうなものだがたいていはわからない。でも今日の曇り空は雨が降り出すタイプの重苦しさを明らかに含んでいて、スマホで「天気」とググると──僕は一日に三度は「天気」とググる、そうするととうぜん僕のグーグルでの検索回数が最も多くなるので、スマホでグーグルの検索窓をタップすると候補の一番上に毎回「天気」が出るようになる──やはり雨が降り出す予定時刻が十九時台に早まっているのだった。

 そうなると僕が帰るまでに雨が降り始め、洗濯物は濡れる。僕はその濡れた洗濯物をもう一度洗濯しなおして、明日あらためて干すことになる。でもここは一日に何度も「天気」を検索している僕なりの余裕が少しあって、僕は明日も晴れることを知っているので、さいあく今日濡らしてしまったとしても明日があるという心持ちに切り替えることができる。もちろん濡らさないに越したことはないが、しかし十九時までには帰れない──と諦めムードでいたところ、同居人が早く帰れそうだということで、洗濯物の取り込みをお願いした。そんなわけで洗濯物を濡らさずに済んだ。ありがたかった。

 けっきょく洗濯物は濡れていないので、なにも起こっていない。こんな話も日記だから書ける。

 ついでに日記くらいにしか書かなさそうなことでもうひとつ書いておくとすると、さっきペットボトルのごみ出しに行ったときに、ついでに自販機でなにか飲み物でも買おうと思って──というと僕がごみ出しをするたびになにか飲み物を買う奇妙な浪費癖を持っているようだが、そうではなくてまったくの気まぐれとして──見てみたところ、ひときわ目立っていたのがドデカミンだったのでまんまと買ってしまった、そもそもドデカミンとはなんなのかと思って調べると、ウィキペディアによれば

ドデカミン(Dodecamin)は、アサヒ飲料が発売している炭酸飲料。"ファイトバクハツ"をコンセプトとして2004年に販売開始。

ドデカミン - Wikipedia

 ということだそうだ、販売開始二十周年おめでとうございます!

 ちなみに「ファイトバクハツ」というコンセプトからとうぜん思い浮かべられる類似商品リポビタンD(「ファイト一発」)の販売開始年は一九六二年とかなり古く、商品の歴史もウィキペディアの長さも段違いだった。というかドデカミンのコンセプトが「ファイトバクハツ」だなんて僕は知らなかった。先行している商品にあからさまにかぶせていったにもかかわらずそこまで浸透せず、栄養ドリンク的な地位も築くことができず、しかしきちんと二十年生き残っている。それはそれでとても素晴らしい。

 

5/16

 夕飯は食べたのだがなんとなく小腹が空いてしまい、はてどうしようかと考えたところ家にそうめんがあることを思い出した。家にはそうめんとめんつゆがあるはずだった。ちょうどこの前の土曜日の昼にそうめんを食べたので僕はそれを知っていた。そのときにはそうめんをただめんつゆにつけて食べたのだが、それだとあまりにもさびしかった。なんといっても薬味、欲張ったことをいえば大葉やごまがあるとよいが、それが無理でも、まず、なにはともあれしょうがは欲しい。削ったりしなくていい。チューブでいいのだ。エスビーのチューブから二センチか三センチ分のしょうがをひねり出しておちょこに投じ、かき混ぜる。黄色い繊維が琥珀色のめんつゆのなかを舞う。あれがやりたいのだ。というわけでしょうがのチューブを買うべく、会社の帰りにコンビニに寄って、調味料エリアを見ると置いてあったのはお徳用、ふつうサイズのチューブ四本分のめちゃでかバージョンだった。

 一般的にものごとはでかいほうがいいが、こと調味料にかんしていうと、一概にでかけりゃいいというものでもなくて、僕はエスビーのふつうサイズのチューブでさえ使いきれないことがしばしばだ。それが四本分ともなれば、最後の最後にブリュッと音を立てながら使いきっている姿などとうてい想像できない。四本分! それを買うということはすなわち、この夏めちゃくちゃそうめんを食いまくるということを宣言するか、あるいは不審な人物に襲われたときに目くらましとして発射するための護身用として携帯するか、その二通りしかありえないということになるが、とにかく僕はその四本分のお徳用しょうがチューブを買ってしまったのである。

 どうしたものか!

 帰宅したら炊飯器が光っていて、そういえば昨日の夜に炊いたご飯がまだ残っていたということを思い出した。なので今日はそれを食べた。しょうがチューブはまだ開けていない。しょうがでご飯はいけない。

 

5/17

 今日は激ネムのため寝る。

 

5/18

 昨日は『恋するプリテンダー』を観た。基本的にはアホなことしか起きていないのにやたらとテンポがよく、やたらと美しい瞬間もあったりして、とても楽しく観ることができた。登場人物それぞれの事情はほのめかしつつ、テンポが悪くなりそうなのであれば(あるいは、物語であっても個人の事情にはむやみに立ち入らないという主義ゆえにか)詳細には描かない。そんな時間があったらハプニングを描くことに費やす。心や身体が強く揺さぶられる瞬間を映す、という映画の原則にきちんと則っている感じがあって、気持ちのいいラブコメだった。次の日にほとんど余韻が残っていないのもいい。

 というその次の日である今日はまず同居人が午前中に美容院を予約していて、僕も家にいてはだらだらするだけだと思ったので一緒に家を出て、同居人を美容院まで送り届け、しかしその美容院がどの駅からも微妙に遠い場所にあったために近くに時間をつぶせそうなカフェっぽい施設がなく、しばらく屋外をさまよった。天気予報によれば今日はたしか二十九度近くまで気温が上がるはずの日で、おとといだったか、二十五度くらいの日にもなかなかに暑さを感じて、来たる夏におののいたばかりだったので、二十九度という今日の気温をどう感じてしまうのか興味半分怖さ半分という心持ちだったのだが、いざ外を歩いてみると、たしかに日差しも二十五度のときより強いし汗ばむのだが、不思議とこれはこれで受け入れられたというか、これが昔のJ-POPで歌われていたように「カラダが夏にナル」ということなのかもしれないと思った。僕のカラダはもう夏にナッたのだろうか。心のなかを探ってみると、たしかに僕はもうこの五月中旬という現在を春だとは思っていないのであり、しかしかといってもう夏であるというつもりがあるわけでもなかったのだが、カラダは正直だということかもしれない。

 さまよった末にけっきょく最寄り駅のほうに戻ってカフェに入って千葉雅也の『勉強の哲学』をようやく読み終えた。

 美容院を出た同居人と合流。かなりいい髪型になっていた。今日の夜はBLUE NOTE PLACEで三週間前くらいに予約したレゲエの演奏を聴く予定があったので、その前に『ボブ・マーリー:ONE LOVE』を観ておこうという話になり、うどんを食べてから観に行った。映画自体はどうにもテンポがあまりよくない感じがしたが(ためてためて最後に帰国後のコンサートを描くところがクライマックスなのかと思いきやそこをやらずに終わってしまったので拍子抜けした)、ボブ・マーリーのことやレゲエの精神を学べたのと大音量で曲が聴けたのはよかった。一度帰宅してから、わりと近所にあるのに一度も行ったことがなかったBLUE NOTE PLACEへ。今日はジャマイカ出身のMacka Ruffinというレゲエミュージシャンの演奏で、正直そのひとのことを知っていたわけではなく、前々から一度行ってみたかったところにちょうどレゲエという盛り上がりそうなプログラムが組まれたのでいいチャンスとばかりに予約してあったのだった。しかし映画を観たあとでは「レゲエは盛り上がりそう」なんて軽薄なことばかりをいっているわけにもいかない。実際盛り上がる音楽であることに間違いはないのだが、そこには多分に宗教的・政治的要素も含まれることを忘れてはならない。

 演奏はかなりよくて、端的に、やっぱり生演奏ってちゃいますね、という感想を持った。Macka Ruffinは日本歴が長いということもあって日本語も交えながらの盛り上げが非常にうまく、終盤にかけて客席の手拍子も徐々に大きくなり、Macka Ruffinも元気よくステップを踏む、ドレッドヘアをぶん回す、ボブ・マーリーの曲もふんだんにやる。レゲエという音楽はやはりベースとドラムがかなり重要で、演奏中に次のタメを何回にするかを指で合図していたのがかっこよかった。

 帰ってきてからは『THE SECOND』を追っかけで見たが、途中で同居人が疲れて離脱したので僕も停止して寝る。

 

5/19

 以前同居人がYouTubeで見つけた、ハリセンボンの二人が藤井隆にガイドされながらシズラーのモーニングサラダバーを体験するという動画を僕も何週間か前に見て以来いつか行ってみたいと思っていたのだが、今日ちょうど同居人が友だちとシズラーに行くというので、少し申し訳ないと思いつつ僕も同行させてもらった。シズラーはロイヤルホスト系列の最高のレストランっぽいのだが、僕はこれまで聞いたことがなく、それもそのはず、店舗数はロイホよりも遥かに限られる。都内にも店舗はあるのだが、今日はみなとみらいにまで行った。そんなわけで早起きをした。

 桜木町駅からコンコースの動く歩道に乗って、ランドマークタワーに向かう。その一階にシズラーはある。同じフロアには他にも飲食店があって、たとえばコメダ珈琲の和風の業態、その名も「おかげ庵」というのが入っていたりしてモーニング激戦区となっている。

 シズラーサラダバーメモ:シーフードサラダはカニカマがかなり入っていてうれしい。ヤングコーンがあってうれしい。注文時に一枚八十円でプラスできるチーズトーストがうまい。オニオンスープはコンソメがしっかりきいていてロイホを彷彿とさせる味。グリーンゴッデス(Green Goddess)というかっこいい名前のドレッシングがある。タコスコーナーがあり、アボカドのクリームもあってうれしいが、盛りすぎると飽きる。ジャワカレーがうまい。ビーフカレーもうまい。ボロネーゼもうまい。カフェラテがうまい。ただしコーヒーマシンは抽出に時間がかかるため、後ろにひとが並ぶと圧を感じてしまう。僕が遅いんじゃなくて、マシンの都合で時間がかかっているんです、ということを伝えるために、ほんのり片足体重でマシンの進捗をしっかり凝視する必要がある。ちっさいプリンがうまい。パンケーキもうまかったらしい。

 満腹状態でシズラーを出て、海沿いを散歩してから電車に乗った。早起きだったのもあって、電車では寝た。電車で寝るのはなんだか久しぶりだった。電車で寝るとき、顎を上げるか下げるか、ひとはだいたい二通りに分かれるが、僕は昔から顎を下げる、そうすると寝ているうちに首筋にほんのり汗をかいたりする、その感じが懐かしかった。そのまま僕は帰宅せずに文フリに行った。モノレールは何度乗っても楽しい。しかし今年の秋から東京の文フリは有明ビッグサイト開催になることが発表されているので、そうなるともう流通センターには用がなくなってしまうし、モノレールに乗る機会も減るだろう。と思ったがビッグサイトにはゆりかもめが通っていて、そちらはそちらで楽しいだろう。文フリでは、いぬのせなか座や、会社の先輩が寄稿している文芸誌のブースに行きつつ、ふらふらしているとどくさいスイッチ企画さんがいて、思わず話しかけた。すごく物腰の柔らかい方だった。落語台本集を買わせていただいた。あと少し回っているうちにお金がなくなってしまったので早々と退散した。文フリへの行き帰りではビリー・アイリッシュの新譜を聴いた。横綱相撲という感じがしてよかった。

 最寄り駅まで戻ってドトールで読書。そのあとネイルを落としてきた同居人と合流してスーパーで買い物して帰宅し、夜ご飯を作って食べ、『THE SECOND』の続きを見、入浴、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を途中まで復習し、日記を書き、寝た。

 

5/20

 僕たちの部屋はアパートの三階にあって、たかが三階でも最上階であるために雨天時には屋根に雨が直接降り注ぐことになる。しとしと降る雨のときにはその音が心地よいのだが、土砂降りになると、まるでアコースティックギターのごとくこの部屋のなかで音が増幅されているのかと思うくらい、雨の音が激しく響く。その音はどうもここさいきんで大きくなってきているようにも感じられる。同居人の説によれば、天井が徐々にえぐられて薄くなっているのではないかということだそうで、実際、昨日の夜の雨もうるさかったようだ。僕は覚えていなかったけど、夜中にはあまりのうるささで僕も同居人も一度目を覚ましたそうで、それを朝になって覚えているにしろいないにしろ、そういう形で夜中に一度起きてしまったような日の朝というのは頭が痛くなっていがちで、今日はそれに加えて、雨や気圧の影響なのかはわからないが発熱する夢を見た。現実には熱はそこまで高くはなかったのだが、頭痛がひどかったため会社を休んだ。午前中は寝て、午後も寝たり、昨日の文フリで買った友田とん『先人は遅れてくる パリのガイドブックで東京の町を闊歩する3』を読んだりした。夜には同居人と『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の続きを観た。あまり遅くまで起きていてもよくないのでもう寝る。

 

5/21

 寝苦しい感じがあって、夜中に何度か目を覚ましたかもしれない。何度か目を覚ましたような気がする。何度か目を覚ましたのではないかというような、しっかり眠りきれなかった感覚がなんとなくあって、今日も起きたら頭が痛かった。

 午前中は寝て、起きて、昨日の味噌汁の残りとご飯を食べ、しばらくしたら少し散歩に出た。図書館に行って千葉雅也の『エレクトリック』を借りた。千葉雅也の小説は前の『デッドライン』と『オーバーヒート』がどちらもとてもよくて、千葉雅也いわく『エレクトリック』をもって三部作となっているとのことだそうなので、文庫化したら買おうと思っている、という話でちょうどこのまえ友だちと意気投合したのだが、今日図書館に行ったらたまたま置いてあってせっかくなので借りた。というかべつにもう単行本で買ってしまってもいいと思っているのだが、前の二冊を文庫本で揃えているので、どうせだったら文庫になるのを待とうという、変な「どうせだったら」が働いている。今日図書館で借りた単行本の『エレクトリック』を読んで、たぶんあと一年か二年経ったら文庫になると思うので、そしたらまた買って読むのだろうな、と思わせられるようなよさが、いまのところ読んだ部分までは続いている。まさにエレクトリックな、電気的な連想による文の連なりが、テンポのよい改行のリズムと共に身体に心地よく入ってくる感覚がある。

健康的なお弁当に似た色合い

 さいきんは散歩をするときに木々をよく見るようにしているのと、空気を思いきり吸い込むようにしている。いまの季節は特に、草のにおいとでもいうべきものが充満していて、それを吸い込むだけでうれしくなる。しかしもちろん草のにおいだけではなくて、たとえば排気ガスのにおいとか、なにかが焦げたようなにおいとか、ゴムのにおいとか、いろんなにおいが道には漂っている。排気ガスのにおいは、車に乗ったいろんな記憶を思い起こす。車で海に行きたくなる。

 においの持つ喚起力は強い。二、三年前とかには外でもマスクを付けて歩いていたりしていたので、その時期の記憶というのは他の時期と比べて、においによって呼び起こされることがやはり少なくなるのだろうか、とも思った。

 夜はオニオンスープを作って、冷凍のロールキャベツと合わせて煮込んだりした。「同居人の説によれば、天井が徐々にえぐられて薄くなっているのではないかということだそうで」と昨日の日記には書いたが、同居人はそんなことをいった覚えはなく、むしろ二人で外を歩いているときに僕がそれをいって、いいながら周りをキョロキョロ見ていたので、他の家の屋根でもチェックしているのかと思ったそうだ。僕は自分がいったことを同居人がいったこととして記憶して、それを日記に書いたということになるが、仮にこういうことが他にも起こっているのであれば、この日記は記録としての意味を成しておらず、創作に近いということになってしまいます。

 

5/22

 ここさいきんでの行事のなかでは「Apple Music 100 Best Albums」がアツいということを友だちがいっていて、たしかに連日十枚ずつ発表されているそのランキングには通常のいわゆる名盤ランキング的なものとは異なる独自性──あまりに米英のポップミュージック中心すぎるが選定基準もわからない以上そんなことを真面目に議論してもしょうがない──が感じられ、それを見ながらやいのやいのいったり、今日の時点で残すはトップテンのみとなったその残りを予想するのも楽しい。ビートルズは『リボルバー』が中盤に入っていたが、たぶんもう一枚、おそらく『アビー・ロード』か『サージェント・ペパーズ』が入るだろう。『ラバー・ソウル』か『ホワイト・アルバム』が入ったらうれしいけど。あとはたぶんケンドリック・ラマーとフランク・オーシャンとマイケル・ジャクソン……、あれ、ブライアン・イーノとかエイフェックス・ツインとかって入ってないんだっけ? しかし彼らがトップテンというのは考えにくい、となるとスティービー・ワンダーがもう一枚か、あ、ニルヴァーナか。みたいな話があるなかで友だちは本命でクイーン、大穴でアバが入るのを予想していたが、結果どちらも入らず。一位のローリン・ヒルにたまげた。

 五月中旬という中途半端な時期に、確たる理由が明かされることなく、連日十枚ずつカウントダウン方式で発表される、というその形式に行事の雰囲気があって楽しかったのだと思う。

 そんな話などを友だちたちとして、楽しかった。

 ところで同居人は今朝、暗闇ボクシングの体験に行っていた。ひとりひとりにブースのようなものが与えられ、音楽に合わせて目の前のリズムパッド的な形状のものをパンチするというプログラムで、真ん中にインストラクターっぽいひとが立っているのでそのひとの動きを真似するのかと思いきや、そのひとはただ盛り上げたり喝を入れたりするパフォーマーという役目のひとだったそうで、同居人はどんなふうに動けばいいのかよくわからないまま、とりあえず薄暗いスタジオのなかで目をこらして左右のひとの動きを真似て、しかしプログラム中にはフリータイムもあったので、とにかく目の前のパッドをしきりにパンチしてへとへとになったらしい。それを今日の出勤前にやっていたのですごい。

 しかし、今日みたいな初めての空間における立ち振舞いや作法が、加齢とともにだんだんわからなくなっていくのではないかという、身体とか健康とかとは別の部分での不安も抱いたそうで、たしかにそれは僕も怖いと思った。そういうことがわからなくなっていって、しかし周りのひとに訊ねることもできず、ひとりで「おい、わかんないよ!」と怒鳴るじいさんになってしまったらどうしましょうか。

 

5/23

猫が飛び上がる瞬間を激写

hellogoodbyehn.hatenablog.com

 

5/24

 夜、お腹が空いたおりに台所をさまよったところ、炊飯器のなかに白米が残っているのを発見! 十分後、空になったジャーを洗いながら深く後悔……

 

5/25

 昨日は同居人が会社のイベントがあってそのあとそのまま飲み会になったとかで帰りが遅くなって、しかし金曜日の夜だったし『虎に翼』の最新話を一緒に見たいしで僕も起きていて、同居人はけっきょく夜中にタクシーで帰ってきてたいへんそうだった。『虎に翼』は相変わらず素晴らしい。脚本や俳優陣の演技の素晴らしさももちろんなのだが、日常のなかに戦争が入り込んでくる際の、淡々、とさえ思えるほどの演出や、それをさらに際立たせる尾野真千子のナレーションがすごい、今週は特にそれを強く感じた。太賀もすごくいい、というか太賀はいかにも太賀っぽい感じをやっていて、昨日の笑い泣き、泣き笑い、どっちだ、泣きながら笑っているのだから泣き笑いか、あれはまさしく太賀の真骨頂というべき趣があって、見ている僕も涙ぐまされてしまった。

 今日は仕事だったので朝早めに家を出た。今日の仕事は楽しかった。仕事の内容を直接書くのはちょっと違う気がするので、今日やった仕事とちょうど同じくらいの楽しさがありそうなことでたとえてみると、オリジナルのサイコロを作ってみましょう、というようなワークをやった。サイコロというと、なにか連続性や規則性を持つ数字を選ばなくてはならず、かつ、対面どうしの数字の和は常に一定でなければならないというルールがあって難しそうですが、今日はそれはいっさい無視して大丈夫です、自由な発想で作ってみてください、というような形でサイコロマスターの先生が教えてくれたのだが、自由な発想で、というときには必ず「センス」が求められる。数字は小さすぎても大きすぎてもつまらないし、発想を飛ばして、たとえば小数点以下を設けるのも、最初のうちは楽しいが程度が過ぎると白ける。そういう感覚についてもみんなで話ながら、各々のサイコロを完成させた。

 どうしてサイコロの話なんかをしているのか。たとえがうまくはまらなかった。でももう書いてしまったのでしょうがない。

 同居人は夕方からまた暗闇ボクシングに行っていた。「暗闇ボクシング」という言葉がおもろい。そのことは同居人も感じているそうで、ひとと話しているなかで「運動とかしてます?」というような話題になった際に

「いや、ぜんぜんしてなくて、……でもさいきん暗闇ボクシング始めました」

 と答えるとウケるということでここ一週間重宝したらしい。ウケるから、というのも続ける一因になるのであればそれはそれでよい。

 その同居人と合流して、銭湯に行ってから、ふと気が向いてしゃぶしゃぶ温野菜へ行った。しゃぶしゃぶ温野菜には二人とも初めて行ったのだが、「なんか楽しい」ということで見解が一致した。

 

5/26

 僕も同居人もなぜか六時に目が覚めた。カンヌのパルムドールショーン・ベイカーが獲っていて、僕は『タンジェリン』も『フロリダ・プロジェクト』も好きなのでうれしかった。特に『タンジェリン』は、一度パソコンの小さい画面で観ただけなのだけど、二〇一〇年代の個人的ベスト映画ランキングに入りうるくらいよかった記憶があって、──なんてことを思い出しているときに、そういえば『レッド・ロケット』観てないね!という話になり、朝から観た。

 かなりおもしろくて、映画館で観なかったことを後悔した。急にクローズアップするカメラワークに笑わせられてしまう。異様にテンポよく切り替わっていくカットのなかには話の本筋には関係のなさそうな──自転車で水たまりを切って楽しそうに進む、家の軒先で大麻を吸いながら犬に話しかける、などの──短い場面も含まれていて、それらはなにかを暗示するために効果的に配置されているというよりは、主人公やその周りの人びとが実際に〝いる〟と思えるような、ドキュメンタリー的な手ざわりを持つものとして差し込まれているようにも感じられる。そういうカットこそがショーン・ベイカーの映画だという気すらしてきて、そこに映る人びとの来し方や行く末にも自然と想いを馳せた。

 そのあとは選挙に行ってからガストに行ってモーニングを食べた。午前中から暑くて、だるくて、帰ってきてから同居人は寝転がりモードになってしまった。僕も寝転がろうとしたら、なぜかだめだといわれ、仕方なくぼーっとテレビを見たりした。午後はコミティアへ。友だちが出ているので行って、しゃべって帰ってきた。その友だちの漫画は僕もネームの段階で一度拝見させてもらっていたのだが、当然なのかもしれないがネームと完成品では印象はまるで違う。一ミリ、いやもしかするとコンマ一ミリ単位で線がずれれば印象はそのたび違っていくのだろう。そのすさまじく繊細な営為のはるか果てに出来上がったのが今日僕が手に取った漫画なのだろうし、世の漫画家といわれるようなひとたちは皆それをやっているのだと思うと恐ろしくなってくる。

 帰宅してやはりしばらくだらだらしたのち、夜になると同居人も少し元気が出たというので一緒に外に出て日傘や服を新調したりした。夜はそうめん。かねてよりそうめんを馬鹿にしていた同居人だったが、めんつゆとオリーブオイルや黒胡椒を混ぜてトマトとツナを入れる、ツイッターで見たというレシピは気に入ったようで、「夏、ずっとこれでいいね」とまでいっていた。

 

5/27

 目が覚めて、起き上がるまでもなく頭ににぶい痛みを感じた。

 今日から雨が降って、明日には「警報級の大雨」になる。たしかそういう予報だった。目を開ける直前にもベランダや屋根で雨が弾けるような音が聞こえていたような気がした。でもそれは気のせいで、家から会社までの風景のどこも濡れていなかった。

 しかし空はすき間なく曇っている。

 いつ降り出してもおかしくなさそうな空からいっこうに雨が降り始めないまま、スマホで天気を調べるたびに傘マークの時間帯は後ろ倒しされてゆく。頭の痛みがいつまでもあって、今日は早めに会社を出た。首筋をなでる風はやはりほのかに雨の気配を含んでいたが、そのいっぽうでどこか乾いたような過ごしやすさもあって、もう今日は雨は降らずに終わるのではないかと思った。調べるとやはり傘マークはさらに後ろ倒しされていて、今日中に降らないどころか、明日の朝まで曇り空が続くことになっていた。

 夜、散歩に出たときにはむしろ晴れているくらいだった。

 頭痛は夜にかけて少しずつ引いていった。また明日の朝起きたときには痛くなっているのだろう。そういうことを思うから痛くなるのかもしれない。そもそも今日の頭痛だって、昨日の夜に天気予報を見て、雨が降るらしいと知ったからこそ、身体が勝手にそれに反応して頭を痛くしにいったのかもしれない。ようするに、頭が痛い→雨が降る、ではなく、雨が降るらしい→頭を痛くしよう、という方向で物事が動いている。自然発生的な頭痛というよりは、人為的に引き起こされた頭痛。そんな可能性を感じながら、頭痛薬を飲んで寝る。

 

5/28

 大雨と聞いていたが朝の時点ではまだぱらぱらと降る程度で、昼に会社の外に出てみたときにもまだ小雨だったが、その時点でたしかに湿気はやばくて、夜にはやはり大雨になった。こんな日に限って、家のトイレットペーパーとティッシュが切れかけていることを思い出し、帰りに買って、大荷物で家路を急いだ。明日でいいかとも思ったが、トイレットペーパーは今朝の時点であと二回分くらいしか残っていなかったので今日買わざるを得なかった。昨日思い出していたなら、傘をさす必要なく、もちろん濡れることもなく、悠々と買って帰れたであろうに、どういうわけか今日まで思い出せなかったのだ。というか、前回も土砂降りの日に買ったような覚えがある。そうなるとむしろ大雨の日だからこそ思い出したという可能性もある。大雨が降っている→トイレットペーパーを買って帰らなきゃ、という謎の連想が働いている可能性。

 昨日の頭痛だって、実際の気圧変化によって引き起こされたのではなく、雨が降るらしい→頭を痛くしよう、というメカニズムによって発せられたものだとしたら、それもやはり謎の連想のひとつということになる。

 しかし日々の生活というものは、そういう謎の連想ではなく、本来もっと適切な予想や賢明な判断によって成り立っているものであるべきで、トイレットペーパーもほんとうだったら、トイレットペーパーがなくなりかけている→トイレットペーパーを買い足そう、という判断でもって昨日や一昨日に買うとか、あるいはもっと余裕をもって一ダースは家に常備されているとか、そういうふうに万全を期していくというのがあるべき姿であろう。生活していくということは、基本的に、予想の精度を高めていくということに他ならない。明日は雨が降るだろう→洗濯物を外干しするのはやめておこう、みたいな基礎編から、この麦茶のパックはまだ使えるかもしれない→もう一回水を補充して一晩置いておこう、みたいな中級編、そして僕はまだ出会ったことがないがきっと応用編というのもあるのだろう、そういう様々な予想が日々繰り返され、予想どおりにいくとうれしい、それが生活というものだ。

 でも、生活のなかで、予想が外れることが快感に繋がる局面というのもある。その代表的なものとしては、当然ながら散歩がある。「こっちに行ったらあの道に繋がるのだろう」という予想にたいして、「思ったとおりこの道に出たね」という結果に落ちつくのか、それとも「おっと、こっちに出るのか」とひとりごつのか、どちらがうれしいかといえば後者だろう。「今日は涼しいから長袖でいいだろう」と外に出て、「なんだこれ、暑いじゃねえか!」と汗だらだらになったとしても、そのまま歩き続けるうちに身体全体にどこか心地よさが充満してくるだろう。そうやって予想が外れるたびに楽しくなっていくのが散歩というものであり、生活における特異点だといえる。でも、特異点であるはずの散歩が、生活の他の局面に染み出していく場合というのもある。というか実際にはそんなことばかりで、よくないとわかっているのにやってしまう、とかも散歩の派生なのかもしれない。明日に響くとわかっているのに夜更かししてしまう、とか。

 そういう散歩的態度の果てにあるのが、今日の僕みたいに、大雨が降っている→トイレットペーパーを買って帰らなきゃ、という謎の連想が働いてしまうパターンなのかもしれない。どうしてこんなことが起きるのかといえば、そもそも、トイレットペーパーがもうすぐ切れるだろう、という予想をしていないからだ。予想をせずに生活を送っている。生活の質を高めようという方向に身体や頭が動いておらず、予想すらせずにのうのうと過ごしている。これは散歩でいうと、こっちに行ったらあの道に繋がるだろう、という考えすらなしに、なんかいい風吹いてるからこっちに行こう、とぼんやり思っている状態である。でも、そういう散歩にこそ憧れますもんね。

 

5/29

 家の近くに、ビルなのかマンションなのか、なんらかの建物が建てられつつあって、毎日その前を通ることとなるのだが、着々と工事が進んでいるその建物のなかにエレベーターが設置されているのがいまの段階では外からも見える、そのエレベーターには既に階数の表示が点っていて、数日前には「1」と表示されていたその表示が、次の日には「2」、次の日には「3」、そして今日見ると「5」になっていて、一日一階ずつ高くなっていっているようなのだ。それだけの話なので、今日も見てみて数字が増えていなかったらこんなこと書かないつもりだったが、「5」になっていたので書いた。

 

5/30

 ここ数日ちょっと忙しそうにしていた同居人は、溜まっていた仕事のひとつが今日の夕方に片付いたそうで、今日は早めに帰ってき、僕も連れ立って焼き鳥を食べに行った。それから疲れたのか帰宅してからしばらくぐったりしたのち、録画していた『虎に翼』の最新話を見て、ずびずびに泣いて、「これ、みんな朝見てから出社してるの?」と鼻声で述べていた。しかしそのとおり『虎に翼』はやばくて、僕も泣いた。

 

5/31

 インドで働いている友だちが一時帰国したらしく、久しぶりに会おうということで、もうひとり、紆余曲折あっていまは幼稚園の園長先生をやっている友だちが音頭を取ってくれて、三人で仕事のあと集まった。二十一時半スタートという稀有な焼き肉だったにもかかわらず、僕は遅刻してしまった。

 インドで働いている友だちも園長先生もサークルの同期だ。園長先生は休みの日にはまだアメフトをやっているが、体力の衰えを感じてもいて、いまは毎日漢方を飲んでいるらしい。園長先生と漢方は容易に結びつくが、園長先生とアメフトはそう簡単には繋がらない。そこが彼のおもしろいところだ。インドの友だちはインスタには猫や木々や自分がレスリングかなにかをしているシーンばかり投稿しているので、もう仕事をやめて旅人にでもなったのかと僕は思っていたのだが、どうやらふつうに働いているらしい。「そりゃ仕事はインスタに上げんからな」といっていて、たしかにそのとおりだと思った。インスタに上げている猫や木々だけがそのひとのすべてではない。あと、レスリングではなくてジュウジュツであるとのことだった。あと、実際にはインドでは猫より犬のほうが多く見るし、さらに多いのが牛だそうだ。ふつうに道に牛がいる。野良牛。インドではやはり牛は大切にされているということなのだろう。そのインドで暮らしている彼が日本に帰ってきた今日食べたのがラーメンと焼き肉だそうでウケたが、僕も同じ状況だったらそうするかもしれない。

 あと、インドは気温がまじでやばいらしく、今週は首都デリーで四十九度を記録したらしい。そうなるとちょっと外を歩けば肌がチリチリするそうで、「もうサウナにずっとおる感じやねん」といっていた。「サウナにずっとおる感じ」というのは、僕が去年の夏頃、友だちとサウナに入った際の「このまま毎年気温が上昇していったらふつうに外がサウナくらい暑くなるのではないか」というほんとに恐ろしい会話のとおりの状態で、あらためて怖くなった。

 僕が注文を考えるときに変顔をしていると、インドの友だちが「いまそれどういう感情なん?」と聞いてきて、いっきに懐かしくなった。彼は大学生のときにもよく僕に「どういう感情なん?」と尋ねた。それがいま数年越しに繰り返されたということになる。

 そのあと、僕が毎日日記を書いているという話をしたときにも「今日どういう感情だったのかも日記に書くん?」と尋ねてきて、それは書いたり書かなかったりでしょうに、と答えた。結果、いまこうやって懐かしくなったと書いている。

 園長先生も園長先生で、ドリンクを注文するときに「どれもひとつずつで、◯◯と◯◯と◯◯をお願いします」と先に個数をいう感じがいかにも彼の表現だという感じがして、それも懐かしくなった。

 いっきに懐かしくなったところから、サークルのみんなの話や、大学生の頃の話をした。あの頃の僕たちは部室でニンテンドー64のマリオテニスを延々とプレーしていた。僕たちは朝練のあと、夜になるまで、何度も「あと一回やろう」を唱え続けた。それがほんとに楽しかった。その後何年か経ってから、僕の心にあの時間が無駄だったのではないかという疑念が襲来したが、あの時間なくしてはいまの僕はない──じっさい、留年することもなかったかもしれない──といまでは非常に肯定的に捉えている。なんの因果もないはずなのだが、僕がいま散歩や小説が好きなのも、映画が好きなのも、あのマリオテニスがあったからだという気がなんとなくするのだ。

 帰宅して同居人と話した。同居人は僕のインドの友だちのインスタのファンなので、彼が今後は牛もアップしていくといっていたことを伝えると喜んでいた。ふたりで『虎に翼』を見た。今日はオープニングの入れ方がかなりかっこよくて泣いた。

20240523(アレ、近づいてるっすよ)

5/23
 てかこれ今日気づいてまじでやばかったんすけど、あーどうかな、やばいってほどじゃないかもなんすけど、どうかな、昼間って太陽昇るじゃないすか、で、夕方、沈むんすよね、で、僕の働いてるオフィスのビルってまあまあ高くて、まあまあ高いってか、ここらへんだと他に高いビルがあんまりないってのもあって、なんていうんすかね、なんか「屹立」って感じで立ってるんすよ、ビルがね、でね、だから、オフィスの窓からまあまあ遠くまで見えるんすよ、あ、てか、まずビルがまあまあ高くて、そのなかで僕の会社のオフィスもまあまあ高い位置にあるってのもあって、窓から遠くのほうまで見えるって話なんすけど、この説明いらないすかね、そうなんすよ、それで、遠くのほうまで見えるんすけど、そうすると、僕がいるビルからしばらくは住宅街が続いてて、離れていくにつれだんだん建物が高くなってって、いや、だんだんって感じでもないすかね、けっこういきなり高くなって、そうなるといつの間にビル群が出現するんすよね、なんかまじで絵本みたいな感じでビル立ちまくってておもろいんすけど、あ、てかそれでいうと東京っておもろくて、電車とか乗ってると思うんすけど、なんか山手線とかすかね、駅の周りってやっぱ高い建物が多くて、駅と駅の間って低い建物、てか住宅街っすよね、なんかいかにも家々、って感じになってて、だから電車乗ってると、駅らへんはビル群、駅と駅の間は家々、って感じで、なんていうんすかね、なんか、なんすかね、特にいいたとえは出ないんですけど、なんすかね、グラフにするとすごい波打ってる感じになるっていうか、違うな、なんか違いますよね、グラフにしないですよね、なんすかね、まあいいや、でも山手線だとそんな感じですけど、たまに中央線とか乗るとやっぱ違うっすよね、駅と駅の間はもちろん家々なんすけど、それもなんとなくマンション少ないっていうか、電車から遠くまで見えるんすよね、で、駅らへんもそんなに高くないっていうか、なんか開けてるって感じがするんすよね、あ、でこの話ちょうど昨日あれだ、中央線沿いに住んでる友だちに聞いてみたらやっぱり、そうっすよ、やっぱ空広いですよ、ってね、やっぱ中央線沿いっていいよなーって思いましたね、でね、僕のオフィスビルの話ですよ、そのー、窓から向こうのビル群が見えたりしてね、で、うちのオフィスって、あれちょっと東向きなのかな、北東かな、北東かなたぶん、北東のほうに窓がついてて、だからあれっすよね、西日はあんまり見えないんですけど、でも西日の、あのー、照り返しっていうんですかね、照り返し? 照り返しでいいのかな、西日がね、向こうのビル群に当たって、夕方になるとビル群が光るんすよ、それ見るとなんか文明、って感じがして、なんかこれはこれでいいなーっていうか、いいんすよね、浅いっすかね、浅いんですよ僕、でもすごい光ったりしてね、でもあれなんすよね、季節によってはその照り返しがすごくて、ちょうど僕のオフィスのほうに光が射し込んでくるんですよ、まじで直射日光って感じで、いや反射してるから直射日光じゃないんですけど、でもそれくらいの勢いっすよ、まじで眩しいときありますからね、だって向こうのビル群とうちのビルってたぶん二キロくらいは離れてますよ、二キロ、三キロかな、一キロってことはないっすよ、そんな離れてんのに、まじで直射日光が射してくるんすよ、で、そういうことっすよ、ビル群が光るんすよね、それで、あ、今日も光ってるなーなんて思いながら見てたんすけど、でもね、時計見たらびっくり、何時だったと思います? これね、ほんとびっくり、まじで何時だったと思います? これね、六時過ぎてたんすよ、六時って、十八時っすよ、やばくないすか? だってあれですよ、冬とか、二時くらいにもう光ってることありますよ、二時とか、三時とかかな、まだ昼休みからちょっとしか経ってないのに、あれもう夕方? なんて思いますよ、冬とか、それが、今日ビル光ってるの、六時、十八時っすよ、やばくないすか、で、ビルだけじゃないすよ、向こうのビルのね、周りの空とかもピンクいんすよ、ピンクってか紫ってか、夕焼けっすよ、十八時でまだ夕焼けっすよ、え、やば、って思って、どんだけ日長くなってんだよー、って思いますよね、夕焼け、やばかったですね、いったん外出ようかなって思いましたもん、出なかったですけど、あー、出てもよかったっすね一回、見たほうがよかったかも、まあでも土日とかに見ればいいかってなって、出なかったんすけど、でもまじで日長いっすよね、でね、これ、もう一段やばくて、いまって何月だと思います? 何月何日すか? いまね、五月二十三日なんすよ、これね、なんだと思います? 気づきます? これね、あと一ヶ月で夏至なんすよ、夏至っすよ、一年で一番日が長い日、あと一ヶ月っすよ、早っ、て思いません? まじでいつの間に、いつの間にっすよね、てか、そうなるといまの時期って、一年でもまあ日が長い時期なんすよね、そりゃ十八時でも夕焼けっすよ、まじで、季節の変化、さりげなさすぎっすよね、てかまじで毎年夏至っていつの間にすぎますよね、さりげなさすぎっすよね、去年とか気づいたらもう過ぎてましたもん、びびりますよね、今日もびびりましたけど、でも今年はまあせめて一ヶ月前にこうやって気づけてまじでよかったです、いや、ほんとはここで、まじで三十歳とかももうまじですぐっすよね、みたいな話に繋げてもいいんですけど、なんかそれ違うっすよね、天気の話だけでいいっすよね、天気の話、好きなんすよ。

二〇二四年四月の日記

4/1

 昨日の「Fit Boxing」の成果としての筋肉痛。特に僧帽筋上腕三頭筋がやばい。背中ばかり痛くなっているこの状態が正しいものなのか、それとも本来ならばもっと全身に効いているべきはずのところを、腕しか使えていなかったがためによくない形で筋肉痛になっているのか、どっちなのかがわからない。インストラクターのベルナルドに聞けばいいのか。しかし画面のなかのベルナルドは僕が背中の痛みをうったえても「どうするんだ?」としか返してくれない。「どうしたんだ?」ですらないのがやばい。

 今日もまあまあ仕事をしてから帰ると、同居人の弟くんが遊びに来ていた。今日から社会人だということで、勤務地はこちらではないのだが、まずは研修があるため今日から一ヶ月間東京らしい。僕が使っていないスーツの上下を貸してあげた。弟くんは信じられないくらいすらっとしているので、僕のスーツだと袖がどう見ても短かったが、「なんかバンドマンみたいでいいですね」とのことで、よくわからなかったがいいとのことなのでよかった。年上はよくわからない感じで褒めておけばいい、という若者なりの処世術である可能性もあるにはあったが、そんなことないだろうと思わせる素直さが彼にはある。しかしその素直さが危なっかしくもあって、困ったらすぐに来なさいね、と思いながら駅まで見送った。夜はやけに涼しくて、お腹が痛くなった。トイレに行きたくて家まで早足で歩くところを、後ろから同居人が笑いながらスマホで撮影していた。

 

4/2

 夜、会社を出たら、スケボーを持った少年五人組が警備員に先導される形でビルの敷地から追い出されていた。少年たちはおとなしく従っているように見えたが、僕はそのときイヤホンをしていたので、彼らが実際にはめちゃくちゃ悪態をつきながら歩いていたとしてもわからない。

 

4/3

 今週から始まった朝ドラ『虎に翼』がおもしろい。録画していたので、夜、同居人とここまでの三日分を見直した。僕はいまのところ欠かさず朝に見ることができているので二回目。同居人は朝起きることができていないので初見だったが、「おもしろいね、なんで朝起こしてくれなかったの」といっていた。僕は毎朝二回か三回くらいは声をかけているので(「そろそろ朝ドラ始まるよ」「始まったよ」「おもしろそうだけど、起きなくていいの?」)いわれのない話だった。

 

4/4

 朝ドラを夜に見る、という選択肢を一度知ってしまうと、べつに朝に見なくてもよくなってしまう。昨日の夜中に仕事をしてから寝たため、今朝は起きられなかった。朝ドラ直前の七時五十八分にアラームを設定していたが、ワン切りで寝た。けっきょく出社する前まで寝てしまった。しかし経験上、朝ドラを夜に見るようになると終わりの始まりだということを僕は知っている。朝じゃなくて夜に見ればいいや、は、やがて、土日にまとめて見ればいいや、になり、総集編だけ見ればいいや、へと変化し、そのままゆるやかに姿を消す。総集編なんて見ない。ここ数年の朝ドラはそれでずっと見逃している。しかし『虎に翼』はいまのところかなりおもしろく見ることができていて、今日は朝には見なかったものの、夜にきちんと今日の分を見ることができた。「Fit Boxing」もやった。

 外の空気になんとなくぼんやりとした肌触りがある。そういえばこのつかみどころのなさも春のものだったような気がする。過ごしやすいがぼんやりとつかみどころがないのも春だし、予想外にじめじめしていて身体まで重く感じるのも春だし、風が強いのも、くしゃみが止まらないのも、日の長さに小躍りするのも春だ。ようするにすべてが春だ。

 

4/5

 また少し寒くなった。しかし気持ちはもう春なので、冬に戻ったというよりは春の少し寒い日だと思って過ごした。

 僕がちゃんと朝起きて『虎に翼』をリアタイで観ながら同居人に「おもしろいよ」と声をかける、というのが今週の冒頭における態勢であったのに、週の半ばには僕も朝リアタイできなくなり、今日に至ってはついに同居人のほうがちゃんと朝起きてリアタイするという逆転現象が起こっていた。昨夜ヤクルト1000を飲んだために朝すっきり目覚められたとのことだった。僕もヤクルト1000を飲んだのだが、同じようにすっきりとはいかなかった。僕は前回ヤクルト1000を飲んだときにも悪夢にうなされた気がするので、あまり相性がよくないのかもしれない。ところでいま「ヤクルト1000」という文字列を打ち込むにあたって、1000というのを半角でいくか全角にするか、それとも僕がこの日記においてなぜかこだわっている漢字表記にするか迷ったのだが、まず商品名なので漢字は却下。そうなるとアラビア数字の半角か全角。なんとなく全角のほうがおもしろいので全角で入力することにしたのだが、僕のスマホだと全角の数字を入力する際にはかなで打って変換するほうが早いため、僕はかなで「あわわわ」と打つことになる。「あわわわ」と打ち込んで変換しようとすると、予測候補には「(;´゚д゚)ゞ」みたいな顔文字が現れる。

 (;´゚д゚)ゞ

 ヽ(´Д`;)ノ

 そんなわけで朝起きることができなかった僕に代わって『虎に翼』をリアタイで見た同居人は、よすぎて泣いたという。

 僕が朝起きられなかったわけは、ヤクルト1000との相性が悪かったというのと、もうひとつは単純に夜更かししたというのもある。仕事を少しやったのと、新譜を聴いていて寝るのが遅くなってしまったのだった。昨夜はまずVegynから聴いて、そりゃ素晴らしかったのだが、そのあとのVampire Weekendでさらに泣きそうになった。というか泣いた。過去の自分たちのことも参照しながら明確に新たな音が出力されていて、ファーストからではないにしろあるていどリアタイで聴いてきているバンドである彼らの歩みに涙がにじんだ。ピアノ、ストリングス、ホーン、過去にないほどにエフェクトのかかったギター、そしてエズラ・クーニグの心の故郷のようなボーカル。流れてくるすべての音が琴線にふれる。最高傑作なのではないかという気すらしている。

 今日もなかなかに仕事をしてから帰宅。またVampire Weekendを聴いてから、Mount Kimbieを聴いた。過去にも生音との接近を繰り返してきた彼らがついにバンドスタイルとなったことのおもしろさ、そしてKing Kruleとのコラボがことごとくうまくいっているがゆえなのか、King Kruleが参加していない曲のボーカルさえもKing Kruleに接近しているおもしろさ。そういう別種のおもしろさが共存している。今日聴いた新作はいずれも素晴らしくて、先週もその前の週も素晴らしい新作が出ていて、ひとつひとつをじっくりと聴く時間は逓減している。誰も悪くないのですが……

 

4/6

 数ヶ月前に同居人が友だちと行った陶芸教室の成果である茶碗と花瓶は、いつまでも取りに行かれることなくその陶芸教室に保管されっぱなしになっていたのだが、つい数日前にその陶芸教室から同居人のもとへ連絡があり、いわく「土曜日の午前中までに取りに来ていただけないと処分させていただきます」とのことだそうで、同居人としては正直そこまで愛着があるわけでもなかった──というのも、数ヶ月前に同居人たちが陶芸を体験したとき、頑固そうな職人さんが担当だったらしいのだが、もたついていた同居人にしびれを切らし、ほとんどの部分をその職人さんが仕上げてしまったそうで、当然うまくできたわけなのだが、同居人としては自分で作った感覚が希薄になってしまい、取りに行かなくてもいいくらいの気持ちになっていたという──のでどうするか迷ったのだが、まあ処分してもらうのも申し訳ないよねということで今日の午前中に取りに行った。過ごしやすそうな気温だったので僕もついていった。数ヶ月越しに受け取った茶碗と花瓶はたしかにいい出来だった。そのままその陶芸教室の近くで昼にでっかいチキンカツの定食を食べた。

 帰りついでに川沿いを歩いて桜を見ようとも思ったが、あまりにひとが多かったのでやめた。花瓶にさすための花を買いに花屋を覗いたら桜の小枝が売っていたので、花見の代わりにそれを買って帰った。会計のときにもらった栄養剤みたいなのと水道水を花瓶に注いでから桜をさして、昼寝をしてから起きたらもう花が開きはじめていてびびった。

 昼寝から起きてからは大橋裕之『シティライツ』の上巻をまた読んでしまった。八ヶ月おきくらいで読んでいる気がする。何度読んでもいい。好きな話はいくつもあるのだが、なんとなく印象深いのは、爆弾を製造している中年の兄弟が、昔のお母さんに会いに行くためにタイムマシンを作る話。あっという間に完成したタイムマシンをいざ動かそうとしたときに、かねてから兄弟の製造する爆弾を狙っていた謎のヘルメット男が現れ、そのままそのヘルメット男も乗り込んでタイムマシンは過去に向かう。現在はなくなってしまった生家を目にして、兄弟は泣きながら走っていく。あとに取り残されるヘルメット男。彼も彼でタイムマシンを離れ、近くの小さな山を登る。山の頂上の神社の境内にはヘルメットを被った少年がいて、ひとりでボールを蹴って遊んでいる。その様子を陰から見守るヘルメット男だったが、ヘルメット少年の蹴ったボールが飛んでくる。それをキャッチして、ヘルメット少年に手渡すヘルメット男の姿が描かれて、その話は終わる。

 背景はわからないが爆弾を製造している兄弟から話が始まるが、終盤にいたってその兄弟はコマの外へと去り、端役だと思われていたヘルメット男と、その過去の姿であろうヘルメット少年にフォーカスして話が終わる。そういう視線の移ろいは、世界に生きるすべてのひとへの愛ある視線であるようにも思えて泣けてくる。ギヨーム・ブラックの『女っ気なし』の終盤もそうだったし、さいきんだと柴崎友香の『百年と一日』のなかの話にもそういう視線の移ろいがあった。

 そのような作品を愛するくせに、現実の僕は他人への興味がないとよく同居人に指摘されている。今日の帰りも知らないおじさんに道を聞かれたときに、僕が最初かなり警戒する感じを出してしまっていたと同居人はいっていた。

 話は戻って、昼寝してからは区民ジムへ。健康になろうという自主キャンペーンの一環である。同居人はジムで初めてVampire Weekendの新作を聴いたらしく、とてもよかったといっていた。そのままいったん帰宅して着替え、夜は『オッペンハイマー』を観に行った。帰りに銭湯に寄った。銭湯で友だちと合流し、家まで歩いた。車道沿いに桜が咲いていてよかった。帰ってきて日記を書いているうちに眠くなったので寝る。夕方までのことについてはけっこう字数を割いて書くことができたが、夜のことまで詳しく書こうとする前に眠気に負けた。失速。文章も読み返さないで寝る。

けっきょく見ちゃうね……

 

4/7

 ナイスな天気。ベランダに洗濯物を干した。以前「ざっくりYouTube」で小籔が紹介していた渋谷の「カレー屋 パクパクもりもり」に同居人と同居人の弟くんと行った。きれいによそわれたライスの上にキーマカレーが盛られ、さらにそのライスをルウカレーが取り囲むという、かなりナイスな構成のカレーで、とてもおいしく食べた。そのあと同居人の服を買い、タワレコでVampire Weekendの"Only God Was Above Us"のLPを買い、その特典としてついてきたポスターを飾るための額を買い、パルコに行って同居人が子どもの頃に大好きだった『おジャ魔女どれみ』と『ふたりはプリキュア』のグッズを買って帰った。同居人のおかげで知ることができてかわいいあれこれを知ることができてうれしい。僕はあまりかわいいものを通ってきていないし、逆にかっこいいものもさほど知らないしで、では子どもの頃の僕はいったいなにをしていたのだろうか。仮面ライダーはよく見ていた気がする。かなり断片的ではあるが『仮面ライダーファイズ』が濃く印象に残っている。携帯の「5」を三回押すみたいな変身シーンと、オルフェノクと呼ばれる灰色っぽい怪人となったひとたちが苦悩する姿と、劇場版かなにかで組織の社長っぽいひとが首だけの存在となって水槽のなかに浮かんでいる様子が記憶にある。あの首だけ社長が敵なのか味方なのかは覚えていない。周りをものすごく睨んでいたので敵かもしれない。額縁を抱えながら帰ってきて、さっそくLPを流し、ポスターを飾った。そのままゆるりとした時間を過ごした。僕は大橋裕之『シティライツ』の下巻を読んだ。

 夜は弟くんが中華を食べたいというので初めての店に食べに行った。料理はおいしかったが、余裕がなかったのか接客担当のひとの感じがよくなく、食べたかった炒飯もお米がないとかなんとかで食べられなかった。まあドンマイだ。帰ってきて入浴したりするうちにすっかり忘れた。忘れていたのに、いまこうやって日記に書くことで思い出した。やはりあれは感じが悪かった。

 

4/8

 同居人の具合がよくなかったので早めに仕事を切り上げて帰宅した。今日一日、断続的に、気絶するように寝ていたらしい。夜ご飯を食べて少し元気になっていてよかった。録画していた『虎に翼』と『マツコ&有吉 かりそめ天国』の最新回を見るなどした。あとは昨日NHKで放送していた坂本龍一の最晩年を追った映像番組を途中まで見た。坂本龍一が最後の日々まで続けていたという日記にはときに生々しい感情が綴られ、ときにかなり観念的な寸言のような言葉が流れ、それを読み上げる田中泯の声もあいまって鬼気迫るものがあった。

 

4/9

 夕方、具合のよくない同居人のために同居人の弟くんが家まで駆けつけてくれたらしく、しかし新人研修終わりの彼の足が臭かったために同居人が足だけシャワーで洗うことを命じ、まずさっぱりさせ、帰る際にまた臭い靴下を履かせるわけにもいかないので、彼のために新しい靴下を用意するよう命じられたのが僕である。「帰りにファミマで靴下一足買ってきて」というメッセージが僕のもとに届き、次いで「プリンも食べたい」と来たので、僕は「靴下とプリン?」と確認し、靴下とプリンという、まったく共通点がなく、本来交わることがないはずのふたつが並記されることとなった。しかしその無関係のものどうしが一箇所に集められているのがコンビニという空間なのであり、まさしく「帰り道で靴下とプリンをいっきに買えるお店が欲しい」という人間の欲望が生み出した究極にコンビニエントな要塞、それが街じゅうに林立しているというのが現代社会なのだ。前々回くらいのマヂラブのラジオの「さいきんチョコザップがまた暴れていて、ついにジムにカラオケも併設し始めたらしい」という話も思い出す。野田クリスタルは「チョコザップって街作ろうとしてる?」といっていたが、まじで怖いのは、〝すべてができる場所〟であるチョコザップと〝すべてが買える場所〟であるコンビニしかなくなってしまった未来の世界がほんのわずかでも想像できてしまうということだ。

 そんなことを書いたが、書いたことを僕がほんとに思っているとは限らず、実際今日の帰り道も弟くんの靴下の色はなにがいいのかということしか考えていなかった。ファミマの靴下といえば白に緑と青のラインが入ったものを思い浮かべるが、弟くんは新入社員であり、黒い靴下が欲しいといっていたような気もしたため、とりあえずどちらもカゴに入れた。同居人が食べたがっていたプリンも、とりあえず三人で食べるだろうと思って違う種類のものを三つ買って帰った。弟くんがどちらの靴下を履いて帰ったのか、見届けるのを忘れた。いま見たらどちらともなくなっているので、余ったほうも持って帰ったのかもしれない。プリンは僕と同居人だけ食べた。弟くんは甘いものがあまり好きではないらしく、「すいません、僕食べませんけど、ふたついけますか?」と僕に聞いてきたので、「いや、冷蔵庫にしまうよ」と答えた。ふたついかないだろ。

 

4/10

 仕事で疲れて帰宅し、夕飯をもりもり食べた(←前半の「仕事で疲れて帰宅し」という記述から今日仕事に行ったということ、そしてあるていど働いたということがわかり、「夕飯をもりもり食べた」という部分から、疲れるまで働いたとはいえ夕飯を食べるような時間には帰ってきたということ、そしてもりもり食べるほどの元気が残っていたことがわかる、日記をさぼっているようで深い読解の余地がある一文)。

 

4/11

 六月に予定されていたVegynの来日がキャンセルになったらしく、とても残念だが、発表によれば健康上の理由とのことなので、そうだとしたらゆっくり休んでほしい。ちょうど昨日YouTubeでVegynのミュージックビデオをまたいくつか見て、そのなかで思い思いに踊っているひとたちがいま僕と同じ世界のどこかに生きていて、同じくVegynの音楽を聴いているのであろうということに勝手ながら心を動かされ、それと同時に、Vegynのライブというのもやはりこのビデオのひとたちのようにめいめいが自由に踊っている空間なのだろうかと来たる六月に向けてわくわくしていたところだったので、また機会があればぜひ来てほしい。

 キャンセルを惜しがる気持ちはありつつ、チケットの払い戻しを忘れないようにはしたいため、来日キャンセルを告げるビートインクのツイート(現ポスト)にいいねを押した。いいねとは思っていないが、備忘のために。それでも僕はやはり忘れるだろうという予感もある。

 同居人は明日誕生日を迎えるが、またひとつ年齢を重ねることで二十代が終わりに近づくことを恐れているのか、それともなんなのか、中学生くらいのときに見ていたというニコ動のMADっぽいものを昨日くらいからよく見ている。僕は通ってきていない文化なのだけど、昨日から同居人が見せてくれるそれらの動画は、再生回数≒収益というようないまの原理原則とは違う、もっと根源的で、ただただ内輪で盛り上がりたいというようなモチベーションで制作されているもののように感じられて、懐古趣味的なのかもしれないが、やはりシンプルにくだらなくておもしろくて笑ってしまう。内輪での盛り上がりというのはやはり強い。ということはその内輪を拡張していけば、強度を保ったまま、盛り上がりごと拡張されていくということでもあるかもしれない。たとえばひとに読まれる前提で日記を書くというのは、内輪の拡張ということのひとつともいえるかもしれない。読まれる前提ではありつつ、説明的にはならない。わかりやすくは書かない。紹介しようとしない。この段落の冒頭の「同居人は明日誕生日を迎えるが、」の前に「さて、」を置けば、話題が変わることがわかりやすくなったはずだが、それだとあまりにも読まれるつもりが過ぎる。日記というのはあくまで備忘であり、自分のためであり、雑多であり、「さて、」を置かないことで内輪を保つべきなのだ。

 

4/12

 同居人の誕生日だったので、よさげなお店に食べに行き(なおそこは同居人が見つけてきたお店で、予約も同居人がやってくれた)、いくつかのおいしい料理のあとに「お待たせいたしました」と提供された卵焼きは注文した覚えがなかったが、おいしそうだったのでそのまま受け取って食べ、実際かなりおいしく、そのあといい気分のままミュージックバーに二軒行った。バーの一軒目は主にソウルやファンクがかかるお店で、アース・ウィンド&ファイアーというバンド名はやはり壮大すぎるという話をした。二軒目は特定のジャンルというわけではなくいろんな曲が大音量でかかるところで、口コミによれば少しでもしゃべっていると怒られるとのことだったのだが、行ってみればぜんぜん居心地よく、やはり低評価の口コミを書いているようなひとがやばいのか、それともさいきん経営方針が刷新されたのかのどちらかとしか考えられなかった。同居人はジェフ・ベックの曲を気に入っていた。そのあと流れた坂本龍一で涙していた。いい気分で帰宅。シャワーを浴び、今日の『虎に翼』を見た。同居人も楽しそうでよかった。

 もう眠いので寝たいのだが、今日のことであと書いておきたいことといえば、会社の昼休みに少しだけ会社の周りを散歩したことだ。この季節の散歩は、空気中にいろんなにおいが混ざりあって、様々な記憶を想起させられる。今日は午前中に少し雨が降ったらしく、土やアスファルトに一度吸い込まれた水分がまた揮発するにあたって、地中に隠されていたにおいが道連れとなり、それを胸いっぱいに吸い込むことで、小学生のときにカマキリを捕まえようとして草むらに足を踏み入れていった記憶や、木洩れ日さす森のなかを歩いた記憶が瞬く間によみがえってきた。たった十分の散歩がこんなにも記憶を呼び覚ます!

 

4/13

 今日の午前中は同居人が欲しいといっていたiPadを買いに行くつもりだったのだが、昨日寝るのが遅くなってしまったというのと、そもそも今週は寝るのが遅い日が多く疲れていたため、無理に出かけることもなかろうということでけっきょく昼過ぎまで家でゆっくりした。同居人も二度寝、三度寝、四度寝くらいまでしていた。ときどきYouTubeでコーチェラのライブ配信を見たが、リアルタイムで見なくとも巻き戻して再生できるという便利さが裏目に出て、べつにいま見なくてもいいか、という気持ちになってしまったのと、なんだか音が小さかったのと(それはどちらかというと僕んちのテレビの音量の問題かもしれないが)、けっきょく野外フェスというのは現地にいないと楽しみきれないものなのであろうという性質も浮かび上がってきて、そこまで熱心になれなかった。本気で見るというよりは、どんなライブをするのか気になっているひとを軽く見てみるくらいがいい。そもそも無料で見せてもらっているし。ただ、やはりテレビの音量を小さくしていたからあまりのめりこめなかったというのに尽きるかもしれない。だったらでかくしなさいな。

 そんなわけでコーチェラを流し見ながら村上春樹『約束された場所で』を読み終えた。どうも単純な感想になるが、巻末の村上春樹河合隼雄氏の対話のなかで語られていたことはいまの社会にも通ずることだと思った。ひとがひとを勝手に善か悪か裁く構造はむしろ加速しているようにも思える。ひとりの人間が善か悪かに分けられるのではなく、自分のなかに善も悪も、その間の曖昧な領域も存在することを踏まえたうえで、自分なりの責任を取って生きていけるかどうか。僕はかなり楽観的だしものごとが曖昧なままでも気にならない性質だが、どう生きるかということについてはそろそろ一度真剣に考えてみなければならないかもしれない。そのうえでやはり曖昧に、ということであればそれはそれでいい。

 午後は同居人が下北沢に行く用事があるというので、それなら僕も僕で、下北沢の眼鏡屋さんで眼鏡の調整をしてもらいたいとちょっと前から思っていたので、ついていって別行動をした。眼鏡を直してもらってからは散髪し、本屋B&Bにちょっと寄り、日記の本屋にも行ってぱらぱらと日記本をめくり、そういえば僕は日記のなかでずっと同居人のことを「同居人」と記しているが、同居人はべつに「同居人」というひとであるわけではないので、たとえば名前の頭文字で呼称するようにしてみてもいいかもしれないと思った。

 そのあとは中古レコード屋に行った。ブライアン・イーノロバート・フリップの『イヴニング・スター』というアルバムがあって、聴いたことはなかったのだが、そのふたりのコラボならまあ確実にいいだろうということで購入した。店を出てからイヤホンをしてApple Musicで流してみたら抜群によくて、春の土曜日の夕方の空気とも相まって感動した。買ってよかった。他にもユーミンのアルバムなどを買った。

 映画を観るという手もあったのだが、ここ一、二週間くらい、映画館に行くより散歩したいモードが続いている。観たい映画はあるが、きれいに二時間に収められた劇映画より、すべての回が異なる散歩のほうがいまの季節はおもしろい。散歩っぽい映画ならいいのかもしれない、と考えたところで、先日観た『すべての夜を思いだす』を思い出した。あとは今度また特集上映があるジャック・リヴェットの映画なんかもけっこう散歩っぽいかもしれない。それは観に行こうと思っている。そんなこんなで歩いて、駒場のキャンパスにも入り、アメフトサークルの練習のときによく着替えていたエリアにも行って、ひとりで懐かしくなった。いま考えると屋外で着替えていたことは信じられないのだが、それを反省することと懐かしむことは別問題だ。今日は懐かしさが勝った。その懐かしさを抱えたまま、大学のそばのラーメン屋にも久しぶりに行ったが、記憶よりおいしくなかった。

「へえ、この落書きまだあるんだな」とひとりごちて古参ぶる

 カフェで読書しようとしたがあまり集中できず帰宅。小島信夫の『美濃』を読んでおり、文章にノれればかなりおもしろいのだが、ノれないときはまじでなんの話をしているのかまったく頭に入ってこず、今日はだめだった。しかしだめなりにおもしろがれた部分はあった。この『美濃』という小説は最初、書き手「私」による一人称小説として始まるのだが、やがてその「私」である作家(古田)と書き手が分かれ、書き手は作家(古田)のことを客観的視点から描写するようになる。そういう流れがあったうえで、しかしやはり

平山の大阪弁は、私のかんじでは(古田と書くべきだった。私とすべきではなかった。そこに違いを含めて書いてきたつもりだったのに、これはどうしたことか)義太夫に近いように思える。

小島信夫『美濃』)

 みたいなくだりも出てきて笑ってしまう。「どうしたことか」もなにも、わざと書いているだろうと思うのだが、しかし同時に自分では意図せぬ方向に筆が動いてしまっているようでもあって、そのままならなさがおもしろい。そもそも文章自体に脱線が非常に多く、むしろ話の筋なんてものはほとんど存在せず、脱線によって成り立っている小説である。……家でだらだらしているうちに同居人が帰ってきた。さらばのYouTubeがかなりおもしろかった。

 

4/14

 コーチェラの配信にはノリきれないなんて昨日は書いたくせに、今日はヴァンパイア・ウィークエンドとタイラー・ザ・クリエイターをがっつり見たし、ブラーを見ながら昼寝した、あと昨日の夜日記を書いてからもラナ・デル・レイをちょこちょこ見ていた。ラナ・デル・レイは個人的には好きだしアメリカでは人気だというのも聞いていたが、まさかあんなに歓声がやまないほどだとは思ってもみず、僕と同じく〝個人的には好き〟というひとがわんさかいるのだろうと感激した。声を張り上げず、観客をことさらに煽るようなこともせずに、自らの楽曲についてこさせる強さ。そういうのが見られるのは配信のいいところだと思った。あとはタイラー・ザ・クリエイターもやはり素晴らしくて、曲はもちろん、その順番やライブ用にアレンジされたイントロの豊かさ、セットや衣装、ユーモラスな登場と退場、すべてに彼の創造性が発揮されており、すべての曲でしっかりラップし、「以前は嫌いだった」と告白しつつチャイルディッシュ・ガンビーノやエイサップ・ロッキーを召喚してみせ、"EARFQUAKE"のプレイボーイ・カーティの(ほぼ聞き取れない)パートを観客にシンガロングさせる、ショーとしての充実感が桁違いだった。

 あとは今日も散歩をしたのと、『美濃』を読み進めたのと、昨日買ったレコードを流したりした。同居人は友だちとの飲みを昼夜はしごしていた。僕は昼も夜も飲まず、部屋のベランダ側の窓を網戸にし、台所側の窓も軽く開けると、部屋のなかを風が通ってやはり気持ちがいいというようなことを考えて過ごしていた。今日考えたことといえばそれくらいだ。

 

4/15

 同居人ともども少し痩せようという話になって、まず朝をむしろちゃんと食べること、夕飯は控えめにすること、そして入浴前に「Fit Boxing」で身体を軽く動かすことを心がけた。同居人はこれで明日体重が減っていなければ抗議のポテチを食べるとのたまっていたが、それではあまりに抗議が早すぎる。

 

4/16

 先週末ミュージックバーに行ったときに流れていたジェフ・ベックに感銘を受けて以来同居人は歴代の有名ギタリストを順繰りに聴いていってみようというモードに入ったらしく、Apple Musicで「弾きぐるい」というプレイリストを作って、誰を入れればいいか僕にも聞いてきた。僕もそんなに詳しくないので、とりあえず「ギタリスト」とかでググって出てきたひとを入れればいいのではないかと提案し、あとは自分が知っている限り最高のギターソロのひとつであるファンカデリックの"Maggot Brain"のレコードがちょうどあったので流した。

 歴代の有名ギタリストを検索すると一位に挙げられていることが多いのはやはりジミヘンで、「ジミヘンってやっぱりすごいの?」と同居人は僕に訊ねてきたが、僕にいわせればジミヘンはほんとにすごい。というかすごいかはわからないがほんとにかっこいい。ほんとにかっこいいと思えるということはすごいのだろう。高校生か大学生の頃に有名なミュージシャンをなんぼのもんじゃいと順繰りに聴いていっていたとき、ジミヘンとボブ・マーリーはまじでかっこよくて、こりゃたしかに名が残りますわ、と僭越ながら思った。当時にしては、とか、歴史的文脈や後続に与えた影響を鑑みると、とかではなく、それ単体として、絶対的にかっこいいしすごい。そういうものが人生のなかにときおり現れる。小説でいうとフォークナーとか。映画でいうとF・W・ムルナウの『サンライズ』とか。ほんとうにかっこいいもの、美しいものが持つ凄み、あるいは迫力のようなものが、時間も空間も超越して直接響いてくるようなこと。それを安易に普遍性と呼んでしまっていいのかはわからない。なにか、普遍性といい表すことに抵抗感があるとすれば、それはおそらく、それらの作品の迫力がみんなに降り注いでいるものというより、僕個人と一対一の関係を結んでダイレクトに注入されてきているもののように感じるからかもしれない。

 

4/17

 仕事で疲弊したという同居人がファミチキをご所望だったので、会社の帰りに買って、レジ袋をもらわず、小さなクラッチバッグよろしく片手に抱えて持ち帰った。最初は寝転がっていた同居人だったが、話をしているうちにノッてくるとにわかに立ち上がり、フリースタイルでしゃべり倒していた。

 ファミチキを抱えての帰り道、つい一週間前には白い花を咲き誇らせていたはずの桜は、夜道にもひと目でわかるほどに葉桜と化し、そこらじゅうに花びらが落ちている。満開の桜もいいが、それがあっという間に散って青々とした葉を茂らせる、その移り変わりの速さにこそ生命の輝きを感じる。今年は特に速いような気がしてすごい。大ヒットしたシングル曲をアルバムには収録しないみたいなかっこよさがある。

 葉桜ばかりが並び立つなか、僕たちの住むアパートの近くにある木にはまだまだ花がついていて、それが桜の個体差によるものなのか、あるいは「自分まだまだ花のままいけます」という意思表示なのかはわからない。それともそもそも桜ではないのかもしれない。そう思って見てみるとなんとなく桜にしては小ぶりな気もする。こんなときタモリだったらひと目見て「これ桜じゃないよね」というのだろう。

「これ、桜じゃなくて、ヒザクラだよね」

「お、タモリさん、さすがご存じで」

 と横にいる専門家のようなひともなぜかうれしそうにする。

 タモリは僕に向かって説明してくれる。

「このヒザクラってのはね、漢字で書くと「非桜」、ようするに「桜に非ず」って書くんだけど、昔から桜によく似た木として間違えられてきたからそんな名前がついたんだよな」

 専門家もうなずいている。夜道ということもあって、タモリのサングラスの奥の目はますますわからない。僕は「否定形で名前になることあるんですね」と応じる。家に帰ってあらためて調べてみるが、非桜なんて木はない。タモリだって間違えることはあるのだ。

 

4/18

 もうすっかり葉をつけている桜と、まだ花を咲かせている桜があり、後者の桜というのはそもそも実は桜ではないのではないか、というのが昨日の話だったが、今日も帰り道にそれらの木を見て、別種の桜である可能性にようやく思い当たった。別種の桜かもしれないし、あるいはやはりまったく異なる木なのかもしれない。それは誰にもわからない。

 

4/19

 久しぶりにニンテンドースイッチパワプロをプレイした。僕はべつにパワプロのことなんてほぼ知らず、というか野球のこともよく知らず、ただきしたかのYouTubeパワプロの「栄冠ナイン」をプレイしていたのが楽しそうだったからというだけで去年の夏くらいに買って、しばらくやったが思うようにチームが成長せず、ふてくされてしばらく放置していたのだが、この前ラランドがYouTubeパワプロをやっていて──何も知らないサーヤをニシダが狡く負かすといういやな回だったが──おもしろそうだったので久しぶりに起動した。パワプロのメイン画面みたいなところには、僕が以前プレイしていた「栄冠ナイン」の他にもかなりいろんなモードが並んでいて、今日はまずラランドがやっていた「ペナント」というモードをやってみたのだが、「打撃:よわい」に設定したCOMにボコボコにやられ、五回終了時点で八対〇くらいになってしまったのでやめた。「栄冠ナイン」と操作性が違いすぎてビビった。初心者は「栄冠ナイン」だけやっとけってことなのだ。

 その「栄冠ナイン」のほうも久しぶりなために、前回どこで終わらせていたのかをまず把握する必要がある。開いてみたら九月で、なぜそんな中途半端な時期で終わらせていたのかという疑問が生まれるが、これはわかりやすくて、ようするに、どうせ前回の僕は夏の県大会の二回戦か三回戦あたりで敗退し、三年生が引退、一、二年生の新体制のチームとなったところで放り出したのだろう。監督八年目に入るもいっこうに甲子園に近づく気配はなく、県大会では毎年三回戦止まり。監督としての闘志はとっくに失われ、いまはチームからドラフトに一人でも引っかかるかどうかということだけが関心の的。ノックの勢いも年々衰え、グラウンドの隅には雑草生やし放題、練習中にもほのかに酒くさいと噂されるうだつの上がらない僕に学校側も業を煮やしつつあるが、なまじ毎年プロ野球選手を輩出してしまっているばかりに部員からの信頼が妙に厚く、切ろうにも切れない。しかしプロに行けるか行けないかは部員個人のがんばりによるものであり、僕はそこになんにも寄与していない。僕がやっていることといえば、てきとうに練習を指示し、ときおり格下の相手とだけ練習試合をやって空虚な自信をつけ、いざ県大会となったらさっさと敗退することだけだ。

 

4/20

 昨日あんなふうに書いたあと、僕が監督として久しぶりに姿を現した野球部は夏の県大会をあれよあれよと勝ち上がり、優勝候補筆頭と目されていた強豪すらも打ち破って、学校史上初の甲子園出場を決めてしまった。地元紙の取材で躍進の秘訣を問われた僕が、「そんなもん、特にないですよ。よくわからないまま部員みんなの「弾道」と「ミート」の数字を上げ続けたら打線が繋がるようになって、いつの間に勝ってましたね」と本気とも冗談とも取れない感じで答えていたのも、また僕の神秘性を引き上げることに寄与した。

 チームの四番・成澤は驚異の長打率によって《関東の大砲》との異名を取り、県大会での活躍もあって高校日本代表に選ばれることとなった。成澤はすごい選手だった。成澤が好調だったために僕たちは甲子園一回戦を突破し、成澤が不調だったために二回戦で敗退した。けっきょく、監督である僕の神秘性がどうこうなんて関係なく、僕たちの勝敗は成澤次第となっていた。僕は成澤がドラフト一巡で広島カープに指名されるところまで見届けて「栄冠ナイン」を閉じた。

 ところで今日は夕方まで仕事だったのだが、十八時過ぎ、まだ明るさの残る帰路で、ここ数日僕が桜なのか桜じゃないのかわからず気を揉んでいる例の木をじっくり見てみて、やはり桜じゃないように思った。花の付き方がなんとなく桜っぽくないようなのである。でも僕はべつに本物の桜の花の付き方をじっくり観察したことがあるわけではないので、まったくもって印象だけの話だし、それに今日はその木をスマホで撮影しているひともいたので、やはり桜なのかもしれない。けっきょくわからない。

 

4/21

 同居人がネイルに行っている間に小島信夫『美濃』を読み進めた。書き手の「私」と作家の「古田」がときに重なり、ときに離れ、脱線を繰り返しながら書き進められていく文章は、平日、仕事を終えた夜の時間に読み進められるものではなく、今日みたいに休日にせっせと読むしかない。じっさい、僕が今日『美濃』を開いたのも先週の日曜日以来のことだった。

 実際に存在した『文体』という雑誌に連載されていたという『美濃』だったが、連載十回を終えた段階で語り手の作家「古田」が不慮の事故で瀕死の重傷を負って入院してしまい(いちおう調べてみても小島信夫が事故で生死をさまよったという事実はない)、残りの二回分は作中の他の人物が代筆する形で書き継がれる。そうなるともう単なる文章の脱線どころではないが、よく考えると、代筆パートに入るより前の文章のなかで、古田は、死を偽って自分で自分の「終焉の記」を書いたという俳人について言及しており、それを受ける形でこの『美濃』という小説の終盤でも語り手だった古田が退場し、他の人物の代筆という形がとられているようにも思える。そうなると、この脱線ばかりの小説にもなにがしかの伏線なり構成なりが練り込まれていたということになるが、でもこれは最初から狙って書かれたというよりは、書きながらの思いつきでこういう展開になったもののように思う。

 今日は曇りか雨になるという予報を見たような気がしていたのだが、午前中読書しながらも外は晴れていて、それだったら朝洗濯すればよかったと悔やんだ。あらためて天気を調べてみると雨は後ろ倒しになっただけのようで、午後にはやはり降るとのことだったので、時すでに遅しだった。

 ネイルを終えた同居人と区の選挙へ。

 午後はこの前買ったフリップ&イーノの『イヴニング・スター』などを流しながら読書、昼寝。夕方から同居人は友だちと会う予定があるというので、僕も同じタイミングで家を出て、ワークマンの蒲田矢口渡店を目指した。来週遠出するにあたって簡単なアウトドアチェアが欲しいと思っており、同居人が以前買ったワークマンのチェアが安くて座り心地も悪くなかったので買い足そうというつもりだった。五反田で東急池上線に乗り換え、大田区へと進入した。電車の隣の席には小学校低学年くらいの男の子が座っていた。少し離れたところにお母さんが座っていたようで、僕がいるせいで離れ離れになってしまって申し訳なくもあったが、お母さんはあまり男の子のほうを気にしておらず、男の子の隣の席が空いた際にも移動してこようとせずそっぽを向いていたので、それならそれでいいのかと僕も気にせずにいたら、男の子としては一刻も早くお母さんに移ってきてほしかったらしく、自分とその隣の席の真ん中に座って二席を確保しながらお母さんのほうをちらちらと見ていた、その顔が『ヤンヤン 夏の想い出』そのものだった。

 東急池上線の終点・蒲田に着くと、今度はVの字に折り返すような形で東急多摩川線矢口渡駅へ。僕は大田区のことをほとんど知らないので車窓を流れる景色をじっくり見た。住宅が立ち並び、ときおり片側二車線か三車線の大通りに出る。それが大田区のようだった。矢口渡駅からワークマンへと向かう道中でもまさしくその大田区を体現した景色が繰り返されるが、車窓から眺めるのとは違い、徒歩だとそこを行き交う人びとの生の表情や足取りが感じられる。それこそが散歩をするということだ。

 ワークマン蒲田矢口渡店には目的のアウトドアチェアはなかった。調べてみると二キロほど離れたところにワークマン川崎上平間店というのがあるようだったので歩いた。

 矢口渡駅からワークマン蒲田矢口渡店までの道のり、それをそのまま延長する方向で歩みを進めると、道の細い住宅街に入る。車の入れない道で子どもたちが追いかけっこをして遊び、かわいい服を着せられたダックスフントが飼い主のおばあさんを待って座っている。そのまま歩くと、やにわに蚊柱が僕の顔面を直撃し、それが予兆だったかのように長く横に広がる土手と、その向こうに大きな多摩川が現れる。

 住宅街から土手の上に移って、視界が開けると、いまにも雨が降り出しそうなほどの曇り空であることに気がつく。水気を含んだ風が草木を揺らしている。それでも土手の遊歩道や、もっと川側の歩道、そして川沿いのグラウンドには人びとの往来が絶えない。四月の日曜日の午後という感じがする。

youtu.be

 川に近いあたりに、凧がひとつ上がっている。高い位置で風になびくその凧を、誰が上げているのか、僕が歩いている土手からでは判別できない。おそらくあのひとではないかと推測した男性が凧と別の方向に歩き出したので、いよいよわからなくなった。

 そのまま土手を進むと、ガス橋という名前の橋に当たる。多摩川にかかる橋だ。橋を渡ると川崎市に入り、そう遠くない位置にワークマン川崎上平間店がある。ガス橋は通行量のわりには細い橋で、信号待ちをする車のドライバーと目が合ってしまって気まずかった。

youtu.be

 ワークマン川崎上平間店にも、目的のアウトドアチェアはなかった。

 

4/22

 雨が降って、気温が下がり、激ネムに。

 

4/23

 同居人がまた弟くんと夕飯を食べに行っていたのだが、今日はそこにさらに同居人のいとこのひとも同席し、さらにそのままうちに寄る流れになったらしく、どうも初めまして、あ、同い年なんですね、あー、いえいえ、あー、いえいえ、というところから、なぜか順繰りに「Fit Boxing」をやる流れとなり、僕はいつもやっていることから長めのコースを選ばされ、みんなの前で長めにストレートやジャブやフックやアッパーを披露する時間が生まれて恥ずかしかった。

 

4/24

 天気と洗濯がうまく噛みあうととてもうれしい気持ちになる。でもそのことについて、「天気と洗濯がうまく噛みあうととてもうれしい気持ちになる。」という文で書き始めてしまうとエッセイっぽくなってしまう。僕が書いているのは日記なので、

 今週は雨がちなので、洗濯物をどうすべきか考える必要があったが、月曜日の時点で一週間の天気予報を見て、木曜日が晴れとのことだったので、それならばベランダで外干ししたいタオル類はそれまで待って、その他の浴室乾燥でもよい衣類から洗濯していこうというプランを立て、じっさいそのとおりに実行してきている。昨日の夜に同居人の会社用のスラックスや僕の長袖シャツやその他下着など諸々を洗濯し、浴室乾燥にかけて、今日帰宅したらきちんと乾いていた。そしてさっきあらためて天気予報を見るとやはり明日は晴れるようなので、タオル類を洗濯機につっこみ、朝起きる時点で回り終わるように予約の設定をした。天気と洗濯がうまく噛みあうととてもうれしい気持ちになる。

 という順番で書くべきだ。

 

4/25

「昼間は暖かくても夜になるとまだ少し肌寒さがあるね」の時代は終わり、昼も夜も半袖で出歩ける時代へ──。

 

4/26

 昨日と同じくらいか昨日より暖かくなるという予報だったはずで、たしかに朝の時点ではいい立ち上がりのように思えたが、その後どうにも伸びきらず、生ぬるい曇り模様でフィニッシュとなった。しかし夜は渋谷で折坂悠太のライブを見て最高の気分に。六月にはニューアルバムも出るとのことで、今日披露されていた新曲を聴いた限り最高のアルバムの予感。バンドセットでの折坂悠太はとにかく声がよく出ていて、なんというかとてもセクシーだった。帰路、同居人に「セクシーだったね」というと「それはちょっとわからないけど最高だったね」といわれた。明日は朝早いので寝る。

 

4/27

 四時半に起きてレンタカーで出発、宮城県川崎町のアラバキロックフェスティバルへ。アラバキは二年前に初めて行ってから毎年行くのが習慣となってきていて、正直いって興味のあるアーティストはあまり出ていないのだが、四月末という過ごしやすい時期に、川のせせらぎが間近に感じられるキャンプ場で開催されているということ、そして毎年東北に行く機会になるということもあって来るようになった。過ごしやすいと書いたが二年前には四月末なのに雪すら降るほどの極寒で、トリで見ようとしていたサニーデイ・サービスを諦めて帰った。そのときを含めてサニーデイ・サービスのライブは何度か見られそうな機会があったのに一度も見られていない。曽我部恵一ひとりの弾き語りは去年のアラバキで見た。小さなステージで大きな声で歌い上げる曽我部恵一と、観客席の端のほうでひとりフリースタイルで躍り続ける謎のおじいさんとのセッションが繰り広げられていて、そのおじいさんがあまりに目立っているので、田中泯的なアーティストとのコラボなのかとも思ったのだが、そんなことはなくぜんぜん一般のおじいさんだったっぽかった。しかし去年のアラバキのベストステージだったといっても過言ではない。

 四時半に起床、五時からレンタカーを走らせて北上すると、道もそれほど混んでいなくて、途中のサービスエリアでかき揚げそばを食べる余裕も見せながら、昼前には会場であるみちのく公園に到着、いちばん大きいバンエツステージの近くの、そこだけまるで『アメリカの鱒釣り』から飛び出してきたかのように小川がせせらいでいる場所にテントを構え、その横にアウトドアチェアを置くことができた。小川には鱒こそ泳いでいなかったがアメンボが浮かんでいて、見るに飽きず、バンエツステージからの音もよく聞こえてき、正直ステージ近くには行かずにずっとそこにいるでもいいと思った。小川はちょろちょろと清らかに流れているが、途中で木の枝が横向きに流れを阻害している箇所があって、アメンボたちは下流に行くことができずにそこに何匹も溜まっているのだった、しかしそれはあえてそこにとどまって上流から流れてくる獲物を一網打尽にしようという彼らの戦略かもしれず、またしかし、そもそも僕はアメンボが何を食べるのかを知らないため、けっきょく彼らの思惑などわかりようがない、というようなことを考えたり、少し目を離したりしているうちに、アメンボはその木の枝の地点より下流に移動していて、いつの間に木の枝の難所を越えたのか、それともさっきのアメンボとは違うアメンボなのか、それも僕にはわからない。

 そうこうしているうちにバンエツステージでは松下洸平が歌い、途中、ゲストでスガシカオが登場し、ふたりで「夜空ノムコウ」を披露したりしていて、テントのなかで寝ていた同居人にもそのことを伝えたのだが、同居人はステージにスガシカオが出てきたらしいところまでは聞いていたのだが、そこで眠りに落ち、「夜空ノムコウ」は聞いていないらしく、眠るタイミングが奇妙だった。

 そのあとけっきょくテントを離れてステージのほうに行って、西川貴教マキシマム ザ ホルモン森高千里を見た。森高千里がほんとによかった。行きの車で流して、その歌詞の特異さと楽曲のよさにあらためてしびれていたのだが、生で見て、生で聞くと、まずべらぼうにかわいいし、歌声にも踊りにもハリがあり、「渡良瀬川」のリコーダーも美しく、とにかくめちゃくちゃ〝おもしれー女〟なのだった。

ララサンシャイン ララサンシャイン

ララサン 今日が始まる

涙もかれた ほら朝だ朝だ起きよう

森高千里「ララ サンシャイン」)

 の「ほら朝だ朝だ起きよう」のような直球ですばらしい歌詞に満ちていて、歌詞や小説に小難しい比喩表現や重厚感なんてものはいらないのだとも思わせられる。

 会場を出て仙台駅前に向かい、牛タンを食べ、少し離れたドーミーインへ。最高の入浴を済ませ、まどろみながらいまこれを書いている。

 

4/28

 よく晴れて暑かった。

 宿泊したドーミーインから少し行ったところに、震災遺構として公開されている荒浜小学校の校舎があるらしいので行った。海へ近づくほどに建物が減っていき、建っている建物もおそらく震災後のものばかりなのであろう風景のなかの「津波避難道路」を車で走った。

 海に面する荒浜地区は昔から海岸沿いの美しい松林が有名な町だった。海から七百メートルほどに位置する荒浜小学校は、地震当日、六年生の卒業式の一週間前。帰りの会の途中で大きな揺れがあり、津波が来るだろうと判断した先生たちが児童や近隣の住民を屋上へと避難させた。しばらくすると、海の向こうで白い煙の壁のようなものが立ち上がり、こちらに迫ってくる。煙の壁は松林をなぎ倒し、家々を飲み込み、荒浜小学校にも押し寄せ、校舎二階の途中までを水中に沈めた。学校の周囲の建物はほとんどが流された。それを指さして児童が「うちが流れてる」といった。

 当時の状態をできるだけ残しながら公開されている校舎は、小学校のにおいというべき廊下や壁のにおいがして、十三年前の記憶が濃く残っている場所だと思った。

 屋上から海のほうを見ても、建物はずっと遠くのほうまで見えなかった。

 そのあと、アラバキの二日目へ。今日は同居人の友だちも合流するので一度仙台駅まで迎えに行ってからみちのく公園に向かった。昼過ぎに到着して、もうテントを構える場所なんてないかと思いきや、去年見つけた湖沿いの涼しい穴場にまだスペースがあって、うまくテントやチェアを広げることができた。今日は古市コータローと10-FEETを見た。古市コータローは知らなかったがかなりイケている還暦だった。ロン毛、白ティー、デニムでかっこよく決まるじじいはかっこいい。10-FEETは去年も見ていたので今年は周りに合わせて手拍子したり手を上げたり跳び跳ねてみたりした。それはそれで楽しいものだった。10-FEETも昨日のマキシマム ザ ホルモンも、去年見たサンボマスターも、見にきている全員を楽しませたい、笑顔にしたい、という精神が根幹にあって、なるほどその文化は僕が通ってきていないものではあるが、たしかに力があるものだと思った。

 

4/29

 今回の東北行きの車内では森高千里をよく流し、その歌詞のすごさにおののいていた。たとえば「勉強の歌」の

しゃくだけど勉強には

にんじんと同じくらい

栄養があるみたいよ

食べなきゃ

 みたいにセンテンスがおもしろいというのももちろんなのだが、それだけでなく歌詞の流れのようなものが、ふつうの歌詞とは異なる文法で構成されている気がする。最も有名な曲のひとつである「私がオバさんになっても」のAメロ部分は

秋が終れば冬が来る ほんとに早いわ

夏休みには二人して サイパンへ行ったわ

日焼けした肌まだ黒い 楽しい思い出

来年も又サイパンへ 泳ぎに行きたいわ

 というふうに、短いなかに二回も「サイパン」が登場する形で歌われ、とにかくサイパンに行ったということばかりが印象に残る。べつにサイパンについての曲というわけではないので、通常ならばこんな近距離で「サイパン」を繰り返すことは避けるのではないかと思う。でもこの繰り返しがあることで、サイパン旅行がよほど楽しかったのだろうということが素直に伝わってくる。「楽しい思い出」という飾り気のないフレーズもその素直さをまた増幅させる。

 今日はドーミーインで朝食バイキングを食べてからチェックアウトして、仙台うみの杜水族館へ行った。イルカやアシカのショーが素晴らしかった。イルカたちはショーの前にもボールを自ら空中に放って口で器用にキャッチしていて、自主練をするとはなんて真面目なんだと感心していたら、ショーの本番でそのボール芸が披露されることはなく、さっきのが自主練ではなく遊びだったことに気づかされたが、それはそれですごい。水族館全体が生態系の保存と子どもたちへの教育の精神に基づいて設計されている感じがしてとてもよかった。被災地の観光の復興という観点でも大きな役割を果たしているのではないかと思った。

 その後は車で東京へ戻った。序盤は調子よく進んだが中盤以降はやはり渋滞につかまり、しかし森高千里や折坂悠太を車内で流すことで持ち堪えた。

 

4/30

 桜なのかそうでないのかわからずにいた木もすっかり花を散らして青々と葉をつけ、桜なのかそうでないのかなんてことはどうでもよくなってしまった。もうただの「木」だ。また一年後に花が咲けば、きっと、桜なのかそうでないのかが気になるのだろうが、それまでは「木」だ。

二〇二四年三月の日記

3/1

 三月というだけあって、昼休みに少しだけ外に出たら暖かかった。帰りにコンビニに寄って柴田聡子のライブのチケットを発券した。

 

3/2

 メガネ界が生んだスーパースター・柴田聡子のライブへ。ほんとにかっこよかった。帰宅後、余韻に浸りつつも『不適切にもほどがある!』の最新話を見たり、YouTubeでゲラゲラ笑ったりして、かなり眠くなったので寝る。

 

3/3

 昨日の夜は眠くなってしまったので寝たが、ほんとは日記に柴田聡子のライブのことをもう少し書きたいと思っていたので今日書く。ついでにライブの前のことも書く。昨日はまず朝から同居人と外出し、用事を済ませたのち少し散歩してフォーの店に入って食べた。フォーはアルファベットで"pho"と書く。僕はそのphoを食べずにランチプレートを食べた。同居人はphoを食べていた。ランチプレートには、ブロッコリーに似ているがブロッコリーとは違って明確に幾何学的な規則に基づいて組成されている(それこそ食べ物にはあまり使わない〝組成〟という言葉を使いたくなってしまうほどに異物感のある)野菜など、ふだん口にすることのない野菜が何種類も入っていて、しかしそれらの野菜を一緒くたに口に放り込んでみると僕も知っているサラダの味と食感になり、ふつうに食べることができた。幾何学ブロッコリーは「ロマネスコ」といい、カリフラワーの一種であるらしい。

 ロマネスコ

 ロマネスコ

 とこれで三回入力したのできっと覚えるだろう。ちなみにロマネスコの構造はフラクタル構造というやつで、図形の全体をいくつかの細かな部分に分解していっても全体と同じ構造が表れるというものである。そのことを調べていて逆説的に思い出したのは柴田聡子『Your Favorite Things』一曲目「Movie Light」の

へそまげるうれしい日

つぼみ咲くかなしい日

変じゃなかった日はなかった

 という歌詞で、そのとおり、僕たちの日常はフラクタル構造とはかけ離れている。

 phoの店にいる間、僕が朝ふと感じたことを話した。

「駅の長いエスカレーターの横に柱があるじゃん。その柱に、銀座かどこかの高級時計屋の広告が貼ってあって、そのなかでメガネをかけた兄さんが「私が担当します」みたいな雰囲気で、アドバイザーみたいな肩書きで顔出しで載ってるんだけど、なんかその兄さんの顔を見て、へえ、あいついま、こんなことやってるんだ、ってなぜか思ったんだよね。べつにその兄さんと面識があるわけではないし、彼がこれまでどんな遍歴を辿ってきたかなんて僕にはわからないんだけど、なぜかそう思った。

 僕なんて中高生のときはもちろん、大学生になってからもあるていどの同質性を持ったひとたちに囲まれて生きてきて、でも社会人になってからはみんなかなりばらばらの道を行ってるじゃん。しかもその道筋は年を経るごとに多様さを増していっていて、昔の姿からは想像できないところにいる友だちもいたりして、でも、かといってその友だちの昔といまが繋がらない感覚はなく、たしかに想像はしていなかったけど、まあこうなることもあるよな、みたいな不思議な想像力によって、その友だちのこれまでの時間が補完されるんだよね。

 そういう、実際の友だちにたいしての想像力が、あのエスカレーター横の兄さんに向かっても働いて、会ったこともないあのひとのことを、へえ、いまこんなことやってるんだ、と思ったっていうことなのかな。

 だとしたら、これからも年を経るごとにますますみんなの道筋が多様になっていったら、そのぶん謎の想像力も増して、知らないひとにたいして、へえ、あいついまこんなことやってるんだ、って思う機会も増えるのかな」

 いま日記にするために少し整理して書いていてもいまいち伝わらなさそうなことを、昨日のphoの店ではもっと見切り発車で話したので、同居人は顔をしかめて「話題尽きたの?」 といっていた。

 そのあと帰宅して同居人は昼寝に入り、僕はATMに行くのと散髪をしに家を出て久しぶりに自転車を漕いだ。タイヤの空気が少し抜けていて、ペダルが重かった。

 準備をしてから柴田聡子のライブへ。整理番号が早めで、前のほうのいい位置を確保することができた。最新作『Your Favorite Things』の流れのとおりに始まったライブからは明確に曲順への意志を感じ、ギターを持たずに歌う柴田聡子の姿からはシンガーソングライターではなくバンドのフロントマンとしての試行錯誤と矜持を感じ、最高な演奏も相まってさっそく涙ぐんだ。「Movie Light」はやはりかなり素晴らしいオープニング曲だと思った。目の前でそれぞれのパートが独立しつつ一体となりつつ演奏されることで、『Your Favorite Things』という傑作にたいする粒度も上がってゆく感覚があった。これまでのアルバムからの楽曲の演奏の仕上がりも素晴らしく、『愛の休日』~『がんばれ!メロディー』の跳ねるような最高のポップネス、『ぼちぼち銀河』の奇妙なブルース、ライブで披露されるたびにたくましくなっていく「ワンコロメーター」のいずれにも心が踊ったが、終盤『Your Favorite Things』の流れに回帰してくるにあたって柴田聡子は柴田聡子を更新していっていると強く感じるに至った。各曲の間に挟まれる「センキュー」も心なしかクールだった。岡田拓郎さんがエフェクターみたいなのをクイクイといじる姿もよかった。終演後に同じくライブに来ていた友だちともたまたま会ったが、「最高でしたね」しかいえなかった。

 最高の気持ちで帰宅し、ドラマやYouTubeを見て、風呂にも入らずに寝た。

 というところまでが昨日の話で、思わず手を止めそうになったが、いま書いているのは今日の日付の日記なのだった。今朝は起きてまず入浴してから朝ごはんを食べた。午前中は同居人の服や友だちへのプレゼント選びに同行し、そのまま友だちと昼ごはんを食べに行った同居人と解散して僕は富士そばで食べて帰った。頭痛があった。少しだらだらしてから昼寝して、起きたら頭痛はましになっていたので、だらだらを再開したり、千葉雅也『オーバーヒート』を読んだりした。『オーバーヒート』は奇妙な小説で、個人的には語り手がツイートしている様子が描かれる小説に初めて出会ったのでまずそれが奇妙なのだが、それだけでなく語られることやその順番に、なんというか私小説というものを更新しようという意志が感じられる(この前「ことばの学校」で千葉雅也本人の話を聞いたからそう感じるというのももちろんある)。

 たとえば日記も、僕が書いたものと友だちが書いたものだと日々の何を取り上げて書くか、何にフォーカスするかということはまるで違うわけだが、小説においても何を描写するかというのは書き手ごとに異なり、こと『オーバーヒート』においては、当初異物のように文中に現れたツイートが、やがて小説自体を侵食していくかのように、語り手の思考のなかに自然に出てきて、それがこの小説のなかで何を描写するかということにも影響を与えているようにも思える。

 夕方頃にもう一度外に出るとちょうど友だちと解散したという同居人と合流できた。同居人にはそのあとさらにもうひとつ短めの用事があったので、僕はドトールに入って待ちがてら、日記を書いた。帰宅してから『光る君へ』を見た。

 

3/4

 先週の金曜日くらいからだろうか、同居人が家のなかでお香を焚くのにハマっている。そもそも二年近く前に僕が友だちの結婚式に行ったときに引き出物としていただいたお香がまだ数本残っていたのを見つけて焚いたのだが、その香りには身体の奥深くにまで浸透してくるような心地よさがあり、朝起きて一日の準備をするときや、夜、仕事から帰ってきて腰を落ち着ける前になにかとやるべきことを済ましてしまいたいときなんかに焚くとよさそうだという話になったのだった。引き出物としてもらったお香の残りは週末にはなくなり、ひとまず無印で買い足して、今日さっそく使ってみた。今日は同居人が疲れて帰ってきて、お香を焚かずにはいられなかったそうで、二本立て続けに焚いた。引き出物のお香のほうが香りはよかったように思った。お香もいろいろ試してみてもよさそうだと思った。人生において「香り」にこだわるフェーズに突入したのかもしれない!

 

3/5

 仕事を終えて帰宅すると、同居人が仕事のことや友だちのことで三連続のフリートークかましてきたが、対する僕は特に持ち合わせのトークがなく、雑魚扱いされた。トークの代わりといってはなんだが、三宅唱とハマリュウと三浦哲哉さんの鼎談の記事と柴田聡子のセルフライナーノーツがよかったよ、まだどっちも途中までしか読んでないけど、というと、もうセルフライナーノーツのほうは既に読んでいたそうで、これも負けた。鼎談記事もセルフライナーノーツも、創作物について作り手自身が豊かに言葉を紡いでおり、それぞれの制作段階におけるこだわりがふんだんに語られる。作り手がこだわり抜いたポイントは、実際に完成し僕たちのもとに届けられた創作物においてもきちんと僕たちの胸を打つ。作り手がこだわったところが受け手に届くというのは、もちろん狙っているのだから当たり前のことのようだが、作り手と受け手がまるで異なる個々の人間である以上、まったく当たり前のことではなく、ほとんど奇跡に近いともいえる。そんな奇跡が実現してしまっているということが、作り手と受け手の素敵な信頼関係、あるいは共犯関係を強固なものとする。というようなことを思わせる記事と文章だった。

 そもそも、べつに創作物に限らず、たとえば日常会話や、いま書いているような日記のような文章にしたって、ひとりの人間が思っていること、感じていることが、言葉や身振りを介して別の人間へと伝わること(あるいは伝わったと信じられること)自体がすごいことだとときおり思う。

 フリートーク後、入浴してから、アマプラで『東京ラブストーリー』が見られるっぽかったので第一話を見た。織田裕二鈴木保奈美がかわいかった。去年『101回目のプロポーズ』で見て以来の江口洋介がまったく同じ髪型で登場してうれしかった。視線や感情の交錯がいじらしい。楽しんで見ていた終盤、はにかむ織田裕二の口から「ずっちーな」(「ずるい」の意)という言葉が放たれてかなりウケた。ウケると同時に聞いたことがある気もして、調べてみるとやはりさんざんモノマネされてきている有名なセリフなのだった。たしかにモノマネしたくなる魅力があるというか、そもそも「ずっちーな」なんて言葉はおそらくこのドラマ以外には存在しておらず、その脈絡のなさも含めてウケてしまうに決まっているのだった。一九九一年に放たれた「ずっちーな」という謎の言葉が、時を超えて二〇二四年の東京においてもウケる言葉として響くこと、そして僕が覚えていなかっただけで、実際は「ずっちーな」はおもしろフレーズとしてこれまで長く継承されてきていたということ、そういうことにも人間の豊かな営みを感じ取って、奇跡のようだと思えてしまう。

 

3/6

 仕事を早めに終わらせたという同居人が、お金の持ち合わせがなかったため帰り道で何も買えなかったのと、花粉症がやばいのでもう二度と外に出たくないというので、僕が夕飯を買って帰ることを請け負ったのだが、◯時には帰ります、……ごめんあと三十分くらいしたら帰ります、……ごめんあと三十分、……ほんとうに申し訳ございませんあと三十分、というような形で帰宅時間は延々と繰り越され、ようやく帰った頃には鼻をずびずびさせた同居人がほとんど寝込みかけていて、非常に申し訳なかった。

 

3/7

 高校生や大学生の時分にアメリカのインディーズっぽいロックバンドを順繰りに聴いていくとなれば必ずその名が挙がり、手始めにもっとも有名なアルバムから聴いてみるも、ヤンキーがどうたらこうたらというそのアルバムが美しくも寂寥感や荒廃感に満ちているため一聴してまず戸惑うこととなり、今度は他のアルバムを聴いてみるとどうもカントリー色が強く、当時他に聴いているバンドに比べて地味で、自分には合わないのかもしれないと思っていったん聴くのをやめ、しばらく寝かせることとするが、数ヶ月経ったのちにも、地味だったはずの曲の一節がいつの間にか頭のなかで流れており、久しぶりに再生してみるととたんにかつてない豊かさを伴って鳴り響いた、という経験をきっと誰もがしているであろうバンド・ウィルコのライブに行った。めちゃくちゃかっこよくて、笑いながら泣きながら見た。今回ライブを見たことで初めてウィルコのことがちゃんとわかったといっても過言ではないほどの圧巻のパフォーマンスだった。

 とにかくギターがすごい。コーラスワークに参加することもなく、ステージの左のほうで自由に動くことを許されているギタリストのネルス・クラインがとにかくギターを弾きぐるう。これまで見てきたギタリストのなかでいちばんすごかったかもしれない。ときにじっくりと響かせ、ときに全身で痙攣するかのように弦を掻き鳴らし、ときに混沌とした音像を目の前で再現してみせる。かといって好き勝手に弾いているわけでもなく、前に出るべきタイミングでのみ出てくる仕事人っぷり。彼だけではない。メンバー六人が互いに強い信頼で結ばれ、ウィルコであることを生業としているがゆえの躍動感に満ちた最高のライブだった。

 バンドであることを長く仕事にしていることのすごさ、のようなものは、昨年のヨ・ラ・テンゴのライブでも感じたが、奇しくもヨ・ラ・テンゴのギタリストであるアイラ・カプランとウィルコのネルス・クラインは六十七歳と六十八歳でほぼ同世代らしく、もうジジイといってもいい年齢のひとたちがあまりにもみずみずしいギタープレイを披露していることがほんとにやばい。と語彙をなくしてしまうほどにやばい。ちょうど明日(というかもう今日)アルバムを出す七十歳のキム・ゴードンも、先行曲を聴く限りやばくて、そうやってやばいジジババがいるというのはこれからの人生の励みになる。今日一緒に行った同居人と友だちも「やばかった」とばかりいっていたので僕だけがやばいしかいえないマシンになったわけではないということだけ補足して、寝ます。

 

3/8

 昨日のウィルコはまだまだ頭のなかで鳴っており、曲を再生すれば昨日の音がオーバーラップしてきて、"Impossible Germany"の終盤、長い旅を終えたギターのサウンドが再びひとつに重なるところで涙し、"Pittsburgh"の耳をつんざくキーボードと低く吼えるギターにやられ、かと思えば昨日演奏していなかったはずの"Via Chicago"においても眼前にウィルコの六人の姿が浮かび上がり、ジェフ・トゥイーディのボーカルに続いてネルス・クラインがギターソロで会場を揺らし、途中の混沌としたパートも完璧に再現してみせて、完璧な混沌とはこれいかに、と驚かされたという存在しない記憶がよみがえってくる。いってみればこれはウィルコの曲が自然とライブの臨場感をもって聴ける耳になったということであり、しばらくの間はこの耳を携えて生活していけるということでもある。

 ライブに限らず、映画でも本でも、なんらかの形でふれた作品たちが、ほんの断片的にでも生活に堆積してゆき、日々を彩る。コロンビアの海辺の町のさびれた中央通りと台湾の団地の非常階段の踊り場と二〇二四年の夏の東京のコンビニへの道中に同じ風が吹くことがあるのだ。

 

3/9

 一昨日のマヂラブのANN0を聞いたら奇しくもドラゴンボールの話をしていて、やはり読みたいと思った。ドラゴンボールドクタースランプも読まず、アニメも見ず、ドラクエもやらずに、あまりにも有名な数々のシーンやセリフの断片にだけ触れて育ってきた。ドラゴンボールだけではない。漫画にかんしては必修といわれるような作品をほぼ通らずに来てしまっていた。同居人は僕の漫画にたいする姿勢を評して「漫画を下に見ている」というが、けしてそんなことはなく、単に漫画を読むという行為が幼き頃から習慣化されてきておらず、また周りにそうした手ほどきをしてくれるひともいなかったためにたまたま漫画と交わらずに生きてきてしまったのだ。

 今日は家で起きては寝、起きては寝を繰り返し、夕方頃に思い立って食パンを買いに同居人と街へ出るも、狙っていたパン屋は既に売り切れていた。やはりパン屋で食パンを買うようなひとはたいてい休みの日も早起きしていて、夕方にパンを買うなんてありえないのだろう。漫画とパンは難しいと思った。

 パンは買えなかったが、それだけで帰る我々ではない。同居人の花粉症を、せめて家にいるときには和らげるべきだということで、渋谷のビックカメラに行って空気清浄機を買った。販売員のひとが「花粉症ですか? ならダイキンです」というのでいわれるがままにダイキンにした。他のメーカーは花粉を和らげるという表現だが、ダイキンだけが花粉を分解するという表現をしているんです、というようなことらしかった。帰宅してさっそく点けてみたが、空気清浄機というのはどうもいまいち効いているのかわかりにくい。ダイキンの空気清浄機はしゃべらないタイプなので特にわかりにくい。でもときおり気が変わったかのように大きめな音を出して働いているので、空気中のなにかを無言で検知しているのかもしれない。

 実家にあるパナソニックの空気清浄機は「空気の汚れを検知しました」「きれいになりました」などとよくしゃべるやつだった。帰省したときに父がわざと空気清浄機の近くでおならをして「空気の汚れを検知しました」といわせるというのをやっていたのを思い出した。

 そのあとはR-1グランプリを追っかけで見た。街裏ぴんくみたいな、大嘘の話をめちゃくちゃうまく話しているだけのひとが優勝するなんてすごくいい大会だと思った。どくさいスイッチ企画さんの「ツチノコを見つけたひとの一生」の愛すべきディテールもとてもよくて、そのなかでもツチノコ発見から十年以上経った日のテレビの取材における、ボンレスハムかと思ったらツチノコだったんですよ、みたいな、何度も同じ話をしてきたひとならではの小ボケの入れ方の再現に、市井のひとの感性を感じてぐっときた。同じ話を何度も話すことで溜めや緩急や小ボケの入れ方が洗練されてゆくというのは僕たちの日常においてもけっこうあることで、同居人なんて僕との会話でも「これ話すの一回目だからあんまりうまくできないな」なんてことをいったりしているのだが、そういう小市民的な視点をまとった上で街裏ぴんくの二本目のネタを見ると、抜群にうまい緩急や溜めはまさしく何度も同じ話をしてきたひとのそれに違いなく、話のおもしろさが際立つ話法が完成されており、そうなるとやはり、その話自体が大嘘であることのおもしろさも余計に沁みてくるのだった。

 そういえばビックカメラの販売員のひとも「花粉症ですか? ならダイキンです」の「なら」の前に、文字で表記するとしたら「ンなら」となるような溜めを置いていて、おそらくここ二週間ほどで既に百回くらい発しているお決まりの売り文句なのであろうと思わせるものがあった。というのを思い出した。

 あと、空気清浄機を買って帰ってきたときに夕飯を考えるのが面倒になって家の近くのそば屋に行ったのだが、隣のテーブルでは競馬新聞を見ながら楽しそうに語らっているおじさん五人がいて、いい集まりだと思った。というのもいま思い出した。思い出した順に書いている。今日の日記を書くのは一回目だからまだあまりうまく書くことができない。でも今日の日記は今日しか書かないので、うまさを捨てる必要がある。

 

3/10

 同居人は用事があったため、僕は僕で映画を観に行った。イメフォでタル・ベーラの『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観た。すごい映画だった。タル・ベーラの特徴といえばなんといっても圧倒的な長回しなのだろうが、それが単に〝作家性〟というような言葉で回収されるものにとどまらず、映画の動きそのものを生み出していて、広場に集った住民たちが暴動へと掻き立てられる流れと、そのあと逃げる主人公がヘリコプターに追われるシーンにはほんとに戦慄させられてしまった。思えば冒頭で主人公が酒場で酔客たちを太陽系の惑星に見立てて踊らせるシーンと、後半で住民たちが謎の声に扇動されて暴徒と化すシーンは見事に対応していて、ひとがひとを動かすことが美しくもあり恐ろしくもあるというテーマが貫徹されていたのかもしれなかった。

 観終わってから散歩し、ドトールに入って『オーバーヒート』を読み終えた。『オーバーヒート』の文章は即時的(≒ツイッター的)な印象があっておもしろい。生理的な嫌悪感を論理立てて説明しようとしたり、事務仕事に向き合ったり、四十代のゲイであることを思考したり、馴染みのバーでひとりツイッターを眺めたりする様々な日常の場面ごとに思考の文章や文体というものももちろん変わるはずで、そのリアルタイム性のようなものを文章として捉えながら、徹底的に練り上げられていてすごいと思った。

自転車というのは移動の自由、そして独身的自由の体現であるべきで、僕は「放置自転車」なる概念を認めていない。「自由駐輪」と呼ぶべきだ。しかし自転車の取り締まりもこの間ひどくなった。新たな言葉をでっちあげて社会問題化する連中に対抗して、そんな言葉をそもそも認めないという闘いが必要なのである。

(千葉雅也『オーバーヒート』)

 なんてことをうそぶく語り手が、若い恋人とのコミュニケーションにおいては驚くほど素朴な語彙しか使えない。そのコントロールがうまい。そのあと、昼を食べていなかったこともあり空腹だったので、二郎系ラーメンを食べに行って、ちょっと気持ち悪くなって帰った。しばらくしたら同居人も帰ってきた。

 

3/11

 昨日の夜からなんとなくだるさを感じていたのが朝になったら発熱という形で身体にあらわれていて、会社に休みの連絡をしてから病院へ行った。発熱だと通常の待合室とは切り離され、パーテーションで仕切られた隅っこの空間にて待つこととなる。柴崎友香の『百年と一日』が文庫化されたのを昨日買ったので読みながら待った。前に図書館で借りて読んだはずなのだが、三十個近く並ぶ掌編のなかにはまったく覚えのない話もあって、そういう覚えてなさみたいなものを文章として書き留めておくというのがこの本だという気もしながら、あらためて楽しく読み進めた。再開発の進む土地の駐車場のなかで営業し続けるラーメン屋についての話はM-1ヤーレンズの「麺ジャミン・バトン」のことを思い出させた。漫才における愉快なやり取りに、小説で描かれている時間の厚みが付与され、そういえば「麺ジャミン・バトン」という店名自体が時間的な厚みを感じさせるものだということも僕のなかで関連づけられて、勝手に感傷に浸った。漫才というものは、漫才の外の何かとの結びつけを喚起する磁場みたいなものを持っている。

 本を読みながら待っていると、小さな男の子と女の子とそのお母さんも同じスペースに入ってきてにわかに賑やかになった。おそらく女の子とお母さんの具合が悪そうで、ポニョのそうすけを思わせる髪型をした男の子は手持ちぶさたそうに立ったり座ったりを繰り返し、チピチピチャパチャパなどと口ずさんでいたが、それはおそらく「猫ミーム」というやつで、お母さんも「猫のやつね」と反応してあげていた。

 インフルでもコロナでもないですね、ということで帰宅。帰りにコンビニで買ったそばを食べてから昼寝した。そういえば311のとき、父は帰りの電車が止まったから途中から歩いて帰ったといっていたが、ふと気になって父がいっていた駅から実家までの距離を調べてみたら二十キロくらいあった。

 

3/12

 会社の下のコンビニで買った「黒あめ」という飴をときおり舐めながら仕事をした。黒あめのパッケージにはでかでかと「沖縄黒糖使用」ということが謳われており、それを見て買ったのだが、僕は沖縄黒糖というのがどれほどすごいものなのかを存じ上げず、ただ沖縄と黒糖という単語の並びから醸し出されるざわわとした雰囲気から、これにしておけば間違いないだろうと判断して買った。世の中のたいていのことは雰囲気で成り立っている。今日会社からの帰りに「衝撃を超える真実の実話。」というキャッチコピーのついた映画のポスターを見た。

 黒あめは一粒一粒が大きく、舐めるのにもある程度の覚悟が必要となる。うかつな気持ちで口に入れてしまうと口蓋に当たって痛いのと、口内での存在感がありすぎて窒息するのではないかと少し怖ろしくなる。そんな飴をどうして買ったのかといえばそんなに大きいとは知らなかったからであり、もっと元を辿って、そもそもどうして飴なんか買っているのかといえば、少し前の咳がよく出ていた期間に、口から喉にかけて乾燥しているからよくないのだと思い当たり、最初はのど飴を買っていたのだが、乾燥を防ぐというだけであればのど飴に限る必要はなく、むしろクリーミー系の飴や、甘めの飴がよろしいのではないかということで、コンビニの飴コーナーに並んでいるものを順繰りに試していっているのだ。この黒あめの前には「邪払のど飴」、その前は「龍角散ののどすっきり飴」、その前には「純露」を買った。いまのところ純露がけっこうよかったが、これまたまあまあ大きく細長い形をしており、舐めるのに覚悟のいるタイプの飴なのだった。

 今日もあまり調子がよくなかったのでわりと早めに会社を出て、ちょうど帰ってきた同居人とスーパーで買い物をして帰宅した。米を炊き、味噌汁とクックドゥの炒め物を作り、それと並行して風呂を沸かし、順番に入り、その間に米が炊き上がるという感じですべてがうまくいった。スピーカーでウィルコを流しながら諸々の準備をした。

 

3/13

 同居人が家に友だちを呼ぶことにし、部屋を急きょ片づけたそうで、散らかり放題だった部屋が少しきれいになった。しかし、光あるところには陰もできる。リビングの側はきれいになったようだったが、そのしわ寄せが寝室の側に来ており、それを少しでも改善しようと同居人ががんばっているところに僕が帰宅した。僕は掃除は苦手なので皿洗いなどをした。激ネムになったので寝る。

 

3/14

 やっぱりウィルコはギターロックっすね!という視点でアルバムをひととおり聴き直し、最後にあらためて『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』を聴いてみたところ、ギターロックであるとはそこまで思わなかったものの、ふつうにまじでいいアルバムすぎてウケた。

 

3/15

 長く仕事をして帰宅したらもちろん同居人は眠りかけていて、中途半端に起こしてしまい申し訳なかった。会社と家との間にいいにおいのする花が咲いているゾーンがあって、今日の帰りもそこの前で息を深めに吸った。なんの花かはわからない。花や草や木のことがまったくわからない。花や草や木だけではない。鳥もわからない。屋外を歩いているときに視界に入ってくるほとんどのもののことはわからない。

 

3/16

 家でゆるりと過ごしてから『デューン 砂の惑星PART2』を観に行った。家を出るのがギリギリになってしまい、同居人にもムカつかれたし、映画館の周りの席のひとにもおそらくムカつかれてしまっただろうが、映画はかなりすごかった。被写体深度が極端に浅いIMAXカメラで交互に映される広大な砂漠の風景と登場人物たちの顔の大映しは、それだけでこの作品をこれまで観たことのない映画たらしめていた。物語よりも先に、まず映像の面で映画というものを更新しようとする映画。そんでもって語られるのは古典的で世界史的な、あるいは神話的といってもいい(実際、劇中世界の神話が再現されていくのだからまさしく〝神話的〟だ)物語なので、ドゥニ・ヴィルヌーヴの生真面目さとの相性がすこぶるよく、ベタな展開がきちんと盛り上がるように演出される。主人公ポールが救世主となっていく過程などはあとから振り返ってみると性急ではあるけれど、脚本上の自然な流れよりは映像で観客を説得せんとする強い意思によって屈服させられてしまった。ただ、観ていて楽しいしわくわくもするのだが、こうなるともっと驚かせてほしいと思ってしまう面もあって、やはりドゥニ・ヴィルヌーヴというひとの真面目さがまだ前面に出ている気もするので、PART3ではもっと殻を破ってほしいですねえ、とかなり偉そうなことも思った。

 物語自体が実はシンプルであるということもあって、裏の主役ともいえるポールの母親レディ・ジェシカのかなりノリノリの暗躍っぷりや、彼女に踊らされる自分の役割を自覚しつつ徐々にゾーンに入っていくポール、そしてそのポールを盲信して前のめりに声を上げ続けるスティルガーの姿を追うのが楽しかった。特にスティルガーの、ポールが救世主であると信じるしかない悲哀は、笑ってはいけないはずなのに笑ってしまった。

 あとはフェイド=ラウサという名前のかっこよさにも痺れた。残虐な悪役の名前として理想的な響きを持っている。僕ももし仮に「フェイド=ラウサ」と名付けられていたならいまよりずっと尖って生きていただろうと思う。

 夜は大学のときの友だちたちとの飲み会に行った。みんな元気そうでよかった。元気があればなんでも、はできないかもしれないが、少なくともこうやって久しぶりに集まったりはできる。友だちのひとりは家も近いことがわかったのでまた今度会おうねといって解散した。

 

3/17

 重ね着によってじっとり汗ばんでゆく冬の気持ち悪さとも、ただ存在しているだけで身体じゅうから汗が吹き出てくる夏の苦しみとも違って、心地よい陽気に誘われ、散歩をしているうちにじんわりとかく汗すらもなんだか悪くはないように思える季節が到来した。春にかく汗というのは不思議と不快にならない。だから今日は散歩をした。散歩をしてイソップでお香(イソップ流にいうと「アロマティックインセンス」ということになるらしい)を買い、ニトリでピンチハンガーを新調して帰った。そのあとスーパーにも行ってミネストローネの材料を買った。イソップで買ったアロマティックインセンスを焚き、ユーミンの『MISSLIM』をかけながら本棚の整理をし、ミネストローネを作り、シャワーを浴び、『光る君へ』を見ながら食べた。なかなかうまくいった休日だった。春をうまく過ごすポイントは早めにシャワーを浴びることだ。

 

3/18

 今日はまた寒くなってしまって、

「また気温一桁?」

「明日も寒いらしいですよ」

「えー」

「木金も寒いかも……」

「えー」

 という会話を会社のひととした。僕はほんとに天気の話が好きなので、可能ならば毎日でも誰かと話したい。「日本海側で低気圧が発達してるみたいっすね」とか「太平洋側はところどころ曇りのち雨となるっぽいっすね」とか、そういう会話が行き交う日常。いや、それはちょっと僕の希望とは違っていて、僕はまじで感覚的で無根拠な話をしたい。どちらかというとむしろ「感覚的で無根拠な話をしたい」というのが本音であり、それを気兼ねなくできる話題として天気を選んでいるだけなのかもしれない。どちらでもいいのだが、とにかく天気の話が好きなのだ。

 そんなわけで今日はまた寒くなってしまったので、昨日の天気を頭のなかで反芻していた。昨日はまず昼間の、春物のアウターを選んで出かけてもなおうっすらと汗ばむ、しかしその汗すらもなんだかうれしい陽気。雲ひとつなく、うっすらと黄みがかった青空のまぶしさ。あの黄みが仮に花粉によるものだとしても、少しも素晴らしさが減じないほどに気持ちのよい天気だった。汗すらも心地よいなんていうのは一年でほんのわずかな時期にしかあり得ないことなんですよね。なおかつ三月ともなればすっかり日も長く、夕方に帰宅した時点でも、窓から見えるマンションの上階にはまだ西日の照り返しが残っていて、それがなんとも日曜日の夕方という感じがしてほんのりさびしくもあり、しかしそういうさびしさを感じられること自体への不思議なうれしさのようなものもあり、奇妙なことだがトータルで考えるとうれしいが勝っていたかもしれない。

 そんでもって、昼間がそういう感じの天気だと、夜もまた気持ちがいい。夕飯後にアイスを食べるという選択肢が自然と思い浮かぶ、それもぜったいに食べたいというほどのものではなく、「そういえばアイスあるね」「食べてもいいね」という具合の穏やかなやり取りが交わされる夜である。風呂上がりには半袖シャツ一枚で過ごせ、夜が更けるにつれてほんのり肌寒くなってゆくが、そうなると「肌ざみいでございまさあねえ」なんてつぶやきながら上にもう一枚羽織るという、ただ防寒をしているに過ぎないはずの挙動さえも、その背後にこれまで人類が何百年、あるいは何千年と過ごしてきたであろう数多の同じような夜──昼間暖かかったから夜もシャツ一枚でいけるかと思いきや意外に肌寒くなってきてもう一枚羽織る夜──が存在し、先人たちも同じように「肌ざみい」とつぶやきながら重ね着をしてきたであろう、その歴史の果てで僕がいまもう一枚の長袖シャツを羽織ろうとしているという、重ね着の時間的厚みのようなものがにわかに心に襲来する。昨日みたいな天気の日にはそういう時間の扉のようなものが開く。なんてことをいま書いているが、昨日はそんなことは一ミリも考えずにただ肌寒くなって重ね着をした。いまこうやって昨日の天気を振り返るに当たって、無根拠にてきとうなことを書いた。

 

3/19

 夜、石橋英子×濱口竜介の『GIFT』を観た。すごかった! パフォーマンス後のトークセッションにおいて、現在パリにいるというZOOM越しのハマリュウの顔がスクリーンに大写しで投影される形となり、本人も少し困惑していてウケた。激ネムなので寝る。

 

3/20

 石橋英子からの「ライブパフォーマンス用の映像を作ってほしい」という依頼を受けた濱口竜介が、石橋英子のスタジオのある長野県にてロケハンをし、善悪のない自然に感銘を受けながら劇映画を想定して撮影した一連の素材から制作されたのが、『悪は存在しない』という長編映画と『GIFT』という無声の映像作品である。スクリーンに投影される『GIFT』を見ながら石橋英子が即興でパフォーマンスをする公演の八回目が昨日行われ、僕と同居人で観に行った。チケットを買っておいたはいいが、当日までどういう企画なのかよくわかっておらず、昨日ようやくわかったはいいものの、また忘れてしまっては元も子もないのでいまこうしてあらましを書いた。

 ハマリュウによると二つの作品は同じ映像素材をそれぞれ別の形で編集したものだそうで、まだ『悪は存在しない』のほうを観ていないので実際のところはわからないが、おそらく話の大筋は似ているのだろう。しかし、これも同じく『悪は存在しない』を観ていないのでわからないが、観ていなくても断言できるほどに『GIFT』における編集のリズムやシーンの取捨選択は明らかに特殊で、まさしくライブパフォーマンスのための映像といえるものになっていたし、それに合わせてときに美しくときに不穏な音を当ててゆく石橋英子も素晴らしくて、映像と音楽の幸福な相乗効果が最大限発揮されていた。

 映像の序盤に映される主人公親子の日常風景と、そこに合わさる石橋英子の驚くほど不穏な音楽(その不穏さは映像上のある編集とも重なることになるのだが)、その奇妙なバランスが心地よく、このまま日常風景が延々映される映像でもいいとすら思っていたところ、ちゃんと話が動き出すので最初はむしろ戸惑ってしまった。しかし特に終盤、話が思わぬ方向に展開していくのでそれはそれでおもしろく、ふとスクリーンから目を離してみれば石橋英子が片手で機材をいじりつつ片手でフルートを吹いていたりしておりとにかくすごい。『悪は存在しない』のほうも観るまで判断は留保すべきだが、少なくとも昨日の『GIFT』の公演は体験として素晴らしかった。

 今日の午後は『すべての夜を思いだす』を観に行った。同居人は花粉症のせいかずっと眠そうだったので僕ひとりで行った。かなりいい映画だった。僕は映画の舞台である多摩ニュータウンにも行ったことないし、映画に出てきたひとたちと話したことも会ったこともないのに、明確に知っていると思える風景と、このひとたちは実際に存在するのだろうと確信できる足取りが映されていた。映画というものは、自分が体験していない記憶を呼び起こす装置なのではないか。『すべての夜を思いだす』を観た僕は、ある晴れた春の日に多摩ニュータウンの団地を歩き回った僕になったし、その記憶はなにか別の映画を観たり小説を読んだりしたときにふと思い出されることになるのだろうと思う。というかたぶん『すべての夜を思い出す』に映っていた風景を知っていると感じたのも、おそらく別の映画や小説、あるいは散歩中の記憶によって導かれた感覚なのだろうし、そうやって作品と作品、散歩と散歩どうしが繋がって、僕自身の生活に堆積していくのだろう。

 映画館への行き帰りにはベックの『シー・チェンジ』を聴いた。なぜか聴きたくなったのだが、映画のモードとも合っていたように思った。帰宅してからはまだ寝転がっていた同居人を傍目に夕飯を作り一緒に食べた。夜には『百年と一日』の続きを読んで、これまた『すべての夜を思いだす』と共鳴していたように思った。以前図書館で借りて読んだはずなのだが、覚えている話と覚えのない話があって、その混ざり具合も不思議だし、話の内容を覚えていないとしてもそれを読んだということ自体はいまの僕の生活のなかにやはり堆積しているのだろうとやや都合よく思う。

 

3/21

 昨日の『すべての夜を思いだす』はクライマックスになるような展開や描写が周到に避けられており、そのおかげで物語が閉じられていない感じがするのもすごくよかった。ハガキに記載されていた住所を尋ねても友人はもうそこには住んでいないし、外で夜まで待っていても待ちびとは来ないし、行方不明になっていた老人を家族に送り届けるというくだりも、その過程のみが描かれ、対面や歓喜のシーンは省かれる。一件落着、が描かれない。あげく、カメラはもう死んでしまったひとの視点にもなって(それはそのとき画面に映るひとがカメラに向かって話しかけてくることでわかる)、この映画が死者にも、あるいはカメラのこちらの僕たちにも開かれていることがわかる。その視点の行き来は、ちょうど劇中にチョイ役で出てきた滝口悠生の『死んでいない者』を思わせるし、あるいは『長い一日』において語り手が妻や友だちになる展開のことを思い出させる。語り手が勝手に妻や友だちの視点を借りて語り出すというのは、その語り手が僕にもなり得るということ、ようするに物語がこちら側まで来る可能性があるということを示しているのではないかと、今日も『すべての夜を思いだす』のことを思い出しながら思った。

 閉じられていない物語のなかで、三人の女性の一日が、交差することはないまま、しかしゆるやかに触れ合う。一日の終わりにふと「なんか今日変なひといたな」なんてふうに思い出す、その変なひとにもそのひとの一日があり、そのひとはまた別の誰かを思い出し、そのゆるやかな連鎖がずっと続いていく。

 今日は同居人が会社の同僚に貸していたニンテンドースイッチが返ってきたので、少しだけプレーしたが、久しぶりのマリカにはどうもハマれなかった。ゼルダならハマれるかもしれない。いまから少しだけやろうか、それとももう寝ようかという二択を決めあぐねたままこうやって日記を書いている。と書いたが実際はもう決めていて、もう寝る。眠いから。

 

3/22

 昨日早く寝たのに今朝は調子が悪くて、会社に遅れて出社する旨を連絡し、少し休んだがやはりよくならなかったのでやはり休むという連絡をした。それなら最初から休めという話だが、朝の時点では行くつもりがあった。調子がよくならなかったというのも、ほんとは精神的なストレスがあるのかもしれない。社会人になって何年も経つと、社会人であることに慣れる一方で、社会人でなかった頃からの自らのあり方との齟齬のようなものが、ある部分では消化されつつ、ある部分では溶けずに残ったままになったりして、そういうしこりのようなものが日によってははっきりと顔を出して「調子がよくないです」というようなことになるのかもしれない。

 昼ご飯を食べるために外に出て、そのまま散歩をした。以前友だちと昼にジンギスカンを食べた日(というのを日記上で「ジンギスカン」や「散歩」で検索してみたところ昨年の十月九日のことらしかった)に散歩した道がなかなかいい感じだったのを覚えていて、そのときの道をもう一度歩けないかと思って探しながら歩いたのだがけっきょく見つからなかった。でもその代わり、以前から境内に入ってみたいと思っていた神社のなかを通ることができた。散歩をするということは常に分かれ道での二者択一を迫られ続けるということであり、選ばなかったほうの道にも後ろ髪を引かれつつ選んだほうの道を進んでいくということであるが、何度も同じ道を散歩することによって、前回は選ばなかったほうの道も選ぶことができる。それが家から歩いてゆける範囲を散歩することの醍醐味だともいえ、これがたとえばふと降り立った町での散歩となるとこうはいかない。一回きりの散歩において、選ばれなかったほうの道の先は、永遠にわからない。でも逆にそのわからなさのようなものを日常の範囲にも残しておきたいという気持ちもあって、何度も通っている分かれ道でいつも同じほうを選択するという場合もある。

 むしろ同じ道を歩くことの快感のようなものも不思議とある。そうそう、ここからここに繋がるんだよね、というような。太い通りと付かず離れずの距離でくねくねとうねっている細い道が、最後にはやはり太い通りに合流する、曲でいうとまさにウィルコの「インポッシブル・ジャーマニー」のギターのような、と『スカイ・ブルー・スカイ』を聴きながら思った。今日はそれとエイドリアン・レンカーの『ブライト・フューチャー』を聴きながら歩いた。

 小学校の前を通りかかったらちょうど卒業式の日だったようで、校庭で集合写真を撮影しているところだった。そのあとたどり着いた商店街には「ご卒業おめでとう」という横断幕が掲げてあって、奇しくも僕が卒業したみたいな感じになってしまった。

 なってないか。

 帰宅後、やはり少し仕事してから、積ん読になっていた齋藤なずなの短編集『夕暮れへ』を読んだ。中年、あるいは老年の生と死がほとばしるすごい漫画だった。調べると齋藤なずなはずっと多摩ニュータウンに住んでいるそうで、最後の短編「ぼっち死の館」の舞台である団地のモデルもおそらくそこであろう。奇しくも『すべての夜を思いだす』とまたリンクして、そういえばあの映画にも老人たちは登場していたなあ、と思い出すなど、またゆるやかな連鎖が続いた。ニラの味噌汁を作ったりしているうちに同居人が帰ってきて、夜は一緒にテレビ番組を見るなどした。

 

3/23

 同居人は今日も仕事があるということで出かけていった。僕は、車を買い替えたから運転しに来なさい、という誘いを受けて実家に帰ってきている。出会い頭に母に、ちょっと太ったんじゃない、といわれ、そのとおりでございやす、とおどけた。ジョイマンが出ているピルクルのCMは池谷が「なんだこいつ~」をいわずに終わってしまうから物足りない、という話を弟とした。

 助手席に父を乗せてあれこれ説明してもらい、へえ、なるほど、などといいながら家の周りを大きく一回りする形で運転した。たしかに運転しやすかった。新しい車のバックミラーは、正確にはミラーではなく、車の後部に付いているカメラからの映像がミラーに擬態しているもので、父曰く、車の前の景色とそのバックミラー風映像を交互に見ようとするとそのたびに目の焦点を調整する必要があり、老眼には疲れる。買い替えた当初は少し酔いもしたとのことで、僕はその話にたいしてもやはりなるほどと応じた。

 家の近くには沼があり、その外周を大きく回って、向こう岸まで行く形で車を走らせた。向こう岸、というのは隣の市に入ることになるのだが、走らせているうちに僕の知らない工業団地が現れ、こんなところ初めて来たな、とつぶやくと、助手席の父が、いやいや、あんたが実家にいる頃から何度も車で通ったことがあるはずだよ、といわれた。「あんた」と書いたが、父ははたして僕のことを「あんた」と呼んでいるだろうか。「あんた」ではなく下の名前で呼ばれているような気がする。いざ書こうとすると、なんと呼ばれているかということもわからなくなる。それはともかくとして、工業団地。何度か通ったことがある道だとしても、かつての僕はそれを単に窓の外の景色としてしか認識していなかったようだ。もしかすると以前通ったときには僕は運転者ではなく、後部座席に乗っていたのかもしれず、そうなると匿名の景色としてしか見ていなかったというのも納得がいく。車に乗るとき、運転席、あるいは助手席に座るのと、後部座席に座るのとでは、周囲への関心の度合いというのが大きく異なるという実感がある。

 それとも、昨日の日記で散歩について書いたことで、景色全般にたいして敏感になっているのかもしれない。今日実家に帰ってくるときに乗った電車でも、車窓を流れる景色を眺め、そのなかに散歩しがいのありそうな場所を見出しながら座っていた。かつての僕がおよそ十年にわたる通学において何千回と目にしたであろう景色であっても、そのなかを散歩しようという観点で見るとまったく別の階層が立ち上がってくる気がするのだった。でも、よほどの気まぐれを起こさない限り、わざわざ途中駅で降りてその景色のなかを実際に散歩するということにはならなさそうで、僕はけっきょく、たくさんの景色を目にして、そのなかを散歩することを想像しながら、いまの家の周囲ばかりを何度も散歩し続けるのだろうと思う。それはまったく悪いことではない。

 

3/24

 いま使っている枕と比べると実家の枕は尋常でないほど低い。はたしてほんとうにかつての僕はこの枕で寝ていたのか。でも考えてみれば、いま使っている枕も、枕自体がそこまで高いわけではなく、下に小さなクッションを敷くことでかさ上げしているのだった。どうしてそんなことをするようになったのか、最初の経緯は忘れてしまったが、もしかすると横向きに寝ようとするときに肩がこらないようにするにはいまの高さがちょうどいいということなのかもしれない。

 ということを昨日の夕方、実家の枕で横向きになって昼寝したあと肩と首のあたりが痛くなっていたので思った。そんなわけで、経緯はともかくとしても、実家の枕がいまの僕にとって低いということには変わりはないため、昨日の夜はなかなか寝つけなかった。いろんな体勢を試したあと、枕を半分に折って二倍の高さを作ることで落ち着いた。しかしそんなふうに無理やり枕を変形させるというのは、枕界における自然の摂理に反する。けっきょく僕はその変形枕に変な夢を見させられ、深い眠りにつくことができないまま、六時半くらいに目を覚ました。朝食のあと二度寝した。二度寝の際にもやはり枕を半分に折った。

 午後は父に自転車を借りて家の周りを走った。電動自転車だった。晴れとも曇りともつかない微妙な気候だったが、春の天気とはこういうものだったかもしれないと思わせられる気持ちよさがあった。風が強くなくてよかった。汗をかかないくらいの速度でペダルをこいだ。

沼のほうへ出るこの坂道を通りたいがために毎回少し遠回りする

 昨日車で走った沼の周りを今日も走った。沼の周りには車道と別に遊歩道があって、歩行者や自転車が通れるようになっている。そこを走った。曇り気味の天気のせいで水面が美しくきらめいているとまではいかなかったが、それでもいい景色だとは思えて、そこにいる釣りびと、散歩する人びと、ベンチで本を読むひと、なぜか田んぼのなかでくつろいでいる白鳥、遊歩道に上がって人びとに絡まれている白鳥、その他のわからない鳥、すべて引っくるめて春のはじまりの日曜日の午後というひとつのセットのようでよかった。でもこうやってよかったと思うのが、たまに帰省して懐かしさを覚えるかつての地元民としての感情なのか、まったくの観光客的な感情なのか、はっきりしない。

 自転車は遊歩道を進み、やがて沼を横断する橋へと差し掛かった。向こう岸には道の駅があった。昔はしょぼかったはずのそこはいつの間にかリニューアルしてたいへん賑わっていて、僕が都内でよく行く本屋も小さなブースを出店したりしており、いかにもイマっぽくていい感じになっているのだった。なかを一回りしてからまた自転車に乗って橋を戻った。

 そのあとは昔よく行っていた図書館があるほうへと遊歩道を進んでいった。その図書館で最初は児童書を借りまくり、高校生になってからはCDを借りまくった。そこで借りていた児童書というと一番に思いつくのは「ぼくは王さま」のシリーズ。CDはなにを借りたか思い出せない。

 今日は懐かしさをそのまま残しておきたい気持ちがあって、図書館のなかには入らずに帰った。夕方まで読書してから夕飯をいただき、東京の家へと帰った。実家へ帰ることも、サイクリングから帰ることも、東京の家へと帰ることも、すべて「帰る」になる。帰りまくっている。

 同居人は今日うどんを食べたりジムに行ったり銭湯に行ったりして、銭湯で壁の富士山の絵がきらめいているのを見ながら、ヒラヤマじゃん……と思ったそうだ。自分なりのPERFECT DAYSを見つけていこうって話っすよ!

 

3/25

 日記を書こうとちょっと書いては消し、書いては消しているうちに激ネムになってしまったので寝る。書いては消し、書いては消し、と繰り返すほどには書いては消していたわけではない。ほんとは書いては消し一回分くらいのものです。散歩の話を書こうと思ったがやめた。あるいは仕事の話や、読んでいる本の話でもよかったかもしれない。帰宅したら同居人が鶏肉のクリーム煮を作ってくれていておいしく食べたという話でもよかったかもしれない。でも今日はもう書かずに寝る。

 

3/26

 雨。雨が降ると依然として寒い。しかしこの時期の寒さは、真冬のように身体の芯にまで響いてくるような、頑として動かしがたい性質のものではなく、もう少し柔軟で、様々な可能性に開かれたものという感じがする。ほんのりと温かさが忍んでいる。

 そうなると、むしろ雨の日ならではの湿り気や、空気のある種の重さ、におい、そういった要素が前景化してくる。寒さや冷たさばかりが感じられる冬の雨より、春や夏の雨のほうがしっかり「雨」という感じがする。その最たるものはやはり梅雨で、あのどうしようもないほどじめじめした空気を、僕はどうしてかしきりに恋しく思っている。今日の雨には梅雨の気配がほんのりあったように思った。その証拠というわけではないが、雨の降る空気のどんよりとした重さゆえか、今朝は六時に一度目が覚めた。もちろん二度寝した。

 日中は仕事。オフィスビルのなかにいると、いま外で雨が降り続いているのか、それとももう晴れているのか、天気についての感覚が失われる。もちろん窓の外を見ればいい話なのだが、それで仮に窓の外に雨が見えたとしても、 実際にその瞬間雨が降っているという現実と不思議に切り離される。ほんとに雨が降っているかどうかは自分で外に出て確かめてみるしかなくて、昼休み、下に降りて外の様子を見た。雨は降り続いていた。ついでに本屋にも行って、『ミュージック・マガジン』を少しだけ立ち読みした。エイドリアン・レンカーの新譜紹介のページでは、今回のアルバムの曲も山小屋にこもって録音されたという旨が紹介されていて、このひといつも山小屋にこもってるね、と思った。いつも山小屋にこもっていつも素晴らしい成果を残している。

 夜は同居人と『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観に行った。よかった。いろんな要素の絡み合う話自体よりも、仲間内での、当人たちだけがおもしろがっているつまらない会話がとてもよかった。あのつまらなさというのを物語のなかで表現し、それが二時間の映画のなかに残されているのがいいと思った。物語の展開自体はかなり後章に託されているので、原作を読んでいない僕からするとまだなんともいえないところなのだが、どうなるのでしょうか……

 

3/27

 夜、スマホ歩数計を見返してみたところ、ここ一週間でも日によるぶれがけっこうあって、そのなかでもたとえば日曜日の歩数の多さを見ながら、あれ、この日ってなにしたんだっけ、とすぐには思い出せず、同居人に、いや実家帰ってたんじゃん、とつっこまれた。そうだった。日記書いてるのに意味ないじゃん、天気の話とかばっかり書いてるから思い出せなくなるんだよ、ともいわれ、ほんとにそのとおりなのでなにもいい返せなかった。しかしここで一度整理したいのは、日記というものにはおそらく大きく分けて二種類の書き方があるということだ。ひとつはその日一日のことを順序立ててきちんと記述していくタイプの日記。そこにはきっと毎食なにを食べたかとか、なにを聴いたかとか、そういう情報も書き手によっては付け足される。正しく備忘としての日記だ。もうひとつは、その日一日(あるいはその日に限らずその前日や前々日)のなかの特定の瞬間のみを取り上げ、そのとき思ったことを記述するタイプの日記。これには一日のことが詳細に記されるわけではないので、日々の出来事の備忘としては弱い。僕はどちらかというとこの後者のタイプの日記を書いている日が多いので、ほんの数日前のこともすぐには思い出せない。

 

3/28

 早朝目が覚めた。頭痛がクソヤバい……

 寝て、また目を覚ましたときにも頭痛はあって、頭痛薬を飲んで出社した。定時後にややリラックスムードで仕事しているうちにやはり頭痛も回復してきて、ほんとは遅くまで仕事するつもりだったのだが、ちょうど同居人も帰ってくるとのことだったので退社した。生ぬるい外に出た瞬間頭痛はどんどんヤバくなっていき……

 帰ってきて頭痛薬を飲んだら徐々に頭痛は治まった。そのため、頭痛だからこんな日記しか書けなかった、といういいわけは通用しない。

 同居人の誕生日が近くて、せっかくならいつもと違うことでもしようということで試しに野球観戦のチケットを取ろうとしてみたところ、ぜんぜん席が空いておらずウケた。野球はすごい!

 

3/29

 渋谷にビヨンセがいたらしい。僕とビヨンセが史上最も接近した日だったということになる。次に大接近するのは七十二年後です、とかだったら彗星みたいでおもろい。べつにおもろくないか。

 あるあるに数字が出てくると、なんでだよと思いながらも毎回笑ってしまう。彗星が大接近する周期あるある、七十二年(生きていている間に一度大接近したらうれしい)。席替えあるある、窓から二列目の前から四番目(先生が廊下側からプリントを配るので回ってくるのが遅い)。夏の夜の散歩で蚊に刺された箇所あるある、八箇所(え、こんなに!)。

 今朝は雨風の強さで目が覚めた。雨風→寒い、という冬の図式のままに暖かいアウターを着て家を出たところ、外気は異様に生ぬるく、その雨風の強さがどちらかというと冬より春のものであると合点がいきつつ出社した。家から会社へのそう長くない道すがらにも湿気が肌にまとわりついてくる感じがした。つい何日か前には梅雨の湿っぽさを恋しく思っているというようなことを日記に書いたような気がするが、もうお腹いっぱいだ。でも梅雨はそのうち否応なしにやってくる。それがいまから憂鬱でありつつ、しかしやはり恋しい気もする。

 今日はたくさん仕事をした。定時後に気分転換も兼ねてちょっと外に出たとき、かなり散歩しがいのありそうな気温だと思った。そんな折にちょうど近くに住んでいる友だちから「今日どう?」と連絡が来たので、僕の仕事が終わるまで待ってもらってから一緒に散歩した。気ままに歩いていたら思いがけず通ったことのない道を通ることができたのと、友だちがGoogleマップをフル活用して行ってみたいお店を保存しまくっていたので、僕も乗じてGoogleマップ上への保存を使い始めることができてよかった。

 細い川に差し掛かったときにちょっと離れたところに小さな橋が見えて、それが遠くからでは木製のボロい橋のように思えたので、あれを渡りたいねという話になり、いざ行ってみたらぜんぜんふつうのちゃんとした橋で、べつにがっかりしたというほどのものでもないが、なんとなく日記に書こうと思った。それでいま書いている。

 歩いたあと、中華料理屋に入ってラーメンと餃子を食べてしまったので、プラマイゼロ、どころか、マイナスかもしれない。マイナスといっても、体重でいうと増えているので、プラスということもできる。帰ってきて靴と靴下を脱いだところ足が臭くて、同居人が前にいっていた、仕事で疲れた日の僕の足は臭いという説があらためて実証された。今日はわけあってちゃんとした革靴で出社し、その革靴のまま仕事のあとに長めの散歩をしたから、より臭くなったという可能性もなくはない。なくはない。とかいっている場合ではない。急いで入浴してよく洗った。

 

3/30

 ナイスな気候!

 

3/31

 自転車でどこか知らない土地の図書館に本を返しに行く夢のなかで僕は半袖だった。海とコンクリートと雑木林。雑木林を下っていった先には濁った池があって、前を走る知らないおじさんが自転車のまま池を突っ切っていく。池は単なる水たまりという感じではなく、深さがありそうなのに、おじさんは曲芸という雰囲気でもなく自然に水を切って進んでいた。僕もそのまま追随してもよかったはずなのだが、自転車のタイヤの空気が抜けてちょっとブヨブヨした走り心地になっていたというのもあって、池を渡りきれる自信がなく、切り返して図書館があるほうへ戻っていった。図書館への道は高架になっていて、波の細かい海が下に見えた。図書館はコンクリート打ちっぱなしのモダンな雰囲気の建物で、入り口のところに何台か自転車が停まっていた。その建物に入ることなく僕はまた自転車で走った。帰りはまた別の雑木林の横を通る道だった。それに似た道をこれまでも何度か夢で見たことがあった。僕の実家の近くの雰囲気なのだが、たぶん実在はしない道だ。そこらへんで目が覚めた。

 一昨日くらいから上昇している気温が、夢のなかの僕をも半袖にさせたのかもしれない。春到来。それどころか今日は暑いくらいで、花粉症の同居人に許可を取ってさすがに窓を開けた。

 マヂカルラブリーのラジオで村上がニンテンドースイッチの「Fit Boxing」を始めたという話をしていた。それを同居人にもいったところ、「ほら、きみもやりなよ」という方向に話が流れてしまった。しかしこれは予想できたことで、なぜならちょうどここ一週間ほど同居人は僕にたいして「Fit Boxing」を始めることをおすすめしてきていたところであり、僕は気乗りがしないので受け流し気味に聞いていたのだが、そんな折にマヂラブの村上も「Fit Boxing」始めたらしいよなんて話をしたら、「ほら、きみもやりなよ」になるに決まっていたのだ。僕はこんなふうに自分にとって都合が悪くなる方向に話を持っていってしまうことがある。しかし、気乗りしないとはいえ、やってみたほうがいいとは思っていたところだったので、ちょうどいい機会だとばかりに購入してやってみた。

 少しやってみてほどよく汗をかいたのでシャワーを浴びて冷たいうどんを食べ、最高の気分に。テレビを見たり本を読んだりして、眠くなって昼寝した。布団をかけない昼寝。

 いまは小島信夫の『美濃』と村上春樹『約束された場所で』を読んでいる。今日は『約束された場所で』のほうを読み進めた。

 夜はルーのカレーにすることにして、夕方に買い出しに出た。こういう気候の日の夕方は最高。Matt Championのアルバムが非常に合う涼しさだった。信号が赤になりそうでも早歩きしたくない、むしろぜんぜん信号待ちしたい、そんな涼しさ。スーパーの近くの広場には犬たちとその飼い主たちが大集合していた。今日はカレーにすることにしたひとが多かったのか、スーパーのルーカレーコーナーが混んでいた。「今日はやっぱりカレーですよね」と思わず見知らぬひとに話しかけそうになったが、そのひとはハヤシライスのほうを手に取っていた。帰り道も信号待ちをした。カレーはうまくできた。ルーはすごい。『光る君へ』を見てからまた「Fit Boxing」をやった。そのあと涼しさに誘われて散歩をした。

 住宅街のなかを中心に歩いた。夜に住宅街を歩くときには不審人物ではなくウォーキングしているひとである感じを出すためにずんずん歩く必要があるが、僕には体重を落とすという目標もあるのでそれでちょうどよかった。夜に散歩すると、自動販売機の数に驚かされる。街灯よりむしろ自動販売機の明かりによって道が照らされているのではないかと思うほどの数がある。そのラインナップにも注目しながら歩いた。ウェルチの濃いぶどうジュースとドデカミンストロングがよく目についた。

 犬がおしっこをしたところに飼い主がペットボトルの水をかけているシーンを二件見た。

 川沿いも歩いて、桜の様子も見た。わいわい賑わっている店の前の桜だけ満開近くまで咲いていて、集客のためにドーピングして咲かせているのではないかとも思った。

ドーピング疑惑のかかった桜