11/1
小説のようなものを書くときのみならず、日記においても「僕」と「私」のどちらを使うかによって書かれる内容がしぜん異なってくるということを強く実感していた私は、その実感に導かれるように今日から数日間にわたって「私」による日記を書いてみようと、ふと思い立ったのだった。月が変わるというキリのよさへの意識もあった。
あるいはいよいよ今月に迫っている文フリに向けて、いまだどんな冊子を作るべきか定まっていない私にとって、「私」による日記を書くことがなんらかの打開策になるのではなかろうかという期待感も漂っているようであった。これまでと同じような冊子を作っても仕方がないという意識はあるいっぽうで、昨年と比べても明らかに筆は進んでいない。まあこの一年でちょこちょこ書いた短い小説のいくつかに合わせて日記を収録するのがいいかも、という、奥の手というよりは妥協案と呼ぶにふさわしい構成が浮かんではいるが、それだけでいいはずがない、という感覚も同時にまた、今度の文フリ東京のブース数が四〇〇〇を超えるという情報とともに脳内にこびりついていた。それで考えたのが「私」だった。ブログにアップしているという点においては既に世に出しているともいえる日記と小説をただ収録するだけでなく、そこに「テーマ性」のようなものも付加するとしたら、「僕」でなく「私」として日記を書いてみるというのはひとつアリ。じっさい私はこの一年で「私」が語り手の短い小説を書いていた。「私」として小説を書くにあたって感じた「僕」との違いを日記にも持ち込んでみるという試みは、あんがいおもしろいのではないかと思ったのだ。思い立つのが遅かったのは痛いところだが……
しかし「私」として日記を書くことによって生活そのものが変わるということは(もちろん今日が初日であるからいまのところは)なくて、今日は三連休初日としてゆっくり過ごした。同居人が午前中から午後にかけて仕事のイベントに行かなければならなかったので、私はその間散髪に行き、すた丼を食べ、本を読んで待った。私はいまだ大学生のような生活を送っていた。こだわりではなく怠惰による現状維持がこの十年続いてきていた。だからなんだというのだ、とも思っていた。少なくとも本を読むのはいいことだと思えた。図書館で借りた待川匙の『光のそこで白くねむる』を読んでいた。題名に引っ張られてのことかもしれないがずっと眠りのなかにあるような文章や話の移ろいが心地よく、また久しぶりに訪れる地元の景色が白っぽく平板に感じられるという描写の的確さも相まって、これはいいかも、と思いつつ読み進めていたら、ちょうど真ん中あたりからすごいことが起こり始めて、今日で読みきれそうな長さの本だが終盤を明日に回すこととした。電車で読みながら同居人の仕事に合わせて私は日比谷へと移動して、ミッドタウン日比谷の前でなにか映画の屋外上映をやっている横で、スピーカーからの爆音を浴びながらもやはり読んだ。どこかで聞いたことのある劇伴が流れるその映画を、私は見たことがないようだったが、途中から見ても仕方がないし、第一こうした場所で見るのもしゃらくさい、という意識があった。
同居人の仕事が終わり、先週SとMとも行った喫茶店 でコーヒーを飲んだ。Sが六花亭 のマルセイバターサンドの中身をアイス仕立てにしたような味だと評していたカッサータなるおやつを私は食べ、同居人はパンケーキを食べていた。今日は仕事の愚痴が溜まっていそうな同居人であったが、パンケーキになごまされたのか、途中からはただ眠そうにしていた。明日会社の同僚と山に登るというので、喫茶店 を出てからはモンベル に行ってグローブなどを買い足して帰宅した。
一度帰宅してから、私が午前中に作っていたオニオンスープに合わせていきなりステーキをテイクアウトすべく自転車を走らせた。そういえば私は午前中にオニオンスープを作っていたのだった。一昨日HさんとKくんと一緒に行ったバーで、私たちと同世代だという店長がランチのカレーを仕込むために買ったが余ったということでいただいた玉ねぎ、それを同居人のリクエストでオニオンスープにしたのだった。バターとともに飴色になるまで炒め、水を注げばそれもすべて茶色く染まる、濃厚な旨みが凝縮されたオニオンスープができたと自信満々だったが、同居人によれば、逆に濃いかも、とのこと。しかしそのアドバイス はちょうどそのとき見ていた『じゃあ、あんたが作ってみろよ』における竹内涼真 のパロディなのだった。しかしたしかに私の作ったオニオンスープはドロドロとも形容できた。『じゃあ、あんたが作ってみろよ』は四話まで来た。相変わらずいいドラマで、「化石男」にたいする教本的な側面もありつつそれにとどまらない作劇のおもしろさに満ちているし、なにより竹内涼真 が素晴らしいのだった。私はこのところ電車内で流れるJRAのCMなどを見ても、長澤まさみ より竹内涼真 の姿を目で追うようになっていた。
11/2
昨日の「私はいまだ大学生のような生活を送っていた。こだわりではなく怠惰による現状維持がこの十年続いてきていた。だからなんだというのだ、とも思っていた。」のようなくだりは「私」としての日記だからこそ出てきたともいえそうだが、じっさいはただ急に一人称を変えたからこそのハイのようなものに過ぎなくて、べつに「小生」だろうが「吾(あ)」だろうが同じことを書いていたのかもしれなかった。ハイによって長めに書いた昨日の日記は、三連休の初日ならではの余裕があったからできたことで、昨日くらいの文量を毎日の日記として書くとなると今度は逆に文フリ向けの他の文章が書けなくなりそうな気がした。それともこの「私」としての日記もすでに文フリを意識してのものだから、他になにか思いつくまではとりあえずこれを書いていればいいのかもしれない……
今日は早朝から同居人が山へ行くので、私も同じタイミングで起き、駅まで一緒に歩いて、富士そば を食べて帰ってきた。駅前にはオールしたであろう若者たちがたむろし、ろれつの回らない大声を発したり車道を駆け回ったりしていて、私はそのなかをいかにも、毅然、という雰囲気を意識しながら横切ったが内心ビビっていた。私は自分自身にそういった遊びの経験が乏しいことからそういう若者たちにたいしビビっているのだった、おそらく私のほうが歳上であるにもかかわらず……。しかしこのビビりはもしかすれば歳を重ねるごとに増してゆく性質のものであるとも予感していた。
徐々に空が明るんで、部屋の光も増してくる。『光のそこで白くねむる』を最後まで読んでから一度寝た。昨日読みながら抱いた、ずっと眠りのなかにあるような文章、という印象が最後まで続きながら、ちょうど真ん中あたりで明確にトーンが変わる。奥深くに封じられていた暴力の記憶が濃厚によみがえってくる。暴力は連鎖し、忘れ去られる。個人の暴力の記憶でありながらもっと巨大な暴力にも繋がっていきそうな不穏さ、それがまどろみ続けるような文体に見え隠れする。「わたし」の暴力の被害者であるように思える「キイちゃん」が、幾度となく「わたし」に向かって「おまえ」と語りかけるさまはある種告発のようでもありながら、すべて「わたし」の文章に包摂されてしまう。繰り返される「〜、とキイちゃんは言った。」という平板な文章が、暴力を眠りのなかに押し込める。すごい小説だった。
寝て、起きて、私は散歩に出た。私は東京の細い路地を好んで散歩しながら、視線の先に大声でしゃべる若者たちがたむろしていれば立ち止まってなるべく迂回するようなビビりのジジイになっていくのだろう、と予感し、あるいはその萌芽を既にみずからの散歩のなかに感じ取りながら、今日も散歩した。やわらかな陽光がときおり地表に降り注いで建物や木々ごとを包みこむ秋めいた時の流れのゆるやかさと、ふっと冷たい風が首筋をなぞって知らせる冬の硬さが、サイケデリック な紋柄のように互いに混ざりきらないまま、その断層を見れば交互に繰り返されているような気候が私を惑わせた。曇りがちでありながら空気は乾燥していて、洗濯物のみならず私の口唇も乾ききっていた。今日は私の家族、すなわち両親と弟がこちらにやってきて、一緒にヱビスビール の工場を見学するという予定になっていた。今日は父の誕生日でもあり、父が好きな和菓子を買うべく早めに家を出、以前から気になっていた和菓子屋で購入し、そのまま散歩したのだった。
散歩好きを自称する私であったが、散歩の仕方において特にこだわりがあるわけでもなく、街に詳しくなる気配もいっこうにない。散歩の際は少し上を見て歩くといろんな発見があっていい、ということにさいきん気がついたくらいだった。いまの季節の木々には青葉と紅葉の間くらいの、ちょうどさっき書いた秋のゆるやかさと冬の硬さの入り混じったような葉が風に揺られていて、歩きながらそれらを眺めるのもよかった。私はビルとビルの狭間に立つ細っちろい木のことも、山の樹木と同じように愛していた。いまごろ同居人は山中でたくさんの巨大な樹木に囲まれているだろう、と思った。
駅前で両親と弟と合流し、予約していたイタリアンレストランへ行った。弟はアメリ カの野球の決勝戦 に心を奪われていた。私は大谷翔平 と、弟は山本由伸と同い年であった。大谷翔平 はもはや同い年という枠に収まっておらず、私と比べるべくもない。パスタやガレットを食べながら、地元のどの店がつぶれどんな店が新しくできただの、仕事がどうだの、気候がどうだのといったことをしゃべり、そのまま歩いてビール工場へ向かい、見学はそこそこ興味深く、そこで作っている特製のものだというビールも最後にいただいて、私はビールがそんなに好きではないのでアレだったがそんな私でもこれはおそらくおいしいのだろうと感じられるほどにおいしく、顔を赤くして解散した。アルコールに弱い弟はひとりお茶を飲んでいたが、なぜか顔を赤くしていた。帰宅して洗濯物を取り込んでから、また散歩に出、常夜鍋 の具材 を買って、同居人が帰ってくる前に下準備を済ませた。
同居人はほうほうのていで帰ってきた。これまでの登山における最長のコースを上り下りしてきた同居人は膝にすさまじい疲労 を抱え、階段を上るのもやっとのことであった。特に下山の際に膝に負担のかかる歩き方をしてしまっているのではないか、という説を私は展開したが、そんなことをいまいってもしょうがない。とりあえず今日は湯船に浸かり、湿布を貼って、鍋を食べた。膝が痛くてなにも考えられない、といって、昨日のラップスタアとYouTube の『あたしンち 』を数話だけ見たら同居人はもう寝転がってしまった。『あたしンち 』はおもしろいのだが子どもたちやお父さんのお母さんへの当たりがキツすぎる。しかしこれもやはり、そんなことをいってもしょうがない。ラップスタアはHood Stageというのが終わって、次のステージへの進出者が発表された。私はいまのところ27AMとSonsiというまったく異なる二人に心を奪われていた。Sad Kid YazとFisongがここで脱落したのは残念だった。
11/3
ラップスタアといえば、Hood Stageまで勝ち上がったのになんらかの理由で辞退したKey Roozが、Farmhouseというラッパーの曲に客演で登場していたのは私としてもうれしかった。Farmhouseもどうやら有名なひとで、SUSHI BOYSといわれればたしかに名前は聞いたことがあった。Key Roozのラップは一語一語がはっきりと発声され、きちんと韻が踏まれ(韻が固い、というやつであろう)、声質も相まって早口で前のめりのようなフロウでありながら、ラップスタアのSelection Cypher における「アンジャッシュ こじ、マァ」のようにふと抜いてくる感じが気持ちいい。かつリリックがあんがい叙情的なのも素晴らしい。そのフロウのよさが今回の客演でもいかんなく発揮されていた。
これまで英語のラップを聴くにしてもそのリリックの内容までを逐語的に追ってこなかった私は、このところラップスタアを見ることでリリックの中身や韻の固さやフロウにも興味を及ばせるようになり、またフッド(地元や生い立ち)に重きを置いていそうな今年のラップスタアの審査にも影響されて、ラップというものへの(音楽的、という観点と対置するかたちでの)文化的関心を増しつつあった。ラップとは「誰が/なにを/どのように語るか」というきわめて当事者性の高い文化であり、それゆえにラップそのものの内容や抑揚や声質にも関心がいくのは自然なことといえた。もちろん「誰が」と「なにを」が存在するうえで、「どのように」もたいせつ。その点で、たとえばラップスタアで審査員がいう、このリリックならオートチューンかけてないほうがよかったっすね、というような評価にも私は首肯する部分が多かった。オートチューンも「どのように」の一手として有効ではあるが、使いどころというのがおそらくある。
このようにラップをラッパーの個人的な心情や信条の吐露として捉えるのは、音楽として楽しむ方法とは異なるように私には思え、そこにいい意味での新鮮さを見出していたのであったが、その考えは今日の午後に三宅唱 が監督したドキュメンタリー『THE COCKPIT』を観たことで覆された。新作『旅と日々』が公開されるにあたっての三宅唱 監督特集がヒュートラ渋谷で開催されており、観たかった『THE COCKPIT』をついに観る機会に恵まれたのだった。ちょうどOMSBがラップスタアで審査員をやっていてアルバム『ALONE』を聴きなおしていたタイミングでもあった。カメラが捉えるのはアパートの小さな一室において主にOMSBがビートメイクし、リリックを書き、ラップする姿。大小さまざまなボタンのついたサンプラー をいじる姿はまさしくコックピットに座っているよう。ときに悪態をつきながらもキックやスネアのタイミングにこだわり続け、ラップで噛んだり詰まったりしたならば何度でもまた最初からやり直す様子が延々映されるようで、ふいに成功する瞬間が訪れると最高に気持ちがいい。なにかを作ることにおける楽しさ気持ちよさとクソめんどくささの両方が記録された映画であり、ラップにおける「誰が/なにを/どのように語るか」という、私が先ほど非音楽的側面であるかのように捉えた要素こそがまさしくラップの音楽的側面の根幹にあるのだということを思い知らせる映画でもあった。ややずれるかもしれないがこれは小説でも似たようなことがいえた。話の内容や展開だけでなく──あるいは内容や展開よりもむしろ──文体にこそ書き手個人のありようが現れる。文体こそが小説、とまでいいきってしまうとそれはそれで狭量な小説観に陥ってしまうが、「誰が/なにを/どのように語るか」という要素は小説においても根幹を成しているといえた。いや、これはやはり位相の異なる話題か……
とにかく『THE COCKPIT』は観に行ってよかった映画だったが、昨日の登山によって膝をひどく痛めた同居人にとっては映画館への行き帰りの道さえも難儀であった。同居人は今日の早朝にトイレに行く際にも寝ている私に膝の痛みをうったえたそうだが、私はちょっと待ってねとつぶやくばかりで起きようとしなかった。そのくせ、せっかくの機会だから、といって半ば無理やりに映画へと連れて行くのだからタチが悪かった。とはいえ同居人も楽しく観たそうなので、総合的にはプラスだろうか、それともマイナスだったろうか……
夜はキムチ鍋を食べながら登山系のYouTube などを見た。今日は昨日より晴れ間が多いが気温は低いようだった。空気が乾燥していて、冬の割合が高かった。
11/4
昨日は『THE COCKPIT』のあと、夜にはカミナリのたくみくんがMPCをいじっているのをまなぶくんが横で見るというYouTube も見たのだった。ドラムを入れる位置を間違えたといって何度もボタンを打ち直すたくみくんの姿が私にはOMSBと重なって見えた。たくみくんが何度打ち直しても大きく変化したようには思えないドラムを聞き続けたまなぶくんが、耐えかねてついに癇癪を起こしたのにはウケたが、まあたしかに関心の薄いひとからしてみればそれがふつうの反応のはずで、『THE COCKPIT』におけるBIMやHi'Specの忍耐力のほうがおかしいのかもしれない。あるいはべつにあれは忍耐のつもりではなくて、OMSBが紡ぐビートの行く末をみんなで見守っているに過ぎないのかもしれない。気持ちいいビートを作りたい、という志を一緒にする者どうしだからこその尊い 時間……。観客である私までもがまるで彼らと志を一にし幸せな時間を共に過ごしているかのように感じられたのは、ビート作りという行為そのものの引力か、それとも三宅唱 の編集の巧みさによる効果だったか……
それにしても傍から見ればなにが違うのかよくわからないほどのビートの音色やタイミングへのこだわりは、OMSBが『ALONE』の冒頭「祈り / Welcome Back」において「たった一手間が曲の在り方を変える」とラップしているとおり作品そのものに影響するのだろうと、映画の最後に流れる完成した曲を聴いて私は思ったのだった。一音一音がどうしてそこに配置されているのか、その裏にひとつひとつの決断や偶然がある。それはヒップホップだけでなくどの音楽にもいえるし、たとえば小説にだっていえる。というような話を私は昨日もしていただろうか。
日記においても、その日の出来事をどのように書くか、いくらでもこだわりようはある。ビート作りにおけるキックやスネアの配置が、文章を書くという行為における単語選びや語順決めであるとするならば、ウワモノを決めることというのはすなわち「なにを書くか」を決めるということに相当するだろう。日記におけるウワモノ決めとしてもっとも簡潔かつ妥当なのは、その日一日の出来事を時系列に沿って書いていくという手である。私も多くの場合そうしているが、しかし今日のように昨日の続きのような形で書き始めるとそれがうまくいかなくなってしまう。日記における日付というのはある種の仕切り直しの効能をもつのであり、その日付をまたぐ形で昨日の文章が今日の日記へと侵食してしまうと、今日の出来事をどのように書けばいいかがよくわからなくなり、迷ったあげく段落を変えて「さて、」というあまりかっこよくない接続を用いざるを得なくなるわけだった。いまだって変に引き延ばしてどのように今日の日記に入ろうか探っているわけだが、私はついにうまい合流地点を見つけられなさそうなのだった。
さて、今日は仕事で、朝からやや怪しいと感じていた頭の重さが夕方にははっきり痛みへと転じた。一度帰宅してバファリン を飲んでから、Oとご飯を食べるために家を出た。モダンチャイニーズを標榜するレストランで、うまい具合にアレンジの効いたエビマヨや卵炒めを私たちは食べた。私が会うたびに違う仕事をしているOであったから、前回展開していた事業をもしかするとすでにやめているかも、と私はうっすら予想していたがやはり的中した。いまは他のことをやりながらも自分のなかでは過渡期と捉えていると話すOにたいし、私も珍しくみずからの仕事について長めにしゃべった。それから生活の話題にも移ったが、私の生活といえばこの数年とくに大きく変わることはなく、それが常に変化していたいOからすれば不思議なようで、「なんで生きてるの?」という鋭い質問を浴びせられた。もちろんこれは「いまはなにを楽しみにして生活してるの?」という問いの大胆な省略形であったわけだが、急に「なんで生きてるの?」と問われると、はっきりとした答えを私は持ち合わせておらず、ただへらへらと笑うことしかできなかった。なんで生きてるの? へっへ、散歩とかが楽しいからっすかね……。レストランを出てからOの家に寄って、私がOに貸していたという本を受け取った。なにを貸したかまるで覚えていなかったが、ウエルベック の『服従 』やケン・リュウ の短編集はたしかにこのところ家の本棚に見当たらないと思っていたので、やはり貸していたということなのだろう。貸した覚えのない本も三冊ほどあったが、Oが私から借りたというのでもらっておいた。
ウエルベック の『服従 』は同居人が読みたいといっていたのでちょうどよかった。同居人は今日も足の痛みにおそわれていたが、一昨日や昨日の膝の痛みは治まり、いまはふくらはぎやすねが痛いということだったので、風邪でいえば喉から鼻に移行しているような、治りかけの段階なのではないかと私は勝手な診断を下した。相変わらず山にハマっているために松永K三蔵の『バリ山行』を読み、かなりオモロかったといっていた。私も読みたいがまずは図書館で借りている服部文祥 の『サバイバル!』を先に読む必要があった。
11/5
ここ数日の日記が長いのは「僕」ではなく「私」として書いているから、といっても「私」であるからこその長さというよりは、たんに一人称を変えたことによるハイであるという気がやはりしていた。「私」ならではの書き方、のようなものに到達しているかどうかはいまのところわからなかった。わからないながらも、なんとなく一日二千字、みたいな目安が出来上がりつつあり、しかしむやみに字数を増やせばいいというものでもなく、たとえば今日のようにただ仕事をした日というのは書くことがないのだった。しいていえば……、ブルース・スプリングスティーン の八二年のアルバム『ネブラスカ 』のエクスパンデッド・エディションというのが出ていた。私はスプリングスティーン のキャリアにかんしてさほど明るいわけではないが、『ネブラスカ 』というアルバムの、どこまでも広大な地平線が広がっていながら閉塞感に満ちているような異様さは好きであるからして、しぜん、このエクスパンデッド・エディションというのも聴くことにしたのだった。ディスク2には『ネブラスカ 』の曲を中心にバンド編成で演奏した「エレクトリック・ネブラスカ 」というバージョンが収録されていて、アコースティックな原曲にたいしてのエレクトリック版、という意であることはわかっていながらも、「エレクトリック・ネブラスカ 」という表現のかっこよさに私はまずしびれた。曲ももちろんかっこいい。しかしなんといっても「エレクトリック・ネブラスカ 」という呼び名である。ネブラスカ というのは地名であるから、もし仮にスプリングスティーン が日本に生まれ育っていたならばたとえば「エレクトリック・千葉」ということになっていた可能性だってあった。そうなると私も千葉生まれではなくエレクトリック・千葉生まれになっていた可能性があった。エレクトリック・千葉生まれの私はエレクトリック・常磐線 に乗って通学していたはずだった。
しかし常磐線 というのはそもそもエレクトリックなので、逆にアコースティック・常磐線 になっていたかもしれなかった。アコースティック・常磐線 とはつまり人力によって駆動する常磐線 であり、乗客みんなが線路に降り、力を合わせて車両を押している状態。南千住や三河島 のあたりは高架になっているから、押すほうもきっと緊張するに違いなかった。
……この種の想像というのは書くほどにおもしろくなる場合としらける場合があり、今回がどうも後者であることに私は気がついていた。思いついたことをただ書けばいいというわけではないということを、私はかろうじて知っていた。日記というのは比較的なんでも書いていい場であるが、それにしたって、ほんとになんでもいいというわけではないのだった。
あるいは、今日がただ仕事をした日だったとしても書くことはあるはずだった。同居人の足の痛みは治まったようだったが、なんとなく寒気がするということで、温かいスープを飲んでもアツアツの手羽 先を食べても手や足の先が冷たいままなのだった。風邪なのか? その同居人と一緒に『じゃあ、あんたが作ってみろよ』のドラマの最新話を見て、今回も相変わらず竹内涼真 がよくて、笑いながら泣きそうにもなった。『ひらやすみ』のドラマの一話も見た。主演二人ともよかった。夫婦それぞれの漫画が同時にドラマ化されるのはどんな気分だろうか、と非常に余計なことを私は思った。
11/6
昼休みに会社の周りを歩こうという気持ちになったときに私がしばしば選ぶルート上にはクリーム色の三階建てのビルがあった。なんらかの会社の自社ビルのようだった。大通り(というほど大通りでもないが相対的視点においてそのように呼んでおこう)と大通りのぶつかる交差点の一角から、斜めに、しかもほんのり上り坂になる形で伸びている細い路地。その奥にそのクリーム色のビルはあった。なんの会社なのかはわからないが、入り口の横には社名が立派な銅板に刻まれ、いかにも業界シェアナンバー1、といった風情を醸しているのだった。主に一階と二階に明かりがついているようだが、どの窓にもブラインダーが下がっていて、中はよく見えなかった。ブラインダーが下がっているということはすなわち、中を覗くな、という会社側からのメッセージなのであろうが(あるいは、外の世界を見たくない、という内的動機に基づくものかもしれない)、それでも私はそのビルの前を通るたびブラインダーのわずかなすき間からその内側を垣間見ようとする悪癖を止められなかった。
といっても私はオフィス内の様子やひとの姿を見たいのではなかった。そこがなんの会社なのか知らない以上、私の興味はその先へと進んでいきようがなかった。私はその会社の業務内容よりもビルそのものに関心をもっているのだった。細い路地に位置する、クリーム色で三階建ての自社ビル……。晴れの日には外壁の漆喰の、細かな波模様の一筋ごとに影が落ちるさまが美しく、見ようによっては南仏のような──とまでいうとさすがに見ようによりすぎてはいるが──なんとも夢見心地な雰囲気がビル全体を覆った。曇りの日にはその細い路地全体が明るさを失ういっぽうで、ビルのクリーム色だけはいっそう白に近づいていくように美しかった。そもそも私は街に存在する二階建てあるいは三階建てていどの自社ビル全般を好んでいたが、その私にとっても、このクリーム色のビルは他が比肩しがたいほどのたまらない魅力を放っていた。その魅力の一助としてブラインダーの存在があることはたしかに間違いないが、しかしやはり私はブラインダーによって秘されたオフィス内部を知りたいのではなかった。むしろブラインダーの奥の、そのさらに奥、とでも表現すればいいだろうか、クリーム色のビルの、私が歩く路地ではない側の景色にこそ興味があった。
ビルの反対側にはおそらくふつうに住宅街が広がっているはず。しかしじつは違うかも、という期待を私にいだかせるのが、ブラインダーのわずかなすき間から覗く、景色、という言葉で表現できるものにも満たない、色、なのだった。
一本の乱れもなく強固に閉ざされたブラインダーはそれ単体では鉄壁の防御を誇ったが、ブラインダーどうしの 連なりにおいてすき間が生じ、その前を横切る私をしてこっそり覗かしめた。そこにはオフィス内の蛍光灯の白が浮かんで見えた。ひとの姿や書類の束は見えず、もっぱら白。かと思いきや、そのなかにときおり緑がちらついた。緑といえば私にとってはまず第一に樹木だった。もしかしてこのクリーム色のビルの向こうには、灰色の住宅街ではなく、鮮やかな緑の樹木たちが並び立っているのでは? 手つかずの森が広がっているのでは? そんな無稽な夢を、その緑のちらつきは私に見させた。なんの会社なのかはわからないが、ここの社員たちは、路地に面する窓のブラインダーを閉めきったうえで、反対側の広大な森を自分たちだけで楽しんでいるのではなかろうか? そうではない証拠はどこにもなかった、なにせブラインダーのすき間からは、なんであるとも判別しがたい緑色のみがちらつくばかりであったから。
美しい建造物とその奥に広がる広大な森、といういかにも抽象的なイメージに具体性を与える根拠として、今年の私をとらえて離さないのが『ザ・ルーム・ネクス ト・ドア』という映画だった。私は同居人とこの映画を今年の二月に観ていた。記憶力の乏しい私にとって、映画の内容をいつまでも覚えていることはきわめて困難であり、現にいまの私は『ザ・ルーム・ネクス ト・ドア』の筋をおぼろげにしか思い出せずにいた。いまの私のなかには、これがいい映画だったという印象が残っているのみだった。いな、その印象とともに唯一残っているのが、作中でティルダ・スウィントン がみずからの終の住処と定めた、山あいの美しい豪邸の姿だった。よく開けた窓からは広大な森が見えた。バルコニーに椅子を出して木々のさざめきや鳥のさえずりに耳を澄ませることもできた。これらかろうじて思い出す姿さえもが、もしかすると私の記憶のなかでの改変を経たものかもしれないが、そうだとしてもあの豪邸と森の美しさは私の頼りない頭のなかで燦然と輝いていた。あの豪邸と森が、いま、このクリーム色のビルに重なっていた。やはりここの社員たちは美しい森を見ながら仕事しているに違いなかった。
あるいは、この無稽な想像の現実的な着地として、じっさいにこのビルの裏には森がある、ただしとても小さな森が、ということも考えられた。裏にはビルの敷地として小さな庭があり、何本かの木が植えられていて、その緑がブラインダーのすき間から私にも見えたのだ。社員たちはその森もどきをときおり見ながら仕事しているのだった。それがうらやましいかといえば……、それでも私にはうらやましかった。私も小さな森を欲していた。私のオフィスは高層ビルの高層階にあり、展望はいいが、森はなかった。
(ところで私は今日の日記のなかで何度も「ブラインダー」という言葉を使っているが、一般的には「ブラインド」ではないだろうか? 私は自分で意識しないあいだに奇妙な言葉を使い続けてしまっていたのだった。)
今日の私は展望がいいが森がないオフィスで夜まで働いて、終盤にはこの日記を書いていた。同居人は『愚か者の身分』という映画を観に行っていた。けっこうよくて悔しかった、といっていた。
11/7
ここ数日の日記の量的充実が、「僕」ではなく「私」として書いているからというよりは、たんに一人称を変更したという事象そのものに由来しているという、ややそっけないともいえそうな感触をいだいていた私であったが、昨日のような日記は「私」として書いているからこそ書くことのできたものであると思えたのだった。たとえば「それでも私はそのビルの前を通るたびブラインダーのわずかなすき間からその内側を垣間見ようとする悪癖を止められなかった。」という箇所における「悪癖」という単語。これを私は「僕」としての日記では書かないだろうと思った。「僕」が書いていたならば「悪い癖」、あるいは漢字をカタカナに開いて「悪いクセ」としていただろうと思った。まさに私の「私」性──というものがあるとしての話だが──が滲み出ているような単語選びだった。
そうした単語選びが、そのまま文体全体へと作用し、ひいては書かれる内容にも影響する。昨日の日記を書きながら、私は、スマホ の画面上で盛んにフリック入力 を進めるみずからの右親指が『ザ・ルーム・ネクス ト・ドア』という映画の話を持ち出すに至ったことに驚かされた。風が吹けば桶屋が儲かる ように、序盤において「悪癖」という単語を入力したことが、巡り巡ってのちに『ザ・ルーム・ネクス ト・ドア』を思い出すことに繋がったのだという、奇妙ではあるがしかし(主に右親指の)肉体的感覚をも伴った直感を私はいだいたのだった。
しかしこの量的充実が長くは続かないであろうということも私にはわかった。昨日の日記は、ここ半年ほど私が会社の昼休みに散歩を繰り返したことで徐々にまとまっていった「クリーム色のビル」への愛を綴ることで成立していた。そのように私じしんの生活のなかでふだん言葉にすることなくやり過ごしているものを選んで日記に書いていくとなれば、そう何日もしないうちに頭打ち、ネタ切れ、尻すぼみになることは容易に想像できた。次はなんだ? 同じく日常におけるお気に入りの風景や場所でいくならば、家のベランダにさす月明かりの異様な明るさについて書くか? その次は? ……私にはもうさほどストックが残されていなかった。量的充実が「私」によってもたらされているのだとしても、その「私」の書く内容がいまの私の生活をつまみ食いするようなものであったら、ひとつひとつは小さいようでもいつの間にか食いつぶされてしまう。いまの日記の充実をかりそめのものとしないために、適切な題材を見つける必要が私にはあった。
そこで私ははたと気づいた。題材もなにも、その日の出来事をきちんと書いていくことで日記はしぜん充実するはずなのだった。それこそが日記なのだった。「クリーム色のビル」のようにいまの私の生活全体にかかる題材があるいっぽうで、今日の私には今日の私固有の生活の痕跡があるに違いない。そう……、まずは天気だ、今日はここ数日のなかでもっとも暖かい一日だった。陽光のやわらかさはまさしく秋のそれであり、真に秋の一日といえた。夜の肌寒ささえもが秋の感触を宿していた。そして……、今日は仕事だった。なんとなくお腹がゆるかったため、昼休みにはトイレに長く入った。金曜日の仕事はいい。次の日が休みであることに由来する余裕が、私に集中をもたらすのだった。合間にロザリアの新譜を聴いて、まことすさまじいアルバムだと思った。先人の音楽の歴史に敬意を表し、その力を大いに借りながらみずからポップミュージックを更新していこうとする姿勢は、バッド・バニーにも通じると私には感じられた。ジャケットの印象も相まってか、どこか『ベネデッタ』をほうふつとさせる大胆さや革新性に満ちている。こんな音楽がメインストリームのものとして違和感なく聴けてしまうのはすごいことだった。夜は同居人が友だちと飲んでくるというので私は家で文フリに向けた入稿の準備に取りかかった。この「私」としての日記も収録してしまえばいいと考えていた。私にとって日記というのは文フリがなかろうが勝手に毎日書いているものであるし、そもそも日記とはほんらいひとに見せるものではないという向きもあるくらいだから、これまでの私にとって、文フリの冊子に日記を収録することというのは余ったページを埋めるための付録としての意味しかもたなかったが、この一週間「私」としての日記を書くことで、むしろ積極的な方向性をもって収録できる意味づけがなんらかなされたように私は感じていた。しかしそれがなんなのか、いますぐいい当てることはできなかった。たんに自己満足であると指摘されれば反論するすべが私にはなかった。
「赤を連打!」かのような
11/8
私はここ一週間の「私」としての日記を文フリの冊子に載せるために、多少なりともおもしろくなればいいと思って、それより前の七日間、つまり「僕」として書いていた十月下旬の日記と対置させ、ChatGPTに読んでもらい、分析をお願いすることとした。私は以前にもChatGPTにみずからの掌編小説の批評をお願いしたことがあった。そのときにも感じたがChatGPT(以下C)はなかなか独特の言葉使いをするのだった。なんであったか、Cが繰り返したおもしろい表現を私が知らなかったために、それは文芸批評の場ではよく使われる言葉なのですか、と私が訊ねると、Cは、そのような言葉が使われることもあります、という調子で明確には肯定しなかったのだ。そのときにも似た絶妙なラインの言葉が今回の分析にも散りばめられた。
「生活の密度と嗜好の偏愛が、文体の律動ときれいに噛み合っています」
「具体の運動エネルギーが強い」
「「私」期は語を選び、比喩のスパンが伸びる」
「モチーフ間の写像 が綺麗」
……絶妙にありそう、かつかっこいい。意味もまあなんとなくわかる。私が「私」期に日記を書くにあたってていねいに語を選んでいたのは事実だった。そこをわかってくれるとはありがたかった。
いっぽうでCは私の日記にたいし「改善ポイント」も提案してきた。日記というのはあくまで私が私の思ったように書くものであるからして、改善を提案してくるなんて差し出がましいのではないか。「「という」「……」「のだった」を場面ごとに役割固定すると締まります」……はて。私は私なりに「……」や「のだった」の使いどころをコントロール しているつもりであったから、Cの指摘はまったくもって余計なお世話だった。「「私」期は抽象に滞留しやすい。固有名詞で段落末を止めると、熱が残る」……これはわからなくもないがしゃらくさかった。けっきょく私は、私の日記に口出しするな、という高圧的な態度でCにたいし臨んでしまうのだった。私から分析をお願いしたにもかかわらず……。これはまさしく私の「悪癖」といえた。
もうCに構うことはない。私には私の生活があった。今日は同居人が眉毛をやりに行ったり美容院に行ったりしている間に文フリの入稿の準備を進め、あとは今日の日記を足せばとりあえずよさそうな段階までもっていくことができた。朝は家で白米と納豆と味噌汁とコンビニの焼き鯖。NHKの『ひらやすみ』の何話かをいっきに見た。森七菜は素晴らしい。昼は外でスパゲッティを食べた。店内にはKポップが流れていて、やはり「Ditto」は格別であるなあ、と私はふいにNewJeansおじさんになってしまった。その後、同居人と辺りを散策していると見たことのない古着屋があって、馬が大きく描かれたスウェットを入手することができた。店員さんに聞けば不定 期・期間限定でやっている古着屋であるそうで、私が見たことないのも無理はなかった。夕方にはイメージフォーラム へ『ネタニヤフ調書 汚職 と戦争』を観に行った。イスラエル のパレスチナ 侵攻および虐殺にかんして、首相ネタニヤフの汚職 と保身こそが原因のひとつであると看破する視点でのドキュメンタリー。映画の前半にはネタニヤフとその妻がいかにイスラエル 内外の資本家たちから収賄 し見返りとして便宜を図ってきたかという記録、および証言が出揃っていようとも否定を繰り返すネタニヤフの姿が映され続け、あまりの小物っぷりに辟易しつつ、イメージフォーラム の空気の澱みにもあてられて眠くなりさえしたが、後半、いよいよ窮地に立たされたネタニヤフが極右勢力と手を組んでからは、それまでの汚職 や保身がいっきに繋がってくるようで目が離せず、怒りをおぼえるとともにやるせなくもなった。イスラエル だけでなく世界じゅうで同じようなことが起こりつつある、というようなことはいえるかもしれないが、それにしたってイスラエル の政権は底が抜けている。第六次ネタニヤフ内閣における財務大臣 スモトリッチや国家安全保障大臣ベングヴィルなどは、極右と呼んでは右翼に失礼な、ほんらい政府の要職に就くことじたいがありえないほどの過激な差別主義者であり、その主張や発言はテロリストそのものでもあって、彼らと手を組まざるを得なくなったネタニヤフのなりふり構わない我が身かわいさが浮き彫りになると同時に、しかし彼らもやはり選挙によって国会議員になっているのだと思うと、そもそも民主制じたいに無理があるのではないかというところまで私の気持ちは向かってしまいそうになる。この考えも傲慢なのであろうか。私も同居人もげっそりして帰宅し、夜はラップスタアを見たが、同居人はけっきょく気分が上がることなく寝てしまった。
11/9
私はなんらかの運動選手、かつ念能力のようなものをもっていて、その念でライバル選手の調子を狂わせたことが相手にバレ、彼とその仲間たちに追われることとなったが、大会の会場である広大な陸上競技 場の客席に逃げ込んでしまえば見つかりようなどないのだった。彼らの追跡をやり過ごした私は、そのまま市街地へと戻った。私は福島市 にいるようだった。大通りの中央分離帯 に、露天でラーメンやチャーハンを食べられる屋台があった。私はカウンターの一席に座って、なにを食べたわけでもないのに、にわかに便意 をもよおした。私が困っていると、横に座っていた荒れ地の魔女のような中年女性が「そのまま出せるよ」といい、椅子の下を確認すればたしかにちょうど真ん中に穴が空いていて、そのまま出せるようになっている。私は恥じらいながら、周囲に悟られないように尻を露出してそのまま出した。それから、帰りの新幹線までにまだ時間があることを思って、Googleマップ を開き、どこへ行こうか思案する、その最中に目を覚ました。
今日は朝から雨が降っていて、起きたときから頭がやや痛かった。私はふだんから同居人に、仕事の日はすぐ頭が痛いとかいうくせに休みの日にはいわないよね、とよく指摘されていた。そのとおりだった。仕事をするには耐えられないが休みの日に散歩するぶんには大丈夫、という範囲の頭痛があった。今日もそれだと思って、散歩に出たり映画を観に行ったりする可能性をふまえて私は同居人に頭痛を申告しなかった。どうせ外の空気を浴びれば痛みは軽減される。そう考え、私は午前中に文フリの入稿および紙本の発注を済ませてから昼前に家を出て、図書館に本を返却し、CoCo壱 をテイクアウトして帰った。それだけでも数十分の外出になる。道中では「真空ジェシカ のラジオ父ちゃん」と「マユリカ のうなげろりん!」を聞いた。好んで聞いている番組ではあるが、いずれも男性による男性向けの番組であるということを強く感じるのだった。外は小雨。寒さを予想して厚着で出たが歩くうちに暑くなった。そうやって調節がうまくいかなかったこともあって頭痛はさほど軽減されず、帰宅後にカレーを食べて眠くなるとむしろ痛みが増すようでもあり、けっきょく私はそのあと昼寝した。同居人も今日は寒いと繰り返しずっとソファで毛布を被っていた。
しかし私はこうしたときの昼寝をおよそ一時間ほどにとどめるためにアラームをかけるようにしているのだった。日曜日の午後の昼寝で、起きたらもう真っ暗、という事態は必ず避けねばならなかった。起きてなにをするわけでもないにしても……。今日もまだ明るいうちに目を覚ますことができて、昨日の『ネタニヤフ調書』でプロデューサーをやっていたアレックス・ギブニーというひとが監督した『無責任大統領と17人の告発』なる、第一次トランプ政権下におけるアメリ カの新型コロナウイルス 対応のお粗末さをまとめたドキュメンタリー映画 を観た。まあトランプ政権がひどすぎるというのはあるのだが、ドキュメンタリーとしてはそれほどおもしろくはない。昨日の『ネタニヤフ調書』も衝撃的だったしひとつの視点や解釈を提示しているという点で意義深い映画だとは思ったが、いずれの映画も腐敗し堕落した政治やシステムにたいしての(一方的な)批判にとどまり、市井のひとびとの声が記録されていないとは感じてしまう。それにたいして、という観点で『ノー・アザー・ランド』のことを私も同居人も思い出していた。
同居人が先に読んでおもしろいといっていた松永K三蔵の『バリ山行』を私も読み始めた。夜をおでんにするために具材 を買いにまた外へ出た。頭痛もいつしか軽減されていた。おでんを食べてから、Netflix の『フランケンシュタイン 』を観るにあたって映画館のポップコーンがあったらうれしいという話になり、また外へ出て、近くのTOHOシネマズまで自転車を走らせた。息切らし、小雨の粒を眼鏡のレンズに貼り付けたままコンセッションへ向かうと、今日はもう営業終了したとのことで、無念の帰宅となった。途中コンビニでポップコーンと三ツ矢サイダー を買ったが、けっきょく『フランケンシュタイン 』は観ずじまいだった。私だけ三ツ矢サイダー を飲んで終わった。
11/10
都内での一〇〇キロウォーキング大会に出場した私は、身体の軸をまったくぶらすことのない圧倒的に安定した歩行により、二位以下に大差をつけて単独一位をひた歩いていた。私はみずからの足がまるでスフレの上を歩いているかのような、ゾーンとでも呼ぶべき軽い感覚の極致にあるのを感じていた。私があまりに速く歩くものだから、私の前で大会の先導役を務める、いかにもガイド然とした姿の女性をひどく焦らせることとなった。女性の先導に従って私は山手線のどこかの駅前の、ひと通りの激しい繁華街に突入していた。女性はときおり私のほうを振り返り、誰かとトランシーバーで通話しながら、ひと混みをかき分けかき分け進んでいくのだった。私は安定感ある歩行でついていった。駅から少し離れたとたんに明かりが少なくなる。そのなかで唯一営業していた、古めかしいスーパー銭湯 のような施設に私は吸い込まれた。私は早く先へ進みたいというみずからの意思に反して休憩をとろうとしているのだった。私は畳敷きの大食堂のような場所に通され、お膳を提供され、はっと気がつけば七時間ほど経ってしまっていたのだった。しまった、もう負けだ……、と思ったところで目が覚めた。
先日同居人がYouTube で見つけた、埼玉県川越市 あたりでの一〇〇キロウォーキング大会の動画の影響をモロに受けた夢だった。「歩くのが好きならこういうの出てみれば?」と同居人は私にいうのだった。しかしどうやらじっさいの大会では音楽やラジオを聞くことも許されないらしい。もちろん耳になにもつけずに自然の音や街の音を楽しむことにもおもしろみはあるが、少なくともYouTube で見た川越の大会の様子を見る限り、道中にさほど趣深い景色があるわけでもなく、一〇〇キロをなにも聞かずに歩ききるのは、よほど「歩行」そのものが好きでないと厳しそうであった。私はあくまで散歩が好きなのであって……、と同居人に反論した私だったが、今日の夢の調子だと、あんがいこういう大会を楽しめるかもしれなかった。
しかもどうせ、こっそり聞いたってバレない。いまならロザリアやホイットニーの新譜を聴きながら散歩するのはとてもよかろう。ホイットニーの新譜はジャケットからして『つづれおり』であるわけだが、曲にもキャロル・キング のようなフィーリングが宿っている。彼らの原点に戻りつつ、ソングライティングの面にも充実が見られて、最高に心地のよいアルバムだといえた。ロザリアの新譜も何周も流すことでようやく曲ごとの構造やアルバム全体の流れがわかるようになってきて、あらためてそのすごさを実感している私だった。
今日は『旅と日々』を観た。まずいろんなことをしゃべりたくなる映画であり、その時点で素晴らしいといっていい。すべてのカットが正しくスタンダードサイズのために存在し、夏と冬、それぞれの美しさを切り取る。スタンダードサイズだが「狭さ」を感じさせず、寄りと引きの反復によって旅の豊かさ、またその裏返しとしての世界に投げ出される感覚を打ち出し続ける。俳優陣の素晴らしさはいわずもがな。なんといってもシム・ウンギョンと河合優 実の旅する身体であるが、堤真一 と髙田万作の朴訥とした存在感もありがたい。
Hi'Specの劇伴に合わせて車窓の風景が右から左へ流れる序盤のショットを目にすればどうしても先日の『THE COCKPIT』を想起せざるをえないわけだが、書いては消す脚本家の手つきはそれこそビート作りと遠からざる位置にあるといえるかもしれない。しかし『旅と日々』において、ビートメイカー=脚本家は部屋を出て旅に出る。作られたビート=脚本は俳優によって演じられ、身体が言葉を凌駕する。身体が言葉を超える瞬間、あるいは言葉の届かないところまで行く瞬間こそが映画の醍醐味であるが、言葉を生業にする脚本家からしてみれば素直に肯定しがたいところでもある。脚本家は自信を喪失しもする。その脚本家の主人公が錦鯉泥棒を通じて久しぶりに楽しく感じられるという一連において、まさしく旅の素晴らしさが描き出されている。日々の言葉の届かない景色を見ることこそが旅をする(そして映画を観る)理由。いっぽうで日々の言葉を否定していないところにこの映画のよさがあると私は思った。旅も日々も描くことができる装置として映画は強い。
帰宅してつげ義春 の原作を本棚から引っ張り出せば、「海辺の叙景」のラストコマがあまりに美しく映画のなかで再現されていたことに驚かされた。
11/11
批評的視点を持ち合わせるでもなく、半分はただなんとなくおもしろいかもというだけで、そしてもう半分は文フリの冊子に向けて原稿の足しになるかもという小賢しい心持ちで、今月の私は「僕」ではなく「私」として日記を書いていた。最初の数日間には「私」としての日記の書き方の変化に言及することで量的な充実がもたらされ、またちょうど三連休と重なり書きがいのある日々だったおかげもあって、一日二〇〇〇字というのが目安として定着してしまった感じがあった。ほんらい日記とは自由に書かれるべきものであって、文字数の目安や指標があってはたまらないのだが、二〇〇〇字という具体的な数字が一度浮かび上がってしまったために、ふつうに書けば八〇〇字ていどになるであろうところを引き伸ばすように私は日記をがんばっていた。日記をがんばる、というのもはなはだ奇妙な事態ではあるが、「私」として書いているからには「僕」のときとは異なる質・異なる強度をもった文章が必要だという感覚があり、たとえば自転車で大通りに合流する際にギアを3から7へとチェンジするときのような心づもりで、若干の気合いを入れて取り組む必要があった。取り組む、といってしまっている時点で間違いなくがんばりだった。
直近の二日間には奇妙な夢を見て、起きてからもその内容をおぼろげながら覚えていたため、両日とも五〇〇字ていどを稼ぐことができていた。私が日記を書くのはたいていその日の夜になってからであるが、夕飯や入浴を済ませ、ふっとひと息ついてスマホ を手に取る時点までまだ夢の内容を覚えていられたというのはすごいことではないか? もちろん、夜になってやっと文章にする夢は、じっさいに見た夢とは少し(あるいは大幅に)異なっているかもしれなかった。日中に記憶の改ざんがなされたかもしれないし、「私」として文章にするための編集を経て、夢は加工されているのかもしれなかった。そもそも私は夢を「私」と「僕」のどちらとして見ているのか? あるいは「私」や「僕」ではないのか? それによっても日記への書かれ方は違ってくるはずだった。しかしいずれにせよ日記で五〇〇字を稼げるほどに夢の内容を覚えていられるというのはめったにないこと。もしかすると日記を二〇〇〇字書けるほどの出来事が起こりえないということを予期した私の身体が、私に強烈な夢を見させてくれたのかもしれなかった。
しかしそんな都合のいいことは三日連続では起こらない。今日の私は夢を見なかったか、見ても忘れてしまっていた。であるから今日の私は自力で日記を書く必要があった。
昨日の『旅と日々』はあらためて考えてもおもしろい映画で、観ている最中はどういう映画なのかわからず、まさしく言葉が置いていかれてただ目の前の映像を味わわせられる感覚があったのに、上映が終わって劇場内が明るくなってからはいろんなことをしゃべりたくなる。まさしく映画=旅が終わって、日々の言葉に戻ってくるような。河合優 実と髙田万作による「海辺の叙景」が映画内映画として描かれ、それを観ていたシム・ウンギョンの顔が映され、今度はシム・ウンギョンと堤真一 による「ほんやら洞 のべんさん」が映画として描かれ、それを観ていた私たちの顔が映されるかのような……、そのように書くと私たちまでもが映画のなかにいるようだが、そうではなく私たちは私たちの日々や旅のなかにいる。タイトルそのものである「旅と日々」というテーマがそのまま映画を観た私たちの時間にも染み出てくるような広がりをもった映画だといえた。
そんな私の日々……。今日は仕事の昼休みにまた外を歩いた。私がこの時期に着ていて同居人に「工作員 」と呼ばれているアウターではすでに凌げないほどの寒さになっていたが、歩き続けていれば温まる。私は私の好きなクリーム色のビルのほうまで足を伸ばしたが、今日はその路地をあえて通らず、大通り沿いからクリーム色のビルを見ることでふだんと異なる印象を得ようとした。ところが、路地の絶妙なくねり具合や建物の配置によって、大通りからだとクリーム色のビルはほとんど見えないのだった。このこともまた私のクリーム色のビルへの好感を上げることとなった。路地に入った者のみが、そのビルを目にすることができるのだった。夜はNetflix でギレルモ・デル・トロ の『フランケンシュタイン 』をあらかた観た。『旅と日々』に比べるとかなり、物語、という感じがする。悲しい話なのにところどころ笑ってしまったのはオスカー・アイザック の熱演のせいだろう。
私たちの日々がもしリアリティ番組 だとしたら、というような舞台設定は『トゥルーマン・ショー 』という映画がすでに試みているし、同じくもし映画だとしたら、という仮定もおそらくなんらかの作品ですでにやられているのだろうが、映画内映画だったら、という想像はもしかするとまだ描かれていないかもしれない。私や同居人の会話が映画内映画であったなら、どこでカットが割られ、どこでシーンが変わり、どこでエンドロールに突入するのか。その映画を観ているのもやはりシム・ウンギョンなのか。それともデンジとマキマさんがつまらなそうに観ているのか。しかしエンドロールとは関係なく私と同居人は話し続けていて、映画内映画内の日々は続いていくのだった。
11/12
仕事中の調べもので出会った「丁度可知差異」という言葉が私にはツボだった。ちょうどかちさい。ウィキペディア によれば「ある標準となる感覚刺激からはっきりと弁別できる刺激の最小の差異のこと」──たとえば百グラムの綿にさらなる綿を足していくとき五グラムていどでは気づかず二十グラム増えた段階でようやく「増えた」と気づくようなこと──であり、意味はわかるし、それなりに字面どおりでもあるわけだが、このような学術的にも使われているであろう語において、「ちょうど」という私たちがふだん口語的に慣れ親しんでいる単語が堂々と登場していることが私にはオモロいのだった。なんとなく場違いな、江戸感、とでもいおうか、「丁稚奉公」や「口八丁手八丁」の仲間であるかのような……。しかし「丁度」というのは音読み続きの、見ようによってはいかにも学術然とした単語でもあって、もしかすると足を引っ張っているのは後半の「可知差異(かちさい)」かもしれなかった。ひらがな一文字ごとに漢字一文字が対応する見た目からは「伊太利亜 (いたりあ)」や「仏恥義理(ぶっちぎり)」のようなコテコテの当て字の印象も漂う。最後が「異」であるのも、どこか怪異感。そうなると先ほどの「丁度」の江戸感もよみがえってきて、「丁度可知差異」……見るひとの心理状態によって、豆粒ほどに小さくも、入道雲 ほどに大きくもなりえる、口が八個、腕が八本のヒト型の妖怪。「カチサイ」は江戸中期に出島から輸入された食肉植物の名前が由来だとされる。というような想像も広がる。
そんな(私の勝手な想像でなく本来の意味での)丁度可知差異を実感することが私の身にも起こった。私の住むアパートから会社までの道のりにある交差点周りで、平日はほとんど毎晩のように道路工事が行われていた。老朽化にともなう補修として来年の四月頃の竣工が予定されているその工事は、あくまで道路を全面封鎖することなしに行われるものだから、交差点の周りには毎晩一箇所ずつに規制が張られ、その部分は片側交互通行になる。交差点を中心に、たとえば私のアパート側の道を①とし、時計回りに②、③、④と番号を振ろう。これがわかりやすいかどうかは微妙なところであるが、とにかく、たとえば①側で工事が行われる晩には、①の道が片側規制となり、①から②、③、④いずれかの方向に向かう車、③から①へとまっすぐ走ってくる車、②から①に右折する車、④から①に左折する車がその規制の対象となる。いま挙げたうち、特に①から②、③、④いずれかの方向に向かう車と③から①へとまっすぐ走ってくる車は、同じ青信号における対向の関係となるため、工事現場のひとの裁量による交互通行の影響をモロに受けることとなる。交互通行である以上どんなに現場のひとの手際がよくてもふだんの通行には及ばない。そのためこのところ交差点周りには軽い渋滞が発生していた。
①、②、③、④のいずれで工事が行われるか、それが着工当初の毎晩の私の楽しみになっていた。工事は場当たり的ではなく、あらかじめ決められた工程表に従って進んでいるに決まっているのだが、部外者の私にはなんとなくランダムであるようにも思えた。多くの場合①か③、なかでも多いのが③の工事で、もともと交差点の③側には道を挟んで二軒のコンビニがあり、コンビニの隣には飲み屋もあるものだから、工事現場独特の異様に明るい照明も相まって、③で工事が行われる日にはその一角がものすごく賑わっているようにも見えるのだった。しかしそんな賑わいも毎晩続けば日常の風景へと落ち着いてゆき、交差点のどこで工事が行われるかという問いももはや私の関心ごとではなくなってきているというのがさいきんだった。着工当初は工事内容に興味をもち、現場のひとたちが穴を掘っていたら規制の外から覗き込んだりしていたものだったが、いまやそれもなくなっていた。
工事の場所や内容が少し違うくらいでは、あるいは現場のひとたちの人数が少し増減するくらいではもはや驚かず、気づきさえしなくなっていた私を久しぶりに驚かせたのが、今晩の③の工事におけるクレーン車の導入だった。私が毎日通る交差点にクレーン車が! ビル建設の現場ならまだしも、ごくふつうの交差点でクレーン車が稼働しているのは未知の光景だった。けして広いとはいいがたい③の路上でクレーン車は器用に資材を動かしていた。私は思わずスマホ で写真を撮って、「大クレーンありです」というメッセージとともに同居人に送った。いまの私にとっては、工事現場の変化に気づくための最小の差異、丁度可知差異がクレーン車だったというわけ。
coolな丁度可知差異
11/13
ほんとうは昨日はギレルモ・デル・トロ の『フランケンシュタイン 』を最後まで観たのでそのことも書こうと思ったのだが、丁度可知差異の話でキリがいい雰囲気が出てしまったのと、ただただ眠かったので、私はクレーン車のくだりで日記を終わらせてしまったのだった。といっても『フランケンシュタイン 』にかんして長く書こうというわけではない。デル・トロらしく「怪物」を「美しい生き物」として反転させる作劇であり、じっさい「怪物」がしだいに美しく見えてくるよう演出されていて、「怪物」と「創造主」のどちらがどちらを追っているのかがわからなくなるような終盤も含め、批評性を多分に含んだ映画だといえた。しかしそういう部分よりは、みずからの生み出した「怪物」に怯えるオスカー・アイザック の姿や、青ひげとあぶら汗でマユリカ 阪本に見えるオスカー・アイザック の姿がオモロい、という、エンタメ的な側面において楽しめる映画であり、家で同居人とところどころ笑いながら観たのがよかった。
だいたい私がこのように「批評性を多分に含んだ」などと書いているとき、私はその「批評」の具体的な中身にまで考えを及ばせているわけではなかった。さえぼうあたりがきちんと解説したブログを書いてくれるかも、という、きわめて無責任でひと任せな放言であった。いっていることのレベルとしては「よかった」や「エモかった」などと変わらない。しかしただオモロがっただけではございませんよ、という、かっこつけというか、イキがりというか、その種の浅ましい撫でつけをみずからに許容してしまっている私だった。そもそも私は自分に甘い。昨日の日記のおける交差点についての描写だって、きわめてわかりにくい文章を書いていることを承知しながら、たわむれに①、②、③、④などと番号を振り、数字が頻出することによるおもしろさで文章そのもののわかりにくさをごまかそうとしていたのだった。しかしそんなのは読むひとが読めばバレるだろう。たとえば未来の私が読み返したら一発アウトであろう。なぜなら書いたのは私じしんだから。
かといって昨日の話をどのように書けばわかりやすい文章になっていたか私にはわからなかった。私は風景の描写が苦手だった。番号を振ったのだって半分はたわむれだが半分は苦しまぎれであった。散歩好きを自認しつつ風景の描写を不得手としていることに引け目を感じながらも、またたとえば乗代雄介がひたすら風景の描写を練習していたというような話を聞いて、それはたしかに小説を書くにあたって大切なことであるなあ、と思いながらも、私は特に練習をすることなく過ごしていた。私はさらに、読者としても風景(あるいは建造物やなんらかの機構)の描写を苦手としていた。数ヶ月前に楽しく読んだ『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でも、ロケットの構造にかんしてはなにがなんやらで、巻頭に付されていた図解をいちいち見ないことには理解が追いつかなかった。そもそも風景描写というのはただ上手にやればいいというものではない。けっきょく小説的におもしろいかどうか。保坂和志 の『未明の闘争』の中盤には、たしか横浜かどこかの港沿いのベンチに語り手が座って、周囲の風景をひたすら描写し続けるというくだりがあった。あれがおもしろかったのは、文章がうまかったからというよりは保坂の目がいいからだろう。そう、目だ! 私は目をよくする必要があった。そのために私はこのところ散歩中にずいぶんキョロキョロしていた。書くにはまず見なければならない。たとえば交差点についても、いっきに書こうとするから番号に頼らざるをえなくなったわけであって、もっと細かな単位で見て、書くべきだったのだ。
昨日の日記でいうところの③の道、つまり交差点において私の住むアパートの方向とは逆に伸びてゆく道には、昨日も書いたように道を挟む形でコンビニが二軒あった。ファミマとセブンである。家と会社を結ぶ道にファミマとセブンがあるとなれば、ほとんど毎日のようにいずれかに吸い込まれざるをえない。……というような話を昨日の日記でも書けばよかったのかもしれない。しかしそれが文章としておもしろいかどうかはまた別の話……
今日はセブンに寄ってから帰宅した。私はこのところ帰宅してから湯船に浸かることを毎日の楽しみのひとつとしていた。この時期の湯船はきもちよすぎた。これより寒くなると入浴そのものがおっくうになる。いまがちょうどよかった。風呂上がりには同居人とココアを飲んで、『じゃあ、あんたが作ってみろよ』の最新話を見た。ドラマも中盤に差しかかって、「あんたが作ってみろよ」なんてことをいわれるまでもなく毎日の手料理を楽しんでいる竹内涼真 (勝男)がまぶしい。そのぶん夏帆 (鮎美)のつらさが目立って、勝男が楽しそうなのはなによりではあるが鮎美がつらいのは違うよなあ、という気持ちになってしまう。同居人は鮎美がつらくなるたびに「刺せ!」と剣呑なことをいっていた。
11/14
ラップスタアやカミナリのYouTube を見ることで日本語ラップ の世界にも徐々に興味が湧くが、いざ聴くとなると膨大。そこで私はひとまず名前を聞いたことのあるひとの新曲やYouTube でサジェストされてきた曲から流してみていた。そのなかにはラップスタアで審査員をやっているBenjazzyさんの新曲「NOOFFSEASON」もあった。ノーオフシーズンというのはようするに休むヒマなしということで、私にはようやくわかりつつあるのだがラッパーにとっては常に忙しくしている(=みずからの曲を制作していたり、ひっきりなしにライブや客演に呼ばれていたりする)こともFLEX の一形態であるらしく、ベンチャー マインド的なものとも似かよっているかもしれない。あるいは個人事業主 としての充実を誇るということかもしれない。考えてみれば金を稼いでFLEX するためにはそもそも仕事が多くないといけないわけで、まこと理にかなっている。
(しかしそのように懸命に働いて知名度 を増し広く認められていくことで──きわめて俗っぽい話題ではあるが──仕事あたりの単価というのは上がっていくはずで、たとえば活動初期と比べて単価が百倍や千倍、あるいはもっと、という段階に突入したとき、それでも働いて働いて働いてまいることがラッパーとしてのFLEX なのか、それとも遊んで暮らして、たまにほんの四小節の客演でウン百万を稼ぐようないわゆる「上がり」の状態こそがFLEX なのか? アルバムの予告ばかりを続けてえんえんリリースせず、もはやなかばインフルエンサー のように暮らしているエイサップ・ロッキーはかっこいいのか? よくないのか? フランク・オーシャンはいったいなにをしているのか? Apple Musicの歴代アルバムベスト一〇〇のような企画において名だたる名盤をおさえ『Blonde』が五位に入ってしまったというようなことも、フランク・オーシャンを新作発表から遠ざけた一因であったりしないのか? 私はフランク・オーシャンの新作もエイサップ・ロッキーの新作も聴きたい……。そんなふうに話が逸れてしまったところでカッコを閉じる。)
そういう24/7 的な忙しさをアピールする「NOOFFSEASON」において客演しているMIKADO というひとの、軽やかにビートを乗りこなしながら楽しく技を繰り出し続けるようなラップがなんとも心地よくて、調べれば昨年のラップスタアに出ていたのだという。こういう感じでフックアップされていくのだとしたら夢がある番組。私は27AMが音源をリリースするのを楽しみにしていた。しかしいまはMIKADO 。いままさに駆け上がり中、といった趣きのあるFLEX 混じりのリリックを、どことなくブレイキンのような軽やかな身体性を伴ったフロウでカマしきっていて、この曲においては直前のWatsonを食っていると私には思えた。そのWatsonもいろんな喩えを繋げてゆくリリック、たとえば「保釈じゃないけど丸くなる 喘息じゃないのに税税ゆう」のようにポンポン出されるとおもしろい。「小栗じゃないけどいつでも旬だ」までいくとベタすぎやしないかと思わないでもないが、それにしても、「じゃない」のにどうして喩えるのか。比較するものでもないかもしれないが小説において「じゃない」のに喩えている場面などそうそう出会わない。ラップ独特のノリという見方もできよう。
そもそも一般的に比喩というのはうまく内容とかかっていてこそのものであって、じゃなくてもいい比喩が許されるのなら可能性はいくらでも広がる。ラップというのは基本的にサンプリングの文化であり、トラックにおいてもリリックにおいても元ネタを脱文脈化して新たな流れのなかに配置しなおす、その配置の巧みさや意外性が評価される土壌が(おそらく)あるからこそ、じゃない比喩も許容されるのかもしれない。であれば今度は私が、私の日記において、ラップ独特のじゃない比喩のノリをサンプリングしてみるのはどうだろうか。塩麹 みたいに長持ちするわけじゃないけど長引いてる交差点の工事。でもここは麹町じゃない、まさに工事待ち。セブンスヘブンじゃないけどセブンに寄りたい気分。健康にバイバイするわけじゃないけど思わずカップ 麺をPayPayでBuy。……じゃない比喩というのもやってみると難しい。じっさい最後のカップ 麺購入は健康にバイバイするわけじゃなくない行動であり、これでは私が日常会話においてもぞもぞした感覚を抱いている、「◯◯じゃないけど」という、ほんとは◯◯であるといいたいが明言を避けているようないい回しを地で行ってしまっているのだった。真の「じゃないけど」を使うには、ほんとに「じゃない」必要がある。私はまだその領域に遠く達していなかった。
同居人は会社のひとと飲んで帰ってきて、あっという間に寝た。
11/15
午前中には文フリ用の新刊が届いた
Dと会う約束をしていた。三日前くらいにどこで集まろうか決めるにあたって、高尾山はいかがかという同居人案もあったが、念のため私とDそれぞれの最寄り駅からちょうど同じくらいの時間で行ける駅をCに聞いてみると、吉祥寺です、といわれた。Dに高尾山と吉祥寺のどちらがいいか聞いてみたところ、吉祥寺いいね、ということだったので、今日の昼頃に私と同居人とDとその同居人であるCさんとで吉祥寺集合となった。DもCさんも散歩好きであるとのことで、今日の気候のよさも相まって、私は朝の時点から散歩への期待を膨らませていた。同居人は同居人で、今日ではなく明日に別の登山の予定を入れることで山への渇望を満たそうとしていた。
私とDがあらかじめLINEで話していた中華料理屋に行ってみると、事前にGoogleマップで見て想像していた町中華 的な佇まいとはかけ離れ、若い女 性に人気の麻辣麺をメインとしたオシャレなネオン光る店舗で、なおかつ並んでいたため断念。次善の策を用意していなかった私があたふたしていると、Cさんが、おいしいピザ屋がある、と素晴らしいトスを上げてくれた。井の頭公園 側のそのピザ屋まで行って、ボードに名前を書き、順番待ちのあいだ私たちは公園を歩いた。屋外ステージでは弾き語りライブをやっていて、ひとも犬もステージに釘づけ。ハンバートハンバート による『ばけばけ』の主題歌をカバーしているひとたちがいた。『ばけばけ』は第一週がよかったのでそのまま続きを見ていればぜったい最高であろうと思いながら、見ずに録画が溜まってしまっていた。今期のドラマだと『じゃあ、あんたが作ってみろよ』がやはり最高だよ、とDたちにおすすめした。(じっさいにおすすめしたのはピザを食べ終えてからのことであったが、日記の文章の流れとしてはいま書いてしまうほうが楽だった。私はこのように時系列をときたま編集して書いているのだった。)すっかり冬らしい、白くて低い日の光によって、木々も水面も落ち葉も犬もすべて輝きを放っていて、なかでも長い尾の先に落ち葉をつけて歩く犬が私にはまぶしかった。このような公園が家の近くにあればいいのに、という話を私が同居人としていると、どうやらDたちの家の近くにはそれなりに大きく木々も豊かな公園があるらしい。DもCさんも後ろ手を組みながらその公園で散歩し、鳥や木の名前を当てることを日課 としているそうで、かんぜんに老境に足を踏み入れている二人だといえた。私もよく後ろ手を組んで同居人に注意される。やばい、とは思いながらも、老境にさしかかることのなにが問題なのか、私にもDにもわからなかった。人生において「おじさん」期をできるだけ縮めて早く「ジジイ」になることができれば、それはそれで楽なのではなかろうか。そんな話をしているうちにピザ屋の順番が回ってきたという電話が私のスマホ を鳴らした。
ピザはたしかにおいしかった。いな、ピッツァ。「九十年代までピザしかなかった日本にピッツァが持ち込まれた」というようなことがその店のメニュー表においてうたわれていた。王道ではあるがけっきょくマルゲリータ がおいしい。しかし私はピッツァを詳細に評するための言葉をもっていない。登山客、登山者、登山家のような分類でいえば私はピッツァ客であった。同じような分類でいえば、井の頭公園 の池に浮かぶ鳥たちの名前をすぐさまいい当てるCさんは既に散歩客や散歩者の域を脱し、散歩家へと転じようとしているひとだった。老境の散歩家。いっぽう私は鳥にも木にも詳しくない。私なりに散歩家を目指すとしたら、それは知識の豊富さにおいてではなく、別の方法でなければならなさそうだった。たとえば散歩中に目にしたものをいろんなものに喩えまくるなど。しかし私は井の頭公園 内の奇妙な形の木を視界にとらえても、なにひとつ喩えが浮かばないのだった……
井の頭公園 は、吉祥寺駅 からまっすぐ向かったところのあのいかにも「井の頭公園 」然とした、アヒルボートの浮かぶ池を中心に据える幸福な一画にとどまらず、じつは奥にも広大な敷地をもっている。そのことを私は今日まで知らずにいた。せっかくなので奥へと歩を進めれば、これまた私がいつか散歩してみたいと夢見ている玉川上水 と交差し、そのさらに先には「小鳥の森(バード・サンクチュアリ )」と呼ばれる野鳥のための森と、代々木公園にも似た青空競技場が広がっているのだった。競技場で思い思いに遊ぶひとびとの姿もあまりに美しい。雲梯があったので私たち四人それぞれが試しにやってみると、みな二本目か、せいぜい三本目の棒を掴めずに断念するのだった。身体があまりに重い。肩や前腕が悲鳴をあげた。右手薬指の付け根の皮も剥けてしまった。私たちがもうおじさんおばさんであるがゆえのドイヒーな結果だといえたが、しかしそもそもかつて若者だった頃にも雲梯などできたのだろうか。もうおじさんだから、を弁明に使ってはならない。むしろおじさんだからこそやっていくべき。おじさんだから友だちとお茶すべきだし、散歩に誘うべきなのかもしれない。理由も目的もいらないのかも。そんな話をした。
バード・サンクチュアリ
バードと人間、はたしてどちらの仕業か……
スティールパン のような、似ているようで違うような楽器をもった若者が競技場の芝生の中央に現れておもむろに演奏し始め、もうひとりの若者がその姿をカメラに収めているようだった。
四時のチャイムで公園を出て、駅のほうへ戻り、本屋「百年」にみんなで寄ってから解散した。私は『バナナの世界史』という本とゼーバルト の『アウステルリッツ 』を買った。同居人は『日本百名山 』の文庫本を買っていた。日本百名山 というのはもともと深田久弥 というひとが独自に決めたものが広まったもののようで、その深田さんが書いた『日本百名山 』の地図を見ると明らかに中部地方 に偏っており、東北や関西や四国九州からはほとんど選ばれていないので私は思わず笑ってしまった。その後私と同居人はモンベル とパタゴニア を巡り、アーケード内の五右衛門でタコのペペロンチーノを食べた。いつか「ざっくりYouTube 」で小籔がいっていた、「森でマイナスイオン を浴びてから五右衛門のタコのペペロンチーノを食べる」というような話を、図らずも体現することができたのだった。同居人が明日の登山に持っていくための行動食をスーパーで買ってから帰宅した。
明日山で食べるかもと思って井の頭公園 近くの和菓子屋で買っていた餅の消費期限が今日までだったので、食べた。
11/16
同居人は日帰りで天城山 へ行く。天城山 といえばかの「天城越え 」や『伊豆の踊子 』で知られ、昨日買った『日本百名山 』においても深田久弥 が「天城のいいことの一つは、見晴らしである。煙を吐く大島を初め、伊豆七島 がそれぞれの個性のある形で浮んでいる海が眺められるし、いつも真正面に富士山が大きく立っている。全く大きい。」と記すとおり眺望のいい名山。しかし行くまでが遠い。同居人は朝五時過ぎの電車に乗り、途中でお母さんと合流し、伊東駅 からバスも使って、九時頃入山という計画だった。山から駅への帰りのバスは一日にわずか三本。ふつうのコースを標準タイムで辿れば、二本目のバスにはとうてい間に合わないが、三本目まではだいぶ時間を余らせる。さてどうしようか、というのが昨日の夜の段階での悩みだった。
天城山 中にゴルフコースがあって、おそらくそのレストランに入れるのではないか。「山の客がきたねえ靴で入ってくるんじゃねえ!」と怒鳴られなければの話だが……。まあ行ってみるよ、といい残し、まだ暗い街を駅まで歩いて同居人は出発した。同居人が山に行くときは私も早朝の駅までついてゆき富士そば を食べて帰宅するというのが私のこの頃のルーティンであった。富士そば では昨日の夜の酔いを引きずったおじさんが店員さんに絡んでいたが、店員さんたちは全面的に無視していた。帰宅して、夜が明ける頃に眠りについた。
休日の晴れた日には洗濯をして外干ししないと気が済まないおじさん、通称「せんおじ」として鳴らしている私であったから、寝坊はせず八時半には起きて洗濯機を回した。しかし眠い。午前中にはYouTube をぼんやり見ていたが、「カミナリの記録映像」に目を覚まさせられた。まなぶくんが母校を訪れ、同級生や後輩とともに伝説の美術の田村先生について語るという回で、普通科 高校の美術の授業として期待されるものから大きく逸脱した圧倒的にオリジナルの授業におおいに笑わせられ、泣かせられもした。知らない学校の知らない先生なのに楽しく見られるのは、エピソードの強さや話術の巧みさもあるだろうが、まなぶくんや後輩のひとがじっさいに使っていたスケッチブックが紹介されることでナマの感触が加わったのも大きい。コメント欄に田村先生を知る卒業生たちが集っていたのも素晴らしかった。
昼前に家を出て、電車で田端駅、そこから歩いて旧小台通り という商店街を進んだ。通りがY字に割れるところにおぐセンターという建物があって、そこの二階で成田くんたちの演劇を見るのだった。私の通っていた中学・高校からそう遠くない場所であるこのあたりを私はそれなりに歩いているつもりであったが旧小台通り は初めてだった。そのことがまず私を奇妙な心持ちにさせた。日曜日だからか個人商店の多くは閉まっていて通りは閑散。公演タイトルにもあるリミナリティとはもしやこのことか、と思いながら、早く着きすぎたので一度おぐセンターを通り過ぎて、あたりをぐるぐる歩くと、開いている店は開いているし、ひとも入っている。一箇所にだけ設置されたスピーカーからはミスチル の「終わりなき旅」が流れている。ほんの一度通っただけの私が、閑散としていてほんのり不気味、と勝手に感じた商店街の印象は、二度、三度とぐるぐる歩くことで覆されるのだった。この感覚が『翳りゆく部屋のリミナリティ』という公演にも繋がっているように思えた。リミナルな空間にもひとがいた(いる)と想像することによって体温を見出そうとするような、日記的な想像力とでもいえばいいか。
そうなると、おぐセンターを出てから隅田川 を越え荒川沿いの土手を行き、やがて河川敷まで降りて歩きながら流したOPNの『R Plus Seven』というアルバムまでもが、いかにも人間味にあふれ、西日に照らされる街並みとも不思議と合っているように思えるのだった。荒川の河川敷といえば私が高校生の頃の持久走で走らされた場所でもあった。そのことを思い出しての郷愁までもをOPNが吸収してくれた。もっといえば『翳りゆく部屋のリミナリティ』を観たおかげといえた。
日記的な想像力、と書いたが、じっさい『翳りゆく部屋のリミナリティ』においては、照明の転換が交互に昼と夜を表し、朝の訪れを示すチャイムが日記における日付の役割をおっている。規則正しく流れる時間のなかで次々と部屋を訪れるひとたちは異質なようであるが、そのうちにそれぞれが独自の規則性をもって登場し退場しているようにも感じられてくる。最後まで異質さがぬぐえないのは「持主」と「おばあちゃん」ということになろう。「大癇癪」によってこの世ならざるもの(これを簡単に幽霊といいたくない気持ちが私にはある)になった「持主」は劇中の誰にも見えていないが観客席に座る私たちからは見える。ときおり目が合う気もする。この異質性をどう捉えればいいのか、私はまだ考えなければならなかった。
また「持主」を演じる永野さんが、俳優たちのなかでもっとも大きな身体をもつひとであるというのもおもしろい。大きいひとが観客からしか見えておらず、「計測師」たる井上くんに取り憑くときを除いて誰ともぶつからないように俳優たちが互いに絶妙な位置関係を保って演じているのは、アフタートーク で成田くんがいっていたようにスポーツのようでもあった。「持主」がおぐセンターの壁にもたれかかると私の真後ろの窓が揺れる。誰にも見えない存在が空間を揺らすというのは、リミナルな空間にも誰かがいた(いる)という想像力の、まさしく具現化ではないか。
そんなことを考えながら北千住まで歩いて、電車で帰った。同居人が帰ってくるまでの間に鍋を準備した。同居人は先日の鍋割山登山の日ほどは困憊していなかったがそれなりに疲れてはいて、鍋を食べてウーンとうなっていた。けっきょくゴルフコースのレストランには入らなかったという。ラップスタアを見て、Sonsiにシビれた。それとは別に、今日見た「カミナリの記録映像」の動画は、まなぶくんのHood Stageということになるのかもしれないなあ、と私は思った。
道中のナイスなマンション
おぐセンター
こういう鉄塔にも日記的な想像力を見出ださないわけにはいかなくなった
11/17
オフィスの誰かの椅子がときおり軋む、そのキッキッという音がヒッチコック の『サイコ』のシャワー・シーンで流れるあの有名な曲に似ていて、私はひとりでこっそりウケていた。
オフィスの窓からは遠くのビル群が見える、そのビルに反射した西日が私たちのオフィスに射し込んでくる。冬にだけ射し込んでくるのでやはり夏と冬では太陽の軌道が違うのだと実感するし、射し込んでくるたび、小学校の理科で習った入射角/反射角の話を私は思い出す。理科ではなく算数だったか。どちらでもかまわない。とにかくこの時期には西日が射し込んできて、私のデスクのモニターを照らし、わずか五分ほどモニターが見にくくなる。その見にくさを私は楽しんでいた。
……私がふだん会社の話をしないことが同居人にとっては不思議であるそう。しかしいわれてみればたしかに私の生活において会社にいる時間というのはそれなりの割合を占めているわけで、その話をまるっきりしないというのはバランスの面でもおかしい。だから今日は会社であったことを日記にも残そうと思って、冒頭から何連発いけるだろうかと書き始めたが、結果、二発。もうひとつ絞り出すとしたら、今日の昼に会社の周りを散歩した際に、すさまじい量の落ち葉が落ちていたことであるが、これは会社の話というよりは散歩の話なので先ほどは書かなかった。落ちたての落ち葉はよく乾いていて、かさかさ音を立てながら舞っているし、思わず踏みつければ韓国のりのように気持ちよく割れるのだった。
(私が今月の頭から続けている「私」としての日記は、かっこよくいえば「僕」と「私」でなにが変わるのかということを探る試みであった。「私」として書くと日記が長くなるというのもひとつの違いとして浮かび上がってきていつつ、私はこのところ日記を自覚的に長くしようと必死であり、何日か前にも書いたように一日二〇〇〇字というなんとなくの目安まで出来上がってきてしまっていて、特に書くことのない平日にはその目安に苦しめられていた。一昨日や昨日の日記で明らかなように、土日には書くことに苦労しなかった。しかし今日はなにもなかった。だからいまもこのようにして日記を引き伸ばしているのだった。
一日二〇〇〇字ということは、今日十七日の時点で三万四〇〇〇字に達していれば順調だといえた。この土日の充実があったため、いまここまでの段階ですでに三万四〇〇〇字は超えることができていた。だから今日はもう終わらせてもよい。ほんとうはこの土日の充実によって生まれた字数の面でのリードを、平日五日間かけてゆっくり消費していくつもりであったが、月曜日からいきなり使い果たしてしまうことになる。しかしそれでもよかった。明日以降のことは明日以降に考えればいよい。そもそも日記に字数の目安など不要なのだ。好きに書けばよかろう。)
今日はもう眠いので寝る。
11/18
私の誕生日ということもあって同居人と合わせて休みを取った。同居人も合わせてくれたのはありがたかった。朝から曇っていて、夕方には雨の可能性もあるとのことであったが、休みゆえの楽観もあって洗濯物を外干しした。結果、午後には雨が降って濡れてしまったのだった……
いくつかの懸案事項を前に進める日でもあって、まずひとつはETCカード。たまにタイムズのカーシェアを借りるたびに、首都高の現金入り口の数が減っていっている事態に直面して怯えていた私たちであったが、そもそもETCカードがあれば解決する話ではないかということに同居人が思い当たり、一週間ほど前に申し込んでくれていたのが今日の午前中に届いたのだった。これがあればもう高速の料金所が近づくたび「ETCカードが挿入されていません、ETCカードが挿入されていません、ETCカードが挿入されていません」と繰り返す自動音声にうなされることもないはず。こんな簡単であるのならもっと前に申し込んでおくべきだった。
同じく《こんな簡単であるのならもっと前に申し込んでおくべきだった》シリーズではあるのだが、私も同居人もマイナン バーカードをいまだ持っていなかった。政府の進め方に強く反対するようなはっきりとした意志があるわけでもなく、ただ怠惰で申請をしていなかった私たちであったが、保険証が使えなくなるとのことでついに動かざるをえない。私はマイナン バーの通知カードさえも部屋のなかで紛失していた。とりあえず身ひとつで行ってみてダメだったらダメで出なおそう、という休日ゆえの楽観をここでも発揮したまま、私たちは区役所へ向かった。マイナン バー窓口は意外と混んでいて、順番を待っている間に食堂で昼食を食べた。すべてのテーブルと椅子が同じほうを向き、かつ券売機から受け取り口までを決められたラインに沿ってスムーズに動くことが期待されているストイックなスタイルの食堂の、いかにも役所らしい効率重視のあり方を楽しめたのもやはり休日ゆえの余裕。私が注文したBランチはメインのハンバーグの皿を手渡しで受け取ったのちに好きな小鉢をみずから選ぶ形であったが、慌ただしいカウンターの流れにおいては小鉢を二つ取っても見過ごされそうだと思った。役所に勤めているひとはそんなことをしないのかもしれないが……。しかしなかには毎回小鉢を二つ取るひとがいて、本人は周りにバレていないつもりであるが、食堂のひとたちにはお馴染みの光景となっていて、べつに告発などすることはないが影で「小鉢二個取りおじさん」、略して「コバおじ」と呼んでいたりするのかもしれなかった。マイナン バーカード交付の申請じたいはスムーズに終わった。係のひとに撮ってもらった写真のうち一枚を「記念に」ということでいただいた。同居人も同じく写真を一枚いただいたそうだが、役所を出るまでのどこかで紛失したらしく、それを拾った誰かが大量に印刷して『女の園 の星』のクワガタボーイのように街のあちこちに貼ったりしたら怖かろう、という話をした。
午後はケン・ローチ の『石炭の値打ち』を観るつもりだったが間に合わなかった。同じくル・シネマでやっていたマノエル・ド・オリヴェイラ の『アニキ・ボボ』を観た。映画の教科書のように素晴らしい映画で、この前の『旅と日々』といい、スタンダードサイズこそ正解なのではないかという気持ちにさせられた。「子どもとは危なっかしい」という一つのテーマばかりを追求したように子どもたちの運動性と残虐性に満ち、それがキレのある編集にも顕れていながら、みずからを映画史のなかに位置づけようとするような映画的に正しい文法に全編貫かれていた。映画には正解がある、ということを感じさせられもした。たえず駆け回る子どもたちのいっぽうで、街の大人たちはいちように暗い顔をしているのが印象的だったが、時代のせいか。この先に『ふつうの子ども』や『海辺へ行く道』や『旅と日々』がある、とも思った。ル・シネマを出てからは青山ブックセンター へ行って、Nくんが演劇を作るときに参照したという『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』を買った。それからコメダ に入って、私はまず『バリ山行』を最後まで読んだ。おもしろい小説だった。先に読んでいた同居人がいっていたとおり、後半のバリにおいて主人公が喜怒哀楽すべての感情を味わうのがおもしろいし、山の話と職場の話が並存するのもおもしろい。
「会社がどうなるかとかさ、そういう恐怖とか不安感ってさ、自分で作り出してるもんだよ。それが増殖して伝染するんだよ。今、会社でもみんなちょっとおかしくなってるでしょ。でもそれは予測だし、イメージって言うか、不安感の、感でさ、それは本物じゃないんだよ。まぼろし だよ。だからね、だからやるしかないんだよ、実際に」
(松永K三蔵『バリ山行』(講談社 )p.115)
それからセンター街にあるバンドTシャツ屋さんに行ってみて、私はデヴィッド・ボウイ の『ジギー・スターダスト』のTシャツとプライマル・スクリーム の『スクリーマデリカ』のTシャツ、同居人はシステム・オブ・ア・ダウン とフー・ファイターズ という懐かしのラインナップを選んだ。店主の女性は業界がずいぶん長いそうで、会計しながらのマシンガントーク に私たちは心を打たれた。ずっとやっているひとはすごい、という素朴な感動。最寄り駅に戻って焼き肉屋で食べ、以前から気になっていたバーにも入ってみた。誕生日ならではの思いきりのよさともいえた。バーではビートルズ が流れているなかで一曲だけスタイル・カウンシル が流れて、不思議だった。いい雰囲気の店だった。私も同居人も久しぶりに二人で飲むことができたようでうれしかった。帰宅してからYouTube でいろんな懐かしいバンドの曲を流したり、『RRR』の予告編を観たりした。
11/19
生活圏にミスド ができたのは、信じれば夢は叶う、というテーゼのもっとも卑近な例だといえた。その第一報はもう二週間ほど前であろうか、近隣住民のLINEオープンチャットに入って情報収集をしている同居人からもたらされた。私も同居人もその場で小躍りしたものだった。生活圏にあったらうれしい二大巨頭であるところのコメダ とミスド 、その一角が現実にできあがる。(この勢いでコメダ もできるのではないかという期待もあった。これもまったく無根拠というわけではない。私たちの家の近くになにやら新しく建物が完成しつつあって、その一階はいかにも飲食店が入ってしかるべき雰囲気を醸していたのだ。しかしその淡い夢は、昨日バーのマスターにあれがただの低層分譲マンションになるらしいと聞いたことで打ち砕かれた。しかし少なくともミスド はできる。まずはそのことを喜ぶべきだった、)こんなうれしいことがあろうか。しかし、いつ開店するのかということまではオープンチャット内の事情通にもわからなかったらしく、ミスド 情報ははっきりしない噂、という印象におおわれて、私は日々の過ぎるのにまかせ、あろうことかそのまま忘れてしまっていたのだった……
ところが今日、仕事を終えて駅前を散歩していた私が見つけた、ひときわまばゆい光を放つ店舗。それがミスド であることと、すでに営業時間外であることに同時に気づき、私は喜と哀を一挙に味わったのだった。ミスド は私が知らない間に開店しており、しかしその営業時間は十一時から十九時、あまりにも短い。朝の出社する前には買えないし、夜だって油断しているうちに閉まってしまうだろう。買うことじたいがきわめて困難。とはいえ、ミスド は、ある。あるのとないのとではまったく違う。あるだけ感謝するべきだった。
ミスド のある街……
かつてRADWIMPS の大ファンだった同居人であったから、トリビュートアルバムを聴いて楽しんでいた。やはりいま売れているひとはカヴァーにおいても勢いを感じさせる。私も同居人もほとんど聴いたことのないミセスだったが、今回のアルバム中では一、二を争うほど圧倒的。米津もおそらく原曲に忠実でありながら魅力的なヴォーカルを響かせている。北村匠海 と上白石萌音 の歌声は素直で伸びやかでいい。あとはVaundyも売れようとしていてよかった。同居人はこのところたまに用いる「売れようとしている」という表現を私は気に入っていた。さいきんもっとも売れようとしているのはやはり『じゃあ、あんたが作ってみろよ』における竹内涼真 であろう。ドラマでいえば『ひらやすみ』の森七菜も素晴らしいのだが、売れようとしている感じがない。ありのままの素晴らしさで画面に映っているように見えるのだった。
11/20
寒くて、朝、暖房をつけた。同居人は私たちの家が外気温にたいして従順すぎる──つまり夏には暑すぎるし冬には寒すぎる──ということを以前よりうったえていた。というか、外より暑かったり寒かったりするんじゃないの? ……私はそこまでは思わなかったが、このところ夜中から朝にかけて部屋が極度に冷え込んでいるのは事実だった。極度冷却(しなさい)。私はそれを天井が薄いせいだとにらんでいた。私たちの部屋は三階建てアパートの三階にあって、最上階、といえば聞こえはいいが、べつに屋上に上がれるわけでもないただの三階に過ぎない。その天井が薄いのではなかろうかと私は疑っていた。夏には屋根が直射日光にじりじりと焼かれている感覚を室内にいても感じた。雨が強い日には、雨粒が天井に当たって砕ける音がまるで増幅されているかのように激しく室内に響き渡り、同居人との会話においてお互いが声を張り上げないことにはなにも聞き取れないほどであった。そして冬にははるか高い空から一晩じゅうかけてゆったりと下りてきた寒気が、天井なんてなかったかのように透過して室内に侵入する。それで明け方、極度に冷えるのだ。同居人は毎日寒い寒いと繰り返していた。私はこれくらいの寒さならまだ平気だった。夏の暑さを思えばずっとましだった。
日中は日光を浴びればあたたかい。昼休みには外に出て、オフィスの近辺のベンチに座った。冬の太陽は低い。私に向かってまっすぐ照ってくるのだった。座っているベンチに落ち葉が相席してくるのを私は快く受け入れた。『ツイン・ピークス 』のサウンド トラックを聞きながら座っていると、私の周りの落ち葉たちはかさかさ動いた。そのなかに風に吹かれてではない、小さなものが飛び跳ねたような印象を認めて、私はバッタかなにかかと思って目を凝らした。するとまた、視界の隅になにか飛び跳ねる。すかさずそちらに目をやれば、なんとどんぐりだった。私はどんぐりが木から落ちてくる現場に居合わせたのだった。どんぐりももちろん木から落ちるのだ。これはこの秋(あるいはすでに冬か)いちばんの出会いといってもよかった。
ひとつ見つけたとたんに、他にも数えきれないほどどんぐりが落ちているのが見えるようになった。見えるようになればどんぐりの勢いは止まらず、ベンチを立ってオフィスへ戻る道中にもころころ転がっていたし、風に吹かれてか、どういう因果かはわからないがビルの自動ドアの真ん前にも落ちていたし、なんとなれば自動ドアの内側にも、エレベーターの端っこにも、私のデスクの下にも、トイレの便器のなかにも、ウォシュレットのボタンの上にも、帰りに福尾匠の『置き配的』がどんな本なのかをちらっと見てけっきょく今日は買わなかった本屋の床にも、今日も盛んに工事が行われていた交差点の中央にも、私がもう二ヶ月ほど行けていないチョコザップの傘立てのなかにも、そしてもちろん私のアパートの階段やポストや玄関、ベランダ、シンク、浴槽、洗濯機、……夜には『じゃあ、あんたが作ってみろよ』の最新話を見た。今回の竹内涼真 はずっとうるんでいるように見えた。
どこぞの差別主義者の市議のツイッター の投稿を誰かが引用リツイート したのが私のおすすめタイムラインにも流れてきたのを見た。駅前で街宣をしていたら左翼に脅されましたというような動画付きの元の投稿にたいし、ひとりで抗議しているこの「左翼」はかっこいいという形で引用がなされていたので、音なしでその動画を再生してみると、私より年下くらいの若者がひとりで、非暴力で市議に迫っているのだった。そのままその投稿は流れてしまったがしばらくしてからまたツイッター を開くと元の投稿がもう一度現れたので、今度はイヤホン付きで音声も流すと、若者は私の想像よりはるかに大きな声で「差別をやめろ」と繰り返している。その声の大きさに私は驚いた。同じようなことが私にできるかといわれればできないだろう。この前吉祥寺に行ったとき、駅前にはパレスチナ への連隊を示すダイ・インをやっているひとがいて、その姿にも私は驚かされたのだった。私は驚いてばかりで、なにもしていない。
11/21
同居人は明日もまた山に登る。その前日である今日は夜にモンベル に行って耳当てのついた帽子などを買おうとしていたようだが、仕事がまるで終わらなかったそうで、先に仕事を終わらせていた私が代わりに買いに行くこととなった。渋谷のセンター街の奥、東急ハンズ の向かいあたりにモンベル がある。そこに行って、帽子と膝サポーターを買った。私がモンベル を出たときにも同居人はまだ会社にいるようだったので、私は渋谷から歩いて帰ることとした。ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーの新しいアルバムを流しながら歩くと、渋谷の駅周りの工事風景もなんとも美しいものに見えてくる。それにしても素晴らしいアルバム。気の向くままに歩いていたら、これまで何度となく歩いているはずの渋谷〜代官山エリアにおいて知らない道に迷い込むことができた。散歩においてまだ知らない道に出会ったときに私は非常にうれしく思う。地図も見ずに胸を高鳴らせながら進んで、やがて知っている道に合流したときの快感。霜降り明星 がM-1で優勝したときのネタのどこかで、死ぬ間際の人間が見る走馬灯の一シーンとしてせいや が「この道に出てくんねんな〜」という台詞を展開し、それにたいして粗品 が「しょうもない人生!」とツッコむのだが、私からしてみれば「この道に出てくんねんな〜」というのは散歩のまさしくサビであるし、散歩とは私の人生を五角形だか六角形だかで表現したときの一角に必ず位置するであろうものであるから、走馬灯に登場してもなんらおかしくないものなのだった。それがたとえしょうもないとしても……
ザ・ストーン・ローゼズ も久しぶりに聴いた。あらためて全員がすごいバンドだと私は思った。「アイ・アム・ザ・レザレクション」を初めて聴いたときの衝撃を超えてくるバンドが今後現れるだろうか。現れないだろうとも、現れるだろうとも思っている。
11/22
「フールズ・ゴールド」において、イアン・ブラウン のぼんやりした歌声が曲名を連呼する後ろで、それまで跳ねるようだったベースが一音を分厚く繰り返すようになるところ。ベースという楽器の真骨頂であるなあ、と思う。楽器をやったことなどない私がなにをいうのか。しかし私がなにをいってもいい、放言が許されるのが日記という場なのであった。
同居人は今日もまた山に行っていた。今日は会社の同僚、しかし前に鍋割山に行ったのとは別の同僚たちと登っていて、同居人の会社にたまたま山好きのひとが集っていたという可能性もあるが、それだけでなくやはりこの年齢になるとみんな山に魅せられるのだろうか。私は今日は文フリの準備をするために一緒に行こうとしなかったが、そもそも私が同居人ほど山に熱を持つことができているかといわれればそうではないのかもしれなかった。山歩きのよさはもちろん認める。しかし私はもしかするとたんに木が好きなのであって、木が多く生えているのであれば山でなくてもいいのかも。しかし──と繰り返すが──山といえば木が多く生えている場所の代表例なのであって、木が好きであれば山に足が向くのは自然なことなのかもしれなかった。放言が許される日記の性質に甘えて、なんの実りもないことを書いてしまった。
そんなわけで今日の私は午前中には文フリで配布するためのフリーペーパーのようなものを作っていた。昼前に家を出て、『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』を観に行った。素晴らしい映画だと思った。存命の偉大なミュージシャンのキャリアの一部分を切り取る形での伝記映画、という点で、観る前からどうしても『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』と比べたくなってしまうわけだが、ボブ・ディラン の周囲を置き去りにする天才性にたいしてスプリングスティーン はかなり等身大。今作で描かれる『ザ・リバー』発表後~『ネブラスカ 』制作の時期というのがいまの私とほとんど同年代だということもあって、スクリーンに映る青年と話したくなるような映画だった。しかし私と話すまでもなくスプリングスティーン にはジョン・ランダウ という素晴らしい友だちがいる。スプリングスティーン のマネージャーとして曲作り以外の面倒なことをすべて引き受け、相談に乗り、どうすればいいかわからないときには自分の妻にも話を聞く。自分では対処しきれないと感じたら「すぐに手配するから、プロに話を聞いてもらってくれ」と導く。思い返すほどに素晴らしい友だち。そのジョン・ランダウ をジェレミー ・ストロングが演じているのがうれしいし、最後にようやく涙を流すジェレミー ・アレン・ホワイトの姿もほんとうに切実で、二人のジェレミー によって強く支えられている映画だと思った。
三十歳前後のスプリングスティーン は山に惹かれるでもなくみずからのホームタウンと幼少期のトラウマに囚われている。抑うつ 状態のなかふとテレビで見た映画『バッドランズ』(!)に刺激されて「ネブラスカ 」を書き上げる、その歌詞の「he」を途中で「I」に変える(=みずから連続殺人犯の視点に立つ)シーンのすごさ。そのようにのちの『ネブラスカ 』収録曲に集中して取り組んでいる時間以外、ほとんどずっと虚ろな目をしているのが印象的で、『フォーチュンクッキー 』に引き続きジェレミー ・アレン・ホワイトは目が魅力的なひとだと感じる。それにしても映画のなかのスプリングスティーン とジョン・ランダウ はよく映画の話をしていて、それが二人のノリなのかもしれないが、映画が共通言語となる時代だったのだろうとも思う。前回か前々回のオードリーのラジオで、『ノーカントリー 』の「あいつ」の話が出たときに「『ノーカントリー 』の「あいつ」で話が伝わるの、俺たちがTSUTAYA 世代だからだよ」ということを若林がいっていて、変な表現だと思ったが、いまになってなんとなくわかった。
(それにしても、今日の『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』でも前の『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』でも、女性が置き去りにされるという展開が共通しているのは興味深い。べつにそれがいい悪いではなく事実としてそうだったのだろうし、女性側の視点がまるで抜けているわけではないから作品として成立しているように思うが、いっぽうでいま思い出してもおかしいのは『国宝』における森七菜の退場だ。)
映画館を出てからしばらく散歩した。もちろん『ネブラスカ 』を流しながらも歩いたが、ふとイヤホンを外すと、それぞれ赤と緑のアウターを着た若い男性二人が「おまえと俺で今日クリスマスみたいだね」という会話をしているのを耳にすることができた。私も今日は緑のアウターを着ていたので、二人に交じって「私も緑だから、ツリーが多めですな」といってみたらよかったのかもしれないが、それこそスプリングスティーン とジョン・ランダウ の会話に割り込むような、野暮なことだったかもしれない。
同居人も疲れつつ無事に帰ってきて、夜はラップスタアを見た。若いながらも何年もひとりでやってきて「なんで誰も俺に気づかないんだ」と息巻くVERRY SMoLがポスト・マローンばりに歌い上げるいっぽう、27AMは相変わらずテンションはドライながら「ラップ好きかもっす」とはにかみ、誰よりもかっこよく「ゆうこりん 」で踏む。名試合だった。
11/23
朝早くから同居人が起き出して、洗濯をしてくれていたようだった。私は昨日遅く寝たのもあってしばらく寝ていた。目が覚めてから、着替えて外に出、近所のカフェのようなところで朝食を食べた。ゆで卵やパンのプレートにキャロットラペがついていた。それから私は文学フリマ に出るため東京ビッグサイト へ向かった。道すがらOPNを聴いていた。昨年もOPNを聴きながら向かっていたように思った。ビッグサイト という建物の構造や、内部に広がる圧倒的空間の印象が、私にOPNを聴かせるのかもしれなかった。新しいアルバムはほんとうに素晴らしかった。あたたかみに満ちていると思いながら何度も聴いている。
隣のブースのひとたちに挨拶をしつつ、簡単に設営をして、開場を待った。私のバナナ倶楽部の既刊1〜3を買ってくださっているという男性が早々にブースに来てくださって、「ファンなので、ここ目がけてやってきましたよ」といっていただき、たいへんありがたかった。じっさい私としても見覚えのある方だった。「大好きなんですよ」といってくださるその方は私より年齢がずっと上で、正直私の本のどこをそこまで気に入っていただいているのか私としてもわからないが、わからなくともとてもうれしい。このひとのためにずっと出店し続けよう、と思えるほどこみ上げるものがあった。もっとお話しすればよかった。ありがたさとはべつに、たとえば他にどんなものがお好きなのかということや、なにをされている方なのかということに興味がある。それはこの方だけでなく私のブースに来てくださったひとそれぞれに興味がある。だから今日は、買っていただいた方それぞれに、どうして来てくださったのか聞いてみた。私の既刊を持っていて好きだったからというのはこの上なくうれしい。他にも、表紙を見て好きだったからというひと、たまたま通りかかってというひと、別のブースで「バナナ」をタイトルに入れた本を販売していたところ「向こうに「バナナ倶楽部」っていうブースありましたよ」とお客さんにいわれたので来てみたというひと……。はてなブログ 仲間のGさんや、私の会社の先輩が寄稿している文芸誌「Daisy Chain」の方にも来ていただいて、たいへんうれしかった。全体を通していえば私のブースに来たひとは少なかったといわざるをえないが、それはまあ仕方ない。来ていただいたひとたちを抱きしめるしかない。
隣のブースの方がとてもいいひとで、ぽつぽつと会話したり、私が離席するあいだブースを見ていただいたりした。いぬのせなか座の山本さんが日記について書いた文章をまとめている本などを買った。両隣のブースの本もおもしろそうだったので買った。私もほんとうは、初見でおもしろそうだと思える本を作るべき。というか、ひとことでこういう本です、といえないのはやはりよくない。次に出すときはもっと手に取ってもらうことを意識すべきだと私は反省した。近くの本谷由希子さんのブースが会場後すぐから飛ぶように売れていて私はウケた。
帰ってくると自分が疲れているのがわかった。Uber Eatsで松屋 のうまトマハンバーグを注文することとしたが、それを同居人にいうときの「うまトマにしようかな」といういい方が、いかにも「しゃあなし」という感じになってしまい、しかし私は実のところうまトマをまっすぐ食べたがっていたのであって、それが同居人にもバレ、ちゃんと食べたそうにいい直しなさい、という指示を受けた。そこで私があらためて発した
「うまトマにしようかな」
という言葉は、文字で書けば先ほどの「うまトマにしようかな」と同じように見えるが、イントネーションや重心の置き方によって意味するところはまるで違ってくる。しかし、だからといってこれをわかりやすくするために、たとえば一回目を「うまトマでもいいかもなー」、二回目を「うまトマにさせていただきます!」というように加工し、ニュアンスの違いをわかりやすくするとそれは嘘になる。日記はここのあんばいが難しい。かといって、小説なら自由に加工できてしまう、というのも違う。小説においても、ここは一回目も二回目も「うまトマにしようかな」だよなあ、そうじゃないと嘘になる、という感覚はある。私は小説を書くのであって嘘を書くのではない、という感覚とでもいおうか。
日記と嘘、という話でいうと、いま書いていたような場面とは別に、便宜上嘘をつくこともある。たとえば今朝カフェで食べたモーニングプレートの卵。私はそれを「ゆで卵」と表記したが、じっさいはゆで卵と半熟卵の中間のような、半々熟卵というか、半ゆで卵というか、北北西、や、南南東、のような絶妙な卵だったのだ。そのニュアンスを省略して私は「ゆで卵」とした。こういう嘘を私は日記においてつき続けている。日記というのはなにを書きなにを書かないかという取捨選択を常に迫られ続ける文章形式だともいえるし、嘘と省略によって輪郭づけられる文章だともいえるのだった。
11/24
M-1の準々決勝の動画が出てみんなが好き勝手いう時期になると、奇妙な祭であることだなあ、といつも思うのだが、私も好きなので見てしまう。奇妙な祭であるところのM-1を逆手に取り、真面目に茶化すかのようなラパルフェ は昨年に引き続きすごい。えらい、とすら思える。内輪ウケであろうがなんだろうがウケたもの勝ちであるし、そもそもこういうローカルな祭において内輪ウケであるからダメというのもおかしい。十九人も素晴らしかった。キテレツでありながら理路整然、という、前代未聞の領域に達していないだろうか。ゆッちゃんwの炸裂する勢いは変わらずに、以前は静観することの多かった松永さんが声を張り上げ両手をわちゃわちゃさせるシーンが増え、ネタ全体が尻上がりにおもしろくなる構成もよく練られている。あとは私と同居人の好きなダンビラムーチョ を見た。元気そうでよかった、と私は思った。
今日は三連休の最終日だというのと十一月下旬にしては暖かいというので私も同居人もゆっくりしていた。私には文フリの疲れも残っていて、午前中はぼんやりとスマホ でレトロゲーム ふうのアメフトのゲームをプレイしていた。試合ごとの勝ち負けでファンからの支持率が上がったり下がったりする、そこがゲーム性の一部であるようだったが、一試合負けるごとの支持率の下がり幅が大きすぎるいっぽうで、強豪チーム相手に大勝しても支持率はさほど上がらず、どうも割に合わない世界観だと私は思った。NFL のファンというのはこんなに理不尽なのか? 私は現実世界でいうとロサンジェルス ・ラムズ のファンを続けているつもりであったが、ラムズ が勝とうが負けようがそこまで大きな気持ちの上下はない。私はよほど不真面目なファンなのであろう。しかし今年のラムズ は現時点でリーグ優勝候補のひとつに挙げられているほどに強いので不真面目なファンたる私からしても少しうれしい。クォーターバック のマシュー・スタッフォードは三十七歳のベテランでありながらキャリアハイであるような好調を維持し、いまやリーグ随一のワイド・レシーバーであるプカ・ナクアや、今年移籍してきたベテラン名レシーバーであるダヴァンテ・アダムスとの相性も抜群によろしい。それにしても、ツイッター を見ているとときおり流れてくるラムズ の試合ハイライトの動画において、スタッフォードが得意としているノールックパス──つまりディフェンスを撹乱するためにレシーバーのほうを見やることなく投じるパス──のシーンを見ると、その正確性に驚きつつ、私はどうしても笑ってしまう。顔の向く方向とはてんで異なる方向にボールを放るスタッフォードは、本人としてはいたって大真面目。しかし見ようによってはちぐはぐなことをしているみたいでもあり、思わずウケてしまう私はやはり不真面目なのだろう。
昼には『ひらやすみ』の先週分をいっきに見、相変わらず森七菜のくにゃくにゃした存在感に魅了された。岡山天音 の雰囲気はほんのり私の友だちのSっぽくもある、と同居人もいっていた。そのあとはキヨが『カービィ のエアライダー』をゲーム実況している動画を見たが、画面内の情報量が多すぎ、あらゆる動きが速すぎて、私と同居人にはなんのことやら。キヨはわからねえと叫びつつついていけていてすごいと思った。とにかく刺激刺激のゲームで、私はつい「ドパガキ」という言葉を思い浮かべた。「ドパガキ」はたんなるネットミーム なのだが、批評性をもっている雰囲気があるのと、響きのよさで私は気に入っていた。『弍番目のタフガキ』の仲間のような顔をしているのもよい。(「ドパガキ」が『弍番目のタフガキ』をほうふつとさせるという話を私は以前にも日記に書いたような気がするが、同じ話をしてはいけない理由などない、ということをオードリーやマヂカルラブリー のラジオが私に教えてくれていた。)
そんなことを考えていると同居人がふいに「走ろうかな」といい出し、私も暇だったので自転車で伴走することとした。「走ろうかな」というのはいかにも走り慣れているひとの言葉であるようだが、同居人がジョギングをするのはここ数年で、いな、ここ十年で初めてのこと。しかし山を登るにあたって心肺機能を高めるためにはけっきょく走るしかない、という結論に至ったそう。外は陽気もありながら紅葉のなかにもあって、ひたすら気持ちがいい。ついでになにか目的があるといいと思って、洗濯バサミを買うことにし、武蔵小山 の商店街を目指した。途中で通った林試の森公園 はこの季節、あまりに素晴らしい。武蔵小山 のアーケードもたいへんな賑わいを見せていた。洗濯バサミを買ってから上島珈琲店 で休憩して帰ってきた。
私は自転車をゆっくりこいでいるだけだからのんきなものだったが、同居人は走り、歩き、走り、歩きを繰り返して困憊していた。走り方や呼吸のコツをchatGPTに相談すると、なかなかの長大な返信をくれて、きみは走らないのにありがとう、と思った。武蔵小山 から私は自転車で、同居人は電車で帰り、スーパーで買い出しをして、鍋を食べた。スーパーからの帰り道、交差点の付近で若者たちがやたらたむろししゃべっていて、さてはサイファ ーか、とも思ったが、なんなのかはわからなかった。その横を通り過ぎるとき、なかの一人が「エロがってさあ、」といっていて、「エロがる」をリアルに使っているのを生で聞けたので私はうれしかった。
11/25
なにかを定義するときはできる限り簡潔なほうがかっこいいと考えている私にとって、たとえば漫才は「中央にサンパチマイクが立っているステージ上で二人以上の演者がなにかをやること」であり、日記とは「一日一日がなんらかわかる形で区切られている文章」であった。しかし漫才も日記ももっと短く定義できるような気がしていた。「二人以上」というのは必要なのか? 一人では漫才はできないのか? いっそのこと漫才とは「サンパチマイクのある場でなにかをやること」としてしまったほうがかっこいいかもしれなかった。日記の定義だって、仮に極限まで簡潔にすることを目指すならば「なんらかの文章」としてしまうのがかっこいいのだろうが、私はどうしても一日一日が区切られていることを欠かしてはいけないというふうに考えていた。私などたかだか数年日記を続けているに過ぎない若輩者のくせに、どうしたって区切りは大事だよね、という保守的な姿勢を早くもとってしまっているようだった。
もちろん、一日一日の区切りというのが日付である必要はなく、区切られていることがわかりさえすればいいので、空行でもいいし、明らかに違う日のことを書いているのであればただの改行、あるいは改行すらなく句点で区切られているだけでもいいのかもしれない。もっと先鋭化すれば読点でもいい。私はそのように「区切り」のあり方に寛容さを見せることによって、ただの保守派ではないことを示そうとしている。私がここでさらにクールな改革派を気取るならば、そもそも日記って「文章」である必要があるのかね、という投げかけに舵を切ることもできる。じっさい、写真を上げることで日記としているKくんの日記を私はたしかな日記として捉えているし……。そうなると日記を「一日一日が区切られているなにか」というふうに定義することもありえる。これくらい簡潔になると、先ほどは保守的に思われた「区切り」のくだりもかえってソリッドでクリティカルな雰囲気を醸していやしないだろうか。
日記が「一日一日が区切られているなにか」であるならば、一日一回必ずコンビニに行く生活をしているひとにとっては入店音が日記になりえるし、一日一回必ず大便をするというひとにとってはトイレの「大」のレバーを押す行為が日記になりえる。もっといえばそもそも朝が来て夜が来てというこの生活そのものに一日一日の区切りが内包されており、生きていることじたいが日記、ということにまでなってしまう。しかしそれではあまりにも広すぎる。日記というのはどんな形態をとるにしてもそのひとにとっての表現行為であり、表現をしているという意識が伴ってはじめて日記と呼べる。つまり日記とは「一日一日が区切られている表現行為」ではないだろうか? これはなかなか妥当な定義のように思える。同じく漫才も「サンパチマイクのある場での表現行為」としたほうがいい。
日記とは表現行為であるから、なにを書いてなにを書かないかという取捨選択が常につきまとう。私の日記には仕事の話が少ない。私にとって仕事とは日記的ではないものなのかもしれない。あるいはたんに秘密保持的な観点から書かないようにみずから抑制しているというのもあるだろう。しかしじっさい日記を書くときにはそこまで考えずに書いている。あるいは考えずに書かないでいる。たとえば……、私は今朝トイレに入ったが小便が出るのみで大便が出なかったということも、長袖のニットTシャツの表裏を逆に着たまま出社してしまいトイレで直したということも、昼ごはんを食べてからトイレに行ったということも、考えずに書かないでいる。つまり私はトイレ関係のことを日記に書かないし、書くか書かないかの判断すらしていない。しかしもし私がトイレ関係で日々悩まされていたならば、日記にもトイレ関係の文章が並ぶのかもしれない。
私はつい先日、奥歯の歯茎が腫れているのに数日間悩まされていた。しかし私は腫れている最中からそれがたいしたものではなく数日も経てばすっかり引くであろうと予期していたために、日記には書かなかった。あるいはもう二日か三日腫れが続いていれば書いていたかもしれないが、結果的に、予想どおり腫れは引いた。そのような形で、日記には表れないていどに小さくすぐに解決する悩みというのが、他にも生活のなかには存在しているのだった。それをいちいち日記に残しておくというのもおもしろいかもしれない。たとえば私は……、考えてみたがいまはちょうど悩みがなかった。あるいはこの思いつきの乏しさこそが私の悩みだといえるかもしれなかった。
11/26
今日の私は仕事で疲れて眠くなっているので日記を手短に済ませようとしていた。書くこともさほどなかった。同居人は昨日も今日も遅くまで仕事をしていた。私は来年のOPNのライブに申し込もうと思っていて、同居人のことも誘ったところ、まず聴いてみるとのことで、聴いてみたところ悪くない、少なくともこの前のFloating Pointsよりは楽しく聴けるし、映画の劇伴っぽい、と思ったらじっさい劇伴もやってるんだね、ということで夜はサブディ兄弟の『グッド・タイム 』を途中まで流した。あらためて観るとOPNが非常に躍動している。引きの画の使い方がうまい。サフディ兄弟といえばそれぞれの監督作の公開が楽しみだが、どちらがどちらを作ったのか、私にはまだ区別がついていない。
LEXの『Original』という新しいアルバムも聴いた。これまでLEXを聴いてこなかった私だったが、このところ日本語ラップ に興味をもっており、また先行曲がよかったこともあって、若手のスターたる彼のアルバムをついに聴いたのだった。きわめて素朴ながらフックのあるリリック、バラエティに富んだトラック、そしてなによりボーカリスト としての華に満ちている。発声のコントロール も素晴らしいし、これはスターであるなあ、と思った。アルバムの曲をラップ寄りとロック寄りに大別するならば、ラップ寄りの曲はトラック含めておもしろいいっぽうで、ロック寄りの曲は真正面から歌い上げている、てらいのなさもかっこいい。しかしそのバンドサウンド は無個性で無記名なもので、ギターがもっとうるさければよりおもしろくなりそうだと思いつつ、この「ロックっぽさ」がスターたる証しであるのかもしれないとも……(それでいえばLil Uzi Vertの『Pink Tape』のバンドサウンド はうるさくておもしろかった。)
11/27
先週買った『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』を、私が買ったその日にしか読んでいないのではないか、という疑惑を同居人が口にした。じっさいその通りではあって、もっといえば、べつに『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』に限らず、私はこの一週間ほど本を読んでいないのだった。平日には仕事があり、先週末の土日には文フリの準備と本番があった。それに加えて私は毎晩、日記を書くという行為に追われていた。「僕」ではなく「私」で書くことを試みている今月の日記。その内容がはたして「私」性を獲得できているのかはわからないが、量的には充実しているといえた。しかし月の下旬に至ると、その量的充実がかえって私を追い詰めることとなった。月の前半にたまたま一日二〇〇〇字近く書く日が続いてしまったことによって、その字数が暗黙のノルマのように私を縛ることとなり、毎晩懸命に絞り出しつつ、週末に字数を増やして平日の字数不足を補おうとがんばってきたものの、ここにきていよいよ平日の負債が週末の充実によっても回収できないほどに膨らんできてしまい、一日二〇〇〇字、一日二〇〇〇字、とうなされるようにつぶやき続けながらも、昨日の私は一〇〇〇字ほどしか書けなかった。一昨日の日記にも書いたように仕事のことをあまり日記には書かない私であったから、しぜん、平日には書けることが少なくなる。「私」として書くことによって「僕」のときには書かれなかった、たとえば今月六日の私が魅了されているクリーム色のビルの話のような生活の一面が日記上に表れた。月の前半にはそのような一面を書くことによって平日の日記においても字数を重ねることができていたが、「私」としての日記が一ヶ月も続く頃には私は私の生活をすでに食いつぶしてしまっており、いまや窮地に陥っているのだった。
そのような日記を書くという行為における苦労もあって、ここ一週間ほどの私は読書をしていなかった、という先ほどの話に戻る。文フリでもいくつかの本を買ったのに。なかでもいぬのせなか座の山本浩貴さんがこれまで日記について書いた文章をまとめた『フィクションと日記帳──私らは何を書き、読み、引き継いでいるのか?』は日記を書く私としては必読書という感じがしていて、じっさい冒頭を読んだ感じでは非常におもしろそうではあるのだが、自分の日記を書くことに時間をとられて読めていない、という妙な状況ができあがってしまっていた。短い本はまだ文フリ当日に読むことができていた。たとえばはてなブログ 仲間のGさんの新刊『コンプラ 悪口』は、収録されている悪口のいくつかに自分が当てはまる感じもあり、しかしそのことで居心地が悪いというよりはむしろ愉快な気持ちがし、悪口というものの可能性を感じさせる企画だと思った。ほんらい個人的なものであるはずの悪口を集合知 のように収集することで、誰もが必ずひとつは当てはまるようになり、そのことが奇妙な居心地のよさというか、内輪ノリとも異なる連帯感のようなものを醸成する。自分も刺されることによる安心感というか。しかし悪口というのはGさんの企画のひとつに過ぎず、ほんとうにありがたいのは札幌・小樽の私的ローカルガイド本である『SASSON』のほうだという気もする。私は自分の父が付近のどこかの出身であることもあって、札幌・小樽はいつか巡ってみたいと思っている土地であった。しかしそんな私の事情とは関係なく『SASSON』は美しい本だ。製本も明らかに気合いが入っている。Gさんの作る本の魅力は、その私的・個人的な感覚にあると思った。
それで、今日の私は同居人から指摘を受けたこともあって『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』の続きを少し読みながら、Google のGeminiに搭載されている画像生成AIであるNano Bananaで「二〇一〇年代のiPhone で撮影した雰囲気の、日本の郊外のショッピングモールの駐車場のようなリミナルスペース」の画像などを作ってもらったりした。巷で騒がれているとおりNano Bananaはすさまじい。〝ない記憶〟がおそろしいクオリティで生成され、それがいつの間にか私にとって〝ある記憶〟になってしまうような不気味さを感じさせた。私が指定していないにもかかわらず、完成した駐車場の画像は雨上がりの質感をもっていて、それが余計に郷愁を加速させるようでもあった。私はたしかに雨の日にショッピングモールの駐車場を歩いた記憶をもっていた。もしかすると曇り空や雨上がりの地面というのもリミナルスペース的な感性に含まれるのかもしれない。そういう話も『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』に書いてあるのかもしれないが、そこまて読んでいないのでまだわからないのだった。
この画角もまた素晴らしいのだ
ここまでいくと過剰かも……
11/28
オフィスビル のファミマのセルフレ ジで会計をした際に、自動音声として流れる「ご利用ありがとうございました」のトーンが、私の記憶にあるものと比べていくぶんか感謝の念が強そうに響いて、私を驚かせた。私がそのセルフレ ジで会計をしたことが心底ありがたかったかのような……。日常のなにげない風景においてもまだまだ驚くことのできる余地があることが、私をいい気分にもさせるのだった。オフィスビル でいえば、一階のエレベーターホールの天井の高さに私はいまだに驚かされる。エレベーターを待っているときにふと見上げると、想像よりもずっと高い位置に天井がある。このことをこれまで私は会社の同僚何人かにも伝えてきたが、みんなさほど驚かないのだった。高い天井に慣れているのか? もうひとつオフィスビル 関連でいえば、何日か前の昼休みに会社の周りを歩き、会社に戻ってゆく際に、ふと見上げると、私の会社のあるオフィスビル だけが周りのビルと比べて妙に靄がかって見え、私を驚かせたのだった。まるでオフィスビル だけが幻の世界に半分入り込んでいるかのような……
オフィスビル にかんして挙げた二つの驚きは、二つともオフィスビル 関連であるのは前提として、もうひとつの共通点として、ともに見上げたことによる発見であるということがいえた。私の日常においてなにかを見上げる機会というのは意外と少ない。見上げるという動作は意思が伴っていないことには発生しがたい。それゆえに、ほんの少し見上げるだけでいくつもの驚きに出会うことができるのだった。私がふだん生活しているのが、まっすぐ前ばかりを向いているいわば一段目のレイヤーにおける世界だとすれば、視線を少し上にやることで二段目のレイヤーの世界が見えてくる。この二段目の世界にエレベーターホールの天井があり、靄がかったビル全体の印象がある。セルフレ ジから発せられる「ご利用ありがとうございました」に感謝の念の強さを感じたときにだって、もしかして私は少し上を向いてはいなかっただろうか?
『じゃあ、あんたが作ってみろよ』において竹内涼真 がときおりなにかを見上げるような仕草をするのが、私と同居人にとってはツボだった。今週の最新話を見て、やはり竹内涼真 がなにかを見上げるシーンがあって私はウケた。相変わらずおもしろいドラマだが、竹内涼真 演じる勝男が周囲の全員から好感をもたれるに至っており、ときメモ の終盤のようだと思った。同居人としては、勝男がここまで周囲からの好感度の高いキャラクターになってしまうとかえって気に食わない、というか、ほんらい勝男より鮎美(夏帆 )のほうこそが幸せになるべきなのに、鮎美はなにもない部屋でタコスを作る練習ばかりをさせられている……
この二日ほど私はLEXとOPNばかり聴いていて、同居人にもおすすめし、同居人もLEXいいかも、というので、LEXは顔がほんのりジャルジャル の福徳に似てるよ、とミュージック・ヴィデオを見せたが、似ていない、とのことだった。それと同居人が今日通勤の際に聴いてよかったというOPNの曲のミュージック・ヴィデオを見てみたら、おじさんが目から赤いビームを出して何枚ものCDを焼き尽くしていくという内容で、最後のCDだけがおじさんの赤いビームに対抗する形で白いビームを発射し、赤と白が拮抗したのち、最後にはCD側の白いビームが打ち勝って、おじさんが目から白い液体を流しながら転げているシーンで終わり、オモロいヴィデオではあったのだが、同居人からしてみれば解釈違いとのことであった。しかしそれがOPNの公式ヴィデオであるからして、おじさん対CDのビーム対決というのが公式解釈ということになろう。
11/29
朝から今週の『ひらやすみ』を見て相変わらずの森七菜の素晴らしさに感銘を受け、洗濯物を外干ししたのち、会社へ行った。今日は仕事の日だった。仕事のあとは同居人とその友だちと一緒に夕飯を食べて帰宅した。夜はラップスタアを見た。今日の二人はどちらも強くて、ともにファイナルに進出するのはまあ順当、という感じではあるが、個人的には27AMが落ちたのは残念だった。しかしここで落ちても27AMは活躍するだろうとも思った。あるいはこのまま音源を出すことなく文字どおり音沙汰がなくなるかもしれない、そういう可能性をも感じさせるのが27AMだった。……このように一日のことを書きながら、私は今日の日記が短くなることに焦りをおぼえていた。なにか書けることはないか。しかし日記とは基本的にはあくまで「日記」なのであって、その日のことで書こうと思うようなことがないのであればそこで終わらせるのが自然であるはずなのだった。あるいはなんらか出来事でなくとも、その日考えたことであれば書く材料にはなる。しかし今日の私にはそれもなかった。今日の私はなにも考えていなかった。
おじいさんが描かれることで、ピーポくん というキャラクターに厚みが生まれる
11/30
さいきんの私が外出の際によく選ぶ、オレンジ色のナイロン製ミニショルダー。そのオレンジ色は先日会ったDをぎょっとさせたほどにある政党を想起させる鮮やかさを放っていたが、私としては、むしろオレンジを身につけることで、彼らのものではない、というメッセージを発しているつもりでもあった。……というのは後づけで、じっさいそこまではっきりとした意思をもって選んでいるわけではない。「私」として日記を書こうとすると、どうしても私は、私が歴然たる意思とともに行動しているかのような書きぶりを選んでしまいがち。そのいっぽうで、意思をもたない行動であることをみずから開示してしまえる素直さをも併せ持っているのは、「私」のいいところであるといえた。
「素直さ」? このような日記における自己開示が「素直さ」からなるものではないことを、私は承知している。それを承知しているなら最初から「素直さ」などと書かなければよかっただろうに、一度書いてしまったのちにこのような訂正を試みる、この一連じたいが素直さからほど遠い。そもそも自己開示とはいいつつ芯を食った話はしていない。あくまで明るく書ける範囲での開示。ようするにこれは自己開示ふうの「おどけ」でしかないのだった。私は回りくどくおどけてみせることで、字数を増やそうともしていた。それが私にとっての「私」なのだった。
……そのオレンジ色のミニショルダーを身につけて、私はお台場へと向かった。仕事で関わりのある会社がお台場でイベントをやっていて、どんな感じなのか見に行ってみたのだった。スティーヴン・ローズという八十年代に活躍したというオーストラリアのイラストレータ ーのスウェットを購入し、会社の同僚とも出会って、一緒にハンバーガ ーを食べてから解散した。行き帰りの電車では大江の『「雨の木」を聴く女たち』を読もうとしたが、いまいちページが進まず。このところの私は読書における停滞に突入しているといえた。文フリで買った冊子も相変わらず読めていない。この数日は日記の内容・量もともに停滞していた。今日はこの停滞を破れそうな雰囲気で書き出せたように思えたが、その勢いもすぐに弱まってしまった。しかしこの勢いの衰えには、夜、私がキムチ鍋を食べすぎて腹が膨れ、日記に本腰を入れるほどリラックスできず、眠気ばかりが押し寄せているといういまのこの状況も大いに関係しているかもしれなかった……
午後には再び私ひとりで家を出て、同居人がジョギングや登山のために欲しいといっていた骨伝導 イヤホンを買ってから、『WEAPONS/ウェポンズ』を観に行った。徐々に真相が明らかになっていく群像劇式のホラーで、(劇中のジョシュ・ブローリン よろしく)点と点に線を引いていく気持ちよさがありながら、同時に余白もあり、先が読めないようにていねいに積み上げられた展開が終盤で爆笑へと昇華される感じ。ネグレクトやアルコール中毒 を直接的にも間接的にも描き、そもそもの事の真相も戦争の比喩だといえそうではあるのだが、それだけではないというか、物語が比喩に奉仕せずに生きている、とでもいうようなおもしろさに満ちていた。その読めなさゆえに、期待した方向とは別の形で着地した感じもあるにはあるが、いずれにせよおもしろい。みんな笑っていて、ワーナーの日本支社の最後の作品としてこれはこれでいい形ではないかとも私は思った。それで、帰宅後はまず同居人が骨伝導 イヤホンを試しがてらジョギングに出て、私も自転車で帯同し、そののちにキムチ鍋としたが、走ったせいなのか同居人はかえって食欲があまり湧かないといって、ほとんどを私が食べることとなった。
あらためて考えると、『WEAPONS/ウェポンズ』において登場人物ひとりひとりにたいして起きていることは悲劇ばかり。それなのに終盤の子供たちの姿は喜劇的な躍動感にあふれ、スクリーンの前の私たちを大いに笑わせる。この倒錯こそが映画だとも思う。子供たちの躍動は、劇中の広い田舎町において、ごく少数の近隣住民にしか目撃されない。しかし今日ヒュートラ渋谷に集まった私たちが目撃したし、おそらく同時刻に日本の他の場所でも、そして世界じゅうでも多くのひとが目撃しただろう。登場人物が悲劇的な結末を迎えることの多いホラー映画というジャンルにおいてこそ、観客としての「目撃」の感覚が強まる、という言説を打ち立ててみるのはどうだろう? 今年でいえば『罪人たち』の奇跡のような夜にも私たちは居合わせたし、『近畿地方 のある場所について』の最後の異形のもののことも私たちは目撃した。そしてここ数年でもっとも「目撃」の感覚が強いホラーといえば『NOPE/ノープ』を思い出さずにはいられない。『NOPE/ノープ』こそがIMAX カメラによる撮影をもっとも効果的に使った映画であると、私は思っているのだった。