バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

二〇二四年三月の日記

3/1

 三月というだけあって、昼休みに少しだけ外に出たら暖かかった。帰りにコンビニに寄って柴田聡子のライブのチケットを発券した。

 

3/2

 メガネ界が生んだスーパースター・柴田聡子のライブへ。ほんとにかっこよかった。帰宅後、余韻に浸りつつも『不適切にもほどがある!』の最新話を見たり、YouTubeでゲラゲラ笑ったりして、かなり眠くなったので寝る。

 

3/3

 昨日の夜は眠くなってしまったので寝たが、ほんとは日記に柴田聡子のライブのことをもう少し書きたいと思っていたので今日書く。ついでにライブの前のことも書く。昨日はまず朝から同居人と外出し、用事を済ませたのち少し散歩してフォーの店に入って食べた。フォーはアルファベットで"pho"と書く。僕はそのphoを食べずにランチプレートを食べた。同居人はphoを食べていた。ランチプレートには、ブロッコリーに似ているがブロッコリーとは違って明確に幾何学的な規則に基づいて組成されている(それこそ食べ物にはあまり使わない〝組成〟という言葉を使いたくなってしまうほどに異物感のある)野菜など、ふだん口にすることのない野菜が何種類も入っていて、しかしそれらの野菜を一緒くたに口に放り込んでみると僕も知っているサラダの味と食感になり、ふつうに食べることができた。幾何学ブロッコリーは「ロマネスコ」といい、カリフラワーの一種であるらしい。

 ロマネスコ

 ロマネスコ

 とこれで三回入力したのできっと覚えるだろう。ちなみにロマネスコの構造はフラクタル構造というやつで、図形の全体をいくつかの細かな部分に分解していっても全体と同じ構造が表れるというものである。そのことを調べていて逆説的に思い出したのは柴田聡子『Your Favorite Things』一曲目「Movie Light」の

へそまげるうれしい日

つぼみ咲くかなしい日

変じゃなかった日はなかった

 という歌詞で、そのとおり、僕たちの日常はフラクタル構造とはかけ離れている。

 phoの店にいる間、僕が朝ふと感じたことを話した。

「駅の長いエスカレーターの横に柱があるじゃん。その柱に、銀座かどこかの高級時計屋の広告が貼ってあって、そのなかでメガネをかけた兄さんが「私が担当します」みたいな雰囲気で、アドバイザーみたいな肩書きで顔出しで載ってるんだけど、なんかその兄さんの顔を見て、へえ、あいついま、こんなことやってるんだ、ってなぜか思ったんだよね。べつにその兄さんと面識があるわけではないし、彼がこれまでどんな遍歴を辿ってきたかなんて僕にはわからないんだけど、なぜかそう思った。

 僕なんて中高生のときはもちろん、大学生になってからもあるていどの同質性を持ったひとたちに囲まれて生きてきて、でも社会人になってからはみんなかなりばらばらの道を行ってるじゃん。しかもその道筋は年を経るごとに多様さを増していっていて、昔の姿からは想像できないところにいる友だちもいたりして、でも、かといってその友だちの昔といまが繋がらない感覚はなく、たしかに想像はしていなかったけど、まあこうなることもあるよな、みたいな不思議な想像力によって、その友だちのこれまでの時間が補完されるんだよね。

 そういう、実際の友だちにたいしての想像力が、あのエスカレーター横の兄さんに向かっても働いて、会ったこともないあのひとのことを、へえ、いまこんなことやってるんだ、と思ったっていうことなのかな。

 だとしたら、これからも年を経るごとにますますみんなの道筋が多様になっていったら、そのぶん謎の想像力も増して、知らないひとにたいして、へえ、あいついまこんなことやってるんだ、って思う機会も増えるのかな」

 いま日記にするために少し整理して書いていてもいまいち伝わらなさそうなことを、昨日のphoの店ではもっと見切り発車で話したので、同居人は顔をしかめて「話題尽きたの?」 といっていた。

 そのあと帰宅して同居人は昼寝に入り、僕はATMに行くのと散髪をしに家を出て久しぶりに自転車を漕いだ。タイヤの空気が少し抜けていて、ペダルが重かった。

 準備をしてから柴田聡子のライブへ。整理番号が早めで、前のほうのいい位置を確保することができた。最新作『Your Favorite Things』の流れのとおりに始まったライブからは明確に曲順への意志を感じ、ギターを持たずに歌う柴田聡子の姿からはシンガーソングライターではなくバンドのフロントマンとしての試行錯誤と矜持を感じ、最高な演奏も相まってさっそく涙ぐんだ。「Movie Light」はやはりかなり素晴らしいオープニング曲だと思った。目の前でそれぞれのパートが独立しつつ一体となりつつ演奏されることで、『Your Favorite Things』という傑作にたいする粒度も上がってゆく感覚があった。これまでのアルバムからの楽曲の演奏の仕上がりも素晴らしく、『愛の休日』~『がんばれ!メロディー』の跳ねるような最高のポップネス、『ぼちぼち銀河』の奇妙なブルース、ライブで披露されるたびにたくましくなっていく「ワンコロメーター」のいずれにも心が踊ったが、終盤『Your Favorite Things』の流れに回帰してくるにあたって柴田聡子は柴田聡子を更新していっていると強く感じるに至った。各曲の間に挟まれる「センキュー」も心なしかクールだった。岡田拓郎さんがエフェクターみたいなのをクイクイといじる姿もよかった。終演後に同じくライブに来ていた友だちともたまたま会ったが、「最高でしたね」しかいえなかった。

 最高の気持ちで帰宅し、ドラマやYouTubeを見て、風呂にも入らずに寝た。

 というところまでが昨日の話で、思わず手を止めそうになったが、いま書いているのは今日の日付の日記なのだった。今朝は起きてまず入浴してから朝ごはんを食べた。午前中は同居人の服や友だちへのプレゼント選びに同行し、そのまま友だちと昼ごはんを食べに行った同居人と解散して僕は富士そばで食べて帰った。頭痛があった。少しだらだらしてから昼寝して、起きたら頭痛はましになっていたので、だらだらを再開したり、千葉雅也『オーバーヒート』を読んだりした。『オーバーヒート』は奇妙な小説で、個人的には語り手がツイートしている様子が描かれる小説に初めて出会ったのでまずそれが奇妙なのだが、それだけでなく語られることやその順番に、なんというか私小説というものを更新しようという意志が感じられる(この前「ことばの学校」で千葉雅也本人の話を聞いたからそう感じるというのももちろんある)。

 たとえば日記も、僕が書いたものと友だちが書いたものだと日々の何を取り上げて書くか、何にフォーカスするかということはまるで違うわけだが、小説においても何を描写するかというのは書き手ごとに異なり、こと『オーバーヒート』においては、当初異物のように文中に現れたツイートが、やがて小説自体を侵食していくかのように、語り手の思考のなかに自然に出てきて、それがこの小説のなかで何を描写するかということにも影響を与えているようにも思える。

 夕方頃にもう一度外に出るとちょうど友だちと解散したという同居人と合流できた。同居人にはそのあとさらにもうひとつ短めの用事があったので、僕はドトールに入って待ちがてら、日記を書いた。帰宅してから『光る君へ』を見た。

 

3/4

 先週の金曜日くらいからだろうか、同居人が家のなかでお香を焚くのにハマっている。そもそも二年近く前に僕が友だちの結婚式に行ったときに引き出物としていただいたお香がまだ数本残っていたのを見つけて焚いたのだが、その香りには身体の奥深くにまで浸透してくるような心地よさがあり、朝起きて一日の準備をするときや、夜、仕事から帰ってきて腰を落ち着ける前になにかとやるべきことを済ましてしまいたいときなんかに焚くとよさそうだという話になったのだった。引き出物としてもらったお香の残りは週末にはなくなり、ひとまず無印で買い足して、今日さっそく使ってみた。今日は同居人が疲れて帰ってきて、お香を焚かずにはいられなかったそうで、二本立て続けに焚いた。引き出物のお香のほうが香りはよかったように思った。お香もいろいろ試してみてもよさそうだと思った。人生において「香り」にこだわるフェーズに突入したのかもしれない!

 

3/5

 仕事を終えて帰宅すると、同居人が仕事のことや友だちのことで三連続のフリートークかましてきたが、対する僕は特に持ち合わせのトークがなく、雑魚扱いされた。トークの代わりといってはなんだが、三宅唱とハマリュウと三浦哲哉さんの鼎談の記事と柴田聡子のセルフライナーノーツがよかったよ、まだどっちも途中までしか読んでないけど、というと、もうセルフライナーノーツのほうは既に読んでいたそうで、これも負けた。鼎談記事もセルフライナーノーツも、創作物について作り手自身が豊かに言葉を紡いでおり、それぞれの制作段階におけるこだわりがふんだんに語られる。作り手がこだわり抜いたポイントは、実際に完成し僕たちのもとに届けられた創作物においてもきちんと僕たちの胸を打つ。作り手がこだわったところが受け手に届くというのは、もちろん狙っているのだから当たり前のことのようだが、作り手と受け手がまるで異なる個々の人間である以上、まったく当たり前のことではなく、ほとんど奇跡に近いともいえる。そんな奇跡が実現してしまっているということが、作り手と受け手の素敵な信頼関係、あるいは共犯関係を強固なものとする。というようなことを思わせる記事と文章だった。

 そもそも、べつに創作物に限らず、たとえば日常会話や、いま書いているような日記のような文章にしたって、ひとりの人間が思っていること、感じていることが、言葉や身振りを介して別の人間へと伝わること(あるいは伝わったと信じられること)自体がすごいことだとときおり思う。

 フリートーク後、入浴してから、アマプラで『東京ラブストーリー』が見られるっぽかったので第一話を見た。織田裕二鈴木保奈美がかわいかった。去年『101回目のプロポーズ』で見て以来の江口洋介がまったく同じ髪型で登場してうれしかった。視線や感情の交錯がいじらしい。楽しんで見ていた終盤、はにかむ織田裕二の口から「ずっちーな」(「ずるい」の意)という言葉が放たれてかなりウケた。ウケると同時に聞いたことがある気もして、調べてみるとやはりさんざんモノマネされてきている有名なセリフなのだった。たしかにモノマネしたくなる魅力があるというか、そもそも「ずっちーな」なんて言葉はおそらくこのドラマ以外には存在しておらず、その脈絡のなさも含めてウケてしまうに決まっているのだった。一九九一年に放たれた「ずっちーな」という謎の言葉が、時を超えて二〇二四年の東京においてもウケる言葉として響くこと、そして僕が覚えていなかっただけで、実際は「ずっちーな」はおもしろフレーズとしてこれまで長く継承されてきていたということ、そういうことにも人間の豊かな営みを感じ取って、奇跡のようだと思えてしまう。

 

3/6

 仕事を早めに終わらせたという同居人が、お金の持ち合わせがなかったため帰り道で何も買えなかったのと、花粉症がやばいのでもう二度と外に出たくないというので、僕が夕飯を買って帰ることを請け負ったのだが、◯時には帰ります、……ごめんあと三十分くらいしたら帰ります、……ごめんあと三十分、……ほんとうに申し訳ございませんあと三十分、というような形で帰宅時間は延々と繰り越され、ようやく帰った頃には鼻をずびずびさせた同居人がほとんど寝込みかけていて、非常に申し訳なかった。

 

3/7

 高校生や大学生の時分にアメリカのインディーズっぽいロックバンドを順繰りに聴いていくとなれば必ずその名が挙がり、手始めにもっとも有名なアルバムから聴いてみるも、ヤンキーがどうたらこうたらというそのアルバムが美しくも寂寥感や荒廃感に満ちているため一聴してまず戸惑うこととなり、今度は他のアルバムを聴いてみるとどうもカントリー色が強く、当時他に聴いているバンドに比べて地味で、自分には合わないのかもしれないと思っていったん聴くのをやめ、しばらく寝かせることとするが、数ヶ月経ったのちにも、地味だったはずの曲の一節がいつの間にか頭のなかで流れており、久しぶりに再生してみるととたんにかつてない豊かさを伴って鳴り響いた、という経験をきっと誰もがしているであろうバンド・ウィルコのライブに行った。めちゃくちゃかっこよくて、笑いながら泣きながら見た。今回ライブを見たことで初めてウィルコのことがちゃんとわかったといっても過言ではないほどの圧巻のパフォーマンスだった。

 とにかくギターがすごい。コーラスワークに参加することもなく、ステージの左のほうで自由に動くことを許されているギタリストのネルス・クラインがとにかくギターを弾きぐるう。これまで見てきたギタリストのなかでいちばんすごかったかもしれない。ときにじっくりと響かせ、ときに全身で痙攣するかのように弦を掻き鳴らし、ときに混沌とした音像を目の前で再現してみせる。かといって好き勝手に弾いているわけでもなく、前に出るべきタイミングでのみ出てくる仕事人っぷり。彼だけではない。メンバー六人が互いに強い信頼で結ばれ、ウィルコであることを生業としているがゆえの躍動感に満ちた最高のライブだった。

 バンドであることを長く仕事にしていることのすごさ、のようなものは、昨年のヨ・ラ・テンゴのライブでも感じたが、奇しくもヨ・ラ・テンゴのギタリストであるアイラ・カプランとウィルコのネルス・クラインは六十七歳と六十八歳でほぼ同世代らしく、もうジジイといってもいい年齢のひとたちがあまりにもみずみずしいギタープレイを披露していることがほんとにやばい。と語彙をなくしてしまうほどにやばい。ちょうど明日(というかもう今日)アルバムを出す七十歳のキム・ゴードンも、先行曲を聴く限りやばくて、そうやってやばいジジババがいるというのはこれからの人生の励みになる。今日一緒に行った同居人と友だちも「やばかった」とばかりいっていたので僕だけがやばいしかいえないマシンになったわけではないということだけ補足して、寝ます。

 

3/8

 昨日のウィルコはまだまだ頭のなかで鳴っており、曲を再生すれば昨日の音がオーバーラップしてきて、"Impossible Germany"の終盤、長い旅を終えたギターのサウンドが再びひとつに重なるところで涙し、"Pittsburgh"の耳をつんざくキーボードと低く吼えるギターにやられ、かと思えば昨日演奏していなかったはずの"Via Chicago"においても眼前にウィルコの六人の姿が浮かび上がり、ジェフ・トゥイーディのボーカルに続いてネルス・クラインがギターソロで会場を揺らし、途中の混沌としたパートも完璧に再現してみせて、完璧な混沌とはこれいかに、と驚かされたという存在しない記憶がよみがえってくる。いってみればこれはウィルコの曲が自然とライブの臨場感をもって聴ける耳になったということであり、しばらくの間はこの耳を携えて生活していけるということでもある。

 ライブに限らず、映画でも本でも、なんらかの形でふれた作品たちが、ほんの断片的にでも生活に堆積してゆき、日々を彩る。コロンビアの海辺の町のさびれた中央通りと台湾の団地の非常階段の踊り場と二〇二四年の夏の東京のコンビニへの道中に同じ風が吹くことがあるのだ。

 

3/9

 一昨日のマヂラブのANN0を聞いたら奇しくもドラゴンボールの話をしていて、やはり読みたいと思った。ドラゴンボールドクタースランプも読まず、アニメも見ず、ドラクエもやらずに、あまりにも有名な数々のシーンやセリフの断片にだけ触れて育ってきた。ドラゴンボールだけではない。漫画にかんしては必修といわれるような作品をほぼ通らずに来てしまっていた。同居人は僕の漫画にたいする姿勢を評して「漫画を下に見ている」というが、けしてそんなことはなく、単に漫画を読むという行為が幼き頃から習慣化されてきておらず、また周りにそうした手ほどきをしてくれるひともいなかったためにたまたま漫画と交わらずに生きてきてしまったのだ。

 今日は家で起きては寝、起きては寝を繰り返し、夕方頃に思い立って食パンを買いに同居人と街へ出るも、狙っていたパン屋は既に売り切れていた。やはりパン屋で食パンを買うようなひとはたいてい休みの日も早起きしていて、夕方にパンを買うなんてありえないのだろう。漫画とパンは難しいと思った。

 パンは買えなかったが、それだけで帰る我々ではない。同居人の花粉症を、せめて家にいるときには和らげるべきだということで、渋谷のビックカメラに行って空気清浄機を買った。販売員のひとが「花粉症ですか? ならダイキンです」というのでいわれるがままにダイキンにした。他のメーカーは花粉を和らげるという表現だが、ダイキンだけが花粉を分解するという表現をしているんです、というようなことらしかった。帰宅してさっそく点けてみたが、空気清浄機というのはどうもいまいち効いているのかわかりにくい。ダイキンの空気清浄機はしゃべらないタイプなので特にわかりにくい。でもときおり気が変わったかのように大きめな音を出して働いているので、空気中のなにかを無言で検知しているのかもしれない。

 実家にあるパナソニックの空気清浄機は「空気の汚れを検知しました」「きれいになりました」などとよくしゃべるやつだった。帰省したときに父がわざと空気清浄機の近くでおならをして「空気の汚れを検知しました」といわせるというのをやっていたのを思い出した。

 そのあとはR-1グランプリを追っかけで見た。街裏ぴんくみたいな、大嘘の話をめちゃくちゃうまく話しているだけのひとが優勝するなんてすごくいい大会だと思った。どくさいスイッチ企画さんの「ツチノコを見つけたひとの一生」の愛すべきディテールもとてもよくて、そのなかでもツチノコ発見から十年以上経った日のテレビの取材における、ボンレスハムかと思ったらツチノコだったんですよ、みたいな、何度も同じ話をしてきたひとならではの小ボケの入れ方の再現に、市井のひとの感性を感じてぐっときた。同じ話を何度も話すことで溜めや緩急や小ボケの入れ方が洗練されてゆくというのは僕たちの日常においてもけっこうあることで、同居人なんて僕との会話でも「これ話すの一回目だからあんまりうまくできないな」なんてことをいったりしているのだが、そういう小市民的な視点をまとった上で街裏ぴんくの二本目のネタを見ると、抜群にうまい緩急や溜めはまさしく何度も同じ話をしてきたひとのそれに違いなく、話のおもしろさが際立つ話法が完成されており、そうなるとやはり、その話自体が大嘘であることのおもしろさも余計に沁みてくるのだった。

 そういえばビックカメラの販売員のひとも「花粉症ですか? ならダイキンです」の「なら」の前に、文字で表記するとしたら「ンなら」となるような溜めを置いていて、おそらくここ二週間ほどで既に百回くらい発しているお決まりの売り文句なのであろうと思わせるものがあった。というのを思い出した。

 あと、空気清浄機を買って帰ってきたときに夕飯を考えるのが面倒になって家の近くのそば屋に行ったのだが、隣のテーブルでは競馬新聞を見ながら楽しそうに語らっているおじさん五人がいて、いい集まりだと思った。というのもいま思い出した。思い出した順に書いている。今日の日記を書くのは一回目だからまだあまりうまく書くことができない。でも今日の日記は今日しか書かないので、うまさを捨てる必要がある。

 

3/10

 同居人は用事があったため、僕は僕で映画を観に行った。イメフォでタル・ベーラの『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を観た。すごい映画だった。タル・ベーラの特徴といえばなんといっても圧倒的な長回しなのだろうが、それが単に〝作家性〟というような言葉で回収されるものにとどまらず、映画の動きそのものを生み出していて、広場に集った住民たちが暴動へと掻き立てられる流れと、そのあと逃げる主人公がヘリコプターに追われるシーンにはほんとに戦慄させられてしまった。思えば冒頭で主人公が酒場で酔客たちを太陽系の惑星に見立てて踊らせるシーンと、後半で住民たちが謎の声に扇動されて暴徒と化すシーンは見事に対応していて、ひとがひとを動かすことが美しくもあり恐ろしくもあるというテーマが貫徹されていたのかもしれなかった。

 観終わってから散歩し、ドトールに入って『オーバーヒート』を読み終えた。『オーバーヒート』の文章は即時的(≒ツイッター的)な印象があっておもしろい。生理的な嫌悪感を論理立てて説明しようとしたり、事務仕事に向き合ったり、四十代のゲイであることを思考したり、馴染みのバーでひとりツイッターを眺めたりする様々な日常の場面ごとに思考の文章や文体というものももちろん変わるはずで、そのリアルタイム性のようなものを文章として捉えながら、徹底的に練り上げられていてすごいと思った。

自転車というのは移動の自由、そして独身的自由の体現であるべきで、僕は「放置自転車」なる概念を認めていない。「自由駐輪」と呼ぶべきだ。しかし自転車の取り締まりもこの間ひどくなった。新たな言葉をでっちあげて社会問題化する連中に対抗して、そんな言葉をそもそも認めないという闘いが必要なのである。

(千葉雅也『オーバーヒート』)

 なんてことをうそぶく語り手が、若い恋人とのコミュニケーションにおいては驚くほど素朴な語彙しか使えない。そのコントロールがうまい。そのあと、昼を食べていなかったこともあり空腹だったので、二郎系ラーメンを食べに行って、ちょっと気持ち悪くなって帰った。しばらくしたら同居人も帰ってきた。

 

3/11

 昨日の夜からなんとなくだるさを感じていたのが朝になったら発熱という形で身体にあらわれていて、会社に休みの連絡をしてから病院へ行った。発熱だと通常の待合室とは切り離され、パーテーションで仕切られた隅っこの空間にて待つこととなる。柴崎友香の『百年と一日』が文庫化されたのを昨日買ったので読みながら待った。前に図書館で借りて読んだはずなのだが、三十個近く並ぶ掌編のなかにはまったく覚えのない話もあって、そういう覚えてなさみたいなものを文章として書き留めておくというのがこの本だという気もしながら、あらためて楽しく読み進めた。再開発の進む土地の駐車場のなかで営業し続けるラーメン屋についての話はM-1ヤーレンズの「麺ジャミン・バトン」のことを思い出させた。漫才における愉快なやり取りに、小説で描かれている時間の厚みが付与され、そういえば「麺ジャミン・バトン」という店名自体が時間的な厚みを感じさせるものだということも僕のなかで関連づけられて、勝手に感傷に浸った。漫才というものは、漫才の外の何かとの結びつけを喚起する磁場みたいなものを持っている。

 本を読みながら待っていると、小さな男の子と女の子とそのお母さんも同じスペースに入ってきてにわかに賑やかになった。おそらく女の子とお母さんの具合が悪そうで、ポニョのそうすけを思わせる髪型をした男の子は手持ちぶさたそうに立ったり座ったりを繰り返し、チピチピチャパチャパなどと口ずさんでいたが、それはおそらく「猫ミーム」というやつで、お母さんも「猫のやつね」と反応してあげていた。

 インフルでもコロナでもないですね、ということで帰宅。帰りにコンビニで買ったそばを食べてから昼寝した。そういえば311のとき、父は帰りの電車が止まったから途中から歩いて帰ったといっていたが、ふと気になって父がいっていた駅から実家までの距離を調べてみたら二十キロくらいあった。

 

3/12

 会社の下のコンビニで買った「黒あめ」という飴をときおり舐めながら仕事をした。黒あめのパッケージにはでかでかと「沖縄黒糖使用」ということが謳われており、それを見て買ったのだが、僕は沖縄黒糖というのがどれほどすごいものなのかを存じ上げず、ただ沖縄と黒糖という単語の並びから醸し出されるざわわとした雰囲気から、これにしておけば間違いないだろうと判断して買った。世の中のたいていのことは雰囲気で成り立っている。今日会社からの帰りに「衝撃を超える真実の実話。」というキャッチコピーのついた映画のポスターを見た。

 黒あめは一粒一粒が大きく、舐めるのにもある程度の覚悟が必要となる。うかつな気持ちで口に入れてしまうと口蓋に当たって痛いのと、口内での存在感がありすぎて窒息するのではないかと少し怖ろしくなる。そんな飴をどうして買ったのかといえばそんなに大きいとは知らなかったからであり、もっと元を辿って、そもそもどうして飴なんか買っているのかといえば、少し前の咳がよく出ていた期間に、口から喉にかけて乾燥しているからよくないのだと思い当たり、最初はのど飴を買っていたのだが、乾燥を防ぐというだけであればのど飴に限る必要はなく、むしろクリーミー系の飴や、甘めの飴がよろしいのではないかということで、コンビニの飴コーナーに並んでいるものを順繰りに試していっているのだ。この黒あめの前には「邪払のど飴」、その前は「龍角散ののどすっきり飴」、その前には「純露」を買った。いまのところ純露がけっこうよかったが、これまたまあまあ大きく細長い形をしており、舐めるのに覚悟のいるタイプの飴なのだった。

 今日もあまり調子がよくなかったのでわりと早めに会社を出て、ちょうど帰ってきた同居人とスーパーで買い物をして帰宅した。米を炊き、味噌汁とクックドゥの炒め物を作り、それと並行して風呂を沸かし、順番に入り、その間に米が炊き上がるという感じですべてがうまくいった。スピーカーでウィルコを流しながら諸々の準備をした。

 

3/13

 同居人が家に友だちを呼ぶことにし、部屋を急きょ片づけたそうで、散らかり放題だった部屋が少しきれいになった。しかし、光あるところには陰もできる。リビングの側はきれいになったようだったが、そのしわ寄せが寝室の側に来ており、それを少しでも改善しようと同居人ががんばっているところに僕が帰宅した。僕は掃除は苦手なので皿洗いなどをした。激ネムになったので寝る。

 

3/14

 やっぱりウィルコはギターロックっすね!という視点でアルバムをひととおり聴き直し、最後にあらためて『ヤンキー・ホテル・フォックストロット』を聴いてみたところ、ギターロックであるとはそこまで思わなかったものの、ふつうにまじでいいアルバムすぎてウケた。

 

3/15

 長く仕事をして帰宅したらもちろん同居人は眠りかけていて、中途半端に起こしてしまい申し訳なかった。会社と家との間にいいにおいのする花が咲いているゾーンがあって、今日の帰りもそこの前で息を深めに吸った。なんの花かはわからない。花や草や木のことがまったくわからない。花や草や木だけではない。鳥もわからない。屋外を歩いているときに視界に入ってくるほとんどのもののことはわからない。

 

3/16

 家でゆるりと過ごしてから『デューン 砂の惑星PART2』を観に行った。家を出るのがギリギリになってしまい、同居人にもムカつかれたし、映画館の周りの席のひとにもおそらくムカつかれてしまっただろうが、映画はかなりすごかった。被写体深度が極端に浅いIMAXカメラで交互に映される広大な砂漠の風景と登場人物たちの顔の大映しは、それだけでこの作品をこれまで観たことのない映画たらしめていた。物語よりも先に、まず映像の面で映画というものを更新しようとする映画。そんでもって語られるのは古典的で世界史的な、あるいは神話的といってもいい(実際、劇中世界の神話が再現されていくのだからまさしく〝神話的〟だ)物語なので、ドゥニ・ヴィルヌーヴの生真面目さとの相性がすこぶるよく、ベタな展開がきちんと盛り上がるように演出される。主人公ポールが救世主となっていく過程などはあとから振り返ってみると性急ではあるけれど、脚本上の自然な流れよりは映像で観客を説得せんとする強い意思によって屈服させられてしまった。ただ、観ていて楽しいしわくわくもするのだが、こうなるともっと驚かせてほしいと思ってしまう面もあって、やはりドゥニ・ヴィルヌーヴというひとの真面目さがまだ前面に出ている気もするので、PART3ではもっと殻を破ってほしいですねえ、とかなり偉そうなことも思った。

 物語自体が実はシンプルであるということもあって、裏の主役ともいえるポールの母親レディ・ジェシカのかなりノリノリの暗躍っぷりや、彼女に踊らされる自分の役割を自覚しつつ徐々にゾーンに入っていくポール、そしてそのポールを盲信して前のめりに声を上げ続けるスティルガーの姿を追うのが楽しかった。特にスティルガーの、ポールが救世主であると信じるしかない悲哀は、笑ってはいけないはずなのに笑ってしまった。

 あとはフェイド=ラウサという名前のかっこよさにも痺れた。残虐な悪役の名前として理想的な響きを持っている。僕ももし仮に「フェイド=ラウサ」と名付けられていたならいまよりずっと尖って生きていただろうと思う。

 夜は大学のときの友だちたちとの飲み会に行った。みんな元気そうでよかった。元気があればなんでも、はできないかもしれないが、少なくともこうやって久しぶりに集まったりはできる。友だちのひとりは家も近いことがわかったのでまた今度会おうねといって解散した。

 

3/17

 重ね着によってじっとり汗ばんでゆく冬の気持ち悪さとも、ただ存在しているだけで身体じゅうから汗が吹き出てくる夏の苦しみとも違って、心地よい陽気に誘われ、散歩をしているうちにじんわりとかく汗すらもなんだか悪くはないように思える季節が到来した。春にかく汗というのは不思議と不快にならない。だから今日は散歩をした。散歩をしてイソップでお香(イソップ流にいうと「アロマティックインセンス」ということになるらしい)を買い、ニトリでピンチハンガーを新調して帰った。そのあとスーパーにも行ってミネストローネの材料を買った。イソップで買ったアロマティックインセンスを焚き、ユーミンの『MISSLIM』をかけながら本棚の整理をし、ミネストローネを作り、シャワーを浴び、『光る君へ』を見ながら食べた。なかなかうまくいった休日だった。春をうまく過ごすポイントは早めにシャワーを浴びることだ。

 

3/18

 今日はまた寒くなってしまって、

「また気温一桁?」

「明日も寒いらしいですよ」

「えー」

「木金も寒いかも……」

「えー」

 という会話を会社のひととした。僕はほんとに天気の話が好きなので、可能ならば毎日でも誰かと話したい。「日本海側で低気圧が発達してるみたいっすね」とか「太平洋側はところどころ曇りのち雨となるっぽいっすね」とか、そういう会話が行き交う日常。いや、それはちょっと僕の希望とは違っていて、僕はまじで感覚的で無根拠な話をしたい。どちらかというとむしろ「感覚的で無根拠な話をしたい」というのが本音であり、それを気兼ねなくできる話題として天気を選んでいるだけなのかもしれない。どちらでもいいのだが、とにかく天気の話が好きなのだ。

 そんなわけで今日はまた寒くなってしまったので、昨日の天気を頭のなかで反芻していた。昨日はまず昼間の、春物のアウターを選んで出かけてもなおうっすらと汗ばむ、しかしその汗すらもなんだかうれしい陽気。雲ひとつなく、うっすらと黄みがかった青空のまぶしさ。あの黄みが仮に花粉によるものだとしても、少しも素晴らしさが減じないほどに気持ちのよい天気だった。汗すらも心地よいなんていうのは一年でほんのわずかな時期にしかあり得ないことなんですよね。なおかつ三月ともなればすっかり日も長く、夕方に帰宅した時点でも、窓から見えるマンションの上階にはまだ西日の照り返しが残っていて、それがなんとも日曜日の夕方という感じがしてほんのりさびしくもあり、しかしそういうさびしさを感じられること自体への不思議なうれしさのようなものもあり、奇妙なことだがトータルで考えるとうれしいが勝っていたかもしれない。

 そんでもって、昼間がそういう感じの天気だと、夜もまた気持ちがいい。夕飯後にアイスを食べるという選択肢が自然と思い浮かぶ、それもぜったいに食べたいというほどのものではなく、「そういえばアイスあるね」「食べてもいいね」という具合の穏やかなやり取りが交わされる夜である。風呂上がりには半袖シャツ一枚で過ごせ、夜が更けるにつれてほんのり肌寒くなってゆくが、そうなると「肌ざみいでございまさあねえ」なんてつぶやきながら上にもう一枚羽織るという、ただ防寒をしているに過ぎないはずの挙動さえも、その背後にこれまで人類が何百年、あるいは何千年と過ごしてきたであろう数多の同じような夜──昼間暖かかったから夜もシャツ一枚でいけるかと思いきや意外に肌寒くなってきてもう一枚羽織る夜──が存在し、先人たちも同じように「肌ざみい」とつぶやきながら重ね着をしてきたであろう、その歴史の果てで僕がいまもう一枚の長袖シャツを羽織ろうとしているという、重ね着の時間的厚みのようなものがにわかに心に襲来する。昨日みたいな天気の日にはそういう時間の扉のようなものが開く。なんてことをいま書いているが、昨日はそんなことは一ミリも考えずにただ肌寒くなって重ね着をした。いまこうやって昨日の天気を振り返るに当たって、無根拠にてきとうなことを書いた。

 

3/19

 夜、石橋英子×濱口竜介の『GIFT』を観た。すごかった! パフォーマンス後のトークセッションにおいて、現在パリにいるというZOOM越しのハマリュウの顔がスクリーンに大写しで投影される形となり、本人も少し困惑していてウケた。激ネムなので寝る。

 

3/20

 石橋英子からの「ライブパフォーマンス用の映像を作ってほしい」という依頼を受けた濱口竜介が、石橋英子のスタジオのある長野県にてロケハンをし、善悪のない自然に感銘を受けながら劇映画を想定して撮影した一連の素材から制作されたのが、『悪は存在しない』という長編映画と『GIFT』という無声の映像作品である。スクリーンに投影される『GIFT』を見ながら石橋英子が即興でパフォーマンスをする公演の八回目が昨日行われ、僕と同居人で観に行った。チケットを買っておいたはいいが、当日までどういう企画なのかよくわかっておらず、昨日ようやくわかったはいいものの、また忘れてしまっては元も子もないのでいまこうしてあらましを書いた。

 ハマリュウによると二つの作品は同じ映像素材をそれぞれ別の形で編集したものだそうで、まだ『悪は存在しない』のほうを観ていないので実際のところはわからないが、おそらく話の大筋は似ているのだろう。しかし、これも同じく『悪は存在しない』を観ていないのでわからないが、観ていなくても断言できるほどに『GIFT』における編集のリズムやシーンの取捨選択は明らかに特殊で、まさしくライブパフォーマンスのための映像といえるものになっていたし、それに合わせてときに美しくときに不穏な音を当ててゆく石橋英子も素晴らしくて、映像と音楽の幸福な相乗効果が最大限発揮されていた。

 映像の序盤に映される主人公親子の日常風景と、そこに合わさる石橋英子の驚くほど不穏な音楽(その不穏さは映像上のある編集とも重なることになるのだが)、その奇妙なバランスが心地よく、このまま日常風景が延々映される映像でもいいとすら思っていたところ、ちゃんと話が動き出すので最初はむしろ戸惑ってしまった。しかし特に終盤、話が思わぬ方向に展開していくのでそれはそれでおもしろく、ふとスクリーンから目を離してみれば石橋英子が片手で機材をいじりつつ片手でフルートを吹いていたりしておりとにかくすごい。『悪は存在しない』のほうも観るまで判断は留保すべきだが、少なくとも昨日の『GIFT』の公演は体験として素晴らしかった。

 今日の午後は『すべての夜を思いだす』を観に行った。同居人は花粉症のせいかずっと眠そうだったので僕ひとりで行った。かなりいい映画だった。僕は映画の舞台である多摩ニュータウンにも行ったことないし、映画に出てきたひとたちと話したことも会ったこともないのに、明確に知っていると思える風景と、このひとたちは実際に存在するのだろうと確信できる足取りが映されていた。映画というものは、自分が体験していない記憶を呼び起こす装置なのではないか。『すべての夜を思いだす』を観た僕は、ある晴れた春の日に多摩ニュータウンの団地を歩き回った僕になったし、その記憶はなにか別の映画を観たり小説を読んだりしたときにふと思い出されることになるのだろうと思う。というかたぶん『すべての夜を思い出す』に映っていた風景を知っていると感じたのも、おそらく別の映画や小説、あるいは散歩中の記憶によって導かれた感覚なのだろうし、そうやって作品と作品、散歩と散歩どうしが繋がって、僕自身の生活に堆積していくのだろう。

 映画館への行き帰りにはベックの『シー・チェンジ』を聴いた。なぜか聴きたくなったのだが、映画のモードとも合っていたように思った。帰宅してからはまだ寝転がっていた同居人を傍目に夕飯を作り一緒に食べた。夜には『百年と一日』の続きを読んで、これまた『すべての夜を思いだす』と共鳴していたように思った。以前図書館で借りて読んだはずなのだが、覚えている話と覚えのない話があって、その混ざり具合も不思議だし、話の内容を覚えていないとしてもそれを読んだということ自体はいまの僕の生活のなかにやはり堆積しているのだろうとやや都合よく思う。

 

3/21

 昨日の『すべての夜を思いだす』はクライマックスになるような展開や描写が周到に避けられており、そのおかげで物語が閉じられていない感じがするのもすごくよかった。ハガキに記載されていた住所を尋ねても友人はもうそこには住んでいないし、外で夜まで待っていても待ちびとは来ないし、行方不明になっていた老人を家族に送り届けるというくだりも、その過程のみが描かれ、対面や歓喜のシーンは省かれる。一件落着、が描かれない。あげく、カメラはもう死んでしまったひとの視点にもなって(それはそのとき画面に映るひとがカメラに向かって話しかけてくることでわかる)、この映画が死者にも、あるいはカメラのこちらの僕たちにも開かれていることがわかる。その視点の行き来は、ちょうど劇中にチョイ役で出てきた滝口悠生の『死んでいない者』を思わせるし、あるいは『長い一日』において語り手が妻や友だちになる展開のことを思い出させる。語り手が勝手に妻や友だちの視点を借りて語り出すというのは、その語り手が僕にもなり得るということ、ようするに物語がこちら側まで来る可能性があるということを示しているのではないかと、今日も『すべての夜を思いだす』のことを思い出しながら思った。

 閉じられていない物語のなかで、三人の女性の一日が、交差することはないまま、しかしゆるやかに触れ合う。一日の終わりにふと「なんか今日変なひといたな」なんてふうに思い出す、その変なひとにもそのひとの一日があり、そのひとはまた別の誰かを思い出し、そのゆるやかな連鎖がずっと続いていく。

 今日は同居人が会社の同僚に貸していたニンテンドースイッチが返ってきたので、少しだけプレーしたが、久しぶりのマリカにはどうもハマれなかった。ゼルダならハマれるかもしれない。いまから少しだけやろうか、それとももう寝ようかという二択を決めあぐねたままこうやって日記を書いている。と書いたが実際はもう決めていて、もう寝る。眠いから。

 

3/22

 昨日早く寝たのに今朝は調子が悪くて、会社に遅れて出社する旨を連絡し、少し休んだがやはりよくならなかったのでやはり休むという連絡をした。それなら最初から休めという話だが、朝の時点では行くつもりがあった。調子がよくならなかったというのも、ほんとは精神的なストレスがあるのかもしれない。社会人になって何年も経つと、社会人であることに慣れる一方で、社会人でなかった頃からの自らのあり方との齟齬のようなものが、ある部分では消化されつつ、ある部分では溶けずに残ったままになったりして、そういうしこりのようなものが日によってははっきりと顔を出して「調子がよくないです」というようなことになるのかもしれない。

 昼ご飯を食べるために外に出て、そのまま散歩をした。以前友だちと昼にジンギスカンを食べた日(というのを日記上で「ジンギスカン」や「散歩」で検索してみたところ昨年の十月九日のことらしかった)に散歩した道がなかなかいい感じだったのを覚えていて、そのときの道をもう一度歩けないかと思って探しながら歩いたのだがけっきょく見つからなかった。でもその代わり、以前から境内に入ってみたいと思っていた神社のなかを通ることができた。散歩をするということは常に分かれ道での二者択一を迫られ続けるということであり、選ばなかったほうの道にも後ろ髪を引かれつつ選んだほうの道を進んでいくということであるが、何度も同じ道を散歩することによって、前回は選ばなかったほうの道も選ぶことができる。それが家から歩いてゆける範囲を散歩することの醍醐味だともいえ、これがたとえばふと降り立った町での散歩となるとこうはいかない。一回きりの散歩において、選ばれなかったほうの道の先は、永遠にわからない。でも逆にそのわからなさのようなものを日常の範囲にも残しておきたいという気持ちもあって、何度も通っている分かれ道でいつも同じほうを選択するという場合もある。

 むしろ同じ道を歩くことの快感のようなものも不思議とある。そうそう、ここからここに繋がるんだよね、というような。太い通りと付かず離れずの距離でくねくねとうねっている細い道が、最後にはやはり太い通りに合流する、曲でいうとまさにウィルコの「インポッシブル・ジャーマニー」のギターのような、と『スカイ・ブルー・スカイ』を聴きながら思った。今日はそれとエイドリアン・レンカーの『ブライト・フューチャー』を聴きながら歩いた。

 小学校の前を通りかかったらちょうど卒業式の日だったようで、校庭で集合写真を撮影しているところだった。そのあとたどり着いた商店街には「ご卒業おめでとう」という横断幕が掲げてあって、奇しくも僕が卒業したみたいな感じになってしまった。

 なってないか。

 帰宅後、やはり少し仕事してから、積ん読になっていた齋藤なずなの短編集『夕暮れへ』を読んだ。中年、あるいは老年の生と死がほとばしるすごい漫画だった。調べると齋藤なずなはずっと多摩ニュータウンに住んでいるそうで、最後の短編「ぼっち死の館」の舞台である団地のモデルもおそらくそこであろう。奇しくも『すべての夜を思いだす』とまたリンクして、そういえばあの映画にも老人たちは登場していたなあ、と思い出すなど、またゆるやかな連鎖が続いた。ニラの味噌汁を作ったりしているうちに同居人が帰ってきて、夜は一緒にテレビ番組を見るなどした。

 

3/23

 同居人は今日も仕事があるということで出かけていった。僕は、車を買い替えたから運転しに来なさい、という誘いを受けて実家に帰ってきている。出会い頭に母に、ちょっと太ったんじゃない、といわれ、そのとおりでございやす、とおどけた。ジョイマンが出ているピルクルのCMは池谷が「なんだこいつ~」をいわずに終わってしまうから物足りない、という話を弟とした。

 助手席に父を乗せてあれこれ説明してもらい、へえ、なるほど、などといいながら家の周りを大きく一回りする形で運転した。たしかに運転しやすかった。新しい車のバックミラーは、正確にはミラーではなく、車の後部に付いているカメラからの映像がミラーに擬態しているもので、父曰く、車の前の景色とそのバックミラー風映像を交互に見ようとするとそのたびに目の焦点を調整する必要があり、老眼には疲れる。買い替えた当初は少し酔いもしたとのことで、僕はその話にたいしてもやはりなるほどと応じた。

 家の近くには沼があり、その外周を大きく回って、向こう岸まで行く形で車を走らせた。向こう岸、というのは隣の市に入ることになるのだが、走らせているうちに僕の知らない工業団地が現れ、こんなところ初めて来たな、とつぶやくと、助手席の父が、いやいや、あんたが実家にいる頃から何度も車で通ったことがあるはずだよ、といわれた。「あんた」と書いたが、父ははたして僕のことを「あんた」と呼んでいるだろうか。「あんた」ではなく下の名前で呼ばれているような気がする。いざ書こうとすると、なんと呼ばれているかということもわからなくなる。それはともかくとして、工業団地。何度か通ったことがある道だとしても、かつての僕はそれを単に窓の外の景色としてしか認識していなかったようだ。もしかすると以前通ったときには僕は運転者ではなく、後部座席に乗っていたのかもしれず、そうなると匿名の景色としてしか見ていなかったというのも納得がいく。車に乗るとき、運転席、あるいは助手席に座るのと、後部座席に座るのとでは、周囲への関心の度合いというのが大きく異なるという実感がある。

 それとも、昨日の日記で散歩について書いたことで、景色全般にたいして敏感になっているのかもしれない。今日実家に帰ってくるときに乗った電車でも、車窓を流れる景色を眺め、そのなかに散歩しがいのありそうな場所を見出しながら座っていた。かつての僕がおよそ十年にわたる通学において何千回と目にしたであろう景色であっても、そのなかを散歩しようという観点で見るとまったく別の階層が立ち上がってくる気がするのだった。でも、よほどの気まぐれを起こさない限り、わざわざ途中駅で降りてその景色のなかを実際に散歩するということにはならなさそうで、僕はけっきょく、たくさんの景色を目にして、そのなかを散歩することを想像しながら、いまの家の周囲ばかりを何度も散歩し続けるのだろうと思う。それはまったく悪いことではない。

 

3/24

 いま使っている枕と比べると実家の枕は尋常でないほど低い。はたしてほんとうにかつての僕はこの枕で寝ていたのか。でも考えてみれば、いま使っている枕も、枕自体がそこまで高いわけではなく、下に小さなクッションを敷くことでかさ上げしているのだった。どうしてそんなことをするようになったのか、最初の経緯は忘れてしまったが、もしかすると横向きに寝ようとするときに肩がこらないようにするにはいまの高さがちょうどいいということなのかもしれない。

 ということを昨日の夕方、実家の枕で横向きになって昼寝したあと肩と首のあたりが痛くなっていたので思った。そんなわけで、経緯はともかくとしても、実家の枕がいまの僕にとって低いということには変わりはないため、昨日の夜はなかなか寝つけなかった。いろんな体勢を試したあと、枕を半分に折って二倍の高さを作ることで落ち着いた。しかしそんなふうに無理やり枕を変形させるというのは、枕界における自然の摂理に反する。けっきょく僕はその変形枕に変な夢を見させられ、深い眠りにつくことができないまま、六時半くらいに目を覚ました。朝食のあと二度寝した。二度寝の際にもやはり枕を半分に折った。

 午後は父に自転車を借りて家の周りを走った。電動自転車だった。晴れとも曇りともつかない微妙な気候だったが、春の天気とはこういうものだったかもしれないと思わせられる気持ちよさがあった。風が強くなくてよかった。汗をかかないくらいの速度でペダルをこいだ。

沼のほうへ出るこの坂道を通りたいがために毎回少し遠回りする

 昨日車で走った沼の周りを今日も走った。沼の周りには車道と別に遊歩道があって、歩行者や自転車が通れるようになっている。そこを走った。曇り気味の天気のせいで水面が美しくきらめいているとまではいかなかったが、それでもいい景色だとは思えて、そこにいる釣りびと、散歩する人びと、ベンチで本を読むひと、なぜか田んぼのなかでくつろいでいる白鳥、遊歩道に上がって人びとに絡まれている白鳥、その他のわからない鳥、すべて引っくるめて春のはじまりの日曜日の午後というひとつのセットのようでよかった。でもこうやってよかったと思うのが、たまに帰省して懐かしさを覚えるかつての地元民としての感情なのか、まったくの観光客的な感情なのか、はっきりしない。

 自転車は遊歩道を進み、やがて沼を横断する橋へと差し掛かった。向こう岸には道の駅があった。昔はしょぼかったはずのそこはいつの間にかリニューアルしてたいへん賑わっていて、僕が都内でよく行く本屋も小さなブースを出店したりしており、いかにもイマっぽくていい感じになっているのだった。なかを一回りしてからまた自転車に乗って橋を戻った。

 そのあとは昔よく行っていた図書館があるほうへと遊歩道を進んでいった。その図書館で最初は児童書を借りまくり、高校生になってからはCDを借りまくった。そこで借りていた児童書というと一番に思いつくのは「ぼくは王さま」のシリーズ。CDはなにを借りたか思い出せない。

 今日は懐かしさをそのまま残しておきたい気持ちがあって、図書館のなかには入らずに帰った。夕方まで読書してから夕飯をいただき、東京の家へと帰った。実家へ帰ることも、サイクリングから帰ることも、東京の家へと帰ることも、すべて「帰る」になる。帰りまくっている。

 同居人は今日うどんを食べたりジムに行ったり銭湯に行ったりして、銭湯で壁の富士山の絵がきらめいているのを見ながら、ヒラヤマじゃん……と思ったそうだ。自分なりのPERFECT DAYSを見つけていこうって話っすよ!

 

3/25

 日記を書こうとちょっと書いては消し、書いては消しているうちに激ネムになってしまったので寝る。書いては消し、書いては消し、と繰り返すほどには書いては消していたわけではない。ほんとは書いては消し一回分くらいのものです。散歩の話を書こうと思ったがやめた。あるいは仕事の話や、読んでいる本の話でもよかったかもしれない。帰宅したら同居人が鶏肉のクリーム煮を作ってくれていておいしく食べたという話でもよかったかもしれない。でも今日はもう書かずに寝る。

 

3/26

 雨。雨が降ると依然として寒い。しかしこの時期の寒さは、真冬のように身体の芯にまで響いてくるような、頑として動かしがたい性質のものではなく、もう少し柔軟で、様々な可能性に開かれたものという感じがする。ほんのりと温かさが忍んでいる。

 そうなると、むしろ雨の日ならではの湿り気や、空気のある種の重さ、におい、そういった要素が前景化してくる。寒さや冷たさばかりが感じられる冬の雨より、春や夏の雨のほうがしっかり「雨」という感じがする。その最たるものはやはり梅雨で、あのどうしようもないほどじめじめした空気を、僕はどうしてかしきりに恋しく思っている。今日の雨には梅雨の気配がほんのりあったように思った。その証拠というわけではないが、雨の降る空気のどんよりとした重さゆえか、今朝は六時に一度目が覚めた。もちろん二度寝した。

 日中は仕事。オフィスビルのなかにいると、いま外で雨が降り続いているのか、それとももう晴れているのか、天気についての感覚が失われる。もちろん窓の外を見ればいい話なのだが、それで仮に窓の外に雨が見えたとしても、 実際にその瞬間雨が降っているという現実と不思議に切り離される。ほんとに雨が降っているかどうかは自分で外に出て確かめてみるしかなくて、昼休み、下に降りて外の様子を見た。雨は降り続いていた。ついでに本屋にも行って、『ミュージック・マガジン』を少しだけ立ち読みした。エイドリアン・レンカーの新譜紹介のページでは、今回のアルバムの曲も山小屋にこもって録音されたという旨が紹介されていて、このひといつも山小屋にこもってるね、と思った。いつも山小屋にこもっていつも素晴らしい成果を残している。

 夜は同居人と『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』を観に行った。よかった。いろんな要素の絡み合う話自体よりも、仲間内での、当人たちだけがおもしろがっているつまらない会話がとてもよかった。あのつまらなさというのを物語のなかで表現し、それが二時間の映画のなかに残されているのがいいと思った。物語の展開自体はかなり後章に託されているので、原作を読んでいない僕からするとまだなんともいえないところなのだが、どうなるのでしょうか……

 

3/27

 夜、スマホ歩数計を見返してみたところ、ここ一週間でも日によるぶれがけっこうあって、そのなかでもたとえば日曜日の歩数の多さを見ながら、あれ、この日ってなにしたんだっけ、とすぐには思い出せず、同居人に、いや実家帰ってたんじゃん、とつっこまれた。そうだった。日記書いてるのに意味ないじゃん、天気の話とかばっかり書いてるから思い出せなくなるんだよ、ともいわれ、ほんとにそのとおりなのでなにもいい返せなかった。しかしここで一度整理したいのは、日記というものにはおそらく大きく分けて二種類の書き方があるということだ。ひとつはその日一日のことを順序立ててきちんと記述していくタイプの日記。そこにはきっと毎食なにを食べたかとか、なにを聴いたかとか、そういう情報も書き手によっては付け足される。正しく備忘としての日記だ。もうひとつは、その日一日(あるいはその日に限らずその前日や前々日)のなかの特定の瞬間のみを取り上げ、そのとき思ったことを記述するタイプの日記。これには一日のことが詳細に記されるわけではないので、日々の出来事の備忘としては弱い。僕はどちらかというとこの後者のタイプの日記を書いている日が多いので、ほんの数日前のこともすぐには思い出せない。

 

3/28

 早朝目が覚めた。頭痛がクソヤバい……

 寝て、また目を覚ましたときにも頭痛はあって、頭痛薬を飲んで出社した。定時後にややリラックスムードで仕事しているうちにやはり頭痛も回復してきて、ほんとは遅くまで仕事するつもりだったのだが、ちょうど同居人も帰ってくるとのことだったので退社した。生ぬるい外に出た瞬間頭痛はどんどんヤバくなっていき……

 帰ってきて頭痛薬を飲んだら徐々に頭痛は治まった。そのため、頭痛だからこんな日記しか書けなかった、といういいわけは通用しない。

 同居人の誕生日が近くて、せっかくならいつもと違うことでもしようということで試しに野球観戦のチケットを取ろうとしてみたところ、ぜんぜん席が空いておらずウケた。野球はすごい!

 

3/29

 渋谷にビヨンセがいたらしい。僕とビヨンセが史上最も接近した日だったということになる。次に大接近するのは七十二年後です、とかだったら彗星みたいでおもろい。べつにおもろくないか。

 あるあるに数字が出てくると、なんでだよと思いながらも毎回笑ってしまう。彗星が大接近する周期あるある、七十二年(生きていている間に一度大接近したらうれしい)。席替えあるある、窓から二列目の前から四番目(先生が廊下側からプリントを配るので回ってくるのが遅い)。夏の夜の散歩で蚊に刺された箇所あるある、八箇所(え、こんなに!)。

 今朝は雨風の強さで目が覚めた。雨風→寒い、という冬の図式のままに暖かいアウターを着て家を出たところ、外気は異様に生ぬるく、その雨風の強さがどちらかというと冬より春のものであると合点がいきつつ出社した。家から会社へのそう長くない道すがらにも湿気が肌にまとわりついてくる感じがした。つい何日か前には梅雨の湿っぽさを恋しく思っているというようなことを日記に書いたような気がするが、もうお腹いっぱいだ。でも梅雨はそのうち否応なしにやってくる。それがいまから憂鬱でありつつ、しかしやはり恋しい気もする。

 今日はたくさん仕事をした。定時後に気分転換も兼ねてちょっと外に出たとき、かなり散歩しがいのありそうな気温だと思った。そんな折にちょうど近くに住んでいる友だちから「今日どう?」と連絡が来たので、僕の仕事が終わるまで待ってもらってから一緒に散歩した。気ままに歩いていたら思いがけず通ったことのない道を通ることができたのと、友だちがGoogleマップをフル活用して行ってみたいお店を保存しまくっていたので、僕も乗じてGoogleマップ上への保存を使い始めることができてよかった。

 細い川に差し掛かったときにちょっと離れたところに小さな橋が見えて、それが遠くからでは木製のボロい橋のように思えたので、あれを渡りたいねという話になり、いざ行ってみたらぜんぜんふつうのちゃんとした橋で、べつにがっかりしたというほどのものでもないが、なんとなく日記に書こうと思った。それでいま書いている。

 歩いたあと、中華料理屋に入ってラーメンと餃子を食べてしまったので、プラマイゼロ、どころか、マイナスかもしれない。マイナスといっても、体重でいうと増えているので、プラスということもできる。帰ってきて靴と靴下を脱いだところ足が臭くて、同居人が前にいっていた、仕事で疲れた日の僕の足は臭いという説があらためて実証された。今日はわけあってちゃんとした革靴で出社し、その革靴のまま仕事のあとに長めの散歩をしたから、より臭くなったという可能性もなくはない。なくはない。とかいっている場合ではない。急いで入浴してよく洗った。

 

3/30

 ナイスな気候!

 

3/31

 自転車でどこか知らない土地の図書館に本を返しに行く夢のなかで僕は半袖だった。海とコンクリートと雑木林。雑木林を下っていった先には濁った池があって、前を走る知らないおじさんが自転車のまま池を突っ切っていく。池は単なる水たまりという感じではなく、深さがありそうなのに、おじさんは曲芸という雰囲気でもなく自然に水を切って進んでいた。僕もそのまま追随してもよかったはずなのだが、自転車のタイヤの空気が抜けてちょっとブヨブヨした走り心地になっていたというのもあって、池を渡りきれる自信がなく、切り返して図書館があるほうへ戻っていった。図書館への道は高架になっていて、波の細かい海が下に見えた。図書館はコンクリート打ちっぱなしのモダンな雰囲気の建物で、入り口のところに何台か自転車が停まっていた。その建物に入ることなく僕はまた自転車で走った。帰りはまた別の雑木林の横を通る道だった。それに似た道をこれまでも何度か夢で見たことがあった。僕の実家の近くの雰囲気なのだが、たぶん実在はしない道だ。そこらへんで目が覚めた。

 一昨日くらいから上昇している気温が、夢のなかの僕をも半袖にさせたのかもしれない。春到来。それどころか今日は暑いくらいで、花粉症の同居人に許可を取ってさすがに窓を開けた。

 マヂカルラブリーのラジオで村上がニンテンドースイッチの「Fit Boxing」を始めたという話をしていた。それを同居人にもいったところ、「ほら、きみもやりなよ」という方向に話が流れてしまった。しかしこれは予想できたことで、なぜならちょうどここ一週間ほど同居人は僕にたいして「Fit Boxing」を始めることをおすすめしてきていたところであり、僕は気乗りがしないので受け流し気味に聞いていたのだが、そんな折にマヂラブの村上も「Fit Boxing」始めたらしいよなんて話をしたら、「ほら、きみもやりなよ」になるに決まっていたのだ。僕はこんなふうに自分にとって都合が悪くなる方向に話を持っていってしまうことがある。しかし、気乗りしないとはいえ、やってみたほうがいいとは思っていたところだったので、ちょうどいい機会だとばかりに購入してやってみた。

 少しやってみてほどよく汗をかいたのでシャワーを浴びて冷たいうどんを食べ、最高の気分に。テレビを見たり本を読んだりして、眠くなって昼寝した。布団をかけない昼寝。

 いまは小島信夫の『美濃』と村上春樹『約束された場所で』を読んでいる。今日は『約束された場所で』のほうを読み進めた。

 夜はルーのカレーにすることにして、夕方に買い出しに出た。こういう気候の日の夕方は最高。Matt Championのアルバムが非常に合う涼しさだった。信号が赤になりそうでも早歩きしたくない、むしろぜんぜん信号待ちしたい、そんな涼しさ。スーパーの近くの広場には犬たちとその飼い主たちが大集合していた。今日はカレーにすることにしたひとが多かったのか、スーパーのルーカレーコーナーが混んでいた。「今日はやっぱりカレーですよね」と思わず見知らぬひとに話しかけそうになったが、そのひとはハヤシライスのほうを手に取っていた。帰り道も信号待ちをした。カレーはうまくできた。ルーはすごい。『光る君へ』を見てからまた「Fit Boxing」をやった。そのあと涼しさに誘われて散歩をした。

 住宅街のなかを中心に歩いた。夜に住宅街を歩くときには不審人物ではなくウォーキングしているひとである感じを出すためにずんずん歩く必要があるが、僕には体重を落とすという目標もあるのでそれでちょうどよかった。夜に散歩すると、自動販売機の数に驚かされる。街灯よりむしろ自動販売機の明かりによって道が照らされているのではないかと思うほどの数がある。そのラインナップにも注目しながら歩いた。ウェルチの濃いぶどうジュースとドデカミンストロングがよく目についた。

 犬がおしっこをしたところに飼い主がペットボトルの水をかけているシーンを二件見た。

 川沿いも歩いて、桜の様子も見た。わいわい賑わっている店の前の桜だけ満開近くまで咲いていて、集客のためにドーピングして咲かせているのではないかとも思った。

ドーピング疑惑のかかった桜