バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

スタンドバイミー

 その夏、わたしたちのあいだで映画『スタンド・バイ・ミーごっこが流行した。といってもわたしたちは十二歳ではなく二十七歳だったし、死体を探しに行っていたわけでもない。映画終盤の「あの頃のような友だちはそのあと持ったことがない」みたいなせりふ、あるじゃないですか。あれをいかにしんみりいえるか、ということを競うゲームをやっていた。

 せりふをしんみり響かせるためには、その前段階として思いきりはしゃぐ必要がある。はしゃぎっぷりがよければいいほど、そのあとのせりふとのコントラストが際立ち、しんみり度が増す。いかにしてはしゃぎ/どのタイミングで/どのような表情で/どのような声色でせりふを発するか、といういくつかの点で工夫しがいがあり、ちゃんとやれば実は競技性の高いゲームなのだ。

 しかしわたしたちには、競技性をさらに高めていこう、とか、業界全体を盛り上げていこう、とか、そのような志はいっさいなかった。部活でもあるまいし。そもそもわたしたちははしゃぎのバリエーションを持っていなかった。はしゃぐとは、わたしたちにとって、夜の公園でブランコに乗って靴飛ばしをやることや、夜の公園でジャングルジムのてっぺんで小さく高笑いをすることだった。とにかく夜の公園でしかはしゃいだことがなく、他のアイデアも思い浮かばなかった。当時のわたしたちはふたりとも会社員として働いていて、それぞれに残業があり、一度家に帰って湿気を存分に吸い込んだ洗濯物を取り込むなどしてから、ジャージに着替え、集まれるのは夜の十時頃のことだった。わたしたちは決まって平日に、週二回か三回ほど集まった。

 ひどく暑い夏だった。昼間の暑さは、日が落ちてからも肌にまとわりつき、錆びついた遊具をもじめっと湿らせた。鉄のにおいがした。

 わたしたちは夜の公園ではしゃぎ、せりふを発し、しんみりした。

 いま思うと、映画内のリバー・フェニックスらはべつになにも考えないではしゃいでいたわけではなく、それぞれに切実さを抱えており、だからこそあのせりふが効果的に響いたのだろう。その夏のわたしたちに切実さがあったのかはわからない。文子ちゃんが切実だったかどうかはわたしにはわからないし、わたしも当時のわたしのことをわからない。切実だった可能性はおおいにある。二十七歳というのはひとが切実さをまとう年齢だ。しかし、仮に当時のわたしたちが切実だったとしても、それとはまったく関係なく『スタンド・バイ・ミーごっこをやっていた。文脈から切り離された「あの頃のような友だちはそのあと持ったことがない」が夜の公園に響き、わたしたちをしんみりさせた。

 せりふをいうのは文子ちゃんの役目だった。それはもともとこのゲームの発案者が文子ちゃんだったからというのもあるし、単純に文子ちゃんのほうがせりふの発し方がうまかったからというのもある。わたしは何度やっても直前まではしゃいでいた余波を引きずってしまい、ほのかな笑い交じりのせりふになってしまうのだった。文子ちゃんは大学時代に演劇をやっていたからか、全力ではしゃいでいるところから急転換して厳かな調子でせりふを発することができた。せりふは文子ちゃんの自由なタイミングで発せられた。ブランコから飛ばした靴が砂山のいちばん高いところに乗って、ふたりとも思わず歓声をあげたその刹那、「あの頃のような友だちはそのあと持ったことがない」。公園の入り口近くに置いてある自販機でポカリを買ったとき、ルーレットが7、7、7、ときて最後どうなるか緊迫の一秒、「あの頃のような友だちはそのあと持ったことがない」。文子ちゃんはぼんやり遠くを見るような顔でせりふを発し、すんとした。せりふが発せられると、わたしもはしゃぎを急いで引っ込め、すんとした。夜の公園に、ばったや鈴虫の鳴く声と、ときおり近くを走る車の音だけが響いた。

 自由なタイミングとはいっても、文子ちゃんがせりふを発するタイミングは、わたしもここだろうなと思うタイミングとだいたい重なった。わたしたちが夜の公園ではしゃいでいると、決定的瞬間といえそうなタイミングが訪れるのだった。決定的瞬間はひと晩に一回しか訪れないこともあれば、四回も五回も訪れることもあった。ふつうに遊んでいるだけだったら気がつかず、なんとも思わないような瞬間が、せりふを発しよう発しようと意識を張ることではじめておもしろいと思える瞬間へと転じる。もちろん、同じ夜を過ごしていてもどの瞬間をおもしろいと思うかはひとによって違うだろうが、文子ちゃんとわたしはたまたま同じ瞬間をおもしろく思うことが重なった。

 八月も終わりに近づいたある夜、今日はすずりちゃんのせりふ聞いてみたい、と文子ちゃんがいった。ほのかに秋のにおいの混じった夜だった。あたし、すずりちゃんの声好きなんだよね、こんなちょっと涼しい夜にぴったりだと思う。そういってくれたのを覚えている。その夜、わたしたちははしゃぎの舞台を砂場に設定した。熱帯夜にはじめじめしていてはしゃぎにくかった砂も、その夜はさらさらしていて、月の光を受けてかすかに光っていた。どこかの子どもたちが昼間に遊んだまま忘れていったのだろうか、砂場にはショベルカーのおもちゃが五台も置いてあって、それを使ってわたしたちは大掘削工事を進めた。砂場からはビーズ、しゃぼん玉を吹く棒、グミのごみ、金のイヤリング、ファミレスでレシートを丸めて入れる透明の筒、シャネルの香水瓶、ブラックパンサーのマスク、入道雲のミニチュア、石油、鯨の心臓、瓶にホルマリン漬けになったガラケー縄文時代弥生時代のあいだの幻の時代の土器が次々と出土した。

 なにかが出土するたびにせりふを発すべき決定的瞬間であるように思われた。しかしためらっているうちにもう次のものが出土してしまう。いつまでも入れない大縄跳びのようだった。これ、止まらないね、これじゃ火炎大縄跳びだね、と文子ちゃんもいってくれた。文子ちゃんとわたしの感性が似ているのであれば、文子ちゃんも今夜は決定的瞬間を見極めるのに難儀しているはずだった。わたしは次から次へと現れる出土品に戸惑いながらも、この状況を文子ちゃんと共有できているのがうれしかった。わたしが頭のなかで思っていたのと同じたとえを使ってくれたのもうれしかった。正確にいうとまったく同じというわけではなく、文子ちゃんはなぜか縄跳びに火炎をまとわせていたが、でもいまそんなことはどうだっていい。わたしがそのあともタイミングを見つけられず、けっきょくせりふをいわなかったこともどうだっていい。その夜を境にわたしたちの集まりがめっきり減り、いまとなってはどこでなにをしているのかお互いに知らなくなっているのもどうだっていい。とにかくそのとき、文子ちゃんとわたしは、止めどなく出土するわけのわからないものたちを前に、戸惑いながらも、ほんとうのはしゃぎを体験していた。