バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

フミコちゃんのゲーム2

 フミコちゃんがひとの自転車のライトを勝手に点けるゲームにはまってしまって、わたしはひやひやする。コンビニの外、焼肉屋の外、スパゲッティ屋の外、まいばすけっとの外、いろんな店の外に止まっている自転車のライトを、昼も夜も関係なく、フミコちゃんは点けて歩く。それはゲームとはいわないよ、とわたしは思う。フミコちゃん、それはゲームとはいわないんじゃない、とわたしはいう。「え、なんで」とフミコちゃんはいう。「なんで。こいつらがルール違反してるんじゃん。歩道に自転車止めちゃいけないでしょ。邪魔だし、つまずいて怪我したりしたらさいあくじゃん。だからわたしはライトを点けて罰を与えてる。ちょっとでも電池消費させたらわたしの勝ち」。そういいながらフミコちゃんは鍵屋の外に止まっている自転車のライトをさらっと点ける。歩道に自転車を止めてるひとたちが悪いとして、フミコちゃんにそれを断罪する権限はないんじゃない、とわたしは思う。わたしはそのことを口にしかけて、でもやっぱりやめる。フミコちゃんだってそんなことは百も承知で、そのうえでこれをゲームとして楽しんでいるのだ。フミコちゃんがこれをゲームとして心底楽しんでいるのだということは顔を見ればわかる。なにかに熱中しているとき、フミコちゃんは下唇の片端を咬む癖がある。フミコちゃんの下唇はいま猛烈に咬まれて、歌舞伎のひとみたいになっている。

 フミコちゃんがひとの自転車のライトを勝手に点けてゆくのなら、わたしはそれを消してゆこう、とわたしは思う。だって味方と敵に分かれてこそ、よいゲームじゃないの。点けるフミコちゃん、消すわたし。幼なじみのふたりが敵対してしまうという設定も、いかにもという感じがして楽しいじゃないの。

 フミコちゃんが千円カットの店の前に置いてある自転車のライトを点ける。ふははは、むだだよ、なんていいながらわたしはそれを消す。悪役の笑い方じゃん、と自分でおもしろくなって、わたしはちょっと吹き出す。頭のなかから悪役に関する乏しいイメージを引っ張り出して、架空のマントをはためかせたりしてみる。ところがフミコちゃんはちっともおもしろそうじゃない。フミコちゃんは「は?」といってわたしが消したライトを再び点ける。わたしはそれをすぐさま消す。むだだといっておろうに。「は? マジでそういうのいらないんだが」とフミコちゃんがいう。フミコちゃんは若干キレている。あ、マジか、とわたしは思う。

 フミコちゃんごめん、と、わたしは反射的にフミコちゃんに謝る。ライトを消すために伸ばした左手が、行き場をなくしてゆらゆら揺れる。フミコちゃんはライトに手をかけたまましばらく黙っている。わたしにはその時間がとてつもなく長いように感じられる。ラーメン屋さんの麺固めぐらいだったら茹で上がっちゃうよ、というほどの時間が流れ、やがてフミコちゃんがため息混じりに口を開く。「スズリちゃん、こっちこそちょっと大きな声出してごめん、でもわたし、ときどきスズリちゃんがなにしたいのかわかんなくなる」とフミコちゃんはいう。ふむ、とわたしは思う。ようするに、これはフミコちゃんのゲームであって、わたしのゲームではなかったのだ。フミコちゃんと、自転車の持ち主たちとのゲームだ。わたしの入る隙は端からない。フミコちゃんごめんね、とわたしはもう一度フミコちゃんに謝る。「まあいいけど」とフミコちゃんはいう。「二度とやらないでね」

 フミコちゃんってときどきいいすぎるところがあるよな、とわたしは思う。二度とって。え、じゃあ次やったらどうなるの、とわたしは思う。絶交? でもわたしはフミコちゃんと絶交なんてしたくないので、もうやらない。それからフミコちゃんとわたしは黙ってただ歩く。フミコちゃんが世界中の自転車のライトを点け終えたとき、わたしはフミコちゃんの横で亡霊となっている。最後の自転車の隣で、フミコちゃんは感慨に浸る。遠い水平線上にいま朝日が昇ろうとしている。いままで点けてきた自転車のライトをすべて合わせたくらいの眩しさだ、とフミコちゃんは思う。亡霊のわたしもそう思う。フミコちゃん、全クリおめでとう、とわたしは思う。