バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

小指に風

 河川敷の空気は澄んでいる感じがする。半分乾いたような草のにおいも、川の流れも、向こうの陸橋を走る電車の乾いた音も胸に迫ってくる。それらをまとめて、苦しくなるほど吸い込むのがジゴロウは好きだった。苦しさのなかにこそときおり生の実感が宿る、ということをジゴロウは小学五年生にして知っていた。ハミスケくんもそのことを知っていた。そんなませた小学五年生どうしで結成したのが漫才コンビ・小指に風だった。

 公園だと他の子たちも遊んでいて恥ずかしいから、ネタ合わせは河川敷でやるようにしていた。「人前に出してもいいレベルんなったら、公園行こな」とハミスケくんはいった。漫才というのは関西弁でなされるべきである、という観念がハミスケくんにはあるらしく、生粋の千葉生まれ千葉育ちにも関わらず、ジゴロウとふたりきりになると関西弁を使った。関東弁でもいい漫才はたくさんあるとジゴロウは知っていたが、ハミスケくんにネタを書いてもらっている手前、「そうだね」というしかなかった。

「転校生のネタの最後、先生が怒って窓から飛び降りてまう、っていうオチにしようと思うねんけど、どやろか」

「急に怖くないかな、いいのかな」

「笑いっていうのは緊張と緩和やねん」

「じゃあいいのかな」

 ハミスケくんは緊張と緩和というのをどこかで聞いてきていらい、ことあるごとに使っていた。ジゴロウは緩和という言葉をよく知らないが、冬の寒い日に体育館から教室に戻ったときに、頬のこわばりがだんだんほどけていくような感じのことだろうと推測している。でもハミスケくん、そのオチだと緊張だけで緩和がないまま終わっちゃわないかな、とジゴロウは思うが、ハミスケくんにネタを書いてもらっている手前、「なるほどね」と小さく呟くしかできない。ハミスケくんは「なるほどねてなんやねん」と空手チョップでツッコんで、「ほなオチ変えて一回合わせてみよか」ともういきなり合わせるムードに持っていく。「そ、それは急じゃないかな」というジゴロウだが、その自信なさげな表情とは裏腹に、驚くほど口が回る。さっき思いきり吸い込んだ河川敷の空気を、丸ごと吐き出すかのようにジゴロウはボケ続ける。ハミスケくんの新しい提案どおり、怒った先生が窓から飛び降りてネタはとうとつな幕切れを迎える。河川敷がしんと静まりかえる。ジゴロウの真に迫った怒りの表現はハミスケくんの想定をはるかに超えて身体の芯から震えさせる。

 そんなふうにできればかっこよかっただろうな、とジゴロウは思う。実際は自信のなさがネタにそのまま表れ、先生も最後中途半端な感じで飛び降りて、緊張なのか緩和なのかどっちつかずになる。「すまん、やっぱ元に戻そか」とハミスケくんがいい、ジゴロウは申し訳ないと思う。そんなふうにハミスケくんに気を使わせてしまったこと、ハミスケくんが思い描いていたであろう形に持っていけなかったこと、小指に風がこの後もいい形に仕上がらず、けっきょく公園のみんなの前で漫才を披露する段階まで行けないこと、それでもハミスケくんがジゴロウの成長を信じて中学三年生までコンビを組み続けてくれること、そんなハミスケくんのことを一瞬でもうざいと思ってしまうこと、いろいろなことを、ジゴロウは申し訳ないと思う。ハミスケくんからしてみれば、ジゴロウと一緒に小指に風として過ごした時間もかけがえのないもので、ジゴロウが申し訳なく思う必要なんて少しもないのだが、しかしジゴロウがハミスケくんのことをうざいと思っていたと知ったときにはさすがに怒る。「それはちゃうやろ」とハミスケくんはいう。その怒りを燃料に変えて、やがてハミスケくんは峠の走り屋になる。相変わらず緊張だけで緩和のないひとだ、とジゴロウは思う。