バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

バナナ・フットボール

 恵比寿ビアファイターズ対日暮里イケイケボーイズ、立ち上がりからタッチダウンに続くタッチダウンで名試合の予感! ロングパスにはロングパスで返す! ベテランからルーキーまで、全オフェンス躍動! 両者一歩も譲らぬまま、前半終了時点で三十五対三十五! しかし後半はどちらもディフェンスを立て直し、一ヤードたりとも許さない! パント、パント、パントに次ぐパント! そんな膠着状態を打開したのは恵比寿ビアファイターズ、第四クォーターに入り、トリックプレーでフリーになったレシーバーにクォーターバックが弾丸パス! そのまま四十ヤードを走り抜いてタッチダウン

 七点差を追う展開となった日暮里イケイケボーイズ、ランで堅実にヤードを削りながら、ポイントでショートパスを通す! そしてエンドゾーンまであと二十ヤード、試合時間は残り一分四十秒、タイムアウト残り一回。野球でいえば九回裏……! サッカーでいえば残り五分……? しかしなんとここでクォーターバックの僕、トイレに行きたくなってしまう……!

 まずい……!

「ご、ごめん、トイレ行ってもいいかな……」

 僕は横にいるキンジシくんに伺いを立てる。キンジシくんからすれば、僕のトイレ事情なんて知ったこっちゃない。目の前の試合に集中している。彼は僕のほうを見ずに「いいんじゃない」と、ほとんど口を動かさずにいう。そりゃ試合の方が大事だろう。僕がトイレに行こうが行くまいがどっちだっていいに決まっている。試合終盤のこんな大事な場面で僕に出番が回ってくることなんてあるわけがない。なにせ僕は控えのクォーターバックなのだから……

「ご、ごめん、じゃあ僕、トイレ行くね!」

「うっす」

 僕は冷えたお腹をおさえながら、グラウンドから少し離れたところにある仮設トイレに向かう。試合の行く末は気になるけれど、いまの僕には、サイドラインで固唾を呑んで見守っていることなんてできない。呑んだ固唾が最後のきっかけとなって、もれちゃうかもしれないから。チームのみんなには申し訳ないけどいまの僕はこうするしかない。そもそもサイドラインっていうのはお腹が冷えるんだ……

 僕がトイレでうんうん唸っているととつぜんドアが叩かれる。

「ヨコバエくん! ヨコバエくん出てきて!」

 ハラマキくんの声だ。ハラマキくんもサイドラインにいてお腹を冷やしてしまったのだろうか。

「ハ、ハラマキくん」

「ヨコバエくん! いますぐ出て!」

「ごめんハラマキくん、僕もお腹痛くて……」

「ヨコバエくん違う! ヨコバエくん、いますぐ試合に出てもらわないと!」

「え?」

「コミダシくんが怪我したんだ!」

「え、僕たちのエースクォーターバック、コミダシくんが……」

「だからヨコバエくん、早くトイレから出て、タッチダウンパスを投げてくれ……」

「そ、そんなこといわれても、そんな、すぐには出られないよ……」

「ヨコバエくん、頼むから……!」

 でも、そんなすぐには出られないよ……! だって、サイドラインで冷えきった僕のお腹はまだ回復していないし、アップだってしていないようなものだし……、土壇場の同点タッチダウンパスなんて決められるわけないし、そもそも試合出るつもりで来てないし……、あと、今日のさそり座はぶっちぎりの最下位だっていうし……。まさか僕たちのエースクォーターバック、コミダシくんが怪我するなんて……、いったいどうして……

「ハ、ハラマキくん……」

「ヨコバエくん、まだ? 頼むよ、時間ないよ!」

「でも僕……」

「ヨコバエくん! こんなときのために練習してきたんだろ!」

「でもお腹が……、あ、ハ、ハラマキくんだってクォーターバックの練習してたじゃない……」

 そういってしまってから、僕はしまったと思う。「あ」と思わず声を漏らしてしまったけれど、それが仮設トイレの壁に反響して、外のハラマキくんにまで聞こえたかどうかはわからない。僕は息をひそめる。ちょっと離れたグラウンドのざわめきと、このトイレのすぐ外に立っているはずのハラマキくんの沈黙が聞こえる。沈黙が聞こえるだなんて、我ながら詩的な表現をしてしまったものだと思うけど、でもそうとしかいえないんだ、この沈黙は……

「ハ、ハラマキくん……」

「………………」

「ハラマキくん、僕、そんなつもりじゃ……」

「………………」

 

 けっきょくそのままハラマキくんが沈黙を破ることはなく、僕がトイレから出ることはなく、フミハラくんが代理でクォーターバックに入って、でもそんな急ごしらえのクォーターバックタッチダウンパスが決められるわけもなく、日暮里イケイケボーイズは負けた。でも、僕が出ていたところで負けていただろうし、もちろんハラマキくんならもっといわずもがなだ。僕たちのエースクォーターバック、コミダシくんが怪我をしてしまった時点で、もうイケイケボーイズの勝ちの線は消えていたのだ。ちなみにコミダシくん、どういうわけかフィールド内に落ちていたバナナの皮で足を滑らせて怪我してしまったらしい。なんの因果か、僕がその日の朝食べて、おそらく腹痛の原因のひとつとなっただろうものもバナナだった。教訓;バナナを侮るなかれ。