バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

ドライブ1

 ニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』に、ニチレイの冷凍食品をレンジでチンしている間リスナーからの投稿を読み上げる、というコーナーがあって、そのコーナーのこないだまでのテーマが「怒ったわけでもおもしろかったわけでも悲しかったわけでもないのになぜか忘れられない記憶」だった。

 

 小学生の頃、家族で九十九里のほうまでドライブに行きました。ふだんどちらかというと寡黙だった父が、海が見えた途端にカーステレオでサザンを流し始め、一曲終わったところで止めて、まあ、海といったらサザンだしな、とだけ呟いたあとの、何故だか車内の誰も言葉を発しなかったあの一分間、きらきら光る海が窓から見えていたことが忘れられません。

 

 そういう類の記憶。

 次々と読み上げられ、電波に乗せられてゆく知らない誰かの記憶たちを、いいなあ、と思いながら聞いていた。読み上げながら、あー、こういうことあったよなあ、俺もさあ、と自分自身の記憶と紐づけて話を展開する若林を、すごいなあ、と思いながら、僕自身はひとつも記憶を引っ張りだすことができないまま、何週間かが過ぎ、メールテーマは変わってしまったのだった。

 振り返ってみれば僕自身にはそういう類の記憶がなくて、というか少なくとも思い出せる範囲にはなくて、もしかしたらどこかに手つかずのまま眠っているのかもしれないけれど、とにかくぱっと引っ張りだせる範囲にはない。

 でも、過去は語りなおすことができる。時代そのものを書き換えることはできないかもしれないけれど、個人の過去は語りなおすことができる。たとえば、スマホに入っているいつか撮った写真を眺めながら、たしかこうだったような気がする、もしかしたらこうだったかもしれない、と、ありえたかもしれない記憶を引っ張りだすことができる。いまとなってはどうして撮ったのか忘れてしまった写真であっても、シャッターを切った瞬間にはシャッターを切るだけの感情の動きがあったはずで、その瞬間に立ち戻ろうとすれば、過ぎ去った感情をもう一度手繰り寄せることができる。そうやって僕自身の「怒ったわけでもおもしろかったわけでも悲しかったわけでもないのになぜか忘れられない記憶」を語ってみることができる。

 

 

 

 

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  友だちと旅行していたときの写真。

 

 その街にはどうしてかこういう展望台みたいなものが屋上からニョキっと生えている建物が多かった。前の日に街に着いたときにはもう夜だったので気がつかなかったけれど、次の日、ゲストハウスを出て辺りを見回してみると、五階建てくらいのいくつもの建物の上に、こういう展望台みたいなものが生えているのだった。その街には、1970年代に様々な分野の作家が集まって暮らしていたコミューンの跡地があって、そこを見に行くつもりで来たのだったけれど、その朝、僕たちは展望台にすっかり気を取られてしまった。ひとつならまだしも、見える範囲でも十に近い展望台がその街にはあった。

 展望台のひとつを見上げていると、ふいに後ろから

 あれ、入れんねんで

 と話しかけられ、振り返れば、自転車に乗ったおじさんが去っていくところだった。おじさんはそのまま一度も振り返ることなく、建物と建物の陰に消えていった。えらく痩せ細ったおじさんだった。

 

 その日、けっきょく展望台の謎を放置したまま目的のコミューンの跡地を見に行って、そのあと入ったカフェでアイスカフェラテをすすりながら、

 入れんねんで、って、入れる、と、入れない、のどっちだっけ

 と友だちが呟いたのを、ずっと覚えている。たしかに、と妙に強く返事したのも覚えている。

 

 

 

 

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 『世界の奇妙な木を見に行く2泊3日』と題されたツアーで、連れていかれたのが山梨の山中湖の近くだったから、驚いちゃった。

 世界、近くない?

 でも、たしかにバスの外に流れる景色の中には奇妙な木がたくさんあって、奇妙な木に囲まれちゃってる家とかもあって、こういう木に囲まれた暮らしって、どんなんだろうな、って考えこんだ。でも、いくら考えてもそういう暮らしがいっこうに想像できなくて、そういうひとって何色のパンツ穿くのかな、とか、悲しいときには素直に悲しいって言うのかな、とか、なんか細かいことばかりが気になってしまって、でも、それらの疑問に答えてくれるひとなんていないままツアーは終わっちゃって、私は家に帰った。

 

 

 

 

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 何人かでレンタカーを借りて出かけた日の、帰りの車内。用意してきたプレイリストもひと通り流し終えて、とりあえず二周目をシャッフル再生している。濡れた靴も靴下も、とりあえずそのまま履いている。氷も溶けきって限りなく薄まったカフェラテを、手持ちぶさたそうにすする。スピーカーはちょうど星野源を流していて、誰かが、あ、ふつうに星野源のアルバム聞こうよ、と言う。