日記(ひとり暮らし掌編)

 三か月も経つと、ひとり暮らしにまつわる様々なことがはっきりわかってきた。洗濯や炊飯がそんなに難しくないということがわかった。ただし、料理はとてつもなく難しいということがわかった。魚の骨をシンクまわりに放置したままにするとひどく臭うことがわかった。『ドキュメンタル』はひとりで見るとしんどいが、ふたりで見るととんでもなく笑ってしまうものだということがわかった。ひとり暮らしのことはほとんどすべてわかった。部屋のなかでときどき蜘蛛を見かけるが、見なかったことにしてしまえばいないも同然だということもわかった。しかし、蜘蛛は実際にいる。それは仕方のないことだし、蜘蛛は益虫だと言われたりもするので1匹くらいはいてもいいか、と思うことにする。寝室の壁に蜘蛛を見かけた何日かあとに、今度は風呂場で見かけたり、その次は台所でも、玄関でも見かけたりすることがあるが、そういうときはすべて同一の蜘蛛だと思うことにする。家のなかに何匹も蜘蛛がいると考えるよりは、1匹の蜘蛛が自由に動き回っているということにしたほうが、平和なので。蜘蛛以外にも、ときどき、謎の小さな羽虫が水まわりで飛んでいることがある。そういう羽虫はだいたいの場合2匹以上でいる。僕は誰かにひどく殴られて、目の焦点がなかなか合わず、1匹が2匹に見えているだけだ、と思うことにする。これも蜘蛛の場合と同じく、そう思ったほうが平和なので。

 

 

 ひとりで部屋にいると、ときどき、できるだけ変なことをしてみたくなる。想像しうるかぎり、そして実現しうるかぎり、最も奇妙で、薄気味悪いことを。誰にも見られていない、という認識がそういう気持ちを引き起こすのだろうか。あるいは、僕自身のなかにもともと備わっていた奇妙な癖のようなものが、ひとり暮らしを始めたことによって顕在化しようとしているのだろうか。それとも、このあたりの住宅に供給されている水道水になにかそういう妙な気持ちを副作用的に誘発する化学物質が含まれていたりするのだろうか。いずれにせよ、奇妙で薄気味悪くて、とてもひとには見せられないようなことを、この僕ひとりの部屋でしてみたくなる。ヘッドフォンで音楽を聴きながら、うねうね踊ってみたりする。ベッドから床に垂れ下がるように横たわって、よだれも垂れるにまかせたまま、死んだふりをしてみる。直立不動のまま3時間も本を読んでみたりする。いずれも「想像しうるかぎり、そして実現しうるかぎり、最も奇妙で、薄気味悪いこと」からはほど遠くて、僕は自分の想像力のなさに情けなくなる。しかし、まあこんなものだろう、という気もする。なにしろ、ひとり暮らしを始めてからまだ3か月程度しか経っていないのだから。僕のなかで「想像しうるかぎり、そして実現しうるかぎり、最も奇妙で、薄気味悪いこと」が熟成されるには、時の流れが足りなさすぎる。

 

 

 ひとりで部屋にいて、音楽を聴かず、本も読まず、ただぼうっとソファに腰かけていると、部屋の外を往来するいろんな音が明瞭に聞こえる。どこかで子どもを叱っている母親の怒鳴り声、どこかで1時間ごとに鳴っているアラームの音、マンションのどこかの部屋のチャイムが鳴らされる音、どこかで誰かが痰を吐き捨てる音、いずれも、この部屋ではないどこかで起きている何らかの出来事にまつわる音。雨の日には、これらの音すべてが雨音にコーティングされる。部屋の外で起きているあらゆる出来事が、湿り気を帯びる。そこには、若干のもの悲しさとともに、ある種のおかしさのようなものが伴う。雨降る日に叱られている子ども。雨降る日に1時間ごとに鳴るアラーム。雨降る日に誰かを訪ねてくる誰か。雨降る日に吐き出される痰。

 土曜日の昼間に雨が降って、どこかに出かける気も起きずに部屋でカップ麺をすすっているとき、いまとつぜん知らないひとがやってきたりしたらおもしろいのに、と思ったりする。部屋のチャイムがとつぜん激しく鳴らされ、その有無を言わせない強さに、僕は思わずドアを開けてしまうことになる。ドアの外には屈強な熊が立っていて、や、失礼失礼、と人間のことばを発しながらズカズカと部屋に踏み込んでくる。濃い茶色の体毛におおわれたいかにも熊然とした身長2mほどの熊が、器用に直立二足歩行をしている。熊は土足で部屋のなかを歩き回り、僕はその様子を見て、熊って意外に静かに歩くんだな、と思う。熊は本棚やクローゼットを物色して、や、なるほどなるほど、とつぶやきながら、爪の伸びた手であごを器用にさする。爪の伸びた手で、一冊の本も傷つけることなく、一枚のTシャツも破くことなく、次々に取り出して眺めては元あった場所に戻していく。熊は洗練された所作でなにやら捜査を進めていく。

 僕は部屋の入口に立って熊の挙動をぼんやり見ている。

 テレビ周りを捜査していた熊は振り返って僕に言う。

 や、申し訳ございませんが、9000円徴収させていただくこととなりますな。

 僕は熊が言ったことについて考える。9000円?

 熊は続けて言う。

 9000円徴収いたします。いま頂戴いたします。現金のみ。や、言い逃れや後払いは認めていませんので。すみませんが、あたしも急いでいますもので。ぱぱっとお支払いいただけると助かりますな。

 しかし、熊さん、いや、あの、なんとお呼びしたらいいものか。

 ハマダ、とお呼びください。

 はあ、ハマダさん、でも、あの、その9000円なんですけども、いま手元にたしか900円くらいしかなくて、いますぐに払うというのはちょっと……。

 900円ですと。あなた社会人でしょう。社会人が手元に900円ぽっちしか持っていないとは、いったいどういうつもりでしょうか。あなたはいいかもしれませんが、社会はそれを良しとしません。いや、いいわけがない。あなたひとりで生きているんじゃない。みんなでこうやって、作り上げているのが社会というものなんですから。自分は900円持っていればいいなんてそんな勝手な態度は許されないんですよ。あたしも長くこの徴収の仕事をやっておりますが、あなたみたいに身勝手なひとというのはそうめったにいるもんじゃない。まったく呆れかえりますな。では、失礼します。

 カナダの森のように深みのある声でひととおりまくしたてた熊は、おもむろに玄関のほうへ戻って、最後にもう一度、では、失礼します、と言って出ていく。

 僕は本棚やクローゼットをひととおりチェックして、そこに熊の痕跡のようなものがまったく認められないことを確認する。においも、毛の一本も、残されていない。部屋は、熊が来る前と比べて、はるかに静かで、広いように感じられる。雨音だけ響くなかに、もの悲しさと、ある種のおかしさのようなものが漂っている。

 

 

 仕事を休んだある日の夕方、窓から射し込んでくる光が壁に当たり、そこらじゅうにはね返って、彼の部屋のなかは信じられないほどの橙色におおわれた。部屋のなかのすべてが芯から橙色に染まった。朱色、紺色、象牙色、たんぽぽ色、色とりどりの背表紙が並んでいた本棚も、とっくに乾いているのに吊るしっぱなしになっていた洗濯物も、壁に貼っていた台湾映画のフライヤーも、彼が見ていたテレビの画面も、何もかもがあたたかな橙色に包まれた。どうしてそんなところにまで光が行くのかわからないようなところにまで、ほんとうに部屋の隅々にまで橙色は広がった。橙色っぽい色を形容することばを、「橙色」しか知らないのが悔やまれるほど鮮やかな橙色だった。

 彼は『耳をすませば』を見ていた。雫が聖司と連れ立って夜の町を歩いているシーンでいきなり画面一面が橙色に包まれた。ずいぶんとがったアニメーション表現だと驚いてテレビから目を離すと、あっという間に部屋じゅうが正体不明の橙色におおわれていくのが見えた。これはただごとじゃない、と映画を停めて身構えたけれど、窓の外で風がすうっと吹くばかりで、なにも起こらなかった。ただのよくある夕方に過ぎなかった。ただのよくある夕方だったけれど、この世界が彼に対してそんなにきらめいてみせたのははじめてのことだった。平日に家にいるとこういうことが起きるのか、と彼は思った。仕事になんて行くのはもうよそう、と彼は思った。

 次の日、仕事からはやめに帰って来たので、彼は恋人を家に誘って、ふたりでソファに座り、昨日と同じ時間になるのを待った。

 ねえ、なにが起きるの。

 いいから、ちょっと待っててみ、や、あと10分くらいだと思う。

 えー、なんだろう。

 ふふふ。

 およそ15分後、けっきょく、彼の部屋は昨日のような鮮やかな橙色にはならず、よくある範疇の夕陽が差し込んできたに過ぎなかった。

 えー、すごい。きれい。すごいきれい。

 でしょ。すごいきれいなんだよ、この部屋。夕方。昨日気づいたの。

 でも昨日のほうが、と言いかけたことばを飲み込んで、彼は恋人と部屋を出て駅前までラーメンを食べに行き、にぎやかな居酒屋でレモンサワーを何杯か飲んで、はやめに帰ってきてすることをして、シャワーを浴び、なんだか眠いしもう寝ようか、という段になってもまだ恋人は、ねえ、ほんとにきれいだったね、夕方、と言っていた。そうなると、たしかに今日の橙色も昨日の橙色に負けず劣らずきれいだったような気がしてくるな、と彼は思った。やはり仕事になんて行くのはもうよそう、と彼は思った。

 

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