バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

日記(カヤホガ)

 僕が最初に自分で買ったCDは、R.E.M.の『グリーン』というアルバムだ。といっても、そもそもこれまでそんなにCDを買ってきた人生ではなかったし、この『グリーン』だって古本屋で300円くらいで買ったCDだ。

 僕が最初に自分で買ったCDは、だなんて高らかに話しはじめるのはおこがましかったかもしれない。

 とにかく、中学生のときにR.E.M.の『グリーン』を買った。R.E.M.の長く豊かなキャリアにおいてこのアルバムがどれほどの立ち位置なのかはわからないが、他のアルバムよりほんのちょっぴりへんてこぐあいが高めで、適度に政治的主張を含みつつ、R.E.M.らしい土台のしっかりしたポップなギターロックが鳴っていて、なかなかいいのだ。そもそも一曲目からして、“Pop Song 89”だもんね。“Get Up”における溌溂としたコーラス。“Stand”のどこか遊園地のようなサウンド。しかし特に後半にかけて、実はどちらかというとどんよりした曲の方が多い。

 

 今みたいに検索窓に打ち込めばなんだって聴ける時代になる前、つまりもうかれこれ300年くらい前のことになるのだろうが、僕はブックオフやどこそこの古本屋でときどきCDを買っていた。その細々とした集積の結果がいまも僕の部屋にはあって、ラインナップのなかにはさっきの『グリーン』に加えて、『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』と『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』、合計3枚のR.E.M.のアルバムがある。

 つまり、僕はどういうわけかR.E.M.が好きなのだ。

 どういうわけだろうか。

 R.E.M.はよくその歌詞が文学的だなんていうふうに評価されているみたいだが、当時中学生だった僕が歌詞から入ったなんてことはない。いまでこそ歌われている内容を多少なりとも気にするようになったが、中学生の頃なんて、知っている英単語といったら“Hello”と“Sorry”と、ちょっとエッチな言葉くらいのものだったのだから。では、歌詞じゃない部分でR.E.M.のどこが中学生の僕を惹きつけたのかというと、その土台のしっかりしたバンドサウンドと、しっかりしつつキラキラしたメロディと、マイケル・スタイプの声だろう。

 少しざらついていて、あたたかみのある声。“声に説得力があるロック・ミュージシャン”として、デヴィッド・ボウイと並び称されている。

 “We can be heroes, just for one day”と歌ったデヴィッド・ボウイ、“Don’t let yourself go, `cause everybody cries, and everybody hurts sometimes”と歌ったマイケル・スタイプ

 

 しかし、バンド初期のマイケル・スタイプの歌唱はボソボソとしていて、アメリカ人でも何を歌っているのかわからなかったそうだ。いずれかのアルバムのライナーノーツにそう書いてあったはずだし、日本語版のWikipediaにも書かれている。

「インディーズ時代;アルペジオを多用したギターサウンドと、メロディアスなベースラインが特徴である。/この時期の作品には歌詞が一切掲載されておらず、スタイプの歌唱も聞き取りづらかった為に、「アメリカ人でも殆ど何を歌っているのかわからない」と言われたほど。」Wikipediaより)

 初期というのがどれくらいまでのことを指すのかわからないが、1枚目のアルバム『マーマー』のときにはたしかになんとなくボソボソ歌っているように聞こえる。しかし、僕が持っている3枚のうち最も古い『グリーン』の頃にはすでにボソボソ期を脱していたようだ。かなり聞き取れる歌唱というか、正確に言うと、僕は聞き取ることはできないけれどこれがもしアメリカ人だったら聞き取れているだろうな、という感じの歌唱になっている。そのあとのアルバムも同じだ。僕はいつまで経っても断片的にしか聞き取れないけれど、アメリカ人だったら聞き取れていそうな歌唱。

 

 *

 

 僕はそんなにきちんとしたファンではないので、きちんと聴いたとはいえないアルバムもいくつかあるのだが、最近になって『グリーン』の2つほど前の『ライフズ・リッチ・ページェント』というアルバムがとんでもなく素晴らしいということに気づいた。『グリーン』で遊園地じみる前の、直球のギターポップ西日暮里駅で降りて、西日暮里公園を通ってそのまま谷中銀座の上へと抜け、朝倉彫塑館を左手に見ながら進めば谷中霊園の出口と合流し、上野桜木の細っちい歩道をおそるおそる這い、やがて芸大前、上野公園へと開ける道を歩きながらこの『ライフズ・リッチ・ページェント』を聴いて、その老成したみずみずしさ、とでもいうべき音に心酔してしまった。

 このアルバムもまた、ボソボソ期を脱しているように思う。マイケル・スタイプは多くの単語をはっきりと発音しているし、後期に見られるような説得力をはやくも手にしている。ところが、何曲目だか、イントロのベースラインが心地よく、老成とみずみずしさがまさしく同居する曲の、サビといえそうな部分にさしかかったとき、まったく聞き取れない箇所が出てきたのだ。それはもう、言葉を失うくらい聞き取れなかった。

 これが例のボソボソ歌唱か! 脱したんじゃなかったのか?

 

 そんなに大した話でないので結論から述べると、曲のタイトルが“Cuyahoga”というオハイオ州の地名になっていて、それがサビでも繰り返されていた、というだけだ。それがわかってから聴くと、たしかに「くやーほーがー」とはっきり発音している。まったくもってボソボソ歌唱なんかではない。なるほどねえ、地名というパターンか。

 

 *

 

 ようするに、「R.E.M.の曲でまったく聞き取れない箇所が出てきて、これが初期のボソボソ歌唱ってやつか、と思ったけれど、調べたら聞いたことのない地名を歌っているだけだった」というだけの話がしたかっただけなのだが、こういう、意味も教訓もなく、誰の興味も惹かないような話を書き残すことができてよかったです。そういう話って、ふだん、行き場がないから。

youtu.be

  ”Cuyahoga”、ほんとうにいい曲なのでぜひ聴いてください。