日記(2月5日)

 

 散歩もいいが、たまにサイクリングするのもたまらなく楽しい。自転車で都内を走ると途端に冒険アドベンチャーになる。しかし車どおりの多い道をサイクリングするのはやはり少し怖くって、方角になんとなくあたりをつけながら、裏道へと逃げてみる。

 大通りの轟々から解放され、静けさのなかにカラカラ回る車輪の音が耳を打つ。

 裏道というのはちょっと曲者で、大通りに並行していると予想して進むといつの間にやらまったく違う方向に逸れてしまっていたり、どうもだんだん先細っていくようだぞ、不安不安、とおそるおそる進むと案の定行き止まりだったりする。そういうとき、徒歩と違って自転車のいいのは、引き返しやすさ。けっこう進んだのに実は間違った道だったとき、徒歩だと膝から力が抜けてやんなっちゃうでしょ。自転車ならば、くるっと回って、すいすい戻る。

 

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 自転車だと徒歩よりフットワークが軽くなるため、ほんとかよ、っていうような裏道にもズンズコ入っていける。ほんとかよ、っていうような裏道沿いにはやはり、ほんとかよ、っていうようなものが建っており、置いてある。信じられないくらい安いビジネスホテル、そこだけ妙に咲きほこった黄色い花、落ち着きはらったゴミ屋敷、異界のバイク、

 

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 異界のバイク!

 

 確かめるまでもない。いかにも異界っぽいバイクである。一目見て、こりゃこの世のもんじゃねえな、と悟った。異界のバイクがあるということは、おそらく僕は異界に来てしまったのだろう。気まぐれにサイクリングなんてしたのが良くなかった。徒歩と違って自転車の危ないのは、こういうところにある。異界にもズンズコ分け入ってしまうような、フットワークの軽やかさ。

 

 異界といっても表面的に何か大きく変わるわけではない。さっきのバイクみたいなものは極端な例であって、ほとんどのものの見た目や音やにおいは現実世界と変わらない。変わらないけれど、ただなんとなく、しかし確かに何かが違う、そういう感触が湿った肌にまとわりつく。何か違うのは僕の方なのかもしれないという気もする。白っぽくて、はっきりしない楕円形の濃い雲が、眼の裏あたりに棲みついて離れないような。上下の歯の噛み合わせが不可逆的にずれてしまったような。車輪のカラカラ回る音も、薄くてすべすべした紙が挟まって聞こえるような。この手もこの足も、ぬるっとして、ぐにゃっと曲がる石膏でできているような。

 

 しかし自転車はすいすい進む。ペダルを漕ぎ続けることは異界でもどうにかできるのである。そうやってどこかが決定的に変わってしまった世界を漕ぎ進むうち、代々木公園に着いた。

 異界と言えど、公園の中をサイクリングするのは気持ちがいい。

 大きな公園の多分に漏れず、代々木公園にもサイクリング専用の道が用意されている。せっかく用意されていることだし、現実世界に戻る何かの手掛かりが得られるかもしれないので、アスファルトに「サイクリングコース歩行禁止」と白く印字されたその道をさっそく走ってみる。

 

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 気持ちがいいことにはいいけれど、しかしそれはサイクリングそのものの持つ本来的な気持ちのよさに過ぎず、このサイクリングコースはそこに何も寄与していないみたいだ。そう感じはじめると、いっちょまえにくねっているのも、なんだかシステマティックでわざとらしいように思えてきてしまう。ペダルを漕ぎ続けてはいるものの、ぬるっとした違和感は一向に消えることなく、さらにそこに痒さのようなものが加わる。もしかしたらこんなところでこんなふうにしているのはまちがっているのかもしれないなあ、という、焦りといったら大げさだけれど、焦り未満の、痒さのようなもの。でも、もう来ちゃったし、今さらどうしようもない、いや、どうしようもないなんてはずはなくって、とりあえず漕ぎ続ければいいのだろうけれど、それにしてもこのサイクリングコースとやら、いつになったら本流と交わるのだろう、気がつけばもう日が暮れている。サイクリングコースからすぐ隣には本流が見えているのだけれど、いつまで経ってもそっちに繋がらない。繋がらないなら繋がらないで、ちょっとアスファルトから逸れて土を跨げば本流に乗ることはできるのだが、それができない。踏ん切りがつかないのとも少し違う。ただなんとなく目の前の道を漕ぎ続けている。まだ帰れそうにありません。