バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

UberEats大追跡

 UberEatsの一部の配達ドライバーは、象に乗っているという。象って公道を走ってええん?と彼女は僕に尋ねるけれど、僕に聞かれたって知らない。僕だって、法学部卒だとはいえすべての法律に明るいわけではないし、そもそも法学部出身者のなかでも極端に法律に明るくないほうだ。でも、人間が歩いていい道を、象が歩いちゃいけないということはないはずだし、ベンツが走っていい道を、象が走っちゃいけないということはないはずだ。法律の考え方というのはそういうものだ。たまたまこれまで一度も見たことがないだけで、たぶん公道にも象はばんばん走っているんちゃうん。

 そういうもんかね。

 そういうもんなんちゃうん、見たことないけど。

 そんな話をしているうちに、僕たちは動物園に象を見に行きたくなる。けれどもう20時だ。こんな時間に動物園が開いているはずがないし、仮に忍び込むにしても、金曜日の夜ならまだしも、いまは月曜日の夜なのだった。ひとまず平日はこのまま仕事をがんばって、そして金曜日の夜に忍び込むことにしよう。いや、だったら、土曜日の朝にふつうに見に行きゃええやん。なにも法をおかす必要はないよ。というわけで、僕たちは土曜日の朝に上野動物園に行くことを決め、そしてひどい空腹におそわれていたことを思い出した。そもそも、なにも手につかないほどの空腹におそわれて、UberEatsを開いたところで、そういえば一部の配達ドライバーは象に乗っているらしいよ、という話になったのだった。

 象はいったん置いておこう。とりあえず、なにか食べなきゃ死んでしまう気がする。それこそ象でも食べてしまいたいほど、猛烈な空腹。いや、象は忘れようって。とんだジビエやな。いや象肉ちゃうねん、こわいわ。僕たちはスマホの画面を食い入るように見つめる。

 UberEatsには、この世のおよそすべての食べ物が並んでいる。ファストなフードから、スローなフードまでが、一堂に会する。たくさんのお店のたくさんのメニューをスワイプするなかで、けっきょく僕たちが選んでしまうのはマクドナルドだ。僕たちにマクドナルド理論は通じない。もうマクドでええんやない? え~マクドか~、マクドねえ、なんか他にないかな~、うん、まあ、でもマクドでええか。ポテトLが2つとナゲットが15個、まさに暴力的という形容がふさわしい「ポテナゲ特大」と、アイスレモンティーのLサイズをカゴに入れて、決済する。注文がマクドの店舗側に受理され、腕っぷしのいいコックがジャガイモの皮をちまちま剥きはじめる。もうひとりが、冷蔵庫から取り出した鶏むね肉をひと口サイズにカットし、油を温めはじめる。

 コックたちがそうしている間に、「ポテナゲ特大」とアイスレモンティーを僕たちのもとへ運んでくれる配達ドライバーが決まる。その配達ドライバーは、あろうことか象に乗っている。鼻だけでもゆうに2メートルは超えるような、リオのカーニバルだったら花形になっているような巨大な象だ。その巨大な背中には、寡黙で痩せ型の青年がUberEatsのリュックを背負って乗っている。青年と象の取り合わせからは、カーニバル的な熱など微塵も感じられない。象はゆっくり、ずっしりと、ここ東京の車道を進む。青年はマクドの前で象に声をかけ、象は路肩にその巨大な体を寄せて止まる。青年は象の背中をするりと滑って降りると、マクドに入ってシェフから「ポテナゲ特大」とアイスレモンティーを受け取って出てくる。青年はスマホで僕たちの家を確認し、マップを象にも見せる。象はそのどこまでも深い黒目でマップをちらっと見ると、了解した印に鼻を軽く鳴らす。

 そうして、青年と象が僕たちの家を目がけて歩きはじめる。

 家に待つ僕たちはそのことを知らない。自転車かバイクに乗って届けてくれるものだと思っている。

 ところが、UberEatsのアプリに表示された配達目安時間を過ぎ、10分、20分経っても「ポテナゲ特大」とアイスレモンティーは届かない。僕たちは霜降り明星せいやが醤油なしで赤身寿司100貫にチャレンジするYouTube*1をぼんやり見ながら待っていたけれど、なんか遅ない?という話になってくる。マクド、そんな遠くないもんね? 迷ってもうてるのとちゃう? たしかになあ、ここ、微妙に道が分かりづらいもんね。せいや、きつそうやなあ。これすごいなあ。醤油なしはやばいよ、けっきょく寿司って醤油なめてるみたいなもんだし。いや、そんなことないでしょ、ねえ、ちょっとUberEats見てみてよ。うん、あれ、あかん、ぜんぜん違うところ行ってもうてるわ。

 「ポテナゲ特大」とアイスレモンティーは、僕たちの家とはぜんぜん違う方角に行ってもうていたのだった。あかん、配達予定時間、どんどん遅くなってもうてる、あ、てか、象や。

 ん?

 象だわ、配達してるの。

 象? 象?

 「The Phantom of The Oppaiさんが象で配達しています」って出てるわ。

 象で? 象やっぱりいるん?

 そうみたいやな。

 そんでもって、Uberのドライバーってそんなふざけた名前で登録できるんだ?

 そうみたいやな。

 これ、あれやね。もう行くしかないね。だってこんなん、UberEatsのアプリでコミュニケーション取って方向修正してもらうより、僕たちのほうから受け取りに行っちゃったほうが早いもんね。というのは言い訳のようなもので、実際は、象に会いに行きたい、が感情のほとんどを占めて、あんなに猛烈だった空腹のこともほとんど忘れてしまったのだった。

 

 徐々に増えてきてはいるとはいえ、UberEatsの配達に象を使うのはまだまだ珍しく、人びとは、え、それきみの象なの?とThe Phantom of The Oppaiに聞いてきた。あ、いや、僕の象というわけではなくて……。え、野生? あ、ええっと、説明が難しいっすね……。え、てか、象って公道走っていいんだ? あ、んーと、よく知らないんすよねそのへん……。へえ~、あ、てか、UberEatsのドライバーの名前ってこんな感じでもいいんだ、え、これお兄さんが自分でつけたの? あ、そう、そうっすねそれは……。へえ~、そうなんだ、ありがとうね。あ、いえ、ありがとうございました。

 ほとんど会話になっていないようなこんなやり取りでも人びとはだいたい楽しそうで、ようするに彼らはひとになんて興味はなく、象を見て喜んでいるだけなのだった。それは当然だ。象にはそういう力がある。人びとの心の根源に触れて、どうしようもなく楽しくさせてしまう。象が公道を走っていることを誰も咎めないのも、そういうことだ。人びとは、そこに象がいること自体に気を取られて、象が公道を走っていることがおかしいとはちっとも思わない。象を見たときの、象だ!という気持ち。象! 象だぞ! 象だ象! まさかその象の背中に痩せた青年が乗っていることに目がいくはずはないし、その青年がUberEatsの四角いリュックを背負っていることになんて、ほとんど誰も気がつかないのだった。ただ唯一、象の背中に乗っている者どうしのみが、お互いの姿に気がつくことができた。

 

 こんなときだからこそ、僕たちはタイムズのカーシェアを使った。当然歩いてなんていられないし、自転車は疲れる、タクシーは高い。だったらタイムズのカーシェアだ。象を追うぞ!の興奮そのまま、僕たちは咄嗟に家を出たけれど、いざ開いている車両を見つけて乗りこんでエンジンをかけたところで、壮絶な空腹が戻ってきた。かろうじてアクセルは踏める、しかしブレーキを踏み込めるかどうかまでは自信がない。それくらいの空腹。でもなんか、お腹空かせて車乗るって「パン屋再襲撃」みたいやんな。素敵なたとえやん。僕たちはUberEatsのアプリを見ながらスズキのソリオを走らせて、青山通りを渋谷から表参道のほうへ向かう途中、ちょうど骨董通りと交わるあたりで象に追いついた。

 象はその一帯を走っているどの車よりもずっと大きく、遅かった。おいおい、マジで象やん。象やな。ハンパないで。鼻やっぱり長いな~。耳もやっぱりでかいしな~。でかいな~、ちゃうねん、あのひとやろ。

 すいませ~ん。

 ……。

 あの、すいませ~ん。

 ……あ、はい。

 あの、あの~、あれや、The Phantom of The Oppaiさんですか。

 あ、はい。

 あの~、あれです、僕たちUberEats頼んだ者なんですけども。

 あ、あ~、はい、マックの。

 そうそうそう、マクドの。

 ああ、マクド。ああ、すいませんわざわざ。

 象なんすね、ほんまに。

 あ、ですね、象です。

 いや~、象、すごいっすね。象、すごいな~。ほんまに、リオのカーニバルとかの象ですやん。

 あ、はい、リオの。カーニバル。あ、いや、すいません、あの、ほんとはそちらに伺いたかったんですけど、象って意外にあれで。こっち歩いてきちゃって。すいません。

 ほんまですよ~、なかなか来ないから、どうした思って見たら象って書いてあって、来てみたらマジで象やし。すごいな~。

 すいません。あ、これ、あの~、マクドのやつです。

 あ、ようやく。すいません、ありがとうございます。あ、どうしようかな。投げてもらっていいですか。

 え、投げる。あ、そうか、投げますよ、はい、あ、っと、あ、ナイスキャッチです。

 ナイスキャッチです、やないですよ。すいません、ありがとうございます。すいません、いや~、すごいっす。すいません邪魔して。あの~、がんばってください。

 あ、いやいや、こちらこそすいませんでした。すいませんわざわざ。すいません、あの~、あれですね、がんばります。すいませんありがとうございます。

 

 バックミラーに映る象の姿を見ながら、ついでだからドライブして帰ろうか、と言ったところで、僕は彼女に怒られる。いや、いっぱい聞くことあったやん。気になるところぜんぶスルーしてもうてるやん。その象なんなん、とか、その名前なんなん、とか、なんも聞かへんやん。僕は、たしかに、と思って、いや、自分で聞いてもよかったじゃん、とも思ったけれど、最終的にはやはり、たしかに、と思う。けっきょくきみはひとに興味がないんじゃん、という指摘も、もう何度されたかわからないけれど、今回の件ではっきりと自覚する。ポテトもナゲットも冷めきっていて、アイスレモンティーもぬるぬる薄レモンティーになってしまっている。