バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

ディスクレビュー:バナナ倶楽部『Banana Club 21』

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バナナ倶楽部21枚目のアルバム『Banana Club 21』、通称『すべり出し窓』。

 バナナ倶楽部21枚目のアルバム『Banana Club 21』、通称『すべり出し窓』は、彼らのアルバムのなかでも人気・評価ともに高いアルバムのひとつだ。お馴染みの13曲が、このアルバムにおいては幾度となく切り刻まれ、サンプリングされ、再定義される。まるで、散らかった部屋を一気に模様替えするように。それでいて、全身を浸したくなるような心地よさは、彼らの全アルバム中でも随一だ。彼らがこのアルバムでやったのは、この「すべり出し窓」ジャケットに象徴されるように、まさしく模様替えと“換気”だった。

 その年の夏、アルバムは小さいながらもたしかな熱狂をもって迎えられ、バナナ倶楽部は何度目かのブレイクを果たした。代表曲「サイクリング」は夏のアンセムとしての新たな一面を獲得し、少ないながらもたしかに若者たちを踊らせた。このアルバムのおかげで「すべり出し窓」という名称を知った、というひともいたことだろう。

 

 僕はバナナ倶楽部の熱心なリスナーというわけではなかった。彼らが既に20枚近くアルバムを出していること、それらのアルバムはすべて同じ13曲を、アレンジを変えて収録したものであること。僕がバナナ倶楽部について知っていることといえばそれくらいのものだった。アルバムだって、2枚目と8枚目と16枚目しか聞いたことがない。そんな僕がこのアルバムの制作に参加したのは、まったくの偶然だったといっていい。僕と彼らの最寄りのまいばすけっとがたまたま同じだったからというのと、その年、僕が四六時中指を鳴らしつづけていたから。

 

 誰に強制されるわけでもなく、喜怒哀楽その他どんな感情も抱くことなく、その年、僕は右手の親指と中指を鳴らしつづけていた。鳴らしつづけていた、というより、あるいは、鳴りつづけていた、という表現のほうが僕自身の感覚には近いかもしれない。それはほとんど、僕の意思とは関係のないところで鳴りつづけていた。どうしてそんなことが現実的に可能だったのか、いまとなってはわかる由もないけれど、とにかく24時間指は鳴りつづけていた。寝るときも、仕事中も、セックスをするときにも、そのせいで口論になったときにすら、指は鳴りつづけた。どうにかしてよって言われても仕方ないだろ、と僕が声を荒げている最中にも、僕の指は鳴りつづけていた。生活のあらゆる局面に支障が出た。そのうちのいくつかは相手方の妥協という形でいちおうの収束を見せ、残りのほとんどは決定的な破局を迎えた。それまで築き上げてきたささやかながら健やかな生活があっという間に崩壊していくのを、どうすることもできないまま、僕は指を鳴らしつづけた。

 そのようにすべてが崩れ去っていくことに対して、僕は何の感慨も抱けなかった。なにしろ、鳴っているのは他でもない僕の指なのだ。怒ったり悲しんだりしてもどうしようもない。病院で診てもらってどうにかなる類のものでもない。僕はリモートで仕事を続け、週末には家でネットフリックスを見て、ときおりまいばすけっとで食料を調達した。

 ある日曜日の昼、いつものまいばすけっとで僕は、すみません、その指って、と話しかけられる。すみません、その指って、と話しかけられるのはいつものことだったけれど、すみません、その指って止められないんですか、と、すみません、その指ってすごくないですか、ではちょっと違う。そのときは後者だった。振り返ると、僕と同世代くらいの細身の青年が立っていた。あとからわかったことだけれど、その青年がバナナ1号だった。

 

 バナナ1号が興奮ぎみに話すところによれば、僕の指が鳴らしているリズムは音楽的に珍しいということだった。僕は僕の指の鳴らしているリズムを音楽的な見地から判断したことなんてなかったので、彼の言っていることはとても新鮮に思えた。詳しい話は僕には理解できなかったし、正直なところ彼のほうも理論的な部分はよくわかっていないようだったけれど、とにかく、僕の指のリズムは完全に新しいみたいだった。完全に新しいし、これまで聞いてきたどんなリズムより気持ちいいですよ。

 そうやって指を鳴らしていると、もう他のことなんてどうでもいいくらい気分がよくなりませんか、と彼は聞いてきた。

 どうなんですかね、僕が鳴らしたいと思って鳴らしているわけではないのでどちらとも言えないんですが、たしかに鳴らしていて嫌な気持ちになったことは一度もないし、やめたいと思ったこともありません。

 そう、つまりはそういうことなんですよ。

 なにがそういうことなのかは僕も彼もわかっていなかったと思うけれど、とにかく僕はそのまま彼に連れていかれ、レコーディングに参加した。バナナ倶楽部ではレコーディングに参加したひと全員に番号を振っているらしく、僕は栄えあるバナナ100号だった。

 

 そういった経緯で、僕の指のリズムを全曲に加え、完成したアルバムが『Banana Club 21』・通称『すべり出し窓』だ。僕の完全に新しい(らしい)リズムはバナナ倶楽部の13曲に新たな命を吹き込み、前のアルバムで煮詰まってしまっていたアレンジを完全に“換気”した。

 すごいよきみ、腕のいい整体師に診てもらったみたいに完全に新しく聞こえる、とバナナ1号は言った。

 嵐のようなジェットコースターに乗って、天と地がひっくり返ってしまったみたいな音だ、とバナナ2号は言った。

 大根だと思って育てていたものが、実はNASAのロケットだったとわかったときと同じ気分がするぜ、とバナナ3号は言った。

 まったくだ、とバナナ4号は言った。

 どれもぴんとこないたとえだった。

 僕は全曲にきちんと「バナナ100号」としてクレジットされた。クレジットされている以上、彼らは僕の指のリズムを曲中に使ったのだろうけれど、しかし自分で聞いてもどれが僕の指の音かはまったく判別がつかないのだった。僕が音楽に疎いというのもあったかもしれないけれど、わかっていないのは僕だけではなさそうだった。実際、数は少ないながらも好意的なレビューがいくつか出たなかで、リズムの新しさに言及しているものはひとつもなかった。騒いでいるのはバナナ倶楽部の面々だけのようなものだったし、その彼らでさえ、ほんとうはよくわかっていなかったのではないかと思う。僕とバナナ倶楽部は自分たちだけでささやかなリリースパーティーをして、それ以来会うことはなかった。

 僕の指はそれからもやはり鳴りつづけた。完全に新しいリズム。そう意識すればするほど、凡庸にしか聞こえないのだった。ちっぽけでつまらない、僕の指のリズム。アルバムのどこにどのように使われたのかもわからない、誰も踊らせることのできない、ぴんとこないたとえしかされない、僕の指のリズム。そうして不快感は徐々に増していき、その年の冬、いやな気持ちが頂点に達したところで、指は鳴りやんだ。