にしざわの日記

オレの夏…

遅刻はよくない、という話

 遅刻はよくない、という話をしよう。

 

『プリーズ・プリーズ・ミー』

 1963年春、ビートルズの一作目のアルバム。歌の内容は、だいたい「カノジョがどうしようもなく好きなんだ」や「キミはたまらないよ」なんてこと。ジャケットは、どこかのビルの吹き抜けで四人がカメラを見下ろして笑ってるようなもの。とてもチャーミングだし、最高のファーストアルバムだと思う。ただひとつ残念なのは、僕がこのジャケット撮影に間に合わなかったことだ。そもそものきっかけは、ジャケット撮影日の3日前、渋谷センター街で道に迷い途方に暮れていたジョージ・ハリソンを、僕がつたない英語で助けたことだ。「アリガトウ、アリガトウニシザワ」、「ノープロブレムっすよジョージさん」、そして二人は意気投合、ジョージはそのまま僕をファーストアルバムのジャケット撮影に誘ってくれた。しかし3日後、僕はまだ成田空港にいた。春の嵐のせいで足止めを食らったのだ。僕が電話するとジョージが出て、「ソーリーソーリー、遅刻するね」、「しょうがないねニシザワ、もう撮影しちゃうね、次回は来なよ」、「ソーリー、センキューね、じゃあ次回ね」、そしてあのチャーミングなジャケットが撮影されたのだ。ちなみに僕は正直に言うとこのアルバムはあんまり聴いていない。

 

『ウィズ・ザ・ビートルズ

 1963年冬。撮影日を勘違いしていた僕はまた遅刻した。電話。「ソーリー、ジョージさん」、「しょうがないねニシザワ、次回こそ来なよ」。漆黒に浮かび上がるメンバー4人の顔が印象的なジャケットの左下に、まだ顔を2つ並べられそうなスペースがあるだろう。あそこに入るはずだったのが、僕と、長澤まさみだ。長澤まさみもなんらかの理由で遅刻したらしい。

 

『ハード・デイズ・ナイト』

 1964年夏。これは好きなアルバムの一つだ。「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、「テル・ミー・ホワイ」なんざ最高じゃないか。しかし、そう、ジャケットを見ればわかるだろうけれど、このときも僕は写っていない(僕の顔がどこに入る予定だったかはみんなも一発でわかるはずだ)。このときは旅費が工面できなかったからそもそも行かないつもりだったのだけど、連絡し忘れて無断欠席となってしまった。これも客観的には遅刻だ。僕が冷房の効いた山手線に乗っているところに、イギリスのジョージから電話がかかってきた。「ニシザワ、今回も遅刻かい」「オー、ジョージさん、ソーリーね、連絡忘れてたね」、「イッツオーライニシザワ、次回こそね」。とてもいい人だった。

 

ビートルズ・フォー・セール』

 1964年冬。なんとなく『ハード・デイズ・ナイト』に収録されていると思われがちな名曲「エイト・デイズ・ア・ウィーク」は、実はこのアルバムに入っている。さて、このときはなんで遅刻したのだっけ。本当にどうでもいいことで遅刻したのだろう。そしてジョージはいつになっても現れない僕のことで他の3人と口論になり、結果、あのように憔悴しきった顔の殺伐としたジャケットになったという。「あのときは参ったよ、ジョンったら撮影中も俺の首根っこをずっとつかんで離さないんだぜ」と後で電話で語ってくれたジョージに、僕は「ソーリーソーリー」と返した。

 

『ヘルプ!』

 1965年夏。およそ考えうる限り完璧なA面だ。イトーヨーカドーで何万回と耳にした「ヘルプ!」に始まり、およそ考えうる限り最高のイントロを持つ「チケット・トゥ・ライド」に閉じる。B面も負けじと良曲ぞろいで、白眉は、うーん、やっぱり「イエスタデイ」だ。ベタだと言われようが良いもんは良い。仕方ない。ジャケットは、HELPを手文字で表しているのかと思いきや別にそんなことない。この撮影にも遅刻した。「ニシザワ、いったいいつになったら来てくれるんだい」、「ソーリーソーリー」。

 

ラバー・ソウル

 1965年冬。僕がビートルズで最も好きなアルバムだ。どこが好きって、たとえば「ドライヴ・マイ・カー」のポールの歌唱がやけにソウルフルなところが好きだし、「ユー・ウォント・シー・ミー」のシルバニアファミリーみたいなコーラスが好きだし、「ガール」のジョンのあの舐めまわすような息継ぎが好きだし、「イン・マイ・ライフ」の間奏のピアノソロが本当に好きだ(あれを聴いたら、ジョージ・マーティンビートルズの第五のメンバーであることを認めないわけにはいかないだろう)。ジャケットはジョンがiPhoneを自撮り棒に付けて撮ったものだ。このときの僕は本当に惜しくて、あと10秒もらえれば間に合ったはずなのだけれど、ジョンは非情にも時間通りにシャッターを切り、撮り直しはなかった。ジョン以外の3人は向こうから必死に走ってくる僕の姿を見ている。本当に惜しかったのだ。でも、ジョンが正しい。遅刻は遅刻だ。

 

リボルバー

 1966年夏。2番目か3番目に好きだ。ジョージから電話が来て、「今度のジャケットは写真と絵のコラージュにするから撮影はしないけど、代わりにニシザワもなにか写真を送ってくれよ」と言われたらしいのだが、僕はろくすっぽ話を聞かずに今回も既に撮影が終わってしまったものだと思い込み、「ソーリーソーリー」と返して電話を切ってしまった。これは遅刻というのだろうか。

 

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 1967年初夏。この遅刻はほんとうに怒られた。各ジャンルを代表する著名人が忙しい合間を縫ってわざわざ集合しているのに、ど素人の僕が遅刻するのはちとマズい。

 

『マジカル・ミステリー・ツアー』

 1967年冬。「ボクはキミに参っちゃってるんだ」なんてことをのほほんと歌っていた数年前とは全く別人のようにブッとんだ音だし、偉大な曲がいくつも入っている。だから僕はこれも彼らのオリジナルアルバムの一枚としてしっかり数えたい。あと、わかってほしいのだけれど、このときは遅刻ではなく、連絡が取れなかった。ジャケットを見ても、曲を聴いてもわかるように、この頃の彼らはラリっていて、まともに話ができる状態ではなかったのだ。

 

ザ・ビートルズ

 1968年初冬。いわゆるホワイト・アルバムだ。真っ白。もちろんジャケット撮影なんて行われなかった。ノー撮影、ノー遅刻。ちなみに、かなり迷うけれど、僕は「ロッキー・ラクーン」がフェイバリットだ。そしてもちろん「ブラックバード」。

 

『イエロー・サブマリン』

 1969年初め。このアルバムは僕にとって最も疎遠だ。何の思い入れもない。このアルバムが地球上から消滅しても十年は気づかないだろう。ジャケットはイラストだから撮影はなかったし、アルバム自体3回くらいしか聴いたことがない。

 

アビイ・ロード

 1969年秋。最高だ。キャリアハイの渋さを纏ったA面と、ポールが独りでちまちま繋げたという至上のB面。ちなみに、僕は長い間、B面は「ビコーズ」から始まると思っていたのだけど、実際は「ヒア・カムズ・ザ・サン」からである。普段iPodで聴いていると気がつかないことというのはたくさんある。iPodの小さな画面ではジャケットに写るポールが裸足であることにも気づかない。それで、そう、そのジャケットを撮影する直前、彼ら4人は日本にいた。それまで散々遅刻し期待を裏切り続けてきた僕が、せめてものお詫びにと4人を日本に招待したのだ。上野、秋葉原、浅草、スカイツリー、東京タワー、銀座、皇居、新宿、朝の埼京線など東京を巡る中で、渋谷のスクランブル交差点を見たリンゴが、「ここでジャケット撮影しようぜ」。僕は、「グッドアイディアだね、じゃあ明日の朝6時にハチ公前に集合しよう。ちょっと早いけど、頑張って起きてね。朝のうちは空いてるからさ。絶対にクールなジャケットにしよう」と言って4人と別れ、その日はぐっすり寝て、翌日午後3時に目を覚ました。一番やってはいけないパターンの遅刻だ。4人は昼前まで待ってくれていたらしいけれど、さすがにプッツンして、僕がベッドから起き上がった頃には成田から発っていたという。ロンドンに帰った4人が代わりに撮ったのがあのジャケットだ。どうしても横断歩道の上で撮るというアイディアは残したかったらしい。アビイ・ロードの横断歩道で撮ったからタイトルは『アビイ・ロード』。もし予定通りスクランブル交差点で撮っていたなら、『渋谷』になっていただろう。惜しいことをしたものだ。

 

『レット・イット・ビー』

 1970年春の終わり。前回あんなひどい遅刻をしたのにジャケット撮影にまた誘ってくれたジョージには感謝の念しかない。そんな彼は、このジャケットに本当にいい顔で写っている。僕は写っていない。遅刻した。

 

 

 

 遅刻はよくないということが、お分かりいただけたであろうか。