バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

写真について

 へえ、俺の若い頃の話を聞きたいの? あ、そうなの、大学で研究してるんだ。うーん、じゃあ、今でもいい? じゃあ今から話しちゃうね。あ、お茶いる? あ、いらない? えっと、そうだなあ、何から話そうか。まずは、そうだなあ、当時の東京に暮らしてた俺らが、なんでああいうことを始めたかってことから話そう。

 カメラって、そうか、今のカメラってすごく小さいんだってね。五百円玉くらい? 昔はもっとずっとでかくて不格好でさ、昔のカメラって、だいたいこう、……これくらいの大きさだな、こうやって両手で持ってここらをカチリと押すんだ。あのダサさもむしろ味があったんだけどねえ、へえ、あんまり知らないんだ。というか今って、みんなあんまり写真を撮らなくなっちゃったんだってね。……しょうがないか、まあ。

 とにかく、昔はみんな不格好なカメラを使って写真を撮っていた。何を撮っていたのかって、きみらが聞いたらとってもおかしいと思うだろうけどさ、風景とか、建物とか、歴史的なあれこれや、珍しいあれこれや、家族や友人や恋人や、知らない美人や、場合によっては自分を撮ったり、街中のあれこれ、電線とか、交差点とか、アスファルトとか、公園とか、塀とか、水たまりとか、空や雲や、抒情的なものや、煽情的なものや、ちょっとエッチなものだったり、エモい(これは死語だな)ものだったり、とにかくいろいろなものを写真に収めていたのよ。変だよね。そういうわけで、街にはカメラを構えてる人が溢れかえっていた。そのこと自体は別に良かったんだけど、そこには「カメラを構えている人の前を横切ってはいけない」っていう暗黙のルールというか、一般良識みたいなものがあったわけですよ。いや、「横切ってはいけない」ってほど強いものじゃなかったけどさ、でもとにかく、「ふつうは横切らないものだよね」みたいな、「人として当たり前じゃない?」みたいな空気さえ漂っていたわけ。カメラ構えてる人がいたら、その後ろを通るなり、前を横切るにしても、できるだけササっと通るなりして、とにかく邪魔にならないようにするの。なんなら前を横切る側が「すみません」とか言ったりしてさ。

 まあ今考えれば、そんな窮屈なものじゃない。ほんの少しの優しさだよね。この世界を構成している優しさの一つだ。

 でも、当時の俺らにはこれが許せなくてさ、「優しさって強要されるものじゃねえじゃん」とか「このまま一生カメラ族に屈するのかよ」とか言って。ギラギラとかパンク精神とかってのとは、たぶんちょっと違う。きっと俺ら、ムラムラしてたんだろうな。

 それでさ、それから俺らふざけ始めたんだ。避けるんじゃない、むしろがっちり写り込んでやろうぜ、って言って、写真撮ろうとしてる人がいたら真ん前に立ってさ、満面の笑みを浮かべてピースするの。ちょうどシャッターが切られる瞬間にスッと入り込んで、後で写真見返して「あれ、誰だこいつら!」って台無しにさせるのが一番良いんだけど、まあそううまくいく場合ばかりじゃない。もしカメラ持ってる奴がシャッターを押し渋るようだったら、「ほら撮って撮って!」って囃し立てて、ときには強制的に押させたりしたの。まあ本当に無意味でくだらないことなんだけどさ。

 俺らの仲間は10人くらいいて、渋谷の街にゲリラ的に現れては、そういうことをして自己満足してたんだ。最初は別に大きな話題にもならなかったんだけど、2週間くらい経った頃だったかな、仲間の一人がカメラの前でチ、……下半身を露出し始めてさ、いやいやお前そりゃマジいだろー、なんて笑ってたら、やっぱりマズくて、テレビのニュースになり始めてさ、うわー、ってな間にだんだん話題になってきて。俺らの顔も割れていくわけですよ。

 それで、なぜかそのときは危機感みたいなものはなくて、コウフン状態でニュースを追っていたのね。毎日てきとうにふざけて、毎晩酒を飲んで、好きな時間に寝る。そういうのが楽しかったんだ。

 おかしなことになってきたのは、覚えてる、ちょうど20日目、6月10日だね。俺は家でテレビを見てたんだけどさ、昼のワイドショーの中で、「昨日撮られた写真です、最新です」って、スクランブル交差点の前で俺が引き攣った笑いを浮かべて昭和の妖怪みたいなポーズしてる写真が出てきたの。いや、目隠しはされてたけど、完全に俺なんだ。スタジオのキャスターが「気味が悪いですねえ」なんて言っててさ、でも、気味が悪いのはこっちも同じだった。だってさ、俺は前の日は街に出てないし、だいいちスクランブル交差点は嫌いだったから全然行ってなかったのよ。だから写り込むわけがないんだ。でも、写真に写ってるのは確かに俺だった。あれれおかしいなあ、って。その日が始まり。

 次の日も、また次の日もワイドショーは俺が昭和の妖怪ポーズで写り込んでる写真を流し続けた。外国人カップルの記念写真、女子大生のフラペチーノ写真、シティボーイの路地裏写真、麻薬取引の瞬間をとらえた決定的写真、……渋谷周辺で撮られた多くの写真に俺が写っていた。その枚数は日に日に増えていって、「多くの」どころじゃない、「ありとあらゆる」のレベルになった。渋谷周辺で撮られたありとあらゆる写真に俺が写り込んでたんだ。引き攣った笑いを浮かべて、昭和の妖怪ポーズで。そのうちテレビでも目隠しが外されたんだけど、そこに現れたのは、まあやっぱり俺の顔なんだ。

 仲間は「お前すげえじゃん」なんて騒いでたけど、俺は気持ち悪くてしょうがなかった。もう外に出たくなかった。俺は部屋に閉じこもって、たまに吐いた。でも、やっぱり気になって、ニュースは見ちゃうんだよな。そうしたら、渋谷に全国からたくさんの人が来ててさ、カメラを持ってあちこちでパシャパシャやってんの。「うわ~写りました、気味が悪いっすね~」ってニコニコしてるんだけど、俺はもう、怖くて怖くて。誰とも顔を合わせたくなかった。俺がコミュニケーションを取りたがらないもんだから、そのうち仲間も顔を見せなくなった。

 テレビではキャスターが相変わらず「誰なんでしょうかねえ」なんてことを言ってるし、ネットにも情報は上がってなくて、なぜかみんな俺が誰なのか特定できずにいたんだ。俺は誰からも特定されず、でも今にでも特定されるんじゃないかっていう恐怖におびえながら部屋に引きこもった。もうね、テレビを見るのも怖くなった。カーテンも開けないで一日中丸くなってたんだ。

 一週間もするとさすがにものがなくなってきて、買い物に出かけなくちゃいけなくなった。仕方がないから仲間に頼もうと思って連絡してもなぜか繋がらないし、仲間だけじゃない、家族も知り合いも誰にも繋がらない。だから俺は自分で出るしかなかった。アパートを出て、心臓が飛び出しそうなくらいバクバクしてさ、俯きながら外を歩いたんだけど、おかしい。誰も気がつかないんだ。ふとした瞬間にすれ違う人と目が合っちゃうと俺はドキッとするんだけど、でも向こうは俺が写真の奴だってことには気づいてない。誰も。近くの肉屋のおばさんも「こんにちは~」なんてのんきに挨拶してくれるし、スーパーの店員も、アパートの大家さんも、誰ひとり気づかなかったんだ。

 俺は部屋に戻るとテレビをつけた。知らない間に事態は収束したのかもしれない。

 でも、むしろ悪化していた。渋谷だけじゃない。日本中のあらゆる写真に俺が写り込んでるみたいだった。そして、それから数日後かな、今度は俺が写り込んでるだけじゃなくて、「友達の顔があの顔になってるんです、これです」なんて言う女子大生が現れてさ、画面に表示された写真を見て俺は悲鳴をあげちゃったよ。小柄な女の子の身体に、俺の顔が乗ってたんだ。

 そこからさらに一週間も経った頃には日本中のあらゆる写真に写った人に俺の引き攣った笑顔が乗っかっていた。エイフェックス・ツインの「カム・トゥ・ダディ」って曲のPV知ってる? あれみたいな感じだよな。で、俺はというと、相変わらず誰とも連絡が取れないし、外を歩いても誰にも気づかれないわけだ。世界は壊れてしまった。

 それから一年も経つと、日本でカメラ持ってる人なんて本当に少なくなっちゃったんだ。せっかく写真撮っても、俺が写り込んでるか、みんな俺の顔になってるかのどちらかなんだからな。ケータイにカメラ機能が付いた時もみんな使わなかったし、スマホが流行ったときもカメラの性能は上がらないままだったもんな。だって使わないんだから。世界ではカメラはどんどん新しいのが出て、あの小さいやつに進化していったんだけど、日本では300個も売れなかったらしいからなあ。

 それで、俺はというと、そういう流れをすべて他人事だと思って見てた。だってそうするしかなかったから。俺だって、2、3年もすりゃあ少しは慣れちゃってさ、ふつうに働いて、人並みに恋人を作って、週末には映画を観てさ。

 でも、すべて長続きしないんだ。何をやってても、気持ち悪くなっちゃうんだよ。「ああ、この人たちは気づいてないんだな」って。何年経っても相変わらず、写真を撮るとそこには俺がいて、俺が年を取ると写真の中の俺も同じように年を取って、引き攣った笑みを浮かべ続けてる。でもみんなにはそれがわからないんだ。俺はもう長い間笑ってないのにさ、写真に写る俺はいつまでも笑ってるんだよ。でもみんなはそれがどういう感覚なのか知らないんだ。そうだ、ねえ、きみ、カメラ持ってる? あ、ありがとう。ほら、今こうやって写真を撮ってみてもさ、……あれ?

 

 ……あれ?