バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

対話1

 暑くなってきたねえ、最近。そうだなあ。もう夏なんだねえ。そうだなあ。

 おいらもたまには外の空気を吸いたいんだけど、いいかねえ。いやー、よかないよ、なるべく我慢するようにしてくれよ。冗談だよ、おいらだってお前を困らせるようなことはしたくないよ、二人三脚だろ。二人二脚一本だろ。はー、ところでさ、みんな夏になると途端に“エモ”を求めだすじゃんか、それも、浴衣や花火やサイダーや夏祭りなんかに求めるんだったらまだしも、連中ときたら、アスファルトや空き缶や、カーブミラーにさえ見出そうとするじゃないの、おいらにはあれがいまいち理解できないってんだよね、それに第一、“エモ”ってなんなのさって話。あーそれね、“エモ”っていうのは要するに、ようするに、さあ、僕もよくわかってないんだよね、そもそも人によって全然使い方が違ってさ、ラーメン食べて「エモい~」なんて言い出す人もいれば、人生が真に輝きを放つ瞬間にだけ「エモい~」って人もいて、もうガバガバなワードなわけよ。へえ、そもそものルーツは何なんだろうね。そう、そのルーツにしたって曖昧なものでさ、「EMOTION」から来ているとも「えも言はず」から来ているとも言われてるわけ。そうかー、誰もわからないまま広まってるんだ、そりゃ氾濫するわな。そうそう、でも僕個人としてはあんまり使いたくないけどね、なんとなく気恥ずかしいじゃん。そうかい。そう。

 というかたぶんあれじゃない、おいらたちがこれまでそれなりに温めてきた夏への思いみたいなもの、あるじゃない、それを、「エモ」とか「チル」みたいなカタカナ語に集約しないでほしいなってのがあるんじゃない。あー、あるかもしれない。あるでしょ。

 でもあれだよ、アスファルトや空き缶やカーブミラーをエモいって言うのはあながち間違いでもなくてさ、ちゃんと科学的根拠があるのよ。いやいや、お前てきとう言うなー。いやいやいや、フィンランド環境学者チームが5年前に発表した研究によれば、夏の日差しって一年の他の時期とは性質が違うみたいでさ、この日差しがアスファルトや空き缶やカーブミラーに当たると、確かに反射の仕方も変わってくるの。へえ。実際に見てみてもなんとなくわからないかな、ヒリヒリしているし彩度も上がっているんだけど。まあ言われてみればそんな気はするけど、でも、言われてみれば、って程度だよ。そりゃそうだよ、僕がてきとうに言った話なんだから。はー、じゃあ嘘なの。うーん、嘘っていうか、僕としては本当に思ってることなんだけどね。はー、お前じゃあさ、フィンランド環境学者チームってのはなんだったの。それはさー、「フィンランド環境学者チーム」って付けたらやっぱり説得力増すじゃん、でもきみさ、考えてみろよ、そもそもフィンランドって一年中曇ってるらしいし夏なんてもちろんないんだから、こんな研究してるわけないじゃん。はー、そりゃそうだけど、うわー、だまされたなあ。

 ははは、ごめんよ。

 いいよ、そういえばおいらさ、気づいちゃったんだけど、四季ってあるじゃん、フォー・シーズンズ、春夏秋冬。ある。あれね、見かけ上は夏が終わると秋を経て緩やかに冬に向かって、寒さをしのげば春が開いて緩やかに夏に向かう、そういうサイクルが繰り返されてるように見えるじゃない。そうだね。

 あれね、実は全部夏なの。

 うーん、それは突飛過ぎるよ。

 突飛過ぎるもなにもないよ、あれ、全部夏なのよ、説明しよう。説明してよ。

 たとえばお前さ、冬になるとよく夏を恋しがっているじゃない。ああ、記号としての“夏”ね。そうそう、あの、入道雲、あぜ道、サイダーとか。

 夏祭り、線香花火、汗ばむあの子、触れ合う手と手、オールナイトロングとかね。

 そうそう。あの、実際にはないやつね。それがね、それがあるんだよ。へえ。まず基本的に、この世界は一年を通して夏なんだけど、どこかでラジカセの音量みたいにつまみをいじくってる人がいて、9月とか10月とかになるとその人が徐々に徐々に寒さのつまみを上げていくのよ。ちょっとよくわからないな。うーん、だからね、だんだん寒さのつまみが上がっていって、見かけ上は冬になっていくんだけど、実のところ根底に流れているのは常に夏なんだ。ほう。常にStay Tune in 夏なんだけど、その音量が一年の中で変わっていくってわけ。ほう。ってことは見かけ上の冬の間もおいらたちは本当は夏を生きているわけで、それがさっき言ったような「記号としての“夏”」として顕れるんだ。ってことは本当は記号じゃないんだね。そう、あれはリアルな夏なんだ、寒い時期用の夏。じゃあ春とか秋とかはどうなのよ。ははは、春と秋は、ただの過渡期。え、でも、僕は春には春的情緒を感じるし、秋には秋的情緒を感じるぜ、あれって、立派な季節でしょ。お前、それは残念だけど、実は春的情緒とか秋的情緒ではないよ、それは、「もうすぐ夏が来るなあ」的情緒と「ああ夏が終わったなあ」的情緒だよ。また夏かよ。そうだよ、なにしろ一年中夏なんだから、すべては夏的に解釈できるし、夏的に解釈されたものが本来の姿なんだよ。

 じゃあ、さっきの話に戻るけど、寒い時期用の夏ってあったじゃない、僕が前まで「記号としての”夏”」って呼んでいたやつ、あれがどうして7月とか8月とか、いわゆる夏本番を迎えるとなくなっちゃうのさ。いやいや、あるにはあるんだよ、でも7月8月っていうのは寒さのつまみがゼロになってる時期でさ、今度はふつうに暑すぎて全部頭から抜けちゃうの。抜けちゃうって言ったって、それでも僕はサイダーとか夏祭りとか線香花火とか汗ばむあの子とかの夏にしたいんだけどなあ。うーん、こればかりはしょうがなくてさ、暑すぎるとどうしても生理的な嫌悪感が勝っちゃうのよ、だから、「暑さも含めて夏を愛するぞ~」ってどんなに強く意気込んで7月8月に突入したって、どうしても頭から抜けちゃうの。いやあ、全然納得できないよ、こんなん屁理屈だよ、だいたい、じゃあそのつまみをいじくってる人っていうのはどこの誰なのさ。

 中条あやみ

 中条あやみかーーー! なんか急に全てが納得できたよ、じゃあ、僕らが春夏秋冬だと思ってるあのサイクルはまやかしで、実際は常に夏なんだね。そういうこと。そうかー、常夏かー、なんか僕がんばるよ、きみにもいい思いをさせてやりたいしさ。おう、頼むぜえ、ほんとに。