バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

日記(ひとり暮らし掌編2)

「一般的に、何ごとにも終わりがあるということが知られているが、唯一、皿洗いには終わりがない。」(『一人暮し大全』(1969)p.42より)

 

 

 「皿洗いには終わりがない」って、ふふ、それはさすがに言いすぎだと思うけど、でもほとんどそんな感じはする。油をたんと使って料理をしたあとの洗いものなんて、これほんとうに終わんないんじゃないのって気がする。まあ結局そのうち終わるんだけどね。これ徹夜しても終わんないんじゃないのって思ってた皿洗いも、結局10分かそこらで終わっちゃうんだよね。これって、山登ってるときの感覚にちょっと近いのかなって思う。わたしは山登りなんてしないけど、山登りよくするひとが言ってた。最初はめちゃくちゃ遠くてあんなところぜったい無理っしょと思ってた遠くの景色のなかにいつの間にか自分が立ってる感覚がマジでパネえって。パネえってなんなのって話だよね。

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 投票に行った帰り、コンビニでコンドームとそうめんを買った。そういうアンバランスなことをするのがかっこいいかなと思ったから。電線にカラスが5羽もとまっていた。

 

 

「扇風機の首振りをちょうどいいところで止めるために待っている5秒間。カップ麺にお湯を注いでから箸をつけるまでの90秒間。そういう時間が積み重なって、人生になる。」(『一人暮し大全』(1969)p.368より)

 

 

 夕方に銭湯に行ってから、なるべく汗をかかないよう、細心の注意をはらって帰宅。

 

 

「料金を払わないと、電気は本当に止まる。」(『一人暮し大全』(1969)p.157より)

 

 

 今年は本を読むことが多くて、それは僕のなかでなんとなくいま読書がアツいということなのだけれど、でも本を読むことが多いからといって、別に読んだ本の数が特別多いというわけではない。ただ、たしかにここ何年かではいちばん、意識的に読書に力を入れている。いろんな本を読みたいと思っている。いつか読んだほうがいいかなと思っていた『白鯨』も買ったし、蓮實重彦の『監督 小津安二郎』を、小津映画を特に観なおすことなく読んだらおもしろいかな、と思って本棚にスタンバイさせているけれど、いずれもまだ読んでいない。ただ、読みたいという気持ちは強く持っている。

 ここ10日くらいは保坂和志の『カンバセイション・ピース』を読んでいた。たとえるならば、"ヒト版『吾輩は猫である』"といったような感触の小説。『吾輩は猫である』だってヒトが書いた、少なくともヒトが書いたとされているのだから、そんなたとえはおかしいのかもしれないけれど、とにかくそういう感触の小説だった。作家をやっている語り手が、風もひとも猫も時間も通り抜けていく広い家のなかで、時間や世界や猫についてああだこうだ考える。外に出る用事といえばベイスターズの試合に行くことくらいで、あとは終始家のなかで、人間たちや、猫たちや、天井や、壁や、窓から見える景色や、庭の木々や、縁側と向き合って、対話しながら、世界のあり方に触れ、ときに変容させながら、日々を過ごしていく。その思考の変遷やどうしようもない会話の数々がおもしろくてそれだけでも飽きずに読めてしまうけれど、しかしこの長い小説にメリハリを生んでいるのは、なんといっても野球観戦のシーンだろう。長い思考の連鎖からつかの間離れて、試合展開にただ一喜一憂するくだりは、読み手にとっても息抜きになっている。

 

 小説の後半のどこかで、語り手が抽象的/具体的であることについて思考をめぐらせる部分がある。ひとが何かを見たり聞いたり触れたりするとき、その何かを具体的なものとして認識していると同時に、抽象的なものとしても捉えている、みたいな話。目の前にあるのは、具体的なそれであり、抽象的なそれでもある。僕たちが散歩している犬を見るとき、「飼い主を連れて散歩をしている、白くてでかくて息の荒いボルゾイ」として捉えるだけでなく、「散歩をしている犬」として、犬にまつわるイメージを頭のなかから引っ張り出して、その目の前の犬に当てはめることになる。あらゆるものには具体性と抽象性がそなわっていて、そのどちらも欠けることはない。と、そんなような話をしている部分だったのだけれど、定かではない。僕の読み間違いかもしれない。でもそれを確かめる術はない。『カンバセイション・ピース』は分厚いので、その話をしていた箇所を見つけ出すのはハードすぎる。それに、そういう読み方をすべき小説とは思えない。そういう書かれ方をしていない。

 それで、その、あらゆるものにそなわっている具体性と抽象性についての話で、僕はひどく納得してしまった。そうだろうなあ、あらゆるものには具体性と抽象性の両方がそなわっているだろう。そしてもちろん、そのバランスはものによってまちまちで、具体性が前面に出ているものもあり、抽象性が前面に出ているものもあるだろう。それに、そのバランスというのは流動的なものだ。部屋のなかでアイスを食べながらぼーっと甲子園を見ているかぎりは抽象的な夏を味わうことができるけれど、ひとたび外に出れば日差しがブワブワ降り注ぎ、それ以上ないほどの具体的な夏が身に迫ってくる。

 あらゆるものに備わっている具体性と抽象性。それはさいきん、世田谷文学館原田治展と東京オペラシティアートギャラリーのジュリアン・オピー展に立て続けに行って感じたことでもある。どちらもとても刺激的で素晴らしかったのだけど、僕は、いちおう目鼻立ちまで描きこんでいる原田治の絵をむしろ抽象的に感じ、ごくシンプルな線と色とでしか構成されていないジュリアン・オピーの人物画のほうこそ究極に具体的だと感じた。

 原田治のほうは(その成立過程から鑑みても)デザインとしての絵である。たとえば有名なECCジュニアの少年少女、あの子たちにはごくシンプルながらもきちんと目鼻立ちがあって、表情も立っている。でも、僕は彼と彼女の生活や人生まで想像することができない。それはあくまであの子たちが「英会話教室の少年少女」という抽象を背負って描かれているからなんじゃないかなと思う。「ブロンド」で、おそらく「白人」で、シャツには「We are friends!」とプリントされているあの子たちは、抽象を見事に背負いきってみせ、スマイルを浮かべている。(ステレオタイプすぎやしないか、という指摘はひとまず置いておこう。)そこには具体性の入りこむ余地などない。

 一方で、ジュリアン・オピーのほうはどうだったろう。

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Sam Amelia Jeremy Teresa. 2019

今回の展示では、ニューヨークやボストンの街を行き交うひとびとの姿を捉えたポートレートがメインに配置されている。具体性を拒否するかのようなシンプルな線と色使いが作品の抽象性を強調しているかのようだけれど、ほんとうはそこにひどく具体的なひとびとの姿を見てとることができやしないだろうか。だって、たとえば、4人の姿を写したポートレートには《Sam Amelia Jeremy Teresa》(https://www.julianopie.com/painting/2019/sam-amelia-jeremy-teresa)という題名が付けられていたりするのだ。そうしたら、ああ、たぶんこれがサムだな、彼はさいきん少し出てきたお腹を気にして、こうやって毎朝走って、家に帰ればちょうど起きてきた妻ジェシーと息子マイクとテーブルについて、さっきのジョギングで見てきた街の風景やすれ違ったひとびとの話をするのかもしれない。そんなふうに、勝手に想像を膨らませることができやしないだろうか。抽象的な造形がなされているからこそ、見る側がそこに勝手に具体性を見出だしてしまう。あるいは、付与してしまう。そういうことが起きやしないだろうか。少なくとも、僕が展示を見ていたときにはそういうことが起きた。

 

 

日記(ひとり暮らし掌編)

 三か月も経つと、ひとり暮らしにまつわる様々なことがはっきりわかってきた。洗濯や炊飯がそんなに難しくないということがわかった。ただし、料理はとてつもなく難しいということがわかった。魚の骨をシンクまわりに放置したままにするとひどく臭うことがわかった。『ドキュメンタル』はひとりで見るとしんどいが、ふたりで見るととんでもなく笑ってしまうものだということがわかった。ひとり暮らしのことはほとんどすべてわかった。部屋のなかでときどき蜘蛛を見かけるが、見なかったことにしてしまえばいないも同然だということもわかった。しかし、蜘蛛は実際にいる。それは仕方のないことだし、蜘蛛は益虫だと言われたりもするので1匹くらいはいてもいいか、と思うことにする。寝室の壁に蜘蛛を見かけた何日かあとに、今度は風呂場で見かけたり、その次は台所でも、玄関でも見かけたりすることがあるが、そういうときはすべて同一の蜘蛛だと思うことにする。家のなかに何匹も蜘蛛がいると考えるよりは、1匹の蜘蛛が自由に動き回っているということにしたほうが、平和なので。蜘蛛以外にも、ときどき、謎の小さな羽虫が水まわりで飛んでいることがある。そういう羽虫はだいたいの場合2匹以上でいる。僕は誰かにひどく殴られて、目の焦点がなかなか合わず、1匹が2匹に見えているだけだ、と思うことにする。これも蜘蛛の場合と同じく、そう思ったほうが平和なので。

 

 

 ひとりで部屋にいると、ときどき、できるだけ変なことをしてみたくなる。想像しうるかぎり、そして実現しうるかぎり、最も奇妙で、薄気味悪いことを。誰にも見られていない、という認識がそういう気持ちを引き起こすのだろうか。あるいは、僕自身のなかにもともと備わっていた奇妙な癖のようなものが、ひとり暮らしを始めたことによって顕在化しようとしているのだろうか。それとも、このあたりの住宅に供給されている水道水になにかそういう妙な気持ちを副作用的に誘発する化学物質が含まれていたりするのだろうか。いずれにせよ、奇妙で薄気味悪くて、とてもひとには見せられないようなことを、この僕ひとりの部屋でしてみたくなる。ヘッドフォンで音楽を聴きながら、うねうね踊ってみたりする。ベッドから床に垂れ下がるように横たわって、よだれも垂れるにまかせたまま、死んだふりをしてみる。直立不動のまま3時間も本を読んでみたりする。いずれも「想像しうるかぎり、そして実現しうるかぎり、最も奇妙で、薄気味悪いこと」からはほど遠くて、僕は自分の想像力のなさに情けなくなる。しかし、まあこんなものだろう、という気もする。なにしろ、ひとり暮らしを始めてからまだ3か月程度しか経っていないのだから。僕のなかで「想像しうるかぎり、そして実現しうるかぎり、最も奇妙で、薄気味悪いこと」が熟成されるには、時の流れが足りなさすぎる。

 

 

 ひとりで部屋にいて、音楽を聴かず、本も読まず、ただぼうっとソファに腰かけていると、部屋の外を往来するいろんな音が明瞭に聞こえる。どこかで子どもを叱っている母親の怒鳴り声、どこかで1時間ごとに鳴っているアラームの音、マンションのどこかの部屋のチャイムが鳴らされる音、どこかで誰かが痰を吐き捨てる音、いずれも、この部屋ではないどこかで起きている何らかの出来事にまつわる音。雨の日には、これらの音すべてが雨音にコーティングされる。部屋の外で起きているあらゆる出来事が、湿り気を帯びる。そこには、若干のもの悲しさとともに、ある種のおかしさのようなものが伴う。雨降る日に叱られている子ども。雨降る日に1時間ごとに鳴るアラーム。雨降る日に誰かを訪ねてくる誰か。雨降る日に吐き出される痰。

 土曜日の昼間に雨が降って、どこかに出かける気も起きずに部屋でカップ麺をすすっているとき、いまとつぜん知らないひとがやってきたりしたらおもしろいのに、と思ったりする。部屋のチャイムがとつぜん激しく鳴らされ、その有無を言わせない強さに、僕は思わずドアを開けてしまうことになる。ドアの外には屈強な熊が立っていて、や、失礼失礼、と人間のことばを発しながらズカズカと部屋に踏み込んでくる。濃い茶色の体毛におおわれたいかにも熊然とした身長2mほどの熊が、器用に直立二足歩行をしている。熊は土足で部屋のなかを歩き回り、僕はその様子を見て、熊って意外に静かに歩くんだな、と思う。熊は本棚やクローゼットを物色して、や、なるほどなるほど、とつぶやきながら、爪の伸びた手であごを器用にさする。爪の伸びた手で、一冊の本も傷つけることなく、一枚のTシャツも破くことなく、次々に取り出して眺めては元あった場所に戻していく。熊は洗練された所作でなにやら捜査を進めていく。

 僕は部屋の入口に立って熊の挙動をぼんやり見ている。

 テレビ周りを捜査していた熊は振り返って僕に言う。

 や、申し訳ございませんが、9000円徴収させていただくこととなりますな。

 僕は熊が言ったことについて考える。9000円?

 熊は続けて言う。

 9000円徴収いたします。いま頂戴いたします。現金のみ。や、言い逃れや後払いは認めていませんので。すみませんが、あたしも急いでいますもので。ぱぱっとお支払いいただけると助かりますな。

 しかし、熊さん、いや、あの、なんとお呼びしたらいいものか。

 ハマダ、とお呼びください。

 はあ、ハマダさん、でも、あの、その9000円なんですけども、いま手元にたしか900円くらいしかなくて、いますぐに払うというのはちょっと……。

 900円ですと。あなた社会人でしょう。社会人が手元に900円ぽっちしか持っていないとは、いったいどういうつもりでしょうか。あなたはいいかもしれませんが、社会はそれを良しとしません。いや、いいわけがない。あなたひとりで生きているんじゃない。みんなでこうやって、作り上げているのが社会というものなんですから。自分は900円持っていればいいなんてそんな勝手な態度は許されないんですよ。あたしも長くこの徴収の仕事をやっておりますが、あなたみたいに身勝手なひとというのはそうめったにいるもんじゃない。まったく呆れかえりますな。では、失礼します。

 カナダの森のように深みのある声でひととおりまくしたてた熊は、おもむろに玄関のほうへ戻って、最後にもう一度、では、失礼します、と言って出ていく。

 僕は本棚やクローゼットをひととおりチェックして、そこに熊の痕跡のようなものがまったく認められないことを確認する。においも、毛の一本も、残されていない。部屋は、熊が来る前と比べて、はるかに静かで、広いように感じられる。雨音だけ響くなかに、もの悲しさと、ある種のおかしさのようなものが漂っている。

 

 

 仕事を休んだある日の夕方、窓から射し込んでくる光が壁に当たり、そこらじゅうにはね返って、彼の部屋のなかは信じられないほどの橙色におおわれた。部屋のなかのすべてが芯から橙色に染まった。朱色、紺色、象牙色、たんぽぽ色、色とりどりの背表紙が並んでいた本棚も、とっくに乾いているのに吊るしっぱなしになっていた洗濯物も、壁に貼っていた台湾映画のフライヤーも、彼が見ていたテレビの画面も、何もかもがあたたかな橙色に包まれた。どうしてそんなところにまで光が行くのかわからないようなところにまで、ほんとうに部屋の隅々にまで橙色は広がった。橙色っぽい色を形容することばを、「橙色」しか知らないのが悔やまれるほど鮮やかな橙色だった。

 彼は『耳をすませば』を見ていた。雫が聖司と連れ立って夜の町を歩いているシーンでいきなり画面一面が橙色に包まれた。ずいぶんとがったアニメーション表現だと驚いてテレビから目を離すと、あっという間に部屋じゅうが正体不明の橙色におおわれていくのが見えた。これはただごとじゃない、と映画を停めて身構えたけれど、窓の外で風がすうっと吹くばかりで、なにも起こらなかった。ただのよくある夕方に過ぎなかった。ただのよくある夕方だったけれど、この世界が彼に対してそんなにきらめいてみせたのははじめてのことだった。平日に家にいるとこういうことが起きるのか、と彼は思った。仕事になんて行くのはもうよそう、と彼は思った。

 次の日、仕事からはやめに帰って来たので、彼は恋人を家に誘って、ふたりでソファに座り、昨日と同じ時間になるのを待った。

 ねえ、なにが起きるの。

 いいから、ちょっと待っててみ、や、あと10分くらいだと思う。

 えー、なんだろう。

 ふふふ。

 およそ15分後、けっきょく、彼の部屋は昨日のような鮮やかな橙色にはならず、よくある範疇の夕陽が差し込んできたに過ぎなかった。

 えー、すごい。きれい。すごいきれい。

 でしょ。すごいきれいなんだよ、この部屋。夕方。昨日気づいたの。

 でも昨日のほうが、と言いかけたことばを飲み込んで、彼は恋人と部屋を出て駅前までラーメンを食べに行き、にぎやかな居酒屋でレモンサワーを何杯か飲んで、はやめに帰ってきてすることをして、シャワーを浴び、なんだか眠いしもう寝ようか、という段になってもまだ恋人は、ねえ、ほんとにきれいだったね、夕方、と言っていた。そうなると、たしかに今日の橙色も昨日の橙色に負けず劣らずきれいだったような気がしてくるな、と彼は思った。やはり仕事になんて行くのはもうよそう、と彼は思った。

 

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日記(4月12日)

 新しい元号が発表されたその瞬間に僕らは平成のことなんてきれいさっぱり忘れ、頭のなかはその新しい元号と来たる新時代のことで埋め尽くされてしまうのではないだろうか。

 5月1日を待つことなく、気持ちのうえではすっかり新元号へと移行してしまうのではないだろうか。

 たとえばもし新元号が『卍』なんかだったりしたら、心臓はマンジ、マンジ、マンジ、と激しく打ち、寝ても覚めても卍が視界を回りつづけ、ほんとうに何も手につかなくなってしまうのではないだろうか。

 

 ――そんなふうに危惧しながら4月1日を迎えたけれど、おそれていたような事態はちっとも起こらなかった。新しい元号は卍ではなかったし、発表されてからも僕は変わらず平成を生きていた。新しい元号は珍妙に響いたが、少し間をおいてからあらためて見てみると、そんなに悪くないような気もしてきた。出典がどうだとか、どういった意味が込められているのかとか、「競馬」と「ゲリラ」のどちらにアクセントが近いのかとか、そういう込みあったことはよくわからないが、少なくともフィクションだと思って見ればなかなかいい元号のように思えた。サイバーパンクっぽい雰囲気があった。街じゅうのあちらこちらに張り巡らされた電光掲示板や、青白いネオンライトや、ぼわーんと伸びきったシンセサイザーの音が映えそうな元号だった。しかし新しい元号はフィクションなんかではない。ノンフィクションである。ノンフィクションとしての評価は保留しなければならない。実際にその時代を生きてみて数年、あるいは数十年経ってみてからでないとしっくりこないだろうし、あるいはいつまで経ってもしっくりくることなんてないかもしれない。平成だってはたしてほんとうに身体に馴染んでいると言えるかどうかわからない。ただ、生まれてきた時代がたまたま平成と呼ばれていただけだ。

 発表された日にはひとしきり盛り上がったけれど、そのあと、元号のことが話題にのぼる機会はめっきり減った。そもそも、僕らは元号について日常的には話さない。人工的なしんみりを作り出そうとしてわざとらしく話題をスイッチングするか、互いの近況や天気のことをひとしきり話してついに話すことがなくなったときに、そういえば、と切り出すかしか、新しい元号に想いを馳せる機会はないのだった。なにも新しい元号だけじゃない。僕らは平成についてもそんなに考えたりしない。

 しかしどちらかというとまだかろうじて平成について考えることのほうが多い、そういった観点で、僕はまだ平成を生きている。

 

 

 僕はまだ平成を生きていた。平成最後の春、ということになるのだった。去年の5月ごろから平成最後の夏だとかいって騒がしくなりはじめ、平成最後の秋、平成最後の冬ときて、いまが平成最後の春、平成最後の四季が一巡したことになるのだった。もちろん季節をもっと細く区切ることもできる。平成最後の梅雨もあっただろうし、平成最後の晩夏だってあったはずだ。平成最後の11月18日だって通り過ぎたのだろうし、今日だって、平成最後の4月12日ということになるのだろう。しかし、四季という大まかな区切りがやはり一番居心地よい。行き場もないのに生まれてしまう感傷の受け皿として、四季という区切りはうってつけだった。四季折々のあれこれは、平成最後、という枕詞の受け皿としてわかりやすかった。平成に思い入れなんてなくて、たんに、終わってゆくものは美しく見えるという法則が働いたに過ぎないのかもしれなかったが、それでも僕らは、あれが平成最後の入道雲かもしれないな、とか、靴の裏にガムがくっつくこともこれが平成最後かもね、とかいって、ふだんならばあってはならないような場面で感じ入ったのだった。いやらしい話だった。けれど、そのことが日々を豊かにしたのは間違いないのだった。

 あれもこれも平成最後、いろんなものに平成最後というシールを貼って三途の川に流して涙ぐむうちに、後悔のようななにかがこみ上げてきた。戻れるものなら戻りたい、というほど苛烈なものではないが、さくっと戻れて、またさくっと帰って来られるのなら戻ってもいい、という程度には。

 

 

 去年、僕は夏をどうしたのだろうか。なにをしていただろうか。もしかして、平成最後の夏をちっとも味わうことなく、ほとんど手つかずの状態で川に放り込んでしまったのではないだろうか。

 惜しいことをしたのではないだろうか。

 夏を⁉

 

 

 どうしてそんな惜しいことをしてしまったのか。

 原因はふたつ考えられる。

 ひとつには、僕が当時、平成最後の夏という騒ぎにほとんど乗ることができなかったということ。斜に構えていたのだ。それに、自分が次の夏にどうなっているかもまだわかっていなくて、平成なんかにかまっている場合ではなかった。しかしこれは、まだなんとかなる原因だった。態度の問題だ。どうとでもなる。

 もうひとつのほうがはるかに深刻な問題だった。夏という季節の根本に関わってくることだ。

 季節や四季というのは、情緒によって決まるものだと思う。もし季節というものが、暑いか寒いか、晴れの日が続くか、雨がちか、というような気候の状態によって決まるのなら、梅雨や台風の時期を四季に数えるべきであって、春や秋などなくてもいい。春や秋というのは、冬から夏、夏から冬への移行期であって、たんなる移行期に過ぎないかもしれなかったところを、桜を見上げたり、落ち葉を見下ろしたりして、人びとはそこに季節を見出してきたのだ。冬はこたつ。日本の四季は情緒や文化によって形成されているものなのだ。

 しかしそこにあって夏だけは異質だ。もちろん夏には夏の情緒や文化がある。季節と紐づけられる事物の数でいったら、夏が一番多いのではないだろうか。こころの原風景のようなものの数だって、夏がずば抜けて多い。たしかにそれは事実だ。けれど、それはそうとしても、夏は、暑すぎる。情緒や文化や原風景や、なによりも先に、暑さがくる。暑いという感覚のみがくる。季節として破綻している。

 春や秋はもともと情緒を見つけて味わうものだ。とうぜん、平成最後という枕詞との相性はいい。冬は寒い。寒いが、首都圏の寒さはどうにでも対処できるものだ。しっかり防寒をしたうえで、冬の情緒をふんだんに味わうことができる。なんとなれば、寒さでさえも味わいの対象となる。これも、平成最後との組み合わせは悪いものではない。ところが、夏の暑さはどうにもならない。しんみりするひまなんてない。夕暮れどきにほんのちょっとしんみりできそうな時間帯があるけれど、ふう、と昼間の汗をぬぐったところで時間切れとなる。

 夏に関する情緒や文化や原風景は、夏でないときにのみ味わえるものだ。

 平成最後との相性はすこぶる悪い。

 

 

 というわけで、僕は去年、夏が始まる前には騒ぎに乗ることができず、始まってからはただただ暑いという感覚のなかに放り出され、いつの間にか夏は過ぎ、風あざみ、今になって後悔のようなものを抱いていた。無慈悲にも季節はとっくに春で、夏になる頃にはすでに新しい元号になっているのだった。あと20日もしたら、平成は終わるのだった。もう平成の夏はこない。部屋で半袖半ズボンになって棒アイスをかじってみても意味がなかった。日、長くなってきたなあ、なんてつぶやいても意味がなかった。そうやって夏のふりをしたところで、うだるような暑さがないのでは無意味なのだった。暑さなしには夏はなかった。万が一この4月中に気温が上がって、どうにかして暑さの断片のようなものにちょっとでも触れられたら、それをもって夏ということができるのかもしれないが、おとといのように寒い日があるようではほとんど期待しようがないのだった。

 

 

 

 おならが出た。出たところに、ズボンごしに手をかざした。そこにたしかな温もりが、熱が、暑さがあった。そこに夏があった。

日記(3月31日)

 …………そうこうするうちに3月31日になる。明日になったら新元号が発表される。平成から新元号へと切り替わるときより、むしろ今日のほうが平成最後の日だという感じがする。明日の昼前くらいに政府の誰かが白い紙を持って登場して、新しい元号はこれです、なんて言って掲げたところには

『卍』

 と書いてあって、うわ~ほんとかよ、とどうにか声をしぼり出したときにはすでに心のなかで平成は終わっている。残りの一か月は『卍』なんていう元号とこれからどう向き合っていこうかということで頭がいっぱいになって、卍元年か、や~さいあくだな~、とか言って騒いでいるうちにほんとうに平成最後の日になって、少しは感傷に浸ってみようとするかもしれないけれどやはり心はすでに卍で埋めつくされていて、あたふたしている間にもう卍へと突入してしまうのだと思う。卍は極端だが、しかしどんな元号であっても、それが発表されてからはもうそっちに意識が行っちゃうんじゃないかという気がする。だから、ほんとうは今日が平成最後の日。

 

 とは言ってみたものの、平成最後だからどうこうするということもなくて、僕にとっておそらくもっと重要なのは、今日が学生生活最後の日だということだ。おそらく、と付けたのは、あまり実感がないからで、どうして実感がないのかというとなんとなくぬるっと学生生活が終わろうとしているから。けっきょくたいした努力をすることなくぬるっと単位が揃ってしまったし、卒業式の日だって、忘れ物を取りに帰ったために全体の式には出られず、けっきょく学部の学位記授与式だけ出て、ぬるっと終わってしまったのだった。けっきょく学生時代にきちんとした努力をできなかったことや、全体の式に出られなかったことで、なんとなく、コンプレックスというほどではないにしろ、心残り、のようなものが生まれるかと思いきやそうでもなく、ぬるぬるしたまま学生じゃなくなってゆく。

 夕方、ピンク色に染まった遠くの雲を眺めているときに、今日が学生最後の日だということに気づいた。最後だからといって即席の感傷に浸るのもおかしな話だが、その夕暮れを家のなかで過ごすのもなんとなく嫌だったので外に出た。目黒駅のほうへ歩き、ここでふつうに日高屋とか食べたらおもしろいかな、と変なこころもちで日高屋に入る。バクダン炒め定食を食べながら、辛さも相まって寂しさのようなものが生まれてきてしまい、ああもしかしたらもう日高屋にも来ないかもしれないな、お会計680円です、これでお願いします、おつり20円です、ありがとうございますごちそうさまでした、しっかり大盛り無料券を受け取る。たぶんまた来る。そのまま高松湯という銭湯へ。平成ですらない昭和然とした銭湯。湯が熱すぎて笑ってしまった。笑ったまま帰宅し、このままだとけっきょくぬるぬるが取れないまま学生が終わってしまいますが、それもなんだかむずむずするので、今年に入ってここまでの3ヵ月で個人的によかったものをただ列挙することでなんとなくの締めとしたいと思います。ぬるぬる取れるかな。

 

 *

 

 今年に入ってからはそんなに映画を観ていなくて、その数少ないなかでも『バーニング 劇場版』と『サスペリア』と『ビール・ストリートの恋人たち』と『スパイダーマン:スパイダーバース』はおもしろかったです。あとは、きのう観た『運び屋』がほんとうにおもしろかった。話そのものももちろん素晴らしいのだけれど、もっと細かな部分の描かれるところと描かれないところ、その異様な編集のリズムに酔ってしまいました。今のところ、今年ベストかもしれません。劇場で観てないやつだと、以前日記で書いた『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』と、『ファニーとアレクサンデル』、『フェリーニのアマルコルド』(これも日記で書いたかな)、『赤ひげ』、『男と女』、『突然炎のごとく』がよかったです。

 

 音楽も正直そんなに聴けていないというか、これは映画もそうなのだけれど、そんなに気が向かないときはがんばって追いつこうとしなくてもいいなというこころもちになってきたので、たまに詳しい友だちと会っておすすめの音楽を仕入れ、あとはYouTubeのレコメンドに頼っているぐらいなのですが、しかしまあ柴田聡子はすばらしい! あとは、Toro y MoiとSolangeとYves JarvisとJames BlakeとHOMESHAKEとLittle Simzと毛玉とDeerhunterが好きです。BeirutやJulian Lynchを聴いて、多楽器インディーロックが流行るんじゃないかとも思ったのですが、そうでもないかもしれません。好きですが。あとは、友だちがついこの前教えてくれたVoVoとさとうもかが気になっています。Billie Eilishはまだそんなにハマっていません。MVはすごくかっこいいと思いますけど。

 今年今のところ一番かっこいい曲、Theophilus Londonの“Whiplash (feat. Tame Impala)”だと思っています。というかTame Impalaがかっこいい。この前出した新曲もよかった。

 

 今年はけっこう本を読んでいる気がします。あいかわらず小説ばかり読んでいます。去年から好きな多和田葉子は『飛魂』と『献灯使』を読んで、特に『飛魂』には文字に対する意識そのものを変えさせられました。「虎」という字の下半分の二本の線が伸びてそれぞれ臀部の穴と出産の穴に入ってくる描写とか、すごすぎる。あとは、朝吹真理子の『きことわ』と『流跡』が個人的にはすごく衝撃的で、漢字とひらがなのバランスとかももちろんなのだけれど、記憶も時間も感覚もあいまいに溶け合い、文字がひとりでに増えていくかのような描写のすばらしさに震えました。滝口悠生の『死んでいない者』の、地面すれすれをぬるぬる動き回って人も時間も自在に行き来する視点や、今村夏子の『こちらあみ子』の、すべてが主観で語られることの恐ろしさにも震えました。山下澄人の『鳥の会議』・『しんせかい』もべらぼうによかった。どういう書き方なのかがまだきちんと解明できていないのですが、遠いところへ連れていってくれる。『鳥の会議』は単純に青春小説としても最高でした。町屋良平の『青が破れる』もなんとなく似たような意味で好きでした。

 描写のありかたや文体が独特で、しかもそれが内容自体と相互に作用しあっており、ひとりよがりになっていないような小説に惹かれてしまいます。

 あとは、古井由吉『杏子・妻隠』、メルヴィル『ビリー・バッド』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、ミシェル・ウエルベック服従』、伊藤計劃虐殺器官』、アゴタ・クリストフ悪童日記』、東浩紀『弱いつながり』・『ゲンロン0』、舞城王太郎『短編五芒星』、村上春樹柴田元幸『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』、阿部和重ニッポニアニッポン』、本谷有希子異類婚姻譚』、穂村弘『絶叫委員会』がおもしろかったです。

 漫画ではpanpanyaさんの諸作と『凪のお暇』が好きでした。

 

 展覧会はあいかわらずそんなに行っていないのですが、東京都美術館でやっていた「奇想の系譜」展と森アーツでやっていた「新・北斎」展を見て日本美術すげえんじゃね?という気持ちになりました。これからは根津美術館などにも通います。あとは、恵比寿でやっていた「恵比寿映像祭」がよかったです。特に三宅唱監督のインスタレーション展示「ワールドツアー」。

 

 あとは、友だちたちと個人的な集まりをやったのがけっこう楽しかったです。自分たちでささやかな卒業文集を作ってみたり、焚き火をしてみたり。

 

 *

 

 ぬるぬるちょっと取れたかもしれません。おやすみなさい。

日記(3月24日)

 春から、恵比寿駅とガーデンプレイスを結ぶ「動く歩道」をパトロールして、「歩く歩道」と言いまちがえている人を取り締まる仕事に就く。恵比寿駅と目黒駅のちょうど中間くらいのところにひとり暮らしをする。

 昨日と今日であらかたのものを運びおえて、もう今日から泊まるのだが、しかしまだひとり暮らしを始めたという感覚はない。まだ、知らない町の知らない部屋に“泊まる”という感じで、“暮らし”は始まっていない。冷蔵庫も炊飯器もガスコンロもまだない、というのもそう感じさせる一因かもしれないが、そういう実際上の問題とは別に、身体が浮ついている。荷物を運びこんだところで、次に何をすればいいかわからなくなり、途方に暮れてしまった。外にラーメンを食べに行き、アトレの本屋で町屋良平『青が破れる』を買い、散策してみることもなくすぐに部屋に帰って、1時間ほど昼寝した。まるでひとり暮らしをしているみたいだが、“暮らし”の表面を上滑りしているに過ぎない。このあたりに住んでいるのだと自らに言い聞かせるように、あるいは周りに表示するように、手ぶらで出かけてみたが、おそろしくなってすぐに帰ってきて、布団にもぐり込んだ。

 昼寝から目覚めると、あいかわらずよく知らない部屋にいる。日当たりがよい。よく片づいている。広い。見慣れない。家から持ってきたテーブルと椅子までも見慣れない。見慣れない椅子に座って、見慣れないテーブルに向かい、本を読む。静かに読書していると、隣の部屋や上の部屋から歩きまわる音や引き戸を開け閉めする音なんかが聞こえてきて、他にもひとが住んでいるのだということを実感する。僕自身はできるだけ物音を立てないようにする。大家さんに、隣のひとに挨拶しなくていいと言われたので、周りにどんなひとが住んでいるのかわからない。あいかわらず何もわからないまま、本を読みすすめる。カーテン越しの陽光が少しずつ翳ってくる。見知らぬ部屋が翳ってくるのはおそろしい。暗くなりきってからはともかくとして、暗くなりゆくその過程を見知らぬ部屋で過ごすことがおそろしい。旅行中ならまだしも、これから暮らしてゆくであろう部屋だからこそおそろしい。その奇妙なおそろしさから逃れるように、夕方、外に出ることにする。また手ぶらで出て、地に足のついた感触のしないまま、渋谷のほうへ歩いていく。

 

 イメージフォーラムで『ユーリー・ノルシュテイン 《外套》をつくる』を観た。ユーリー・ノルシュテインのアニメーションは、2年前くらいに同じくイメフォで観て、特に『話の話』という中篇にはえらく心を動かされたのだった。今回は、ノルシュテインが長らく完成させていない『外套』という映画をめぐるドキュメンタリー映画

 ユーリー・ノルシュテインは『話の話』までのいくつかのアニメーションで世界的名声を手にしたあと、1980年からずっと、ゴーゴリ原作の『外套』という映画づくりを進めているそうだ。ドキュメンタリーが撮られた時点で38年目。今年で39年目に突入するのだろうか。映画のなかで、ノルシュテインは『外套』がいっこうに完成しないことについて、ソ連が終わって財政的に苦しくなったから、家族やスタッフが病気をしたから、タイミングが合わないから、などと理由を述べる。それらは、編集の仕方にも因るのだろうが、言い訳じみて聞こえる。『外套』は当初のアイデアから絶えず姿を変えつづけ、常に頭のなかにあるという。『外套』について考えるうちに、ほかの作品のアイデアは消えてしまったという。設定やプロットなども細かいところまで考えて、あとは作るだけだという。かんぜんに煮詰まってしまっているのかと思えば、(少なくとも表面的には)そうでもなさそうな様子で、ノルシュテイン自身はケロッとしている。ドキュメンタリーの監督からの「世界中のひとが『外套』を待っている。あなたにはそれを完成させる責任がある」という責め句に対しても、「待つことなんてないよ」とかわす。しかしそれでいて、『外套』の内容について語りはじめると言葉やイメージが止めどなくあふれ出てくる。

 ひとつの作品について何十年も考えつづけるなんて僕には想像も及ばなくて、それだけで圧倒されて、ひとり暮らしへの漠然としたおそろしさはどうでもよくなってしまう。とほうもなく長い、とか、とほうもなくでかい、とか、とほうもなく深い、高い、奇妙、速い、なんでもいいが、とにかくとほうもないなにかに対して、それがとほうもないというだけで畏敬の念を抱いてしまう。こういう感覚を、sublime、崇高、というらしい。こういうことをいまいち知らないまま、学生じゃなくなってしまう。見知らぬ部屋に戻り、スパゲッティでも茹でて食べようと麺を出したところで、まだガスコンロも来ていないことに気がつく。しかたなくケトルでお湯を沸かしてカップ麺と買ってきたサラダを食べる。ヘルシーとジャンキーのプラマイゼロ。これが暮らし。

日記(2月21日)

アマルコルド、ざらざら、ワールドツアー

 

・『フェリーニのアマルコルド』を観た。なんと! 3月12日までGyao!で無料で配信してくださっている。

gyao.yahoo.co.jp

・なんとも不思議な映画だ。イタリアのどこかにある小さな港町に暮らす人々の、とある一年間が描かれる。いちおう主人公と呼べそうな少年とその一家に焦点が当てられて話は進むのだけれど、映画の中心に据えられているのはむしろ町自体の姿であり、そこで流れる時間だ。細切れのエピソードの連なりによって映画が構成されているという点も、この映画が人物主体でないことの証しかもしれない。

・細切れのエピソードの連なりによって約2時間の映画が構成されている。短いものはほんの2分程度しかないし、長いものでもせいぜい15分といったところだったと思う。そのひとつひとつはなんでもないような寸劇だ。デフォルメされたような愉快な人物たちが駆け、怒鳴り、笑い、ほえ、泣き、カメラはそれをときに遠巻きに、ときに寄り添って映す。美しい演出と撮影に支えられてずっと見ていられるのだけれど、それはもう驚くほどに細切れで、ときおり、僕は何を観ているのだろう、という気にさせられる。ところが、死と祝宴によるエンディングを経てクレジットが流れるころには、不思議なことに胸にぐっとこみあげるものがある。なんでもなかったはずのあれやこれやが途端に輝きはじめる。なぜ?

・もちろん演出・編集の妙がバリバリにきいているのだろうけれど、フェデリコ・フェリーニが虚構性をはっきりと意識している、というのも大きな要因じゃないかと思う。登場するのはデフォルメされた人物ばかりだし、カメラに向かって話しかける人らもいるし、そもそも町全体が架空のもので、そこにフェリーニの少年時代の思い出が投影されているだけだというし。これって全部架空のものだもんな、という意識も相まって、“もうこのころには戻れない”という感覚が強調される。古きよき時代、といったらチープに過ぎるけれど、意図されているものはそれに近いと思う。それと、これは僕の側の事情になるけれど、パソコンの小さい画面で観たというのも関係しているかもしれない。小さな画面のなかで小さな人々がなにやらせわしなく動き回っている姿に涙してしまう。映画って、概して大きな画面で観た方がいいに決まっているけれど、でもなんだか小さい画面で観たからこその感慨って、たまにだけど、ある。

 

・『フェリーニのアマルコルド』みたいに、細切れのエピソードの連なりではあるけれど、短編・掌編オムニバスという感じでもなく、あくまでひとつの長編映画だという感じがする映画って、他になんかありませんか? 思いつきません。探しています。なんでもない瞬間の連なり、ということでいうと、小説だと川上弘美さんの『ざらざら』なんかが思い出される。あれはよかったなあ。あれに似た感じの小説ありませんか? 探しています。よく考えれば、Twitterのタイムラインなんかもなんでもないことの連なりだ。

 

・『アマルコルド』が映し出していた、なんでもなさの連なり、という要素をさらにぐーっと推し進めたのが三宅唱によるインスタレーション展示《ワールドツアー》といえるかもしれない。観ている僕の側でたまたま繋がったってだけで、三宅監督は今回の制作にあたって『アマルコルド』を参照したってことはたぶんないけれど。

・恵比寿映像祭っていう基本無料の特集展が東京都写真美術館・日仏会館で今週末までやっていて、そのなかに三宅唱による《ワールドツアー》という展示があるという。映画『きみの鳥はうたえる』における、あまりにみずみずしい夜のシーンが強く頭に残っている。あんなシーンを撮れる監督のインスタレーション展示とあっては、行かない手はないでしょう。しかも無料というし、寝転がれるというし。詳しいことは、三宅監督自身の文章( https://magazine.boid-s.com/articles/2019/20190218001/ )や、美術手帖webに掲載されているレビュー( https://bijutsutecho.com/magazine/review/14941 )を参照。 

 

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 ・目の前の三面スクリーンに映し出され次々と切り替わる映像、そのひとつひとつはほんとうになんでもない瞬間のはずなのだけれど、それをこういう形で提示されると途端に引き込まれてしまう。テンポよく切り替わり、ときに合流する三つの映像の何にここまで魅せられるのだろうか。ずっと見ていると、細切れに切り替わる映像の背後に四季が流れていることがわかる。時間がたつ、というのは世界を感じるための大切な要素のひとつなんじゃないか。しつこいけれど、さっきの『アマルコルド』もそうだったもんね。

・三面スクリーンの向かいにはもう一つ小さなスクリーンがあって、そこには、撮影したけれど使われなかった無数の映像が早送りで流れている。そっか、前の三面に流れている何でもない映像も、膨大な蓄積のなかから選定され、途方もない編集を経てここにこうして流れているのである。音に注意してもおもしろくって、そのときどきでスクリーンごとに音量の大小が違うのである。流れる映像も、その切り替わるタイミングも、音響も、おそらく高度に練られた映像なのであって、だとするとこんなに魅せられるのも納得がいく。日常を切り取るだけなら誰だってできるけれど、魅せる、ということになるとまったく話が変わってくるのだろう。日常物こそ難しい。

・小さい方のスクリーンの横には制作日記も印刷されていて、そこで三宅監督がとてもいいことを言っていた。僕も日常の美しさがどうのこうのなんて去年から言っているけれど、それでどうやってひとを魅せるかということについて意識的になっていきたいところである。なっていかなければならない。

2018年3月23日(金曜日)

ずっと「ワールドツアー」の編集をしている。「一体どういうカットが使われたり使われなかったりするのか」と尋ねられる。たとえば、実際に体験した方が明確に面白そうなイベントごとを映像でみるのは、なかなか面白くない。むしろ、実際に目でみただけならまるで気がつかないかもしれない瞬間や風景を、映像でみることではじめて面白いと思えること。例えば空き地とか。カメラや映像によってその場所の潜在的な可能性が示される、という感じ。映画が役に立てるとしたら、こういうことではないか。(中略)映像と映像の間には、撮られなかった無数の瞬間、無数の出来事がある。

 

日記(カヤホガ)

 僕が最初に自分で買ったCDは、R.E.M.の『グリーン』というアルバムだ。といっても、そもそもこれまでそんなにCDを買ってきた人生ではなかったし、この『グリーン』だって古本屋で300円くらいで買ったCDだ。

 僕が最初に自分で買ったCDは、だなんて高らかに話しはじめるのはおこがましかったかもしれない。

 とにかく、中学生のときにR.E.M.の『グリーン』を買った。R.E.M.の長く豊かなキャリアにおいてこのアルバムがどれほどの立ち位置なのかはわからないが、他のアルバムよりほんのちょっぴりへんてこぐあいが高めで、適度に政治的主張を含みつつ、R.E.M.らしい土台のしっかりしたポップなギターロックが鳴っていて、なかなかいいのだ。そもそも一曲目からして、“Pop Song 89”だもんね。“Get Up”における溌溂としたコーラス。“Stand”のどこか遊園地のようなサウンド。しかし特に後半にかけて、実はどちらかというとどんよりした曲の方が多い。

 

 今みたいに検索窓に打ち込めばなんだって聴ける時代になる前、つまりもうかれこれ300年くらい前のことになるのだろうが、僕はブックオフやどこそこの古本屋でときどきCDを買っていた。その細々とした集積の結果がいまも僕の部屋にはあって、ラインナップのなかにはさっきの『グリーン』に加えて、『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』と『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』、合計3枚のR.E.M.のアルバムがある。

 つまり、僕はどういうわけかR.E.M.が好きなのだ。

 どういうわけだろうか。

 R.E.M.はよくその歌詞が文学的だなんていうふうに評価されているみたいだが、当時中学生だった僕が歌詞から入ったなんてことはない。いまでこそ歌われている内容を多少なりとも気にするようになったが、中学生の頃なんて、知っている英単語といったら“Hello”と“Sorry”と、ちょっとエッチな言葉くらいのものだったのだから。では、歌詞じゃない部分でR.E.M.のどこが中学生の僕を惹きつけたのかというと、その土台のしっかりしたバンドサウンドと、しっかりしつつキラキラしたメロディと、マイケル・スタイプの声だろう。

 少しざらついていて、あたたかみのある声。“声に説得力があるロック・ミュージシャン”として、デヴィッド・ボウイと並び称されている。

 “We can be heroes, just for one day”と歌ったデヴィッド・ボウイ、“Don’t let yourself go, `cause everybody cries, and everybody hurts sometimes”と歌ったマイケル・スタイプ

 

 しかし、バンド初期のマイケル・スタイプの歌唱はボソボソとしていて、アメリカ人でも何を歌っているのかわからなかったそうだ。いずれかのアルバムのライナーノーツにそう書いてあったはずだし、日本語版のWikipediaにも書かれている。

「インディーズ時代;アルペジオを多用したギターサウンドと、メロディアスなベースラインが特徴である。/この時期の作品には歌詞が一切掲載されておらず、スタイプの歌唱も聞き取りづらかった為に、「アメリカ人でも殆ど何を歌っているのかわからない」と言われたほど。」Wikipediaより)

 初期というのがどれくらいまでのことを指すのかわからないが、1枚目のアルバム『マーマー』のときにはたしかになんとなくボソボソ歌っているように聞こえる。しかし、僕が持っている3枚のうち最も古い『グリーン』の頃にはすでにボソボソ期を脱していたようだ。かなり聞き取れる歌唱というか、正確に言うと、僕は聞き取ることはできないけれどこれがもしアメリカ人だったら聞き取れているだろうな、という感じの歌唱になっている。そのあとのアルバムも同じだ。僕はいつまで経っても断片的にしか聞き取れないけれど、アメリカ人だったら聞き取れていそうな歌唱。

 

 *

 

 僕はそんなにきちんとしたファンではないので、きちんと聴いたとはいえないアルバムもいくつかあるのだが、最近になって『グリーン』の2つほど前の『ライフズ・リッチ・ページェント』というアルバムがとんでもなく素晴らしいということに気づいた。『グリーン』で遊園地じみる前の、直球のギターポップ西日暮里駅で降りて、西日暮里公園を通ってそのまま谷中銀座の上へと抜け、朝倉彫塑館を左手に見ながら進めば谷中霊園の出口と合流し、上野桜木の細っちい歩道をおそるおそる這い、やがて芸大前、上野公園へと開ける道を歩きながらこの『ライフズ・リッチ・ページェント』を聴いて、その老成したみずみずしさ、とでもいうべき音に心酔してしまった。

 このアルバムもまた、ボソボソ期を脱しているように思う。マイケル・スタイプは多くの単語をはっきりと発音しているし、後期に見られるような説得力をはやくも手にしている。ところが、何曲目だか、イントロのベースラインが心地よく、老成とみずみずしさがまさしく同居する曲の、サビといえそうな部分にさしかかったとき、まったく聞き取れない箇所が出てきたのだ。それはもう、言葉を失うくらい聞き取れなかった。

 これが例のボソボソ歌唱か! 脱したんじゃなかったのか?

 

 そんなに大した話でないので結論から述べると、曲のタイトルが“Cuyahoga”というオハイオ州の地名になっていて、それがサビでも繰り返されていた、というだけだ。それがわかってから聴くと、たしかに「くやーほーがー」とはっきり発音している。まったくもってボソボソ歌唱なんかではない。なるほどねえ、地名というパターンか。

 

 *

 

 ようするに、「R.E.M.の曲でまったく聞き取れない箇所が出てきて、これが初期のボソボソ歌唱ってやつか、と思ったけれど、調べたら聞いたことのない地名を歌っているだけだった」というだけの話がしたかっただけなのだが、こういう、意味も教訓もなく、誰の興味も惹かないような話を書き残すことができてよかったです。そういう話って、ふだん、行き場がないから。

youtu.be

  ”Cuyahoga”、ほんとうにいい曲なのでぜひ聴いてください。