にしざわの日記

オレの夏…

悲劇について

 今回はとっても悲しい話をしようと思います。

 

 僕はとっても悲しいことに気が付いてしまったのです。それは世界中でコモンに起きている出来事でもあるし、一方で当事者ひとりひとりにとっては存在が揺らぐほどキビシイ話でもあるはずです。ダイエットについての話です。

 では、僕の気付いた悲劇について、OLを例にとって説明してみますね。なんでOLかって、OLで説明するのが一番わかりやすいからです。だって彼女たちはダイエットの生き物でしょう。

 一般的にOLはダイエットをしますね。彼女たちがダイエットをする動機はいくらでもあると思います。それらについてここで詳しく触れることはしません。いずれにせよ彼女らはある日、それぞれの動機でダイエットを始めるわけです。彼女は部屋のカレンダーに『ダイエット開始‼』と書き込んでみたり、池袋のパルコにワンサイズ細いデニムを見に行ってみたりすることでしょう。あら、今のアタシにはやっぱりちょっと細すぎだわ。3か月後のアタシはどうなっているのかな? 半年後はどうかしら? ほっそりしたデニムを履いて、ほっそりした顔で笑えているのかな? OLの心は痛快ウキウキ通りを歩きます。

 ああ、ここに落とし穴があります。いま、彼女の頭にはダイエットが成功するイメージしかありません。女子高生だったあの頃のような『アタシ無敵じゃん?』感。彼女は忘れているのです、ダイエットには失敗もあり得るということを。

 もちろん誰も最初から失敗すると思ってダイエットを始めるわけではないでしょう。でもそうやって張り切って始めた人々の何割かは失敗してしまう。ここに悲劇があります。世界では/日本では/井の頭線沿いにある5階建てマンションの一室では、一日に/いまこの瞬間にも、一人の/何千人もの/何万という数のOLがダイエットに失敗しているのです。

 ほら、また一人失敗した……

 成功か失敗か、って言うと五分五分のような気がするけれども、ダイエットなんてだいたい失敗するでしょう。そもそもがフェアな勝負ではないわけです。意志の強弱なんて関係ありません。ほんの一握りの成功するOLは最初の瞬間から勝利への階段に足を掛けているし、多くの失敗するOLの前にはそんな階段なんてハナから設置されていないわけです。電車だって、乗ってしまえば次の駅に着くまで降りられませんよね。それと一緒です。OLが階段を駆け上がって閉まりかけのドアをこじ開けなんとか乗ることができた電車はなんと「失敗」行き。窓に手をついて、向かいのホームから発車する「成功」行きの電車をただただ見送ることしかできません。

 もちろん僕はダイエットという営為そのものを否定するのではありません。ダイエットに成功したOLにはおめでとうと言いたいです。彼女らはすごく頑張ったし、その努力に見合うだけの結果が得られたのだから。でも実際、多くのダイエットは失敗します。誰もが成功を夢見てはじめるのに。ダイエットは悲劇を内包しているのです。

 

 

 

「多くのダイエットがアタシを通過していったわ――」タバコ片手にOLは言うでしょう。「バナナダイエット、座布団ダイエット、炭水化物抜きダイエット、豆腐ダイエット、昼抜きダイエット、一日4食ダイエット、……色々やった。苦手な納豆だって食べた。レディオヘッドだって聴いたわ。でも、どれも効果が出る前にやめてしまったの。わかってる。続けてれば何か変わったかもしれないよね。でも、アタシには無理だった」

「ジョギングなんてどうだろう?」

「ええ、ジョギング。試したわ。でも、駄目ね」

「そうか」

 3月のある晴れた夜。僕とOLは太平洋を臨む砂浜にマツダの中型車を停めて、月の光をキラキラ反射させる海面に目を細めながら、静かに語り合います。何か探るように出す2人の声が、さざ波に溶けていきます。

「ジョギングはね、キツい」

「まあそうだよね。ジョギングは息が切れる。仕方ない」

「納豆はね、ネバネバしてる上に臭いっていう二重苦が、どうしても受け入れられなかったわ。レディオヘッドは好みじゃない」

「だよね。納豆はネバつくし臭い。最悪だ。レディオヘッドは暗いもんね。仕方ない」

「アタシ、変われないのかな」

「君は変わらないよ。変わる必要なんてない」

 

 

 

 ……そうなんです。多くのOLは変わる必要なんてないんです。ダイエットなんてしたって、どうせ失敗するじゃないですか。なんでそんな悲劇に自ら身を投じなくちゃいけないんですか? OLの皆さん、ダイエット、やめましょうよ。

 それでは今回はこの曲を聴きながらお別れしましょう。ビリー・ジョエルで、「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」。おやすみなさい。