バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

二〇二四年八月の日記

8/1

 頭痛とめまいがして会社を休んだ。月初から幸先の悪い! 寝て、起きて、『忘れられた日本人』を読み終えた。あっという間に夕方になって、アレックス・Gの『ゴッド・セイヴ・ザ・アニマルズ』とボン・イヴェールの『i, i』のLPを流したらすごくよかった。『個人的な体験』を読み進め、それと並行させる形で『僕の名はアラム』も読み始めた。『僕の名はアラム』はまだ最初の二つの話しか読めていないけど、どちらも素晴らしくて「おお」と声が出た。短い文を連ねて描くのがとにかくうまい。僕も自分が文フリに出るための短編を少し書き進めた。でもいま書いているものを文フリの冊子に載せるかどうかはわからない。秋までに他にもバンバン書けたら載せないかもしれない。たぶん載せる。

 同居人が帰ってきて、夕飯を食べた。フット後藤が一年ぶりに天下一品のラーメンを食べるYouTubeを見て笑った。そのあとはネトフリの『ボーイフレンド』を見進めた。けっきょくこういうの見ちゃうんですよ!

 

8/2

 八月に入ってから、むしろ、少し過ごしやすくなっていやしないか。

 仕事を終えて、ラーメンを食べに行って、そのまま家に帰ってもよかったのだが、読書でもしようと思ってルノアールに入った。金曜日の夜だ。駅の近くのカフェはどこもたいてい混んでいるのに、僕の入ったルノアールは心地よい空席に恵まれていた。先月の大塚のルノアールと同じく、そこは「ルノアール会」に所属するルノアールだった。何度か入ったことがあるルノアールだが、そこが「ルノアール会」に所属していると知ってから入るとまた味わいが異なる。日が経ったので「ルノアール会」についてもあらためて説明する必要がある。いや、説明する必要はない。先月の日記から引っ張ってくればいい。

ルノアール大塚店メモ;ルノアールといえば赤い椅子のイメージがあるが、大塚店の椅子は青い。壁にも青とターコイズ幾何学模様が張り巡らされている。というのも、メニューの表紙と裏表紙に記載されていた文章によれば、大塚店はいわゆる「銀座ルノアール」とは異なる「ルノアール会」というボランタリーチェーンに属しているそうで、ルノアール会は現在六店舗(恵比寿の二店舗はいずれもルノアール会)しか存在しないそうだが、それぞれが特色のある内装やメニューを展開しており、説明文からは「むしろルノアール会こそがルノアールの本家本元である」というような矜持さえ感じられる。実際、大塚店は先述の青を基調とした内装、漫画の数々、そして長居した際に出していただいたお茶が昆布茶だったなど、節々に独自路線が見受けられ、非常にいい喫茶店だった。」

 僕が今日入ったルノアールは一見すると「ルノアール会」でないルノアールとさほど見分けがつかないようにも見えるが、壁の隅に使われていないブラウン管が埋め込まれていたり、ソファの座面がライトグリーンだったりして、控えめながらも独自性が発揮されているのだった。といっても僕は「ルノアール会」でないルノアールにさほど足を運んでいない──むしろ入店した回数でいえば「ルノアール会」であるルノアールのほうが多いかもしれない──のでこれらの特徴がこの店舗ならではのものなのかどうかはわからない。しかし比較的小ぢんまりとした店内には隅々までこだわりが行き届いているように思えた。もし仮に、世の中一般のカフェというものが実は宇宙船で、飛び立つ日を待っているのだとしたら、僕は今日のルノアールの船員として応募することを検討したいと思った。もちろん船員の倍率は高いだろう。だから僕は先日の大塚店の船員にも併願することを考えなければならない。

 カフェが宇宙船であるというのは突飛な考えのようだが実はそうでもなくて、今日のルノアールの、店内中央あたりの天井には大きな円形のくぼみがあって、そこから照明が吊るされる形となっており、有事の際にはそこを中心にエンジンがかかって店全体が浮上するのであろうと容易に想像できたのだった。そうなると壁に埋め込まれたブラウン管はおそらくHALだ。ルノアール号が宇宙に出てしばらく経った頃に起動して、船員たちを次々と陥れるだろう。だとすれば今日のルノアールではなく大塚店の船員になったほうが安全そうだが、大塚店も大塚店で、壁や天井に張り巡らされた幾何学模様が何をしでかすかわかったものではない。

 天井のくぼみの外周をなぞるような形で、店員の若い女性が手持ちぶさたそうに店内を何周も徘徊していて、それは凡百のチェーン店ではあまり見ないような、たしかにここが「ルノアール会」なのだろうと思えるユニークな光景だといえた。僕はその姿に奇妙な好感を持ちつつ、そのひとがあまりにぐるぐるしていて、本を読みながらもときどき視界に入ってくるのでひとりでウケてしまった。ウケてしまったといったって実際に笑顔になったり声を出したりしたわけではないが、そんなのはまだ僕が若い(若くはないが)から抑えられているだけで、老人になったら抑えられないのだろう、と僕に未来の想像をさせるほどにその店員さんのぐるぐるはおもしろかった。

 しばらくルノアールにいると、飲みに行っていた同居人から帰るという連絡があって、駅から一緒に帰った。同居人は今週は会社でいろいろあった。僕はそのいろいろを聞いているが、おそらく日記には書かれないだろう。

 

8/3

 かなりいまさらな話になるが、僕がアメフトサークルに所属していた大学生のときに、よく着替え場所として使っていた、駒場のキャンパスの音楽系のサークルがある棟の柱に書かれていた「鳥バード」という落書きは、大江健三郎の『個人的な体験』などの小説に出てくる、鳥(バード)と呼ばれている青年のことを指しているのではないかということを、まさに『個人的な体験』を読み返していてふと思った。前にもふと思ったことではあるが、そのときは日記に書かなかった。今日は書いた。

「鳥(バード)、その、両手の拇指のつけねで頭をこすりつけるのは、きみの大学の時分からの癖だったかい?」

大江健三郎『個人的な体験』(新潮文庫)p.193)

 今朝は自然に目が覚めて、部屋のなかの空気からして七時くらいかと思ったらまだ五時半だった。もう一度寝ようにもなんとなく寝られず、もぞもぞしているうちに同居人も起きて、『ボーイフレンド』の続きを見始めたので僕も合流した。七時を回った頃に洗濯機を回して、外に干した。朝食を食べてから、同居人はいつしか寝ていた。僕はベランダで洗濯物が揺れているのを部屋のなかから眺めた。十時半頃にベランダに出たら既にタオルもシャツもパンツも乾いていて、取り込んで、準備をして家を出た。同居人と共に家を出て、それぞれの実家へと帰った。

 実家の近くには東西に細長い沼がある、その沼の名を冠した花火大会が、毎年八月の初旬に開催される。それに合わせる形での帰省だった。帰省、は大げさだ、せいぜい一時間ちょっとで帰ってこられるので帰宅に近いかもしれない、しかし中学、高校、大学の間ずっと乗っていた電車の車窓を流れる景色にどうしても懐かしさを覚える。その時点でただの帰宅ではない。帰省でも帰宅でもない。線路際の建物たちが十数年ぶんの時間を重ねているのを車窓からでも感じる。看板は日に焼けて退色している。以前はなかったマンションが建っている。あそこを歩いているあのひとは僕が中学生のときにもやはりあの道を歩いていたのだろうか。

 昨日から歌の入っていない音楽を聴く流れが僕のなかにできていて、

 KEVIN "Laundry"

 Jim O'Rourke "Bad Timing"

 Sam Wilkes, Craig Weinrib, and Dylan Day "Sam Wilkes, Craig Weinrib, and Dylan Day"

 Ulla & Ultrafog "It Means A Lot"

 などを実家への道中や実家に着いてからも聴いているうちに眠くなって昼寝した。

 夕食を食べてから、沼沿いまで歩いていって花火を見た。東西に細長い沼の、東寄りにある公園を拠点に花火は打ち上げられる。僕の家は沼の西寄りにあるので、少し遠くのほうで上がる花火を眺める形になる。花火が開いてから音が聞こえるまでにおよそ七秒ある。爆発音が僕たちのいる位置にまで鳴り響くときには、たいていの花火は既に消えている。沼沿いには高い建物もないので僕の家の近くからでも花火はクリアに見えるが、打ち上げ位置との間にはこんもり膨らんだ小さな森があって、それに遮られて、地上付近でバチバチと開くようなタイプの花火は見えにくい。それでも僕たちが沼の西寄りのその位置から花火を見ることを好むのは、そこが単に家に近くてひとも少ないからというのもあるが、沼の風が感じられ水音が聞こえるのが非常によい。

 沼沿いの遊歩道には街灯なんて一本も立っていないが、花火が打ちあがっているからなのか、日が沈んでからも沼の表面にさざ波が立っているのがよく見える。マコモやアシに押し寄せる水音もしっかり聞こえる。驚くほど涼しい風が頬やふくらはぎをなでる。虫たちが鳴く。そこに七秒遅れて花火の爆発音が響く。

 遊歩道に沿って人びとが、あるひとは持ってきた椅子に座り、あるひとは立ったまま同じ方向を見ている。僕と母はそれぞれうちわを持って西の空を仰いでいる。すぐ後ろで男性が鼻をすするような音が聞こえて、それがなんとなく近すぎるような気がして振り返ると、二羽の白鳥が田んぼのほうから遊歩道へと上がってきて僕たちの真後ろにいる。そのでかさと、一羽ではなく二羽というところで僕はウケて、しばらく花火どころではなく白鳥のほうばかり見ている。鼻をすするような音を出していたのは白鳥たちだ。僕は白鳥はガア、ガアかと勝手に思っていたが、そうでなくズズッと、もしかしたら鳴き声ですらない音を発しながら、白鳥たちは遊歩道を横断し、しばらく僕のそばに止まったが、花火を見るふうでもなくそのまま沼のほうへとそろりそろり歩いていった。少し遅れて弟がやってきて、白鳥たちは去年もいたと教えてくれた。

沼へ

あと七秒で爆発音が響く……

沼からの風はぬるくて気持ちがいい

ズズッと鼻をすするような音を発しながら歩く白鳥たち

 

8/4

 僕のおじさんのメリクは、史上ほぼ最低の農場主だった。農業をするにはあまりに想像力豊かで、あまりに詩人だった。おじさんが求めたのは美だった。美を植え、美が育つのを見んとおじさんは欲した。世界に詩と若さがあった古きよき日々、ある年僕はおじさんに言われてザクロの木を百本以上植えた。僕はジョン・ディア社のトラクターも運転したし、それはおじさんも同じだった。すべては純粋な美学であって、農業ではなかった。木を植えて木が育つのを眺める、という発想におじさんは惹かれたのだ。

 あいにく、木は育たなかった。土のせいだった。土は砂漠の土だったのだ。それは乾いていた。購入した六八〇エーカーの砂漠をおじさんは腕を広げて示し、誰も聞いたことがないほど詩心あふれるアルメニア語で言った──この恐ろしい荒廃の地に果樹園が生まれ、ひんやりした泉の水が土地から噴き出して、美しいものすべてが生まれ出るのだ、と。

 はい、おじさん、と僕は言った。

ウィリアム・サローヤン柴田元幸訳『僕の名はアラム』(新潮文庫)より「ザクロの木」p.49~p.50)

 僕の実家の二階のトイレは、史上ほぼ最高に居心地のいいトイレだった。日本のトイレというにはあまりに広く、あまりに地中海のバカンス風の雰囲気を漂わせていた。バカンス風というのは僕が勝手に思っているだけで、実際はただの日本の一軒家のトイレだ。広いというのもいい過ぎで、実際には、まあふつうより少しくつろげるくらいだ。

 バカンス風というのは、僕がまだ実家に住んでいた頃から感じていたことだった。二階のトイレには、縦に並んだすりガラスの羽が開いたり閉じたりすることで換気のできる窓──調べてみるとそれは「ルーバー窓」というそうだ──がついていて、夏には窓の羽は換気のために開いている。その羽と羽のすき間から、僕たちの家の屋根の一部と、裏の家のバルコニーが見える。そのわずかな景色が、よく晴れた日にはなんとなくバカンス風の雰囲気を持つのだ。行ったこともないしよく知らないくせに、なんとなく〝南仏プロヴァンス〟という言葉が浮かんでくる。そういう雰囲気があるがゆえにそのトイレは実家にいた頃の僕にとってお気に入りの空間のひとつであり、よく長居しては読書したものだった。汚い話ではあるが……

 今日もそのトイレで少し読書した。トイレと自分の部屋で『個人的な体験』を読み終え、『僕の名はアラム』を読み進めた。あとは自分の短編を書き進めた。午後には母と弟と共に車で祖父の入院する病院に行って、顔を見て、帰ってきた。

 二階のトイレから少し見える景色はプロヴァンス風だが、同じく二階の僕の部屋から見える向かいの家の屋根や電線や木々はいかにも日本の郊外という感じがして、午後から夕方にかけて日が傾き、空が橙色に染まるにつれ、インディーズロック的なさびしさが出てくる。そのさびしさはカーテンを閉めて部屋の明かりをつけてからもしばらく続く。夕飯をいただいてから実家を後にした。

 東京に戻ってきて、しばらくするとどこかで友だちと飲んでいた同居人も帰ってきた。同居人は今日ユーロスペースで『東京裁判』を観たという。その話を聞いているうちに僕も観たくなった。お盆休みのタイミングでちょうど上映があるようなので行けたら行こうと思う。

 

8/5

 僕はこの日記を、基本的には公開されることなく、したがってひとに読まれることもないかのようなていで書いているが、実際には日記は書いた翌日か翌々日にはまず同居人に読まれ、さらに一ヶ月に一度のペースでインターネットにアップされるので、読むひとは読んでいる。違う、読んでいただいている。インターネットというのも違う、いやインターネットではあるが、はてなブログだ。僕は自分の手で日記をはてなブログにアップしていて、それを読んでいるひとがいることを知ったうえで書いている。それはこの日記の特性のひとつになっているといっていいと思う。

 先月、僕のブログを見てくださっている方から連絡があって、今日はその方と通話した。初めてのひとと通話するのは緊張するが、気負いすぎることなく臨もうと思いつつ、約束の二十一時の何分前にグーグルミートに繋げるべきか迷って、けっきょく二十時五十九分に入った。日記、ブログ、生活のなかで文章を書くこと、好きな文章、好きなブログ、何に影響を受けて日記を書いているか、ブログのスタイル、はてなブログの購読機能など様々なことを話して、すごく充実した一時間を過ごせた。僕も「毎日のあれこれについて言葉を尽くすことは大切ですよね」みたいなめちゃめちゃ偉そうなことをいった気がする。しかし偉そうなことをいうのは身体にいい場合がある。身が引き締まる。

 はてなブログの購読の機能というのはけっこういいものだと感じた。ひとのブログを読み、それに多かれ少なかれ影響を受けながら自分の文章を書く。あらゆる文章は世界の何らかのものから影響を受けて書かれるということを指し示すひとつの形態が、購読機能というものに表されている。といったら大げさか。眠くてよくわからないことを書いている。

 同居人は今日も飲みに行っていた。疲れていそうだった。

 

8/6

 あと昨日はクレイロの"Juna"のミュージックビデオをYouTubeで見た。いいビデオだった。クレイロが自らの口トランペットを見せどころだと捉えていそうなこともよかった。YouTubeでいうと、スネイル・メイルによる"Tonight, Tonight"のカバーもアップされていて、それを聴いた流れで原曲も久しぶりに聴いた。僕は"Tonight, Tonight"を、信じられないほどいい曲だと思っている。スマッシング・パンプキンズはいまではほとんど聴かなくなってしまったが、たまに"Tonight, Tonight"のミュージックビデオをYouTubeで見て、その流れで"1979"のビデオも見ている。まあ"Today"も聴く。いまではほとんど聴くことも顧みることもない曲が、YouTubeでは思いがけず僕の前に再び現れる。それがおもしろい。

 今日は『地面師たち』を見た。トヨエツ演じるハリソン山中という男は作中のところどころで嗜虐性を見せるのだが、けっこう〝ぼくの考えたかっこいい悪役〟感もあって、ガワでやっている部分も大きいのではないかと思えておもろい。そういう目で見るとハリソン山中はけっこうおもろい言動が多い。ハリソン山中は感情を剥き出しにすることなく、誰にたいしても丁寧語で話す。ハリソン山中はウイスキーに詳しい。ハリソン山中の名刺は真っ白い紙の中央に電話番号のみが印刷されたシンプルなものだ。ハリソン山中のスマホの待ち受けは、弾痕なのかガラスの破片なのかわからないが、暗くてかっこいい感じの模様になっている。ハリソン山中は『ダイ・ハード』でアラン・リックマンが演じていた悪役ハンス・グルーバーの美学に憧れている。ハリソン山中がたくさん勉強して理想のハリソン山中像を作り上げたのだと思うと、どんどんおもろく思えてきてしまう。だいたい「ハリソン」ってどこから連れてきた名前なんだ。そんなことを考えているうちに、最後にショーンKのことを思い出した。

 

8/7

 僕が会社に行っているとき、ハリソン山中は何をしているのか。勝手な想像だが、ハリソン山中は意外とスマホを見ているし、なんならツイッターとかもやっているんじゃないだろうか。おすすめのほうのタイムラインをひととおり見てから、ハリソン山中は「ああ、いけない」とひとりごち、本棚から世界の名言集や歴史上の凶悪犯の伝記集を取り出してめくるだろう。ハリソン山中は座学で悪役を勉強している。こうなったらこうする、ここでこの名言をいう、そういう悪役の振る舞いをハリソン山中は何度も反復練習する。僕はその間も会社で真面目に仕事している。ハリソン山中も昼過ぎには少し眠たくなって、十五分ほど昼寝するだろうか。十五分のつもりが一時間寝てしまって、「ああ、いけない」とつぶやいて目をこするだろうか。ベッドで横になったままスマホをいじってしまって、やはり「ああ、いけない」と繰り返して身体を起こすだろうか。僕が仕事を終えて帰ろうとする頃、空には分厚い雲が立ち込め、雷が鳴り響き、雨がいよいよ勢いを増していた。ハリソン山中も気圧の変化で頭が痛くなったりしただろうか。僕と同居人が雨が弱まるのを待とうとちょっとおしゃれな店に入ってちょっとおしゃれな夕飯を食べ、その後けっきょく帰り際に土砂降りに見舞われたとき、ハリソン山中は暗い部屋で足を組んで座りながら、またスマホをいじっていただろうか。ひとりでウイスキーを開けて、気がつけば文字がたくさん流れるYouTubeばかり見てしまって、また「ああ、いけない」とつぶやいただろうか。

 今日は『地面師たち』を最後まで見た。ハリソン山中はあまりしゃべらずに隠れていればミステリアスな強敵の雰囲気が出ただろうに、出たがりでしゃべりたがりなゆえにちょっとおもろくなっていて、しかしこのドラマの楽しみ方としてはこれも正統な気がする。ハリソン山中だってほんとはあんなにしゃべりたくなかっただろう。ハリソン山中が憧れる悪役というのは、あんなにべらべらしゃべらないからだ。しかしドラマをおもしろくするために台詞を増やされてしまった。そういう意味ではハリソン山中も踊らされる側の人間だった。

 

8/8

 日記において僕は同居人のことを「同居人」と表記しているが、なにもその表記に固執する必要はない。たとえば苗字か名前の頭文字で呼ぶのでもいい。というかそれがかっこいい。かっこいい日記というのはたいていひとのことを頭文字で呼んでいる。しかし苗字と名前のどちらの頭文字がいいか。僕は名前のほうに親しんでいるが、同居人と僕は名前の頭文字が被るため名字でいってみよう、こんなふうに;今日の『虎に翼』を見て、Sは号泣しながら、「顔面が痛い」といっていた。Sはよく泣きながら「顔面が痛い」といっている。あるいは「心臓が痛い」といっている。泣いたときに顔面が引きつったり心臓がきゅっとなったりする感覚はたしかにわかる。そうだとすると、泣くという行為はけっこう身体に負担なのではないか。

 

8/9

 仕事のあと友だちと散歩した。同居人は友だちと野球を見に行って、そのままその友だちと帰ってきた。

あの日滑らなかった滑り台

8/10

 昨日の夜はほんとは僕と僕の友だちと同居人と同居人の友だちで、四人でカタンをやろうという予定だったのだが、同居人たちが疲れてしまったそうで中止となり、その代わりに僕と僕の友だちは散歩をした。カタンのキャッチコピーはなんだったか。「己の力で西部を開拓するロマン」だったか。違った。「資源で未来を開拓するロマン」だ。僕と僕の友だちは開拓された道を歩いていった。途中には驚安の殿堂ドン・キホーテも、首都高の高架も、天下一品もあった。資源で開拓されきった道だ。驚安の殿堂ドン・キホーテの店頭にあるアクアリウム、それが昨日は「メンテナンス中」になっていたその文字すらもドンキのフォントになっていて、世界観の徹底が素晴らしかった。けっこう歩いて疲れたので帰りはLUUPに乗った。やはり資源だ。

 いっぽうの同居人とその友だちは家で『ボーイフレンド』を見ていた。僕も帰宅後合流して見た。僕と同居人はついこの前見たので二回目になるのだが、同居人の友だちが見ていなかったために一緒に見ることにしたという。流しぎみに見ようと思ったが僕もなんだかんだしっかり見た。やはりテホン氏はいい。夜遅くまで見てから一度寝て、朝起きてから続きを見、外に朝ごはんを食べに行き、昼間は同居人のお母さんの母校が出るという甲子園の試合も見、夕方には昼寝し、夜には寿司の配達を頼んでまで『ボーイフレンド』を見進めて見終えた。友だちを駅まで送るついでに僕たちも五反田のTSUTAYAに行って『HUNTER×HUNTER』の漫画を途中まで借りて帰ってきた。いまはブレイキンを見ている。「身体のボキャブラリー」という表現がすごくいい。僕の身体のボキャブラリーはかなり少ない。

 

8/11

 あまり気温を調べようともしなくなってきている。もはや気温はない。連日の暑さだけがある。起き抜けのカラカラの喉があり、なんとなくの頭痛があり、よく乾く洗濯物がある。あとでまとめて洗おうと思って水を張っただけのコップたちがシンクに並んでいる。

 ベランダに出しっぱなしにしていたせいか、タオル類を干すための大きな洗濯ばさみが割れた。映画を観に行こうという気も起こらない。『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。ヒソカというひとには、ハリソン山中とは違う本物の迫力がある。ヒソカがしゃべると語尾にスペードやハートなどのトランプのマークが付く。スペードやハートなどのトランプのマーク、と書いたのは、いま僕がトランプのマークの呼称をスペードとハートしか思い出せなかったからだ。連日の暑さのせいで僕の記憶の回路はたいへんおそまつなことになってしまっている。

 スペード、ハート、……

 ……

 ……ダイヤだ。あとは森みたいなやつだ。それは何という名前だったか思い出せない。

 とにかくヒソカはスペードや森みたいなやつを語尾に付けてしゃべる。しかしキャラクターを作り込もうとしたがゆえに語尾にマークを付けるようになったというよりは、自然発生的に、いつの間にか付いていたのではないかと思わせる迫力がヒソカにはある。座学で悪役を勉強してキャラクターを作り上げたであろうハリソン山中とは違う。しかしハリソン山中も勤勉なぶん、トランプの森みたいなやつすら思い出せない僕とは比較にならないくらいえらい。僕は『HUNTER×HUNTER』の、ヒソカの技の細かな説明のような部分もよくわからなくてほとんど飛ばし読みをしてしまった。

(……)ヒソカは念の基本技の一つ「絶」(オーラを消す・気配を断つ)を応用し限りなくオーラを見えにくい状態にしていたのだ‼

ただしこれには弱点がある! 同じく基本技の「練」(オーラをためる・増幅させる)を習得した者ならば眼にオーラを集中させ注意深く見れば見破ることが可能なのだ(もちろん生半可な集中力で成せることではないが)

もちろんカストロは「練」を習得している! だがヒソカは異常な手品でカストロの注意をそらしさらに自分が本気を出していないことをアピールし自身のオーラが少ないことが余裕からきているかのごとくカモフラージュまでしているのだ‼

悪魔の周到さで準備がうまくいっていることを確認したヒソカはトランプと同じ要領で左拳の先端から伸びたオーラをカストロアゴにはりつける‼

準備完了‼

冨樫義博HUNTER×HUNTER』7巻p.18)

 こうして書き写してみてもやはり僕には難しかった。ハリソン山中だったらちゃんと腑に落ちるまで読み込んでいるだろう。

 夜はネットフリックスで『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』を観た。よかった。家族至上主義的なところが強いが、しんちゃんの映画を観てそんなことを指摘してもしょうがない。

 

8/12

 今日も『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。十三巻まで来てもまだヒソカに得体の知れなさがあってうれしい。ここまでで最大の敵といえそうな幻影旅団は、ただ血も涙もない集団なのかと思いきや、昔からの固い絆で結ばれていそうな雰囲気を醸し始めていて、いずれエモーションの波が訪れそうな気配を感じている。

 昨日思い出せなかったトランプの森みたいなマークは今日になってもまだ思い出せていなくて、けっきょく同居人にクローバーだと教えてもらった。

 あとはだらだらYouTubeを見て過ごしたりしているときに、ときおり流れるのが菊池風磨のボールドのCMだ、これが僕はおもしろくて毎回笑ってしまう。菊池風磨が扮するのは洗濯大名という殿様のようで、洗濯大名が殿様らしく肘置きにもたれてゆったりと過ごしているところに、じいや的なひとがボールドを手に持って現れる。じいやは鳥の被り物をしてにっこり笑いながら、「いいとこ鳥でございます」という。洗濯大名が起き上がって「説明せい!」というと、そのいいとこどりをしたという新しいボールドの説明が始まり、その合間には洗濯大名もやはり鳥の被り物をして「いいとこ鳥~」とにこにこしている。その後も説明が続き、画面内には小さくなった洗濯大名が「うれぴ~」などといって浮かぶ。最後には青空の下、天日干しされた洗濯物をバックに洗濯大名が「ひとつで完璧パーフェクト」と節をつけていいながら踊る。というのがCMのだいたいの流れで、僕は洗濯大名の一挙手一投足がおもしろくて笑ってしまうのだが、さいきんさらにおもしろいのが、YouTubeにおいて様々な尺でCMが流れるにあたり、流れが部分的にカットされること。たとえば最初のじいやのくだりがなくなり、洗濯大名がいきなり「説明せい!」と大声を出しているところから始まるパターンや、途中の「うれぴ~」にフォーカスしたパターンなど、洗濯大名がなぜ説明を求めているのか、なぜうれしがっているのか、そもそも彼はなぜ「洗濯大名」なのか、という様々な説明をすっ飛ばした形でCMは流れる。その不条理さがおもしろくて毎回笑ってしまう。というかそもそもべつにロングバージョンのCMにおいても「洗濯大名」がなんなのかということについて説明はない。キャッチーなCMには有無をいわせない推進力がある。

 

8/13

 一昨日観た『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』では、においによって記憶が強烈に喚起されるという現象が作中における重要な仕掛けとして使われていた。それを見て、たしかに、と思いながら、僕が思い出したのは、この前実家の近くの花火大会に行ったときの、沼沿いのにおいだった。沼のほうから吹いてくるぬるくて気持ちのいい風のにおい、昼間にたくさんの日の光を吸収したであろうモやアシが揺れながら発するにおい、沼近くの田んぼや畑から立ちのぼる土のにおい、……僕がまだ少年だった頃、同じ場所で同じように花火を見上げながら感じたのと同じにおい。僕はおよそ十年ぶりに同じ場所に立って花火を見ながら、花火そのものだけでなく、あるいは花火そのものよりも、その場を漂うにおいによって子どもの頃の記憶を強く思い出した。思い出したというよりは、思い出させられた、あるいはひとりでに思い出されてきたというほうが近いかもしれない。野原ひろしと野原みさえが、昭和のにおいをかいでひとりでに子どもに戻ったように……

 十数年前の僕は同じように沼沿いの遊歩道に立って、遠くのほうで打ち上がる花火を見ていた。音が空気中を伝わる速度が当時といまで変わっていないなら、昔の僕の元にも花火の音は七秒遅れで聞こえてきた。昔の僕はもっと無邪気だったから、花火に向かって「たまやー」とか「かぎやー」とか大声を出した。隣に立つ弟も同じように「たまやー」とか「かぎやー」とか大声を出した。僕と弟が大声を出したのは、花火が開いた瞬間だったのか、それとも七秒遅れで音が聞こえた瞬間だったのか、そこまでは思い出されない。僕は単純な子どもだったから花火が開いた瞬間のほうだったかもしれない。昔は子どもが多かった。僕と弟の他にも遊歩道のあちこちで「たまやー」や「かぎやー」が聞こえた。ウシガエルもたくさん鳴いていた。ウシガエルはほんとに牛のようにモー、モーと鳴く。しかしそれは昔の僕がウシガエルという名称を既に知っていたからそう聞こえただけで、ほんとはウォー、ウォーだったかもしれない。いまの沼沿いではウシガエルは鳴いていないから、モー、モーなのかウォー、ウォーなのか確かめられない。いまは子どもたちもほとんどいない。僕たちの家がある住宅街ができたときに、僕たちの家族と同じように一斉に越してきた家族の、僕や弟と年齢の近い子どもたちが、いまではみな実家から巣立っていったのかもしれない。だから「たまやー」も「かぎやー」も聞こえない。ただ七秒遅れの爆発音だけが鳴り響いていた。

 ──という記憶を、僕は今日になって文章として書いている。でも、いまから十日前に沼沿いの遊歩道でにおいをかいで思い出されてきた記憶を、今日までそのまま保管していたわけではない。そんなことはできない。においによって喚起された記憶は、においが消えると思い出されなくなり、頭の奥底へと沈んでいく。もう一度思い出すには、同じにおいをかぐか、奥底からどうにか自力で掬い上げるしかない。今回は掬い上げて書くことができた。十日前に思い出したばかりだったから、まだ沈澱しきっていなかったのだろう。

 十日前ににおいによってひとりでに思い出された記憶を、まずきっかけとなったにおいについて振り返ることで──いわばにおいの記憶を媒介として──あらためて自力で思い出す。においそのものを思い出すには同じにおいをかぐしかないが、においの記憶、あるいはにおいの輪郭のようなものは思い出すことができる。そしてその輪郭をもとに、さらに奥にある記憶を引っ張り出すことができる。ある意味では、あいまいなものをもとに具体的なものを引っ張り出そうともしているわけで、これがどうして成立するのか不思議でならないが、とにかく僕たちはそれができる。においの輪郭にはっきりとした呼び名がついていれば楽だが(たとえば「キンモクセイのにおい」と書けば多くのひとが共通してある種の強い香りを思い浮かべる)、そうでなくても、文章にすることで、においの輪郭が徐々に現れ、それをもとにその奥にある記憶を引っ張り出すことができる。

 僕は祖父母の家のなかに漂っていた油絵の具のにおいや、古くなった本のにおい、台所に置いてあったぬか漬け樽のにおい、物置き小屋の土と灯油と鉄の混じったようなにおい、和室にあった籐椅子のにおい、もうひとつの和室に置かれていた多くの服たちの古びたにおいのそれぞれの輪郭を思い出すことができる。こうやって列挙していると、どうも、においではなく具体的なそれらのもの自体を思い出しているようだが、僕がいま思い出している重点はやはりにおいのほうにある。僕は祖父母の家の裏の、常に日陰になっているがゆえに常に湿っている土や雑草のにおいを思い出す。僕はさらにその家の、リビングの中央の柔らかなソファに身を沈みこませて座っている祖父母のにおいを思い出す。祖父母がそうやって座って見ていたテレビの上には、祖父が描いたどこかヨーロッパふうの街の運河の油絵が飾られていた。僕は昔、その絵かそれじゃない絵を祖父が市内の展示会に出展するときに、車を出し、会場まで運ぶのを手伝った。祖父は「はいはい、どうもどうも、ありがとう」といっていた。僕は小さいときに祖父と上野の美術館に行った。祖父は絵が好きだったのかもしれない。祖父がいつから絵を描くようになったかはわからない。僕が小さいときには既に描いていた。祖父の絵には味があった。作風、といってもいいかもしれない。いい絵だと思った。祖父は僕が高校生のときくらいまでは絵を描いていた。その後はソファに移動し、深く沈みこんでテレビをよく見ていた。祖父は自分の学生のときの話や就職した頃の話を何度も話してくれた。何度も繰り返し聞いた話があるいっぽうで、聞きそびれたこともある。絵についての話は聞きそびれた。僕が聞きそびれたまま、昨日の夜、祖父は亡くなったという。

 

8/14

 昼間からUnderworldの"second toughest in the infants"を聴いた。このアルバムはなんといっても邦題がいい。『弐番目のタフガキ』だ。「タフガキ」がいい。「弐番目」もいい。いいものどうしをくっつけたっていいままだとは限らないが、「弐番目のタフガキ」の場合、相乗効果を生んでますますよくなっている。『HUNTER×HUNTER』の最初のハンター試験の参加者のなかだと弐番目のタフガキはゴンだろうか。壱番目はキルアだ。クラピカも入れるとなると順番がわからないが、そもそもクラピカがガキの年齢なのかわからない。

 それとも「弐番目」というのは出順のことだろうか。だとすれば壱番目がゴン、弐番目がキルアだ。でも"second toughest"という原題からするとやはりタフ具合のことだろう。であればやはり壱がキルアで弐がゴンだ。

 タフガキ度 壱がキルアで 弐がゴン也

 タフガキというと『海辺のカフカ』の「世界でいちばんタフな15歳の少年」というのも思い出す。今日散髪した床屋で前に並んでいた中学生くらいの、バドミントンのラケットを持った短髪の少年は、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいた。新潮文庫の、上巻の表紙がピンクで下巻がライムグリーンのやつだ。少年はたぶんピンクを読んでいた。僕もたぶん中学か高校の頃に初めて村上春樹を読んだ。小説のおもしろさを教えてくれた作家のひとりだと思う。小説はおもしろい。いまは田中小実昌の『ポロポロ』を読んでいる。おそらく自身の戦争体験が元になっているであろうこの連作短編を、田中小実昌は物語化を拒否するように、しかしそれでも否応なく物語になってしまうことを自覚しながら書いていて、それは僕が読み取ったというより、実際に文章内で田中小実昌がそういっている。特に「寝台の穴」という一編においては、〝物語用語〟について思索をめぐらせたうえで、その実践としての文章が続く。

 さいしょ、ぼくは、それを蛔虫だとおもったが、じつは、さいしょから、蛔虫だとはおもっていなかったかもしれない。蛔虫以外のなんだと言うのだ、とおもいながら、しかし、蛔虫にしてはへんだなぁ、という気がしたのだろう。

田中小実昌『ポロポロ』(河出文庫)より「寝台の穴」p.185)

 さいしょぼくはそれを蛔虫だとおもった、とだけ書いてしまえばいいところを、それだとあまりに物語化し、自分の実感とかけ離れるので、実感したままに書く。しかしその実感も、当時どう感じたのか、いまとなってはありのままに思い出せるわけではないので、という気がしたのだろう、と推測の形でしか書けない。

 そういう逡巡のあとさえも文章として残っている。

 その『ポロポロ』を僕は今日渋谷のコメダ珈琲で読み進めて、そのままミソカツパンを食べてから、ユーロスペースでギヨーム・ブラックの『宝島』を観た。先に『みんなのヴァカンス』と『リンダとイリナ』を観ているために、その二作のどちらの要素も『宝島』にはあるように思えた。ドキュメンタリーとうたってはいるが、どう撮影したのかわからない、奇跡のような会話の数々。たとえば、ウォータースライダーのシーン。後ろから女の子が「寝そべると速くなるよ!」と叫び、既に滑り始めている男の子が「ん?」と振り返る。劇映画には作れないシーンだとも思いつつ、しかし完全に無作為だとは信じられない。どのていど作為が入っているのか。子どもたちはどのていどカメラの存在を意識しているのか。だいたいクリアな音声はどう録っているのか。僕は映画の音声のことがわかっていない。

 『宝島』の舞台はおそらくはパリ郊外にある、元々はただの湖だったところを、有料の遊泳地へと開発したエリアで、ようするにちょっと高級な自然一体型の市民プールなのだが、その混み具合は僕に、僕自身が子どもの頃に叔父に連れられて行った郊外の市民プールを思い出させた。ぬるくなった流れるプールはひとであふれかえり、互いの足や肘が当たって、鼻や口から思わずプールの水を飲み込んでしまう。プールサイドの地面は焼けるように熱い。水面には松の葉が浮いている、いや、それは小学校のプールだったか。帰りにマックシェイクを買ってもらって、車のなかで飲む。……という僕の思い出は置いておいて、カメラに映される人物が次々に変わっていく『宝島』という映画に主人公といえるものがあるならば、それはまさしくその遊泳地一帯なのだと、途中までは思っていたけど、しかし終盤に差し掛かって二人の幼い兄弟が映され、彼らの愛おしいやり取りと、最後にちょっと小高い丘に登りきった彼らがいう「最後はここがいいね」という言葉で映画が締めくくられたのを見ると、やはり遊泳地ではなく人間こそが映画の主人公だと考え直させられる。

 ユーロスペースを出てからは下北沢に移動して、シモキタエキマエシネマK2という初めての映画館で黒沢清の『Chime』を観た。全編不穏、不穏を煮詰めたような、あまりに無駄のない不穏。四十五分だからまだよかった。あれが二時間続いていたら、きっと僕も取り込まれていただろう。濃厚な不穏にビビりながらも楽しく観ることができたのは、なんとなく黒沢清というひとが、素朴な共感のようなところから映画を組み立てているようにも思えたからだ。「日本の住宅街ってなんかこわいよね……」とか「料理教室ってよく考えたらめっちゃ包丁あってこわいね……」とか「食事中にいきなり笑い出すひとがいたらこわいね……」とか。そういうものを寄せ集めて、煮込んでできたのが『Chime』という映画だ。

 映画の本編とは関係ないけど、主人公の松岡がフレンチレストランのシェフの採用面接を受けるカフェが、『地面師たち』のアビルホールディングスの向かいのカフェの雰囲気に似ていると思っていたら、二回目の面接の相手がアビルホールディングスの社長だった。いや、アビルホールディングスの社長ではない。アビルホールディングスの社長を演じていたひとだ。安井順平という。

 そのあとまた渋谷に戻って、同居人の仕事が終わるまでカフェで『ポロポロ』を読み、同居人から連絡が来たので電車で移動して、一緒に散歩して帰った。途中で本屋にも寄って何冊か買った。

 

8/15

 田中小実昌というひとは『ポロポロ』において、自分の文章が物語になってしまうことへの抵抗感を表明し、それでも否応なく物語になってしまうことを引き受けながら戦争体験を書いている。そこから僕が思うのは、ギヨーム・ブラックの『宝島』がドキュメンタリーであり、『みんなのヴァカンス』が劇映画(物語映画)である、その二つの違いがどこにあるのかということだ。その違いはシンプルに、後者が物語であることを目指していて、前者は物語ではなくあくまで記録であろうとしているというところなのではないかということで、こう書くと当たり前のように思うけど、それでも僕は『宝島』を観てそのなかに物語を見出だしてしまう。

 というか、昨日も同じようなことを書いたけど、『宝島』がどう撮影されたのかはやはりわからないが、カメラの存在はそこに映る人びとに意識されているはずで、一度意識するとひとはやはり意識しながら動いてしまうのではないか、つまり自分の言動を多かれ少なかれ物語化してしまうのではないか。ただ、そうであるとすれば、昨日書いたウォータースライダーのシーンみたいな、僕が見て〝自然〟だと感じるようなシーンが撮れる理由がわからない。子どもはカメラを意識しない、あるいは意識しても〝自然〟にいられるのだ、という可能性を唱えるのは簡単だけど、しかし果たしてそうなのだろうか……

 それとも、〝自然〟だと感じさせるのは、編集の妙なのかもしれない。ウォータースライダーのシーンだって、本編で使用されている部分の前後では子どもたちがカメラをガン見して、撮影者と会話しているのかもしれない。そうなのかも。その可能性が高いような気がしてきた。キモは編集だ。田中小実昌が『ポロポロ』で行っていたのも編集だ。物語化してしまうことへの逡巡をあえて本文に残すことで、物語への抵抗を示している。

 ということは逆に編集によっていろんな物語を作り出すことがいくらでもできるということでもある。これもやはり当たり前のことかもしれない。でもすごいことだ。たとえば、映画においては、風景を映した映像に会話の音声がオーバーラップしてくるという演出がある。ボイスオーバーというのでしょうか。それによって物語が語れるのであれば、たとえば僕が散歩中にスマホで撮ったてきとうな風景の動画に、アフレコでてきとうな会話を重ねて物語にすることもできる。そういう素材だけを一時間繋げて映画にすることもできるかもしれない。それがおもしろいかどうかは別だけど……

 ……今日は昨日買った斎藤潤一郎の『武蔵野 ロストハイウェイ』をまず読んで、それから『ポロポロ』の残りを読み、千葉雅也の『センスの哲学』へと入った。『武蔵野 ロストハイウェイ』は、まさしく僕がさっき書いた、実際の散歩にアフレコで物語を付けるみたいなことが行われている漫画で、前作『武蔵野』においておそらく作者の分身として作中で散歩していた中年男性は今作においては序盤で姿を消し、それ以降は画家と暗殺稼業を兼業している中年女性が語り手となって、現実の町を歩きながら、気がつけば西部劇の世界へと入り込んでいく。現実の風景のすき間に西部劇の世界への入り口を見つけ、それを漫画にする。そういう飛躍が平然と行われている。かなりいい漫画だった。

 千葉雅也の『センスの哲学』はそのうち文庫化されるだろうと思っていたけど昨日買ってしまった。小説を読んだり映画を観たりするとき、ひとは「大意味」(大きくてわかりやすいメッセージのようなもの)に囚われて、

 ひとつの作品について、楽しいとか悲しいといった感情、許せないとか正しいといった道徳性に動かされて「感動した」と言うわけだけれども、大ざっぱな感動よりも手前にある、そんなに大事とは思えないような小意味の方に軸足を置いて、「要するに何なのか」ではなく、ここがこうなって、次にこうなって……という展開のリズムだけでも楽しめるわけです。小意味のリズムに乗る。

(千葉雅也『センスの哲学』p.104)

 ということが書かれていて、この話にのっとっていうと、『ポロポロ』はまさしく、大意味からできるだけ距離を置くために、小意味を積み重ねる方法で書かれた小説だということになる。ついでにいえば、昨日観た『Chime』も小意味の積み重ねによるリズムを楽しむ映画だともいえる。

 さらに今日は『東京裁判』を観た。観てよかった。これはドキュメンタリーといっても昨日の『宝島』とはまったく毛色が異なり、資料的/教科書的な側面が非常に大きい。歴史的な整理のために「脚本」がクレジットされ、裁判の流れに沿って戦前~戦中の日本が描き出される。なんとなく石原莞爾が英雄視されていたり、広田弘毅というひとに同情的だったり(そもそも監督の小林正樹広田弘毅に焦点をあてる形で劇映画として東京裁判を描こうとしていたという)はするが、基本的にとても整理され、東京裁判英米の裁判形式にのっとった公正な形を取りながらも、その裏ではGHQによる占領政策の重要な局面のひとつとして政治が働いていたことを看破するなど、随所に魂のこもった映画だったように思う。しかしそれよりなにより、玉音放送がクリアな音でフルで流れたり、裁判中の被告たちの顔が克明に映され続けたりする、音と映像の力強さに圧倒された。

 同居人は仕事から帰ってくるとだんだん元気がなくなり、冷えピタを貼って布団をかぶって寝込んでしまった。

 

8/16

 昨日はジーナ・ローランズが亡くなったというニュースもあった。ジーナ・ローランズはほんとにすごい俳優だった。『こわれゆく女』も『オープニング・ナイト』も『ラヴ・ストリームス』もほんとにすごいけど、なぜかいまの僕は『グロリア』において、白昼堂々、てきぱきと発砲するジーナ・ローランズを思い出す。ジーナ・ローランズの他にあんなにてきぱき発砲できるひとがいただろうか。

 だいたいはその日の夜に書くことの多い日記を、いまはお盆休みなので日中も何かを観たり読んだりして、スマホをさわる時間も多いために、この三日間くらいは、一日のなかでぽつぽつと分割して書いている。一日の「日記」ではなくて「午前記/午後記」とでもいうべきものになっているともいえて、昨日なんかはその趣が強い。仮にこの先もずっとお盆休みが続いていくとしたら、日記を書くという作業は一日のなかでさらに細かく分割されて、「時刻記」とか「分記」とかになっていくかもしれない。

「8/16 10:34

 部屋のなかが暑いと思ったので、エアコンの温度を一度下げた。」

「8/16 10:38

 なんとなく部屋が涼しくなってきた気がする。エアコンの温度調整というのは奇妙なもので、たとえば昨日は今日より外気温は高かったはずなのに二十七度でいけて、今日は昨日より外気温は低いはずなのに二十六度にしないと暑い。そういう──」

「8/16 10:39

 ──変なニュアンスをつかみながら調整をしないといけない。それとも雨だから換気がうまくいかなくて、エアコンの温度を下げないと涼しくならないみたいなことがあるのだろうか。」

 という感じで書けるかもしれない。それがおもしろいかどうかは別だけど……

 ……友だちが教えてくれたギヨーム・ブラックへのインタビュー記事によれば、『宝島』は、ギヨーム・ブラックたちがまずカメラを構えずにプールのある公園一帯を歩き、おもしろい会話を見つけたらそのひとたちに声をかけ、「いまみたいな会話を撮らせてほしい」とお願いする形で撮影されたという。そうやって撮影した二百時間もの素材から、映画になりそうな部分を抜粋して編集する。そういう意味ではやはり編集がキモになっているし、そもそも公園一帯を歩くなかでおもしろい会話を見つけて撮影すること自体、現実の世界からの抜粋であり、編集であるともいえる。

 そして、その編集のおもしろさ以上に、実際に会話していたひとたちに声をかけて、カメラの前でそれを再現してもらうという手法自体にユニークなおもしろさがある。つまり映画に映っていた会話は、演技でもありリアルでもある。でも演技をしていることの照れみたいなものを感じさせない〝自然〟な会話になっていたのがすごい。そこにもやはり編集の巧みさと、それから撮影する際のちょっとした演出のうまさがあるのだろう。(と書いたけど、ナンパする男の子たちとナンパされる女の子たちの会話のシーンには、やっぱり照れも少しありそうだったな、とも思った。)

 しかし再現なのだとしたら、なおさら、あのウォータースライダーのシーンの、男の子の「ん?」がすごい。あそこは再現じゃないのかもしれない。

 ここまでは午前のうちに書いた。

 ここからは夜に書いている。今日は台風が近づいているということもあって外出せずに家にいた。一日中家にいると、特に午後四時くらいから七時くらいまでの時間の流れの速さというのがすさまじくて、今日も「あれ、もう夜だ」という感じを味わったのだが、それより今日の夕方は分厚い雲に覆われた空が妙に黄色っぽく見えて、「あれ、もう夜だ」を「なんか黄色いな」が上回る形となり、しかし僕は今日は「あれ、もう夜だ」という寂しさをあえて正面きって味わうつもりでいたので、予告なしに現れた「なんか黄色いな」に面食らって調子がくるってしまった。今日はもともとソニックマニアに行くつもりで、台風は接近しているものの行けそうではあったので途中まで行く気だったのだが、台風うんぬんと関係なくなんだか身体が熱っぽくてだるく、加えて「なんか黄色いな」で調子が外れたというのもあったので行くのを断念し、夜は同居人と『ラストエンペラー』を観た。『ラストエンペラー』は僕は大学生のときにTSUTAYAで借りて観ようとしたのだが、再生してみると中国のひとたちがのっけから英語で会話しているのが変で観るのをやめてしまい、それ以来観られずにいたのだが、ちょうど昨日観た『東京裁判』にリアル溥儀が登場していたこともあっていい機会だということで観たら、記憶どおりみんな英語でしゃべっていて、最初はやはり変だと思ったが、そのうち慣れてそのままするする最後まで観た。溥儀の生涯を通しで描いていることもあって全体として駆け足ぎみではあるが、とにかく画面が豊かであるがゆえに観られてしまう。特に前半の紫禁城のパートは、敷地の圧倒的な広さや、幼い溥儀が動き回るたびにその周りを囲む宦官たちの動きの滑稽さもあって不思議な楽しさがある。しかしあの広さも宦官たちの動きもすべて溥儀を外界から切り離し、城のなかに閉じ込めるもので、その抑圧はその後の彼の人生でもなくなることはなく、彼の前で何度も扉は閉められる。だからこそすべてが終わった最後、戯れに、いや、戯れに見せかけて、玉座に座ってみせる姿が切ない。

 

8/17

 午前中にTSUTAYAに行った、その道中のバスは何度乗っても楽しくて、大通りを駆け抜けるかと思えば、いっけん何でもないところで折れて細い道に入り、さらにその先で寺の境内を通るという型破りのアクロバティックな運行をするので毎回わくわくする、僕が思うに都内のバスの運行路のなかでも名作といえそうな路線なのでかなり好きなのだが、そのバスでTSUTAYAまで行って『HUNTER×HUNTER』の一巻~十五巻を返し、十六巻~二十二巻を借りた。それ以降は他のひとに借りられていた。その後近くのBOOK・OFFにも寄ってから帰った。同居人はなんとなく具合が悪くて、マックが食べたいといっていたので買って帰り、天竜川ナコンさんのYouTubeなどを見ながらだらだら食べた。「結局、俺たちは、ついつい「マックでいい?」なんて、あたかも妥協した選択肢のように言ってしまいがちだけど、本当はマックこそが食べたくて仕方がねえときがあんだよなあ、それを心から認めて、「で」じゃなくて「が」で、「マックがいい」と芯から叫ばねえと、本当のスマイルは手に入らねえっつってんの!」……午後は借りてきた『HUNTER×HUNTER』を読み進めた。壱番目と弐番目のタフガキであるキルアとゴンの友情に相変わらず感動して、ビスケと同じ表情になった。そうしているうちに今日はほんとうの「あれ、もう夜だ」を味わうことができた。

 

8/18

 祖父の葬式のため朝早く起きて電車で実家の方面へ。連日の半袖半ズボンからいきなり礼服になったゆえに相応の暑さを覚悟したが、家族の集合地点に指定された駅に降り立つと思いのほか涼しくて、いい日和だと思った。

 祖母は祖父が亡くなったことをわかっているのかいないのか、最後のお別れだからね、と母がいうと、うん、と頷いてはいたが、式のなかであらぬ方向を見ている時間も多くて、その姿が僕は胸にきた。しかし僕が勝手に胸にきているだけで、祖母としてはすっかりわかっているのかもしれない。

 祖父には妹が多く、したがってその下の世代の親戚も多い、しかし僕や弟にはどなたがどなたなのかがいまいちわからない。僕らの幼少の頃にはお会いしていたとみえて、たくさん話しかけていただいたが、あいまいに笑うことしかできず申し訳なかった。終盤にかけて徐々に点と点が繋がってきて、きちんと挨拶することができた。

 火葬中の食事のときに、叔父が部屋を整理していたときに発見したという、祖父の昔の日記が紹介された。僕の母がまだ三歳だった年の日記だという。祖父の日記中での一人称は「小生」だった。仕事のある平日のはずなのに「十時半、床を出る。」とあって、遅くない?と皆で訝しんだ。祖父の骨はとても丈夫だった。

 けっきょく日が出て暑くなったこともあり、疲れが身体にきた。帰りの電車ではうつらうつらしながら吉田健一の『金沢・酒宴』を読んだ。ほぼ寝ながら読んだために文意がとれず、十回ほど読み返した箇所を引いて終わる。

 内山は旅行をするのが好きだったから商用となれば気軽に自分で出向いた。併し大概は行った先でその商用の相手に御馳走になったり東京に相手が来た時はそれを返さなければならないと思ったりするのが全く商売の世界に属することだったのに対して金沢では商用で来てのことでもそこにいることやそこですることが東京での眼に見えて変って来ている周囲に処して自分の生活を守る煩しさを忘れさせる働きをすることから東京でそれでもそれまで通りに続けている生活の延長が金沢にあることを認めた。併しそこが東京と金沢が違う所で金沢では生活がただそのまま営まれていた。

吉田健一『金沢・酒宴』(講談社文芸文庫)より「金沢」p.12~p.13)

 

8/19

 保坂和志が『生きる歓び』の文庫本収録の「小実昌さんのこと」という短編において、僕が何日か前に読んでいいと思った田中小実昌の「寝台の穴」を長めに引用していた、というかこの「小実昌さんのこと」という短編をいま僕が読んでいることと僕がこの前田中小実昌の「寝台の穴」および『ポロポロ』を読んだのはまったくの偶然というわけではなくて、そもそも僕は先日BOOK・OFFに行った際に『生きる歓び』の文庫本を見つけ、本の題名にもなっている「生きる歓び」は僕がいつか読んだ『ハレルヤ』という別の短編集にも収録されているので既に読んでいるのだが、『生きる歓び』の文庫本にはさっきの「小実昌さんのこと」というもう一つの短編が収録されていたのと、百円だったのでせっかくなので買ったのだった。そのときに僕はそもそも田中小実昌というひとの本を読んだことがないと思って、探したら『ポロポロ』があったのでそれも一緒に買って、読んだのが何日か前のことだ。それを経ていま『生きる歓び』および「小実昌さんのこと」を読んでいる。だからまったくの偶然というわけではない。でも僕が何日か前の日記に引用した「寝台の穴」を保坂和志が「小実昌さんのこと」のなかで引用しているのは偶然だ。

 しかし河出文庫の『ポロポロ』と新潮文庫の『生きる歓び』とではフォントの種類もサイズも異なるため、同じ文章でも印象が違うのがおもしろい。河出文庫のほうではまだ切実さのようなものが前に出てきている気がするのにたいして、新潮文庫に引用された「寝台の穴」はなんとなく田中小実昌の文章のおかしみのようなものを濃く反映しているように感じられる。というか、その文章を読んだ保坂和志が「笑ってしまった」と書いているので、よりおかしく感じられるのかもしれない。というか(と続くが)、紙の本における文章の印象というものはおよそすべて、フォントの種類やサイズ、行間の広さ、版面の大きさや位置によって異なってくる。「生きる歓び」だって、文庫本の『生きる歓び』で読むのと単行本の『ハレルヤ』で読むのではやはり違う体験だ。

 僕は中学や高校のときに読んだ夏目漱石で最初にこの気分を味わったように思うのだけど、夏目漱石もやはり、岩波文庫で読むのと新潮文庫で読むのとでは気分が違う。でかい全集で読んだらもっと違うだろう。祖父母の家にはたしか夏目漱石の全集があった。いつの日にか全集で読んだのであろう祖父と、中二のときに学校の課題図書として通学の電車のなかで友だち二人と並んで座り、うつらうつらしながら岩波文庫で読んだ僕とでは、『吾輩は猫である』の印象も違うだろう。というかいまの僕と中二の僕が同じ岩波文庫で読んでもやはり印象は違うだろう。そうなると小説というのは、さっき述べたような本の形によっても、いつどんな状況で読むかによっても、毎回違う体験になる、かなりやばいものだということになる。昨日の日記に引用した吉田健一の「金沢」の一節だって、昨日文庫で読んだときにはなんとかわかったような気がしたが、いま日記を書いているスマホ上であらためて見るとやはりわからない。で、また文庫に戻って読むと、まあ、いちおうわかる。だから今日はそのままちょっと読み進めた。最初は難しいと思われた文章も、読んでいくうちに徐々にそのひと独自の調子というか、節回しというか、それともちょうどいま『HUNTER×HUNTER』を読んでいるので〝念〟とでも呼ぶか、とにかくその〝念〟(でいくことにします)の流れのようなものを掴んで読み進められるようになる。吉田健一を読むのは初めてだから、まずは〝念〟を掴むところで苦労したわけだけど、これが何冊か読んだ作家だと違う。ある作家を久しぶりに読んだときに思わず声に出しそうになる「ああ」というあの感じが、その作家の〝念〟なのかもしれない。

 ……というような話を夕方に書いて、たぶんそこからもうちょっと書くはずだったのだが、またTSUTAYAに行って借りた『HUNTER×HUNTER』の続きがおもしろすぎてすべての思考が吹き飛んでしまった。おもしろさが思考を置き去りにした。

同居人が寝ている布団に日差しが当たる

 

8/20

 昨日は夕方にTSUTAYAに行って『HUNTER×HUNTER』の二十三巻~三十七巻を借り、夜に猛然と読み進めた。といっても僕の「猛然と」は非常にしょぼくて、昨日は先に同居人が二十三巻を読み、次に同居人が二十四巻、僕が二十三巻を読む、という形で進めたので、その後も同居人が常に一巻分先んずるはずが、時が流れるにつれて僕と同居人の差は二巻分、三巻分と開いてゆき、僕のはるか前をひた走る同居人が「おお……」とか「あら……」とか声を発しながら読んでいた箇所をその一時間か二時間後にようやく僕が読んで、やはり「おお……」とか「あら……」とかつぶやくという光景が繰り広げられた。僕はいわゆる必修とされるような少年漫画を読まずに育ってしまったため、他の作品と比べるべくもないが、『HUNTER×HUNTER』には「おお……」や「あら……」という瞬間が多いように思う。これまでインターネットでミーム的に聞きかじってきたセリフや説明の数々が漫画内で回収されていくことの楽しさもあるけど、やはりそもそものセリフや説明にすさまじい強度があって感動する。それはたとえば『101回目のプロポーズ』の

「僕は死にません!

 僕は死にません! あなたが好きだから!

 僕は死にません! 僕が幸せにしますから!」

 を実際にドラマのなかで見たときの感動に近い。ミームや物真似ではない、本物に宿るすごさというか、本来の文脈のなかでこその輝きというか。

 しかしあの武田鉄矢のすごさも、こうやって日記に引用された段階で大幅に失われてしまうのであり、それは僕が「私見では、このシーンの武田鉄矢は『死にません!』の部分よりも最後の『僕が幸せにしまァすからア!』という切実な抑揚のつき方のほうこそがすごい」という補足を述べて厚みを持たせようとしたところで少しも回復することはない。あのすごさを体感するにはやはりドラマを見るしかない。それもちゃんと最初から順に見ていって、あらためてあのシーンに出会い直すしかない。それなのにこうやって日記のなかに引用するのは、ただ楽しいからに過ぎない。楽しいから、『HUNTER×HUNTER』二十五巻の有名なくだりも引用しよう。

 ネテロ、46歳、冬。己の肉体と武術に限界を感じ、悩みに悩み抜いた結果、彼がたどり着いた結果(さき)は、感謝であった。自分自身を育ててくれた武道への限りなく大きな恩。自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが、一日一万回、感謝の正拳突き!! 気を整え、拝み、祈り、構えて、突く。一連の動作を一回こなすのに、当初は5~6秒。一万回を突き終えるまでに初日は18時間以上を費やした。突き終えれば倒れる様に寝る、起きてまた突く、を繰り返す日々。2年が過ぎた頃、異変に気付く。一万回突き終えても、日が暮れていない。齢50を越えて、完全に羽化する。感謝の正拳突き一万回、1時間を切る!! かわりに、祈る時間が増えた。山を下りた時、ネテロの拳は、音を置き去りにした。怪物が、誕生した。60年以上昔のことである。

冨樫義博HUNTER×HUNTER』25巻p.89~p.96)

 句読点は勝手につけた。

 このネテロのすごさも、やはり引用した時点で削がれてしまっているはずで、このすごさをすごいまま味わうには漫画を読み返すしかない。もっといえば、実際に感謝の正拳突き一日一万回をやってみるしかない。やるかやらないかは僕次第である……

 ところで『101回目のプロポーズ』で武田鉄矢が演じた星野達郎という人物は当時四十二歳だったそうで、ドラマ内では司法試験への挑戦を決意していたため、順調にいけば、ネテロが正拳突きをし始めた四十六歳頃にはおそらく司法修習をしているか、それとも無事に修習を終え、弁護士の道を歩み始めているかもしれない。こうやってネテロの正拳突きをきっかけに星野達郎のその後に思いを馳せることができたのは日記のおかげだ。日記はすごい!

 

8/21

 少しずつ涼しくなってきたんじゃないかとも思ったけど、それは僕が日中オフィスにいるばかりで外の熱気を浴びていないからそう感じるだけで、ほんとは昼間はまだまだアチいんじゃないかって気もするんだけど、でも実際、最高気温なんかを見ても三十二度とか三十三度とかで、一時期の三十七度(!)とかと比べれば幾分かマシになっていることは確かだとは思うんだけど、考えてみればべつに三十二度だってずいぶんな高温であることは間違いないわけで、僕はほんとはもっと気温ががっつり下がって、たとえば二十五度なんかになったときにこそ「少しずつ涼しくなってきた」というべきなんだろうな。夏を甘やかしちゃいけない。夏の野郎、もっと気温を下げるべきなんだ。涼しくなったら、U-NEXTのマイリストにたくさん登録してしまった映画をばんばん観たい。今日は同居人も「なんか映画を観たいね」というのでとりあえずU-NEXTを開いてトップページに出てる映画のサムネを順繰りに押していったんだけど、二人とも「これも観てないな」「これも観たいな」「こんなん観たいもんね」としきりに繰り返して、マイリストへの登録ボタンを押すばかりで、ちっとも再生ボタンのほうには指が動かないわけだ。そうやってマイリストを充実させたところで何の意味もないってことは重々承知の助なんだけどね。まあ涼しくなったら順繰りに観ていこう。ってことで今日は「水曜日のダウンタウン」を見て終わっちゃった。まあおもしろかった。

 

8/22

 朝家を出たときにはほんの少し涼しいといえば涼しく暑いといえば暑い絶妙な気温だと思ったが、夜に会社を出たときにもやはり捉えようによって涼しくも暑くも感じられる謎の気温だった。涼しさと暑さのどちらにもふれうるこの奇妙な気候の屋台骨となっているのは、しかし実は気温ではなく、湿度のほうである。とにかく湿度がすべてを決める。すべてはいい過ぎか。

 昼間にはここに日差しも加わってくる。今日は午前中に簡単な豪雨が降ったが、昼には日が出た。雨雲はすべてを濡らそうとやっきになり、そうやって降りしきった雨を、今度は太陽が揮発させようと意気込む。その見届け人として登場したのが、昼休みにオフィスビルの周りを軽く一周歩こうと外に出てきた僕である。コンクリートから、歩道のタイルから、植木から、雨が気化してくるのを僕は全身で感じる。雨上がりの街ににおいが充満している。僕はすぐに蒸し暑くなって、冷房の効いたオフィスに戻る。

 

8/23

 激ネムなので寝るが、その前にひとつだけ書くとすれば、今日はインドにいる友だちから牛の写真が送られてきていたということで、彼から牛関連のメッセージが来るのはこれで何度目かになるのだが、たいていは動画に何かしらのコメントが付されて送られてきていたところを、今日は写真一枚のみで特にコメントもないという状態だったので笑った。絵葉書のようなものだ。写真にはやはり牛が写っているので、僕が以前「牛が見たい」といったから写真に撮って送ってくれたのだろうということはわかる。しかし牛は写真全体のなかでは左下に小さく写っていて、牛を撮影するということであればもっとカメラの中央に大きく入れるという選択肢もあったであろうにそうしていないということは、むしろ友だちは、道路の端を歩いている黒い牛ではなく、その道路の脇にあるうっそうとした茂みや、街路樹というわけでもなかろう何本かの密度の濃い木々や、そのさらに奥に立っているほんのり近未来の雰囲気をまとった団地らしき建物や、その上に広がる曇り空こそを撮りたかったのではないかという推測がはたらく。散歩中、いい景色だと思ってスマホで撮影した写真に、たまたまそこを歩いていた牛が写り込んでしまった、そこで友だちは牛の写真を欲しがっていた僕のことを思い出してLINEで送ってくれた、そういう背景を持っているようにも見えるその写真は、しかし見れば見るほど絶妙にいい写真である。

 

8/24

 昨日の夜に、明日は午前中になにか映画を観ようということを同居人と話していて、選ばれたのが『フォールガイ』だった。特定のこの映画を観に行きたい、というのでなく、映画を観に行きたい、あるいは映画館に行きたい──あるいはもしかすると映画館のポップコーンを食べたい、かもしれないが──という理由で映画を選ぶことがある。『フォールガイ』はそういう理由で選ばれる映画としてとてもよかった。何も考えずに楽しめた。ラブコメ要素がアクションを中断する少しもどかしい感じが何度か続くが、それはそれでべつにいいというか、とにかくライアン・ゴズリングというひとはどんなにかっこつけていてもちょっとおもしろく見えてしまう俳優で、彼のそういう個性とマッチした作劇だったように思う。今年の何も考えずに楽しめる映画の筆頭である『恋するプリテンダー』と同じくシドニーが舞台だったのもなんとなくうれしい。何も考えずに楽しめる映画界隈で、いま、シドニーがアツい。

 映画館を出てからは、同居人が米津玄師のライブに応募するためにCDを買いたいというのでタワレコに行った。僕も同居人もさほど米津玄師のことを知らないが、同居人のお母さんが好きらしくてライブに行かせてあげたいとのことだった。僕も「さよーならまたいつか」は『虎に翼』で毎日聞いているし、去年の「地球儀」もよかったしで米津玄師にはお世話になっている。万が一会うようなことがあったら、僕ほどの薄いリスナーでも「お世話になっております」とあいさつしてもいいだろうか。

 僕の勝手な思い込みで、今日は一日曇り空で涼しくなる予報だと勘違いしていたのだが、映画を観てからタワレコに行っている間にすっかり真っ昼間になり、汗がダー、太陽ピカー、頭フラーで、夏本番が戻ってきたかのような暑さを感じたのでそそくさと帰宅。同居人のリクエストでケンタッキーをテイクアウトして持ち帰り、エアコンガンガン浴び、コーラガブ飲み、アイスかじり、一気に眠くなって少し昼寝した。しかし間もなく同居人がネイルを予約している時間が近づき、僕は同居人のネイルの際にはなぜか毎回一緒に外に出て、どこかで読書して待つということを習慣としているため、熟睡に入りかけていたところで昼寝をぶったぎって起き上がった。そのせいか、そのあとずっとぼんやりしたまま過ごした。

 ぼんやりしたままカフェで読んだのは滝口悠生の『死んでいない者』である。これを読むのはたぶん三回目くらいになる。でも先週祖父の葬式に行った僕が読むのは以前の僕が読むのとは明らかに違う体験で、葬式の場に親族一同が集まったときの、誰と誰がどういうつながりなのかわからないが、とにかくみんな顔や雰囲気がどこか似ていると感じられたり、母のいとこの子は僕からするとなんと呼ぶんだっけかということがわからなかったりするような、小説に書かれている感覚が、実際に僕自身も先週実感したものとして読めるのはおもしろい。しかし、もしかして小説というものはおしなべて、僕自身の何かしらの実感と重ねられて読まれるのだろうか。どんな小さいことですらもまったく僕の実感と重ならない小説があったとして、それをおもしろいと思えるのだろうか。思えそうな気もするし、思えなさそうな気もする。

 ネイルを終えた同居人と合流し、さらに同居人の友だちもやって来て、一緒に居酒屋に行った。というか同居人と同居人の友だちがもともと二人で予約していて、僕はひとりで散歩でもしようとしていたのだが、どうも僕が座れる席も空いていたそうで「来たかったら来なね」といわれ、僕も僕で散歩しようとしたはいいものの、当初の予想より蒸し暑く、行くあても特になかったため、ご一緒させてもらったという流れである。こんな流れを子細に書く必要はないが、必要がないことこそを日記には書ける。

 

8/25

 日中はずっと家にいて、『HUNTER×HUNTER』を三十七巻まで読んだのと、『アンナチュラル』を見進めた。夜にTSUTAYAに『HUNTER×HUNTER』を返しに行って、代わりに『僕のヒーローアカデミア』を九巻まで借りて帰ってきた。BOOK・OFFにも寄って冨樫さんの『レベルE』を買った。帰ってきてからはまた『アンナチュラル』を見た。あとはインドにいる友だちからまた牛の動画が送られてきていた。友だちが自撮りする形でスマホのカメラを回している動画で、街中を歩いている彼の背後に黒くて大きな牛が頭を揺らしながらついてきているのだった。今回は動画と共に「ちょっと怖かった」というコメントも送られてきていて、たしかにその牛のでかさと立派な角は生で見ると怖そうだ。牛は「べつに後をついていっているわけじゃないっすよ」という感じで頭を左右に振りながら友だちの背後を歩いているが、友だちが大通りを離れて路地に入った瞬間に突進してくるのではないかという、油断ならなさを感じる。しかし友だち曰く「でも普通に付いてきてるだけやから、ちょっとかわいいよな」とのことで、実際に牛と過ごした彼がそんな感想を持つのなら、僕がとやかくいうことではないのだろう。

 

8/26

 朝起きたときの頭の重さが、徐々ににぶい痛みへと変わり、昼過ぎに早退した。帰ってバファリンを飲んで寝たら軽くなった。夕方になると、窓から見えるタワーマンションに西日が当たって、僕の部屋のなかまで少し明るくなる。その明るさを頼りに『死んでいない者』の続きを読んだ。しかしタワーマンションの輝きはそう長くは続かない。後ろの東の空が濃い紺色に染まっていって、低層階から順に輝きを失いつつあるタワーマンションもその紺のなかに沈んでゆく。黒くて大きな棒と化したタワーマンションには、今度は小さな明かりが一部屋ごとに点ってゆく。しかしその明かりは僕の部屋のなかまでは照らしてくれない。僕はカーテンを開けたまま、文庫本の紙面をできるだけ窓のほうに傾けて、少しでも明かりを集めようとしながら『死んでいない者』の続きを読もうとしたがやがて限界が訪れた。

 日が沈む時間になってもできるだけ部屋の明かりをつけずにいたいという気持ちは、さびしさゆえのものか、それとも単なる怠惰か。

 怠惰だろう。

 もう三度目になる『死んでいない者』を手に取ったわけは、先週祖父の葬式があったからというのもなくはないというか、それがほとんどだが、しかしはっきりとした理由はないといってしまえばそんな気もする。文春文庫のサイズ感、厚み、フォントの大きさ、それらすべてが『死んでいない者』のなんとなくの手に取りやすさに寄与している。加えて僕は手汗をかくので、文春文庫のツルッとしていて汗を吸わないカバーがうれしいという理由もある。だから手に取った。そんなこんなで読み進めながらふと考えたのは『百年の孤独』のことで、それは直接的には、僕が夕方に座っていたソファの隣に本棚があって、ちょうど顔と同じ高さの段に文庫版の『百年の孤独』が収まっていて、それが視界に入ったからなのだろうが、そうでなくとも、奇しくも『死んでいない者』と『百年の孤独』にはどちらも何代にもわたる家族のことを描いているという共通点がある。どちらもひとが浮遊するような時間が流れる。だから『死んでいない者』を読んで『百年の孤独』のことを思い出すのも無理はない。

 それで、僕が『百年の孤独』のことを思い出して考えたのは、マジックリアリズムというのは、いいかえれば野暮な説明を省いたテンポのよさなのではないかということだ。説明もなしに雨が四年以上降り続いたりする、その尋常でないテンポのよさが心地よく、ことさらに驚いたりせずに淡々と話が進んでいく感じがかっこいいというのが、あの小説に惹かれる理由なのではないか。そして、野暮な説明なしに進んでいく心地よさは、視点が様々に切り替わる『死んでいない者』のなかにもたしかに存在している。

 

8/27

 映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を観たのはもう二ヶ月くらい前のことだが、そのとき映画の内容とは別に思ったのが「ホリディ」という単語の響きがなんともおもしろいということで、それは映画を観た日の日記にもたぶん書いた。そもそも"holiday"という英単語をカタカナで表記するなら「ホリデー」か「ホリデイ」が相場だと僕は思っていたので、「ホリディ」という、音節が減って少しつまずくような響きのカタカナを突如あてられてしまうとどうしたってウケる。それでそのときは、「ホリディ」ってこの映画でしか使ってないだろ、と思ったのだが、この前テレビの歌番組をぼーっと見ていたときに松浦亜弥の「Yeah! めっちゃホリディ」が流れて、「ホリディ」の先駆者がいたことに驚いた。ということがあったことを今日思い出したのは、古本屋で買った保坂和志の『この人の閾』収録の「東京画」という短編のなかで、夫の「河合君」のことを「カァイ」と呼ぶ「ヨッちゃん」という女性が出てきたからで、「カァイ」と「ホリディ」の小文字の使われ方はべつに似ているわけではないのだが、ただカタカナの小文字というだけの共通点で思い出したのだった。

 今日も頭痛で、午前中は寝て過ごし、昼に起きてカミナリのYouTubeなどを寝転がりながら見ていたのだが、散歩でもして身体を動かしたほうがいいのではないかと思って、夕方から外に出た。それで古本屋に入って買ったのが『この人の閾』だった。そのまま歩き続けて、通っていた大学のキャンパスにも侵入したが、おそらく夏休み中なのかひとはまばらで、そうなると校舎内に入るのはかえって怪しい。僕は散歩をしながら、大学のキャンパス内のトイレで用を足せるだろうと目論んでいたので、そのつもりで校舎に少しだけ足を踏み入れたが、ほんとに誰もいなかったのでびびって退散した。尿意も退散したのでそれはそれでよかった。そのまま歩いて、僕が大学生のときにもたまに通ってはいい道だと思っていた道を通って、あらためていい道だと思った。僕は散歩が好きなわりには街や道にたいする語彙が増えていかない。

 その道には、大通りから一本か二本分奥まった通りの途中で、さらに横に折れることで入っていく。横に折れると、前方に細い坂道が見える。右手には墓地があって、坂と墓地は塀によって隔てられている。墓地の側から坂の上にまで被さるように生えている木が道の狭さを強調するが、この場合の狭さは窮屈なものではなく、むしろその道の〝いい道〟具合を高めている。左手には坂に合わせて民家が立っている。道に面して猫の飾り物がいくつも置かれている。家は坂に合わせて土台を高くしているのではなく、坂に埋まるような形で、半地下のような具合で、小さな藤棚の奥に引き戸があって、明かりがついている。坂を上りきって、そのまま進むとまた別の寺の墓地に突き当たる。墓地と道はやはり塀によって隔てられている。右に進むと、ほどなくしてさらなる分かれ道に出る。正面には、道幅に比して大きすぎる木が立っていて、そこで左右に道が割れている。木のふもとには木造の小屋があって、なんとかパン、みたいな看板を掲げている。そこいらに住んでいる子どもたちにとって、その大きすぎる木と小さな小屋は、放課後の集合場所になっているに違いない。木を見上げるとその後ろ、日が沈んですぐの、まだほんのり明るさが残る空には、水彩画のように平たい雲が浮かんでいた。

 そこからもう少し歩いて、電車に乗って帰った。そのうち同居人が帰ってきた。

嘘の雲

 

8/28

 オアシスは単語の発音に則すならほんとはオウェイシスで、それを承知してなおオアシスをオアシスと書くのならレディオヘッドのこともラジオヘッドと呼ぶべきだ、という話は僕がオアシスを聴き始めた中二か中三の頃には既に散々使い古されていて、英語を習いたての僕からしてさえも興味をそそられる話題とはいえず、僕は極めて一般的に、レディオヘッドレディオヘッド、オアシスはオアシスと呼んで生きてきた、そのオアシスが再結成するという報が流れたのが昨日である。高校生以降ブラー派を気取ってきた僕は、ギャラガー兄弟それぞれのソロ作はあまり追っていないし、そもそもオアシスのアルバムだってここ何年か聴き返していないが、それでももちろんオアシスが嫌いなわけではなく、むしろ好きで、いまなお心の奥底には「ワンダーウォール」のエヘンッが鳴り響いているし、ちょうど僕がオアシスを聴き始めたくらいの時期にリリースされた『ディグ・アウト・ユア・ソウル』は好きなアルバムの上位だったりする。

 というかいま考えてみると僕がオアシスを聴くようになった頃にはたぶんオアシスはちょうど解散したかしていないかくらいの時期で、今回再結成が叶うとすれば、僕はオアシスが活動しているのを初めて見ることになる。そうなると懐古趣味であろうがなんであろうがライブに行けるものなら行きたいと思うが、行けるものなら行きたいと思っているひとは日本中に山ほどいるはずで、オアシスが日本に来てくれるとしても僕がライブに行けるとは限らない。だからあまり期待しないで待つ。

 

8/29

 昼過ぎから頭が重くなっていった。痛い、というのとも違う、脳みそそのものが重くなってしまったような、あるいは、たとえばサウナに入ってから水風呂に浸かる、その浸かる時間が長すぎたか短すぎたかで、間違った方向にととのってしまったかのような重さ。……と書いたが頭が重いなんていうのはかりそめの状態に過ぎず、当然そのあと「重い」から「痛い」に変わる。

 

8/30

 雨が降ったりやんだりしていた。雨が降って少し涼しくなるのと、その同じ雨によってじめじめするのとでいうと、八月末のいまの時期にはまだじめじめのほうが上回っていて、うかつに外を歩こうものなら間を置かずに汗が肌を覆う。

 仕事を終え、同居人が帰ってくるまで、『この人の閾』と『僕のヒーローアカデミア』の続きを読んでいた。『HUNTER×HUNTER』の余韻がまだ続いていて『ヒロアカ』にはハマりきれておらず、いや『ヒロアカ』もおもしろいのだが、読みながらなぜか思い出してしまうのは『HUNTER×HUNTER』のことで、ゴンとキルアの友情にふと思いを巡らせては、それを見守るビスケと同じ気持ちになってしまう。『ヒロアカ』は少年漫画のいいところも悪いところも出ている感じがあって、それでいうと『HUNTER×HUNTER』はけっこう特異な漫画なのではないかという気もするが、そういう判断を下せるほど僕は少年漫画というものを読んできていない。

 

8/31

 仕事の日だったので仕事に行って、夕方帰ってきてしばし『ヒロアカ』を読んでから、同居人と焼き肉を食べに出かけ、そのままの勢いで新宿に『ツイスターズ』を観に行ったが、これがよくなくて、現実世界での気圧変化のせいか、それとも焼き肉の後なのにポップコーンまで食べたせいか、はたまた映画の巧みな演出のせいか、観ている間にややきもちわるくなった。同居人のきもちわるくなり方は僕の比ではなくてかわいそうだった。こうやって僕が日記を書いているいまも同居人はまだきもちわるそうにしている。それにしても二人ともきもちわるくなったせいでやや正当な評価をしにくいところではあるが、『ツイスターズ』の竜巻のシーンは迫力に満ちていてよかった。監督は『ミナリ』のひとらしくて、たしかに人間と自然との距離感は『ミナリ』と地続きなのかもしれないがそれだけでなく確実にエンタメ成分をふんだんに盛り込んでもいて、『HUNTER×HUNTER』でいうところのクロロの念能力のように、そういう感じで進化していくのか、と感心させられるような作風の変化のようにも思えた、といいたいところなのだが、僕は肝心の『ミナリ』を観ていないので、ほんとに地続きなのかどうかはわからない。『HUNTER×HUNTER』でたとえたかっただけかもしれない。