バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

フミコちゃんのゲーム

 フミコちゃんがスマホのゲームにはまってしまって、わたしはつまらない。ぷにぷにした玉を集めて消すゲームとか、落ちてる銃を拾って撃ち合って殺し合うゲームとか、なんかそういうみんながやってる感じのゲームならまだしも、誰もやってないようなゲームだから余計にむかつく。

 フミコちゃんの操作する棒人間が道に落ちてるバナナの皮を避けながら走る。フミコちゃんの操作する棒人間はだいたいジャンプでバナナを避けて、あとは左右にステップを踏んで避ける。

 2020年代だとはとても思えないゲームにかじりついて、フミコちゃんは「くそ!」とか「は?」とか「いま押しただろ!」とかぶつぶついっている。ふだんはぜったいそんなこといわないのに、といいたいところだけど、実際フミコちゃんはふだんも「くそ!」とか「は?」とかいっているので、なんともいえない。でも少なくともゲームをやっているときの「くそ!」や「は?」のいい方にはどこか不健康なものが感じられて、わたしはそれをフミコちゃんに伝える。フミコちゃんは「ごめん」と謝ってくれつつも、「でもちょっとやってみてよ」とスマホを渡してくる。わたしはむかつきながらも、スマホを受け取って一度プレイしてみる。走り出してすぐにわたしの棒人間はバナナの皮に引っかかってしまって、GAME OVERになる。「え、ちょっと待って……」、わたしはもう一度プレイする。棒人間が転ぶ。「あれ?」、棒人間がバク天して転ぶ。「ちょ……」、棒人間がバレエの動きで転ぶ。「あ……、フミコちゃんこれ、」これ、転ぶのがメインのゲームじゃない? 転び方を、GAME OVERのなり方を競うゲームじゃない? わたしの棒人間はその後も美しいターンを決めて転び、まっすぐ力強く転び、カンフーの動きで転ぶ。どんな転び方をしたところで得点になにか反映されるわけではない。でもこれは転び方を極めるゲームだと、わたしは開発者の想いを受けとめる。明確にそのように作られていると感じる。

 けどフミコちゃんにとってはそうではない。フミコちゃんは「スズリちゃん、ごめん」とわたしからスマホを取り上げる。「ごめん、そんなにやるとスコア下がっちゃうから……」とフミコちゃんは申し訳なさそうにいう。その目はほんとに申し訳なさそうで、そしてほんとにスコアが下がってしまうことを気にしてそうで、わたしはなんだか泣きそうになる。誰もやってないゲームなんて思ったのはよくなかったと思う。誰もやってないゲームなんかじゃない。フミコちゃんがやってるゲームだ。