バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

科学のすごさ

 一般論としても体感としても科学の発展のスピードはすさまじい。僕が意味もなく上野公園を散歩している間に世の科学者たちはそれぞれの構想を練っているのだろうし、僕がちょっとかがんで靴ひもを結んでいる間にさえ、世界中のありとあらゆる研究室で何かしらの実験が行われたり、0が100になったりしているのだろう。グーグルで「清潔」を画像検索したら表示されるような、とてつもなく白く、自信に満ちた研究室。そこでは光り輝く科学者たちが、世界で科学の発展が及んでいない分野がどこなのか、チェックリストを作成しているのだ。そうやってみんなが一致団結して科学の発展を志している状況で、僕にできることと言えば、どこが未開の分野であるか彼らにこっそり耳打ちしてあげることくらいだ。すみません、これこれこういう分野にはまだ科学の発展が及んでいないみたいですよ。

 

・朝に雨が降っていたから傘をさして出かけたのにわりとすぐに晴れてしまって、そのあと一日中どこへ行くにしても傘とともに行動しなくてはいけないこと。

・それに限らず、傘にまつわる色々な問題。雨の日に渋谷のスクランブル交差点を渡ることの困難さ。階段を昇るときに背後を全く気にせず傘を振り回す人がいること。横殴りの雨に対して傘があまり意味をなさないこと。傘を杖のようについてしまうこと。

みどりの窓口で、僕の用事はほんの些細なことなのに、前の人が20分くらいかかって、その間僕は馬鹿みたいに突っ立っていなくちゃいけないこと。

・それに関連して、電車にまつわる諸問題。ドア付近に立ってモアイ像のように動かない人がいること。降りる人より前に乗る人がいること。逆に、自分が列の先頭であることの自覚が足りず、ゆっくり乗り込む人がいること。僕が向かいのかわいい子を見ていたっていうのに、僕とその子の間に立ちやがる人がいること。その他想像力を働かせられない人がいること。駅に着くたびに席を立つフェイントをする人がいること。老人が非常に多いけれど、僕だってそんなにいつも席を譲ってはいられないこと。周囲の状況を総合的・全体的に考えずに、やたらと席を譲ってしまう人がいること。電車内でカップルの会話を聞いてしまうことがあるのだけれど、大抵はクソつまらない話をしていることと、そうやってクソつまらないと感じてしまう僕がいること。彼らの会話の文脈においてはおもしろいのかもしれないのに。

広瀬すずはなんだかんだかわいい。

・冬になると夏が恋しくなること。そうやって冬になると思い出される夏はあまりにノスタルジックであること。サイダー、風鈴、入道雲、線香花火、夏祭り、ぬるいプール、山下達郎スピッツ、うちわ、熱帯夜、「夏なんです」、「サマージャム’95」、「じゃっ 夏なんで」、「Summer Soul」、あの子の浴衣姿、首筋ににじむ汗、健康的な性欲。そうやって記号としての夏をぶら下げたままリアルな夏に突入すると、圧倒的な違いにぶん殴られること。

・同様に、夏には冬が恋しくなること。結局僕らは、語られるものとしてしか存在しない"夏"や"冬"を求めて、終わらない追いかけっこをしているにすぎない。

・金がない。

・奥が深そうなジャンルに、後追いで入っていくのが面倒くさいこと。たとえば酒、コーヒー、楽器、宅録、クラシック、ジャズ、R&B、ブルース、ヒップホップ、歌謡曲エレクトロニカ、スニーカー、南米映画、サイレント映画日本語ラップアメリカ文学、フォント、ファッション、SF、広告、現代思想、めがね、写真、自転車、都内のおいしい定食屋、ラジオ、喫茶店、谷中、新宿、下北沢、アメコミ、電車、オーディオ、VR、AR、アイドル、インディーズバンド、絵、ボールペン、彫刻。結局最初の一歩が踏み出せずに、そのまま忘れてしまうこと。時々思い出してはちょっと後悔すること。ああ、中学の時にもっとギターの練習をちゃんとやっておくんだった。

・友達と疎遠になってしまうこと。久しぶりに会ってもあっという間に元の関係性を取り戻すことのできる友達もいれば、いつの間にか二人の間に埋められない溝が開いてしまっていて、ぎこちなくなってしまう友達もいること。そもそも友達のことを全然知らない場合が多いこと。

・中学生や高校生を見てガキだなと思ってしまったりすること。彼らにだって中学生・高校生なりの立派な考えがあるはずで、本来それは誰かに批評されたり、あるいはもっと直接的に汚されたりすることなく存在するべきものなのに。彼らだってそこまでガキじゃない。

・それと関連して、僕らは“青春”というものを300倍増しくらいで美化しがちであること。"夏"や"冬"と同じだ。そんなもの存在しない。

・結局「うんこ」や「ちんちん」みたいなワードで笑ってしまうこと。

・昔の映画を観てすごくいいなと思っても、その感動が映画そのものに対してのものなのか、それとも「この時代にしては」のような但し書きや時代・人物背景込みでのものなのか悩んでしまうこと(これは芸術鑑賞一般に関わることである気がする)。しかしそういうことは実は別に大した問題ではないだろうということ。そういうことを考えて頭の中であれこれこねくり回すことは楽しいかもしれないけれど、それと関係なく、僕らは確かに感動しているのだから。

・「無限に」・「一億」など、なんでも誇張した表現を使えば面白いと思っている節があること。

・もう22歳であること。

 

 

 すみません、他にも色々あるのですが、今日はここまでで。でも、こういうこともすべて、巨大ロボが開発されたら解決できるんですよね、すげえなあ、科学は……