日記(4月12日)

 新しい元号が発表されたその瞬間に僕らは平成のことなんてきれいさっぱり忘れ、頭のなかはその新しい元号と来たる新時代のことで埋め尽くされてしまうのではないだろうか。

 5月1日を待つことなく、気持ちのうえではすっかり新元号へと移行してしまうのではないだろうか。

 たとえばもし新元号が『卍』なんかだったりしたら、心臓はマンジ、マンジ、マンジ、と激しく打ち、寝ても覚めても卍が視界を回りつづけ、ほんとうに何も手につかなくなってしまうのではないだろうか。

 

 ――そんなふうに危惧しながら4月1日を迎えたけれど、おそれていたような事態はちっとも起こらなかった。新しい元号は卍ではなかったし、発表されてからも僕は変わらず平成を生きていた。新しい元号は珍妙に響いたが、少し間をおいてからあらためて見てみると、そんなに悪くないような気もしてきた。出典がどうだとか、どういった意味が込められているのかとか、「競馬」と「ゲリラ」のどちらにアクセントが近いのかとか、そういう込みあったことはよくわからないが、少なくともフィクションだと思って見ればなかなかいい元号のように思えた。サイバーパンクっぽい雰囲気があった。街じゅうのあちらこちらに張り巡らされた電光掲示板や、青白いネオンライトや、ぼわーんと伸びきったシンセサイザーの音が映えそうな元号だった。しかし新しい元号はフィクションなんかではない。ノンフィクションである。ノンフィクションとしての評価は保留しなければならない。実際にその時代を生きてみて数年、あるいは数十年経ってみてからでないとしっくりこないだろうし、あるいはいつまで経ってもしっくりくることなんてないかもしれない。平成だってはたしてほんとうに身体に馴染んでいると言えるかどうかわからない。ただ、生まれてきた時代がたまたま平成と呼ばれていただけだ。

 発表された日にはひとしきり盛り上がったけれど、そのあと、元号のことが話題にのぼる機会はめっきり減った。そもそも、僕らは元号について日常的には話さない。人工的なしんみりを作り出そうとしてわざとらしく話題をスイッチングするか、互いの近況や天気のことをひとしきり話してついに話すことがなくなったときに、そういえば、と切り出すかしか、新しい元号に想いを馳せる機会はないのだった。なにも新しい元号だけじゃない。僕らは平成についてもそんなに考えたりしない。

 しかしどちらかというとまだかろうじて平成について考えることのほうが多い、そういった観点で、僕はまだ平成を生きている。

 

 

 僕はまだ平成を生きていた。平成最後の春、ということになるのだった。去年の5月ごろから平成最後の夏だとかいって騒がしくなりはじめ、平成最後の秋、平成最後の冬ときて、いまが平成最後の春、平成最後の四季が一巡したことになるのだった。もちろん季節をもっと細く区切ることもできる。平成最後の梅雨もあっただろうし、平成最後の晩夏だってあったはずだ。平成最後の11月18日だって通り過ぎたのだろうし、今日だって、平成最後の4月12日ということになるのだろう。しかし、四季という大まかな区切りがやはり一番居心地よい。行き場もないのに生まれてしまう感傷の受け皿として、四季という区切りはうってつけだった。四季折々のあれこれは、平成最後、という枕詞の受け皿としてわかりやすかった。平成に思い入れなんてなくて、たんに、終わってゆくものは美しく見えるという法則が働いたに過ぎないのかもしれなかったが、それでも僕らは、あれが平成最後の入道雲かもしれないな、とか、靴の裏にガムがくっつくこともこれが平成最後かもね、とかいって、ふだんならばあってはならないような場面で感じ入ったのだった。いやらしい話だった。けれど、そのことが日々を豊かにしたのは間違いないのだった。

 あれもこれも平成最後、いろんなものに平成最後というシールを貼って三途の川に流して涙ぐむうちに、後悔のようななにかがこみ上げてきた。戻れるものなら戻りたい、というほど苛烈なものではないが、さくっと戻れて、またさくっと帰って来られるのなら戻ってもいい、という程度には。

 

 

 去年、僕は夏をどうしたのだろうか。なにをしていただろうか。もしかして、平成最後の夏をちっとも味わうことなく、ほとんど手つかずの状態で川に放り込んでしまったのではないだろうか。

 惜しいことをしたのではないだろうか。

 夏を⁉

 

 

 どうしてそんな惜しいことをしてしまったのか。

 原因はふたつ考えられる。

 ひとつには、僕が当時、平成最後の夏という騒ぎにほとんど乗ることができなかったということ。斜に構えていたのだ。それに、自分が次の夏にどうなっているかもまだわかっていなくて、平成なんかにかまっている場合ではなかった。しかしこれは、まだなんとかなる原因だった。態度の問題だ。どうとでもなる。

 もうひとつのほうがはるかに深刻な問題だった。夏という季節の根本に関わってくることだ。

 季節や四季というのは、情緒によって決まるものだと思う。もし季節というものが、暑いか寒いか、晴れの日が続くか、雨がちか、というような気候の状態によって決まるのなら、梅雨や台風の時期を四季に数えるべきであって、春や秋などなくてもいい。春や秋というのは、冬から夏、夏から冬への移行期であって、たんなる移行期に過ぎないかもしれなかったところを、桜を見上げたり、落ち葉を見下ろしたりして、人びとはそこに季節を見出してきたのだ。冬はこたつ。日本の四季は情緒や文化によって形成されているものなのだ。

 しかしそこにあって夏だけは異質だ。もちろん夏には夏の情緒や文化がある。季節と紐づけられる事物の数でいったら、夏が一番多いのではないだろうか。こころの原風景のようなものの数だって、夏がずば抜けて多い。たしかにそれは事実だ。けれど、それはそうとしても、夏は、暑すぎる。情緒や文化や原風景や、なによりも先に、暑さがくる。暑いという感覚のみがくる。季節として破綻している。

 春や秋はもともと情緒を見つけて味わうものだ。とうぜん、平成最後という枕詞との相性はいい。冬は寒い。寒いが、首都圏の寒さはどうにでも対処できるものだ。しっかり防寒をしたうえで、冬の情緒をふんだんに味わうことができる。なんとなれば、寒さでさえも味わいの対象となる。これも、平成最後との組み合わせは悪いものではない。ところが、夏の暑さはどうにもならない。しんみりするひまなんてない。夕暮れどきにほんのちょっとしんみりできそうな時間帯があるけれど、ふう、と昼間の汗をぬぐったところで時間切れとなる。

 夏に関する情緒や文化や原風景は、夏でないときにのみ味わえるものだ。

 平成最後との相性はすこぶる悪い。

 

 

 というわけで、僕は去年、夏が始まる前には騒ぎに乗ることができず、始まってからはただただ暑いという感覚のなかに放り出され、いつの間にか夏は過ぎ、風あざみ、今になって後悔のようなものを抱いていた。無慈悲にも季節はとっくに春で、夏になる頃にはすでに新しい元号になっているのだった。あと20日もしたら、平成は終わるのだった。もう平成の夏はこない。部屋で半袖半ズボンになって棒アイスをかじってみても意味がなかった。日、長くなってきたなあ、なんてつぶやいても意味がなかった。そうやって夏のふりをしたところで、うだるような暑さがないのでは無意味なのだった。暑さなしには夏はなかった。万が一この4月中に気温が上がって、どうにかして暑さの断片のようなものにちょっとでも触れられたら、それをもって夏ということができるのかもしれないが、おとといのように寒い日があるようではほとんど期待しようがないのだった。

 

 

 

 おならが出た。出たところに、ズボンごしに手をかざした。そこにたしかな温もりが、熱が、暑さがあった。そこに夏があった。