日記(3月24日)

 春から、恵比寿駅とガーデンプレイスを結ぶ「動く歩道」をパトロールして、「歩く歩道」と言いまちがえている人を取り締まる仕事に就く。恵比寿駅と目黒駅のちょうど中間くらいのところにひとり暮らしをする。

 昨日と今日であらかたのものを運びおえて、もう今日から泊まるのだが、しかしまだひとり暮らしを始めたという感覚はない。まだ、知らない町の知らない部屋に“泊まる”という感じで、“暮らし”は始まっていない。冷蔵庫も炊飯器もガスコンロもまだない、というのもそう感じさせる一因かもしれないが、そういう実際上の問題とは別に、身体が浮ついている。荷物を運びこんだところで、次に何をすればいいかわからなくなり、途方に暮れてしまった。外にラーメンを食べに行き、アトレの本屋で町屋良平『青が破れる』を買い、散策してみることもなくすぐに部屋に帰って、1時間ほど昼寝した。まるでひとり暮らしをしているみたいだが、“暮らし”の表面を上滑りしているに過ぎない。このあたりに住んでいるのだと自らに言い聞かせるように、あるいは周りに表示するように、手ぶらで出かけてみたが、おそろしくなってすぐに帰ってきて、布団にもぐり込んだ。

 昼寝から目覚めると、あいかわらずよく知らない部屋にいる。日当たりがよい。よく片づいている。広い。見慣れない。家から持ってきたテーブルと椅子までも見慣れない。見慣れない椅子に座って、見慣れないテーブルに向かい、本を読む。静かに読書していると、隣の部屋や上の部屋から歩きまわる音や引き戸を開け閉めする音なんかが聞こえてきて、他にもひとが住んでいるのだということを実感する。僕自身はできるだけ物音を立てないようにする。大家さんに、隣のひとに挨拶しなくていいと言われたので、周りにどんなひとが住んでいるのかわからない。あいかわらず何もわからないまま、本を読みすすめる。カーテン越しの陽光が少しずつ翳ってくる。見知らぬ部屋が翳ってくるのはおそろしい。暗くなりきってからはともかくとして、暗くなりゆくその過程を見知らぬ部屋で過ごすことがおそろしい。旅行中ならまだしも、これから暮らしてゆくであろう部屋だからこそおそろしい。その奇妙なおそろしさから逃れるように、夕方、外に出ることにする。また手ぶらで出て、地に足のついた感触のしないまま、渋谷のほうへ歩いていく。

 

 イメージフォーラムで『ユーリー・ノルシュテイン 《外套》をつくる』を観た。ユーリー・ノルシュテインのアニメーションは、2年前くらいに同じくイメフォで観て、特に『話の話』という中篇にはえらく心を動かされたのだった。今回は、ノルシュテインが長らく完成させていない『外套』という映画をめぐるドキュメンタリー映画

 ユーリー・ノルシュテインは『話の話』までのいくつかのアニメーションで世界的名声を手にしたあと、1980年からずっと、ゴーゴリ原作の『外套』という映画づくりを進めているそうだ。ドキュメンタリーが撮られた時点で38年目。今年で39年目に突入するのだろうか。映画のなかで、ノルシュテインは『外套』がいっこうに完成しないことについて、ソ連が終わって財政的に苦しくなったから、家族やスタッフが病気をしたから、タイミングが合わないから、などと理由を述べる。それらは、編集の仕方にも因るのだろうが、言い訳じみて聞こえる。『外套』は当初のアイデアから絶えず姿を変えつづけ、常に頭のなかにあるという。『外套』について考えるうちに、ほかの作品のアイデアは消えてしまったという。設定やプロットなども細かいところまで考えて、あとは作るだけだという。かんぜんに煮詰まってしまっているのかと思えば、(少なくとも表面的には)そうでもなさそうな様子で、ノルシュテイン自身はケロッとしている。ドキュメンタリーの監督からの「世界中のひとが『外套』を待っている。あなたにはそれを完成させる責任がある」という責め句に対しても、「待つことなんてないよ」とかわす。しかしそれでいて、『外套』の内容について語りはじめると言葉やイメージが止めどなくあふれ出てくる。

 ひとつの作品について何十年も考えつづけるなんて僕には想像も及ばなくて、それだけで圧倒されて、ひとり暮らしへの漠然としたおそろしさはどうでもよくなってしまう。とほうもなく長い、とか、とほうもなくでかい、とか、とほうもなく深い、高い、奇妙、速い、なんでもいいが、とにかくとほうもないなにかに対して、それがとほうもないというだけで畏敬の念を抱いてしまう。こういう感覚を、sublime、崇高、というらしい。こういうことをいまいち知らないまま、学生じゃなくなってしまう。見知らぬ部屋に戻り、スパゲッティでも茹でて食べようと麺を出したところで、まだガスコンロも来ていないことに気がつく。しかたなくケトルでお湯を沸かしてカップ麺と買ってきたサラダを食べる。ヘルシーとジャンキーのプラマイゼロ。これが暮らし。