日記(1月3日)

 大晦日や年越しの瞬間や年始一発目にどんなものを聴くかとか、観るかとか、読むかとか、そういうことって現実的には些末に過ぎないのかもしれないけれど、個々人にとっては予想外に悩ましい問題であったりする。そんなことって別に何の意味もないじゃん、みたいにむずがゆい指摘をされてしまうかもしれないけれど、しかしどうしても年跨ぎにはこだわりたい。外に出てむやみに騒いだりするわけではないけれど、年を跨ぐということに対して静かなる情熱を燃やす。そういうところにほんのちょっとだけこだわりながら、生活を進めていく。

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 2019年はじめは『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』(“The Big Sick”)を観た。

 昨年公開の映画だけれど、Amazon Studios配給だったのでもうPrime Videoにあります。

Amazon.co.jp: ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめを観る | Prime Video

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 移民2世のコメディアンが主人公であるというところや、移民として・非キリスト教徒としてアメリカで生きていくことの困難を軽妙に描くユーモア感覚や、差異を超えた普遍的な人間の情動のあり方を描いているところは、Netflixのかの名作ドラマシリーズ『マスター・オブ・ゼロ』(“Master Of None”)を彷彿とさせる。人物も環境も話の展開ももちろん全くの別物だけれど。それにしても、どちらの作品も、生活していくうえでの困難をドラマ的にテンポのいいやり取りへと昇華させる手腕が見事だ。

 『ビッグ・シック』の場合、テンポのよさは人物同士のやり取りから醸成されていたように思う。あえてセリフを削り余白を観客に想像させることでグッドなテンポを生んでいるような作品もあるけれど、今回は逆で、別になくてもいいセリフを入れることで逆にテンポがよくなっていたように思う。なにしろ登場人物たちが饒舌な映画なので本筋と関係ないやり取り自体はかなりあるのだけれど、しかしそれにしたって、本筋と関係ない上にそのやり取りの中においても見当違いになってしまっているような、別になくてもいいセリフが多い。

 別になくてもいいセリフ?

 

 たとえば1時間13分40秒あたり、ネットで病院の口コミを調べているときに「ネットは悪口ばかりだ 『フォレスト・ガンプ』も最高の映画なのに」とお父さんが言うくだりがある。「『フォレスト・ガンプ』も最高の映画なのに」! 別になくてもいい。なくてもいいけれど、これがあることで映画が豊かになっている。このシーンの場合はさらに、このセリフがあることでシリアスさが緩和されている。お父さんのセリフを受けての二人の反応がまたユーモラスだ。

 

 たとえば7分52秒あたり、クメイルがエミリーを部屋に連れ帰ったところで、それを見たルームメイトのクリスが「やるじゃん 上出来だ」と呟くのはいいとして、そのあとクリスがリモコンをソファに叩きつけるのをわざわざ別カットで映しているけれど、これだってなくてもいいシーンなわけだ。あった方が豊かになることは間違いないけれど。

 

 たとえば、

 

 たとえば、……

 

 もっとあると思ったけど、意外に見つかりませんね……

 

 別になくてもいい、別になくてもいい、とさっきから繰り返しているけれど、別になくてもいい、なんていうのは作劇上の判断に過ぎない。実際に僕らが日常生活を送っていく上では、別になくてもいい発話の方が多いくらいだ。でも、そういうどうでもいいような部分を作品の中に落とし込むとなると話が違ってくる。そういうセリフまで脚本に記し、編集の段階でも削らず、それらが結果として、むしろ映画を豊かにしテンポをよくしているのは素晴らしいことだ。なんというか、えらいことだと思う。「別になくてもいい、だからいらない」じゃなくて、「別になくてもいい、けれどあった方がいいんじゃないか」という判断がえらい。

 『パルプ・フィクション』においても『ダウン・バイ・ロー』においても、その他の僕が観てきた映画においても、幾度となく、別になくてもいいやり取りは為されてきたけれど、『ビッグ・シック』に現れていたのはもう一段上の“なくてもよさ”だったように思う。あの『パターソン』をも上回るような日常賛美・“なくてもよさ”賛美だったように思う。

 

 それとも、僕が今まで気がついていなかっただけで、このレベルの“なくてもよさ”って他の作品にもあったのかな。これまでは見過ごしてしまっていた部分が突然見えるようになっただけかな。だとしても、こうして気づけるようになったことはいいことだ。これまでは見過ごしてしまっていたかもしれないけれど、少なくとも今後はしっかり捉えることができる。

 去年の秋くらいからはじまった、ひとつひとつの枝葉までもが美しく見える症状はこんなところにまで及んでいたらしい。散歩をしては冬のはだかの枝一本一本がきらめいて目に映る。家に帰って本を読んでは些末な表現やフォントまでにも目をとめ、映画を観ては別になくてもいいやり取りに心を震わせる。散歩のおかげです。あてのない散歩が僕らの生活にいかにいい影響を及ぼすかがわかります。

 「書を捨てよ、町へ出よう、で、帰ってから読もう」ということでしょうか。