日記(8月19日)

 晴れ。涼しめ。

 

 このところスティーヴン・ミルハウザーさんの『エドウィン・マルハウス』(河出文庫)を読み進めている。

 少年が少年のことを語る伝記文学であるというところ。語られる対象であるエドウィン少年ではなく、むしろ語り手であるジェフリー少年の異様さこそが徐々に立ち現れてくるところ。そういう、物語の骨格に近い部分だけでもゾクゾクさせられるけれど、それを上回って毎シーン毎シーン染みてくるのは、少年の目から見た世界の姿だ。雪の降った次の日に輝くつららの美しさや、自分の家が見えなくなるところまで遊びに行ったときの不安と興奮や、身の回りに文字や数字が溢れていると気づいたときの居ても立ってもいられなさを、ジェフリー少年はとんでもなく緻密な筆致で捉える。ジェフリー少年が「ずば抜けた神がかり的なまでの記憶力のよさ」(p.34)によって語る風景の一つ一つを、僕は手触りを伴ったものとしては忘れてしまっているけれど、それでもたしかに思い出すことができる。アメリカの広い芝生の庭で回るスプリンクラーなんて触れたことがないのに、僕はあの意外な冷たさを思い出すことができる。

 「共感」と「驚異」によって物語は進む、っていうお馴染みの話を持ち出して言うなら、こんなに細部にまで緻密な共感を染み渡らせつつ、全体としてはとんでもない驚異の地平にまで連れていく物語というのは、ちょっとなかなか、他には思いつかない。まだ半分も読み終わっていないのにこんなことを言ってしまうのは大袈裟に過ぎるかもしれないけど、でも間違いなく、チョーすごい小説だ。岸本佐知子さんの翻訳も素晴らしい。全員読んでください。

 

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 ジェフリー少年の美しい描写に中てられて、思わず地元をサイクリングした。

 一昨日、髪を切りに行った帰りにもちょっとサイクリングしたし、今日もまたやってしまった。もうとっくにしゃぶりつくしたと思っていた地元にも、まだまだ風味が残っている。肌をかすめる涼しい空気がジトッと湿りはじめないくらいのスピードで走る。太陽は雲の向こうに、まだそれなりの高さを保っている。一昨日、夕暮れも終わる頃に通ってストレンジャー・シングスみたいだなと思った道は、明るい時間に見るときちんと舗装されていて、ちょっと辿っていくと、謎の研究所ではなくゴルフ場に続いている。そりゃまあ、そうだろうとは思っていたけれど、しかしなあ、確かめなけりゃよかった。

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 はじめて出会う道に対して、僕はなにがしかの期待を持ってしまう。「道」という名のついた原風景みたいなものを集めたファイルから、どれか一枚イメージを引っ張り出してきて、両手にしっかり持ち、心なしか足早に進む。ああいう感じだったらいいな、と勝手に想像を巡らせて、しかしほとんどの場合それは良かれ悪かれ裏切られる。想像通りの風景が広がっていることはほとんどない。まあまあ散歩して経験を積んでいるはずなのに、いつまで経っても適切なイメージを用意できない。そもそもそんな余計な期待をせずに歩けばいいのだけれど、これは軽度の呪いのようなものなので、そうはいかない。まあ、だいたい良い方向に裏切られるのでいいんですが。

 

 でもたまに、なんとなくこの先は確かめたくないな、と思うことがある。ものすごいいいイメージが描けてどうしてもそれを手放したくないだとか、どうしようもなくショボい道だったら嫌だとかっていうわけではないのだけれど、しかしなんとなく確かめたくない道がある。そういうとき、僕は確かめないままにする。その道の先を、いつまでも残しておく。

 子どものころからそう感じていて、実際にまだ一度も確かめたことのない道が、母方の祖父母の家の近くにある。僕は祖父母の家からほど近い幼稚園に通っていたし、今でもよく祖父母のところへは行くので、ちびっ子だった当時から現在に至るまで、もう何百回と目にした曲がり角だ。

 古くから並ぶ住宅街の狭い道路が二手に分かれる角。右に折れると幼稚園へと向かう、何度となく歩いた道だ。左には行ったことがない。ちびっ子の僕は幼心に、あっち側の先には何があるのかな、海かな、ジャングルかな、おしゃれ都市かな、めっちゃでっかい家かな、といろんな可能性に思いを巡らせながら、常に右の道へと曲がった。キリスト教系の幼稚園だったことも手伝ってか、左に進んだ先には、金色の光が降り注ぐ空間があるような、光り輝く何かが降臨しているようなイメージを持っていた。小学生になり、学年が上がり、海やジャングルは地理的にあり得ない、ということはわかってきたけれど、それでも光り輝く空間のイメージは残り、そんなに気になるならいいかげん確かめに行っちゃうっていうのはどうかな、という迷いもありつつ、しかし妙な頑固さが僕を左の道から遠ざけ、ふてくされてばかりの10代を過ぎ分別もついて齢をとり、おそらくこのまま光り輝く空間のイメージを抱き続け、結局左の道には行かず、そしていつか死ぬ。

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