梅雨の文

いやなこと

 私は雨の日に外を出歩くのが好きじゃない。雨って、屋内から見ている分には情緒にあふれていて好きなのだけれど、外に出るとなると話が変わる。何がいやかって、濡れるのが。傘のへりからズボンに落ちてくる雨が、つま先に染み込んでくる雨が、傘をたたむ手のひらにべっとり付く雨が、私を濡らす。人類は雨が降るたび濡れている。

 荷物が重いっていうのもいやだ。私の荷物はなぜだかいつも重い。私はリュック派だから、その重みを肩だけで受け止める。肩は重みに反発するように、だんだん張ってくる。毎度毎度、思っていたよりずっと張る。重いリュックを背負って二十分も歩けば、両肩にこんもりした鉱山が出来上がっている。

 雨の日に出歩くのもいやだ、荷物が重いのもいやだ。だから、雨の日に荷物が重いっていうのは、最悪だ。いやの二乗なのです。おそらく、ほんとうは、二乗どころではなくて、三乗、四乗、いや、五乗くらいになっているのではないかという実感がある。食べ合わせが悪いものみたいに、負の相乗効果が生まれて、いやさ加減がとんでもなく増しているように感じる。

 

 そういうことを考えて、今日はずっと家にいることにしました。

(6/19)

 

 

シェイク

 目を覚ました瞬間に、今日は雨だと気づいた。カーテンを開けなくともわかる。首筋が湿り気を帯びている。部屋中の空気が床あたりまで下がってきている。耳をすませばさあさあと聞こえる。ときどき、大きな粒がベランダにぶつかって、ぼん、と弾ける音がする。

 湿気を吸い込んでしまったみたいに重い身体を、ようやく起こして台所まで歩く。空気も身体もぬめっとしているのとは反対に、口のなかはばりばりに渇ききっている。コップに水道水を注いで、軽くゆすいで、飲む。洗面所の鏡には、薄橙色のライトに照らされてぬぼおっとした肌が写る。梅雨の時期には特にぬぼおっとする。首筋にも、前腕にも、脇腹にも、背中にも、内腿にも湿気が張り付いて取れないので、シャワーを浴びる。清涼成分を含んだボディソープが、何もかもをそぎ取る。タオルで拭いてすっきりした肌に、しかしまたすぐに湿気がまとわりつき始める。パンツを穿き、髪を乾かしながら、テレビで天気予報を見る。関東地方は一日じゅう雨となるでしょう。朝はひんやりしていますが、日中にかけて蒸し暑くなりそうです。脱ぎやすい薄手の上着を羽織って出かけるとよいでしょう。僕はスーツなので関係ない。電子レンジで軽く温めた食パンに、昨日食べ残した麻婆茄子をのっけて、小さな儀式のようにゆっくり食べる。しなりきった茄子が冷たい。もう一度水道水を飲む。カーテンを開けると、隣接するビルの白色までも、雨に滲んでうっすら青が混じって見える。ベランダのサンダルに描かれたカエルのキャラクターだけが、雨を喜んで、けろけろ笑っている。

 ぎりぎりまで家にいよう。あと三十分。

 ソファーに沈み込んでアナウンサーが喋っているのをぼうっと見ながら、ふと、小さいころのことを思い出した。小学生のころ、学校に行きたくなくて僕がぐずると、母がバナナシェイクを作ってくれたことがあった。「けんくん、これ、魔法のドリンク」。はにかむ母から受け取ったコップには、薄黄色の、どろどろした液体が入っていて、さっと飲み干すと、不思議なことに元気が湧いてきたのだった。「けんくん、学校、行きたくなきゃ休んでもいいよ」と、母は不器用に微笑みながら言った。魔法のドリンクを作ってくれた本人がそんなこと言っちゃうんだ、と子供ながらに思ったけれど、たしかその日は結局学校に行った。

 だらしなく沈んだ身体を起こして、台所を調べた。

 バナナはちょうど一本残っていた。冷蔵庫には小さいカップヨーグルトも一つだけ入っていた。ミキサーも、どこかにしまってあるはずだった。

 

 バナナを一本丸ごとに、カップヨーグルトを開けて、牛乳を足してミキサーにかけてできたものは、少なくとも、色はあのときと似た薄黄色をしていた。

 味も、悪くなかった。ほどよく甘い。ほんとうははちみつもあれば良かったな、と思っていたけれど、なくてもおいしい。

 けれど、しかし……

(6/19, 21, 7/17)

 

 

傘がない

 今日、雨降るなんて知らなかった。お母さん、そんなこと一言も言ってなかった。わかってるなら言ってくれてもよくない? あたしのお母さんって、いつもそう。あの人、そういうところあるの。いっつも何も言ってくれなくて、夕方になって、あたしが濡れて帰ると、あれ、あんた傘持って行かなかったの、って。あたしが朝、自分で天気予報でも見りゃいいんだろうけどさ、それはわかってるけど、でも、どうしても忘れがちじゃない。あたしって、そういうところあるの。

 だから今日もいつも通り傘なんて持ってなかったんだけど、そうしたら五時間目あたりから、雨、ざあざあ降ってきちゃった。そのまま降りやまなくて、放課後になっちゃった。

 それで、とりあえず教科書もノートもカバンにしまって、帰る準備は済ましたけど、なにせ傘がないから、教室で外見ながら、ああ、どうしよう、ってね。雨、ざあざあ。

 ただぼうっとしていてもしょうがないから、ミーコとサヤと、くだんない話して盛り上がっちゃった。ほら、あの子たちっていっつも放課後教室にたまっておしゃべりしてるじゃない。今日も二人とも残ってて、雨、面倒くさいね、って。そうしたらそのうちミーコがね、ねえフミ、雨の日って、なんだかムラムラしない、って聞いてきたの。あたしはそんなこと考えたこともないから、そんなこと考えたことないな、って言ったんだけど、ミーコもサヤもくすくす笑っちゃって。わかってるくせに、って。あの子たち、いっつもあんな話してるのかな。ちょっと引いちゃった。それでまあ、そんなことで笑ったりしながら、雨、止まないかかあ、って待ってたんだけどね、急に、ねえ、オカザキさん、って呼ばれて、見たら、教室のドアのところにタカハシが立ってるの。

 なにせ突然なもんで、あれ、タカハシってあたしのこと、オカザキさん、って呼ぶのか、って思ってさ。でも、そうじゃなくて、問題はタカハシがあたしになんで話しかけてきたのか、ってことだよね。だからあたしは、なに、タカハシくん、って。そう。くん付けだよ。だってあたし、タカハシとまともに話したことなんて、あんまりないよ。だから、なに、タカハシくん、って聞いたらね、オカザキさん、傘持ってないでしょ、って言うの。え、持ってないけど、って言ったら、俺、持ってるからさ、一緒に帰らない、だって。タカハシ、あんなひょろっちくて眼鏡かけてるのに、一人称、俺、なんだ、とか思ったけどさ、いや、それは別にいいけど、問題はそこじゃない。だってそれって、相合傘じゃん。だからあたし、あ、とだけ返してちょっと黙っちゃった。そうしたらタカハシのやつ、まあ、オカザキさんが嫌じゃなければ、ってちょっとこっち見て言ってから、視線逸らすの。そんな見られたら、嫌とは言いづらいよ。まあ、嫌ってことはないし。だから、え、じゃあ一緒に帰る、って言ったらさ、タカハシ、うん、って。もう出られるの、って聞いてきてね、あたしも、うん、って。それで、あたしは急遽帰ることになったんだけど、あ、そうだ、ミーコとサヤはどうする、って二人の方見たらさ、二人とも机に突っ伏しちゃってるの。ねえ、やめて、そういうのじゃないよ、って言ったんだけど、サヤは声出さずに笑ってるっぽくって、ミーコが、うちらは傘持ってるからいいよ、って。はあ。タカハシもタカハシですごく居づらそうになっちゃってさ。そういうのじゃないのに。でもまあ、じゃあ、帰ろう、って言ってくれてさ。だからあたしとタカハシは一緒に教室を出て、階段を下りて、下駄箱行って、靴を履いた。あ、なんであたしが傘持ってないって思ったの、って聞いたら、うーん、オカザキさん、雨降る日さ、傘忘れてること多いじゃん、だって。恥ずかし。恥ずかしくて、あたしまた、あ、そう、としか言えなかった。それでさ、外見たら、まだ雨、ざあざあ。これ、傘なしじゃ帰れないでしょ、って言うからさ、あたしも、まあ、そうかもね、って。ありがとね、って言っちゃった。そうしたらさ、タカハシのやつ、鞄から折りたたみ傘出すの。折りたたみ、って! 人を誘うのに折りたたみ! マジか! ちっさ! まあ、ツッコミは口に出さなかったけどさ、笑いは抑えきれなくて、あたし笑っちゃって、ああダメ、笑っちゃいけない、たぶん笑っちゃいけないと思う、って、わかっちゃいるんだけど、くすくすが止まらなくなっちゃった。それ見てタカハシ、ああ、たしかに、って言ってた。ああ、たしかに、ってなにさ、と思ってあたしはそれでまた笑っちゃったんだけど、タカハシ、よく怒らずにいてくれたな。あんまり話したことないのにね。それでまあ、そのあとは、二人でそのちっちゃい折りたたみ傘入って帰りましたってだけ。知らなかったけど、タカハシん家ってあたしの家に結構近いんだね。

(6/21)

 

 

ポップコーン

 かの有名なクレイアニメ、『ピングー』のなかに、こんなエピソードがある。ある日、両親が出かけたすきに、主人公のピングーと妹のピンガはポップコーンを作ろうと画策する。大きな棚を開け、保管されていた大量のトウモロコシの粒をすべて剥ぎ取って、鍋に入れ、ストーブの上に置く。やがてポンポンはじけ出して、しばらくするとずいぶん大量のポップコーンが出来あがる。二人は夢中になって食べるけれど、なにせとてつもない量だ。二人は余ったポップコーンを近所の家に配達する。一人暮らしのおじさんも、三人の赤ん坊を抱えたおばさんも喜んで受け取ってくれる。じゅうぶん分けただろうと思って家に戻れば、しかし、まだとてつもない量が残っている。ちっとも減っていないように見える。二人は二周目の配達に出かける。今度はおじさんもおばさんも受け取ってくれない。もう飽き飽きしてしまったし、それに、ポップコーンは散らばると億劫なのだ。ポップコーンの貰い手が見つからず、あてもなくさまようピングーとピンガ。それから何十年と経った今でも、二人はポップコーンの貰い手を探して氷の大地を放浪し続けているという……

 

 え、そんな話じゃなかったよ、と私は言う。ネットフリックスで一緒に見た『ピングー』でしょ。そんな終わり方じゃなかった。たしか結局、ピングーとピンガは両親が帰ってくる前に残りのポップコーンをなんとか食べきって、お腹をこんもり膨らませつつ、何事もなかったかのようにベッドで寝てるふりをするんだよ。

 あれ、そうだったっけか、と行男はとぼける。まあでも、問題はそこではなくて。ピングーとピンガの何がいけなかったのか、僕なりに考えてわかったんだ。結論から言うと、ポップコーンというのは“ながら”の食べ物なのであります。映画を観ながら。ゲームをしながら。他愛ないうわさ話をしながら。ポップコーンって、単体で食べられることはまずなくって、僕らはいつも何かをしながら食べていますよね。つまり、“ながら”の食べ物なの。そこのところを彼らはわかってなかった。彼らは近所の人たちに、そして自分たち自身にも、ポップコーンそれだけに向き合って食べることを強要したんだ。そりゃあ、飽きますよ。やむをえない。そこで、ですよ。だったら、そのポップコーンと何が組み合わさったら面白いかな、ということを考えてきました。街歩き。ポップコーンを食べながら、街を歩く。風景や人々の生活をおかずに、ポップコーンを食べる。そういうのはどうでしょうか。良さそうですよね。そこでこのたび、「街を歩きながらポップコーンを食べる会」を発足させていただきます。メンバーは、とりあえず、僕ときみ。順次増員を予定しています。

 私は賛成も反対もせずに行男の話を聞く。賛成も反対もしていないけれど、すでに私は「街を歩きながらポップコーンを食べる会」の会員になっているみたいだ。

 行男は続ける。それでは、「会」の第一回活動だけど、駒込駅を降りたところから、いくつか商店街が連なっている。名前は忘れてしまったけれど、そこを歩くことにしましょう。この前一人で歩いたのですが、かなり最高の散策ロードでした。駅前は飲み屋が多くて、そこからちょっと行ったところの次の商店街は八百屋だったり床屋だったり、日々の営みに必要な店舗がそろっていて、素敵なんだ。ちょっと道幅が狭いのも魅力です。それで、しばらく商店街を歩いたあとは少し逸れて、そうすると大きめの広場みたいな公園と、さらに行くとなんとか霊園がある。たくさんのお墓の間を歩くのはとっても涼しくて気持ちがいい。そこも抜けると、今度は巣鴨の地蔵通り商店街。これは有名ですね。高齢者の原宿です。そこをずっと歩いていくと、都電荒川線、って、今は東京さくらトラムとかなんとか、っていう愛称がついているようですが、それの庚申塚駅がある。これまた風情のある駅です。吉澤嘉代子さんの曲のミュージックビデオに出てきた駅だと思う。そこから、そのさくらトラムに乗って移動しましょう。この行程を、ポップコーン片手に辿る。ポップコーンは、やっぱり映画館のやつが美味しい気がするので、上野のトーホーシネマズで買って、山手線で駒込まで行きましょう。どうしようかな、ではさっそく、明後日、土曜日に開催しましょう。

 私は、相変わらず賛成も反対もせず聞いている。ポップコーン片手に電車に乗ったり、ポップコーン片手に狭い商店街や墓地を歩いたりするのはいかがなものか、とか、そもそもそういうまったくの見物根性を丸出しにして商店街を歩くのもどうなんだ、とか、いろいろ思うところはあるけれど、口には出さない。土曜日は一日じゅう雨になることを、私は知っている。

 

 土曜日、果たして、朝から雨が降りしきっている。私は先に目を覚まして、カーテンを開け、灰色の空を見上げている。あとから起きてきた行男は顔をひどくしかめて言う。あーあ、中止だ中止。雨のなかポップコーンを食べながら歩くなんて無理。中止。もうやめ。「会」もとりあえず活動休止かな。ごめんね。

(6/22, 23)

 

 

ポップコーン2

 僕の部屋にはとってもちょうどいい窓がある。東京一ちょうどいい窓なのではないかと思う。縦120センチ、横2メートルくらいの、西向きの窓。元々はすりガラスだったのを、せっかくの景色が見えないのも残念な気がして、僕が引っ越してきたときに透明ガラスに変えてもらった。僕の部屋は所詮二階だし、いわゆる絶景が広がっているというわけでもないけれど、しかし、西向きの窓から見る近隣の家々も電線も、ちょっと遠くの商店街や低いビル群も、空気が澄んだときに遥かに霞む富士山も愛おしい。窓から見える家々にそれぞれの生活があって、人々がそれぞれの生活をしていて、僕もこの部屋で自分の生活を送っているという、なんでもない事実をときどきどうしようもなく抱きしめたくなる。夕暮れ時には西日が差し込む。暮れなずむ町に徐々に明かりが灯り始めるのをぼうっと眺めながら、僕は部屋でポップコーンをつまむ。

 僕は西向きの窓から見える生活を眺めながらポップコーンをつまむのが好きだった。左右にこぢんまりとぶら下がっている緑色のカーテンも含めると、窓はちょうど映画館のスクリーンのようにも見えた。スーパーでポップコーン豆を買ってきて、鍋でぽこぽこ弾かせ、軽く塩味をつけて窓の前に座るのだった。僕はスクリーンの前の唯一の客として、静粛にポップコーンをつまみ続けた。

 特に、雨の日が好きだった。雨の日には朝からポップコーンを用意した。カーテンもガラスも全開にして、雨粒が人々の傘や家々の屋根に当たって弾けるぴしゃっという音や、通りを人が歩くじゃっじゃっという音や、水たまりのはねる音や、雨どいを伝う音を楽しむのだった。ときどき部屋の中にまで雨粒が入ってくるのもお構いなしに、僕は窓の前まで持ってきた椅子に座り、ポップコーンをつまんだ。目をつむると、様々な雨の音と、ポップコーンをぼりぼり噛む音が頭の中で共鳴した。雨が降るたびにそんなことをやっていたわけではないけれど、しかしそれでも梅雨の時期には何度も何度も窓の前でぼりぼりとやった。

 

 ……こういう話を、この前たまたま、はじめて人に話したのですが、へえ、面白い、と口では言ってくれても、心の内ではすごく気味悪がっているのがこっちにも伝わってきてしまったので、それ以来、こういうことはもうきっぱりやめました。部屋に貯めこんでいたポップコーン豆は、もうすべて捨てました。窓もすりガラスに戻そうと思っています。

(6/24)