バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

ためらい

 すっかり春!

 友だちに返そうと思って二万円を持って家を出たけれど、寝てしまってるのか、なんか他に用事でもあるのか、それとももしかしてブロックされちゃったのかしら、とにかく連絡がつかず、しかしフットワークの重いことでお馴染み、この僕がせっかく家を出て既に都内行きの電車に乗ってしまっているのですから真っ直ぐ引き返すというのもなんとなくもったいない。それにこの、ニトリのカーテンコーナーのように柔らかな陽気。そのままガタゴト揺られひとまず池袋に向かい、さて散歩でもしようかしらというところ。

 しかしいつしか名画座へ吸い込まれてしまっていた。二本立てを観る。チケット代、お金ならわざわざ口座からおろさずともポケットに剥き出しで入れた二万円がある。し、そもそもどうせ口座にはほとんどお金がない。二本立てはスペインの新進気鋭の監督の特集で、一本目は、背中から第三の腕が生えてきたという妄想に憑りつかれた中年男を描いた会話劇。本人以外にとっては幻想だったはずの背中の腕が徐々に周りの人にも見え始めるという描写にグッときてしまった。が、そこ以外はびみょー、というか、その監督がいまの僕と同じ歳の頃にその映画を撮っているということに思い当たり、そわそわしっぱなしで内容があまり入ってこなかった。二本目は砂漠に一人で住むおじいさんのもとを次々と見知らぬおばあさんが訪ね、狂おしいほどに愛を重ねては帰ってゆくというラブストーリーで、一番盛り上がるっぽいところで急に字幕が途切れてしまい、劇場スタッフが出てきて不具合を詫びていたけれど俺はそんな謝罪なんて関係なく怒鳴ってやったんよ、と、上映終了後隣に座っていたおじさんが息巻いていた。僕は観ている途中で寝てしまっていたのでそんなことは知らなかった。そんなストーリーのどこが一番盛り上がるっぽいところなのかさっぱり想像できなかった。怒鳴ってやったんよと息巻いたおじさんは、僕の肩を掴んで、黄色い歯を剥き、酒臭い息で、おめえさんなあ、昼間っからこんなところでこんなよ、エロいんだかなんだかわからんような映画観てよ、何してんだおめえさんまだ若えんだろ? ……一理ある、と思ったけれど聞こえなかったふりをし、左肩にかかったおじさんの手を振りほどき劇場を出てずんずん歩いた。

 おい待てよ、おい、腹減ってないか? と早足で追いかけてきたおじさんに、あ、え、お腹、あ~、まあ。曖昧に応えてしまったものだから二人で昼飯を食べに行くことになってしまった。ろくなもんねえなあ、言いながらおじさんは僕の袖を引っ張って池袋の街をぐるぐるぐるぐる、引っ張らないでくださいよ、引っ張らないでください、と訴える僕の声は人混みに虚しくかき消され、相も変わらずおじさんは左右を睨みつけるようにぐるぐるぐるぐる、一時間もしてから行きついたのはだいぶ初めの方に通り過ぎたカレー屋だった。ここはな、ここだけは美味いのよ池袋においても。僕もその店のことは知っていた。どうも百万種のスパイスを混合してるだとかで、ずいぶん前に雑誌のカレー特集で見て以来、いつか食べてみたいと思ってはや幾年。まさかこんな、どこのどいつかわからないおじさんと連れ立って訪れようとは思わなんだ。

 しかし、見知らぬおじさんと来てもカレーはおいしい。

 人類の作った偉大な食べ物ベストテンに満場一致でランクインするでしょう。

 僕の隣であっという間にチーズカレーを平らげ、最後にスプーンを舐め舐め、皿を抱え上げてこれも念入りに舐め舐め、鼻の頭にルーをくっつけて僕の方を向き、じゃあこれ払っとってな、とおじさん。えっ、と驚く僕をよそにさっさと店を後にしようとするので、今度は僕がおじさんの袖を掴み、おい待てって! ちょっと強気に出た。おじさんは僕の細っちい腕を秒で振りほどき、じゃあな、と立ち去ろうとしたが、何か思い返したのか身を翻して、僕の耳元へ顔を近づけ一言、おれは未来のお前だ! ……え、いやいやいや。嘘じゃないですか。こんな。こんなに文脈の分からない嘘ありますかって。あんたカレー代払いたくないだけでしょ。冗談にしたってまったく面白みなし。マジで言っているのであればそれはそれでかなりキビしい。最低最悪ですよははは。

 しかし文句をつけようにもとっくにおじさんは去っていて、僕は結局おじさんのチーズカレーと自分のエビカレーの代金を払わざるを得ず、これとさっきの映画代とで、もともと二万あったお金が一万五千。今日友だちに返そうと思っていたお金がスワスワ減りつつある。お金に関してはほんとうにきちんとしなきゃと心から思っているのにこの体たらくなのである。お金のこともそうだし、それに先ほどのおじさんの言葉もどうも小骨のように引っかかっていて、まったく僕は気苦労が多いのです。あんな歯が黄ばんでいて、ジャージはよれよれ、その下に覗くワイシャツも灰色の染みだらけ、全身からモワッと立ち上る酒臭さが目に見えるような、そのうえ誠意を込めて謝っている人の声にまったく耳を傾けずに怒鳴りつけるようなおじさんに僕はなってしまうのだろうか。なりとうない。極めつけはおじさんが禿げ散らかしていたという点だ。僕は禿げない。禿げとうない、と声に出してみたけれど、しかし絶対に禿げないなんて確証はない。あのおじさんが絶対に未来の僕じゃないとは言い切れない。あり得ないことではないな、という気がしてしまう。たとえばジョージ・クルーニーファレル・ウィリアムスのようにはなれないという確信はあるけれど、一方、さっきのおじさんの佇まいにはリアリティーがあった。ああならないとは限らないし、考えれば考えるほど、むしろ僕はああいう風にしかならないのではないだろうかという気さえしてくる。それにしてもこの陽気。

 

 

 陽気にあてられ、歩き歩いて神保町。

 見るものを悲嘆にくれさせる古本屋街。いったい僕は生涯でここに並ぶ本の内どれほどを手にすることができるのでしょう。ほんの僅か、多くてせいぜい十冊かそこらでしょうか。

 ほうほう、面白そうな本が並んでいますじゃありませんか、と神妙な面持ちを形成して店に入り、なるほど、なるほど、なるほど、なるほど、なるほど、なるほど、ふん、なるほど、と繰り返し、たまにするジャーキングによってかろうじて生きているのだと判別できる店主の視線を浴び浴び、空気中にほんのり混ざるアカデミック臭にあてられ、最初に作り上げた神妙な面持ちが徐々に崩れかけてきたところで、慌てててきとうな文庫本を買って外へ出る。『日本の公衆トイレ百選④ 江戸後期から明治初期まで』、三百円。店を出てからパラパラめくって気づいたけれど、この手の本にしては活字部分がびっしり多く、なんとなれば写真や図が一枚も出てこないのである。なんということでしょう。持ち帰ってもすぐ積ん読と化すのであろう『公衆トイレ百選④ 江戸後期から明治初期まで』をリュックにしまいながら、意味もなく唇をパクパクさせる。どうしてこんな本に三百円も。

 いつしか日は傾いてきているけれど、しかし依然としてこの陽気。

 隣の店に入ると、古今東西から一堂に集結した古本たちがすやすや寝息を立てているところに交じって、『ビビタウルスの冒けん』全4巻セットが、埃っぽい棚の隅っこに静かに、しかし見る人が見ればわかる煌めきを放って陳列されている。『ビビタウルスの冒けん』!

 皆さんはビビタウルスをご存知でしょうか? ビビタウルスは世界に遍在する微々たる差をつかさどるけものだ。長いがふにゃふにゃの角二本と、黒々としてかさかさに乾ききった羽二つと、瞼がなくうるうるに濡れそぼった眼二つを持つ、竜に似ているようでちょっとだけ違う優しきけもの。

 EDMって全部同じ曲じゃん、と吐き捨てるバンドマンあれば即座に飛んでいきひとこと、「微々たる差だけど、違うよ」

 なんだか知らねえけどそのスカートもさっきのスカートも一緒だよ、と悪態つく輩いれば肩を叩きひとこと、「微々たる差だけど、違うよ」

 ちゃんと予算内でやってもらえるんであれば我々としてはもうどっちでも同じなんでてきとうにやっちゃってください、とふんぞり返る取引先あれば眉をひそめひとこと、「微々たる差だけど、違うよ」

 ビビタウルスはあらゆる微々たる差の番人なのだ。どんなに微々たる違いであってもゼロだと見做してしまうのはあまりに乱暴ですよ、そうじゃなくて、違いはあくまで違いだということ、受け入れる受け入れないの問題ではなくて確かに存在するのだということ、それを分かったうえでそれでも並んで生きていきましょうよ、そう思いませんか? ということまで作者が伝えようとしているかどうかは分からないが、しかしとにもかくにも挿絵も文章も素晴らしい児童書であることは確かで、幼き頃の僕はたいへん勇気づけられ、ひもすがらよもすがら読み続けたものだった。でも僕がちょうど九九の掛け算を覚えた頃くらいにいつしか読まなくなって、そのまま忘れてしまっていたのだった。その『ビビタウルスの冒けん』が、いま、目の前の黴じみた本棚に小さく収まっている。

 全4巻、一万二千円。

 なるほどたしかにそれだけの値打ちがある本だが、しかしいま購入してしまうと、先ほどからスワスワ減りつつあったお金がもう取り返しのつかないくらい削り取られてしまう。友だちにどう申し開きをすればいいというの。先月も先々月も先々々月も返せていなくて、今月もてんで無理っていうようじゃそろそろ友だちじゃなくなってしまう。かといっていま購入を見送ると次いつ出会えるかわかったものではない。僕が買わずにいるうちにどこかの目ざといマダムが聡明な我が子のために買って帰ってしまうに決まっている。悩ましいっすなあ。実に悩ましい。とか言って本棚の前で行ったり来たり、手に取ったり戻したり、なんとなく屈伸したり指をぽきぽき鳴らしたりしているうちにいつしか百年の時が過ぎ去り、僕も『ビビタウルスの冒けん』も古本屋もすべて砂に帰してしまったのでした……