バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

エレベーターにおける問題

こに行こうとしていたのか覚えていないが僕はエレベーターに乗っていた。なにしろエレベーターだ、おそらく上か下に行こうとしていたのだろう。たとえば、地下2階で乗って最上階まで行こうとしていたのではないだろうか。朝、僕が地下2階で乗ったとき、エレベーターには他に誰も乗っていなかった。床から壁までピカピカの室内はまるでキリスト教の大聖堂のよう。階数を表すバロック調のボタンや天井から僕を照らすドイツ製のライトやなんかが神聖な雰囲気を盛り立てる。地下1階で乗り込んできたのは聖歌隊だ。そろいもそろってブロンドのヘアーにライトブルーの瞳を持った少年少女たちが30人ほど入ってきて、大聖堂に清廉潔白な歌声を響かせた。僕はエレベーターの奥の方まで押し込まれてしまった上に、聖歌を歌えないのでなんとなく背中を丸めて存在感を消した。地上1階まで来ると、なにやらそれぞれに上の階に用事があるマダムたちが50人ほどどかどかと乗り込んでくる。彼女たちは身体の5倍もあるようなモフモフのファーコートの中からちょこんと顔をのぞかせて、ディオールやらシャネルやらイヴ・サンローランやらの香水を漂わせてきた。強烈な香りに少年少女たちは次々に失神してしまい、聖歌を歌う声もまばらになった。僕はというとますますエレベーターの奥の方に押し込まれて、顔に押し付けられたファーコートの隙間からなんとか呼吸していた。2階や3階になるとビジネスマンたちがカツカツ乗り込んでくる。ちょうどラッシュアワーだ、1万人ものビジネスマンが帝国軍のストームトゥルーパーのように整然と並んで入場してきた。彼らは一人残らず身長が2メートル近くあったし、一人を除いてタバコを吸っていた。残りの一人はかわいそうにどこかで中学生に襲われてしまったのだろう、真っ裸だった。エレベーター内にはあっという間にタバコの煙が充満して、聖歌隊の少年少女たちはとうとう全員気を失ってしまった。ファーコートのマダムたちは微動だにしない。おそらく元々呼吸ができていなかったのだろう。僕はというと、エレベーターの隅っこで江戸川コナンくらいのサイズまで縮こまって息を止めていた。4階や5階では外国人旅行客の集団が乗り込んでくる。彼らはタバコの煙に顔をしかめ、「オー」とか「クール」とか言いながら写真を撮っていた。はしゃぎ声とシャッター音のコーラスはさながら現代の聖歌。彼らは2万人近くいた。それだけでも十分多いのに一人あたり2個の巨大旅行トランクを引いていて、僕や少年少女やマダムやビジネスマンを圧迫した。タバコの煙が旅行トランクの中まで忍び込んで、秋葉原で爆買いした電子レンジやらエアコンやら冷蔵庫やらが次々と爆発を起こした。ポン。ポン。ポン。ポン。エレベーター内はすっかり焼け野原になってしまった。僕も、爆発音で目を覚ました少年少女らも、ディオールやらシャネルやらイヴ・サンローランやらの香りが懐かしくなったが、当のマダムたちはどこへ行ってしまったのか、ファーのみが散乱している。焼け野原と化したエレベーターは上昇を続ける。各階で何万人もの人々が乗り込んでくる。不思議なことにみんな最上階に用事があるみたいで途中階では誰も降りなかった。日が暮れる頃ようやく最上階に到着したエレベーターには100万人もの人々が乗っていた。ドアが開くと同時に、アルプス山脈の全領域で雪崩が起きたみたいな勢いで人が押し出されていく。一人あたり2個の巨大な黒い炭を引きずる外国人観光客の集団。誰一人として傷一つ負っていない屈強なビジネスマンたち。押しつぶされてマリモサイズになってしまったマダムたち。さらに圧迫されてキュビスムの絵画のようになってしまった聖歌隊の少年少女たち。そして僕はというと、マリモやキュビスムの絵画に囲まれ奇跡的に守られて、無傷でエレベーターの隅っこに丸まっていた。無傷だとは言ってもあの大混雑だ、僕は空豆ほどのサイズにまで圧縮されてしまっていた。エレベーターのドア付近の方から順々に出て行って、最初から乗っていた僕や少年少女たちがようやく出られたのは次の日の朝のことだった。やれやれ、これだからエレベーターはいやなんだ。僕は聖歌隊30人ひとりひとりと握手を交わしてから、ほんのささいな用事を済ますべくその場を去った。