バナナ茶漬けの味

東京でバナナの研究をしています

対話1

 暑くなってきたねえ、最近。そうだなあ。もう夏なんだねえ。そうだなあ。

 おいらもたまには外の空気を吸いたいんだけど、いいかねえ。いやー、よかないよ、なるべく我慢するようにしてくれよ。冗談だよ、おいらだってお前を困らせるようなことはしたくないよ、二人三脚だろ。二人二脚一本だろ。はー、ところでさ、みんな夏になると途端に“エモ”を求めだすじゃんか、それも、浴衣や花火やサイダーや夏祭りなんかに求めるんだったらまだしも、連中ときたら、アスファルトや空き缶や、カーブミラーにさえ見出そうとするじゃないの、おいらにはあれがいまいち理解できないってんだよね、それに第一、“エモ”ってなんなのさって話。あーそれね、“エモ”っていうのは要するに、ようするに、さあ、僕もよくわかってないんだよね、そもそも人によって全然使い方が違ってさ、ラーメン食べて「エモい~」なんて言い出す人もいれば、人生が真に輝きを放つ瞬間にだけ「エモい~」って人もいて、もうガバガバなワードなわけよ。へえ、そもそものルーツは何なんだろうね。そう、そのルーツにしたって曖昧なものでさ、「EMOTION」から来ているとも「えも言はず」から来ているとも言われてるわけ。そうかー、誰もわからないまま広まってるんだ、そりゃ氾濫するわな。そうそう、でも僕個人としてはあんまり使いたくないけどね、なんとなく気恥ずかしいじゃん。そうかい。そう。

 というかたぶんあれじゃない、おいらたちがこれまでそれなりに温めてきた夏への思いみたいなもの、あるじゃない、それを、「エモ」とか「チル」みたいなカタカナ語に集約しないでほしいなってのがあるんじゃない。あー、あるかもしれない。あるでしょ。

 でもあれだよ、アスファルトや空き缶やカーブミラーをエモいって言うのはあながち間違いでもなくてさ、ちゃんと科学的根拠があるのよ。いやいや、お前てきとう言うなー。いやいやいや、フィンランド環境学者チームが5年前に発表した研究によれば、夏の日差しって一年の他の時期とは性質が違うみたいでさ、この日差しがアスファルトや空き缶やカーブミラーに当たると、確かに反射の仕方も変わってくるの。へえ。実際に見てみてもなんとなくわからないかな、ヒリヒリしているし彩度も上がっているんだけど。まあ言われてみればそんな気はするけど、でも、言われてみれば、って程度だよ。そりゃそうだよ、僕がてきとうに言った話なんだから。はー、じゃあ嘘なの。うーん、嘘っていうか、僕としては本当に思ってることなんだけどね。はー、お前じゃあさ、フィンランド環境学者チームってのはなんだったの。それはさー、「フィンランド環境学者チーム」って付けたらやっぱり説得力増すじゃん、でもきみさ、考えてみろよ、そもそもフィンランドって一年中曇ってるらしいし夏なんてもちろんないんだから、こんな研究してるわけないじゃん。はー、そりゃそうだけど、うわー、だまされたなあ。

 ははは、ごめんよ。

 いいよ、そういえばおいらさ、気づいちゃったんだけど、四季ってあるじゃん、フォー・シーズンズ、春夏秋冬。ある。あれね、見かけ上は夏が終わると秋を経て緩やかに冬に向かって、寒さをしのげば春が開いて緩やかに夏に向かう、そういうサイクルが繰り返されてるように見えるじゃない。そうだね。

 あれね、実は全部夏なの。

 うーん、それは突飛過ぎるよ。

 突飛過ぎるもなにもないよ、あれ、全部夏なのよ、説明しよう。説明してよ。

 たとえばお前さ、冬になるとよく夏を恋しがっているじゃない。ああ、記号としての“夏”ね。そうそう、あの、入道雲、あぜ道、サイダーとか。

 夏祭り、線香花火、汗ばむあの子、触れ合う手と手、オールナイトロングとかね。

 そうそう。あの、実際にはないやつね。それがね、それがあるんだよ。へえ。まず基本的に、この世界は一年を通して夏なんだけど、どこかでラジカセの音量みたいにつまみをいじくってる人がいて、9月とか10月とかになるとその人が徐々に徐々に寒さのつまみを上げていくのよ。ちょっとよくわからないな。うーん、だからね、だんだん寒さのつまみが上がっていって、見かけ上は冬になっていくんだけど、実のところ根底に流れているのは常に夏なんだ。ほう。常にStay Tune in 夏なんだけど、その音量が一年の中で変わっていくってわけ。ほう。ってことは見かけ上の冬の間もおいらたちは本当は夏を生きているわけで、それがさっき言ったような「記号としての“夏”」として顕れるんだ。ってことは本当は記号じゃないんだね。そう、あれはリアルな夏なんだ、寒い時期用の夏。じゃあ春とか秋とかはどうなのよ。ははは、春と秋は、ただの過渡期。え、でも、僕は春には春的情緒を感じるし、秋には秋的情緒を感じるぜ、あれって、立派な季節でしょ。お前、それは残念だけど、実は春的情緒とか秋的情緒ではないよ、それは、「もうすぐ夏が来るなあ」的情緒と「ああ夏が終わったなあ」的情緒だよ。また夏かよ。そうだよ、なにしろ一年中夏なんだから、すべては夏的に解釈できるし、夏的に解釈されたものが本来の姿なんだよ。

 じゃあ、さっきの話に戻るけど、寒い時期用の夏ってあったじゃない、僕が前まで「記号としての”夏”」って呼んでいたやつ、あれがどうして7月とか8月とか、いわゆる夏本番を迎えるとなくなっちゃうのさ。いやいや、あるにはあるんだよ、でも7月8月っていうのは寒さのつまみがゼロになってる時期でさ、今度はふつうに暑すぎて全部頭から抜けちゃうの。抜けちゃうって言ったって、それでも僕はサイダーとか夏祭りとか線香花火とか汗ばむあの子とかの夏にしたいんだけどなあ。うーん、こればかりはしょうがなくてさ、暑すぎるとどうしても生理的な嫌悪感が勝っちゃうのよ、だから、「暑さも含めて夏を愛するぞ~」ってどんなに強く意気込んで7月8月に突入したって、どうしても頭から抜けちゃうの。いやあ、全然納得できないよ、こんなん屁理屈だよ、だいたい、じゃあそのつまみをいじくってる人っていうのはどこの誰なのさ。

 中条あやみ

 中条あやみかーーー! なんか急に全てが納得できたよ、じゃあ、僕らが春夏秋冬だと思ってるあのサイクルはまやかしで、実際は常に夏なんだね。そういうこと。そうかー、常夏かー、なんか僕がんばるよ、きみにもいい思いをさせてやりたいしさ。おう、頼むぜえ、ほんとに。

コーヒーについての問題

僕:このコーヒーうまいなあ。

識者:そうかな? どうもコクがないように思えるけどね。それに、キミね、一口にコーヒーと言っても実にいろいろな種類があるのだよ。そもそもキミは、コップに一杯のコーヒーが作られるまでにどんな過程をたどっているのか知っているか。豆を選んで、焙煎し、その豆をブレンドし、挽いて、そして淹れる。途方もなく奥が深い業なのだよ。過程ごとに幾多もの分岐があり、そのそれぞれをあるいは意識的に、あるいは無意識に選ぶことによって、いまここにこうやって一杯のコーヒーが出来上がってくるのだ。まず、もちろんどんな豆を選ぶかによって変わる。焙煎にかける時間やそのときの熱のかけ方によって風味が全く異なってくるし、焙煎機が鉄製かステンレス製かによってもものすごく違うのだ。それに、たとえば焙煎しているときの周囲の環境も決定的な要素だ。梅雨の時期に焙煎した豆はやはりどうしても感傷的になる。真夏に湘南の海沿いで焙煎した豆からは、かすかに桑田佳祐のしゃがれ声が聞こえてくる。フランク・オーシャンを聞かせた豆はウェットで繊細な質感をまとうことになるし、谷崎潤一郎を読んで聞かせた豆は官能的な陰翳の中に身を落ち着かせることになる。それから、そう、ブレンドの仕方も星の数ほどありえる。キミね、ブレンドと言ったって、ただ豆と豆を組み合わせてシャカシャカすればいいというものでは決してないのだよ。ブレンドという作業は、ひたすら自省を繰り返し、我々自身の内面に深く潜り込んでいくプロセスだ。それは言うなれば宇宙の旅。豆と対峙した時に、我々の内部の最も深い水面に微かに揺らぐ波を…………

僕:うーん、わからないなあ、うまいと思ったんだけど、やっぱりまずいのかなあ……

ちぢれ毛

 ブックオフ谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』を買った。

 僕は文庫108円の「た」のコーナーにいた。おそらく谷崎潤一郎か誰かの本を探していたのだけど、谷崎潤一郎みたいな文豪かつヘンタイの本がそんな108円なんかで叩き売られているはずはなかった。だから代わりに谷川俊太郎の詩集を買ったのだ。もっとも、谷川俊太郎レベルの人のデビュー作の、しかもなかなか最近の刷が、108円ラベルを貼られてせせこましい本棚に縮こまっていることもおかしかったのだけど。

 僕はこれまで詩にも谷川俊太郎にも明るいわけではなかった。「世の中には詩という一大ジャンルが存在していて、なかでも日本の詩人界には谷川俊太郎という巨人が存在している」くらいの、なんとも薄暗い知識しか持ち合わせていなかった。そんな僕が『二十億光年の孤独』を手に取ったのは、単に、ネームバリューと、すでに確立している高評価と、値段と、その瞬間のなんとなくのあれに惹かれてのことだった。それに、ちょっと開いてみると冒頭の一編がなんとも素敵だったのだ。

 それは「生長」という詩だった。

 

「生長」(※)

 

三才

私に過去はなかった

 

五才

私の過去は昨日まで

 

七才

私の過去はちょんまげまで

 

十一才

私の過去は恐竜まで

 

十四才

私の過去は教科書どおり

 

十六才

私は過去の無限をこわごわみつめ

 

十八才

私は時の何かを知らない

 

 素敵じゃありませんか?

 だから僕は潤沢な資金で巨人を買収した。

 家に着いてからあらためて目次から目を通してみると、なんとも素敵そうなタイトルが並んでいる。「わたくしは」、「霧雨」、「停留所で」、「かなしみ」、「地球があんまり荒れる日には」、「警告を信ずるうた」、「一本のこうもり傘」、「日日」、「それらがすべて僕の病気かもしれない」、「曇り日に歩く」、「初夏」、……素敵そうじゃありませんか? そうしてそのままページをペラペラめくっていると、真ん中らへんのページにちん毛が挟まっていた

 

 

 

「まったく恐れ入った! この世のありとあらゆる場所にはちん毛が落ちているのです!」

 というのはハムレットの著名なセリフだ。

 21世紀の日本に暮らす僕はこの言葉をさすがに度が過ぎると感じてしまうけれど、シェイクスピアの生きていた16世紀イングランドにおいてはちん毛との共生が常態化していたのかもしれない。

 あるいは後世の誰かがシェイクスピアの作品を勝手に改竄したのかもしれない。

 でも、僕らの日常にちん毛がまあまあ多く出現することはたしかだ。もちろん彼らの大半は「もともといる場所」に収まっているのだけど、ときに人為的な力によって、ときにパンツの具合によって、そしてときに彼ら自身の気まぐれで、そこから抜け落ちる。抜け落ちたその場所で誰かに回収されるまで絶望的な時間を過ごす引っ込み思案な毛もいるが、一方である種のちん毛は広い外界への冒険アドベンチャーに繰り出す。僕らが財布の中に、地理資料集の北アメリカのページに、GINZA SIXのエスカレーターの手すりに発見するのは、後者の類のちん毛だ。

 そしてときに、彼らは「もともといる場所」に戻ってこようとする。さながら鮭の遡上のように。

 僕はすね毛に交じってもがく彼らをつかまえて質問するのだ。

 

「どうだった?」

「いやあ、駅前の中華料理屋に行ってきたんだけど、とってもいい場所だったよ。老夫婦が経営してる店なんだけど、とってもいい感じなんだ。麻婆豆腐をごちそうになった。これまた山椒がきいていて、とってもいいお味なんだ」

 彼は駅前にある中華料理屋に行ってきたようだった。まっとうな中華料理屋らしく赤看板に黄字で「ナントカ房」と書かれたその店は、いかにもおいしそうな雰囲気を醸していた。僕も以前から気になっていたのだ。でも、こういう中華料理屋の常として、(というよりこれは僕の側の問題でもあるのだけれど、)最初一人では入りづらいという問題を抱えていた。おそらくおいしいのだけれど、なんとなく入れない。家族や友人と行けばいいのだけれど、いやあ、なんとなくまだ行けていない。そんな中華料理屋にちん毛が行ってきたというのだ。

「へえ、そりゃ結構なことだ。僕も今度、お礼がてら行ってみようかな」、僕はそう言って、彼をパンツの中に戻す。

 

「どうだった?」

「クラブに行ってきたんです。西沢さん、前からクラブに行ってみたいと思ってたでしょう、だから私が偵察してきてやりましたよ。すごくね、楽しい場所でしたよ。高揚感? って言いますか、多幸感? って言いますか。それに、一人で来ている人も、内気そうな人も、一人で来ていてなおかつ内気そうな人もたくさんいましたよ。とにかく、行ってみりゃあいいじゃありませんか」

「へえ、そりゃ結構なことだ」、僕はそう言って、彼をパンツの中に戻す。

 

「どうだった?」

「アタシはハリウッドを見てきたわ。この前地理資料集で目にしてから、実際に行ってみたいと思ってたの。やっぱりすごいのね。桁違い。いくつかオーディションも受けてみたんだけど、全然ダメね。『また連絡するよ』って言ってたのに、あの人たちったらすっかりオトサタなしなの。それから、有名な人たちも見かけたわ。ビル・マーレイがトボトボ歩いてた。あの人意外にトボトボ歩くのね。それと、なんと、レオナルド・ディカプリオがトボトボ歩いてたんだけど、アタシ、すっかり慌てちゃって、『ジャック・ニコルソンさん!』って叫んじゃったの。ほら、レオ様ったら最近ジャック・ニコルソンそっくりになってきたじゃない。だから間違えちゃったんだけど、そうしたらレオ様ったら笑って許してくれて、しかも『シャイニング』のときのジャック・ニコルソンの顔真似までやってくれたわ。最高! アタシすっかりまいっちゃった。でも、もしかしたらレオ様じゃなくてジャック・ニコルソンご本人だったかもしれないわね」

「へえ、そりゃ結構なことだ」、僕はそう言って、彼女をパンツの中に戻す。

 

「どうだった?」

「僕はポール・マッカートニーのワールドツアーに、サポートのパーカッショニストとして随行していたんです。ステージ上の僕のすぐ近くでポールのパフォーマンスを見ていたんですが、やっぱり『タックス・マン』のサビのベースはイカしますね。いやあ、やっぱり彼はとんでもなく偉大なミュージシャンですよ」

「へえ、そりゃ結構なことだ」、彼をパンツの中に戻す。

 

「どうだった?」

「私は北野武監督の『アウトレイジ』の続編にちょい役で出演させてもらいました。すぐ撃ち殺されちゃうチンピラの役で、そのシーンの撮影自体はすぐ終わっちゃったんですけど、それからも毎日撮影所に通って見学さしてもらってたんです」

「へえ、そりゃ結構なことだ」、パンツの中に戻す。

 

「どうだった?」

「俺は今年のスーパーボウルを観に行っていたんだ! トム・ブレイディのサインはさすがに無理だったけど、怪我でフィールド外に立ってたグロンコウスキーのサインならもらったぜ!」

「へえ、そりゃ結構なことだ」、パンツ。

 

「どうだった?」

「僕は、月の裏側に行ってきたよ」

「月の裏側?」

「真っ暗で、何も見えなかった」

「うさぎはいた?」

「ううん、真っ暗で何も見えなかったんだ」

 

 僕は彼らの報告をいつも楽しみに待っているのだ。

 

 

 

 この『二十億光年の孤独』に挟まっていたちん毛も、どこかの、誰かの「もともといる場所」を飛び出して冒険アドベンチャーに繰り出したのだろう。だとしたら、そのどこかの誰かは報告を楽しみに待っているはずだ。僕にはこのちん毛をどうにかして懲らしめてやる権限はないし、もちろん、どこかの誰かの楽しみを妨害する権限もない。

 僕は部屋の窓を開けて、開いたままの『二十億光年の孤独』に息を吹きかけ、そのちん毛を外へ飛ばした。

 春の夕暮れ時の風は優しい。ちん毛はふわりと舞っていった。彼、あるいは彼女は報告するのだろう、「私は谷川俊太郎の詩を見てきました」

 

 

 

 

 

 

※引用文献

谷川俊太郎著『二十億光年の孤独』(1952年)(集英社、2010年)

科学のすごさ

 一般論としても体感としても科学の発展のスピードはすさまじい。僕が意味もなく上野公園を散歩している間に世の科学者たちはそれぞれの構想を練っているのだろうし、僕がちょっとかがんで靴ひもを結んでいる間にさえ、世界中のありとあらゆる研究室で何かしらの実験が行われたり、0が100になったりしているのだろう。グーグルで「清潔」を画像検索したら表示されるような、とてつもなく白く、自信に満ちた研究室。そこでは光り輝く科学者たちが、世界で科学の発展が及んでいない分野がどこなのか、チェックリストを作成しているのだ。そうやってみんなが一致団結して科学の発展を志している状況で、僕にできることと言えば、どこが未開の分野であるか彼らにこっそり耳打ちしてあげることくらいだ。すみません、これこれこういう分野にはまだ科学の発展が及んでいないみたいですよ。

 

・朝に雨が降っていたから傘をさして出かけたのにわりとすぐに晴れてしまって、そのあと一日中どこへ行くにしても傘とともに行動しなくてはいけないこと。

・それに限らず、傘にまつわる色々な問題。雨の日に渋谷のスクランブル交差点を渡ることの困難さ。階段を昇るときに背後を全く気にせず傘を振り回す人がいること。横殴りの雨に対して傘があまり意味をなさないこと。傘を杖のようについてしまうこと。

みどりの窓口で、僕の用事はほんの些細なことなのに、前の人が20分くらいかかって、その間僕は馬鹿みたいに突っ立っていなくちゃいけないこと。

・それに関連して、電車にまつわる諸問題。ドア付近に立ってモアイ像のように動かない人がいること。降りる人より前に乗る人がいること。逆に、自分が列の先頭であることの自覚が足りず、ゆっくり乗り込む人がいること。僕が向かいのかわいい子を見ていたっていうのに、僕とその子の間に立ちやがる人がいること。その他想像力を働かせられない人がいること。駅に着くたびに席を立つフェイントをする人がいること。老人が非常に多いけれど、僕だってそんなにいつも席を譲ってはいられないこと。周囲の状況を総合的・全体的に考えずに、やたらと席を譲ってしまう人がいること。電車内でカップルの会話を聞いてしまうことがあるのだけれど、大抵はクソつまらない話をしていることと、そうやってクソつまらないと感じてしまう僕がいること。彼らの会話の文脈においてはおもしろいのかもしれないのに。

広瀬すずはなんだかんだかわいい。

・冬になると夏が恋しくなること。そうやって冬になると思い出される夏はあまりにノスタルジックであること。サイダー、風鈴、入道雲、線香花火、夏祭り、ぬるいプール、山下達郎スピッツ、うちわ、熱帯夜、「夏なんです」、「サマージャム’95」、「じゃっ 夏なんで」、「Summer Soul」、あの子の浴衣姿、首筋ににじむ汗、健康的な性欲。そうやって記号としての夏をぶら下げたままリアルな夏に突入すると、圧倒的な違いにぶん殴られること。

・同様に、夏には冬が恋しくなること。結局僕らは、語られるものとしてしか存在しない"夏"や"冬"を求めて、終わらない追いかけっこをしているにすぎない。

・金がない。

・奥が深そうなジャンルに、後追いで入っていくのが面倒くさいこと。たとえば酒、コーヒー、楽器、宅録、クラシック、ジャズ、R&B、ブルース、ヒップホップ、歌謡曲エレクトロニカ、スニーカー、南米映画、サイレント映画日本語ラップアメリカ文学、フォント、ファッション、SF、広告、現代思想、めがね、写真、自転車、都内のおいしい定食屋、ラジオ、喫茶店、谷中、新宿、下北沢、アメコミ、電車、オーディオ、VR、AR、アイドル、インディーズバンド、絵、ボールペン、彫刻。結局最初の一歩が踏み出せずに、そのまま忘れてしまうこと。時々思い出してはちょっと後悔すること。ああ、中学の時にもっとギターの練習をちゃんとやっておくんだった。

・友達と疎遠になってしまうこと。久しぶりに会ってもあっという間に元の関係性を取り戻すことのできる友達もいれば、いつの間にか二人の間に埋められない溝が開いてしまっていて、ぎこちなくなってしまう友達もいること。そもそも友達のことを全然知らない場合が多いこと。

・中学生や高校生を見てガキだなと思ってしまったりすること。彼らにだって中学生・高校生なりの立派な考えがあるはずで、本来それは誰かに批評されたり、あるいはもっと直接的に汚されたりすることなく存在するべきものなのに。彼らだってそこまでガキじゃない。

・それと関連して、僕らは“青春”というものを300倍増しくらいで美化しがちであること。"夏"や"冬"と同じだ。そんなもの存在しない。

・結局「うんこ」や「ちんちん」みたいなワードで笑ってしまうこと。

・昔の映画を観てすごくいいなと思っても、その感動が映画そのものに対してのものなのか、それとも「この時代にしては」のような但し書きや時代・人物背景込みでのものなのか悩んでしまうこと(これは芸術鑑賞一般に関わることである気がする)。しかしそういうことは実は別に大した問題ではないだろうということ。そういうことを考えて頭の中であれこれこねくり回すことは楽しいかもしれないけれど、それと関係なく、僕らは確かに感動しているのだから。

・「無限に」・「一億」など、なんでも誇張した表現を使えば面白いと思っている節があること。

・もう22歳であること。

 

 

 すみません、他にも色々あるのですが、今日はここまでで。でも、こういうこともすべて、巨大ロボが開発されたら解決できるんですよね、すげえなあ、科学は……

ことの次第

「うーんと、そう、ですね。そうです。高校に入学したのが5年前ですね。5年前の俺は高校に入学したら何かスポーツを始めたいなーなんて思っていて、でもサッカーとか野球とか、テニスも、あとバスケとかもそうですけど、中学生の時からやってないとキツいみたいなのあるじゃないですか。ありますよね。すごい人なんかだと小学生の時点で地元のクラブチームに通ってますみたいな。だから俺にはちょっとシキイが高かったんですよね。しかも俺、中学の時なんて全然運動してなくて、あれだったんです、映画研究会っていうのに入ってて。身体動かすのはもう体育の授業だけ。しかも、走りも投げも蹴りも全部真ん中くらいで。だからどうしようかなって思ってたんですけど、俺が高校に入学した時って、ちょうど前の年にワールドカップで日本代表が優勝したタイミングだったんですよ。俺、それ家で見てて、すごく感動、感動? っていうかコウフンしちゃって、高校に入ったらなんかスポーツやるぞってことは決めてたんですよね。いや、決めてたっていうか、一応。だったらサッカーやればいいじゃんって話なんですけど、さっきのあれですけどやっぱり、ちょっとシキイが高かったんですよ。だから何かなーって。

 それでチャンパカタイ部に行っちゃうっていうのも急な話ですけどね。でも、そりゃ俺にとっても急だったんですよ。最初は選択肢にもありませんでした。もちろんチャンパカタイ自体は知ってたんですけど、俺にはちょっと違うだろうなってバクゼンと考えていたんでしょうね。チャンパカタイって、あれ、テレビとかYouTubeとかで見ても、ものすごく難しそうに見えるじゃないですか、3対3でなんだかわちゃわちゃ動いてて。たぶんそれで俺には無理だろうなって考えてたんですよ。ああ、それと、そうだ、そもそも、あんな田舎の高校にチャンパカタイ部があるとは思ってもみなかったんです。あれって設備がないとキビシイじゃないですか。

 でも、あったんですよ。体育館の隣に建物があって。うわーすげえ、チャンパカタイの設備あるんだー、なんて一人で見てたら、カワカミさんに声をかけられたんです。驚きましたね。あの高校にチャンパカタイ部があって、しかもすごい伝統校なんだって言うんですもん。何回も全国優勝してるんだよって。でも10年前まで指導してくださってた先生が退職して以来すっかり廃れちゃってて、カワカミさんが久しぶりの部員として去年から一人で活動してるんだって。うわーマンガじゃん、って俺も思っちゃったんですけど、カワカミさんは本気だったんですね。それで、今年の大会に出るのに部員を集めてるんだけど良かったら体験練習だけでも来てみないかって誘われちゃって。まあ経験として一度やってみるのもいいだろうって放課後に行ったんですよ。そこに同じ一年生として来てたのがあいつでした。タニザキ」

 

 

「入部してからはチャンパカタイ漬けになりました。カワカミさんと俺とタニザキでほぼ毎日。うーん、4月の終わりくらいまで他に一年生が5人いたんですけど、ぞろぞろとみんなやめちゃって。だって俺ら、ほんとに毎日練習してましたからね。それで、こう言っちゃジガジサンみたいになっちゃうんですけど、俺ら本当に筋が良かったんですよ。カワカミさんは小学生の頃からやってたっていうし。ちょっと普通じゃないですよね。あ、そうだ、そのカワカミさんのおじいさんが、さっき言った、昔チャンパカタイ部を指導してくださってた先生って人で、で、あのときにはもう亡くなってたそうなんですけど、若い頃? っていうともう40年前とか50年前とかですけど、その若い頃、本当に名プレーヤーだったらしいんですよ。たぶんウィキペディアとかにもページがあるんじゃないかな、カワカミなんとかさん。だからカワカミさん、ってあの、俺らの先輩の方のカワカミさんは、おじいさんの意志を継いで、あの高校でもう一回全国優勝してやるぞって本気で思ってらしたんですよね。そうやって一人でチャンパカタイ部を再興して一年経った頃に、奇跡みたいなんですけど、たまたま入部した俺とタニザキがめちゃくちゃうまくて、あれこれいけるな、という感じになったんです。やっぱりジガジサンになっちゃうんですけど、でも、客観的に見てそうだったんですよ。

 タニザキはほんとに運動神経が良いやつでした。一寸の隙もなかった。たぶん彼は生まれついたその瞬間から周りの赤ん坊とはイッセンを画してたんでしょうね。小、中と特に部活とかクラブには入ってなかったらしいんですけど、運動会の時なんかにはきっちりリレーの選手に選ばれたりして、うわー、タニザキめちゃめちゃ速いぞ、なんて騒がれるようなやつです。ってこれはタニザキと同じ中学だったやつから聞いた話なんですけどね。俺は違う中学でしたし、リレーなんて走ったことないです。さっきも言いましたけど、俺の運動神経はほんとに並みだったんですよ。なんでかわかりませんけどチャンパカタイだけは最初からめちゃめちゃできたんです。

 それで、そうですね、3人でチームを組んで、県の新人大会に出場しました。6月? だったかな? 俺らはぶっちぎりで優勝したんですけど、そうしたら、先生方が騒ぎ出して。伝統校の復活だー、なんて言って、俺ら校長室にまで呼ばれてお話したんですよ。別に悪い気はしませんでしたけどね。そしたらそこでカワカミさんが、ボクらで絶対に全国優勝しますんで、なんて宣言しちゃって、校長は笑ってたんですけど、いやマジです、って。そのときには俺もタニザキも本当に優勝するつもりでいたし、実際できると思ってました。

 それで秋の本大会に出るはずだったんですけど、そうです、タニザキの事故。あれ、車が全面的に悪いわけじゃなくて、タニザキが全然信号見てなかったっていうのもあったんですよ。でもまあ、それで、ちょうど大会直前だったんですけど、右足切断しなくちゃいけないってなって。タニザキ本人も、ご両親もすごく泣いてたんですけど、それと同じくらい泣いてたのがカワカミさんでした。あの人にはほんとにナミナミならない思いがあったらしくて。それがどれほどのものだったのかとか、どうしてそれほどのものを持ってたのかとかみたいなことは結局聞きそびれちゃってるんですけど、まあ、すごくて。俺ももちろんめちゃくちゃ悲しかったし、悔しかったです。でも、とにかく、俺らのチャンパカタイはそれで終わったんです、いったん。

 それから、年越したあたりから本格的なリハビリが始まったんですけど、タニザキってほんとにすごくて。やっぱりこれも元々の運動神経がずば抜けてるからだと思うんですけど、あっという間に義足をジザイに動かせるようになっちゃったんですよ。そしたら3月頃ですかね、おい、俺、チャンパカタイできるぜ、って電話してきたんですよ。俺、一つのことにあんなに熱中したことなかったから、お前とカワカミさんとまたやりたいな、って言ってきて。えっ、タニザキ、えっ、って、俺もうなんて言っていいのかわからなかったんですけど、とにかくめちゃくちゃ嬉しかった。タニザキのご両親は反対なさるだろうなとか、そういうの一切考えてはいませんでした。コウフンしちゃって、泣くとかってよりはなんだか全身にびっちょり汗かいちゃって。カワカミさんは一応受験勉強始めてたみたいなんですけど、パパッと放り出しちゃって」

 

 

「俺とタニザキが高2、で、カワカミさんが高3の秋ですね。本大会が始まって、俺ら、県で優勝した後に、ブロック? の代表を決める段階があって、そこで下馬評ぶっちぎりの強豪校と当たって勝ったあたりからだったかな、だんだん話題になってきたんです、新聞の取材とか来るようになって。タニザキの足のことがあったし、カワカミさんのおじいさんがキダイの名選手だったってあれもあって話題性は十分だったから、地元の新聞とかテレビとか来たんです。俺らそういうのに対しては普通に嬉しくて、うわータニザキ有名人じゃん、とか言って騒いでたんですよ。

 で、全国大会に進むんですけど、そしたら代々木体育館なんですよね。しかも結構長いんですよ、2週間くらい。あれどうなってたのかな、大会側からお金出してくれてたのか、それとも俺らの学校から出してくれてたのかは知らないんですけど、俺ら品川のホテルに泊まってたんですよ。一応俺の母さんとタニザキのご両親も東京まで付いてきたんですけど、いや俺ら勝手にやるよ、って言って、ホテルは別々にしてもらって。昼は大会もあるし、試合がない日は設備借りて練習するんですけど、そんな一日中やらないじゃないですか、だから俺とタニザキは夜になったらちょっと出かけたりしてました。高校生だからそんなあれなことはしませんけど、いろんな場所まわって、すげーなー、って。正直ちょっと浮かれてたのかもしれないですけど。カワカミさんは、あの人はやっぱり真面目だし、なんだかんだ受験勉強もしなくちゃいけないとか言って、夜も結構部屋で勉強したりすぐ寝ちゃったりしてたんですけどね。あの人、チャンパカタイの推薦があったから受験なんてしなくて良かったはずなんですけどね。何だったんだろう。それも聞きそびれちゃってますね。

 それで……、俺らは順調に勝ち進んで、決勝まで残りました。準決勝と決勝の間が一日空いてたんですけど、さすがにちょっと緊張しちゃって、前日は午前中に練習してから午後はずっとホテルの部屋にいたんですよ。でもやっぱり落ち着かなくて、夕方になって3人で街に出たんですね。ちょっと外で食べようってカワカミさんが連れて行ってくれて。俺らは渋谷まで出て、大戸屋でした、大戸屋に入って、夕飯を食べながらいろいろな話をしたんです。大半はチャンパカタイの話だったんですけど、いろいろです、恋人の話とか、タニザキの事故の話とか、取材の話とか。その中で、タニザキが言ったんです。本当に何気ない感じで笑いながら、

 

『でもこれで俺らが優勝したら、映画化とかされちゃうんじゃねえかな』

 

って。

 未だに何でなのかわからないんですけど、俺、それ聞いて、俺、俺の中で何かが切れちゃったんですよ。その場では何にも言わなかったけど、3人で大戸屋を出て、渋谷から山手線で品川、それでホテルの部屋まで戻って、明日は頑張ろう、優勝しよう、ってそこはもう短く済ませてから2人が寝静まるのを待って、俺は、荷物をまとめて部屋を出て、そのまま電車で行けるところまで行って。それから2人には一度も会ってません

井の中

「『ラ・ラ・ランド』は観た? あれはとっても良い映画だったと思うんだ。たしかにあの映画の脚本には緻密さが足りない部分だったり、つながりが弱い部分だったりがあったかもしれないけれど、いくつかのシーンは涙が出るほど素晴らしかったし、その素晴らしさは映画の欠点を補って余りあるものだった。大げさだけれど、“ああ、映画を観るってこういうことだよ”と感じさせるマジックが存在した。そうは思わない?

 とにかく、あの映画にはエマ・ストーンが出ていたね。僕は『ラ・ラ・ランド』をきっかけに彼女の過去の作品を観た。『バードマン』とか『アメイジングスパイダーマン』よりも前に、エマ・ストーンはうんとコメディ寄りの映画に出ていたんだ。『ゾンビランド』とか、『小悪魔はなぜモテる?!』とか、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』とか。それで、『スーパーバッド』を観ていて思ったことがある。

 『スーパーバッド』は、高校生の青春を描いたとても良い映画だ(ウィキペディアによれば、あのエミネムはこの映画をもう200回くらい観たんだって!)。3人のサエない男子が高校卒業より前に童貞卒業を目指すっていう内容なんだけど、3人のうち太っちょな少年が狙っている女の子をエマ・ストーンが演じているんだ。このときの彼女はとてもキュートだし、あのハスキーボイスももちろん健在だ。それで、彼女が最高の女の子だってことは間違いないのだけど、でも、ここで僕が言いたいのはもっと違うことなんだ。エマ・ストーンがかわいいってだけの話ならわざわざ話題にする必要もないしね。『スーパーバッド』を観ていて思ったことというのは、青春の過ごし方に関して、日本とアメリカでは何かが決定的に違うってことなんだ。

 もちろん僕らが日本で育って感じることと一致する部分もある。たとえば、映画の終盤で少年たちは友情を確かめ合ったけれど、そこにはほのかに一つの青春の終わりとでも言えるような予感が漂っていた。大学に入学してから、彼らは、あるいは仲が良いままかもしれないし、あるいはなんとなく疎遠になってしまうかもしれない。磁石のN極とS極みたいに仲良しだったやつらが、なんとなく疎遠になってしまうなんてことは全く起こり得るんだ。日本でもアメリカでも起こり得る。そういうことがどうして起きてしまうのかはわからない。たぶん高校卒業というのが一つの区切りになっているのだろう。あの頃のような友達はもう二度とできないって、『スタンド・バイ・ミー』でも言われていたよね。そういう切なさっていうのは、普遍的とまではいわないけれど、あまねく通用することなのかもしれない。

 どうも話が長くなってしまうな。ここからが日本とアメリカとの違い。『スーパーバッド』にしても、他のハリウッド産青春映画にしても、日本の高校とは明らかに違うのが、生徒たちを取り巻く環境だ。つまり、もっと簡単に言うと、ノリが違うんだよ。男子と女子はロッカーの前で目配せを交わすし、男子の会話の内容と言ったらもっぱら“やったか”とか“やってないか”とか“やりたいか”とかってことだ。いたってノーマルな子でもタバコを吸っているし、不良はドラッグまでやっている。マッチョはオープンカーで学校に乗り付けてくる。ブロンドヘアーの子は今年に入っておっぱいがデカくなったと注目を浴びる。

 それで僕が思うに、こうした諸々の違いの根源は、ホームパーティーの存在にあるんだ。アメリカの青春映画においては、毎週ホームパーティーが開かれている。先週はシンディの家、今週はジェイムズの家。ホームパーティーにはさっきみたいな諸々のすべてが集まる。そこにはダンスがあり、ヒットソングがあり、目配せがあり、健康的な性欲があり、タバコも酒もドラッグもあり、オープンカーがあり、マッチョとブロンズがいて、おっぱいがある。

 一方で、日本の高校生はホームパーティーなんてやらないよね。だから、日本の青春映画においては、青春のキラメキは廊下とか屋上とか土手とか自転車二人乗りとかあぜ道とかに、とにかくシンディやジェイムズの家じゃないようなところに現れるんだ」と僕は言った。

「フーン」、彼女は言った。「でも、私たちもホームパーティーはやってたけどね」

「え?」

「やってたじゃん。タクヤん家とかリエん家とかでさ。そりゃもちろんドラッグなんてやりはしないけれど、ときどきカナがビールを持ってきてくれてさ、苦いねえなんて顔をしかめながらみんなで飲んだりしたじゃん。きみはいま、日本にはホームパーティーの文化がない、日本の高校生はホームパーティーをやったりしない、っていう言い方をしていたけど、でも私たちが毎週やっていたのもあれはあれでホームパーティーって呼べるんじゃないかな」

「ええっと、うーん、その“ホームパーティー”に僕はいたかな?」と僕は消え入るような声で彼女にたずねた。あたりの空気がものすごいスピードで冷えてきたみたいだった。6時間も正座をした直後にムーンウォークをさせられるようなぎこちなさがあった。

「ウーン、あれ、きみはいなかったかもしれない」と彼女は思い出すように目を細めて言った。僕らの青春がいま、新たな局面に差し掛かっている。

壮大なこと

「たとえば今、こうやって2人で電車に揺られているじゃん。僕は右手、君は左手で吊革につかまって立っている。目の前には池田エライザがとっても健康的な格好で写った広告があって、そこからちょっと右に目を移せば、窓の外にはいかにも山手線沿いらしい景色が流れている。いかにもハイソな百貨店や高層マンションが立ち並んでいるかと思えば、黄色い飲み屋街があり、すべて溶けきってしまったみたいなアスファルトの舗道があり、学習塾があり、煤に汚れた雑居ビルがあり、蔦に締め付けられてひび割れてしまった一軒家がある。そういう景色とともに、殺人鬼のような7月の太陽が差し込んできているけれど、もちろん紫外線はカットされている。車内に目を戻して左右を見回せば、紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒、世界のありとあらゆる色を使った中吊り広告が冷房にはためいている。ほら、今週も誰かに疑惑がかけられているし、誰かの過去のほんの小さな失態が大々的に暴かれている。ほら、あの発泡酒はたぶんそれなりにおいしいんだろう。あれはたぶん生き方指南書みたいなものだろう。夏のチークはあれで決まりだ。そしてそこからちょっと視線を下げれば、乗客のみんなだ。じいさん、ばあさん、中学生、大学生、サラリーマン、観光客、にいちゃん、ねえちゃん、4人家族、こわい人たち、よくわからない人たち。趣向もかかっているお金もてんでバラバラだけど、とにかくみんな服を着ている。僕はユニクロのTシャツにユニクロのジーンズ、ユニクロ・オン・ユニクロだ。もちろんパンツも履いている。君はよくわからないブランドのTシャツによくわからないブランドのハーフパンツだ。そして2人ともおかしなことにビーサンを履いている。君は赤いゴムの髪留めもしている。それで、何がすごいかって、いま列挙してきたすべてのものに数人、数十人、場合によっては数百、数千もの人たちが携わっているってことなんだ。吊革も、広告も、百貨店も、マンションも、飲み屋も、アスファルトの舗道も、学習塾も、雑居ビルも、一軒家も、紫外線をカットする窓ガラスも、中吊り広告とそこで紹介されているものも、乗客のみんなも、みんなの服も、僕らのまだちょっと早いビーチサンダルも、君のその髪留めも、そのほか列挙しきれなかったあらゆるものも、それぞれの関係者たちが携わってできた成果だ。それらが発表会のようにこうして山手線の1両目に集まり、そして君がいて、僕がいる。こういうことって、すごく壮大だと思わない?」と僕は言った。

「でもそれって、要するにどういうこと?」と彼女が言った。

「わからない」、僕は肩をすくめた。

 その夜、僕は彼女と寝た。