ためらい

 すっかり春!

 友だちに返そうと思って二万円を持って家を出たけれど、寝てしまってるのか、なんか他に用事でもあるのか、それとももしかしてブロックされちゃったのかしら、とにかく連絡がつかず、しかしフットワークの重いことでお馴染み、この僕がせっかく家を出て既に都内行きの電車に乗ってしまっているのですから真っ直ぐ引き返すというのもなんとなくもったいない。それにこの、ニトリのカーテンコーナーのように柔らかな陽気。そのままガタゴト揺られひとまず池袋に向かい、さて散歩でもしようかしらというところ。

 しかしいつしか名画座へ吸い込まれてしまっていた。二本立てを観る。チケット代、お金ならわざわざ口座からおろさずともポケットに剥き出しで入れた二万円がある。し、そもそもどうせ口座にはほとんどお金がない。二本立てはスペインの新進気鋭の監督の特集で、一本目は、背中から第三の腕が生えてきたという妄想に憑りつかれた中年男を描いた会話劇。本人以外にとっては幻想だったはずの背中の腕が徐々に周りの人にも見え始めるという描写にグッときてしまった。が、そこ以外はびみょー、というか、その監督がいまの僕と同じ歳の頃にその映画を撮っているということに思い当たり、そわそわしっぱなしで内容があまり入ってこなかった。二本目は砂漠に一人で住むおじいさんのもとを次々と見知らぬおばあさんが訪ね、狂おしいほどに愛を重ねては帰ってゆくというラブストーリーで、一番盛り上がるっぽいところで急に字幕が途切れてしまい、劇場スタッフが出てきて不具合を詫びていたけれど俺はそんな謝罪なんて関係なく怒鳴ってやったんよ、と、上映終了後隣に座っていたおじさんが息巻いていた。僕は観ている途中で寝てしまっていたのでそんなことは知らなかった。そんなストーリーのどこが一番盛り上がるっぽいところなのかさっぱり想像できなかった。怒鳴ってやったんよと息巻いたおじさんは、僕の肩を掴んで、黄色い歯を剥き、酒臭い息で、おめえさんなあ、昼間っからこんなところでこんなよ、エロいんだかなんだかわからんような映画観てよ、何してんだおめえさんまだ若えんだろ? ……一理ある、と思ったけれど聞こえなかったふりをし、左肩にかかったおじさんの手を振りほどき劇場を出てずんずん歩いた。

 おい待てよ、おい、腹減ってないか? と早足で追いかけてきたおじさんに、あ、え、お腹、あ~、まあ。曖昧に応えてしまったものだから二人で昼飯を食べに行くことになってしまった。ろくなもんねえなあ、言いながらおじさんは僕の袖を引っ張って池袋の街をぐるぐるぐるぐる、引っ張らないでくださいよ、引っ張らないでください、と訴える僕の声は人混みに虚しくかき消され、相も変わらずおじさんは左右を睨みつけるようにぐるぐるぐるぐる、一時間もしてから行きついたのはだいぶ初めの方に通り過ぎたカレー屋だった。ここはな、ここだけは美味いのよ池袋においても。僕もその店のことは知っていた。どうも百万種のスパイスを混合してるだとかで、ずいぶん前に雑誌のカレー特集で見て以来、いつか食べてみたいと思ってはや幾年。まさかこんな、どこのどいつかわからないおじさんと連れ立って訪れようとは思わなんだ。

 しかし、見知らぬおじさんと来てもカレーはおいしい。

 人類の作った偉大な食べ物ベストテンに満場一致でランクインするでしょう。

 僕の隣であっという間にチーズカレーを平らげ、最後にスプーンを舐め舐め、皿を抱え上げてこれも念入りに舐め舐め、鼻の頭にルーをくっつけて僕の方を向き、じゃあこれ払っとってな、とおじさん。えっ、と驚く僕をよそにさっさと店を後にしようとするので、今度は僕がおじさんの袖を掴み、おい待てって! ちょっと強気に出た。おじさんは僕の細っちい腕を秒で振りほどき、じゃあな、と立ち去ろうとしたが、何か思い返したのか身を翻して、僕の耳元へ顔を近づけ一言、おれは未来のお前だ! ……え、いやいやいや。嘘じゃないですか。こんな。こんなに文脈の分からない嘘ありますかって。あんたカレー代払いたくないだけでしょ。冗談にしたってまったく面白みなし。マジで言っているのであればそれはそれでかなりキビしい。最低最悪ですよははは。

 しかし文句をつけようにもとっくにおじさんは去っていて、僕は結局おじさんのチーズカレーと自分のエビカレーの代金を払わざるを得ず、これとさっきの映画代とで、もともと二万あったお金が一万五千。今日友だちに返そうと思っていたお金がスワスワ減りつつある。お金に関してはほんとうにきちんとしなきゃと心から思っているのにこの体たらくなのである。お金のこともそうだし、それに先ほどのおじさんの言葉もどうも小骨のように引っかかっていて、まったく僕は気苦労が多いのです。あんな歯が黄ばんでいて、ジャージはよれよれ、その下に覗くワイシャツも灰色の染みだらけ、全身からモワッと立ち上る酒臭さが目に見えるような、そのうえ誠意を込めて謝っている人の声にまったく耳を傾けずに怒鳴りつけるようなおじさんに僕はなってしまうのだろうか。なりとうない。極めつけはおじさんが禿げ散らかしていたという点だ。僕は禿げない。禿げとうない、と声に出してみたけれど、しかし絶対に禿げないなんて確証はない。あのおじさんが絶対に未来の僕じゃないとは言い切れない。あり得ないことではないな、という気がしてしまう。たとえばジョージ・クルーニーファレル・ウィリアムスのようにはなれないという確信はあるけれど、一方、さっきのおじさんの佇まいにはリアリティーがあった。ああならないとは限らないし、考えれば考えるほど、むしろ僕はああいう風にしかならないのではないだろうかという気さえしてくる。それにしてもこの陽気。

 

 

 陽気にあてられ、歩き歩いて神保町。

 見るものを悲嘆にくれさせる古本屋街。いったい僕は生涯でここに並ぶ本の内どれほどを手にすることができるのでしょう。ほんの僅か、多くてせいぜい十冊かそこらでしょうか。

 ほうほう、面白そうな本が並んでいますじゃありませんか、と神妙な面持ちを形成して店に入り、なるほど、なるほど、なるほど、なるほど、なるほど、なるほど、ふん、なるほど、と繰り返し、たまにするジャーキングによってかろうじて生きているのだと判別できる店主の視線を浴び浴び、空気中にほんのり混ざるアカデミック臭にあてられ、最初に作り上げた神妙な面持ちが徐々に崩れかけてきたところで、慌てててきとうな文庫本を買って外へ出る。『日本の公衆トイレ百選④ 江戸後期から明治初期まで』、三百円。店を出てからパラパラめくって気づいたけれど、この手の本にしては活字部分がびっしり多く、なんとなれば写真や図が一枚も出てこないのである。なんということでしょう。持ち帰ってもすぐ積ん読と化すのであろう『公衆トイレ百選④ 江戸後期から明治初期まで』をリュックにしまいながら、意味もなく唇をパクパクさせる。どうしてこんな本に三百円も。

 いつしか日は傾いてきているけれど、しかし依然としてこの陽気。

 隣の店に入ると、古今東西から一堂に集結した古本たちがすやすや寝息を立てているところに交じって、『ビビタウルスの冒けん』全4巻セットが、埃っぽい棚の隅っこに静かに、しかし見る人が見ればわかる煌めきを放って陳列されている。『ビビタウルスの冒けん』!

 皆さんはビビタウルスをご存知でしょうか? ビビタウルスは世界に遍在する微々たる差をつかさどるけものだ。長いがふにゃふにゃの角二本と、黒々としてかさかさに乾ききった羽二つと、瞼がなくうるうるに濡れそぼった眼二つを持つ、竜に似ているようでちょっとだけ違う優しきけもの。

 EDMって全部同じ曲じゃん、と吐き捨てるバンドマンあれば即座に飛んでいきひとこと、「微々たる差だけど、違うよ」

 なんだか知らねえけどそのスカートもさっきのスカートも一緒だよ、と悪態つく輩いれば肩を叩きひとこと、「微々たる差だけど、違うよ」

 ちゃんと予算内でやってもらえるんであれば我々としてはもうどっちでも同じなんでてきとうにやっちゃってください、とふんぞり返る取引先あれば眉をひそめひとこと、「微々たる差だけど、違うよ」

 ビビタウルスはあらゆる微々たる差の番人なのだ。どんなに微々たる違いであってもゼロだと見做してしまうのはあまりに乱暴ですよ、そうじゃなくて、違いはあくまで違いだということ、受け入れる受け入れないの問題ではなくて確かに存在するのだということ、それを分かったうえでそれでも並んで生きていきましょうよ、そう思いませんか? ということまで作者が伝えようとしているかどうかは分からないが、しかしとにもかくにも挿絵も文章も素晴らしい児童書であることは確かで、幼き頃の僕はたいへん勇気づけられ、ひもすがらよもすがら読み続けたものだった。でも僕がちょうど九九の掛け算を覚えた頃くらいにいつしか読まなくなって、そのまま忘れてしまっていたのだった。その『ビビタウルスの冒けん』が、いま、目の前の黴じみた本棚に小さく収まっている。

 全4巻、一万二千円。

 なるほどたしかにそれだけの値打ちがある本だが、しかしいま購入してしまうと、先ほどからスワスワ減りつつあったお金がもう取り返しのつかないくらい削り取られてしまう。友だちにどう申し開きをすればいいというの。先月も先々月も先々々月も返せていなくて、今月もてんで無理っていうようじゃそろそろ友だちじゃなくなってしまう。かといっていま購入を見送ると次いつ出会えるかわかったものではない。僕が買わずにいるうちにどこかの目ざといマダムが聡明な我が子のために買って帰ってしまうに決まっている。悩ましいっすなあ。実に悩ましい。とか言って本棚の前で行ったり来たり、手に取ったり戻したり、なんとなく屈伸したり指をぽきぽき鳴らしたりしているうちにいつしか百年の時が過ぎ去り、僕も『ビビタウルスの冒けん』も古本屋もすべて砂に帰してしまったのでした……

De Niro

 

 はあ。疲れたね、なんか。

 疲れたの? 疲れないよ。何にもしてないじゃん。

 そうだな、疲れてないな、言われてみりゃ。

 

 *

 

 アンタさあ、どうすんの? 映画。

 うーん? どうするって? 今からなんか観に行く?

 違うよ、映画どうすんのって。撮るんでしょ、映画。

 撮る? 撮んの? 僕。映画?

 映画撮ることになったって言ってたじゃん! デ・ニーロと!

 デ・ニーロ! デ・ニーロ?

 デ・ニーロってったら一人しかいないじゃん。そのデ・ニーロだよ!

 デ・ニーロが? 僕と? わかんないよ、なに?

 言ってたじゃん! アンタの書いた脚本が採用されたって! 監督も任されたって!

 え? で、主演がデ・ニーロなの?

 そう。

 え! そんなバカみたいな話なくない? 夢じゃん。ないよ。

 そう、アタシもあり得ないと思ったよ、でも、アンタがいろいろ証拠って言ってさ、見せてきたんじゃん。なんか、書類とか、金とか。自慢してきたじゃん。

 金?

 札束持ってたじゃん。

 え、現金なの? ふつうなくない? 知らないけど、ふつう口座振り込みじゃないの、そういう金って。

 知らないよ。はあ、意味わかんない。自慢してきたじゃん。デ・ニーロと撮んだぜ、って。

 そうだっけか。

 そう。思い出しなよ。

  

 *

  

 そうだったな。思い出した。嫌すぎて忘れてた。

 ほらー。どうすんの?

 どうしよう。ヤバいんだよ、全然ノウハウがわかんない。何から始めればいいんだろう。

 なんか誰かに聞けば?

 誰に聞きゃいいかもわかんないよ。きみ、知ってる?

 知らないよ、映画なんて観ないもん。

 僕だってそんな観ないよ。はあ。

 じゃあなんでアンタ監督任されたの。

 デ・ニーロたっての希望なんだってよ。

 へえ。意味わかんないじゃん。

 ね。

 なんでよ。

 知らないよ。こわいよ。しかもさ、デ・ニーロさ、もう役作り、始めてんだって。

 え! やるんだ、役作り。やっぱ。

 しかも、三か月前から。もう。

 三か月前? え、いつ?

 今から、三か月前。から。映画化の話が出た直後から。

 え、何の役なの?

 僕。

 は?

 僕の自伝的な物語だから。

 は? え? アンタ、そんな波乱万丈なアレなの?

 違うよ、別に。ふつう。

 ふつうなの? え、役作りしてんの? デ・ニーロ。

 そう。

 怖いじゃん。意味わかんない。

 怖いよ。マジで。ふつうに過ごしてても、さ、ずっと誰かに見られてる気がすんだよ。

 へえ!

 だいたいデ・ニーロが僕の脚本を気に入ったわけがわかんないよ。マジでつまんないしさ、日本語だし。

 英訳とかされてたんじゃない?

 なことないよ。マジでつまんないもん。

 マジでつまんないんだ。なるほど。

 だからさ、わかんない。なんでですか、ってデ・ニーロに聞いても、ただ笑うだけなんだもん。

 話すんだ? デ・ニーロと。

 話すよ。ずっと僕の周りにいるんだもん。たまに鉢合わせてさ、挨拶してさ。

 え、今もいる?

 今はどうかな。年末だし、帰国してんじゃない? でさ、たまに鉢合わせて、なんでですか、って聞いても笑うだけなの。『マイ・インターン』んときみたいに。

 あ、観た! あの謎の笑み!

 そう。あれ。肩すくめちゃってさ。で僕、言うのよ、映画、ちょっとまだ撮れそうにないです、って。

 なに、その言い方! どうしてやんわりなの? なんか、いずれは撮れる、みたいな。

 しょうがないんだよ、怖いもん。

 怖いか。怖いね。

 怖い。

 で、デ・ニーロ何て言うの? 映画まだ撮れません、って言ったら。

 また謎の笑み浮かべんの。別にかまへん、みたいな。イッツオーライ、って言ってんの。

 へえ! なんかもう。

 ね。

 その優しさが怖いじゃん。謎じゃん。

 ね。もうここまで来たら断るなんてあり得ないからさ、たぶんいつかは撮らなくちゃいけないんだろうけど、なかなか無理。マジで嫌。

 がんばってよ。貰ったお金もあんでしょ?

 うん。だからやるしかないけど。

 待っててもらうしかないね。

 うん、役作りしててもらうしかない。まあいいや。

 へえ?

 なんかこの状況慣れてきたな。

 へえ?

 一生このままでもいいかもしれない。

 ハハハ。

2017年よかったもの

2017年いいと思ったものを発表します。メモ程度ですが……

 

・2017年一番印象に残っている色、映画『ムーンライト』のブルーです。

 

・2017年一番かわいかったもの、フジロックビョークが連発してた「アリガットゥ!!」です。

 

・2017年最も良かった短編映画、『マスター・オブ・ゼロ』のシーズン2エピソード6「ニューヨーク、アイラブユー」です。あれを映画と呼ばずしてどうしましょう!

・『マスター・オブ・ゼロ』は全編素晴らしいのですが、上記の「ニューヨーク、アイラブユー」に加えて、エピソード8「サンクスギビング」にも震えました。『マスター・オブ・ゼロ』もそうだし、『ひよっこ』もそうだったけど、とにかく「ユーモラスさとエモーショナルさはほとんど同じもの」ということを意識させられ続ける一年でした。カート・ヴォネガットの小説や、北野武ウディ・アレンの映画なんかもそうじゃないかな。僕自身もユーモアを大切にしていこうと思います。

・もちろん『ストレンジャー・シングス』も最高でした。ふつうの少年少女が邪悪なものに立ち向かう様、とってもビリビリしました。

 

・2017年公開の新作長編映画だと、『ムーンライト』のほかには、『ラ・ラ・ランド』や、『退屈な日々にさようならを』や、『T2 トレインスポッティング』や、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』や、『メッセージ』や、『夜明け告げるルーの歌』や、『美しい星』や、『ローガン』や、『ベイビー・ドライバー』や、『パターソン』や、『ダンケルク』や、『散歩する侵略者』や、『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』や、『ゲット・アウト』や、『立ち去った女』や、『ブレードランナー2049』や、『ネルーダ 大いなる愛の逃亡者』や、『エンドレス・ポエトリー』がよかったです。『たかが世界の終わり』は扱っている題材がかなりよかったので、グザヴィエ・ドランじゃない人が監督したバージョンも観てみたくなりました。グザヴィエ・ドランもいいんだけど。

・『パターソン』は特によかった! パターソンという寂れた街でパターソンという男が過ごしている日常の美しさに、感極まってしまいました。僕も日常に美しさを見出す病に罹患し、10月の終わりのある夕方、巣鴨駅前で、SEIYUのレジ袋片手に、空にかかった虹をスマホで撮影していたおばさんの姿などにもグッとくるようになってしまいました。しかしアダム・ドライバーはいいですね、繊細なデカさというか。彼の背中、東京ドーム50個分くらいあるのではないでしょうか。「デカい」という身体性も重要だ。

・『メッセージ』はテッド・チャンの原作(「あなたの人生の物語」)も併せて読んだらさらにグッときました。どちらも素晴らしい。映画と小説というメディアの違いを表す好例だと思います。

・あと、『スパイダーマン ホームカミング』のピーター・パーカー(トム・ホランド)の声がめちゃくちゃ高かったのがよかったです。スパイダーマンにはああいう軽さがなくちゃいけないと思います。

・旧作映画では、エドワード・ヤンの諸作が特によかったです。ほかにも、エリック・ロメールのいくつかの映画や、『ロッキー』・『ロッキー2』や、ルキノ・ヴィスコンティのいくつかの映画や、『仁義なき戦い』や、アンドレイ・タルコフスキーのいくつかの映画や、『灼熱の魂』や、『タンジェリン』や、『シンプルメン』や、『パリ、テキサス』や、『バンコクナイツ』や、『ロシュフォールの恋人たち』や、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や、『お茶漬の味』や、『ミツバチのささやき』や、相米慎二のいくつかの映画や、『地獄の黙示録』や、『イン・ザ・スープ』や、『スモーク』や、『海よりもまだ深く』や、『パラダイス 愛』(今度『神』と『希望』も観ようと思います)や、『青いパパイヤの香り』や、『シティ・オブ・ゴッド』や、『ベルリン・天使の詩』や、コーエン兄弟の諸作や、『自転車泥棒』や、『ダーティハリー』や、『秋刀魚の味』や、『ミニー&モスコウィッツ』や、『ブンミおじさんの森』や、『動くな、死ね、甦れ!』や、『甘い生活』・『8 1/2』や、『イーダ』や、『インテリア』が。自分がどんな映画を好きなのか、よくわからなくなりました。

 

・いくつか美術展にも行きましたが、ソール・ライター展が一番よかったです。

 

・2017年に発表されたなかでおそらく一番聴いたアルバム、シャムキャッツの『Friends Again』です。日常に溶け込む素晴らしい曲たちでした。エレキをアコースティックに持ち替えてシンプルな音を鳴らすのって、結構尖ったことじゃないでしょうか。さらに、先日発表された新曲「このままがいいね」では、Kings of Leonにも似たスケール感も加わっていたように思います。

・ミツメも素晴らしいシングルを発表しました。「エスパー」も「青い月」も、最高にポップで、ミツメ的なラストスパートもあり、キャリアハイといってもいいかもしれません。ジャケットもMVも大好きです。『ストレンジャー・シングス』や『散歩する侵略者』との共鳴! 

・2017年びっくりしたこと、小沢健二が戻ってきたことです。「流動体について」のアウトロのうねりにはまって抜け出せなくなりました。個人的にセカオワのコラボにはピンとこなかったのですが、子どもがいる人が聴いたらすごくグッときてしまうのかもしれません。

・2017年一番よかったMV、The xxの「I Dare You」です。


The xx - I Dare You (Official Music Video)

・2017年に出たアルバム、(だいたい出た順で、)The xx『I See You』や、Kendrick Lamar『DAMN.』や、Sampha『Process』や、Thundercat『Drunk』や、Calvin Harris『Funk Wav Vol.1』や、Tyler, The Creator『Flower Boy』や、サニーデイ・サービスPopcorn Ballads』や、Cornelius『Mellow Waves』や、柴田聡子『愛の休日』や、SlowdiveSlowdive』や、Yogee New Waves『WAVES』や、ゆるふわギャング『Mars Ice House』や、D.A.N.『Tempest EP』や、Ásgeir『Afterglow』や、Real Estate『In Mind』や、Daniel Caesar『Freudian』や、Gus Dapperton『Yellow and Such EP』や、Mount Kimbie『Love What Survives』や、岡田拓郎『ノスタルジア』や、King Krule『The OOZ』や、CHAI『PINK』や、Ivan Ave『Every Eye』や、N.E.R.D『NO ONE EVER REALLY DIES』がよかったです。フランク・オーシャンが出した曲もすべて好きです。トラップはいまいち咀嚼しきれていません。Futureのアルバムは結構好きでしたが。

・2017年に出たのではないものだと、Talking Headsが一番の衝撃でした。Yo La TengoWilcoのこれまで聴いていなかったアルバムも聴きました。かなり好きでした。

 

・2017年予想外に良かったこと、ロサンジェルスラムズの躍進です。ジャレッド・ゴフもトッド・ガーリーも同い年なので応援しています。

 

・自分のカタカナとアルファベットの使い分け方がよくわからなくなってしまいました。

 

・2017年一番楽しかった本、『百年の孤独』です。マコンドという小さな村とブエンディア家という一族の百年間を描くというそのスケールのデカさにも圧倒されましたが、次々と巻き起こる驚異的なエピソード、そしてあくまで淡々とした語り口にシビれてしまいました。ガルシア=マルケスはほかに『予告された殺人の記録』と『族長の秋』を読みました。これまたシビれる傑作続きでしたが、特に『族長の秋』ときたら! 改行がほとんどなされないなかでのめくるめく視点の切り替え、むせかえるような描写の連なりに、腰を抜かしてしまいました。ラテンアメリカの風土も関係しているのでしょうが、臭いや、グロテスクなものや、汚いものに関する描写がすごい。そこらへんは大江健三郎中上健次にも影響を与えているのかな。

・あと、『コレラの時代の愛』を買いましたが、これは今のところ積読になっています。

・ガルシア=マルケスのほかにも、ラテンアメリカ文学にすっかり魅了され始めており、バルガス=リョサ『密林の語り部』やロベルト・ボラーニョのいくつかの作品を読みました。どれも物語行為について考えずにはいられない作品です。来年はもっと読みます。マジックリアリズムということで、ホドロフスキーの映画も関連させて考えることができるかもしれませんが、ここらへんも来年に持ち越しです。

・リチャード・ブローディガン(と藤本和子さんの翻訳)やグレイス・ベイリーの短編集がよかったです。カート・ヴォネガットも何冊か読みました。これらは北アメリカの文学、ということになるでしょうか。そのほか、吉行淳之介や、三島由紀夫や、高橋源一郎や、『チェルノブイリの祈り』や、J・リャマサーレス『黄色い雨』や、『吾輩は猫である』や、ケン・リュウの短編集や、『旅のラゴス』がよかったです。来年はもうちょっと本を読みます。

 

・『早稲田文学増刊 女性号』が気になっているのですが、どなたかお持ちではないでしょうか。家まで読みに行かせてください。

 

・2017年、はてなブログを始めたのですが、文章の書き方がだんだんわからなくなっていきました。自分では「遅刻はよくない、という話」が気に入っています。

 

hellogoodbyehn.hatenablog.com

 

 

・2017年、将来へのぼんやりとした不安を抱えながらのだらだらした散歩がスリリングでした。

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・2017年一番食べに行ったラーメン屋、山手です。

 

・金沢~福井~京都と、青森(白神山地)に行きました。よかったです。

 

・2017年、車の運転がうまくなりました。母の買い物の手伝いで、イトーヨーカドーへ何度も行きました。「親孝行のザワ」として、地元じゃ負け知らずです。

 

・2017年笑っちゃったもの、ハライチ岩井・フリートーク集です。何もない日常からオカルトを出現させる手腕が素晴らしい。YouTubeにあります。ラジオ「ハライチのターン」も聴き始めました。毎週木曜日24時からTBSラジオです。


ハライチ岩井 フリートーク集

 

・2017年よかったものの備忘録としてApple Musicのプレイリストを作りました。

 

Are You Lonesome Tonight? (from “A Brighter Summer Day”) / Elvis Presley

Black’s Theme (from “Moonlght”)/ Nicolas Britell

Chanel / Frank Ocean

911 / Mr. Lonely (feat. Frank Ocean and Steve Lacy) / Tylor, The Creator

Holiday (feat. Snoop Dogg, John Legend & Takeoff) / Calvin Harris

神秘的 / 小沢健二

God Doesn’t Exist (from “Endless Poetry”) / Adan Jodorowsky

Half Man Half Shark / King Kruke

Blue Train Lines (feat. King Krule) / Mount Kimbie

Provider / Frank Ocean

Coyote / シャムキャッツ

Heptapod B (from “Arrival”) / Jóhann Jóhannsson

I Dare You / The xx

Kids (from “Stranger Things”) / Kyle Dixon & Michael Stein

青い月 / ミツメ

 

https://itunes.apple.com/jp/playlist/2017%E5%B9%B4%E8%89%AF%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE/pl.u-8aEVUNde4G5

 

 

 

 

おわりです。来年は2018年ですか、はえ~!

 

12/30

・そう、Father John Misty『Pure Comedy』とLorde『Melodrama』もかなりよかったです。Father John Misty、豊潤だ。マコーレー・カルキンがカート・コベインに扮している「Total Entertainment Forever」のMVも最高です。Lordeもフジロックですごくかわいかった。あとはトラップ、というか、Migosのよさがわかってきました。3人の佇まいがすごくキャッチーだし、独特な掛け合いにハマってしまった。聴いていて楽しいです。

・映画、イングマール・ベルイマン『叫びとささやき』も衝撃でした。息苦しいコミュニケーションからの超現実的な展開の中に真実を照らし出す鮮やかさ! 年末に凄いものを観てしまった。

 

12/31

Talking Heads × ジョナサン・デミストップ・メイキング・センス』、涙が出るほどカッコよかったです。

バナ男の人生

 へえ、ご実家、バナナ園なんですか! すごい! 彼に出会った人はみな感嘆した。すごい! すっげえ! 大したもんだ! マジっすか! ヤバいっすね! へえ! ほお! グルーヴィ! 表現は様々だったけれど、みな一様に大きな声を上げ、身を乗り出した。日本に暮らしているなかで耳馴染みのない「バナナ園」というフレーズ、その得体の知れなさに興奮した。ほとんどの人にとって、バナナ園の息子と出会うのは彼が初めてだった。正確に言うと、ほとんど、ではなく、すべての人。彼がこれまで出会ったすべての人が、彼のほかにバナナ園の息子を知らなかった。売れない作家や絵が描けなくなった画家や30秒より長い曲を書かない音楽家のことは知っていても、バナナ園の息子は知らなかった。中南米の小さな国の大統領や、一年に一回宝くじを当てて暮らしている慎ましい超能力者や、スーパーマーケットのレジ打ちが日本で一番速いおじいさんのことは知っていても、バナナ園の息子は知らなかった。人々は身を乗り出し、目の前に座っている人当たりのよさそうな男が語り始めるのを待った。なにせ相手はバナナ園の息子だ、これまで聞いたことのないような類の人生を送ってきたに違いない、と人々は胸を躍らせた。

 しかしバナナ園の息子はその期待に応えられない。

 彼の実家のバナナ園は千葉県にあった。かなり大きなバナナ園だった。彼は両親が30代の終わりに差し掛かった頃に生んだ一人息子だった。幼い頃から、バナナの木と木の間を駆けずり回って遊んだ。もちろん食卓には毎朝バナナが並んだ。素バナナ。バナナ入りヨーグルト。バナナシェーク。バナナチップス。マッシュバナナ。また、母の創作バナナ料理を試食させられるのも彼の役回りだった。バナナパスタ。バナナ鍋。バナナの肉詰め。クレイジーバナナ。しかし、彼は多くの寓話の主人公とは異なり、実家で育てているものを嫌いにならなかった。彼の好物はカレーライスとバナナだった(が、母の作ったカレーバナナとバナナカレーはどうもいけなかった、と彼はのちに僕に語った)。バナナをかじり、サッカーとゲームボーイをやり、少年ジャンプを回し読みし、そしてバナナをかじって彼は育った。小学校5年のときから彼のあだ名は「バナ男」になった。バナ男はいつもバナナを持っていた。バナ男は明るく朗らかで歯のきれいな少年だった。バナ男の両親は、息子がバナナのせいで虫歯を作ったり、過度に贅肉をつけたりすることを良しとせず、きちんと育ってくれることを願い、ゆくゆくはバナナ園を継いでくれれば嬉しいと考えていた。そこでバナ男は中学受験をし、都内の中高一貫の男子校に入学する。小学校の友だちとは別れることとなったが、たまたま、彼は中学校でも「バナ男」になった。よく覚えていないけれど、自分でそう名乗ったのかもしれないし、周りの誰かが勝手に付けたのかもしれない。バナ男はサッカー部に入り、中学3年生のときにやめ、そのまま大きな抑揚のない思春期を過ごす。彼はバナナが下品な喩えに使われるのを嫌がった。教師の悪口や最近のロックの話やおっぱいの話で友だちと盛り上がるのも面白かったけれど、一方で、ひとりで映画を観に行ったり、でかい本屋をうろうろしたり、ちょっと背伸びをして種々の展覧会を覗き込んだりすることにひそかな楽しみを見出すようになった。実家のバナナ園がそのときまだとても大きかったので、彼はお小遣いをそれなりに貰っていて、ひとりであちらこちらを探索してみるのに不自由しなかった。学校が休みであっても、小さい頃のようにバナナ園の手伝いはせず、池袋まで出てきてジュンク堂を下から上まで這いずり回り、サンシャイン通りをおろおろ歩き、新文芸坐に2本立てを観に行き、うとうとして帰った。あるいは友だちと昼前に集まり、路上のあれこれにいちいち声を上げて笑いながら散歩をし、サイゼリヤミラノ風ドリアを食べ、カラオケでスピッツを歌って帰った。バナナは相変わらず好きだったし、バナナ園の向こうに沈む夕日の美しさに胸を詰まらせることもしょっちゅうだったけれど、自分がバナナ園を継いでいる姿はあまりイメージできなかった。イメージできないまま、やがてバナ男は国立大学の法学部へ進んだ。大学生になってからも当然「バナ男」だ。バナ男は文芸サークルに属し、そこではじめて恋人ができた。カールがかったショートヘアの女の子で、バナ男と同じようにビートルズのアルバムだと『ラバー・ソウル』が一番お気に入りで、そして、無類のバナナ好きだった。気恥ずかしいので両親には内緒で、バナ男は彼女を実家のバナナ園に連れていき、甘い映画のワンシーンのように木々の間でかくれんぼをしてはしゃぎ、これじゃ甘い映画のワンシーンみたいだね、と笑いあった。しかしその後の二人は甘い映画のようにはいかなかった。バナ男にとっての最良の日々は終わり、冬が来て、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、また冬が来て、いつしか彼は大学を卒業しようとしていた。彼は両親にバナナ園を継がない旨を告げる。作家になりたいんだ。そうか、何年かやってみて、駄目そうだったら戻ってきなさい。さすが、巨大なバナナ園を治めてきただけあって、バナ男の両親は寛大だった。バナ男は田端に小さな部屋を借り、小さな出版社でバイトをしながら、小さな短編を書き続けた。やがて同じ作家志望の若者たちとも交流するようになり、互いの文章を見せ合い、褒めるべき箇所は褒め、苦々しい箇所に対しては曖昧な笑みを浮かべた。バナ男の短編のたいていは、矮小化された人と人とのすれ違いを三人称で描いたものだった。愛し合う男女がやがて別々の道を辿ったり、仲良しだった二人がいつの間にか互いに気づかない振りをするようになったり、互いを知らない男女が結局最後まで知り合うことなく終わったりするような。あまり出来がいいとは言えない。いくつかの小さな文学賞に応募したが、選考を通過する気配はなかった。バナ男の短編を、光るものがあると思う、と評してくれた友人はどこかの新人賞を受賞して遠くへ行ってしまった。それとは別の何人かの友人はいつしかいなくなってしまった。バナ男の両親はときおり息子の田端の小さな部屋を訪れたが、訪れるたび、目に見えて白髪が増えていくようだった。最近、バナナ園はどうなの? 息子は父に訊ねた。それがなあ、バナナ園、そのうち閉めなくちゃいけなくなるかもしれん。そうなの。すまんな。いや、こっちこそごめんなさい。バナ男は27歳になっていた。バイトをしていた小さな出版社でそのまま社員として働くことになった。仕事上、いろいろな人と話をすることになる。彼と出会った人はみな彼の話を聞きたがる。へえ、ご実家、バナナ園なんですか! すごい! 人々は身を乗り出して彼が話し始めるのを待つ。彼は期待に応えられない。彼は少しおどけてこう言う、「あ~、いや、そのテンションで来られると困っちゃうんですけどねえ~」

僕らとバナナ

 我々の日常とバナナとの不思議な関係を巡るいくつかの語り。

 

 

木曜日のこと

 ホームで吉祥寺行きの電車を待っているときナオコから電話がかかってきた。アケミさ、今度の日曜って空いてる? アタシとユミとエリカちゃんでバナナ祭りに行こうと思ってるんだけど来る?

 ごめんナオコちゃん、日曜は空いてないや、とわたしは応えた。

 あ、そう、残念。また今度ね。

 うん、また今度。ナオコの方で通話を切るのを待ってから、わたしはスマホを耳からそっと離した。バナナ祭りがどんなものだかさっぱり見当もつかないけれど、そんなもののために貴重な日曜日を無駄にするわけにはいかない。

 

 

バナナと冗談

 バナナ使ってギャグやれって? そんなのできるわけないだろ。ないよ。ない。そんなニヤニヤして見られても何も出ないよ。ほんとうに何も思い浮かばないって。だってバナナだぜ? 無理だよ。絶対スベるって。ほら。

 

 

都市とバナナ

 すぐそこの交差点の僕らのオフィスビルがある側に、バナナ売りの屋台が来たことがあった。屋台はある朝忽然と現れ、交差点を拠点に定めたようだった。屋台は僕らが出勤する頃には既に交差点にいて、昼三時を回る頃にどこかへと姿を消した。こぢんまりとしていながらも、木張りの側面から、四つの車輪から、奇妙なくらい大きな看板、一枚布の日除けに至るまで、あらゆるパーツが真っ黄色に塗られた屋台の手押し車は、色彩の面でも、質量の面でも、この銀色で巨大なオフィス街において異質な存在となった。それに、匂いの面でも。見たところ、屋台はおよそ一万本ものバナナを搭載しているようだった。一本のバナナが放つ匂いは甘くトロピカルなものだが、一万本ともなるとそれは甘さやトロピカルさとはかけ離れたものになる。それは、ある種の圧力だった。一万本のバナナの放つ抗いようのない圧力が辺り一帯の空気構造を一変させ、オフィスビルの三階の高さまで薄緑の生暖かい靄がかかった。交差点を横切るだけで僕らのワイシャツは甘酸っぱい汗でびっしょり濡れた。すっかりのぼせ上がり、信号の青も赤も黄も、すべて平板な黄色に見えた。それだけ周囲に影響を及ぼしているにも関わらず、屋台は客引き文句を一切口にせず、ただ交差点の脇に構えていた。メニューもただバナナだけのようだった。チョコもかかっていなければ、焼かれても、ミキサーにかけられてもいない一万本のバナナが、こぢんまりとした手押し車の中に整然と並べられ、無表情で狭い空を仰いでいた。その交差点を利用する誰しもが、忽然と出現したバナナ売りの屋台とその一万本のバナナに気を取られたが、みな遠目に眺めるばかりで買う者はいなかった。しかし屋台は二日、三日と続けて出現し、オフィス街に一万本のバナナの圧力を振り撒いて僕らを攪乱した。三日目、バナナ好きを自認する僕らの同僚の一人が、真っ黄色のその屋台でバナナを一本購入した。おそらく彼は三日間を通じてはじめての客だった。すさまじく美味しいバナナだったぞ、しっとりとした口どけ、ものすごく強烈で、しかし度が過ぎるということもないような、身体中にゆっくり染み渡る甘さ、すべて飲み込んでしまってからも限りない多幸感が俺を包み込み、まるで大いなる母の腕に抱かれているようだった、と彼は鼻息荒く語った。それに見た目の美しさもこの上なかった、表皮の明るいイエローの発色も、内側の外光を柔らかく吸収する静謐な薄黄色も、一切あらのない滑らかな曲線美も、その反り具合も、俺が社会人になってから目にしたものの中でずば抜けて美しかった、と彼は恍惚の内に語った。へえ、それじゃあそのうち食べてみようかな、と僕らは口々に応えた。屋台はその後も毎日出現した。どういう仕掛けになっているのか、一万本のバナナは日が経っても完璧な美しさを保って積み上げられていた。毎日新しく入荷しているらしい。謎の粉を散布しているのでまったく腐りも痛みもしないらしい。そもそもあれは特殊なバナナらしい。様々な説が囁かれた。営業部一の美人で知られるスミノさんは毎日バナナを購入しているらしい。うちの部長は病弱な息子のために百本も買って帰ったらしい。あのバナナをマッシュして股間に塗るとあちらの具合が良くなるらしい。様々な噂が飛び交った。僕らは昼休みの廊下で互いの噂話を更新し、私見を交換し合い、そして毎回、そのうち買ってみたいよなあ、と締めくくって仕事に戻っていたのであった。ところがしばらく経つと、僕らの中で屋台の話題は徐々に下火になっていき、それぞれが思い思いに唱えていた説や噂はすっかり鳴りをひそめた。昼休みの廊下での議題はプロ野球や週末公開の映画やスーパー銭湯のことに戻っていった。奇妙なことだが、僕らは、交差点の脇に真っ黄色の屋台があり、辺り一帯に薄緑色の靄がかかり、交差点を横切るたびに汗だくになり、信号の色が見分けられないという状況に慣れつつあったのだ。バナナに興味がなくなったわけではない。是非とも食べてみたいと思っていたし、二十本くらい買って帰ってもいいとすら思っていた。そう、口には出さなかったが、誰もが思っていたに違いない。しかし、いつでも買えるだろうという判断が裏目に出たのだろうか、それとも屋台があまりに日常に溶け込みすぎたせいだろうか、僕らがバナナを購入することはついになかった。屋台のはじめての出現からちょうど一か月経った朝、交差点から屋台の姿が消えていた。あくる日も、またその次の日も屋台はなかった。生暖かい靄はきれいさっぱり晴れ、オフィスビルはふたたび銀色に輝きはじめ、空気は秋らしい風通しの良さを取り戻し、交差点に色彩がよみがえった。真っ黄色の屋台と一万本の美しいバナナはどこかへ移動してしまったようだった。どこか別のオフィス街へ、どこか別の都市へ。

 

 

かなしい話

 かなしい話、ですか。最近だとあれかなあ、久しぶりに会った昔の友だちがバナナダイエットにドはまりしてたのが一番かなしかったかなあ。あんな甘いもの食べて痩せるわけがないじゃないですか。なんでわからないかなあ。むかし、すごく仲良かった子なんですよ、磁石のエヌ極とエス極みたいに、映画でも音楽でも本でも、なんでも話が合ったのに、バナナになんてはまっちゃって。アンタも試してみれば、なんて言ってくるんですよ。それも、ものすごい熱烈におすすめしてくるって感じじゃなくて、気になるならやってみれば、みたいな素っ気ない調子で言ってくるの。ちょうど、高校のとき私にブラーの曲を教えてくれたみたいに。カート・ヴォネガットの本を貸してくれたみたいに。北野武の映画に連れて行ってくれたみたいに。素っ気なく。そういうところは変わってないんだなってなんだかおかしかった、けど、でも同時に、なんだかすごく遠いところに行っちゃったみたい。バナナだなんて。

 

 

バナナフットボール

 僕をドラフトで獲得した年のロサンジェルスラムズは、ひどく短いシーズンを過ごすこととなった。ラムズのみならず、ナショナル・フットボール・リーグ全体がシーズンを早々に中断することを決めた。それは、試合でバナナが用いられた最初で最後の年でもあった。その年、全世界でバナナが異常繁殖して生態系が大幅に崩れ、ナショナル・フットボール・リーグの大本営はチャリティの一環として、開幕戦から全試合、試合球としてバナナを用いることを発表したのだ。《試合球はすべてバナナ、長さや太さや反り具合や熟し具合に関わらず、審判団から見てバナナであると判断可能であるものであれば良しとする、また、プレー中、使用しているバナナが破損した場合は、ただちに別のバナナを用意する、ただし、破損したバナナは緊急時を除いてフィールド内に放置し、試合後にまとめて回収する。》大本営の発表した新ルールに基づいてロサンジェルスラムズ対サンフランシスコ・フォーティーナイナーズの開幕戦は行われ、僕は先発タイトエンドとして出場した。ラムズのオフェンスから始まった第一クォーターの最初のプレー、クォーターバックが僕に向かって放ったパスはフォーティーナイナーズのラインバッカ―にはじき落され、僕もラインバッカーもそのバナナに足を滑らせた。僕は両膝を開放骨折し、プロフットボールプレーヤーとしての短いキャリアを終えた。フォーティーナイナーズのラインバッカーは転んだ時に片肺をぺしゃんこに潰してしまったらしかった。その後もほぼ毎プレーごとにバナナは破損し、それに足を滑らせたプレーヤーたちが次から次へと怪我を負い、第一クォーターの終わり頃、ラムズ、フォーティーナイナーズ同時に棄権を申し出た。もうサイドラインにも誰も残っていなかった。フィールドはバナナだったものとプロテイン混じりの血で埋め尽くされていた。両チーム合わせて五十人の選手が引退を余儀なくさせられた。試合中に破損したバナナは約一万本、五台のトラックによってスタジアム外に運び出され、処理場を求めてロサンジェルスの街を駆けずり回った。その後一週間、街はぐちゃぐちゃになった大量のバナナのすえた腐臭に悩まされることとなった。ラムズ対フォーティーナイナーズの試合のみがこのような有様だったわけではない。全米中で同時に開始していたその他の試合も暗澹たる結果に終わった。各試合で、バナナのイエローと血のレッドと人工芝のグリーンがフィールド内に幻想的な模様を描き出した。フィラデルフィア・イーグルスニューヨーク・ジャイアンツの試合でも、タンパベイ・バッカニアーズミネソタ・バイキングスの試合でも、アトランタ・ファルコンズデトロイト・ライオンズの試合でも、フィールドにジャクソン・ポロックの作品が出現した。雪崩のごとく病院に担ぎ込まれていく選手たちはみなパブロ・ピカソの作品のように歪んでしまっていた。事態を重く見たナショナル・フットボール・リーグ大本営は、その年のシーズンの中断と非バナナ宣言を発表した。《我々はリーグからバナナを永久追放する。》でも、時すでに遅し。僕は自分のプロフットボールプレーヤーとしてのキャリアがバナナのせいで終わってしまったのがとても悲しいのです。

 

 

バナナ食べる?

 え、バナナあるの? じゃあいただこうかな。え、ないの? じゃあいいよ。そりゃ、あったら食べたいけど、なかったら食べないよ。

 

バナナ・ボム

 店に警官がやってきた。私は法律書コーナーの埃をはたきではらっているところだった。

 警察です、と彼らは言った。背が高く胸を張った男と、背が低いうえに猫背の男の二人組。内側にひどく窪んだ眼と、息も吸えなさそうな鉤鼻からは、正義感のかけらも感じられなかった。それに何と言っても唇だ。彼らの唇は薄く、白く、乾燥し、陰気そうに歪んでいて、ついさっき墓地から掘り出してくっつけたみたいだった。が、警察を名乗っている以上、ほんとうに警察なのだろう。制服もそれなりにきっちり決まっていた。疑う余地はない。

 微笑を浮かべているつもりなのだろうか、彼らは口元に黒ずんだ皺を寄せながら、私の店に入ってきた。背の低い方の警官が狭い店内をぐるりと見回し、いいお店ですね、と私に言った。深い井戸の中でジメジメした蛙が鳴いているような声だった。

 狭いですし、ほとんど人も来ませんけどね、と私は応えた。慌ててはたきをエプロンのポケットにしまい、慌ててレジの方へ戻った。実のところ少し緊張していたのだ。平日の午前中の狭い古本屋に、警官が二人も踏み込んできている光景というのはあまり穏やかではない。

 お話を伺ってもよろしいですか、と背の低い方が言ったあと、蛙よろしくゲロッと鳴いた。少しだけお時間をいただけるとありがたいのですが。ゲロッ。

 こういう場合、よろしいもよろしくないもないのだ。ええどうぞ、どうせ暇ですから、と私は言った。奥に上がりますか?

 いえ、ここで結構です、と丁寧に蛙は言った。ルノワールの画集の背を短い指でなぞりながら彼は続けた。では早速本題に入りたいのですが、昨日の午後、この店に来た男のことを覚えていますか? 年齢は30くらいで、身長は、そうですね、ちょうどこの本棚のこの段くらいだったはずなのですが。

 お話というから、失踪した夫や息子のことだと思ったのだがどうやら違うらしい。夫は30歳より更に30くらい年をとっていたし、息子はちょうど30歳だが、背は蛙が指し示した位置よりずっと高かった。私はポケットに入れたはたきを手でいじりながら応えた、昨日の午後ですか? 30歳で160センチメートルの男?

 そうです、と蛙は頷いた。難しいかもしれませんが、昨日の午後に来た男の客をできるかぎり思い出してみてほしいのです。

 昨日の午後に来た男の客をできるかぎり思い出してみるのは、そんなに困難なことではなかった。せいぜい片手の指で数え切れる程度しか来なかったからだ。20年前のスペインの観光ガイドを売りに来た男が一人。一時間近く店内を歩き回ったあげく、何も買わずに出ていった男が三人。文庫のドストエフスキーを買っていった男が一人。このうち30歳くらいで160センチメートルくらいの男といったら、最後に挙げた一人しかいない。

 30歳で160センチメートルの男ですよね、思い出せそうだわ、と私は蛙に言った。蛙と、もう一人の背の高い警官は顔を見合わせ、陰気そうに歪んだ唇をさらに歪ませて頷きあった。

 よかったです、その男のことを詳しく覚えていますか、と蛙が聞いてきた。

 ええ、覚えています、と私は言った。

 実際、その男のことははっきり覚えていた。新潮文庫の『カラマーゾフの兄弟』の上巻と下巻を買っていったのだ。お客さん、これほんとうは中巻もあるんですよ、うちには置いていませんがね、と私は言った。構いません、と彼は応えた。それより、申し訳ないのですがいまお金を持っていなくて、代わりにバナナで支払ってもよろしいでしょうか? バナナで? 別に構いませんが。どうもありがとうございます、はいこれ、バナナです。こうして彼は『カラマーゾフの兄弟』の上巻と下巻を手に入れ、私の手元にはバナナが残った。奇天烈な出来事だったし、昨日の今日なのではっきり覚えていた。いくら寂れた古本屋とはいえ、支払いにバナナが使われるなんてめったにあることではない。

 私がこの話をすると、警官たちの陰気そうな白い唇にほんのり朱が差したようだった。蛙はゲロッと鳴いた。バナナ! 男はバナナで支払ったっていうのですね? それでもって、どうしてあなたはバナナでの支払いなんて許可したんです?

 だって、中巻の抜けた上中下巻セットなんてあまり価値があるとは言えませんからね、バナナだとはいえ、支払ってもらっただけでも御の字ですよ、と私は応えた。それに、バナナで支払ってもらうなんて素敵だとあのときは思ったのだ。生活の中にちょっとのユーモアは欠かせない。しかし、もしかしたらそのユーモアを許容したせいで厄介なことに巻き込まれたのかもしれない。

 すみません、あの男がどうかしたのでしょうか、と私は蛙に聞いてみた。

 いえいえ、その男がどうかしたかという点はこの際気にしないことに致しましょう。ゲロッ。正直なところ、我々としてはその男自体よりその男があなたに渡したバナナの方に興味があるのです。

 あのバナナにですか、と私は驚いた。するとこの警官たちはバナナに関する捜査を進めているのだろうか。私が知る限りでは、バナナが違法になったという話は聞いたことがなかったが。あのバナナにご興味が?

 ええ、どんなバナナだったか覚えていらっしゃいますか?

 そうですねえ。どんなバナナだっただろう。いかにもバナナ然としたバナナだった気がします。ここ5年で見たバナナのうちでは一番美しいバナナでしたよ、反り方も、明るく上品なイエローの発色も。

 ええ、そのはずです、見た目はとっても良いのです、と蛙は鳴いた。ただ、そのバナナはちょっとばかり特殊なものでしてねえ。渡していただけたら実際にご説明して差し上げられるのですが、いまどこにあるのです?

 特殊! 私は思わず上ずった声を出してしまった。特殊なバナナですって? バナナに特殊も特殊じゃないもあるんですか? 先にどう特殊なのか説明していただけませんか? そうしていただくまでは、バナナのありかをお教えするわけにはいきませんよ。こちらにもなんとか権とかいうものがあると思いますので。私は仕方がなく少し強気に出た。私自身のためだった。あのバナナがどのように特殊なのか、その特殊さの種類によっては、このあとの私自身の身の振り方にも関わってきそうだったからだ。

 蛙ともう一人は顔を見合わせた。しばしの沈黙のあと、乾いた唇をピンクの舌で舐め回し、蛙が声をひそめ言った。いいですか、奥さん、そのバナナは、爆弾になっているのです。時限爆弾ではなく、何らかの刺激がきっかけになって爆発するタイプの爆弾です。しかしどんな刺激がスイッチになるのかは我々にもまだ分かっていない次第でしてね。とにかく恐ろしい威力を持っていることは明らかなのです。この店なんて木っ端みじんになってしまうような。我々はある男がその爆弾を所持していることを突きとめ、足取りを追っていたのですが、どうやらその男は、いつ爆発するともわからない爆弾に恐れをなして、誰かに押し付けることに決めたらしいのです。そしてなぜだか町のしがない古本屋が選ばれた。そう、昨日あなたが貰ったバナナが、その爆弾です。あなたは彼に厄介なものを体よく押し付けられたわけです。奥さん、そのバナナは我々が慎重に回収いたしますので、どうぞ、どこにあるのか教えてください。

 

 

 総合的に判断するに、私が今日の朝ミキサーにかけ、ミルクと混ぜ、シェイクにして飲んだものは爆弾だったらしい。

 私は警官たちに応えた。それがですね、昨日受け取ってからレジの横に置きっぱなしにしておいたのですけど、今朝私が店に降りてきたときには既になくなっていたのです。店のどこかに転がっているのか、それとも夜のうちに誰かが忍び込んで持って行ってしまったのかはわかりませんけどね。ただのバナナだと思って、なくなったこともそんなに気に留めていませんでしたが、爆弾となると事情が違いますね。どうぞ、店の中はご自由に探してみてください。どうせ誰も来ませんからね、お気になさらず、お好きなだけ。

 私の返答を聞いている間、彼らの薄い唇は白を通り越して藍色に染まっていき、歪みきり、乾燥しきって真ん中でぱっくり左右に割れてしまった。彼らは黙りこくって、窪んだ眼で5分も私を見つめ、ゲロッと小さく鳴いた。

 そのあと、彼らは私の店の中を慎重に5時間もうろうろし、念のためと言って2階の私の部屋まで3時間もきょろきょろして回った。私は彼らがそうしている間、法律書コーナーの掃除を済ませ、文庫本コーナーを出版社順から作者順に並べ直し、たまに訪れる客の相手をし、古いVHSを順番に再生して状態を確認した。日が傾いてきたころになって、警官たちは捜索を打ち切った。蛙がルノワールの画集をレジまで持ってきて、代金をきちんと現金で払った。

 去り際に蛙が私に聞いてきた。すみません、あなたが食べたってことはありませんよね?

 とんでもない、と私は言った。食べていたら素直に白状していますよ。だって爆弾なんでしょう?

 

 

 彼らが帰るのを見届けてから私は店を閉めた。入り口のドアに鍵をかけ、ブラインドを下ろし、大して増えも減りもしないレジの金を数え、そこにも鍵をかけ、電気を消し、2階の自分の部屋へと上がった。電気ポットでお湯を沸かし、コップに注ぎ、アールグレイのパックを入れて椅子に座った。なぜ警官に嘘をついたのか自分でも不思議だった。我ながら大胆なことをしたな、と思った。

 私の体内には小さな爆弾が無数に存在していた。それらは、いつ、どんなことで爆発するのかわからなかった。

 

あこがれ

 小学校に入り、学年が上がっていくにつれて、だんだん身の回りのあれこれが見えるようになってきた僕は、自分の住む町に少しネガティブな感情を抱きはじめた。もしかしたら自分の住むこの町は、この世界においても第一線級につまらない場所なんじゃないか。なぜって、高くてガラス張りのビルがないから。

 当時の僕は、幼心に「未来都市」への憧れを抱いていた。ガラス張りのビルが建っていて少し開けた場所はすべからく「未来都市」だった。自分の住んでいる第一線級につまらない場所を脱出し、ガラス張りのビルが建っていて少し開けた場所に行くたびに、僕は「未来都市だ!」と叫んでいた。未来都市だ! ビルがある! 人がいっぱいいる! ……ところが地元に帰るとどうだ、ビルなんて360度どこを向いても見つかりゃしない。

 

 そうした「未来都市」への微熱のような憧れとは別に、僕には「田舎」への、……何と言えばいいのだろう、そうだ、あれも憧れかもしれない。広大な田んぼの中にまばらに存在する家々。鉛筆でスッと引いたようなあぜ道をすれ違うどこかのお婆さんと僕。自転車の前かごから突き出した虫網に自分から止まりに来る赤とんぼ。昼寝から目覚め姿を変える白い雲。どこからか来て、どこかへと去っていく一両列車。僕は、裏山にある小さな社の石段に腰かけ、木漏れ日に手のひらを翳す。揺れる葉を見ているとどうしても眠くなる。まどろみから醒めると林の中はすでにひんやりしている。ミンミンゼミやアブラゼミの声がやみ、ヒグラシやコオロギが鳴き始める。僕は裏山を駆け降りる。西日に照らされる家々は映画館のスクリーンの前の観客のようだ。やがて太陽が山の向こうに隠れる。どこかで赤ん坊が泣いている。ふきのとうの煮物のにおいがする。

 ……これらは使い古されたイメージばかりだけれど、良くないですか? 当時の僕は、(あるいはもしかしたら今でも、)そういう「田舎」の心象風景にノスタルジックな憧れを持っていたのだ。そして、僕にとって、そういう「田舎」はなぜだかいつも山村だった。単純に海に馴染みがなかったからかもしれないし、もしくは、僕はもしかしたら山派なのかもしれない。とにかく、僕は自分の住んでいる第一線級につまらない場所を抜け出し、東京に背を向け、「田舎」で暮らすことをぼんやりと夢見ていた。

 

 「未来都市」と「田舎」だと後者の方がタチが悪い。なぜなら僕の住んでいた“第一線級につまらない場所”が既に田舎だったからだ。僕の住む家からちょっと歩けばもう田んぼだったし、その傍にはちょっぴり汚い沼があったし、夜11時にもなるとセブンイレブンと街灯以外に明かりがなかった。しかし、この程度では僕の憧れていた「田舎」には程遠かった。僕の住んでいる田舎は中途半端だった。ほんとうの「田舎」には街灯もセブンイレブンもない。代わりに、満天の星空がある。巨大な月が輝いている。もしかしたら、ホタルだって飛んでいるかもしれない。あーあ、ほんとうの「田舎」はいいなあ。

 ……タチが悪いでしょう?

 

 こういう、「田舎」へのタチの悪い憧れと、「未来都市」への微熱じみた憧れの両方を持っていたあの頃の僕がどうしていたかというと…………、毎日おとなしく家に帰っていた。何の行動を起こすこともしなかった。巨大なビル群のある街へ繰り出すこともなかったし、なだらかな山々に囲まれたあの山村を探し求め旅に出ることもなかった。つまらないなあと思いながら下校し、つまらないなあと思いながら就寝し、つまらないなあと思いながら次の朝を迎えていた。自分から行動を起こすのはちょっと怖かったし、面倒だった、のかもしれない。僕の側からどうにかするのではなく、もっと何か巨大な、謎の力が働いて、この町が刺激的な場所に変わるのを待っていた。

 

 

 そんなあの頃の僕に教えてあげたい。いま、きみの住む町はバナナ園になってしまっているよ、と。見渡す限りのバナナ。駅前も、一丁目も二丁目も三丁目もバナナだ。かつて田んぼや沼だったところもバナナに覆いつくされてしまった。人もすっかりいなくなってしまった。駅前にあった、あのみょうちきりんな中華料理屋も崩れ去ってしまったし、セブンイレブンも街灯もなくなってしまった。街の明かりと呼べそうなものはおおよそすべて消えてしまった。かといって、満天の星空があるわけでもない。異常成長したバナナが視界を遮っているからだ。

 僕は町に残った唯一の人間です。いま、僕は、唯一バナナの手を逃れている自分の部屋からこの文章を書いています。誰か助けてください。欲は言いません。せめて、あの頃の“第一線級につまらない場所”に戻してください…………