にしざわの日記

オレの夏…

バナ男の人生

 へえ、ご実家、バナナ園なんですか! すごい! 彼に出会った人はみな感嘆した。すごい! すっげえ! 大したもんだ! マジっすか! ヤバいっすね! へえ! ほお! グルーヴィ! 表現は様々だったけれど、みな一様に大きな声を上げ、身を乗り出した。日本に暮らしているなかで耳馴染みのない「バナナ園」というフレーズ、その得体の知れなさに興奮した。ほとんどの人にとって、バナナ園の息子と出会うのは彼が初めてだった。正確に言うと、ほとんど、ではなく、すべての人。彼がこれまで出会ったすべての人が、彼のほかにバナナ園の息子を知らなかった。売れない作家や絵が描けなくなった画家や30秒より長い曲を書かない音楽家のことは知っていても、バナナ園の息子は知らなかった。中南米の小さな国の大統領や、一年に一回宝くじを当てて暮らしている慎ましい超能力者や、スーパーマーケットのレジ打ちが日本で一番速いおじいさんのことは知っていても、バナナ園の息子は知らなかった。人々は身を乗り出し、目の前に座っている人当たりのよさそうな男が語り始めるのを待った。なにせ相手はバナナ園の息子だ、これまで聞いたことのないような類の人生を送ってきたに違いない、と人々は胸を躍らせた。

 しかしバナナ園の息子はその期待に応えられない。

 彼の実家のバナナ園は千葉県にあった。かなり大きなバナナ園だった。彼は両親が30代の終わりに差し掛かった頃に生んだ一人息子だった。幼い頃から、バナナの木と木の間を駆けずり回って遊んだ。もちろん食卓には毎朝バナナが並んだ。素バナナ。バナナ入りヨーグルト。バナナシェーク。バナナチップス。マッシュバナナ。また、母の創作バナナ料理を試食させられるのも彼の役回りだった。バナナパスタ。バナナ鍋。バナナの肉詰め。クレイジーバナナ。しかし、彼は多くの寓話の主人公とは異なり、実家で育てているものを嫌いにならなかった。彼の好物はカレーライスとバナナだった(が、母の作ったカレーバナナとバナナカレーはどうもいけなかった、と彼はのちに僕に語った)。バナナをかじり、サッカーとゲームボーイをやり、少年ジャンプを回し読みし、そしてバナナをかじって彼は育った。小学校5年のときから彼のあだ名は「バナ男」になった。バナ男はいつもバナナを持っていた。バナ男は明るく朗らかで歯のきれいな少年だった。バナ男の両親は、息子がバナナのせいで虫歯を作ったり、過度に贅肉をつけたりすることを良しとせず、きちんと育ってくれることを願い、ゆくゆくはバナナ園を継いでくれれば嬉しいと考えていた。そこでバナ男は中学受験をし、都内の中高一貫の男子校に入学する。小学校の友だちとは別れることとなったが、たまたま、彼は中学校でも「バナ男」になった。よく覚えていないけれど、自分でそう名乗ったのかもしれないし、周りの誰かが勝手に付けたのかもしれない。バナ男はサッカー部に入り、中学3年生のときにやめ、そのまま大きな抑揚のない思春期を過ごす。彼はバナナが下品な喩えに使われるのを嫌がった。教師の悪口や最近のロックの話やおっぱいの話で友だちと盛り上がるのも面白かったけれど、一方で、ひとりで映画を観に行ったり、でかい本屋をうろうろしたり、ちょっと背伸びをして種々の展覧会を覗き込んだりすることにひそかな楽しみを見出すようになった。実家のバナナ園がそのときまだとても大きかったので、彼はお小遣いをそれなりに貰っていて、ひとりであちらこちらを探索してみるのに不自由しなかった。学校が休みであっても、小さい頃のようにバナナ園の手伝いはせず、池袋まで出てきてジュンク堂を下から上まで這いずり回り、サンシャイン通りをおろおろ歩き、新文芸坐に2本立てを観に行き、うとうとして帰った。あるいは友だちと昼前に集まり、路上のあれこれにいちいち声を上げて笑いながら散歩をし、サイゼリヤミラノ風ドリアを食べ、カラオケでスピッツを歌って帰った。バナナは相変わらず好きだったし、バナナ園の向こうに沈む夕日の美しさに胸を詰まらせることもしょっちゅうだったけれど、自分がバナナ園を継いでいる姿はあまりイメージできなかった。イメージできないまま、やがてバナ男は国立大学の法学部へ進んだ。大学生になってからも当然「バナ男」だ。バナ男は文芸サークルに属し、そこではじめて恋人ができた。カールがかったショートヘアの女の子で、バナ男と同じようにビートルズのアルバムだと『ラバー・ソウル』が一番お気に入りで、そして、無類のバナナ好きだった。気恥ずかしいので両親には内緒で、バナ男は彼女を実家のバナナ園に連れていき、甘い映画のワンシーンのように木々の間でかくれんぼをしてはしゃぎ、これじゃ甘い映画のワンシーンみたいだね、と笑いあった。しかしその後の二人は甘い映画のようにはいかなかった。バナ男にとっての最良の日々は終わり、冬が来て、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、また冬が来て、いつしか彼は大学を卒業しようとしていた。彼は両親にバナナ園を継がない旨を告げる。作家になりたいんだ。そうか、何年かやってみて、駄目そうだったら戻ってきなさい。さすが、巨大なバナナ園を治めてきただけあって、バナ男の両親は寛大だった。バナ男は田端に小さな部屋を借り、小さな出版社でバイトをしながら、小さな短編を書き続けた。やがて同じ作家志望の若者たちとも交流するようになり、互いの文章を見せ合い、褒めるべき箇所は褒め、苦々しい箇所に対しては曖昧な笑みを浮かべた。バナ男の短編のたいていは、矮小化された人と人とのすれ違いを三人称で描いたものだった。愛し合う男女がやがて別々の道を辿ったり、仲良しだった二人がいつの間にか互いに気づかない振りをするようになったり、互いを知らない男女が結局最後まで知り合うことなく終わったりするような。あまり出来がいいとは言えない。いくつかの小さな文学賞に応募したが、選考を通過する気配はなかった。バナ男の短編を、光るものがあると思う、と評してくれた友人はどこかの新人賞を受賞して遠くへ行ってしまった。それとは別の何人かの友人はいつしかいなくなってしまった。バナ男の両親はときおり息子の田端の小さな部屋を訪れたが、訪れるたび、目に見えて白髪が増えていくようだった。最近、バナナ園はどうなの? 息子は父に訊ねた。それがなあ、バナナ園、そのうち閉めなくちゃいけなくなるかもしれん。そうなの。すまんな。いや、こっちこそごめんなさい。バナ男は27歳になっていた。バイトをしていた小さな出版社でそのまま社員として働くことになった。仕事上、いろいろな人と話をすることになる。彼と出会った人はみな彼の話を聞きたがる。へえ、ご実家、バナナ園なんですか! すごい! 人々は身を乗り出して彼が話し始めるのを待つ。彼は期待に応えられない。彼は少しおどけてこう言う、「あ~、いや、そのテンションで来られると困っちゃうんですけどねえ~」

僕らとバナナ

 我々の日常とバナナとの不思議な関係を巡るいくつかの語り。

 

 

木曜日のこと

 ホームで吉祥寺行きの電車を待っているときナオコから電話がかかってきた。アケミさ、今度の日曜って空いてる? アタシとユミとエリカちゃんでバナナ祭りに行こうと思ってるんだけど来る?

 ごめんナオコちゃん、日曜は空いてないや、とわたしは応えた。

 あ、そう、残念。また今度ね。

 うん、また今度。ナオコの方で通話を切るのを待ってから、わたしはスマホを耳からそっと離した。バナナ祭りがどんなものだかさっぱり見当もつかないけれど、そんなもののために貴重な日曜日を無駄にするわけにはいかない。

 

 

バナナと冗談

 バナナ使ってギャグやれって? そんなのできるわけないだろ。ないよ。ない。そんなニヤニヤして見られても何も出ないよ。ほんとうに何も思い浮かばないって。だってバナナだぜ? 無理だよ。絶対スベるって。ほら。

 

 

都市とバナナ

 すぐそこの交差点の僕らのオフィスビルがある側に、バナナ売りの屋台が来たことがあった。屋台はある朝忽然と現れ、交差点を拠点に定めたようだった。屋台は僕らが出勤する頃には既に交差点にいて、昼三時を回る頃にどこかへと姿を消した。こぢんまりとしていながらも、木張りの側面から、四つの車輪から、奇妙なくらい大きな看板、一枚布の日除けに至るまで、あらゆるパーツが真っ黄色に塗られた屋台の手押し車は、色彩の面でも、質量の面でも、この銀色で巨大なオフィス街において異質な存在となった。それに、匂いの面でも。見たところ、屋台はおよそ一万本ものバナナを搭載しているようだった。一本のバナナが放つ匂いは甘くトロピカルなものだが、一万本ともなるとそれは甘さやトロピカルさとはかけ離れたものになる。それは、ある種の圧力だった。一万本のバナナの放つ抗いようのない圧力が辺り一帯の空気構造を一変させ、オフィスビルの三階の高さまで薄緑の生暖かい靄がかかった。交差点を横切るだけで僕らのワイシャツは甘酸っぱい汗でびっしょり濡れた。すっかりのぼせ上がり、信号の青も赤も黄も、すべて平板な黄色に見えた。それだけ周囲に影響を及ぼしているにも関わらず、屋台は客引き文句を一切口にせず、ただ交差点の脇に構えていた。メニューもただバナナだけのようだった。チョコもかかっていなければ、焼かれても、ミキサーにかけられてもいない一万本のバナナが、こぢんまりとした手押し車の中に整然と並べられ、無表情で狭い空を仰いでいた。その交差点を利用する誰しもが、忽然と出現したバナナ売りの屋台とその一万本のバナナに気を取られたが、みな遠目に眺めるばかりで買う者はいなかった。しかし屋台は二日、三日と続けて出現し、オフィス街に一万本のバナナの圧力を振り撒いて僕らを攪乱した。三日目、バナナ好きを自認する僕らの同僚の一人が、真っ黄色のその屋台でバナナを一本購入した。おそらく彼は三日間を通じてはじめての客だった。すさまじく美味しいバナナだったぞ、しっとりとした口どけ、ものすごく強烈で、しかし度が過ぎるということもないような、身体中にゆっくり染み渡る甘さ、すべて飲み込んでしまってからも限りない多幸感が俺を包み込み、まるで大いなる母の腕に抱かれているようだった、と彼は鼻息荒く語った。それに見た目の美しさもこの上なかった、表皮の明るいイエローの発色も、内側の外光を柔らかく吸収する静謐な薄黄色も、一切あらのない滑らかな曲線美も、その反り具合も、俺が社会人になってから目にしたものの中でずば抜けて美しかった、と彼は恍惚の内に語った。へえ、それじゃあそのうち食べてみようかな、と僕らは口々に応えた。屋台はその後も毎日出現した。どういう仕掛けになっているのか、一万本のバナナは日が経っても完璧な美しさを保って積み上げられていた。毎日新しく入荷しているらしい。謎の粉を散布しているのでまったく腐りも痛みもしないらしい。そもそもあれは特殊なバナナらしい。様々な説が囁かれた。営業部一の美人で知られるスミノさんは毎日バナナを購入しているらしい。うちの部長は病弱な息子のために百本も買って帰ったらしい。あのバナナをマッシュして股間に塗るとあちらの具合が良くなるらしい。様々な噂が飛び交った。僕らは昼休みの廊下で互いの噂話を更新し、私見を交換し合い、そして毎回、そのうち買ってみたいよなあ、と締めくくって仕事に戻っていたのであった。ところがしばらく経つと、僕らの中で屋台の話題は徐々に下火になっていき、それぞれが思い思いに唱えていた説や噂はすっかり鳴りをひそめた。昼休みの廊下での議題はプロ野球や週末公開の映画やスーパー銭湯のことに戻っていった。奇妙なことだが、僕らは、交差点の脇に真っ黄色の屋台があり、辺り一帯に薄緑色の靄がかかり、交差点を横切るたびに汗だくになり、信号の色が見分けられないという状況に慣れつつあったのだ。バナナに興味がなくなったわけではない。是非とも食べてみたいと思っていたし、二十本くらい買って帰ってもいいとすら思っていた。そう、口には出さなかったが、誰もが思っていたに違いない。しかし、いつでも買えるだろうという判断が裏目に出たのだろうか、それとも屋台があまりに日常に溶け込みすぎたせいだろうか、僕らがバナナを購入することはついになかった。屋台のはじめての出現からちょうど一か月経った朝、交差点から屋台の姿が消えていた。あくる日も、またその次の日も屋台はなかった。生暖かい靄はきれいさっぱり晴れ、オフィスビルはふたたび銀色に輝きはじめ、空気は秋らしい風通しの良さを取り戻し、交差点に色彩がよみがえった。真っ黄色の屋台と一万本の美しいバナナはどこかへ移動してしまったようだった。どこか別のオフィス街へ、どこか別の都市へ。

 

 

かなしい話

 かなしい話、ですか。最近だとあれかなあ、久しぶりに会った昔の友だちがバナナダイエットにドはまりしてたのが一番かなしかったかなあ。あんな甘いもの食べて痩せるわけがないじゃないですか。なんでわからないかなあ。むかし、すごく仲良かった子なんですよ、磁石のエヌ極とエス極みたいに、映画でも音楽でも本でも、なんでも話が合ったのに、バナナになんてはまっちゃって。アンタも試してみれば、なんて言ってくるんですよ。それも、ものすごい熱烈におすすめしてくるって感じじゃなくて、気になるならやってみれば、みたいな素っ気ない調子で言ってくるの。ちょうど、高校のとき私にブラーの曲を教えてくれたみたいに。カート・ヴォネガットの本を貸してくれたみたいに。北野武の映画に連れて行ってくれたみたいに。素っ気なく。そういうところは変わってないんだなってなんだかおかしかった、けど、でも同時に、なんだかすごく遠いところに行っちゃったみたい。バナナだなんて。

 

 

バナナフットボール

 僕をドラフトで獲得した年のロサンジェルスラムズは、ひどく短いシーズンを過ごすこととなった。ラムズのみならず、ナショナル・フットボール・リーグ全体がシーズンを早々に中断することを決めた。それは、試合でバナナが用いられた最初で最後の年でもあった。その年、全世界でバナナが異常繁殖して生態系が大幅に崩れ、ナショナル・フットボール・リーグの大本営はチャリティの一環として、開幕戦から全試合、試合球としてバナナを用いることを発表したのだ。《試合球はすべてバナナ、長さや太さや反り具合や熟し具合に関わらず、審判団から見てバナナであると判断可能であるものであれば良しとする、また、プレー中、使用しているバナナが破損した場合は、ただちに別のバナナを用意する、ただし、破損したバナナは緊急時を除いてフィールド内に放置し、試合後にまとめて回収する。》大本営の発表した新ルールに基づいてロサンジェルスラムズ対サンフランシスコ・フォーティーナイナーズの開幕戦は行われ、僕は先発タイトエンドとして出場した。ラムズのオフェンスから始まった第一クォーターの最初のプレー、クォーターバックが僕に向かって放ったパスはフォーティーナイナーズのラインバッカ―にはじき落され、僕もラインバッカーもそのバナナに足を滑らせた。僕は両膝を開放骨折し、プロフットボールプレーヤーとしての短いキャリアを終えた。フォーティーナイナーズのラインバッカーは転んだ時に片肺をぺしゃんこに潰してしまったらしかった。その後もほぼ毎プレーごとにバナナは破損し、それに足を滑らせたプレーヤーたちが次から次へと怪我を負い、第一クォーターの終わり頃、ラムズ、フォーティーナイナーズ同時に棄権を申し出た。もうサイドラインにも誰も残っていなかった。フィールドはバナナだったものとプロテイン混じりの血で埋め尽くされていた。両チーム合わせて五十人の選手が引退を余儀なくさせられた。試合中に破損したバナナは約一万本、五台のトラックによってスタジアム外に運び出され、処理場を求めてロサンジェルスの街を駆けずり回った。その後一週間、街はぐちゃぐちゃになった大量のバナナのすえた腐臭に悩まされることとなった。ラムズ対フォーティーナイナーズの試合のみがこのような有様だったわけではない。全米中で同時に開始していたその他の試合も暗澹たる結果に終わった。各試合で、バナナのイエローと血のレッドと人工芝のグリーンがフィールド内に幻想的な模様を描き出した。フィラデルフィア・イーグルスニューヨーク・ジャイアンツの試合でも、タンパベイ・バッカニアーズミネソタ・バイキングスの試合でも、アトランタ・ファルコンズデトロイト・ライオンズの試合でも、フィールドにジャクソン・ポロックの作品が出現した。雪崩のごとく病院に担ぎ込まれていく選手たちはみなパブロ・ピカソの作品のように歪んでしまっていた。事態を重く見たナショナル・フットボール・リーグ大本営は、その年のシーズンの中断と非バナナ宣言を発表した。《我々はリーグからバナナを永久追放する。》でも、時すでに遅し。僕は自分のプロフットボールプレーヤーとしてのキャリアがバナナのせいで終わってしまったのがとても悲しいのです。

 

 

バナナ食べる?

 え、バナナあるの? じゃあいただこうかな。え、ないの? じゃあいいよ。そりゃ、あったら食べたいけど、なかったら食べないよ。

 

バナナ・ボム

 店に警官がやってきた。私は法律書コーナーの埃をはたきではらっているところだった。

 警察です、と彼らは言った。背が高く胸を張った男と、背が低いうえに猫背の男の二人組。内側にひどく窪んだ眼と、息も吸えなさそうな鉤鼻からは、正義感のかけらも感じられなかった。それに何と言っても唇だ。彼らの唇は薄く、白く、乾燥し、陰気そうに歪んでいて、ついさっき墓地から掘り出してくっつけたみたいだった。が、警察を名乗っている以上、ほんとうに警察なのだろう。制服もそれなりにきっちり決まっていた。疑う余地はない。

 微笑を浮かべているつもりなのだろうか、彼らは口元に黒ずんだ皺を寄せながら、私の店に入ってきた。背の低い方の警官が狭い店内をぐるりと見回し、いいお店ですね、と私に言った。深い井戸の中でジメジメした蛙が鳴いているような声だった。

 狭いですし、ほとんど人も来ませんけどね、と私は応えた。慌ててはたきをエプロンのポケットにしまい、慌ててレジの方へ戻った。実のところ少し緊張していたのだ。平日の午前中の狭い古本屋に、警官が二人も踏み込んできている光景というのはあまり穏やかではない。

 お話を伺ってもよろしいですか、と背の低い方が言ったあと、蛙よろしくゲロッと鳴いた。少しだけお時間をいただけるとありがたいのですが。ゲロッ。

 こういう場合、よろしいもよろしくないもないのだ。ええどうぞ、どうせ暇ですから、と私は言った。奥に上がりますか?

 いえ、ここで結構です、と丁寧に蛙は言った。ルノワールの画集の背を短い指でなぞりながら彼は続けた。では早速本題に入りたいのですが、昨日の午後、この店に来た男のことを覚えていますか? 年齢は30くらいで、身長は、そうですね、ちょうどこの本棚のこの段くらいだったはずなのですが。

 お話というから、失踪した夫や息子のことだと思ったのだがどうやら違うらしい。夫は30歳より更に30くらい年をとっていたし、息子はちょうど30歳だが、背は蛙が指し示した位置よりずっと高かった。私はポケットに入れたはたきを手でいじりながら応えた、昨日の午後ですか? 30歳で160センチメートルの男?

 そうです、と蛙は頷いた。難しいかもしれませんが、昨日の午後に来た男の客をできるかぎり思い出してみてほしいのです。

 昨日の午後に来た男の客をできるかぎり思い出してみるのは、そんなに困難なことではなかった。せいぜい片手の指で数え切れる程度しか来なかったからだ。20年前のスペインの観光ガイドを売りに来た男が一人。一時間近く店内を歩き回ったあげく、何も買わずに出ていった男が三人。文庫のドストエフスキーを買っていった男が一人。このうち30歳くらいで160センチメートルくらいの男といったら、最後に挙げた一人しかいない。

 30歳で160センチメートルの男ですよね、思い出せそうだわ、と私は蛙に言った。蛙と、もう一人の背の高い警官は顔を見合わせ、陰気そうに歪んだ唇をさらに歪ませて頷きあった。

 よかったです、その男のことを詳しく覚えていますか、と蛙が聞いてきた。

 ええ、覚えています、と私は言った。

 実際、その男のことははっきり覚えていた。新潮文庫の『カラマーゾフの兄弟』の上巻と下巻を買っていったのだ。お客さん、これほんとうは中巻もあるんですよ、うちには置いていませんがね、と私は言った。構いません、と彼は応えた。それより、申し訳ないのですがいまお金を持っていなくて、代わりにバナナで支払ってもよろしいでしょうか? バナナで? 別に構いませんが。どうもありがとうございます、はいこれ、バナナです。こうして彼は『カラマーゾフの兄弟』の上巻と下巻を手に入れ、私の手元にはバナナが残った。奇天烈な出来事だったし、昨日の今日なのではっきり覚えていた。いくら寂れた古本屋とはいえ、支払いにバナナが使われるなんてめったにあることではない。

 私がこの話をすると、警官たちの陰気そうな白い唇にほんのり朱が差したようだった。蛙はゲロッと鳴いた。バナナ! 男はバナナで支払ったっていうのですね? それでもって、どうしてあなたはバナナでの支払いなんて許可したんです?

 だって、中巻の抜けた上中下巻セットなんてあまり価値があるとは言えませんからね、バナナだとはいえ、支払ってもらっただけでも御の字ですよ、と私は応えた。それに、バナナで支払ってもらうなんて素敵だとあのときは思ったのだ。生活の中にちょっとのユーモアは欠かせない。しかし、もしかしたらそのユーモアを許容したせいで厄介なことに巻き込まれたのかもしれない。

 すみません、あの男がどうかしたのでしょうか、と私は蛙に聞いてみた。

 いえいえ、その男がどうかしたかという点はこの際気にしないことに致しましょう。ゲロッ。正直なところ、我々としてはその男自体よりその男があなたに渡したバナナの方に興味があるのです。

 あのバナナにですか、と私は驚いた。するとこの警官たちはバナナに関する捜査を進めているのだろうか。私が知る限りでは、バナナが違法になったという話は聞いたことがなかったが。あのバナナにご興味が?

 ええ、どんなバナナだったか覚えていらっしゃいますか?

 そうですねえ。どんなバナナだっただろう。いかにもバナナ然としたバナナだった気がします。ここ5年で見たバナナのうちでは一番美しいバナナでしたよ、反り方も、明るく上品なイエローの発色も。

 ええ、そのはずです、見た目はとっても良いのです、と蛙は鳴いた。ただ、そのバナナはちょっとばかり特殊なものでしてねえ。渡していただけたら実際にご説明して差し上げられるのですが、いまどこにあるのです?

 特殊! 私は思わず上ずった声を出してしまった。特殊なバナナですって? バナナに特殊も特殊じゃないもあるんですか? 先にどう特殊なのか説明していただけませんか? そうしていただくまでは、バナナのありかをお教えするわけにはいきませんよ。こちらにもなんとか権とかいうものがあると思いますので。私は仕方がなく少し強気に出た。私自身のためだった。あのバナナがどのように特殊なのか、その特殊さの種類によっては、このあとの私自身の身の振り方にも関わってきそうだったからだ。

 蛙ともう一人は顔を見合わせた。しばしの沈黙のあと、乾いた唇をピンクの舌で舐め回し、蛙が声をひそめ言った。いいですか、奥さん、そのバナナは、爆弾になっているのです。時限爆弾ではなく、何らかの刺激がきっかけになって爆発するタイプの爆弾です。しかしどんな刺激がスイッチになるのかは我々にもまだ分かっていない次第でしてね。とにかく恐ろしい威力を持っていることは明らかなのです。この店なんて木っ端みじんになってしまうような。我々はある男がその爆弾を所持していることを突きとめ、足取りを追っていたのですが、どうやらその男は、いつ爆発するともわからない爆弾に恐れをなして、誰かに押し付けることに決めたらしいのです。そしてなぜだか町のしがない古本屋が選ばれた。そう、昨日あなたが貰ったバナナが、その爆弾です。あなたは彼に厄介なものを体よく押し付けられたわけです。奥さん、そのバナナは我々が慎重に回収いたしますので、どうぞ、どこにあるのか教えてください。

 

 

 総合的に判断するに、私が今日の朝ミキサーにかけ、ミルクと混ぜ、シェイクにして飲んだものは爆弾だったらしい。

 私は警官たちに応えた。それがですね、昨日受け取ってからレジの横に置きっぱなしにしておいたのですけど、今朝私が店に降りてきたときには既になくなっていたのです。店のどこかに転がっているのか、それとも夜のうちに誰かが忍び込んで持って行ってしまったのかはわかりませんけどね。ただのバナナだと思って、なくなったこともそんなに気に留めていませんでしたが、爆弾となると事情が違いますね。どうぞ、店の中はご自由に探してみてください。どうせ誰も来ませんからね、お気になさらず、お好きなだけ。

 私の返答を聞いている間、彼らの薄い唇は白を通り越して藍色に染まっていき、歪みきり、乾燥しきって真ん中でぱっくり左右に割れてしまった。彼らは黙りこくって、窪んだ眼で5分も私を見つめ、ゲロッと小さく鳴いた。

 そのあと、彼らは私の店の中を慎重に5時間もうろうろし、念のためと言って2階の私の部屋まで3時間もきょろきょろして回った。私は彼らがそうしている間、法律書コーナーの掃除を済ませ、文庫本コーナーを出版社順から作者順に並べ直し、たまに訪れる客の相手をし、古いVHSを順番に再生して状態を確認した。日が傾いてきたころになって、警官たちは捜索を打ち切った。蛙がルノワールの画集をレジまで持ってきて、代金をきちんと現金で払った。

 去り際に蛙が私に聞いてきた。すみません、あなたが食べたってことはありませんよね?

 とんでもない、と私は言った。食べていたら素直に白状していますよ。だって爆弾なんでしょう?

 

 

 彼らが帰るのを見届けてから私は店を閉めた。入り口のドアに鍵をかけ、ブラインドを下ろし、大して増えも減りもしないレジの金を数え、そこにも鍵をかけ、電気を消し、2階の自分の部屋へと上がった。電気ポットでお湯を沸かし、コップに注ぎ、アールグレイのパックを入れて椅子に座った。なぜ警官に嘘をついたのか自分でも不思議だった。我ながら大胆なことをしたな、と思った。

 私の体内には小さな爆弾が無数に存在していた。それらは、いつ、どんなことで爆発するのかわからなかった。

 

あこがれ

 小学校に入り、学年が上がっていくにつれて、だんだん身の回りのあれこれが見えるようになってきた僕は、自分の住む町に少しネガティブな感情を抱きはじめた。もしかしたら自分の住むこの町は、この世界においても第一線級につまらない場所なんじゃないか。なぜって、高くてガラス張りのビルがないから。

 当時の僕は、幼心に「未来都市」への憧れを抱いていた。ガラス張りのビルが建っていて少し開けた場所はすべからく「未来都市」だった。自分の住んでいる第一線級につまらない場所を脱出し、ガラス張りのビルが建っていて少し開けた場所に行くたびに、僕は「未来都市だ!」と叫んでいた。未来都市だ! ビルがある! 人がいっぱいいる! ……ところが地元に帰るとどうだ、ビルなんて360度どこを向いても見つかりゃしない。

 

 そうした「未来都市」への微熱のような憧れとは別に、僕には「田舎」への、……何と言えばいいのだろう、そうだ、あれも憧れかもしれない。広大な田んぼの中にまばらに存在する家々。鉛筆でスッと引いたようなあぜ道をすれ違うどこかのお婆さんと僕。自転車の前かごから突き出した虫網に自分から止まりに来る赤とんぼ。昼寝から目覚め姿を変える白い雲。どこからか来て、どこかへと去っていく一両列車。僕は、裏山にある小さな社の石段に腰かけ、木漏れ日に手のひらを翳す。揺れる葉を見ているとどうしても眠くなる。まどろみから醒めると林の中はすでにひんやりしている。ミンミンゼミやアブラゼミの声がやみ、ヒグラシやコオロギが鳴き始める。僕は裏山を駆け降りる。西日に照らされる家々は映画館のスクリーンの前の観客のようだ。やがて太陽が山の向こうに隠れる。どこかで赤ん坊が泣いている。ふきのとうの煮物のにおいがする。

 ……これらは使い古されたイメージばかりだけれど、良くないですか? 当時の僕は、(あるいはもしかしたら今でも、)そういう「田舎」の心象風景にノスタルジックな憧れを持っていたのだ。そして、僕にとって、そういう「田舎」はなぜだかいつも山村だった。単純に海に馴染みがなかったからかもしれないし、もしくは、僕はもしかしたら山派なのかもしれない。とにかく、僕は自分の住んでいる第一線級につまらない場所を抜け出し、東京に背を向け、「田舎」で暮らすことをぼんやりと夢見ていた。

 

 「未来都市」と「田舎」だと後者の方がタチが悪い。なぜなら僕の住んでいた“第一線級につまらない場所”が既に田舎だったからだ。僕の住む家からちょっと歩けばもう田んぼだったし、その傍にはちょっぴり汚い沼があったし、夜11時にもなるとセブンイレブンと街灯以外に明かりがなかった。しかし、この程度では僕の憧れていた「田舎」には程遠かった。僕の住んでいる田舎は中途半端だった。ほんとうの「田舎」には街灯もセブンイレブンもない。代わりに、満天の星空がある。巨大な月が輝いている。もしかしたら、ホタルだって飛んでいるかもしれない。あーあ、ほんとうの「田舎」はいいなあ。

 ……タチが悪いでしょう?

 

 こういう、「田舎」へのタチの悪い憧れと、「未来都市」への微熱じみた憧れの両方を持っていたあの頃の僕がどうしていたかというと…………、毎日おとなしく家に帰っていた。何の行動を起こすこともしなかった。巨大なビル群のある街へ繰り出すこともなかったし、なだらかな山々に囲まれたあの山村を探し求め旅に出ることもなかった。つまらないなあと思いながら下校し、つまらないなあと思いながら就寝し、つまらないなあと思いながら次の朝を迎えていた。自分から行動を起こすのはちょっと怖かったし、面倒だった、のかもしれない。僕の側からどうにかするのではなく、もっと何か巨大な、謎の力が働いて、この町が刺激的な場所に変わるのを待っていた。

 

 

 そんなあの頃の僕に教えてあげたい。いま、きみの住む町はバナナ園になってしまっているよ、と。見渡す限りのバナナ。駅前も、一丁目も二丁目も三丁目もバナナだ。かつて田んぼや沼だったところもバナナに覆いつくされてしまった。人もすっかりいなくなってしまった。駅前にあった、あのみょうちきりんな中華料理屋も崩れ去ってしまったし、セブンイレブンも街灯もなくなってしまった。街の明かりと呼べそうなものはおおよそすべて消えてしまった。かといって、満天の星空があるわけでもない。異常成長したバナナが視界を遮っているからだ。

 僕は町に残った唯一の人間です。いま、僕は、唯一バナナの手を逃れている自分の部屋からこの文章を書いています。誰か助けてください。欲は言いません。せめて、あの頃の“第一線級につまらない場所”に戻してください…………

納涼について

 

暑い!

 あーあ。今年も失敗しました。今年もまた、僕らは、夏を僕らのものにすることができませんでした。今年もまた、浴衣姿で汗ばむあの子や、ぬるくなったサイダーや、ほかに誰も乗っていない電車の窓から見上げる入道雲を、僕らは掴み損ねてしまいました。そうやって僕らの手を逃れた夏は、いまやひとりでに暑さを増していくモンスター! ノスタルジックでもエモーショナルでもなんでもない。ただただ暑い。このままどれくらい暑くなってしまうんだろう? 38? 39? 40?

 ……50?

 

納涼すること

 50度にまで上がったらさすがにしんどい。やっぱりせめて37度。37度までだったらなんとか涼しくできる、気がします。だって僕らはさまざまな納涼術を知っています。なにしろ、「納涼」でググったら約7960000件、「夏 ライフハック」でググったら約1770000件ヒットする時代です。僕自身は納涼にそんなガツガツ取り組むわけではないけれど、それでも身の回りで労せずできることはやっているつもりです。臆面もなくハーパンを履くし、炭酸水をガブガブ飲んでグワグワげっぷするし、涼しげな游ゴシック体を使います。

 

 納涼術は、ほんとうに暮らしの隅から隅まで張り巡らされている上に、時代ごとの変遷というのもかなりあるようです。たとえば「アスファルトの上でいかに涼しく過ごすか」というテーマに関して詳しく見てみましょう。

 古くから「水を撒いてみる」という唯一無二のソリューションが他を圧倒してきたこの分野ですが、1960年代末からカルト的人気を誇ったのが「逆に裸足で歩いてみる」というもの。これは実際にやってみなくてもわかるのだけど、納涼でもなんでもなくて、ふつうに暑いし痛い。カウンターカルチャーでしょうか、時代を感じさせますよね。それから、80年代に台頭したのが、「いい感じに写真に収めてみる」。ファッション雑誌・カルチャー雑誌ブームの頃でしょうか。夏場のアスファルトの上の空気ってどことなく揺らぎがあって、それをカメラで捉えられたら、あれ不思議と涼しい! というわけですね。僕、これは結構好きだな。もちろんそんな写真くらいで涼しくなるわけはないのだけれど、なんとなくそんな気がする、ってやつ。言語化できない《なんとなく》を大事にしたい。

 はい、そしてバブルに突入すると「とにかく金で解決する」風潮が出てきますね。アスファルトが暑いんだったらそこら辺の土地一帯全部買い占めちゃえばいいじゃない、という力技です。でもこれ、さっきの写真どころじゃない。これこそ、ほんとうに何の解決にもなっていないんです。そういう支離滅裂・荒唐無稽をすんなり受容する空気があった。それがバブルだったんですね。しかし、それもはじけてしまう。そうすると人々とアスファルトの関係も停滞します。90年代の、特に後半は、「何もしない」期でした。

 ノストラダムスの大予言が外れ、無事に2000年代に入ると、様々な分野で原点回帰が叫ばれます。ほら、世界は滅びなかったじゃないか、俺たちまたゼロから始めようじゃないの、と。アスファルト納涼術も例に漏れません。長い混迷を経て人々がたどり着いたのは、原点、「水を撒いてみる」でした。そうして現在に至るまでアスファルトには水が撒かれ続けているわけです。

 人々はアスファルトの上でいかに涼しく過ごしてきたのか。そこには、時代時代のカルチャーを反映したダイナミックな変遷があったんですねえ。

 

 あったんですねえ(感慨)、じゃなくて、僕がしたかったのは、納涼とカルチャーは深く結びついている、という話でした。カルチャーあるところに納涼あり。カルチャー変われば納涼も変わる。さっき「納涼術は、ほんとうに暮らしの隅から隅まで張り巡らされている」と言ったのはそういうことです。逆に言うと、カルチャーや暮らしの外に納涼は存在しない。

 カルチャーや暮らしの外?

 

トイレ!

 カルチャーや暮らしの外?

 トイレ! うんこ!

 トイレという空間や、うんこをするという営為自体が、ふだんカルチャーや暮らしの文脈で語られることはほぼありません。乃木坂46も、『風の歌を聴け』の「僕」も、ブラピも、ダフト・パンクもうんこしないんです。「うんこ」というワードこそキャッチーでポップってことである程度の社会的地位を得てはいるけれど、それは記号としてのうんこに過ぎません。「うんこ! うんこ!」とはしゃぐ小学生は、実際にうんこをすること=うんこingのことを思い浮かべているわけではないのです。そして当然、うんこingの場としてのトイレのことを口に出す人もいません。ふだん僕らが生活する中で、トイレの話は禁忌です。

 では、用を足す空間について話すことは、絶えず禁忌だったのかしら。いや、そういうわけではない。かつて、谷崎潤一郎は日本の「厠」を礼賛しました。

 

「……茶の間もいゝにはいゝけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻うなりさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。私はそう云う厠にあって、しと/\と降る雨の音を聴くのを好む。殊に関東の厠には、床に細長い掃き出し窓がついているので、軒端や木の葉からしたゝり落ちる点滴が、石燈籠の根を洗い飛び石の苔を湿おしつゝ土に沁み入るしめやかな音を、ひとしお身に近く聴くことが出来る。まことに厠は虫の音によく、鳥の声によく、月夜にもまたふさわしく、四季おり/\の物のあわれを味わうのに最も適した場所であって、恐らく古来の俳人は此処から無数の題材を得ているであろう。されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした。これを西洋人が頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方が遙かに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。……」(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』より抜粋)

 

 涼しげ。

 谷崎さんは「厠」を、日本家屋や漆器や筆や紙や羊羹といったものとまったく同列に、日本の美として語りました。そのとき「厠」は確実にカルチャーや暮らしの内部に位置していたのです。

 でも、残念ながら、谷崎さんのおっしゃる「厠」は今や絶滅危惧種です。大抵は西洋式の「トイレ」に取って代わられ、「頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌む」対象となってしまいました。

 しまいました、なんて言うと現代のトイレをずいぶん非難しているように聞こえてしまいますね。いやいや、トイレも悪くはないんです。たとえば、現代に生きる僕らの身体にとっては、和式便所にかがみこむよりは、洋式便所にちょこんと腰かける方が、はるかに用は足しやすい。問題は暑さです。(谷崎さんの美文を読む限り)一年中涼しげな厠と違って、夏場のトイレはほんとうに暑い。汗がだらだらだらだら。でも、その暑さはいかんともしがたい。トイレに関しての納涼術は聞いたことがありません。かといってふつうの納涼術をトイレに応用するのもなんともしっくりこない。試しにトイレに風鈴を吊るしてみましょう。フンッと踏ん張ると、カランと鳴る。涼しくも何ともなりません。

 トイレという空間やうんこをするという営為は、どうもやっぱり納涼とは結び付けられないみたいなのです。なぜなら、それらは今や、カルチャーや暮らしの外に位置してしまっているから。

 

 僕らは夏場のトイレの暑さを我慢するしかないみたいです。音楽でも聴きながら。

 

 プレイリスト

(↑ これで全曲30秒ずつ視聴できるみたいです)

https://itunes.apple.com/jp/playlist/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%B3%E5%86%B7%E3%81%88%E3%81%97%E3%81%9F%E8%85%B9%E3%82%92%E6%8A%B1%E3%81%88%E3%81%A6%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%81%AB%E3%81%93%E3%82%82%E3%82%8B/idpl.7a70d47586df4fdf805a74a2fcdc1c93

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「エアコン冷えした腹を抱えてトイレにこもる」

  1. Fire Trail / Antonio Sanchez
  2. Robot Rock / Daft Punk
  3. ささやき / ミツメ
  4. Loomer / My Bloody Valentine
  5. Slow Slippy / Underworld
  6. Close To You / Frank Ocean
  7. Codex / Radiohead
  8. 疲れない人 / フィッシュマンズ
  9. Our Way To Fall / Yo La Tengo
  10. Say Yes / Elliott Smith
  11. A Certain Romance / Arctic Monkeys
  12. K2 / スチャダラパー
  13. GET UP AND DANCE / スチャダラパー

 

 これは謎のおじいさんが僕に送ってくれたApple Musicのプレイリストで、「エアコン冷えした腹を抱えてトイレにこもる」という題が付いています。その名の通り、エアコン冷えした腹を抱えてトイレにこもるとき用のプレイリストでしょう。13曲で約47分。たしかに、夏場にエアコンで腹が冷えてトイレに駆け込んだ時って、それくらい時間が経っちゃうこともありますよね。それで、またそのトイレがクソ暑いんですよねえ。直前まで涼しい部屋にいた分、余計に暑さが身を焦がします。あちいあちい言いながら、便座に腰かけるわけです。しょうがないなあ、納涼になるわけじゃないけど、音楽を聴こう。

 どんな曲が並んでいるのか、謎のおじいさんが軽い解説のようなものも合わせて送ってくれていたので転載します。

 

  1. Fire Trail / Antonio Sanchez

 これは映画『バードマン あるいは(うんたらかんたら)』のサントラから持ってきたトラックです。アントニオ・サンチェスさんは南米のどこかのジャズドラマーです。『バードマン』のサントラはこの人のドラムソロと、数曲のクラシック曲から構成されています。全編長回しで撮影したかのように見せる演出と、それに乗っかるドラムが奇跡のように嚙み合った素晴らしい映画でした。孫もとても喜んでいました。

 

  1. Robot Rock / Daft Punk
  2. ささやき / ミツメ
  3. Loomer / My Bloody Valentine

 ここは繋がりを意識しました。1から2への入り方はもちろんバシッと決めたつもりですし、その後の流れで、当初の腹痛が徐々に収まる様子を描いたつもりです。2→3→4と続くにつれ、なんとなく音像がぼやけていくでしょう?

 

  1. Slow Slippy / Underworld

 これは『トレインスポッティング』の続編として今年公開された『T2』の中で使用されていたトラックで、後半にかけてあの名曲「Born Slippy」の亡霊が漂ってくるような構成になっています。映画自体も、20年前の自分たちの亡霊を振り払うことができないまま、それでも物語は続いていく、といったような素晴らしい続編でした。孫もとても喜んでいました。

 

  1. Close To You / Frank Ocean

 当代きっての天才フランク・オーシャンが昨年発表した大傑作アルバム『Blonde』から、カーペンターズのカバーを。というより、正確にはカーペンターズをカバーしたスティービー・ワンダーのそのまたカバーなんですね。スティービーが何かの番組でトークボックスを使って歌った部分が、実はこの曲の最後にもサンプリングされています。

 
Stevie Wonder Talkbox Medley (Close To You / Never Can Say Goodbye)

 

  1. Codex / Radiohead

 レディオヘッド

 

  1. 疲れない人 / フィッシュマンズ

 そういえば、実は私、フィッシュマンズの最後の方のアルバムを聴きそびれてこの歳まで生きてきました。どなたか貸してください。

 

  1. Our Way To Fall / Yo La Tengo

 前の曲で「疲れない人を呼んでるさ」と呼ばれて飛び出たのは、私的に疲れないバンドランキング上位のヨ・ラ・テンゴです。彼らのバンドとしてのスタンスにも由来するのでしょうが、彼らの曲は聴いていて疲れません。この曲と、この曲が入ったアルバムは特に。

 

  1. Say Yes / Elliott Smith

 稀代のソングライター、エリオット・スミスさんですが、私が彼の曲を知った頃にはすでに彼は他界していました。

 

  1. A Certain Romance / Arctic Monkeys

 アークティック・モンキーズの曲の中ではまだこの曲が一番好きな気がします。どんなことを歌っているのだろうと昔調べたときの頼りない記憶ですが、たしかこの曲は「ガキの頃は仲良かった友だちも、お互いずいぶん変わって、遠く離れてしまった」というような歌詞だったような。『スタンド・バイ・ミー』的な世界観ですね。ちなみに私の友だちはもう皆他界してしまいました。

 

  1. K2 / スチャダラパー

 「メッセージフロム小泉でした。ピース!」

 

  1. GET UP AND DANCE / スチャダラパー

 最後にこのどんちゃん騒ぎを聴きながらうんこを終わらせてトイレを出ましょう。トップバッターを飾るANIがほんとうに何を言っているかわからなくて、もういとおしくてたまらないわけです。ちなみにこの曲の元ネタもYouTubeのどこかにありました。YouTubeを教えてくれた孫にはとても感謝しています。

『ひよっこ』について

 『ひよっこ』(http://www.nhk.or.jp/hiyokko/)、ねえ。良いですよねえ。最近の朝ドラじゃ一番じゃないかなと思うわけです。有村架純は作品に恵まれている感があるし、良い女優になってきた感もあります。

 さて、このドラマの良さについていくつか考えたので、今回は3つ発表します。

 

 まずひとつは、物語が進まないこと。

 このドラマ、もちろん細かい部分は常に動き続けているけれど、大筋としてはずっと「行方不明になったお父さん(沢村一樹)を探している」状態で止まっているんですよね。なんでそんなことになるか。それは、主人公・谷田部みね子(有村架純)が“待ち”のヒロインだからなのです。彼女は、お父さんを探すといっても、血眼になって東京中を捜索するわけではない。電柱にポスターを貼ったりもしない。「お父さん、どこにいますか」と心で問いかけながら、彼女は、東京の街で懸命に彼女自身の生活を送っているのです。

 この“待ち”の人物像が、物語全体のペースメーカーとなっていることは間違いありません。『ひよっこ』がどれくらい遅いか。去年の『べっぴんさん』と比較してみましょう。『べっぴんさん』では早くも4週目くらいにはヒロインは結婚して子供までいたのですが、『ひよっこ』においては、10週経過した今も、ヒロインのみね子にはまだカレシすらいないんですよね。遅い。

 物語が進まないことによって、周囲の人々とみね子とのコミュニケーションが密になる。話が大きく動かない分、会話が密に描かれることになるのです。『ひよっこ』においては、人々が輪になって語らうシーンが幾度も描かれます。奥茨城の谷田部家の居間において。乙女寮のあの夕日差す部屋において。すずふり亭裏のたまり場において。あかね荘の共同キッチンや漫画家の青年たちの部屋において。そこでは、ときに語り手が声を震わせながらそれぞれの物語を明かし、思いをぶつけ合います。みね子と時子(佐久間由衣)は悪口をぶつけ合い、ケンカし、最後には「あんたが好きだよ!」なんて怒鳴り合います。あかね荘の住人たちはお互いの悪口をあげつらい、みね子の「お互いのことよくご存じなんですね?」にハッとします。

 そして、ときに語り手は、声が割れるまで叫ぶ。腹の底から発声された叫びは、テレビの前の僕らのはらわたにまで届きます。トランジスタ工場閉鎖の時の豊子(藤野涼子)の閉じこもり事件、あの長ゼリフ、涙なしには見られませんでしたよね。先週の、宗男おじさん(峯田和伸)とみね子の叫びも!

 

 ふたつめは、ナレーション。

 『ひよっこ』においては、全く異なる2種類のナレーションが混在します。片方は、みね子によるお父さんへのパーソナルな語りかけ。作中の様々な場面で、彼女は「お父さん、」と語りかけます。「お父さん、どこにいるのですか」、「お父さん、みね子は東京で生きています」、「お父さん、この年の瀬に、私、失業者です」、「お父さん、みね子は東京に自分の部屋を借りました」、……娘から父への極めてパーソナルな報告が、テレビのこちら側の僕らと共有されます。それは切なく響く。いまここにいない人に向けての語りかけを、有村架純は目を潤ませ、けれどしっかり前を見つめて繰り返します。

 もう片方のナレーションは、マラソン解説などで活躍する増田明美による実況。彼女がこのドラマでやっていることは完全に実況であり、その視座は僕らと同じ現在=2017年に置かれています。「今とは全然違うんですねえ」、「おや、この青年、要注目ですね」、「あら! 今日は部屋の中だけで終わってしまいましたね」、「こういうおかしなおじさん、いましたよねえ」、「ビートルズ、大変な人気だったんですねえ」、……増田明美は絶妙なタイミングで物語の実況をし、感想を述べ、場合によっては解説を入れます。その視線は、僕らと同じくテレビのこちら側からの視線です。彼女は、僕らの代表的視聴者として、持ち前の明るいトーンで『ひよっこ』を彩るのです。

 この、パーソナルとコモン、切なさと陽気さ、対照的な2種類のナレーションが全く並列的に立ち現れるのが、『ひよっこ』の大きな魅力の一つなわけです。

 

 そしてみっつめ、生き生きとした暮らし。

 『ひよっこ』は時代設定が主に60年代以降なため、現在にも通じる戦後カルチャーがさまざま登場します。みね子たちは奥茨城で東京オリンピック聖火リレーを走り、上野駅は老若男女でごった返し、向島電機の乙女寮ではカレーやナポリタンを食べ、仲間たちと銭湯に出かけ、メロンソーダを飲み、爽やかな御曹司の慶應ボーイが登場し、薬局の前にはマスコット人形が置かれ、夜の赤坂には色とりどりのネオンが煌めき、やがてビートルズが来日します。そうした生き生きとした暮らしを、みね子は逐一お父さんに報告し、増田明美は今と繋げて僕らと共有するのです。そうして僕らは毎朝15分間だけ60年代を覗き見ることになります。それを、「古き良き時代」ではなく、この2017年と確実に陸続きになっている暮らしとして体感しているのは僕だけでしょうか。

 ああ、それに、そう、あの赤坂のセットが大変良いんですよねえ。

 

 以上です。今回発表した3つの他にも、有村架純をはじめとする演者それぞれの魅力、「東京」の描かれ方など注目ポイントはさまざまあるのですが、今回はこれでおしまい。もう寝ます。

写真について

 へえ、俺の若い頃の話を聞きたいの? あ、そうなの、大学で研究してるんだ。うーん、じゃあ、今でもいい? じゃあ今から話しちゃうね。あ、お茶いる? あ、いらない? えっと、そうだなあ、何から話そうか。まずは、そうだなあ、当時の東京に暮らしてた俺らが、なんでああいうことを始めたかってことから話そう。

 カメラって、そうか、今のカメラってすごく小さいんだってね。五百円玉くらい? 昔はもっとずっとでかくて不格好でさ、昔のカメラって、だいたいこう、……これくらいの大きさだな、こうやって両手で持ってここらをカチリと押すんだ。あのダサさもむしろ味があったんだけどねえ、へえ、あんまり知らないんだ。というか今って、みんなあんまり写真を撮らなくなっちゃったんだってね。……しょうがないか、まあ。

 とにかく、昔はみんな不格好なカメラを使って写真を撮っていた。何を撮っていたのかって、きみらが聞いたらとってもおかしいと思うだろうけどさ、風景とか、建物とか、歴史的なあれこれや、珍しいあれこれや、家族や友人や恋人や、知らない美人や、場合によっては自分を撮ったり、街中のあれこれ、電線とか、交差点とか、アスファルトとか、公園とか、塀とか、水たまりとか、空や雲や、抒情的なものや、煽情的なものや、ちょっとエッチなものだったり、エモい(これは死語だな)ものだったり、とにかくいろいろなものを写真に収めていたのよ。変だよね。そういうわけで、街にはカメラを構えてる人が溢れかえっていた。そのこと自体は別に良かったんだけど、そこには「カメラを構えている人の前を横切ってはいけない」っていう暗黙のルールというか、一般良識みたいなものがあったわけですよ。いや、「横切ってはいけない」ってほど強いものじゃなかったけどさ、でもとにかく、「ふつうは横切らないものだよね」みたいな、「人として当たり前じゃない?」みたいな空気さえ漂っていたわけ。カメラ構えてる人がいたら、その後ろを通るなり、前を横切るにしても、できるだけササっと通るなりして、とにかく邪魔にならないようにするの。なんなら前を横切る側が「すみません」とか言ったりしてさ。

 まあ今考えれば、そんな窮屈なものじゃない。ほんの少しの優しさだよね。この世界を構成している優しさの一つだ。

 でも、当時の俺らにはこれが許せなくてさ、「優しさって強要されるものじゃねえじゃん」とか「このまま一生カメラ族に屈するのかよ」とか言って。ギラギラとかパンク精神とかってのとは、たぶんちょっと違う。きっと俺ら、ムラムラしてたんだろうな。

 それでさ、それから俺らふざけ始めたんだ。避けるんじゃない、むしろがっちり写り込んでやろうぜ、って言って、写真撮ろうとしてる人がいたら真ん前に立ってさ、満面の笑みを浮かべてピースするの。ちょうどシャッターが切られる瞬間にスッと入り込んで、後で写真見返して「あれ、誰だこいつら!」って台無しにさせるのが一番良いんだけど、まあそううまくいく場合ばかりじゃない。もしカメラ持ってる奴がシャッターを押し渋るようだったら、「ほら撮って撮って!」って囃し立てて、ときには強制的に押させたりしたの。まあ本当に無意味でくだらないことなんだけどさ。

 俺らの仲間は10人くらいいて、渋谷の街にゲリラ的に現れては、そういうことをして自己満足してたんだ。最初は別に大きな話題にもならなかったんだけど、2週間くらい経った頃だったかな、仲間の一人がカメラの前でチ、……下半身を露出し始めてさ、いやいやお前そりゃマジいだろー、なんて笑ってたら、やっぱりマズくて、テレビのニュースになり始めてさ、うわー、ってな間にだんだん話題になってきて。俺らの顔も割れていくわけですよ。

 それで、なぜかそのときは危機感みたいなものはなくて、コウフン状態でニュースを追っていたのね。毎日てきとうにふざけて、毎晩酒を飲んで、好きな時間に寝る。そういうのが楽しかったんだ。

 おかしなことになってきたのは、覚えてる、ちょうど20日目、6月10日だね。俺は家でテレビを見てたんだけどさ、昼のワイドショーの中で、「昨日撮られた写真です、最新です」って、スクランブル交差点の前で俺が引き攣った笑いを浮かべて昭和の妖怪みたいなポーズしてる写真が出てきたの。いや、目隠しはされてたけど、完全に俺なんだ。スタジオのキャスターが「気味が悪いですねえ」なんて言っててさ、でも、気味が悪いのはこっちも同じだった。だってさ、俺は前の日は街に出てないし、だいいちスクランブル交差点は嫌いだったから全然行ってなかったのよ。だから写り込むわけがないんだ。でも、写真に写ってるのは確かに俺だった。あれれおかしいなあ、って。その日が始まり。

 次の日も、また次の日もワイドショーは俺が昭和の妖怪ポーズで写り込んでる写真を流し続けた。外国人カップルの記念写真、女子大生のフラペチーノ写真、シティボーイの路地裏写真、麻薬取引の瞬間をとらえた決定的写真、……渋谷周辺で撮られた多くの写真に俺が写っていた。その枚数は日に日に増えていって、「多くの」どころじゃない、「ありとあらゆる」のレベルになった。渋谷周辺で撮られたありとあらゆる写真に俺が写り込んでたんだ。引き攣った笑いを浮かべて、昭和の妖怪ポーズで。そのうちテレビでも目隠しが外されたんだけど、そこに現れたのは、まあやっぱり俺の顔なんだ。

 仲間は「お前すげえじゃん」なんて騒いでたけど、俺は気持ち悪くてしょうがなかった。もう外に出たくなかった。俺は部屋に閉じこもって、たまに吐いた。でも、やっぱり気になって、ニュースは見ちゃうんだよな。そうしたら、渋谷に全国からたくさんの人が来ててさ、カメラを持ってあちこちでパシャパシャやってんの。「うわ~写りました、気味が悪いっすね~」ってニコニコしてるんだけど、俺はもう、怖くて怖くて。誰とも顔を合わせたくなかった。俺がコミュニケーションを取りたがらないもんだから、そのうち仲間も顔を見せなくなった。

 テレビではキャスターが相変わらず「誰なんでしょうかねえ」なんてことを言ってるし、ネットにも情報は上がってなくて、なぜかみんな俺が誰なのか特定できずにいたんだ。俺は誰からも特定されず、でも今にでも特定されるんじゃないかっていう恐怖におびえながら部屋に引きこもった。もうね、テレビを見るのも怖くなった。カーテンも開けないで一日中丸くなってたんだ。

 一週間もするとさすがにものがなくなってきて、買い物に出かけなくちゃいけなくなった。仕方がないから仲間に頼もうと思って連絡してもなぜか繋がらないし、仲間だけじゃない、家族も知り合いも誰にも繋がらない。だから俺は自分で出るしかなかった。アパートを出て、心臓が飛び出しそうなくらいバクバクしてさ、俯きながら外を歩いたんだけど、おかしい。誰も気がつかないんだ。ふとした瞬間にすれ違う人と目が合っちゃうと俺はドキッとするんだけど、でも向こうは俺が写真の奴だってことには気づいてない。誰も。近くの肉屋のおばさんも「こんにちは~」なんてのんきに挨拶してくれるし、スーパーの店員も、アパートの大家さんも、誰ひとり気づかなかったんだ。

 俺は部屋に戻るとテレビをつけた。知らない間に事態は収束したのかもしれない。

 でも、むしろ悪化していた。渋谷だけじゃない。日本中のあらゆる写真に俺が写り込んでるみたいだった。そして、それから数日後かな、今度は俺が写り込んでるだけじゃなくて、「友達の顔があの顔になってるんです、これです」なんて言う女子大生が現れてさ、画面に表示された写真を見て俺は悲鳴をあげちゃったよ。小柄な女の子の身体に、俺の顔が乗ってたんだ。

 そこからさらに一週間も経った頃には日本中のあらゆる写真に写った人に俺の引き攣った笑顔が乗っかっていた。エイフェックス・ツインの「カム・トゥ・ダディ」って曲のPV知ってる? あれみたいな感じだよな。で、俺はというと、相変わらず誰とも連絡が取れないし、外を歩いても誰にも気づかれないわけだ。世界は壊れてしまった。

 それから一年も経つと、日本でカメラ持ってる人なんて本当に少なくなっちゃったんだ。せっかく写真撮っても、俺が写り込んでるか、みんな俺の顔になってるかのどちらかなんだからな。ケータイにカメラ機能が付いた時もみんな使わなかったし、スマホが流行ったときもカメラの性能は上がらないままだったもんな。だって使わないんだから。世界ではカメラはどんどん新しいのが出て、あの小さいやつに進化していったんだけど、日本では300個も売れなかったらしいからなあ。

 それで、俺はというと、そういう流れをすべて他人事だと思って見てた。だってそうするしかなかったから。俺だって、2、3年もすりゃあ少しは慣れちゃってさ、ふつうに働いて、人並みに恋人を作って、週末には映画を観てさ。

 でも、すべて長続きしないんだ。何をやってても、気持ち悪くなっちゃうんだよ。「ああ、この人たちは気づいてないんだな」って。何年経っても相変わらず、写真を撮るとそこには俺がいて、俺が年を取ると写真の中の俺も同じように年を取って、引き攣った笑みを浮かべ続けてる。でもみんなにはそれがわからないんだ。俺はもう長い間笑ってないのにさ、写真に写る俺はいつまでも笑ってるんだよ。でもみんなはそれがどういう感覚なのか知らないんだ。そうだ、ねえ、きみ、カメラ持ってる? あ、ありがとう。ほら、今こうやって写真を撮ってみてもさ、……あれ?

 

 ……あれ?